第六二話 説明をしなさい
聖都巡礼五日目。
祭殿での祈祷がついに最終日になった。
各国の巡礼者達は疲労困憊で、二日目くらいからは居眠りする者も目立っている。
「畜生……、めンどくせぇ」
「黙れ、お前のお守りをする私の方が面倒だ」
聖宮から祭殿へ向かう道も何度も往復したので、もう目を瞑っても辿り着けるだろう。
しかし今日が最後、疲れた体に鞭打って無事に聖都巡礼をやり遂げたい。
ギルベルトとアルバートとヴィルムの三人が祭殿にやって来ると、幾人かの司祭と神父達が祭壇の上に置かれた捧げものを荷車へと積んでいた。
「……随分早く片付けるな」
コレから最後の祈祷が始まるというのに、捧げものを撤去するのは早すぎる様に感じた。
あそこには各国の加護を象徴する物以外にも、豪華な装飾品や金貨など『気持ち』も置かれている。
もちろんヴェルハルガルドも『多額の気持ち』を捧げており、あまりにも早すぎる撤去を愚痴ってしまった。
「アレは、奥宮へ運ぶ準備ですよ」
そう言ったのは、年老いた大角種の司祭だった。
「奥宮……祭殿の奥があるのですか?」
「この聖都が神を祭る場と皆さまは勘違いなさっていますが、実際は神の力をたたえている場所なのです」
「神の力とは?」
「魔力ですよ、ただし万物の創造神が使うのは我々の物とは違う魔力ですがね」
「ほう、神にも魔力があるのか」
初めて聞く話にアルバートも興味深そうに言った。
確かに、この世のありとあらゆるものに魔力が宿っているのだ、神に魔力があっても不思議ではない。
「むしろ神が先です、我々の魔力よりも強力で次元が違うと、エルフ達は書き残しております」
聖都はエルフが全盛期の頃に作った都市。
ここには彼らの書物が多く残されていて、エルフ語で書かれた書物を解読するのも聖都の重要な仕事の一つである。
「書物では神の魔力を『原始魔力』と呼んでいましたが、それが一体どんなもので、何ができるかは分かっていないのです」
「エルフでも分からない事があるのか」
「万物の創造神については分からない事が多いのです、我々も神がどのようなお姿をされているのか皆目見当もつきません」
ベルカリュースの創造神話には、未だ多くの謎が残されている、それを解き明かすのも聖都の役目なのである。
「我々を造った万物の創造神の『御業』を敬い『原始魔力』を称えるのが、この聖都なのです」
とはいえそれら神の力は、もはや神そのものと言っても過言ではない。
やはり聖都は神を祭っているという認識で十分なのだろう。
「捧げものは全て、『原始魔力』を祭っている奥宮へ納め一〇〇〇年間の加護を受ける為の依り代にするのです」
奥宮は大司祭だけが出入りできる場所、代表の巡礼者も立ち入れないので、博識なヴィルムも知らないのは無理もない。
「最近は聖都の周辺で海賊が出るようになりましたし、我々とは違う邪教を伝える教団まで現れる始末、全く……これからは更に布教活動をしなければ」
ぶつぶつと愚痴をこぼしながら、司祭は行ってしまった。
「……『原始魔力』か」
創世神話に全く興味がないわけではないが、エルフの時代というのはもう何千年も前の話、途方もなく昔の話なので本当のところ真実を知るのは不可能だろう。
今は『聖都巡礼』という目の前の問題を片づける方が優先されるので、ヴィルムはそれ以上考えるのをやめ、イラつくギルベルトを抑える方に専念した。
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君子はアンネと露店で買い物をしていた。
今日で祭殿での祈祷は最終日、あと数日でマグニに戻ると言われたので、お土産を買う事にしたのだ。
「ん~、ブルスさんとヨルムンガンドさんには何を買っていったらいいんでしょう」
「悩みどころよね、二人ともまず香水は使わないし……」
かと言って長い航海、食べ物では腐ってしまうかもしれなので、お土産を選ぶのはかなり大変な事だ。
「お土産を選ぶのも結構大変ですね……、何か聖都といったら~みたいな定番なお土産はないんですかね」
「そうねぇ……ここには色々あるから、どれか一つに絞って言うのは難しいわよねぇ」
「そうなんですよねぇ……ペナントとかよくわかんない木彫りの置物みたいのないんですかねぇ」
