第六〇話 ハルデに帰ろう!
聖都巡礼二日目。
南の島の朝、君子はいつもより二時間も早く起きてしまった。
(ふあっ……あれ、ここは)
いつもの天井と違うので一瞬戸惑ってしまったが、そういえば聖都についたのだと、まだ半分眠っている脳みそが判断した。
来賓をもてなす場だけあって、南国風ベッドのフカフカ度合いはかなり良い。
聖都は湿度が高くないので、東京のコンクリートジャングルとは違って過ごしやすい。
(……もうちょっと、寝ようかなぁ)
再び目を閉じると寝返りをする、しかしその時何かに当たった。
壁にしては柔らかくて、枕にしては硬い、それにほんのり温かい。
君子が確認しようと瞼を開けると――。
そこにはアルバートがいた。
しかも上半身に何も着ておらず、細身ながらも引き締まった胸筋と腹筋が丸見えで、ズボンだってかなりきわっきわっまで下がっている。
そのエロさというのはとんでもないもので、この美しさを彫刻にして永久に保存しておきたい。
「あっ……なぁ」
なぜ自分のベッドにこんな美しいものがあるのか、君子は驚きのあまり硬直する。
するとアルバートが眼を覚まし、色っぽい笑みを浮かべ――。
「おはよう、キーコ」
アルバートは頬に手を当てると、おでこにキスをした。
手の温かさ、唇の柔らかさ、全てモブの凡人の君子のキャパでは処理できず、脳がエラーを起こした。
「ういぎゃああああああああああああっ!」
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今日の朝ご飯は、南国らしくフルーツをたくさん使ったものだった。
パイナップルのようなフルーツと一緒に蒸した魚料理を、君子は眉を吊り上げて食べていた。
「もう……信じられないですぅ、なんで私のベッドにいるんですか!」
タイもつけず、軽い服装で朝食を食べるアルバートは、そんなクレームをまったく相手にしない。
「婚約者なら、一緒に寝るのは当然だろう」
「婚約者じゃないですよぉ! も~いつの間に潜り込んだんですかぁ、鍵かけておいたのにぃ!」
「特殊技能を使えば、ドアぐらいすり抜けられる」
「セコムが泣きそうな侵入テクですね……」
見えてさえいればどんなものでも回避できるというのは、かなりチートだ。
アクションゲームなら、さぞぶっ壊れ性能だろう。
「……そういえば、服が破けないって事は、アルバートさんの回避って服にも適応されるんですね」
「いいや、コレは特別な布で作られた服で、特殊技能や魔法に同化するのだ」
ある妖獣の毛を使って作った布で作られた服は、様々なものに同化する。
特殊技能や魔法、更には体質などにも同調するので、アルバートの様な特殊技能を持つ者には重宝される。
「ヴィルムとフェルクスの服もそうだぞ」
氷の魔人と炎の魔人は、体から常に冷気や熱気が出ている。
普通の服ではとても耐えられないので、彼らの軍服も同じものだ。
「そっか……だからフェルクスさんが炎を出した時、服が燃えなかったんですね」
「キーコが私の裸を見たいというのなら、普通の服を着てもいいんだぞ」
「びょっ、なっ何言ってるんですかぁ、アルバートさぁん!」
赤面する君子を見て、アルバートは満足そうな笑みを浮かべる。
そんな雑談をしていると、ギルベルトがようやく起きて来た。
「ふぁ~、ねみぃ」
「やっと起きて来た、先に朝ご飯食べてるよ」
「めしぃ……」
寝ぐせでぼさぼさの頭を掻くと、ギルベルトは朝食を食べ始める。
その姿は、王子というよりチンピラだ。
「食後のコーヒーをどうぞ」
久しぶりのコーヒーが美味しくてたまらない。
たっぷりミルクを入れるのが特に良い。
「食後のポテチもな!」
ギルベルトは、まるで食後の飲み物のような勢いでポテチを食べていく。
これでは食後のティータイムが台無しである。
「全く、品のないの男だ……、キーコとの食事もままならぬ」
「うっせぇ、飯は喰えればいーンだよ、喰えれば!」
しかし食べながらポテチのカスをポロポロとこぼしているので、ヴィルムが、君子の作ったコロコロで綺麗にする。
「ギルベルト様、今日という今日は綺麗にしていただきますよ、その寝ぐせも」
ヴィルムは更に櫛を取り出して、ギルベルトの髪を整える。
しかし角のある魔人である彼にとって、頭をいじられるのは不快な事で、逃げようとするのだが、ヴィルムは肩をがっちりと掴んで離さない。
「……絶対に恰好を正していただきます」
ヴィルムは、窓の外を見ると更に続けた。
「今日からですから、大礼聖祭は」
