第六八話 どんな事をしてでもね
帝都、ガルヴェス。
ここは国の一年間の予算を決める部署。
既に七日、皆家に帰らずに黙々と仕事をこなしていた。
いや黙々というのは、皆疲労困憊で魂の抜け殻の様になっていてろくに喋れないからである。
「うあ~、あっあと一枚……あと一枚やってから寝る、三日ぶりに寝れるぅ」
ロベルトは、積みあがった書類の山から、気力でどうにか一枚取る。
もう既に体力の限界、コレが終わったら寝る、そう決めてどうにか予算に目を通す。
三日ぶりにシャワーを浴びて、ベッドでゆっくり眠る。
そう決めて、気合と根気でどうにか始めようとした時――。
「やっほぉ~、あたしのロベルトちゃぁん、元気してたぁ~」
身の毛のよだつ、男の声。
ロベルトが恐る恐る振り返ると――、ベルフォートが真後ろに立っていた。
疲労と驚きで、ロベルトは張り詰めていた意識の糸が切れて気絶した。
「も~、普通お兄ちゃんの顔を見て気絶するぅ?」
「普通の兄だったらないんだろうけどなぁ……ベルフォート兄さんは、ちょっと……」
ロベルトは、ベルフォートと一緒に休憩所でお茶をしていた。
ポンテ茶とアルバートがくれたクッキーを茶菓子にする。
「それで……なんの用なんだよベルフォート兄さんが俺の所に来るなんて……なんか最近よく身内が来るなぁ」
「あら~、お兄ちゃんが弟に会いに来るのが変なの~、もうっロベルトったらひど~い」
「……なんで昔はすごい兄さんだったのに、こんな風になっちまったんだよ」
弟も弟で問題があるが、兄と姉も問題がある。
ロベルトは頭を抱えた、本当に彼らと血が繋がっているのか、疑うほどだ。
「あっそうそう、あのねーギルベルトと連絡って取れなーい?」
「ギルベルトは聖都巡礼中だから連絡は取れないよ、用があるなら帰って来てからにしてくれ」
「あら、ギルベルトだけじゃないわよ、アルバートも一緒よ」
「アルバートが、なんでぇ!」
「無理矢理頼み込んだみたいよ~、でもちょっと心配なのよねぇ」
「そうだよなぁ……あの二人めちゃくちゃ仲悪いし……」
「そういう事じゃないのよ、それじゃああの二人が行くって連絡できないわね……」
連絡が取れないと聞いて、ベルフォートはちょっと困った様子だった。
こんな彼を初めて見た、ロベルトはこの空気を何とかしようと適当に話題を振る。
「そっそれにしても、あのギルベルトが聖都巡礼なんてなぁ~、あっギルベルトとアルバートと言えば、最近ピアス渡す人が出来たみたいなんだ」
「えっなになに恋話ぁ? えーやだぁアルバートはまだしもギルベルトまでぇ、あの子好きな人が出来たのぉ、あの子達ちゃんと女性に興味があったのねー」
「兄さんに言われたくないだろうな……、まぁアルバートはともかく、ギルベルトはアレでも昔好きな子がいたんだから」
ロベルトはポンテ茶のカップを取ると、どこか悲しくも懐かしそうに続ける。
「あの子が命がけでギルベルトを守ってくれなかったら……きっと今のアイツはいないさ」
そうちょっとアンニュイな感じで言ったのだが、思ったよりもお茶が熱くて、ロベルトはお茶をこぼしてむせ返った。
「あ~もう、何やってるのよ、書類濡れちゃうわ……よ?」
ベルフォートはお茶から書類を逃がすのだが、ふとそれに目が行った。
「……ロベルト、コレ予算の見積もり?」
「えっ……あぁ、そうだよ」
「…………ロベルト、ちょっと去年の奴見せてもらっていい?」
「だっ駄目だって、いくら兄さんでも内部資料を見せる訳には――」
「いいから、早く見せてくれないと思いっきりディープキスしちゃうわよっ!」
「そっ、それは勘弁して~~~!」
迫る兄の唇に震えるロベルトの悲鳴が、帝都へとこだました。
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ベルカリュース南の海・地図にない島。
巨大海魔レヴィアタンに襲われた、ヴェルハルガルドとハルドラの一同。
しかし、突然現れた魔王フォルドと補佐官ムローラによって、窮地に一生を得た。
「つっ、強すぎるだろう……なんなんだよ、あのドワーフ」
あんな巨大な海魔を一撃で倒すなど、考えられない。
海人達は、猛々しいフォルドに驚き戸惑いながらも警戒していた。
「ほんっとにもぉ! なんで早くやっつけねぇんですか、ひやひやさせないでマジで!」
ムローラは、ワイバーンから降りるなりフォルドに抗議を始めた。
「良いではないか、ちゃんと倒したであろう……」
「良くない! あーたはねヴェルハルガルドの魔王なんだから、慢心しないの!」
この脳筋ドワーフをどうにかするため、みっちりお説教をする。
「いつどんな危険が来るのか分からないんだか……ら?」
しかしムローラのお説教は途中で止められてしまう。
海人がフォルドに向かって斬りかかって来た。