「お嬢さん方、お土産をお探しかい」
オラウータンの獣人の露天商が、そう言って奥からペンダントを持って来た。
それは琥珀の様な宝石のペンダントで、陽の光を受けてキラキラと光っている。
「コレは?」
「コレはエルフの遺跡から出てきた宝玉を使ったペンダントさ!」
「えっエルフゥゥゥゥゥ」
大好きなエルフにまつわるものと聞いて、君子のテンションは上がる。
琥珀の様に綺麗な宝玉を、君子はまっすぐ見つめていた。
「エルフの遺跡って……何よそれ、なんでそんなのここで売ってるのよ」
本物だったらこんな露店で売っているわけがない。
エルフの技術は、現代の物よりもずっと進んでいるし、滅んでいても小さな神とまで言われたエルフ達を崇める者は多く、国宝になっていても可笑しくない。
「コレは欠片なんだよ、大本はとっくの昔に聖都に収められててな、発掘現場に残ってた欠片をペンダントにしたんだ」
「欠片でも……本物ならお宝ものよね」
「本物に決まってるだろう、コレはエルフが神より授かった宝玉でな、自分の進むべき道を示してくれるんだ」
「自分の進む道?」
「おうよ、導きの宝玉ってんだ、お守りにいいよお嬢ちゃん」
「……導きの宝玉ぅ?」
「おう、今なら金貨一五枚でどうよ!」
アンネは露天商を疑いの眼で見つめる。
エルフの時代の物を売るなんて、明らかに可笑しい。
正直、偽物としか思えないのだが――。
「ねぇキーコ……っ!」
隣を向くと、君子が宝玉と大差ないくらいキラキラとした目をしていた。
「エルフ……エルフぅ……」
大好きなエルフが絶滅してしまった今、数少ないエルフを感じられる物はなんでも宝物なのだろう。
「……はぁっしょうがない、ソレ買うわ」
「あっアンネさん、金貨一五枚ですよぉ!」
「いいわよ、ヴィルムさんから馬鹿みたいにお金貰ったし、それにいつも欲しがらないキーコがそんな顔するんだもん、ちょっとくらい高くても別にいいわ」
「アンネさん……」
「ただし! 一五枚は高いわ、一〇枚にまけて頂戴!」
「なっ、そっそんな殺生なぁ!」
感動したのも束の間、アンネと露天商の壮絶な値切りバトルが始まったのだった。
「えへへっ、綺麗」
君子は金貨九枚で買ってもらったペンダントを光にかざしていた。
「ほら見てスラりん、エルフの遺跡から出て来た導きの宝玉だって、綺麗だねぇ」
スライムに見せても価値などわかる訳もなく、もぞもぞとバッグの中で動いている。
だがそれでも君子は喜んでいて、アンネも嬉しくなった。
「あっキーコだぁ!」
「あっアンネだぁ!」
大きな声を上げて双子が走って来た、小柄な体を生かして群衆を縫うように進んでやって来た。
「ユウ君にランちゃん、それにベアッグさんも……買い出しですか?」
「おう、そろそろ帰りの食材を買わないといけねぇからな、『浪』の人達に日持ちする物から運んでもらってるんだ」
『浪』は航海に関することだけではなく、こういう荷積みの作業などもやってくれるので非常に重宝している。
聖都巡礼は腕のいい『浪』に出会えることが、一つのポイントになるので、今回の『浪』は当たりだ。
「やっほー、アンタ達もいたのね」
「うーっす」
「あっ、ルールアさんにフェルクスさん、二人も買い物ですか?」
「まあね、キーコも何か買えた?」
「えへへっ、エルフの宝物で作ったペンダントを買ってもらいました」
「えっ……エルフのぉ?」
ルールアはそれを聞いて眉を顰める。
十中八九偽物だろうし、そんなものに金を払うなんて正直どうかしているとしか言いようがないのだが――、アンネがアイコンタクトで何も言わないで、と訴えていたので、それ以上は口を噤んだ。
「ねぇ、ちょうどお昼時だし、何かお昼御飯食べにいかない?」
「いいですねぇ、おなかも空きましたし」
「じゃあ決まりね、あっちにメルカ羊の丸焼き出してる店があったのよ、一頭買いからだから私達じゃ食べきれなくて、奢るから皆で食べましょう」
「そりゃいいな、最高級のラム肉だぜ」
「肉肉~、肉サイッコーだなぁ」
「にく、さいっこーだなぁ!」
「にく、さいっこーだなぁ!」
ベアッグやフェルクスや双子も奢りと聞いて嬉しそうだ。
早速屋台へと向かう事になった。
「羊って美味しいんですか?」
「食べた事ないの? もったいないわねぇ」
