第五五話 この国を救う勇者だ!
久しぶりのハルドラ組。
ベルカリュースは万物の創造神が造った世界。
数多の種族が暮らすこの世界には、大きな大陸が一つと島が三つあるだけと言われている。
言われている、というのは実際の所それを確認した者がいないからだ。
広大な海の向こうに、この大陸以外の陸地があるのか、それとも無いのか、本当の意味で知っている者はいない。
そしてその大陸の東部には、人間が支配する強大な国があった。
シャヘラザーン帝国、ベルカリュース史上最も力を持った国であり、もっとも恐れられた国でもある。
しかし、その帝国も一〇〇〇年も昔に滅び、長い内乱の末、三つの国に分かれた。
宗教によって民衆を導く、聖なる国フィーレス。
軍事力によって民衆を守る、罪する国エルゴン。
そして、慈愛の心によって民衆と共に進む、輝きの国ハルドラである。
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ハルドラ・南の国境。
険しい山々が連なる南の国境で、大きな戦闘が繰り広げられていた。
「ぎゃははっ、奪え! 殺せぇ!」
下劣な笑いと共に、ボロを纏った男共が得物を振り回して戦っている。
いや、正確には戦っているのではない、一方的に殺しているのだ。
彼らが襲っているのは、武器さえ持っていないただの商人や村人で、中には歩く事もままならない老人や、女性や幼い子供混じっている。
戦う術がない彼らは、悲鳴を上げながら逃げるしかない。
この男共は、近頃国境付近に現れる野盗で、武器も魔法も使えない弱い人々を襲っては金品を奪っていく。
使い古された剣や斧でも、無抵抗な人々を斬り殺すには十分で、特に脆くて斬りやすい子供なんて、格好の的だった――。
「ひひっ」
野盗の一人が、小さな女の子へと剣を振り上げていた。
恐怖から声を上げる事もままならない女の子は、小刻みに震えている。
最早金品を持っているかなどどうでもいい、ただ子供が眼に入ったから殺す。
殺す事だけが、目的になっていたのだ。
「死ねぇ、餓鬼ぃ!」
そして小さな体へと、その凶刃が振り下ろされる――。
特殊技能、発動。
「アん?」
そんな言葉が聞こえた気がした。
男はふと振り下ろした剣へと眼をやると――女の子がいない。
「なっ、なんだぁ!」
一体どこに行ったのか、あの一瞬で動ける訳がない。
急いで周囲を見渡すと――真後ろに、見慣れない緑のフードを被った子供がいる。
背丈が小さいので、子供だと思ったのだが、フードで顔を隠しているので性別が分からない。
だが、その子供が先ほど殺そうとした女の子を優しく抱きかかえていた。
「なっ、なんだてめぇは!」
子供は女の子を降ろすと、腰のホルスターからナイフを二本取り出し、構える。
野盗達の注目は弱者から、この突然現れた敵へと向かう。
「へっ、やろうってのかぁ! ぶっ殺してや――」
こんな子供なんて一太刀でひねり潰してやる、そう思って男は剣を構える。
のだが――次の瞬間には、フードの子供は眼前にいた。
「――るぅ?」
男は何が起こったのか理解できない。
まだ三下の様な台詞を吐いている途中だったのだから。
しかし次の瞬間には、剣を握っていた右腕をナイフで滅多刺しにされた。
「ぎやああああああああっ!」
悲鳴を上げる男をフードの子供は蹴り飛ばす。
そして彼が倒れるころに、近くにいた別の野盗の後ろにいた。
「いっ――」
その突然の事に、後ろを取られた男が驚き、声を上げる。
そして得物を構える間もなく、足の腱を削がれた。
「うぐああああああっ」
再び上がった仲間の悲鳴に、野盗達はようやくその異常に気が付いた。
誰も、その動きについて行くどころか、見る事も出来ない。
まさに瞬く間、一瞬の出来事なのだ。
「弓だ、弓で射殺せぇ!」
誰かが叫ぶと、弓を持っていた男が矢を構え、狙いを定める。
「死ね、餓鬼ぃ!」
幾ら速くとも、放たれた矢は避けきれまい。
そう思って矢を放ったのだが――次の瞬間には、子供はそこにはいなかった。
「んなっ!」
一体どこに消えたと思った時には、眼の前に突然現れる。
そして、そのスピードを殺さず右足に乗せると――、弓を放った男を蹴った。
吹っ飛ばされて受け身もままならず、地面でバウンドする野盗とは違い、フードの子供は猫の様に身軽に着地する。
しかしその時、顔を隠していたフードがめくれて、薄茶色の髪が露わになった。