「うっぎょおおおっ!」
間に挟まれたムローラは、とっさに身をかがめてそれを避けようとするのだが――寸前の所でフォルドが素手で刀身を掴み取った。
「なっ……なぁっ、なんて危ない事するんだ君はぁ! 死んじゃうじゃないかぁ!」
魔王の補佐官として迫力がないにもほどがある。
そんな気弱な彼では、海人の殺気には勝てない。
「お前が魔王か、魔王は倒す!」
異世界に来てから、ずっと魔王を倒す為に強くなろうとしていたのだ。
その憎き敵が目の前にいるのだ、こんなチャンスはもう絶対にない。
「魔王を倒して、ハルドラを救う為に私達は修行して来たんだから!」
凜華も杖を構えて攻撃態勢に入る。
あまり魔力は残っていないが、ここで魔王を倒さなければハルドラに平和は訪れない。
殺気立つ海人と凜華、フォルドは特段怖がりもせず、二人を見つめる。
「黒髪に黒目、男女で……ハルドラ、お前達……もしや勇者か?」
「そうだ、悪しき魔王め! 俺達が今ここで倒してやる!」
それを聞いてフォルドは、小さな声で呟く。
「やはり……別人か」
「なっなに――てっうわっ!」
フォルドは掴んでいた剣を持ち上げると、そのまま海人ごと投げてしまった。
海人は持ち前の運動神経でどうにか着地すると、再び剣を構える。
「くっ、くそぉ」
「ちょっ、ちょっと待てよ! 君達は誤解してるよ!」
ムローラはどうにか立ち上がると、興奮している海人と凜華へと説明する。
「この人は君の言っている魔王じゃない! ハルドラ侵攻を指揮しているのは別の魔王だ、この人を殺しても君の目的は達せない」
「べっ……別の魔王、だと」
確かクロノがそんな事を言っていた気がする。
ヴェルハルガルドには六人の魔王がいて、それぞれ軍を指揮していると。
目の前にいる魔王フォルドを倒した所で、戦争は終わらないという事だ。
「おう、どうせならあのジャロードの犬っころをぶっ殺してもらいたいのぉ、清々する!」
「止めてぇ、お願いだからそういう問題になる発言はしないでぇ!」
せっかく千載一遇のチャンスだと思ったのだが、違った。
だがどちらにしても魔王である事に変わりはない、クロノは魔王を一人倒した所で、変わりはいくらでもいると言っていた。
根本的な問題を解決するには、根絶やしにするしか方法がない。
「それでも悪である魔王だ、倒す事に変わりはない!」
ハルドラを悪い魔人達から救わなければ、海人はその一心で声を張り上げた。
しかし――そんな彼の叫びをかき消すように、フォルドがため息をつく。
「……全く駄目じゃ、似ておらぬにもほどがある」
「なっ……なにぃ、何のことだ!」
「千年前の勇者は、もっと小気味の良い男だったわ」
それは海人達の先代に当たる異邦人。
千年前に、眩い光を放ち魔王を倒したという少年。
フォルドは、その勇者の事を知っているというのだ――。
「千年前の勇者を、あんたは知っているっていうの!」
「いかにも、儂は現魔王の誰よりも古参、千年前の戦の時は魔王ロザベール様の従者だった……その時、貴様等と同じ黒髪に黒目の異邦人と出会ったのだ」
ドワーフの寿命ならば、ありえない話ではない。
だがまさか、もはや伝説となっている存在を知る者がいるなど、考えもしなかった。
「ハルドラに勇者が現れたというから期待しておったのだがなぁ、期待はずれにもほどがある、貴様らなどあの勇者の足元にも及ばぬわ!」
まさか魔王にそんな事を言われるなど、夢にも思っていなかった。
この数ヵ月、必死に修行して強くなったのに、それを否定された彼らは声を荒らげる。
「そんな言葉で惑わされないぞ、どうせ千年前に魔王を殺された負け惜しみだろう!」
「そうですわ、カイトもリンカも、勇者として申し分ない実力を備えています!」
「愚か者めぇぇぇ!」
しかしそんな彼らの言葉を、フォルドは一蹴する。
彼から発せられる圧は、ハルドラの面々だけではく、ギルベルトやアルバート、更にはオールAランカーでランク6の特殊技能を持つ時子も、圧倒する。
「魔王ロザベール様は全力を持って勇者と戦ったのだ! それなのにこの儂が負け惜しみだとぉ……、この儂が! ロザベール様の最後を汚すような真似をするわけがないであろうがぁぁぁ!」
言葉から強い意志を感じる。
フォルドがいかに魔王ロザベールを敬愛していたかが分かる。
「もう一度、ロザベール様と我が誇りを踏みにじる様な事をその口から垂れ流してみろ! 巡礼者だろうが我が斧で両断してくれるっ!」
その強い意志と圧に負けて、海人達は何も言えなくなった。
フォルドは不愉快な奴らから視線を逸らすと、ギルベルト達を見る。
「それにしても……一体どういう状況じゃ、なぜヴェルハルガルドの王子の船にハルドうラの人間が乗っておるのだ」
「フォルド様、畏れながらそれは私から説明させて下さい」