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大礼聖祭。
千年に一度行われる、聖都の祭事。
この期間のみ、祭殿の最も奥に入ることができる。
ベルカリュースという世界を作り、数多の種族を作り出した、文字通り『万物』の創造神の元へ。
「すっごい、広い空間」
君子がやって来たのは、聖宮と祭殿を繋ぐ大回廊。
全長一キロ高さ七〇メートルの回廊は、贅の限りを尽くしてある。
「ここは、巨人族も通りますからね、それなりに高くないと」
確かに奥の方へ目をやると、何人かの巨人が歩いている。
彼らにとっては、コレは普通なのだろう。
「それにしても、すごく細かい壁の彫刻ですね……うわ~すごぉい」
すごすぎてろくな感想も言えない、彫刻がリアルすぎて本物の草花に見える。
そのあまり美しさに、君子が目を奪われていると――男にぶつかってしまった。
「ソーリー」
「ふぁっ……ごっ、ごめんなさい!」
君子がぺこぺこと頭を下げているうちに、男の人は行ってしまった。
「気を付けなさいキーコ、ここは様々な国の代表が集まる場、貴方の行動一つで国家間の問題になる事だってあり得るのですからね」
「こっ国際問題、ですかぁ!」
ちゃんと肝に銘じておかなければならない、君子の様なモブの凡人の貧乳がそんな問題を起こすわけにはいかない。
「だが、今のは明らかにキーコにぶつかって来たな」
「あぁ、ちょっとぶっ殺すか」
アルバートもギルベルトもとても怖い顔で睨んでいて、すっかりやる気である。
「やめてよギルもアルバートさんもぉ! 私の不注意のせいなんですから」
「キーコはあまり我々から離れない様に、貴方の恰好は目立ちますので」
異邦人の君子にとってセーラー服は普通のものだが、異世界人からすればかなり奇怪なものに見える。
ただでさえ敵が多いヴェルハルガルドは、色々な国から目を付けられている、そんな中で君子のように目立つ者がいると、標的にされやすい。
「でも……アルバート様とあのバカ王子の間なら、たぶん大丈夫ですよ」
ルールアの言う通り、ギルベルトとアルバートが両隣について、彼女をしっかりと守っていた。
Eランクの君子が、Aランカーに守られているのだから、恐ろしいVIP待遇である。
「……あれ、コレなんですか?」
壁の彫刻がなくなり、突然石壁が現れた。
今までの彫刻とは違い、そこには絵が描かれていて、とても古い壁画の様だ。
君子が気になって眺めていると――。
「君子ちゃん!」
海人と凛華達がやって来た、二人とも昨日とは違いハルドラの正装を着ている。
「凛華ちゃん、榊原君、皆さんおはようございます」
「山田のセーラー服は目立つから、すぐに分かったよ」
彼らもこれから祭殿に行くのだろう、一緒にいられる事に君子は喜んでいるが、他の皆の表情は険しい。
「けっ、とっとと行くぞキーコ」
「えっ……でもこの壁画が」
「……これは、『神の裁き』の絵ですわ、本物がこんな所にあるなんて!」
ラナイは少し興奮した様子だった。
君子が改めて絵を見つめると、なんだかどことなくおどろおどろしい物に感じる。
「神の……裁き?」
「それなら知っています、エルフの時代のものですね」
「えっ……エルフぅぅぅぅっ!」
テンションがマックスになった君子は、鼻息を荒くしてヴィルムへと詰め寄る。
「エルフ、エルフの絵なんですか! ていうか、ベルカリュースにエルフがいるんですね! なんでもっと早く言ってくれないんですかぁぁぁ」
エルフは、ファンタジー大好き君子さんの一番大好きな種族である。
一年もこの世界にいるのに、まったく出会わないので、てっきりいないのかと思っていたのだが、流石は異世界、期待を裏切らない――。
「エルフはとっくに絶滅しましたよ」
ヴィルムの優しさのかけらもない一言によって、君子の心は深くえぐられた。
「えっな、なんで……なんでぇぇぇ! エルフって言ったら異世界でしょ、異世界って言ったらエルフでしょ!」
「千年前に最後のエルフが死んだので……、というか貴方はどうしてエルフにこだわっているんですか?」
「ぐすんっ、エルフがいない異世界なんて、梅干しがない日の丸弁当ですよ……、あぁもう異世界での楽しみがなくなった……、なんでエルフはいなくなっちゃったんですかぁ?」
「……大昔に、エルフを妬んで滅ぼした国があるのだ、キーコ」
アルバートは君子の涙を指で拭いながら、視線をラナイとシャーグへと向けた。
「うっ……」