「特にメルカ羊は最高よ、脂のつき方が違うんだから!」
メルカ羊は、パテと呼ばれるトウモロコシの薄いパンに挟んで食べるのが美味い。
しかも屋台で食べるものは、大衆向けの濃いめの味付けで、パンと合わせると最高に美味いのである。
「そうよ、すっごく美味しいんだから……んっ」
突然ルールアが立ち止まった。
屋台に向かうはずなのに、なぜか逆方向の海の方を見つめている。
「どうしたんですか……ルールアさん」
「早くいかねぇと、肉なくなっちまうぞ~」
「なくなっちまうぞ~」
「なくなっちまうぞ~」
「コラ、ユウもランもそんな風に言わないの」
だがルールアは何を言われても、反応せずまっすぐ海を見つめている。
「…………ルールアさん、どうかしたんですか?」
「……なにか、来る」
「へっ……なにも見えませんけど」
君子が眼を凝らしても、普通の海で何も変な所はない。
しかし、ルールアは険しい表情で海を見つめている。
「ルールアの特殊技能だ、『高度察知』ってんだ」
特殊技能『高度察知』。
ランク4のこのスキルは、『察知』という特殊技能の進化型。
常用型のこの特殊技能の持ち主は感覚が研ぎ澄まされ。
生命反応に対して反応するレーダー、その範囲は最大一〇キロに及ぶ。
君子達には見えなくても、ルールアには何かが近づいて来るのが感じ取れるのだ。
「…………アルバート様の所に行かなくちゃ!」
「えっ、ルールアぁ肉はどうするんだよぉ!」
「無し、アルバート様の方が大事!」
ルールアは大きな翼を広げると大空へと飛び上がり、そのまま聖宮へと向かっていってしまった。
肉を食べられなかったフェルクスも、仕方なく飛んで行ってしまったルールアの追いかけて行く。
残された君子達はただ唖然と、聖宮の方を見つめる。
「……どうしたんでしょうか?」
「さあ、でもルールアさんがあんな風に慌てるのは、ちょっと珍しいわよね」
「ねぇ、お肉は?」
「お肉、お肉ぅ!」
すっかり羊の丸焼きを食べる気満々だった双子が、アンネのメイド服を引っ張る。
確かにお腹は空いたが、ルールア達の様子を見ると、呑気に食べてもいられない。
どうするか考えていると、なんだか雲行きが怪しくなって来た。
「……急に暗くなって来たわね」
「はい……なんだか、嫌な風も吹いてきました」
海から吹く、冷たい風が不気味でたまらなかった。
「……アレ?」
君子が海を見ると、なにか黒い波が見える。
まるで濁流のようだが――可笑しい。
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祭殿で祝詞を聞いてたギルベルトは、大きな欠伸をかいた。
最終日ともなると、もう大司祭の祝詞はBGMのように聞き流せるようになった。
「ギルベルト様、どうか欠伸はもう少し隠して下さい」
「みっともないぞ、少しは王族としての自覚を持て」
「うっせぇ、どーだっていいだろう、そンなもン」
ギルベルトは先ほどよりもっと大きな欠伸をする、本当に王族として気品など皆無。
アルバートとヴィルムがため息をついた時、ギルベルトは突然立ち上がった。
あまりにも勢いよく立ち上がったので、椅子が倒れてしまい祭殿中に騒音が響く。
祭殿中の視線が、ギルベルトへと向く。
「ぎっ、ギルベルト様! 一体何を……」
大司祭が大切な祝詞を上げているというのに、それを邪魔するなどあってはならない。
ヴィルムはすぐに彼を座らせようとするが、彼は北の方角――海の方を向いたまま動かない。
「…………臭せぇ」
ギルベルトは眉をひそめて一言だけそう言うと、唖然とするヴィルムやアルバート、そして周囲の巡礼者も無視して出入り口に向かって走り出した。
「なっ、ぎっギルベルト様」
「……なんだ、あいつは」
急いで連れ戻そうと追いかけるヴィルムとアルバート。
その二人の姿を、海人達は呆れた様子で見ていた。
「なんだ、あいつ等……」
「もうすぐ終わりだというのに、祈祷も満足にできないのか?」
「でも、なんだか様子が変でしたね」
周囲のざわつきが大きくなった時、鐘の音が響き渡った。
時報というよりも警鐘、何か有事を伝える物のように心を不安にさせるものだ。
その時祭殿に神父がやって来た、顔から血の気が引いていて、とても焦っている。
「神聖な祭事を邪魔するとは、一体何事だ!」