敵国の者が船に乗っているなど、ただ事ではない。
ヴィルムは、フォルドとムローラにこれまでの経緯を説明した。
「……なるほど、共同戦線って事か」
ムローラは理解してくれたようで深く頷いた。
「ドレファスを突っ切ろうって言うんだ、まぁ止むを得ないよな……、でも聖都が海魔に襲われたって聞いた時は心配したけど、王子殿下達がご無事で何よりです」
「そんなことより、なぜ魔王であるフォルド殿がここに?」
「それは貴方の兄上、ベルフォート様から頼まれたのですよ、アルバート様」
意外な人物の名前に、ギルベルトもアルバートも驚いた。
「ベルフォート様の占いで、殿下達の巡礼によからぬ相があったもので……親交の深い我らが殿下達をお助けに来たのです」
「……なぜ、兄ではなくお前達が来たのだ?」
「フォルド様は、二〇〇年前ドレファスを侵攻していた事もあって、この辺の地理には明るいのです」
今は謹慎中とはいえ、フォルドはずっとドレファスを侵攻していた。
ドレファスと言う国を知り尽くしている彼は、海魔に襲われて彷徨っている船を探し、ヴェルハルガルドまで護衛するにはぴったりの人材といえよう。
「まぁ……謹慎中の身なので軍を動かすわけにはいかず、フォルド様と僕だけですけど」
「よろしいのですか……いくらベルフォート様の頼みとはいえ、魔王が勝手に国境を超えるなど……下手をすれば軍機違反にもなりかねません」
「おっ……仰る通り、でっ出来れば、ヴェルハルガルドに帰った暁にはフォルド様がいかにご活躍されたかを、然るべき所にお話ししてくれるとありがたいのですが……」
つまり、王子二人を助けたのだから、軍や魔王帝へ口添えをして欲しいという事だ。
ついでにその功績で謹慎処分がなくなればいいと思ってもいるのである。
「なるほど……なんにしても、フォルド様のおかげで命拾い致しました、ギルベルト様の為にワイバーンでこのような所まで来ていただけるなど……、本当になんとお礼を申し上げていいのかわかりません」
ヴィルムは深々と頭を下げた、しかしフォルドはつまらなそうな顔で口を開く。
「別に、儂はベルフォート様の頼みを聞いたまでだ、正直王子殿下共がどうなろうと、どうでも良かった」
「ちょっ、ちょっとぉ! 王族にそういう事言うのやめてっていつも言って――」
止めるムローラを抑え込んで、フォルドはギルベルトを見る。
「それよりも、そなたが将の真似事をしている末弟王子か」
「ンだよ……文句あンのか」
到底命を助けられた者の態度ではない、フォルドはそんなギルベルトをしばらく見つめると――溜め息をつく。
「ふん、やはりただの小童、到底将の器ではない」
「ンだと、クソマッチョ!」
突然の暴言にギルベルトは睨みつけ声を荒げるが、所詮それは小童の物。
魔王であるフォルドにとっては、どうという事もない。
「貴様の様な輩が将になるから、魔王の質が下がるのじゃ、ごっこ遊びの戦争など止めてしまえ、もっとマシな男になってからするんじゃなぁ!」
「あンだとぉ……斧ぬけぇ! 今ぶった斬ってやらぁ!」
「おっおやめくださいギルベルト様、相手は魔王なのですよ!」
必死にヴィルムが止めるが、ギルベルトは一騎打ちをしようと躍起になっている。
レヴィアタンを一撃で倒したフォルドの方が実力は圧倒的に上なので、初めから勝負にはならないだろう。
「ふん、剣に実力が伴っておらんな……闘気もまともに使えぬ小童に使われるなど、その見事な剣が不憫でならんわ」
「……闘気、だとぉ?」
闘気。
武術を極めた者のみが扱えるという、『気』。
魔力よりも曖昧で、本当に武を極めた者しか扱えないと言われている。
魔法の様に属性を持たせる事は出来ない。
しかし、拳や斬撃に乗せて放つと、それを遠くの敵に向かって放つ事が出来る、魔法を使えない者の遠距離技の一つだ。
しかも闘志が尽きぬ限り使う事が出来、魔力の様に有限では無い為、時と場合によっては魔法をも凌ぐ力である。
「おうとも、かのハルドラの初代王もこの技を使ったと言うが、儂はソレを更に昇華させた、纏うのではなく圧縮することにより、より破壊力を高めたのだ!」
ハルドラの王バルトロウーメスが、この闘気による斬撃を得意とした。
しかしフォルドは全身にまとうのではなく、あえて手に収束させ圧縮させた。
それにより、ただでさえ強いエネルギーである闘気に、圧縮から元に戻ろうとする力を追加することが出来た。
レヴィアタンが細切れに吹き飛んだのは、圧縮した闘気の元に戻ろうとする力によるものである。
「本来ならコレを斧に込めた方が強いのだがな、我が強力な闘気を受け止めきれる武具は今までなかった……、だがその剣ならば出来るやもしれぬ」
そう言ってフォルドはグラムを見つめる。
だがこれはギルベルトの刻印が刻まれた、ギルベルトの剣。