視線を逸らす二人を見ながら、アルバートは親譲りの意地悪な笑みを浮かべる。
「浅はかだろう? 他種族を虐げる事でしか、自分達を肯定できぬなど」
シャーグとラナイは腹の底から湧き上がる怒りを、必死に押し殺した。
これは挑発、乗ってたまるものかと、半ば意地になる。
だが、そんな二人を見て、アルバートはまるで遊んでいる子供のように更に笑う。
明らかにハルドラの人間である二人を、貶している。
「それにキーコ、エルフではないが吸血鬼ならここにいるぞ? それでよいではないか」
「うっうう……でも、エルフが一番好きだったんだもん……エルフを滅ぼすなんて、ひどすぎですぅ」
何とか心の整理をつけるが、やっぱり残念である。
どうせならエルフに会って、たくさんお話をしたかった。
「これは元々マグニにあった絵です、マグニがヴェルハルガルドの領土になった時、魔王帝様がこの聖都に献上なさったのです」
「聖都はエルフが万物の創造神を祭るために作った場所だからな、あるべき所にあるべきものを置いただけの事だ」
「ふぇっ……聖都ってエルフが作ったんですかぁ! 流石エルフですね~」
この回廊もエルフが作ったのなら納得である。
そう思うと、もうこの壁の彫刻の一つ一つが愛おしくてたまらない。
エルフが絶滅した今、君子にとってエルフを感じられるのはこれしかないとは言え、彫刻を愛でる姿はかなり奇怪だ。
「そう言えば『神の裁き』って何なんです?」
「それは、この世界の創世神話の一つです」
凛華の問いに、ラナイは昔話を静かに語り始める。
「まだこのベルカリュースが闇に覆われていた時、神がこの地に舞い降りて、闇の中から光を作りました、それからベルカリュースには明かりがもたらされ、神を『光の女神』と呼ぶようになりました」
「えっ……じゃあ、光の女神って万物の創造神と同じ神様なんですか!」
「ハルドラとか東側で呼ぶ奴が多いな」
キリスト教やユダヤ教やイスラム教も、宗教は違うが同じ神様を祭っている訳で、それら全て別の呼び方をするので、特段不自然ではない。
「そして光の女神は様々なものを造り、その中で最も尊いものとしてエルフを作り、彼らを最も愛していました……が、彼らは神だけの御業だった生物の創造を行い、神の怒りを買った」
「生物の、創造?」
「そうです、この世界で生命を作り出せるのは神だけ……実際小さな神と言われたエルフも膨大な時間がかかったといわれています」
壁画の終わりは、真っ黒な闇に飲み込まれるエルフ達の絵で終わっている。
この絵は神の偉大さと一緒に、神の恐ろしさを伝えているのだろう。
「……神はエルフの大半を滅ぼした後、生き残ったエルフに不老を与え、二度と栄えないようにした後、新たな種族を作り出しました」
「新たな種族?」
「今ここにいる全ての種族ですよ、獣人や巨人などもこの『神の裁き』の後に神が造ったのです」
「へぇ~」
興味のない歴史の授業のように、海人は適当に聞き流そうとしたのだが、ラナイは鼻息を荒くして熱弁する。
「そして、神は最後に最高傑作を、最も崇高な種族を作り上げたのです! それこそワタクシ達人間なのです!」
万物の創造神が、最後に造った種族は人間と伝えられている。
これは、ベルカリュース中の伝説で書かれているので、ほぼ間違えない事。
しかし、この話には目くじらを立てるのはそれ以外の種族だ。
「よくもまぁそんな根拠もないことを堂々と……」
「全くだな、人間が崇高とは……与太話も体外にしてもらいたいな」
「なんですって……」
気持ちよく熱弁していた所を邪魔されて、ラナイはヴィルムとアルバートを睨みつけた。
「神が最後に造ったのは人間と言われている、だが最高傑作というのは人間の勝手な言い分に過ぎない」
「神は人間を造った後にいかなる種も造っていない、それこそ人間が完成された存在である事の、何よりの証拠です!」
神が人間を作った後、その他の種族を造っていないのは、人間が完成された存在で神が本当に造りたかったものだと、人間達は主張しているのである。
しかし何の根拠もなく、人間以外の種族はこれに反発しているのだ。
「それのどこが証拠になるのでしょう……案外どうでもいいから神は最後に人間を造ったのかもしれませんよ」
「なんですってぇ……、人間になりそこねたの亜人の氷人種の癖に」
氷人種というのは、氷の魔人が魔人に統合される以前の呼び方である。
しかしこれは亜人という、人間の亜種という意味合いがあるのだ。
特に人間が使う場合、それは酷い差別用語になる。