「もっ、申し訳ありません大司祭様! しっしかし……」
人間の神父は出せるだけの大きな声で――それを伝えた。
「ギルベルト様っ! ギルベルト様!」
ヴィルムとアルバートは、ギルベルトを追いかけていた。
しかし出遅れた二人と彼の距離は大きく、追いついた頃には、大回廊を抜けていた。
「ギルベルト様……、一体どうなさったのですか」
大回廊を抜けるとちょうどそこは高台で、聖都と海を一望することが出来る。
「おい、まさか海が見たかったなどと、とぼけた事をいう訳ではあるまいな」
アルバートは眉をひそめてそう言うと、同じように海を見る。
すると――そこには異様な光景が広がっていた。
「……なんだ、アレは」
黒い波、南国の青い海とは違う、黒い波が聖都へ迫っている。
アルバートがその波の正体が分かったのは、それが浜に到達するころだった。
ソレは、海魔の群れだった。
何千何万という海魔が、この聖なる都へと攻めてきた。
海を覆うような数、これほどの海魔が一度に人のいる場所に来るなどありえない事だ。
「海魔が、聖都を襲う……そんなのありえない!」
聖都は神を祭る神殿、いくら邪悪の化身と言われている海魔でも、自身を造り出した万物の創造神を祭る、この神殿を襲うなど考えられない。
「…………恐ろしいほど勘が冴えるな、お前は」
ギルベルトの幸運ステータスはA+。
幸運ステータスが高い者の特徴で、勘が冴える。
ギルベルトが時折『臭い』と言って表現するのは、『悪い予感』と呼ばれるものだ。
彼が誰よりも早く海魔の接近を感じ取ったのは、この天性の幸運による。
「キーコ……、キーコがあぶねぇ!」
確か君子は一般街に買い物に行った。
一般街は聖宮よりも海に近く、真っ先に海魔が到達する。
このままでは――君子が危ない。
「アルバート様!」
ルールアが空を飛んでやって来た。
彼女に気が付いたアルバートが、右手を向けると、降下したルールアがその腕を掴んで。彼を宙へとつり上げた。
「ルールア、キーコの所へ!」
「あっくそ、俺も乗せろぉ!」
「定員オーバーだ」
ハーピーが運べるのはせいぜい大人一人が限界、悔しがるギルベルトを尻目にアルバートは一般街へと飛んで行った。
「くっそぉ~~」
「悔しがっている場合ではありません、我々も追いかけましょう」
アレほどの海魔の大群は初めて見る、Eランクの君子があそこで生き残れるわけがない。
ヴィルムに言われて、ギルベルトも一般街へと走った。
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一般街は騒然としていた。
海魔の出現を知らせる警鐘と、海魔の群れが浜に上陸したのはほとんど同時の事だったからだ。
「きゃあああっ!」
真っ先に陸に上がったのは何百匹もの、二メートルはありそうな紫色のアメフラシ。
赤い斑点が気持ち悪さを際立たせていて、見るからに恐ろしい。
「海魔だぁ、逃げろぉぉ!」
一般街にいた露天商や一般巡礼者達は、一目散に海とは反対の方向――聖宮や祭殿へと逃げる。
しかし凶暴な海魔に慈悲などない、逃げ惑う人々に向かって襲い掛かった。
無抵抗な人々を押し潰し、毒液をまき散らす。
「あっ……ああっ」
君子の足は震えていた。
何十、何百という巨大なアメフラシやカニにヒトデが、人々を襲っている。
逃げなくちゃ、頭はそう思っているのに体が動いてくれない。
巨大なアメフラシが、そんな君子に狙いを定めるのにさほど時間はかからなかった。
「あっ……」
目があったのが分かった、でも体は余計に固まった。
金縛りにでもあったかのように、体はカチコチで一ミリも動かない。
でもアメフラシは――君子を押し潰そうと襲いかかる。
「闇魔法『闇突』」
君子の横から黒い刃が射出され、アメフラシを切り裂いた。
青紫色の血液を出して、地面に倒れた。
「キーコ、大丈夫!」
「あっ……アンネさん」
アンネ腕を引かれて、君子は彼女が魔法を放ったのだとようやく理解した。
それほど、頭が混乱していて、何をすればいいのか分からなくなったのだ。
「キーコ、私から離れないで……ベアッグさんに双子も!」
アンネは君子達を庇う様に前に出ると――別のアメフラシが突進する。
「ちっ――」
