第七〇話 暗殺を実行する
ハルドラ 王都ハルデ。
ハルデの城の地下には、牢獄がある。
主に城で悪事を働いた者を閉じ込める場所なのだが、今は別の者が投獄されていた。
「お尋ね者のゲーティ、なんでこんな奴の聴取をするんだよ」
以前海人達が捕まえて身柄を拘束した、野盗の頭である。
隊長のマルドルと副官のピートは、ゲーティがなぜハルドラ領とドレファス領を行き来していたかを聞き出そうとしてたのだが、なかなか口を割らず難航していた。
「ゲーティは捕えているんですから、はっきり言って必要ないでしょう、この聴取」
「とは言ってもなぁ、王の命令だからな」
「王って言っても、どうせあのチビ魔法使いが言ったんでしょう、あーもぉやだやだ口出すなってーの」
ピートがそうぼやくと――。
「悪かったな、チビの魔法使いで」
クロノが杖をつきながらやって来た、相変わらず全く気配がない。
「うおっ……クっクロノさん」
「ゲーティの聴取進んでおらぬようだな」
「まっまぁ……なんせ頑固なもんで」
クロノは呆れた様子で溜め息をつくと、ピートを鋭い視線で睨む。
「お前たちのやり方が手ぬるいのだ、こいつが裏で何かをしていたのは明白なのだ、ハルドラとドレファスを行き来して何をしていたかを聞き出さなければならぬのだ」
「そんなの……野盗なんだから適当にぶらぶらしてただけじゃ」
ピートのぼやきに、クロノは更に眉を吊り上げる。
その視線の怖さに、流石にピートもそれ以上悪態はつけなかった。
「仕方がない……ワシがやろう」
クロノはそう言うと、マルドルとピートを牢屋から追い出してドアを閉めた。
一体なにをする気なのか、首を傾げる二人。
「なんだこのクソ餓鬼!」
ゲーティの物らしき怒鳴り声がした後。
「うぎゃあああああああああああああああああああっ――――」
到底人の物とは思えない、獣の様な声が響いた。
それがしばらく続き、マルドルとピートの顔が青ざめた頃――クロノが出て来た。
「素直に話す気になったそうだぞ」
一体ゲーティに何をしたのか、先ほどまで威勢が良かった男が、今は震えながら涙を流している。
一体クロノが何をしたのか分からないが、おそらくとんでもない事をしたに違いない。
「さてゲーティ、お前がハルドラとドレファスで何をしていたのか、話してもらおうか?」
「……かっかしこました、くっ……クロノ様」
口調まで変わっている、一体何をしたのか尋ねようとしたピートをマルドルが全力で止めた、きっと聞かない方がこの先平和に生きていける。
そしてすっかり従順になったゲーティは、語り始めた。
まさかそれが、ハルドラの運命を変える大事件とは、この時はマルドルもピートも思いもしなかった。
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ドレファス・フォルガ砦。
見回りを終えた者達が続々と砦に帰って来た。
しかし――何やらとんでもない事が起こっている。
「キーコがいない……だとぉ」
見回りから戻って来たギルベルトとアルバート、そしてルールアとフェルクスに、真っ先に伝えられたのは君子が砦のどこを探してもいないという事だ。
「どういう事だ……」
「分らないんです……わっ私が部屋に行ったらいなくてぇ、とっ砦の中をいくら探しても姿が見えないんですぅ、うっうえ~」
アンネが泣きながら報告した通り、皆で君子を探したのだが見当たらなかった。
「それに先に帰っているはずのヴィルムさんはどうしたの?」
見回りの途中で、先に戻ると言ってギルベルト達から離れたのだが、彼の姿も見えない。
一体何がどうなっているのか、状況が全く分からなかった。
「まさか、あのトキコとかいう姉が……」
時子は、ギルベルトが君子を所有物扱いしているのに嫌悪感を抱いていたし、見回りの時は別行動をとっていた。
だから一緒に逃げたのではないだろうかと、アルバートは考えたのだが――。
「……一体何の騒ぎだい?」
時子が帰って来た、しかし顔や手に泥がついていて、まるで泥遊びでもして来たようだ。
「……おめぇ、どこに行ってたンだ」
「どこにって見回りだよ、ぬかるみで転んでしまったんだ、タオル貸してもらえないかな?」
時子はそう言ったのだが、すぐにこの場に漂う不穏な雰囲気に気付き顔をしかめる。
「……何かあったのかい?」
「…………キーコが、いなくなった」
「――――っ! 馬鹿な、君子が?」
珍しく時子はとても動揺している様子だった。
演技かとも考えたが、それにしては嘘くささがなく、本当に驚き戸惑っているようだ。
「……貴様がどこかに連れて行ったのではないのか?」
「ボクが? 君子がどこかに行きたいというならどこにでも連れて行くけど、そもそも君子にはそいつの刻印が書かれているんだろう、一体どうやって連れて行くって言うんだ」
確かに、君子にはギルベルトの刻印が書かれていて、彼が指定した範囲から出る事は出来ない。
まだギルベルトは君子に書いた刻印の気配を感じる、消されてはいない。
「君子がボクに黙ってどこかに行くわけがない……」
時子はそう言って、押し黙る。
無言の時がしばらく流れると――、騒がしい声聞こえた。
「見回りっていう割には、この辺なんもなかったな……って、なっなんだよ」
戻って来た海人、凜華、シャーグ、ラナイを、皆が一斉に見つめる。
「……キーコがいなくなった」
「――っ、やっ山田が!」
「君子ちゃんがなんで!」
突然のクラスメイトの失踪に海人達も驚き戸惑う。