「……ヴェルハルガルドではその言葉は死語ですよ、シャヘラザーンの残骸」
「なっ……!」
ラナイとシャーグはその国の名に強く反応した。
しかし若者、特に異邦人である海人と凛華は、初めて聞くその単語に首を傾げる。
「シャヘラザーン?」
「なんだ、それ?」
「……ふふっ、かの帝国も落ちぶれたものだな」
アルバートが見下すように笑うが、シャーグもラナイも言い返す事が出来なかった。
今は滅んだ国とは言え、シャヘラザーンは未だに他国に大きな影響があるのだ。
君子へエルゴンの事を話すという切り札がこちらにあるのと同じ様に、海人達にシャヘラザーンの事を話すという切り札が向こうにもある。
それを、ヴィルムとアルバートは悟ったようだ。
思ったよりも君子奪還はやりにくいものになるやもしれなかった。
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「おっ、女は入れない?」
祭殿までやって来た所で、ヴェルハルガルドとハルドラ御一行に告げられたのは、祈りの場である祭殿に入れるのは男性のみという事だった。
「一体どういう事ですか司祭様」
「占いで女人禁制と出た、だから男しか入れぬ」
ここ聖都では、神のご意向を聞く為に占いをする。
その占いの結果によって行事などを決めてしまうので、このように唐突な予定変更もあるのだ。
しかし、女人禁制はまずい。
「困りましたね……、キーコなしではギルベルト様が大人しく祈祷するなどできる訳がありません」
何とか特例で、君子の祭殿入りを許して貰おうとするのだが――。
「これは神の御意向、特例は許されない」
司祭はこの一点張りである。
神を祭るのは構わないが、こういう所で聖都は面倒が多い。
「ちょっとショックですね……どうせなら祭殿に行ってみたかったです」
「うっううう、せっかく聖都に来たというのに、光の女神のお膝元まで来たというのに、祈りの一つも捧げられないなんてぇ……」
神への信仰心が厚いラナイは、涙を流しながら悔しそうにしている。
それもそうだろう、この祭殿は聖都の心臓部であり、この世界で最も尊い場所。
しかも祭殿に入れるのは各国の代表者のみ、簡単に入れる訳ではないのだが――神に仕える司祭の言葉は絶対、言う事をきくしかない。
「……仕方がありませんギルベルト様、我々だけで参りましょう」
「ふざっけんな、キーコがいかねぇなら俺もいかねぇからな!」
「しょうがないよ、女の人は入っちゃ駄目なんだもん」
「知るかそんなもン!」
「(キーコの不老不死の為には、聖都巡礼を成功させなければなりません)」
ヴィルムは君子に聞こえないように、ギルベルトの耳元でささやく。
今最も大事にするべき事は魔王帝ベネディクトから賜った任務をやり遂げ、増援の兵をもらう事。
ギルベルトもその事は十分に分かっているので、渋々怒りを鎮めていく。
「……うっ、ちくしょう」
「そういうわけだ、せいぜい頑張ってこい」
アルバートはそう言うと君子の肩を掴んで引き寄せる。
「聖都は観光地が多い、折角だ邪魔者抜きでデートと行こうじゃないか」
「あっ! てめぇこのクソバートなに言ってやがンだぁ」
「ふん、聖都巡礼は貴様の問題だろうバカベルト、私には関係ない」
確かに魔王帝から聖都巡礼の任を仰せつかったのは、あくまでもギルベルトだ。
しかしアルバートは、そのお目付け役をすると言って無理矢理聖都まで来たのだ。
君子とデートなどせず、ギルベルトを抑えてくれなければこちらが困ってしまう。
しかしいくら頼んでも彼はやらないだろう、ヴィルム一人ではギルベルトが暴れた時に対応できないのである。
困り果てていると――。
「アルバートさん、私の代わりにギルとお祈りして来て下さい」
君子が意外にもそう言ってくれた。
まさかの言葉に、アルバートは明らかに嫌そうな顔をする。
「キーコ……、私にお前との楽しい時間ではなく、馬鹿な弟と苦痛な時間を過ごせというのか?」
「いっいや、そういう訳じゃなくて、お願いできるのがアルバートさんしかいないんです……ギルはこらえ性がないからすぐに暴れると思うんで、抑えてほしいんです」
君子を抱っこしない状態でじっとしていることなど、ギルベルトにはできない。
おそらく一分も持たないだろう。
「お願いします……アルバートさん」
君子はアルバートの袖を小さく掴むと、上目遣いでアルバートを見上げる。
アルバートはしばらく彼女を見つめると、小さくため息をついた。
「全く、キーコも随分おねだりが上手くなったな」