アンネは素早く長いスカートをめくりあげると、太もものホルスターからジャマダハルを引き抜いた。
「はあああっ!」
ジャマダハルを振った瞬間、刀身に雷が宿り火花が散る。
雷をまとったその一撃を――放つ。
「『放電撃』」
刃がアメフラシに触れた瞬間、目を突き刺すような鋭い光が輝き、爆発音の様な音が響く。
焦げ臭い匂いが立ち込めた、アメフラシは倒れた。
「あっ……ああ」
焦げて、焼きアメフラシになった海魔を見て、君子は言葉が出ない。
アンネがヴィルムに戦い方を教わっていることは知っていたが、まさかこれほどまで強くなっているなんて知らなかった。
しかもなんだかすごい技まで覚えてしまっている。
「あっ、アンネさん、いっ今の……」
「えっああ、ヴィルムさんと考えた技よ! 私の特殊技能『付呪』と剣術を使った技なの」
アンネの特殊技能『付呪』は、生物以外の対象に『呪い』というものを付着させることが出来る。
威力は低いが魔力を必要としないという特徴があり、使用者の使い方次第では、魔法以上に効果を発揮する特殊技能だ。
アンネは君子が『設計者』作ったジャマダハルに、この『呪い』を付着させて、魔力を使わない代わりに弱い『呪い』の弱点を克服し、結果的に剣術の威力を倍増させた。
「前もってヴィルムさんに、海魔は雷に弱いって聞いてたの、念の為に対海魔用に作った技だったけど……作ってよかったわ!」
「すっ、すっかり戦うメイドさんになりましたね……」
「――っ、キーコしゃがんで!」
アンネが叫んだ瞬間、カニの海魔が襲い掛かって来た。
悲鳴を上げる暇も与えず、巨大なハサミで君子を真っ二つにカットしようとする。
「だああっ!」
アンネは左手のジャマダハルに魔力を込めると、カニに向かって放つ。
しかし距離があまりにも足りない、シャドーボクシングの様だったのだが――。
左のジャマダハルに巻き付けられていた鎖が伸びて、まるで蛇のようにカニへ向かう。
「鎖鞭・雷撃」
そして鎖に雷属性の『呪い』が付着される。
鋭い光と爆音と共に、カニが雷に打たれた。
電流は海魔の体を駆け巡り、体内を焼き尽くした。
「大丈夫キーコ!」
「にゃっにゃんとかぁ……」
ほんの少し前まで楽しい旅行だったのに、突然ここは戦場となってしまった。
一時でも油断し弱さを見せれば、弱者は狩られるのみだ。
「とにかく早く聖宮に――」
安全な場所に逃げようとしたのだが、すぐに別の海魔が沸いて出て来て、五人を取り囲んだ。
「まっまずい……いくら何でも数が多すぎる!」
「おっオニヒトデにヒョウモンダコにスベスベマンジュウガニぃぃぃ、猛毒オンパレードじゃないですかぁぁぁぁ!」
「ドクいや~」
「いやドク~」
「くっくそう、くっ来るなら来い、三枚に下ろしてやるからなぁ!」
まともに戦えるのはアンネ一人、彼女だけでは到底四人を守り切ることなどできない。
しかし海魔にとってはどれも餌、一斉に襲いかかって来た。
「くっ――」
どれもほとんど同時、アンネが相手に出来るのはせいぜい二体が限度。
君子を守らなければならないのだが、ベアッグも双子も大切だ――選ぶなんてできない。
どうすればいいのか、彼女の頭は誰を優先するべきか考えてしまった。
そのコンマ数秒の時間が、致命的な隙となった。
もう防ぐ事も出来ない。
「『雷霆撃破』」
轟音と共に雷が海魔を討ち貫いた。
あまりの衝撃に君子は尻もちをついてしまったが、誰が助けてくれたかだけははっきりとみていた。
「あっアルバートさん!」
ルールアに掴まっていたアルバートは手を離すと、まるで猫のように綺麗に着地した。
長い銀髪を靡かせるその姿は本当に美しくて、危険な状況だというのに見とれてしまうほどだ。
「キーコ、大丈夫か!」
アルバートは君子に駆け寄り、転んだ彼女を抱き上げ強く抱きしめる。
そしてふと、アンネが仕留めた三体の海魔に気づいた。
「……コレは、お前がやったのか?」
「はっはい」
「…………ふっ、あの馬鹿にはもったいないな」
「えっ?」
「アンネよかったわね、アルバート様が認めてくれたわよ! せっかくだからメイドやめて軍人に転向してアルバート様の部下になりなさいよ!」
ルールアがそう勧誘してくれるが、今はそんな話をしている場合ではない。
早くここから逃げなければいけないというのに、アルバートは君子の首筋にキスをしている。