「……貴様等、まさかキーコを拉致したのではないだろうな」
「ひっ、人聞きの悪い事を言うな! 俺達がそんな事する訳ないだろう!」
「大体彼女を攫ったのはそちらの方でしょう、人さらいの様に言われたくありませんわ」
「…………、その割には一人足りない様だが?」
それはここにいるのは四人、もう一人ロータスの姿がない。
「ロータスとははぐれちまったんだ……急にいなくなって、先に砦に戻ってるんじゃないかと思って、帰って来たんだ」
見回りをしている途中、ロータスとはぐれてしまった。
彼だって一人前の兵士、先に迷子になっても砦へは戻ってきているかもしれないと思って、四人はこちらに帰って来たのだが――、彼の姿が見当たらない。
「……怪しいな、貴様等はキーコにちょっかいを出して来たからな、こういう姑息な手に出て来ても不思議ではない」
「なんだとぉ! てめぇ!」
火花散る両者、しかし今は争っている場合ではない。
君子の失踪もそうだが、ヴィルムとロータスが帰って来ないのは可笑しい。
なんだか嫌な胸騒ぎを感じていると、フォルドとムローラが屋上から降りて来た。
「なんの騒ぎじゃ……こんな夜中に」
「……フォルド殿にムローラ、キーコを見なかったか? 姿が見えないのだ」
「えっ……キーコちゃんなら一回屋上に来て、そのあとすぐに戻りました、もう一時間くらい経ちますけど」
どうやらムローラとフォルドが最後の目撃者という事らしい。
一時間前というと、皆が見回りに出ていた頃だ。
「……この砦には結界が張ってありますから、外部の者が出入りする事は出来ないです、もし結界が解かれたら僕が分かりますので」
「つまり……キーコが自分から出ていったか、あるいはこの中の誰かが連れて行ったという事か?」
アルバートはそう言って、明らかにハルドラの四人を睨みつけた。
それが癇に障る海人は怒鳴ろうとしたのだが――、間の抜けた声がどこからともなく響く。
『お~……、える――か?』
しばらく雑音まみれの声は続いてから、ムローラはようやく思い出し懐を漁りだした。
「わっ忘れてたっ! ベルフォート様から通信用の水晶玉を渡されたんだった」
小型の携帯用水晶玉を取り出すのだが、映っていたのはベルフォートではなくその弟ロベルトだった。
『あっ良かった繋がって……俺魔法苦手だから心配だったんだけど、大丈夫そうだな』
「ロベルト兄様、こちらは今立て込んでおります、話はあとにして頂きたい!」
今は兄と話している暇などない、一刻も早く君子を探さなければならないのだ。
アルバートは兄を敬うのをすっかり忘れて、非常に苛立った口調で言った。
『えっいっいや、俺だって至急フォルド魔王様に伝えたい事があってだな……』
「これはこれは貧弱王子殿」
『ひっ貧弱っ……ええい、今はそんな事を話している暇はなぁい!』
ロベルトは、咳ばらいをするとその要件を話し始めた。
『実は、予算請求を見直していたら、とんでもない事が分かったんだ、いいか落ち着いて聞いてくれ』
「良いからとっとと言え、暇がないと言っているだろう!」
もったいぶる兄に向ってアルバートは怒鳴った。
弟に怒られて、威厳のない兄は怖がりながら言う。
『まっ、魔王の一人が軍の金を横領している事が分かったんだ』
「魔王が……横領じゃとぉ」
強さこそが全てであるヴェルハルガルドにとって、強者の頂点に立つ魔王はカリスマ的存在。
それが横領などという姑息な真似をするなど、誇り高き魔王として許せない。
「どこのどいつじゃ、そんな事をしておる魔王の面汚しは!」
「そんな大きな声を出さなくても聞こえてますってぇ!」
鼓膜を破きそうな大声を出し興奮するフォルドを、ムローラが抑える。
だが抑えている彼も、話を聞いていたアルバート達も、かなり動揺していた。
『気持ちはわかる、正直前代未聞だ……俺も上司も対応でしっちゃかめっちゃかだ……』
「……ロベルト兄様、その魔王は一体誰なのですか」
アルバートの問いかけに、ロベルトは困惑しているのか少し間を置いた。
そして静かにその名前を言った。
『ジャロード様だ』
「じょっ……冗談でしょう、あのジャロード様が!」
ムローラは信じられない様子で声を荒げた。
まさかあの真面目なジャロードが、そんな事をするとは到底思えない。
『いや……俺もまさかと思ったが、ベルフォート兄さんの指摘で分かった、彼は魔王会議では本来の報告をしていたが、俺達には兵の数を偽って兵糧代を多く請求し、実際は戦闘なんてないのに怪我人の治療費を請求するとか、とにかくとんでもない額だ……正直これを見過ごしていた俺達にも責任が降りかかるレベルだ』
「まさか……それじゃあ、ジャロード様のハルドラ侵攻が滞っていたのって……」
『おそらく出来る限り金を横領する為だと思う……』
皆可笑しいと思っていたのだ、ハルドラというヴェルハルガルドの足元にも及ばない国が、魔王の軍勢と互角にやりあっているなんて。
「あの犬っころめぇ……、すまし顔で魔王帝様を裏切り私腹を肥やしていたなど、万死に値する! この儂自ら引導を渡してくれる!」
『ちょっ……そっそれは止めた方が、今兄さんが父上に報告して今後の対応を練っているから、それからにした方がいい――――ガガガッ』
「――っ、ロベルト兄様!」
水晶玉に映っているロベルトの映像が乱れ、音声にもノイズが混じって来る。
忘れていたがここはドレファス、帝都からはかなり距離があり、この携帯用水晶玉では既に限界の位置だ。