「ふぇっ、おっおねだりって、そんな!」
「あの馬鹿のお守りをしてくる代わりに、あとで二人っきりでデートをしようキーコ」
アルバートは君子の頭をなでると、ギルベルトを蹴り飛ばす。
「何をしているこの馬鹿、行くぞ」
「あっ! このクソ野郎命令すンな!」
「ギル、ちゃんとお勤め頑張ってね!」
君子の激によって、嫌がっていたギルベルトも仕方なく祭殿へと向かう。
ワガママで有名な王子二人をこうやって動かすのだから、脱帽である。
ヴィルムは君子に近づくと、皮袋を手渡す。
「キーコよくやってくれました、コレで何とか務めを果たすことが出来ます……、終わるまでアンネとルールアと共に聖都を回るといいでしょう」
「わかりました……って、これめっちゃ金貨入ってますよぉ!」
四人家族が一月贅沢に暮らせるくらいの金が、皮袋に入っていた。
あまりにも多すぎる金貨の量に君子は戸惑ったのだが、王子二人を動かせるのは彼女くらい、コレでも少ないくらいだ。
「(アンネ、ハルドラの奴らにエルゴンの話をさせないで下さい、キーコにはギルベルト様が戦争をしている事は知られたくありません)」
「(分かりましたヴィルムさん、あいつ等をキーコに近づけません!)」
アンネが力強く頷いたのを見て、ヴィルムはギルベルト達の後を追う。
「んじゃオレも行こ――っ」
「あんたはこっちよ、フェルクス!」
ルールアは足でしっかりとフェルクスを取り押さえる。
本来補佐官は主を支える立場なのだが、この男はむしろアルバートのお荷物。
ただでさえギルベルトを抑えなければいけない場で、フェルクスの馬鹿が自由奔放に動けば、ルールアが入れない祭殿でアルバートは一人で馬鹿の相手を二人しなければいけなくなってしまう。
そんな負担を主にさせる訳にはいかない、ここは王子二人とヴィルムで行くのが良い。
「シャーグぅ、カイトとロータスと一緒に、せいぜい光の女神に祈りを捧げてきなさぁい」
「……らっラナイ、怖いぞ顔」
「ラナイさんの分も務めを果たしてくるから」
「お二人は、観光でも楽しんでください」
「うううう……、仕方がありません、こちら神への捧げものです」
ラナイはそう言うと直径六十センチはあろうかという盾を、海人へと手渡した。
盾は白を基調とし金や銀の装飾が施されていて、盾の中央には大粒のダイヤがはめ込まれていた。
どことなく、太陽をイメージしているように感じる。
「ふぁっ……すごいですねぇ」
「当たり前です、コレはハルドラの初代王バルトロウーメス様が、ご生前にハルドラの安定を願って作られた物」
見とれる君子にラナイは自信満々にそういった。
「あれ……でも、そんな大事なもの捧げちゃっていいんですか?」
「これは飾りみたいなものだからな、こんな豪華なもの実戦では使えないさ」
敵の攻撃を受ける盾に、これほど豪華な装飾を施す必要などない、ダイヤなど無駄の極みである。
「これは加護を受ける為に作ったんだ」
「加護?」
「あぁ豪華な盾を作りそれを祭る事で、神から加護を受けるのさ、まぁなんだ験を担ぐって感じかな」
ハルドラ初代王バルトロウーメスは、千年後の大礼聖祭に向けて、ハルドラの安定と平和を願いコレを作ったという。
「それにこれは、千年前の勇者様をイメージして作られたんだ」
「千年前の、勇者?」
「そうさ、太陽よりもまばゆい光を放ったという光の勇者、彼のように未曽有の厄災からハルドラを守ってくれるように、この盾は作られたんだ」
聖都に祈祷しにやってくる国家は、様々なものを持ってくる。
金はもちろんの事だが、一番大事なものは加護を受ける為の捧げものである。
例えば財力を求めるならば、商売にかかわる計算機。
例えば軍事力を求めるならば、剣や槍などの武器。
そんな関連したものを捧げ祈り、万物の創造神から加護を受けるのだ。
ハルドラは防衛力、故に守りの象徴である盾を捧げる。
「きっと光の女神が加護を下さるに違いない、ハルドラを守るために」
そう思うと、飾りの盾ながら力強さを感じる。
この盾には、初代王バルトロウーメスの他にも、シャーグやラナイ、ハルドラの民たちの思いも込められているのだろう。
「んじゃ、俺達行ってくる」
「ちゃんとお祈りして来なさいよ海人」
「うっさい凛華!」
各国代表の男が皆祭殿に入ったので、祭殿の扉は閉じられた。
入れなかった女性陣は、互いに互いを見つめると――。
「えっとぉ……とりあえず、行きましょっか」
そして観光と相成ったのである。