「ちょっ、ちょっとぉ、あっアルバートさん! かっ海魔がぁ!」
アメフラシの海魔がこちらに向かって突進してくる。
セクハラなどしている暇は一秒もないというのに、アルバートはもう一度キスをすると、右手を向ける。
「紫魔法『雷槍』」
紫色の魔法陣が一段と輝くと、雷が射出される。
槍のように鋭い雷はアメフラシの頭部を貫き、風穴を空けた。
それでも威力は弱まらず、その後ろにいたカニとタコの海魔も貫き殺した。
「あっ……ああ」
一撃で何体もの海魔を倒してしまった。
よくよく考えると、アルバートはオールAランカーなのだ。
この程度の海魔達は彼の敵ではないのだろう。
「藻屑風情が、ヴェルハルガルドの王子であらせられるアルバート様と、同じ陸に立つんじゃないわよぉ!」
ルールアは、ヒトデの海魔に向かって飛び掛かると、その鋭い爪を食い込ませる。
ハーピーの爪は、骨ばかりの棘皮動物も貫通する、そして硬い骨ごとヒトデの体を引きちぎった。
「すっ……すご」
ルールアが軍人だったのをすっかり忘れていた。
彼女はアルバートの補佐官をするほど優秀な軍人で、この程度の海魔など彼女にとっても雑魚なのだ。
しかしいくら頼りになる二人が合流したとは言え、状況はすこぶる悪い。
聖都へ向かって来た海魔の数はおおよそ万、全て倒す前に二人が倒れるのは眼に見えていた。
現に倒した海魔の死骸を踏みつけ、新たな海魔が湧いて出てくる。
アルバートとルールアは、君子達を守るように前へと出た。
『ギュギュシャー』
おぞましい鳴き声を上げながら、海魔が一斉に襲いかかる。
アルバートとルールアが撃退しようした時、声が響く。
「特殊技能、発動」
南の島である聖都で、体の芯まで凍えそうな冷気を感じ――。
刹那、海魔が凍り付いた。
斬られた傷から凍結している事に君子が気づいたのは、海魔が完全に凍ってから。
そして目の前に剣を持ったヴィルムが立っていることを認識したのは、それから更に数秒経ってからだった。
「……氷結斬」
凡人の君子にはまったく見えなかった。
ただヴィルムの声がしたと思った次の瞬間には、海魔が凍っていたのだ。
「いっ一体なにが……」
ヴィルムの特殊技能『思案者』は、所有者の思考速度を速める。
脳の情報処理能力が著しく向上し、通常の一秒を一〇秒に感じ、何もかもがスローモーションのようにゆっくり見えるのだ。
ヴィルムにとってほとんど同時に襲って来た海魔達は、隙だらけなのである。
しかしこの能力は、脳に負荷がかかる為乱用はできない。
ヴィルムは特殊技能を止めると、君子達を見る。
「皆無事ですね、特にキーコは行動が遅いので心配しました」
「名指しは酷い!」
全く持って事実なのだが、そこはぼかして欲しかった。
ヴィルムは全員の無事を確認して、ひとまず安心した様子だ。
しかしここに安息の地などない、倒した瞬間から、新しい海魔が湧いて出てくる。
それぞれ自分の武器を構えたのだが、海魔の群れを押しのけて、今までの二倍くらいありそうな、巨大なアメフラシの海魔が現れた。
「ひゅわああああっ、ぎっぎもちわるいぃぃ!」
手のひらサイズなら愛らしいがここまで大きいと引く、鮮やかな体の色が気持ち悪さを倍増させている。
君子の悲鳴が癇に障ったのか、巨大アメフラシはこちらへと突進して来た。
「ぎぎゃあああああ、きっ来たあああああっ!」
しかし、泣き叫ぶ君子はパニックを起こして気が付かなかった。
巨大アメフラシの頭上に飛び上がり、漆黒の刃を振り下ろすギルベルトの姿を。
「どりゃああああっ!」
大きく振りかぶり全体重をかけたギルベルトの一撃はさく裂した。
グラムが、アメフラシを両断した。
青紫色の血液を流し、海魔は絶命する。
巨体が倒れるとほとんど同時に、ギルベルトは着地した。
「キーコ、大丈夫か!」
振り返り君子の無事を確認するのだが――、アルバートが彼女の耳を甘噛みしていて、めちゃくちゃイチャイチャしていた。
「てめぇこのクソバート、キーコは俺の所有物だ、イチャイチャすンじゃねぇ!」
「キーコは私の婚約者だ、何をしようが私の勝手だ」
「ちょっとぉ、喧嘩してる場合じゃないですよぉ!」
いくらギルベルトやアルバート達が強くても関係ない、海魔はどんどん湧いて出てくる。