おまけにロベルトは魔法が得意ではない、ベルフォートならいざ知らず、彼の実力ではこれ以上の通話は不可能である。
『も――だめか、とに――ガガガっかく、フォルド様は至急帝都に戻って――れ、対応ガガガガっ、それガガガガガガガガガっする――』
ロベルトは何とか最後に弟達に向かって言う。
『ギるベガガガガっ、ガガガっるバート、無事に戻って―――ガガガガガガザザっザザっ』
雑音と共にロベルトの声は聞こえなくなり、水晶に映し出されていた映像も消えた。
突然告げられた言葉に、皆驚き戸惑っている。
現職の魔王の横領事件、これはヴェルハルガルドでも他に類をみないとんでもない大スキャンダルだ。
「とっとにかく……、ロベルト様の言う通りいったん帝都に――」
「ならぬ! あのジャロードの犬っころの牙を全部折ってぶった切ってくれるわ、あのような魔王の面汚しを一秒でも長く将の椅子に座らせておくなど、あってはならぬ!」
今にも砦を出て、ジャロードを切り殺しに行ってしまいそうなフォルドを、ムローラが必死に止める。
「王子達もこんな緊急時ですから、いったん本国へ帰りましょう」
「駄目だ、キーコが見つかってねぇンだ!」
「そっそれにヴィルムさんだっていないんですよ! 置いてなんていけないわ!」
いくら魔王の横領という大事があったとしても、君子やヴィルムがいないまま帰る訳にはいかない。
心配なのは分かるがムローラも軍人、上の命令には従わなければならなず、どうすればいいのか混乱するばかりだ。
しかも先ほどの会話を聞いていた海人達が話に入って来て、余計に場が乱れる。
「ハルドラを侵攻していた魔王が横領って……一体どういう事だよ!」
「……それはヴェルハルガルドの事情だ、敵国には関係ない」
「ふん、自国の恥は隠したいようだな……横領などあくどい魔人共がやりそうな事だ」
敵の弱みを見たとばかりに、海人とシャーグが口撃する。
しかしそんな中、今までずっと黙っていた時子が、ようやく口を開く。
「…………それってちょっと妙じゃないかい?」
「……時子さん、妙ってどういう事ですか?」
「だってその魔王は戦争を長引かせることによって、私腹を肥やしていたんだろう? つまり手を抜いていたって事だ、そんな戦争をしていれば、流石に敵国の将軍だって気が付くものなんじゃないのかい?」
確かにその通りだ、手を抜くという事は攻め時に攻撃をしないという事。
いくら何でもそんな手抜きをされていれば、敵の将だって気が付くはずだ。
「確かにそうよね、そんな悠長な事してれば逆に敵の総攻撃を受けるかもしれないわ」
ルールアの言う通り、戦争を長引かせることは大変なリスクがある。
下手に間延びさせて敵にやられてしまえば、責任を取らせられるのは将であるジャロードだ、彼は策の魔王と呼ばれるほど知略に長けた男、そんなリスクを冒すとは到底思えなかった。
「むしろそれに気が付かなかったハルドラの将は、無能としか言いようがないよ」
「なっ、シュルペ将軍を侮辱する気か、君はぁ!」
尊敬する将軍を貶されてシャーグは声を荒げる。
しかし、彼女の言っている事は的を射ている。
なんだか得体のしれない不安が、海人やシャーグ達の自信を蝕んでいく。
とその時――。
『……ない、ら……い、聞こえ――か?』
今度はラナイが持っていた携帯用水晶に通信が入った。
取り出してみると、写っていたのはハルドラ王バルドーナスだ。
『おお無事だったか、聖都が海魔に襲われたと聞いたのでな、心配していたのが良かった』
どうやら聖都襲撃の件は、広く知れ渡っているようで、バルドーナスはとても心配していたのか、海人達の無事を確認して安堵の溜め息をついた。
「国王陛下、一体どうなされたのですか……」
『な、なっ何から話せばよいものか……』
バルドーナスはいつにも増して顔色が悪く、上手く喋れていない。
そんな彼を見覚えのある杖がつつく、どうやらクロノが隣にいるようだ。
もういっそ催促する彼が話した方が早いようなくらいの時間が経ってから、バルドーナスが話を切り出した。
『……実は、先日お前達が捕まえたゲーティなのだが、ハルドラとドレファスを行き来していた事が分かってな、まさかドレファスの密偵なのかと思い、尋問していたのだ』
「あいつが、ドレファスに?」
ゲーティを捕まえたあそこは南の国境で、ドレファスとは目と鼻の先。
ドレファスが放った密偵の可能性は十分ありうる。
「では、奴はドレファスへとハルドラの情報を流していたって事なのですね」
『いや……そういう訳ではないのだシャーグ』
「どういう事なんですか王様」
「ゲーティが、一体何をしていたんだよ?」
海人も凜華も、首を傾げてバルドーナスが話すのを待つ。
よほど話しにくい事なのか、また口を閉ざしてしまった。
クロノに頭を数回小突かれて、ようやくその本題を切り出した。
『ゲーディは……、ハルドラから密かに金をドレファスへと運んでいたらしい』
「金を? 一体何の金なんだ」
海人が聞き返すと、バルドーナスは本当に悔しそうな表情で言った。
『ハルドラの、軍事費だ』
それは――とても既視感のある言葉だった。
なぜただの野盗であるゲーティがそんなものドレファスへと持ち出せるものだろうか、とても嫌な予感がする。
その続きをとても聞きたくなかったのに、バルドーナスは今度はすぐに口を開く――。
『シュルペ将軍が、軍の金を横領していたのだ』
まるで再放送でも見ている様な、そんな気分になった。