絶対に渡すはずもなく、より怒りがこもった眼でフォルドを睨んだ。
「ちょっとぉ、王子の物を奪おうなんて、どんだけ欲が強いんだよあんたは!」
「ふん、身の丈以上の物は身を滅ぼすから、この儂が貰ってやろうと言っておるのだ!」
「あんた本当にいい加減にしなさいよぉ!」
王族への暴言は魔王といえども、不敬罪に値する。
ムローラは何とかフォルドが罪になる事だけは防ごうと、必死にぺこぺこと謝り続けた。
こうして、ギルベルト達の巡礼の旅は、なぜか聖都向かう時の倍の人数になってしまったのだった。
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同じ船に乗ってはいるが、この船の中は非常に険悪である。
元々ヴェルハルガルド側とハルドラ側でいざこざがあったばかりだというのに、魔王であるフォルドがやって来た事により、ただでさえ息が詰まる様な雰囲気だったのが、余計に悪くなった。
しかし双方の事をまるで無視しているのが――ある姉妹。
「お姉ちゃん……本当にもう大丈夫なの?」
「……大丈夫、初めて特殊技能を使ったから疲れただけだよ」
君子と時子はソファに座って、完全に自分達の世界を作っていた。
それはもう、強力な結界並みの封鎖力で誰一人として寄せ付けない。
「お姉ちゃんが死んじゃうんじゃないかと思って……、君子すごく怖かった……もう危ない事しないで……」
七年前、姉が濁流に飲み込まれた時の様な悲しみと苦しみに君子は襲われていた。
もうあんな気持ちになりたくない、もう離れ離れになんかなりたくない。
今にも泣きそうな君子の頭を、時子は撫でる。
「ごめんよ……、ボクは君子に辛い思いをさせていたんだね」
「ううん、もういいの今ここにお姉ちゃんがいればそれで十分、もう何もいらない、ずっと君子と一緒にいて」
そう言って君子は姉に抱き着く、七年前のあの時と何一つ変わらない姉。
変わっていない事が、今は嬉しい。
「君子、ほらっ」
「えっ、わっ!」
時子は君子を引き寄せると、自分の膝の上に座らせる。
向かい合うように座らせ、妹を見上げる。
「おっ……お姉ちゃん、恥ずかしいよ」
「どうして? いつもこうやってボクに甘えて来たじゃないか」
「そっそれは……小学生の時の話だよ……、君子はもう高校生なんだよ」
「それでもボクにとって君子は君子だ、ボクの大切な妹さ」
時子はそう言って、君子の腰に手を回し力強く抱きしめる。
抱きしめられて少し痛いのが、姉がここにいる何よりの証明。
今はその痛みさえも、喜びに変わる。
「……あのねお姉ちゃん、あの日、いう事きかなくてごめんなさい」
「あの日?」
「うん、七年前……ううんお姉ちゃんにとっては今日の事かもしれないけど、お姉ちゃんが私をかばって流されちゃったこと……」
君子はずっと後悔していた、姉が自分のせいで流されてしまった事を。
だから例え生きていたとしても、どうしても謝っておきたかったのだ。
「君子が悪いわけないだろう? それに今こうして一緒にいられるんだから、どうでもいい事だよ」
「……お姉ちゃん」
「……君子それは何だい?」
セーラー服からちょっぴり見えたギルベルトの刻印を見て、時子はそう言った。
あまりの暑さに胸当てを取っていたので、見えてしまったのだ。
「あっ……なっ何でもないよ、気にしないでお姉ちゃん」
しかし君子が刺青を彫るような性格をしているとは思えない。
気にするなと言われても気になるものは気になる、時子はじーっと見つめる。
刻印について言いたくない君子は、話題を強引に変えた。
「そっ……それにしても、お姉ちゃんはステータスもすごいけど、特殊技能がほんとうにすごいね!」
「そうでもないよ、一度使って分かった……ボクの特殊技能には条件があるんだ」
「条件?」
「あぁ……ボクの特殊技能は、右手を握らなければならないって事と、一度使うとしばらく使えないんだ」
この世の理も変える事が出来る特殊技能であるせいか、その分いくつかのデメリットがある。
まず右手を握る事、改ざんする対象に向かって向ける必要がある。
次に発動後にインターバルが必要だという事。
これは、改ざんした事柄によって時間が変動する。
先ほどの五型の魔法だと、おおよそ一〇分間くらい特殊技能が使えなくなった。
「そうなんだ……じゃあ乱発は出来ないんだね」
「それにもう一つ、この特殊技能は君子が近くにいないと使えないんだ」
「えっ……君子が?」
「そうだよ、ボクが完璧なお姉ちゃんでいられるのは、君子のおかげなんだ」
今まで頼りっぱなしだった姉の力に自分がなれている、こんな嬉しい事はない。
「君子はボクの全部だ、君子無しじゃボクはボクじゃないよ」
「君子もだよ……お姉ちゃんは君子の特別で、君子の中心だよ」