倒しても倒しても、むしろ増えているような気がした。
「……くっ、せめてキーコ達を安全な場所に移せれば」
海魔は雑魚だが数が数、せめて非戦闘員を安全な場所へと連れていきたい。
だが、海魔はこの島を取り囲むように攻めてきている、コレでは安全な場所などあるはずがない。
ヴィルムが、何とか全員が助かる道を考えていると――。
「こっちですヴィルム殿!」
そう声をかけてきたのは、海魔の群れの向こうにいる一人の魔人の男。
知らぬ男だったが、彼の右手にまかれている青いバンダナを見て、ヴェルハルガルド一行を乗せた船の『浪』だというに気が付く。
声を張り上げる彼の向こうには、乗って来た帆船があった。
既にこの島は、海魔の巣窟。
君子達の事も考えると、船で島から逃げるのが最も生存率が高い。
既に他の巡礼者達の中には、船に乗り込み島から逃げようとしている者達もいる。
「早く、船へ!」
皆桟橋に止めてある船に向かって走る。
行く道を塞ぐ海魔を、ギルベルトとアルバートとヴィルムが倒していく。
君子や双子達は、彼らが切り開いた一瞬の安全な道を走り抜ける。
「はっはぁっ……」
運動会のリレーで、万年最下位だった君子には命がけでもかなり辛い。
息が上がってしまい、徐々にペースが落ちて双子にも追い抜かされてしまった。
すぐ後ろには巨大ガニと巨大ムツゴロウが迫っている、痛む脇腹を押さえつけて何とかもっと早く走る。
「おろっ!」
しかし、普段の運動不足のせいで――足がもつれてすっ転んだ。
どうしてこうも間が悪い時に限って、右足と左足は喧嘩するのだろう。
「うぇぶっ!」
石畳にお腹を思いっきり打ち付けた。
手で防御反応を取ることが出来ず、左膝を擦りむいてしまった。
「いたぁい……あっ、すっスラりん!」
転んだ拍子にスラりんバッグの肩ひもが切れて、スラりんが転がって行ってしまった。
大切なスラりんの為に、君子は石畳の上を這って助けに向かう。
何とかぷよぷよボディを掴んだ、しかしロクに身動きが取れない君子を、海魔が放っておくわけがなかった。
「ひっ――」
巨大なハサミが君子へと迫る。
無力な凡人には、それに対抗する術が何一つとしてない。
ただスラりんだけは守ろうと覆いかぶさり、自分の体を盾にする。
「キーコぉ!」
ハサミが君子の体を両断する音よりも先に、ギルベルトの声が聞こえた。
そして強い力でセーラー服を掴まれ、君子の体が後方へと引っ張られる。
巨大なハサミは君子の喉元すれすれを通過し、ギルベルトの左胸をかすり――そして聖章を弾き飛ばした。
「あっ!」
君子の目に映ったのは、聖章が光を反射しながら飛んでいく所。
アレは大切な物とっさに手を伸ばしたが、聖章は指の間をすり抜け――そして海へと落ちていった。
「ちっ……逃げるぞキーコ!」
「でもっ、聖章が!」
巡礼者の証である聖章がなければ、ヴェルハルガルドに帰れない。
だが、聖都の海は海魔の血や分泌液によって黒く変色していて、手のひらサイズの聖章を見つけるのはかなり難しい。
しかも数十匹の海魔が、こちらへと向かって来ている。
「そンなもンいい、逃げるぞ!」
ギルベルトは悔しそうに歯ぎしりをすると、君子を俵担ぎにして船へと向かう。
今最も優先するのは、君子の命。
桟橋を駆け抜け、船へと続く階段を駆け上がる。
「急げ、怪鳥まで出てきやがった!」
船長の『浪』が言った通り、鳥型の海魔まで聖都の上空を飛び回っている。
長い事巡礼者を聖都へと送り届けて来た『浪』達も、こんな光景を見るのは初めてだ。
船長が上空を見上げていた時――何かが落っこちて来た。
はじめは豆粒の様だったが、それには手足が生えていてどうやら人――。
「うぎょぉぉぉぉぉぉ、ぶふぉっ!」
それは、ルールアの後を追ってはぐれたフェルクスだった。
甲板に打ち付けられて、目を回している。
「なっ、ふぇっフェルクス! あんたどうしたのよぉ!」
「うっうう、鳥の海魔に襲われて空に連れていかれたんだけど、オレ様が重くてここで落とされたんだぁ……、きょっ、今日のオレ様サイッテー……ぐふっ」
「ある意味運はいいわよ……」
正直すっかりフェルクスの事は忘れていたので、海魔に船に落とされなければおいていく所だった。
「碇を上げろぉ、出航だぁ!」
船長の一声で碇が巻き上げられ、船はゆっくりだが確実に進み始めた。