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聖都は、一般人も来る。
そういうものの中には商人も混じっていて、やって来る巡礼者に物を売る。
ここは様々な国の商人が来るので、中には国交を断絶している国の商人もやって来て、それは珍しい物も売っている。
「すごいですね! すっごいですね!」
君子はその店の多さに驚いていた。
それはそうだろう、異世界で見た事がある繁華街というのはハルデの街のだけ。
この聖都の露店の数は、ざっとその十倍。
ベルカリュースでも、最大の規模を誇る数なのである。
「あっあれなんですか! あっあっちもぉ!」
「キーコほらちょっと落ち着いて、お店は逃げないから」
興奮する君子をアンネが落ち着かせるが、彼女も正直高揚していた、これほどの店を見るのは初めてだからである。
「いや~それにしても、シューデンベルよりも店が多いわねぇ」
「ちぇ~、なんでルールアと一緒なんだよぉ、オレ様もアルバート様と一緒がよかったぜ」
「何馬鹿な事言ってのよ、あ~ドゴ牛の背油売ってるぅ! アレ羽根につけると艶が出るのよねぇ」
「へー、珍しいんですか?」
「帝都でもなかなか売ってないのよ、買っちゃおうかなぁ」
買うか買わないか本気で悩むルールアを見ながら、ラナイが口を開く。
「ふん、牛の油をつけるなんて下品ですわ」
「うっさいわよハルドラ、ていうかなんであんたらまで一緒にいる訳ぇ」
アンネとルールアとフェルクス以外にも、ラナイと凛華が一緒にいる。
ギルベルトとアルバートがいないので少しはマシかと思ったが、ラナイは祭殿に入れなかったせいか、一層機嫌が悪い。
「あーら、そっちが勝手について来てるんでしょう、アヒルは大変ねぇ先頭についていくしかできないんですものぉ」
「ラナイさん、アヒルは水かきがあるから違います、ハーピーはどちらかって言うと猛禽類に近いですよ!」
「そういう問題じゃありません!」
丁寧に訂正した君子に、ラナイは半ば呆れた。
君子はラナイの皮肉を理解できず、首をかしげるばかり。
「でも、こんなお店があると目移りは当然だよね」
「はい、凛華ちゃんは何が買いたいものでもあるの?」
「んー特にはないかなぁ、でも買い物は見てるだけで楽しいのよねぇ」
「あっ分かります、皆で見るともっと楽しいですよねっ!」
凛華は視線をそらしてちょっと恥ずかしそうにしている。
仲良く話している二人に嫉妬して、アンネが間に入ってきた。
「キーコ、何か欲しい物ある? ヴィルムさんにお金はもらってきたから何でも買ってあげるわよぉ!」
「欲しい物……ですかぁ?」
色々と物珍しいものはあるが、コレといって欲しい物がある訳ではない。
今はこのウィンドウショッピングが楽しいのだ。
「あっキーコ、香水と香油売ってるわよぉ!」
ここ聖都には、自国では流通していない香水や香油があるので、巡礼者達に土産として人気である。
露店の前は、甘い香りが充満していた。
「へぇ~、この辺ヴェルハルガルドにない奴ね」
「ルールアさん軍人なのに詳しいんですね」
「そっそりゃあ一応淑女の嗜みだし……、綺麗にしてるけどハーピーって羽根があるから体臭がちょっとね」
「いやいやルールアさんなんていい方よ、すっごく綺麗にしてるってわかるわ」
この世界の香水は、現代の様に楽しむ為、というよりは体臭を誤魔化す為に使われることがしばしばである。
だから金銭的に余裕がある女性なら誰しも香水や香油を使い、いつしか貴族の女性達はその香りや希少性で互いの優劣を決めるようになった。
「ラナイさんも時々つけてますよね?」
「ええ汗臭いのは嫌いですから、リンカも何か選んでみては?」
「香水ってなんか大人の女性って感じがして、ずっと気になってたんですよね!」
「こちらの練り香水なんて、あまり香らないのでお勧めですよ」
女性陣はすっかり香水に夢中なのに、君子は一歩離れた所でそれを見ているだけ。
香りを嗅ぐ所か、近づこうともしない。
「キーコ、何やってるの? せっかくだから香水選びましょ」
「珍しいのもあるのよ、あんた地味だから、香水でもつけて華やかになりなさいよ」
「私はいいんです、気にしないで選んでください」
アンネとルールアが誘っても、君子はやはり店に近づこうともしない。
それに気が付いた凜華とラナイも、声をかける。
「君子ちゃんも見ようよ、いい香りだよ」
「そうですわ、女性の嗜みですわよ」
「本当にいいんです、気にしないで下さい」