姉の蕩けるような優しい声に、君子は頬を染めながらそう言った。
そして再び、強く抱きしめあう。
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「…………なんだ、アレは」
そんな二人を、少し離れたところで見ていたのは、アルバート、ヴィルム、ルールア、アンネである。
近づけばいいのだが、あの姉妹から発せられる空気が、何人も寄せ付けないのである。
「あんなキーコ初めて見るぞ、なんだあの顔は頬を赤くして目をうっとりさせて……しかも一人称まで変わってるではないかぁ……」
姉に対して君子はものすごく甘えている。
それはどちらかというより、姉妹に向けてというよりも――恋人に向けての様に見える。
「本当に、あの二人の会話に入っていけませんよね……」
「私とルールアさんも何回かチャレンジしたんですけど、話を聞いてるだけで、こっちが恥ずかしくなってきちゃって」
あそこまで行くと姉妹愛を越えて、もっと踏み込んだ禁断の愛のように思える。
見ているこっちの方が、赤面してしまいそうだ。
「私は兄しかおりませんので姉の事はよくわかりませんが、アルバート様にはお姉様がいらっしゃいますよね?」
「アレを姉とは呼ばん」
他に比べる物がないのは残念な事だが、それにしても時子については、色々と不可解な所もある。
(……七年前に死別したと思っていた姉が、妹の命の危機に偶然転移した、という都合のいい事が果たして起こるのだろうか)
現に今起こっているのだが、それでも随分出来すぎな話だ。
七年後のベルカリュースの、海魔に襲われそうな君子の下に転移してくるなんて、とんでもない確率の話だ。
(それに訓練したわけでもないのにあの剣技、見ただけで魔法を覚えるセンスと頭脳、そしてステータスと特殊技能、どれもあまりにもキーコと違いすぎる)
正直姉妹と言われても全く納得できなかった。
考えるのはヴィルムの得意分野とはいえ、流石にこれは分からない。
他の者の意見も聞こうと思ったのだが――。
「目の前でイチャイチャされるのは、こうも腸が煮えくり返るものなのか、しかもキーコまで自分から積極的になっている……実に不愉快だ、腹立たしい」
アルバートは、君子を独り占めしている時子に嫉妬している。
正直それは、王子として見苦しいとしか言いようがない。
こんな様子では考えを聞こうにも無駄だろう、ヴィルムはひとまずこの疑問を飲み込むことにした。
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「お姉ちゃんっ! 異世界にはね漫画とかゲームの世界にしかいない、ファンタジーな人達がいっぱいいるんだよ!」
「へぇ、君子が好きなものがいっぱいなんだね」
「うんっ! あっ……でもねエルフはいないの、すごくショックだけど……」
君子が一番好きなエルフは、大昔に絶滅してしまったので、もういない。
どうせなら時子と一緒に、エルフに会ってみたかった。
「あっ……でもお姉ちゃんがいるなら、エルフがいない異世界でも全然OKだよ!」
「……君子は、この世界にいられて幸せなんだね」
「うんっ! それにねスライムを仲間にしたんだよ、お姉ちゃんに紹介してあげるね!」
君子は、時子の膝の上から降りると、スラりんを取りに行く。
人の話を聞かずに行ってしまう所など、まるで小さな子供である。
「…………」
可愛らしい妹を見て、時子は小さく微笑んでいた。
しかしそんな彼女に近づく者達がいた。
「……あの、君子ちゃんのお姉さん」
振り返ると、海人と凜華が立っていた。
「ちょっと、お話良いですか?」
時子はハルドラの五人の部屋へと通された。
「なんの用かは知らないけど、手短に済ませて欲しいな……君子がスライムを見せてくれるんだよ」
「スライムなんかよりも、ずっと大事な話です……まぁお座りになって下さい」
時子はラナイに促されると、とりあえずソファに腰を下ろした。
五人は彼女に向かい合うように座ったり、立ったままだったりして話を始めた。
「時子さんに話があるっていうのは、他ならぬ、君子ちゃんの事なんです」
君子と聞いて、時子の表情が変わる。
明らかに嫌そうだったのだが、妹に関する事と分かると、少し真剣に向き合ってくれた。
「私達、君子ちゃんと一緒に異世界に来てしまった、高校のクラスメイトなんです」
「……それは、君子がお世話になっています」
「それで、話っていうのは山田の刻印の事なんだ」
海人達は、君子がこの世界に来てしまった経緯と、ハルデの泉でギルベルトに攫われてヴェルハルガルドに連れて行かれてしまった事、そこで洗脳を受けて強力な武器目当てに、特殊技能を使わされている事を、出来るだけ手短に話した。
全て終わるまで、時子は黙って聞いていた。