「てめぇ……一体なにもんだぁ!」
まるで一陣の風の様なスピードと猫の様な身のこなし、その辺の村人ではない。
怯える様に問うた野盗に、彼は答えた。
「ハルドラ王国軍兵士、ロータス・ペル――」
軍の兵士、と聞いて野盗は焦った。
こんな国境付近に兵士が来るなんて思いもしなかったのだ。
しかし――恐れ戸惑う彼らに、少年兵ロータスは告げる。
「――そして、ハルドラの英雄達だ!」
何を言っているのか理解する暇もなく、空に魔法陣が展開される。
色は、赤い絵の具に橙色を足した様な――そんな感じ。
その魔法陣の向こうに、天馬に乗った黒髪黒目の少女がいた。
見るからに上質な魔法使いのローブを身に纏い、見事な花の彫り物が施された杖を天へと掲げている。
「複合魔法」
そして少女――東堂寺凛華は、術式に魔力を送る。
魔法陣が一段と輝きを増した時、その御業は放たれた。
「『火炎爆裂弾』」
炎の雨が降り注ぐ。
煌々と輝くその炎は、空中で爆弾の様に破裂する。
爆風が野盗達を襲い、山道は一気に爆心地と化す。
「うわあああっ」
「ひいいいっ!」
蜘蛛の子を散らす様に逃げる野盗達。
つい先ほどまで無抵抗の人々を襲っていたというのに、今は全く逆になっている。
「逃げるな、おめぇら!」
ひと際大柄な男が叫んだ。
どうやら野盗のリーダーの様だが、もう彼の言葉を聞く者はいなかった。
「くそう、どいつもこいつもぉ……」
怒りに震えるリーダー。
せっかくの獲物は得体のしれない餓鬼共のせいで、ありつけそうにない。
ここは一旦逃げて、また改めて仕切り直すしかないだろう。
逃亡を決意したリーダーは、爆風によって発生した砂埃に紛れて移動する。
「――だああっ!」
しかし次の瞬間、砂埃の中から剣を振り被る何者かが、襲い掛かって来た。
「うおおっ!」
急いで自らも大剣を構え、その一撃を防いだ。
噛み合う刃と刃、そのあまりの剣圧によって周囲の砂埃が吹き飛ばされた。
「ぐっぐぐっ」
なんと言う一撃、大柄の男でさえも油断すると力負けしそうなくらい強い。
どんな大柄な男と思ったが――剣を振り下ろして来たのは、黒髪黒目の少年だった。
「お前、お尋ね者のゲーティだな」
自分の名を言い当てられて野盗のリーダー、ゲーティは戸惑う。
明らかに、この少年は自分を狙っているのだ。
「ぐっ……邪魔するなぁ!」
ゲーティは腕に渾身の力を込めると、大剣で少年を振り払う。
体格では圧倒的にこちらの方が上、上段から振り被り全身の力と重力を使えば、自分の半分にも満たない少年なんて、ひねり潰せる。
そう考えて、彼は剣を振るったのだが――、その一太刀は浅はかな考えと共に打ち砕かれる。
大剣は根元から折れた。
岩をも砕く頑丈な大剣が、少年の剣によって折られた。
普通では考えられないが――その剣は貴重な白輝鉱の剣。
その辺の剣など、この伝説級の剣にかかれば枯れ枝と同じである。
「あっ……ああ」
驚愕する男の首筋に、白輝鉱の刃が向けられる。
ならず者を率いるほどの力があったゲーティが、こんな少年に負けるなんて――。
「てめぇ……一体なにもんだ」
少年はどこか自信に満ちた顔で、はっきりと答える。
自らの名と、その肩書きを――。
「俺の名は榊原海人、この国を救う勇者だ!」
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「海人~」
天馬に乗っていた凛華が、海人の元へと駆け寄った。
海人はゲーティを縄で縛り、彼の身柄を確保した所だ。
「良かった、作戦成功ね!」
「何が作戦成功だよ、こんな所であんな技使うんじゃねぇ!」
「大丈夫よ、威力は調節したし」
「お前複合魔法使える様になって浮かれてるだろう! もっと考えてやれよぉ!」
「なっ……、それなら海人もそうでしょう! 『俺の名は海人、この国を救う勇者だ!』な~んてドヤ顔で言って、ちょっと自意識過剰じゃないの!」
「なんだとぉこんのぉ~」
「なによぉ!」
火花を散らす海人と凛華を、ロータスはおろおろしながら見ていた。
「あっ……あの、けっ喧嘩は止めた方が」
二人の喧嘩はヒートアップしていて、ロータスの小さな声など届かない。
おろおろと戸惑うロータスの背後から、彼よりもずっと良く通る声がした。
「止めよ」
白いフードを被り、白いローブを着て、地面につくくらい長く黒い前掛けをした少年が、大人びた口調でそう言った。