『ゲーティは、シュルペ将軍等が横領した金をドレファスのコルダン領へと運び金を得ていたらしい……なぜ金をドレファスへと運んでいたかはまだ分からないが、今シュルペ将軍を拘束する為に兵を招集している所だ、彼もなかなかの手練れだと言う、できればカイトとリンカ達にもこちらに合流してもらいたいのだ』
そう言われてもすぐには返事をすることが出来なかった。
まさか将軍が、国を裏切るような事をするとは考えられなかった。
特に尊敬していたシャーグは、とても動揺している様子だった。
『……動揺するなという方が無理な話だ、儂も正直信じたくない、まだこの事は儂とクロノ氏と一部の兵士か知らぬ…………とにかく至急ハルドラに戻って来てくれ』
「…………わっ、分かった」
頭を下げて頼むバルドーナスに、海人はひねり出すようにそう言った。
水晶玉のバルドーナスの姿が消えると、シャーグは壁にもたれかかる。
「……そんな、シュルペ将軍がまさか」
尊敬していた将軍の裏切りは、戦士である彼には受け止めきれないものだった。
「なるほど、自分も横領しているから戦争を長引かせたかった訳か……納得だよ」
手を抜いていたジャロード軍に総攻撃を仕掛けなかったのは、自分も横領をしていた為。
あまりにも予想できなかった事に、皆が黙ってしまった時の事――。
「……あれ、どうしたんですかカイトさん」
ロータスが戻って来た。
いつにも増してピリピリとした空気なので、ちょっと戸惑っている。
一旦海人達は冷静になって、戻って来た仲間を迎え入れる。
「どうしたって、お前がどっかいっちまうから皆心配してたんだぞ」
「えっ……あーはい、すいませんでした」
ロータスはそう謝罪すると、海人達の方へと歩き出す――しかし、彼がギルベルトの横を通り過ぎようとした時。
ギルベルトが突然、ロータスの胸倉を掴んだ。
「なっ、何するんだお前ぇ!」
突然の暴力に、海人は声が荒らげる。
今の今までずっと大人しかったギルベルトが、ロータスを恐ろしい眼で睨んでいた。
「てめぇ……、キーコに何しやがった」
「えっ……きっ、きーこさんにぃ?」
何を言っているのか理解できない、それが余計にギルベルトを怒らせる。
より胸倉を掴み上げて、ロータスを前後に振った。
その時、ロータスの懐から何かが落ちた。
それは眼鏡だった。
レンズが割れていているが、間違えなく君子が造ったステータスを見られる眼鏡だ。
「なっ……、なんでロータスが山田の眼鏡を持ってるんだよ」
「ロータス君……どっどういう事なの?」
「しっ知らない、僕は本当に知らな――」
ロータスは必死にそう訴えたが、怒るギルベルトが彼を思い切り壁に打ち付ける。
背中から全身にかけて、激痛が突き抜けた。
「ぐはっ――」
意識を保つのがやっと、反撃も反論さえも出来ない。
「とぼけんじゃねぇ、てめぇからキーコの匂いがするんだよぉ!」
魔王帝ベネディクトの子であるギルベルトは、半獣人よりも臭覚が優れている。
だからロータスからわずかに漂ってくる君子の匂いに気が付いたのだ。
大切な君子を攫われ、ましてや傷つけられたとあってはギルベルトの怒りは頂点に達し、感情のままに、ロータスを絞め殺そうとする。
いくら何でもやりすぎだ、ロータスの話を何一つ聞いていないのに、彼を殺そうとするのはあんまりだ。
仲間を傷つけられて、海人はあまり意識せずに暴言を吐いた。
「この捨て子、ロータスを離しやがれ!」
なんの意味もない、ただの暴言に過ぎなかったのだが――その言葉に大きく反応したのはアルバートやルールア、フォルドにムローラといった、ヴェルハルガルドで重要職に就く者達だった。
何気ない暴言だったが、ギルベルトはロータスから手を離し、解放した。
「ゲホっ、ゴホっ」
「ロータス、大丈夫か!」
苦しそうなロータスを、シャーグとラナイが介抱する。
ひとまず彼が無事で安心する海人達だが、彼らに口を開いたのは意外にもアルバートだ。
「おい貴様、なぜその事を知っている」
「……なんのことだよ」
言葉の意味が分からない海人に、アルバートはより詳しく尋ねた。
「ギルベルトが捨て子という事を、なぜ他国の人間である貴様が知っている、これは国内でも貴族や軍の上層部しか知らぬ事だ」
アルバートの言う通り、先のない王子として魔王帝から見捨てられた事を知っているのは、ヴェルハルガルド国内でも、限られた者達だけだ。
一〇〇年前にこの事は一切公に出してはいけないと、魔王帝直々の命令があり、それ以来他国どころか、自国の中でもこの話はタブーとされて来たのだ、海人達が知る筈がない。
「そっそんな事、どうでもいいだろう……、今は山田の方が大事だ」
「そうよ……それよりも君子ちゃんの眼鏡をなんでロータス君が持ってるの?」
ロータスは本当に知らない様子だ、何が起こっているのか全く状況が読めない。
「くっ……ヴィルムはどうしたのだ、こういう考える事は奴が一番得意なはずだ」
こんな緊急時に、一番頼りになる男がいないのは問題だ。
割れた眼鏡を見るに君子は明らかに誰かに連れ去られた可能性がある、それも明らかに敵意を持った何者かに――。
「……んっ、ちょっといいかな?」
ムローラはロータスへと近付く。
敵の魔人である彼に、ロータスも海人も凜華も怪訝な顔をする。
しかし、ムローラはロータスをしばらく見つめると、体の奥底にある特殊技能のスイッチを入れた。
「……特殊技能、発動」
するとムローラの眼が薄青色の光を帯びた。
初めて見る現象に驚く皆に、フォルドが口を開く。
「ムローラの特殊技能『分析』じゃ」