「……そういう訳で、私達は君子ちゃんをハルドラに連れ戻してあげようとしてるの」
「でも山田は弱くて刻印を消せない……そこであんたに力を貸してほしいんだ」
君子が悪い魔人に利用されているのは、彼女だって嫌なはずだ。
何とか彼女の助力を引き出したい。
「貴方は凡人な妹と違ってハルドラやヴェルハルガルド……いえ、ベルカリュースにおいて、最強といっても過言ではない力を持っています! 貴方の様な天才の力は、正義の為に振るわれるべきなのです!」
「そうだ、妹と違って君の力はすごい! 君ならハルドラを攻めている魔王だって討ち取れるはずだ」
実際その通りなのだが、ほとんど接待である。
時子という、強力な助っ人を得ようとみな必死なのだ。
とにかく褒めて褒めて褒めちぎる、そして何としてもこちら側に引き込みたい。
のだが――。
「…………話にならないな」
時子は、そうバッサリと言い切った。
しかも溜め息をつき、足を組んで偉そうだ。
「なっ……ひっ、人が下手に出ているというのにその態度はなんですの!」
「おっおいラナイ、抑えろって」
今にもとびかかりそうなラナイをシャーグが止める。
「話にならないって……、君子ちゃんの事心配じゃないんですか」
「このまま魔人に利用されててもいいのかよ!」
海人と凜華が戸惑いながら理由を尋ねる。
しかし、時子はそんな二人を見て、呆れた様子で口を開く。
「……それは君子が望んだことなのかい?」
「えっ……」
「君子が、自分からハルドラに帰りたいと言ったのかい?」
確かに君子が自分から帰りたいと言った事はない。
だが、それは洗脳を受けて彼女の精神が正常ではないからで、本当は帰りたいと思っているに違いない。
「ボクには、君子が君達の所に帰りたいと思っているように思えない」
「なっなんでだよ!」
海人と凜華はクラスメイトだし、元々君子はハルドラに召喚された。
同じ人間がいるハルドラにいたいと思うのは、当然のことはずだ。
「さっきから聞いていたら、ボクの大事な妹を弱いやら凡人といって貶している、連れ戻してあげよう? 弱い? 凡人? ふざけるなっ!」
時子はテーブルに向かって拳を振り下ろした。
海人と凜華も、憤慨していたラナイもそれを止めていたシャーグも、そして見ていたロータスも、驚いた。
「君子はボクの大切な妹だ、ボクがこの世でただ一人愛し、この身に代えてでも守りたい大切な存在だ! それをお前達程度の奴等が貶すな!」
時子にとって君子は、ステータスも特殊技能も弱くなければ、凡人でもない。
ましてや、連れ戻してあげようなどと、上から目線で言われるような存在ではない。
一番大切で、一番愛しているただ一人の妹だ。
「お前達の狙いは、君子を使ってボクを丸め込んで、魔王を倒させることだろう? そんな見え透いた手を使うようじゃあ……到底あの魔人達には敵わないんじゃないのかい?」
「なっ……なんですって!」
怒りを覚える五人を嘲笑うかのように、時子は小さな笑みを浮かべる。
「君子が魔王を倒す事を望むか、もしくは魔王が君子に危害を加えない限りボクは協力をする気はない……よぉく覚えておくんだね」
時子はソファから立ち上がると、ドアへと歩いて行ってしまう。
まるで五人の事など、初めから相手にしていないかのように――。
「待ってくれ、魔人は本当に悪い奴らなんだ! あんたの妹をそんな国に置いておいていいのかよ!」
「このままじゃ君子ちゃん、どんな目に合わせられるか分からないんですよ!」
海人と凜華が、まっすぐな目をして引き止める。
しかし時子は、どこか既視感がある人を馬鹿にするような笑みを浮かべ。
「……これじゃあ、どっちが洗脳されているか分からないな」
そう、独り言のように言った。
「えっ?」
「なに?」
聞き返したが、時子は再び口にすることはなく、ドアノブに手をかける。
「協力もしないけど、邪魔もしないよ……せいぜい頑張ってくれたまえ」
ソレだけ言い残して時子は出て行く、残された五人はただ呆然としていた。
「なっ……なんですのあの人を小馬鹿にする笑みはぁ!」
「……仕方がないですよラナイさん、怒らせちゃったんですから」
時子を担ぎ上げるには、彼女自身ではなく君子をほめるべきだった。
「なんか、ちょっと不思議な人よね……時子さん」
最大の助っ人は力を貸してくれそうにない。
こうして君子救出作戦は、再び暗礁に乗り上げてしまった。
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ヴィルムは、これからの事を考えながらギルベルトの部屋へと向かっていた。
とりあえず、このままフォルドが指定した海岸へ船をつけるつもりではいる。
しかし、気になるのはあのレヴィアタンの巣。
(何者かが元々あの島に妨害魔法を仕掛けて置いた……、一体何の為に?)