気にするなと言われて引き下がれない、せっかくなら君子に似合う香水を買ってあげたいのだ。
「キーコ、また香水をつけるなんて~とか言って、自分を卑下してるの?」
「あっ……いえ、そう言う訳じゃないんですけど……」
「じゃあどうしてなの?」
アンネがしつこく追及すると、君子は少し戸惑った顔をする。
しばらく悩むと、ちょっと言いづらそうに口を開く。
「だって……、香水って匂いきついじゃないですか」
「大丈夫よ、そんな強くないのもあるから」
「いや……私とかアンネさんは感じなくても……、その……」
なんだかいつになくはっきりしない君子。
アンネ達が不思議そうに見つめると――、ちょっと恥ずかしそうに言った。
「……ギルが、嫌がるかなって」
魔王帝ベネディクトの子であるギルベルトは、魔人でもかなり嗅覚が良い。
半獣人や人間が気付かない匂いを感じ、ちょっとした香水でも不快に思う事がある。
だから君子は香水を買うどころか、匂いが充満している店にも近づこうとしないのだ。
「なんで私はいいです……って、アンネさんなんですか、その乙女の目!」
全てを理解したアンネは、目をキラキラとさせて君子を見つめる。
そしてすぐに、まるで子供の成長を見守る母の様な温かい表情になった。
「キーコ、王子様の為にそんな事まで考えて……」
「何よぉ~、あんただって恋するなんちゃらじゃない」
「ちっ違いますよぉ、ギルはいつも抱っこしてくるから、その時に臭いとか言われたら嫌じゃないですか!」
茶化されて顔を赤くする君子、そんな彼女はいつもと違っていて、どこか微笑ましい。
「うんうんっそうよね~、嫌われたくないわよねぇ~」
「なっ何言ってるんですかぁ! 私はただギルが怒るのが嫌だなって――」
「分るわよ~、自分の服の趣味とかもぜ~んぶ合わせたくなるのよねぇ~」
「ちょっルールアさんまで何言ってるんですかぁ!」
いくら反論しても、アンネとルールアは子供の恋愛を楽しむ母親の様な温かい笑みを浮かべるばかりで、まるで相手にしてくれない。
「もう、二人ともちゃんと話を聞いて下さ~い!」
まるで話を聞いてくれないアンネとルールアに、君子は必死に訴える。
騒がしい三人とは違い、凜華とラナイは緊張した面持ちだった。
『君子ちゃん、すっかり紅の魔人に心許してますよ……』
『これは……我々の想像以上に、あの子には魔人に対する危機感がないようですね』
二人がそんな話をしていると――。
「あ~アンネだ」
「あ~キーコだ」
ユウとランが、君子の元へとやって来た。
二人の後ろにはベアッグがいて、どうやら三人で買い物に来ていたようだ。
「ベアッグさん、夕飯の買い出しですか?」
「おう、聖都は帝都でも手に入らない食材の宝庫だからな、料理人として腕が鳴るぜ!」
ベアッグが持っている買い物かごの中には、新鮮な野菜とフルーツが入っていた。
「なにあれなにあれ~」
「あれなにあれなに~」
露店に興味津々の双子は己の好奇心のままに、突撃してしまう。
ここは数十万人の人々が行きかう聖都、こんなところで迷子にでもなったら大変な事だ。
「うおっ、こら待てユウにラン~~!」
「も~~、こら待ちなさぁい!」
ベアッグ一人ではとても双子を抑えられない、アンネも二人を追いかける。
「おっ! 追いかけっこかぁ~、オレ様もやる~~」
「なっ、ちょっフェルクス! こら待ちなさい!」
フェルクスを一人にしたら、一体何をしでかすかわからない。
明後日の方向に走っていく彼を、ルールアは追いかける。
「あっあははっ……大変だなぁ」
残された君子は、苦笑いを浮かべる。
ヴェルハルガルドの者は誰もいない、この時を待っていたとばかりに、凛華とラナイは動いた。
君子の手を引いてアンネ達から距離を取ると、露店の影に隠れる。
「あの、凛華ちゃんラナイさん、どうしたんですか?」
「貴方に、ずっと謝罪しようと思っていたのです……」
「謝罪って、えっなんでですかラナイさん」
特に思い当たるものがないので、君子はちょっと戸惑っている。
「なっなんでって……、一年前にハルデで」
「一年前……、ハルデ?」
首を傾げてちっとも理解してくれない君子に、ラナイはつい声を張り上げてしまった。
「だから、貴方をハルデに置いて行ったせいで、魔人に連れ去られた事です! それくらいわかりなさぁい!」
「ごっごめんなしゃぁい!」
謝罪をする側のはずが、すっかり立場が上になってしまっている。
大声を上げてからラナイは再び後悔した、言葉を失った彼女に君子は口を開く。