特殊技能『分析』、ランク3。
普通型のこの特殊技能は魔力を消費せず、ありとあらゆる物に対する分析力を上げる。
『思案者』の下位互換の特殊技能に相当するが、あくまでも分析力だけであり、思考のスピードは速くならない。
しかし、分析に関してだけなら『思案者』を凌ぐ能力を発揮する。
「やっぱりだ……、何か特殊技能が発動した形跡があるよ」
「特殊技能だと?」
ロータスは今日一度も特殊技能を発動させていない。
となると、この特殊技能の跡は外部からの干渉という事になる。
「多分……彼は何者かに操られていた可能性があります」
「……操られていた、一体誰にだというのだ?」
「いや……そこまではちょっと分かりませんが、人を操る特殊技能はかなり限られてくると思います、『固有』ならいざ知らず、普通なら操る対象に下準備をしないといけません」
ベルカリュースには多種多彩な特殊技能があるが、人などの生物に干渉するものは実際限られてくる。
しかも本人が気付かない様に操るというのは、何か下準備、つまり条件が必要になるはずだ。
「人を操る特殊技能などあるのか?」
「いっいやあるんですよ……、知られてないんですけど、接触型って言う特殊技能」
特殊技能にはさまざまな種類がある。
本人の意思で発動する普通型、魔力を消費して発動する消費型、本人の意思とは関係なく常時発動する常用型。
そして対象に触れる事によって発動する接触型。
保有者が少ないせいか、他の三つに比べてかなり認知度が低い。
「特に人に干渉する特殊技能が多いんですよ、この型って」
「…………そんな珍しい特殊技能を、なぜお前が知っているんだ」
教養のあるアルバートや、博識なラナイも知らない特殊技能を、補佐官とはいえムローラが知っているのは、正直意外だった。
「あっ……いや知り合いにいるんですよ、この特殊技能をもっている奴」
「……誰だ、それは」
「ジャっジャロード様の補佐官の、リュマっていう男です」
先日の魔王会議にはいなかったが、ムローラの数少ない補佐官友達であり、国賊となった魔王ジャロードの補佐官。
「気さくな奴で……昔自分の特殊技能の型について話してくれて――てっ、なっなに?」
ムローラはただ話の流れで世間話をしただけなのだが、海人達がとても驚いた様子でこちらを見ている。
「…………リュマって、リュマ・ロッペ?」
「へっ……、そっそうだけど」
魔王ならいざ知らず、補佐官の名前を敵国の人間が知っているなど珍しい。
ムローラが首を傾げると、海人は悔しそうに奥歯を噛む。
「あいつだ……そうだあいつだった、あいつが捨て子って言ったんだ」
今、ようやく思い出せた。
ハルドラの砦ペルシュで会った時、彼は確かに呟いた、捨て子の王子と――。
「じゃっじゃあのリュマさんは、本当は敵だったって事……そんな、あんなに優しくしてくれたのに!」
「でも……あいつ、ロータスの事抱きしめてただろう……本当に接触型っていう特殊技能を持っていたとしたら、アレがその下準備なんじゃないのか?」
ギルベルトが捨て子だという事実をヴェルハルガルドの重要職の者しか知らないという事といい、あの過剰なまでのスキンシップがロータスを操る為の下準備だったしたら、全て説明がつく。
「ちょっちょっと待ってくれよ、なんであいつがこんな回りくどいやり方で、キーコちゃんを攫うんですか! 彼女に恨みなんて無いでしょう!」
友人の無実を信じてムローラは必死に庇うのだが――。
「あの娘にはなくとも、王子への恨みなら、十分に考えられるじゃろう」
「え……、あっ」
フォルドの言う通り、君子はギルベルトとアルバートのピアスを付けている。
普通なら王子の寵愛を受けている女性、敬うべき人であるが、そう見ない者もいるのだ。
「……人質、か」
世の女性ならば誰しもが憧れる王子のピアスだが、これは同時に弱点をさらしているようなもの。
ギルベルトとアルバートに恨みがあるならば、本人を狙うよりも君子を狙った方が圧倒的に簡単だろう。
「指示していたのはジャロードの犬っころのくそったれじゃろう……、動機はおそらくこの横領の件、そして狙いは王子じゃ」
今の所思い当たるのはそこしかない、しかしなぜそれで君子――ではなく王子を狙うのか訳が分からなかった。
何か恨まれるような事がなければ、こんな事をするわけがない。
だがギルベルトはつい先日彼と初めて会ったのだ、この計画は明らかにもっと前から計画してあったもの、あの時の何かが動機になるとは思えない。
「…………魔王の補佐官が敵国の砦にいたっていうのは、可笑しな話じゃないかい?」
「えっ…………まっそうだけど」
「しかも二ヵ国の将がどっちも横領しているって言うのは、偶然が重なりすぎだよ」
「……どういう事だ?」
それは皆どこかで思っていたが、そうでないと信じていたかったのだ。
時子はそんな望みを打ち砕く言葉を――言った。
「もしかして、魔王と将軍は内通しているんじゃないのかい?」
その場にいた誰もが言葉を失っていた。
時間が止まったかのような静寂の中、ようやく口を開いたのは海人と凛華だった。
「……やっやめてくれよ時子さん、そっそんな冗談、全然笑えない」
「そっそうよ、魔王と将軍が手を組んでるなんて……ありえないわ」
二人はそう否定したものの、思い当たる節が全くないわけでもない。
砦へ行き将軍に手伝わせてくれと言ったが彼は断った、実績がないとか言っていたが、Aランクという強力な助っ人を、普通無下に追い返したりするだろうか。