あんな地図にもない島には緊急事態でなければ、怪しすぎて上陸しないだろう。
それに、あそこは聖都からの航路からだいぶ外れていたとムローラは言っていた、たまたまこの船が、海魔や海賊に襲われたせいで迷い込んだが巡礼者を狙った何者かの罠と言う線は考えにくい。
(……まさか、何者かが我々を狙っているのではないだろうか?)
巡礼の旅は聖章で守られているとは言っても危険な事に変わりない。
そういう危険なものは、暗殺に利用できる。
謀殺が海魔による事故で済むのだ、こんな楽な証拠隠滅は他にはないだろう。
(狙いは誰だ……?)
アルバートは現在魔王の有力候補であるし、狙われる理由はある。
ハルドラの勇者だって、過去のシャヘラザーンの所業を恨む者に狙われる可能性がある。
この船には標的になりうるものがたくさん乗っているのだ。
(……いや、アルバート様が聖都に来たのはたまたまだ、それにハルドラの連中が乗ることになったのだって偶然だ、暗殺者がここまで予見できたか?)
という事は、狙われているのはギルベルトという事になる。
ギルベルトは正直どの件で狙われているか予想できない程、恨まれている。
(……だが、それでも海魔が偶然聖都を襲って来て、たまたま『浪』に水を積ませていなかったから、あの島に上陸したのだ……)
聖都が襲われず、普通に出航していれば絶対にあんな島には上陸しなかった。
そんな賭けみたいな事を、暗殺者がしてくるだろうか――。
(…………まさか、聖都襲撃もギルベルト様を狙う為の……策略?)
ギルベルトを海魔に襲われて死んだと見せる為に、万物の創造神を祭っている聖都を海魔に襲撃させるなど、正気の沙汰とは思えない。
(例え襲撃させた所で、我々が必ず船に乗って逃げるとは限らない……駄目だこんな運任せの暗殺をやる暗殺者がいる訳ない)
馬鹿馬鹿しいと思い直した。
やるならもっと確実な方法を選ぶ、少なくともヴィルムならそうする。
一旦考えるのを止めて、ドアをノックしてギルベルトの部屋へと入った。
「ギルベルト様――、ああ……また」
相も変わらず、ギルベルトは落ち込んでいた。
ソファに大人しく座っている彼など、はっきり言って怖い。
「……あの姉のせいで、キーコは我々をまるで無視しているからな、おかげで謝罪をさせるどころではない」
アルバートの言う通り、二人は完全に自分達の世界に入っていて、他の介入を許さない。
その事が余計にギルベルトを謝りにくくさせているのだ。
「……全く、これではエルゴンを落としてキーコを不老不死にはできないな」
アルバートは情けない弟を見下しながら、そう呟いた。
ただの嫌味でギルベルトもヴィルムも、反応すると厄介だと思い何も言わない。
しかし――全く別の声が、その呟きに返事をした。
「へぇ、そういう事だったのか」
「――誰だ!」
ドアが軋む音を立てながら開くと、時子が入って来た。
得体のしれない者でも見るかのように、三人は眉を顰める。
「……ここは王子の部屋、ノックもしないで入るのは無作法ですよ」
「それは申し訳ない、でも少しドアが開いていたからね、てっきりいらないかと思ったよ」
時子はそうすました顔で言うと、ギルベルトを見る。
「……貴方がボクの妹に刻印を書いた、ギルベルト=ヴィンツェンツ?」
その物言いには明らかに棘がある。
自身の妹を所有物として扱っている事は、彼女にとって容認できない事だ。
「率直に言うよ、君子に書いた刻印を消せ」
「ふざけンな、キーコは俺の所有物だ!」
「ふざけているのはそっちの方だろう、ボクの妹をお前の名前で汚すな」
睨みつけるギルベルトの視線に、時子は一歩も引かない。
「それとも、名前を書いておかないと不安なのか?」
「……なンだとぉぉ!」
ギルベルトはテーブルを蹴り飛ばしてソファから立ち上がると、時子の胸倉を掴んで引き寄せる。
恐ろしい顔だが、時子は瞬き一つしない。
「君子が離れていくのが怖いから、お前は自分の名前を書いたんだ……お前と君子の関係なんて名前を書いて自分に縛り付けて置かないと成立しない程度の物なんだよ」
「ちっ違う、キーコは、俺を……」
感情のまま引き寄せたが、むしろ時子の方がギルベルトを追い詰めていた。
不安に駆られるギルベルトの手は、時子に簡単に振り払われてしまう。
「君子とずっと一緒にいたいから不老不死にする、そしてその為に戦争をしている、でもそのせいで君子に怖がられている……、呆れるほど惨めだな」