しかし甲板に上がってこようとする海魔がいて、そのせいでまだ皆混乱していた。
「くそっ……キーコは隠れてろ!」
「うっ、うん……」
ギルベルトは君子を下ろすと、上がって来た海魔共を倒していく。
君子は言われた通り安全な場所を探して、周囲を見渡すと――ふと桟橋に見覚えのある人達を見つけた。
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「はあああっ!」
海人は襲い掛かって来た海魔を両断する。
この程度の雑魚Aランクになった海人達の敵ではない。
しかし問題はこの数、到底五人で立ち向かえるものではなかった。
「急いで、船までもう少しよ!」
今はこの海魔の巣窟になった聖都から脱出しなければならない。
桟橋に停泊している船は目の前。
海人は邪魔なムツゴロウの海魔を切り裂くと、船へと走った。
しかし――海底から上がって来た巨大なアメフラシが、船を破壊した。
マストも竜骨も、何もかも粉砕され、足元には船の残骸しかない。
「そっ……そんな!」
ここは島、唯一の移動手段だった船が粉砕された今彼らに脱出する術は残されていない。
「どうするのです……こんな海魔だらけの島で」
「どうするって……祭殿に逃げるしかないだろう!」
「無理ですよ、ここからまた祭殿に行くなんて」
ロータスの言う通り、聖都は上陸した海魔達が占拠していて到底進めない。
だがここにいてもすぐに取り囲まれてしまうだろう、海魔だらけの海を泳ぐなんてできない、そもそも陸地であるドレファスまでかなりの距離がある。
「くそっ……もう少し早く祭殿を出ていれば」
ギルベルトが行った時、すぐに後を追えばよかった。
後悔しても遅い、選択を間違えた者はただ絶望する事しかできない。
だが、そんな彼らの前をヴェルハルガルドの船が悠々と進んでいく。
何もかもが憎たらしくて睨みつけると、君子がこちらを見下ろしていた。
すると、彼女は非常用の縄梯子を投げた、一体何をしているか理解できなかった五人に叫ぶ。
「早く、乗って!」
それはつまりヴェルハルガルドの、敵の船に乗れという事だ。
敵の船に乗るなど、自分から死にに行くのと同じようなものだったが、彼らには選ぶ時間など残されていなかった。
「行くぞ!」
海人は桟橋を駆けると、垂らされた救いの糸へと手を伸ばす。
梯子に飛び移る彼の姿を見て、凜華達も覚悟を決めた。
このまま島にいれば海魔に殺されるだけ、まずは生き残ることを一番に考えなければならないのだ。
「行きましょう!」
「えっちょっとぉ!」
凜華とロータスとシャーグが走り、ラナイが遅れてそれを追いかけた。
先に飛び移った海人が凜華の手助けをし、ロータスは持ち前のスピードで間に合った。
桟橋はもうすぐ終わる、残った大人二人にはもう手段など残されていない。
「くそっ、飛ぶぞラナイ!」
「えっちょっシャーグぅ!」
シャーグは足の遅いラナイを乱暴に抱き上げると、出せるだけの力を足に込めて――桟橋から飛んだ。
「うおおおっ!」
「きゃああっ!」
肩が外れるくらい伸ばした右手は、どうにか縄梯子を掴んだ。
船側に体を打ち付けたが、何とか飛び乗ることに成功した。
「ラナイ……お前もう少し痩せろよな」
「なんですってぇ、大体女性を乱暴に抱き上げる男がいますか普通!」
「仕方ないだろう、アレしか方法がなかったんだ」
今はそんな喧嘩をしている場合ではない、船に張り付いたままでは海魔に襲われる、急いで上へ登らなければならない。
海人は揺れる縄梯子を上り切って、何とか船上へとたどり着いた。
「助かったよ……、ありがとう山田――っ!」
君子の機転おかげで救われたのだが、肝心の彼女は海人に背を向けてなぜか両手を広げている。
しかしその理由はすぐに分かった。
彼女と向かい合っていたのは、眉を吊り上げて鋭い視線を送るギルベルトとアルバートとヴィルムとルールアとアンネ。
それを見て理解した、まだ助かってなどいない。
ここは敵の船、掴んだのは救いの糸ではなかった。
「……どういうつもりですか、説明をしなさいキーコ」
ヴィルムが、氷のように冷たくて怖い口調で言う。
君子は、口を噤んで押し黙るだけ。
海人達は、虎穴へと入ってしまったのだった。