それに砦の兵たちはどこか緊張感がなく、戦場が近いというのに命のやり取りをしているとは到底思えない、のほほんとした空気が流れていた。
それもそのはず、両者は裏で結託していて実際は戦争などしていない、強力な助っ人など持っての他である。
「そうなると……単に魔王側だけの問題じゃない、もしかして将軍側の方で何かやって恨まれたんじゃないのかい?」
時子の言う通り、内通しているのならば恨みの原因がヴェルハルガルドだけとは限らない、ハルドラで何かをした可能性だってある。
「知らねぇ、ンな事」
ギルベルトはいつも通りそうそっけなく答えた。
しかしそれはハルドラの五人の逆鱗に触れる――。
「ふざけるな……お前、一年前に何したか覚えてねぇのか……」
怒りに震える声でそう言うが、ギルベルトは眉一つ動かさない。
まるであの惨劇が無かった事の様に扱われている、それが許せなくて海人は声を張り上げ、ギルベルトへと一番最初の罪を突き付ける。
「お前がゴンゾナを滅ぼしたんだろう!」
一年前、異世界に来たばかりの時に抱いた怒り。
たった一人の魔人にゴンゾナが滅ぼされて、それ以来ずっと仇を取ると決めていた。
それを、覚えていないなどというのは許せない。
「忘れたとは言わせないわよ、あんたがゴンゾナを滅ぼしたんでしょう! ロータス君はその砦の生き残り、言い逃れなんて出来ないわよ!」
ゴンゾナを滅ぼした『紅の魔人』、それがギルベルトにつけられた字だった。
「大砲があった五〇〇人もいる砦を滅ぼしておいて、知らねぇとはなんだっ!」
怒りのあまり剣を抜く海人、もうこんな状況だ同盟なんてどうでもいい。
今ここでギルベルトへと斬りかかる。
「大砲なんてなかった」
しかし、思い出したのかギルベルトがそう言った。
その言葉に驚き、海人は斬りかかろうとした剣を止める。
「たっ大砲がないだとぉ、何を出まかせを言っている、あそこはハルデまでの最後の防衛線なのだぞ、そのくらいの備えはしているに決まっているだろう!」
「うっせぇな、なかったって言ってンだろう! 櫓があってでけぇ割には全然人がいねぇし、よえーし、すっげーつまんねぇ所だった!」
思い出せないからデタラメを言っている訳ではない。
いくらギルベルトが無鉄砲とはいえ、大砲のある砦をワイバーン一騎で攻めようとはしないだろう。
「……みっ皆さん何言ってるんですか? ゴンゾナはあの時前線から遠かったから、大砲なんて配備されてませんでしたし……五〇〇人の兵って何のことですか、ゴンゾナはそんなに人はいませんでした、いても一〇〇人くらいです」
「一〇〇人! そんな馬鹿なゴンゾナは守りを固める事になっていたはずだ!」
ゴンゾナは五〇〇人規模のハルデの最後の守りだ、上層部の判断で兵を増員したり大砲を設置したりと、軍備を強化する事で決まっていたはず。
もう何が何だかさっぱりわからない、頭がパンクしてどうにかなってしまいそうだ。
「大砲を備えているって、一体誰が言った? そこの責任者は一体誰なんだい?」
「…………シュ、シュルペ将軍」
その名を聞いて、尋ねた時子本人が溜め息をつく。
「つまりその大砲やら兵の増員は書面だけのもので、実際は金だけが将軍の懐に収まっていたってわけか……、呆れて物が言えないね」
時子の皮肉に、返す言葉がなかった。
バルドーナスやシャーグは、将軍シュルペの報告を全て鵜呑みにしていた。
まさか信頼厚い彼がこんな国を裏切るような真似をするとは、思っても見なかったのだろう。
信じていた者に裏切られて、口を開く事もままならない海人、凜華、ラナイ、シャーグ、ロータスの五人。
「…………でも、砦一つやられたくらいで、キーコを攫おうとしますか?」
たかが砦をやられたくらいで、ロータスを使ってキーコを攫おうとなどとするだろうか、ルールアが疑問をぶつけると、時子が答えた。
「……横領しているから戦局も一向に変えないって言うのは、ちょっとあからさま過ぎないかい? それまでは魔王の圧勝だったんだろう、それなのに急に拮抗するなんて、誰の眼から見ても怪しいと思うんだけど?」
「確かにそうだ……現にジャロード様は、魔王会議でそれを指摘されていた」
誰の眼から見ても圧倒的に魔王の方が有利だったのだ、誰もそれを疑問に持つはずだ。
そんな分かりやすい事を、策士であるジャロードがやるとは思えない。
「…………逆に、戦線を動かせなかった、という事か?」
「確か戦局が変わらなくなったのは、ちょうど一年前だ……」
周囲の眼が、ギルベルトへと向く。
戦局が硬直状態になった一年前――それはちょうどギルベルトがハルドラの第二防衛線であるゴンゾナを滅ぼした時。
「……第二防衛線であるゴンゾナが滅んだ今、最前線である防衛網が後退する様な事があれば、王都ハルデは真っ裸……コレが連中にとって面白くなかったんだ」
「なるほど横領している身としては戦争が終わるのは困るが、戦局をいつまでも動かさないのは怪しまれる、だから第二防衛線まで少しずつ戦局を動かすつもりだった……しかし、ギルベルトお前がその要である砦を壊してしまったせいでそれが出来なくなってしまった……そう言う事か」
元々はゆっくりと、ヴェルハルガルド軍が進軍するはずだったのだろう。
しかしゴンゾナが無くなり、王都ハルデが丸裸になった事によって、軍を動かしたくても動かせなくなってしまったのだ。
ハルデの目の前まで戦線を持ってきてしまえば、それこそハルドラは全ての民で決死の総攻撃をかけるかもしれない、そんな状況下では横領などとてもできない。