「なにぃ……」
「本当に心が通じ合っているなら君子は全部分かってくれる……お前の気持ちはしょせん一方通行で、君子とボクの絆に比べれば大したことなんて無いんだよ」
時子はそうギルベルトを見下しながら言った。
ソレは聞いてたヴィルムやアルバートまで不快にさせる。
「…………随分な物言いだな、それはランク6の特殊技能をもっている者の自惚れか?」
「自惚れなんかじゃない事実さ、ボクは君子のお姉ちゃんだ完璧で当たり前、ソレが君子の望みだからね」
栗毛の髪を手で払いながら、時子は堂々とそう言い切った。
その言いっぷりには、普段自信満々なアルバートも呆れるほどだ。
「……失礼ですが、貴方は七年前に事故死したと聞きました、でも実際は死亡しておらずこの世界に転移したと……随分都合がいいように感じるのですが」
「…………何が言いたいのかな?」
「……いいえ、ただそんな偶然があり得るのかと思いましてね」
時子の表情がほんの少しだけ険しくなったのを、ヴィルムは見逃さなかった。
「それにその剣技、到底素人の物とは思えない……一体どこで習得されたのですか?」
「…………」
「……キーコの世界はもう七〇年も戦争をしていないと聞きます、そんな情勢では剣を手にする機会もないのではありませんか? ソレなのに……なぜ異世界に来たばかりの貴方はアレほど見事に使いこなせたのですか?」
「……試しに使ってみたらすごく強かっただけだよ、ボクは完璧だからね」
そんな理屈が通用する訳がない、ヴィルムはより疑惑を深めていく。
更に追及しようとしたのだが――。
「お姉ちゃーん、お姉ちゃんどこ~」
君子の声がした、どうやら姉を探し回っているらしい。
「……君子が呼んでいるから、ボクは失礼するよ」
そう言って、時子はドアへと向かう。
もっと聞かねばならぬ事があるのだが、まるでそうさせない様に、時子は振り返る。
「そうだ、刻印の件忘れないでくれよ……、君子は争いを望んでいないから手荒な真似はしない……でも君子の幸せを邪魔して害を及ぼすって言うなら、その時はボクの実力を最大限に使わせてもらうよ」
ソレは脅しだ。
ランク6の特殊技能を持つオールAランカーの時子は、存在そのものが異次元だ。
実力をちらつかせるだけで、十分な脅しになるのである。
「じゃあ失礼しました、王子殿下」
時子はそう言って、人を小馬鹿にするような笑みを浮かべて出て行った。
閉まるドアをヴィルムは黙って、見つめる。
「……ヴィルム、あいつからは眼を離さない方がいいぞ」
「えぇ、分かっています……ギルベルト様も十分ご注意を……、どうしたのですか?」
念のため警戒を呼び掛けると、ギルベルトは不快な顔で鼻をつまんでいた。
「…………あいつ、臭ぇ」
「……はい?」
別にこれといった異臭は感じなかった、同じく鼻がいいアルバートは感じなかったのだが――。
「……わかんねぇけど、すごく嫌な感じだ」
ギルベルトは何か悪い予感を匂いで例える事があった。
つまり臭いというのは、その予感についてという事だ。
やはりギルベルトも、時子に対して何か悪い物を感じ取っているという事なのだろう。
ヴィルムはよく見張っておくべきだと、改めて思った。
しかし思考に夢中で、ギルベルトが小さく呟いた言葉には気が付かなかった。
「この匂い、どっかで……」
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「もうっ、お姉ちゃんどこに行ってたの、探したんだよ!」
「ごめんよ君子、ちょっと色んな人とお話をして来たんだ」
「……お話って、ギル、とかと?」
ギルベルトに対する恐怖が、蘇って来た。
怖がる君子の頭を、時子は優しくなでる。
「ただの御礼だよ、君子がお世話になってますって、姉として頭を下げただけさ」
「そうなの……お姉ちゃんはやっぱりしっかりしてるね」
「当たり前だろう、ボクは君子のお姉ちゃんなんだから」
時子は君子を引き寄せると、しっかりと抱きしめた。
互いの心臓の音が聞こえるくらい、しっかりと抱き寄せる。
「……君子の幸福はボクが守るよ、絶対にね」
「お姉ちゃん……」
君子は姉に幸せそうに身を委ねる、完璧な彼女なら何もかも預けられる。
なんの不安も抱かず、何も考えずに生きていける。
だから思考を止めた君子が、姉の言葉の意味を理解することはなかった。
「……どんな事をしてでもね」