「べっ別にラナイさんが謝る事じゃないです、私弱いし皆について行ってもきっと足手まといになっちゃってましたし、あの時の判断は当然ですよ」
「……キーコ、貴方」
てっきり文句の一つくらい言われるかと思ったが、君子は笑みまで浮かべてそう言ってくれた、心が少しだけ軽くなったような気がする。
凜華は君子の手をしっかりと握り、目をまっすぐ見つめた。
「私達、君子ちゃんを絶対に助けるから!」
「へっ……助ける?」
君子は一体何を言っているのか理解できていないのだが、凜華は言葉を続ける。
「私達もギルベルト=ヴィンツェンツも巡礼者だから、今すぐ君子ちゃんの刻印を消して自由にして上げる事は出来ないの……でも、約束する絶対に刻印を消すから!」
『刻印を消す』、それを聞いて君子は、数ヵ月前の自分がソレを目的にしていた事をようやく思い出した。
「わっ、忘れてたぁ……」
そうだ、ギルベルトに刻印を書かれたばかりの時、君子は確かにそんなことを思った。
刻印を消すには、ギルベルトよりも強くならなくてはいけなくて、いつか頑張って消そうと誓ったのだ。
だが、あの後ギルベルトは刻印の範囲を広げてくれたし、衣食住は面倒見てもらえるなど、不自由が何一つとしてなかったので忘れていた。
(どっ、どどどっどうしよう、わっ私、師匠と約束したのに、刻印を消す事すっかり忘れてたぁ!)
凛華達がこんなに心配してくれているのに、忘れていたなんて最低である。
何とかその事は誤魔化さなければならないと思っていたら、凜華が口を開く。
「もうあんな魔人の傍になんていなくていいの、あんな奴の言いなりにならなくていいの! 私達と一緒に、ハルデに帰ろう!」
「えっ……」
凜華は必ず助けるという誓いを立てるかのように、君子の手を力強く握った。
そこから伝わるぬくもりが、今はなぜか温かいと思えない。
「……えっ、でも、あの」
頭の中が上手く整理できなくて、言葉が発せられない。
君子がおどおどとしていると――、アンネ達が戻って来た。
「キーコ!」
アンネはすぐに君子に近づくと、凜華から引き離す。
そして凜華とラナイを睨みつける。
「キーコに何をしたのよ!」
「何もしてない、ただ話が盛り上がっただけよ」
「……じゃあなんでこんな所で話すのよ、まるで隠れてるみたいじゃない!」
疑うアンネは声を張り上げる、しかし興奮する彼女の手に君子が触れた。
「アンネさん、本当に話が盛り上がっただけなんです」
「キーコ……」
「移動しちゃってごめんなさい、私がこっちに来たいって言ったんです」
「……まっ、まぁキーコが言うなら、そうなんだろうけど」
君子の言葉でアンネはとりあえず納得してくれたようだ。
だが、もう君子を一人にしない様に頬が密着するぐらい近くにいる。
「双子見つかったのね、よかったわこっちも馬鹿の回収終わったから」
ルールアはフェルクスの頭を足の爪でがっちりと掴んで、石畳の上を引きずっていた。
頭から血が出ていたが、たぶんフェルクスなら死なないだろう。
「キーコ、ハルドラの奴らなんて放って、夕食の買い出し行きましょうよ、あっちにねキーコが好きそうなお店があったの!」
「はい……」
君子はアンネに引っ張られるまま、歩き出した。
しかし思考は全く別の事を考えている。
「…………」
ふと、後ろを見ると凜華とラナイがこちらをまっすぐ見つめていた。
その瞳は力強くて、さっき言っていた事が本気だという事をあらわしている。
だからなのか、鼓動が早くなって、背筋がゾワゾワとする。
アンネが色々と話しかけてくれているのだが、聞こえなかった。
今はただ、凜華の言葉が頭の中で何度も再生されていた。
(……ハルデに、帰る)
君子は日本からハルドラにやって来た、だからハルデに帰るというのは当然の事なのかもしれない。
でも、ハルデに帰るという事はつまり――。
(ギルとお別れするって事……?)
ハルデに帰るという事は、マグニを離れる。
マグニを離れてしまったら、もうギルベルトには会えないのだろうか。
せっかくヴィルムやアンネや、双子やベアッグや、ブルスやヨルムンガンドと仲良くなれたのに、お別れをしなければいけない。
(……私、ハルデに帰らなくちゃいけないの?)
海人や凜華に会えたのは嬉しい、でもギルベルト達とお別れするのは悲しい。
君子は平らな胸を抑えた。
これから先の事を考えたら――急に胸が苦しい。
一度湧き出たこの不安は、胸の奥底からどんどん出てくる。
(……ギル)
今はただ、それを押し殺す事しかできなかった。