つまるところこれは――とんでもない逆恨みである。
「許せぬ、許せぬぞぉ! 魔王という将でありながら金に目がくらみあまつさえ敵と内通するなど、もはや生かしておく価値など微塵もないわ! この儂自らジャロードの首を撥ね飛ばしてくれる!」
「ちょっちょっとちょっとぉ! 帰国せよって命令されてるのに、そんな勝手な行動をとる訳にはいかないでしょう!」
「何を言うかムローラ! 奴は誇り高きヴェルハルガルドの魔王の誇りを踏みにじったのだ、魔王が汚職など恥さらしにもほどがある!」
フォルドは、今すぐにでもジャロードを討ちに行ってしまいそうな勢いだ。
ムローラが何とか諫めようとするが、彼の怒りは溶岩よりも煮えたぎっている。
「ジャロードの所なら私も行く、君子はそこに人質として連れて行かれた可能性が高い」
「でっでもアルバート様、キーコにはバカ王子の刻印が書いてあるんですよ……それなのにジャロード様がいる前線の砦まで連れて行くなんて無理ですよ」
君子にはギルベルトの刻印が書かれている。
ギルベルトの指定した範囲から出る事は出来ない、例えそれが本人の意思ではなく拉致という方法であったとしてもだ。
刻印を消せばギルベルトが分かる、君子に書かれている刻印は消されてはいない。
「いや――、そうとも限らないんじゃないのかな?」
意外にも口を開いたのはムローラだった。
彼は暖炉から木炭を拾い上げると、長テーブルに何かを書き始める。
「刻印の範囲指定って言うのは呪いに近いから、そこそこ知ってるんですが……名前の主を中心にした範囲だから、実際定めたのは半径でしかないんだ」
ギルベルトは君子が行動できる場所を指定している訳ではない、あくまでも自分を中心にした半径だけを設定できる。
似ているようだがこの二つは大きく違う。
ムローラは木炭で書き上げたこのあたりの地図を指さす。
「ここがこの砦で君子ちゃんがいた場所だ、そして王子殿下達は見回りでここを離れた……大体どこだかわかります?」
「西の……このあたりだ」
「ここから砦までを半径として円を書くと――刻印の正確な行動範囲が分かる!」
コンパスの要領でムローラは木炭で円を書く。
テーブルの地図に大きな丸が現れる。
「……ヴェルハルガルドが、入っている」
円の端の方、全体から見ればかなり小さいが、それでも刻印の行動範囲はヴェルハルガルドにかぶっている。
「王子殿下が見回りをしている時にキーコちゃんを連れて行けば、ヴェルハルガルドに連れて行くには十分です」
ギルベルトが君子に最も離れた時にヴェルハルガルドに向かえば、十分国境を超える事が出来るのだ。
「……敵がいないか確認する為の見回りで、敵に付け入る隙を与える事になるとは」
「ヴェルハルガルドに連れて行かれた可能性があるって言っても、どうやってキーコを見つけるの? 遠くへ連れて行かれているかもしれないのに」
「いやそうとも言えません、例えば王子がキーコちゃんが遠くにいるのに範囲を狭めた場合、彼女はその場から動けなくなるんです」
刻印の拘束力はかなり強いものだ。
君子を連れ去った連中は、間違えなくギルベルトが見回り中に彼女をヴェルハルガルドに攫ったわけだがそれが出来たのは、ギルベルトが君子は砦にいると思い範囲を広げていたからだ。
しかし砦に戻って来て元の範囲に戻した時、君子はその指定された範囲にいないという事になる。
そう言う場合は、君子は範囲外に出たとして身動きが取れなくなる。
例え第三者が君子を連れて行こうとしても、刻印の強い拘束力によって、てこでも動けない。
「つまり今キーコは、この円の中に絶対にいるという事か」
とは言ったものの、円の範囲はかなり広い、当てもなく探すには時間がかかりすぎる。
「おい小僧、本当に何も覚えていないのか」
「……はっはい、気がついたら砦の前にいたから……」
操られていたロータスは、記憶を消されていて手掛かりにならない。
やはり君子を探すのはかなり難しい、しかし早く見つけなければ命の保証だってない。
しかしそんな絶望的な状態だというのに、ギルベルトは一人外へと歩き出した。
「おいバカベルト、勝手に行動するな……当てもなく歩いてキーコを見つけられるわけないだろう」
「……当てならある」
ギルベルトのとんでもない発言に一同は驚きを隠せない。
なぜ当てがあるのだ、彼はこの辺に地理には全く詳しくないというのに――。
「あんなくっせぇ香水の匂い忘れる訳ねぇ……、あのクソ半獣人のアマぁ」
「……香水? 半獣人だと?」
アルバートを無視して、ギルベルトは呟いた。
「カルミナのクソ野郎ぉぉぉぉ!」
「カルミナ……、それはフォルガンデス家の?」
それは今から数ヵ月前、ギルベルトの婚約者としてマグニにやって来た貴族の令嬢。
しかし彼女は君子を殺害しようとしてギルベルトの怒りを買い、一族ともども国外追放になったはずだ。
「なぜ、そんな話になるんだ今更……んっ」
アルバートが良くロータスの匂いを嗅いでみると、かすかに強い香水の香りがする。
ロータスがそんなもの付ける訳がないので、おそらくこれは――。
「なるほど、この小僧を掴み上げた時に匂いがしたのか……、確かに趣味が悪い香水だ」
アルバートも顔をしかめてそういうが、臭覚が普通の他の者には全く感じられない。
「……風の方向が変わったな、かすかだが風上から同じ香水の匂いがするな」
「もっかい耳千切ってやる……あのアマぁ」
指を鳴らし歯ぎしりをするギルベルトの顔は、数ヵ月前耳を千切った時よりも恐ろしい。
「フォルガンデス家って確かドレファスと繋がっていたという?」
「国外追放されれば当然ドレファスに逃げるだろう……それに確かジャロードはドレファスの出身、密かに繋がっていたとしても不思議はない」
ヴェルハルガルドにいながら、巡礼用の船を用意するのは難しいはずだ。
それにギルベルトを暗殺しようとしているのだ、信用できない者に船の調達を任せる訳がない。
「ならばそいつに、キーコの居場所を吐かせるまでだな」
「儂も行くぞ! おそらくそこにはジャロードもおる筈じゃ、あの恥さらしを断罪してくれる!」
国家の大反逆者であるジャロードを討つべくフォルドはすっかりやる気である。
もう彼は魔王帝の命令であっても止まらないだろう。
そんなフォルドの姿を見ていたアルバートは、しばし間を置くと静かに口を開く。
「一つ……提案がある」
「提案ん? そんなものどうでもよい、さっさとジャロードを――」
「フォルド様の怒りはごもっともだ、しかしこのままジャロードを勝手に仕留めれば、いくら王子と魔王とはいえ、我々が罪に問われる可能性がある」
「ンな悠長な事関係ねぇ、あいつをぶっ殺してキーコを取り戻す!」
「勿論そのつもりだ、だがな軍法会議にかけられれば奴が横領をしていた事実はヴェルハルガルド中に知れ渡り、他国からの誹りは免れない……だが、今この事を知っているのはごく一部の者達だけだ、今なら何とか誤魔化せる」
「それは奴を裁かぬという事か、ならばこの儂が許さぬぞ」
「奴は殺す、だがそれをするのは我々ではない」
その意味が分からず、首を傾げるフォルドやムローラ達を無視して、アルバートは海人達を見ると、口を開いた。
「お前達だ、ハルドラの勇者」
「なっ、なん……だとぉ?」
あまりに予想しなかった言葉に、海人達は驚き戸惑う。
いや初めから魔王は倒すつもりだったが、それを魔人であるアルバートに言われるなど思ってもみなかったのである。
「どっどういう事、わっ私達が魔王を倒すって……あんた達の仲間でしょう?」
魅力のある話だが、敵の言う事など信じられない。
「正確にはお前達が殺すのではない、ジャロードは我々が殺す……だが表向きはお前達ハルドラの勇者によって戦死した事にする、そしてその代わりに――」
アルバートは冷たい表情で淡々と、まるで悪魔の様な提案をする。
「お前達は将軍を殺せ」
「しゅっシュルペ将軍を?」
「殺す……?」
いくら横領していたとは言え、彼は人間だ。
そんな事をする為に強くなったわけじゃない。
「そうだ、そしてそれを我々が殺した事にすればいい、そして互いに首を交換し、それぞれ本国へと帰還すればいい」
つまり実際は魔王をギルベルトやアルバートが、将軍を海人と凜華が殺すが、表向きには反対に、魔王は勇者に討ち取られ、将軍は魔人に暗殺された、という事にするのだ。
「そんな事、すぐにバレてしまうのではありませんか?」
「問題はない、それぞれ上層部には将が殺されたから敵討ちをしたとでも言えばいい、我々は敵国同士だ誰も結託しているとは思われん」
敵国同士であるヴェルハルガルドとハルドラの巡礼者達が、行動を共にしているとは誰も思いもしないだろう。
「お前達だって、自国の将が敵と共謀して汚職をしていたという不名誉を国内外に知られたくないだろう、それだったら敵に討たれたという方が幾分マシというものではないか?」
アルバートの言う通り、将軍が汚職をして処刑されるよりは国家の威厳も保てるし、何より裏切り者の将軍の首で、アレほど切望していた魔王を倒す事が出来る。
これはハルドラにとっても悪い話ではない。
しかし――。
「ふざけるな! 俺達は人間を殺す為に強くなったんじゃない!」
「なら将軍は生け捕りでも構わん、どのみちこっち殺すがな」
海人も凜華もそれでも納得できない。
魔王を倒してハルドラを平和にしたい、でもそれが将軍と引き換えなんて、それは海人達が望んでいたものとは違う。
でも将軍の汚職によってハルドラが非難されるのは嫌だ、海人も凜華もハルドラに強い思いを抱いている、自分の悪口を言われるのと同じくらい悔しい。
二つの気持ちで海人は迷っていたのだが――。
「……その話、受けよう」
「しゃっ、シャーグさん!」
「何言ってるのよシャーグさん!」
一体何を考えているのかと海人と凜華が悲鳴の様な声を上げた。
敵とこんな取引をするなんて、正気か疑ってしまう。
「…………俺は将軍を、シュルペを許す訳にはいかない、国を守る最後の砦である筈の将軍が……国を裏切るなどあってはならない事だ」
シャーグは今まで見た事がないくらい怒っている。
将軍の裏切りは、それくらい許せない物なのだろう。
「例え敵と取引する事になっても……、ハルドラの誇りを俺は守りたい」
「シャーグさん……」
「カイトとリンカはやらなくてもいい、……俺だけでもやる」
シャーグは本気だ、ハルドラを守る戦士としてシャーグは誇りを持っている。
ハルドラの民と、ハルドラの名誉を守る為なら、彼は将軍を殺し敵である魔人と取引する事をいとわない。
そんな彼を、海人と凛華も、ロータスとラナイも止める事は出来なかった。
怒りや悔しさなど、色々なものが混ざり合って複雑になった感情をどうにか飲み込むと、断腸の思いで、取引に応じる。
「……分かった、必ずシュルペ将軍を引き渡す」
「では、暗殺を実行する」
海人の答えを聞いて、アルバートは静かに作戦を説明した。
それぞれの裏切り者を断罪するために――。