その冷静な物言いのせいか、海人も凛華もいがみ合いを止めた。
「クロノさん」
「クロノ先生」
「お師匠様!」
彼の名はクロノ、自称ハルドラ一番の魔法使いである。
自ら豪語するだけあって、彼の使う魔法はどれも並みの魔法使いとは次元が違う。
ハルデのあばら家に住んでいる変わり者なのだが、現在は三人の闘い方の師である。
「……どうやら目的は果たした様だな、バルドーナスにはワシから伝えておこう」
此処にいるクロノは本人ではない。
魔法によってつくられた分身、思念体である。
彼はハルデの街から出る事が出来ず、遠出をする時はこうやって分身を使うのだ。
「シャーグさんとラナイさんは?」
「今頃こやつらのねぐらを潰している、コレでしばらく南の国境も静かになろう」
「良かった、もう皆襲われなくて済むのね」
「ひとまずは、安心だな」
海人達は、南の村でシャーグとラナイと合流した。
「野盗を束ねていたゲーティの身柄は軍に引き渡した」
「全く、あんな小汚い男共を捕まえるなんて……ワタクシの仕事ではありませんわ!」
野盗のアジトはよほど汚かったのか、潔癖症のラナイはとてもイライラしていた。
「仕方がないだろう、国王の命令なんだ」
「何が命令なものですか! どうせそこのすまし顔の魔法使いが国王陛下に無理を言ってワタクシ達をこんな所によこしたんです!」
怒り狂うラナイに、魔法使いクロノはやぱりすまし顔で答えた。
「……さて、何の事かな?」
「こんのぉ、フードを剥いでやる~~」
「おっ落ち着けよラナイ!」
このままだと怒りに任せて、何かに化けてしまいそうだ。
シャーグが何とかなだめるのだが、クロノはそんな事無視して続ける。
「そもそもお前は、魔法使いとして世の理を知ろうという探求心が欠如し過ぎだ、そんな事だから凛華の方が先に複合魔法を使える様になったのだぞ」
複合魔法は、その名の通り複数の魔法を合わせる、いわば合体技。
全く違う魔法を一つにするので、より高度な魔法への理解と繊細な魔力コントロールが必要になる。
並みの魔法使いが、その一生を捧げても習得は難しいと言われる高度な魔法を、異世界に来てたった一年の凛華が習得してしまったのだから、ラナイとしては複雑である。
「光魔法さえ使えればいいのです、光魔法こそ至高の魔法なのですから!」
結局この一点張りで、他属性の魔法を使おうとはしない。
本当なら、ラナイには凛華と同等の魔法のセンスがあるというのに、クロノは呆れてため息を付くと、話題を変える。
「ワシはここで消える、お前達はこのままハルデに戻って来い」
今回の目的は、南の国境で暴れている野盗の討伐と、それを束ねるゲーティの捕獲。
事を成した今、これ以上長居をする必要など無い。
「待ってくれクロノさん」
思念体を消そうとしたクロノを引き止めたのは、海人だった。
そして言い辛そうに言葉を続ける。
「……いつまで、こんな事をしてればいいんだ」
そう、海人は野盗を退治する為に強くなったのではない。
魔王を倒してハルドラを救い、攫われたクラスメイトを助け出す為だ。
「あんたの弟子になって一〇ヶ月……もう限界だ」
異世界に来てもうすぐ一年、最初にハルデの街を出た時、西の前線は本当に限界だったという。
それから一年も経ったのだ、前線はいつ崩壊しても可笑しくないはずだ。
この一分一秒の間に、前線が破られて魔王の軍勢が攻めて来る事だってあり得る。
「俺はもうあの時とは違う! 西へ……ヴェルハルガルドへ行かせてくれ!」
海人は頭を下げてクロノへと頼み込む。
それは海人だけの意思ではない、凛華もシャーグもラナイもロータスも、同じ気持ちだ。
「駄目だ、お前達にはまだ早い」
ほとんど即答で、思案する時間も無かった。
彼らの意思は師の言葉によって打ち砕かれる。
「貴方には我々強さが理解できないのですか!」
「……強さ、か」
クロノは杖を五人に向けると、それぞれの強さを見る。
カイト サカキバラ
特殊技能 『光の使徒』 ランク3
職業 勇者
攻撃 A- 耐久 B+ 魔力 D- 魔防 C+ 敏捷 A- 幸運A-
総合技量 A
リンカ トウドウジ
特殊技能 『光の使徒』 ランク3
職種 勇者
攻撃 E+ 耐久 C+ 魔力 A- 魔防 A- 敏捷 B- 幸運 A+
総合技量 A
シャーグ・オルフェイ
特殊技能 『剛力』 ランク3
職業 戦士
攻撃 A 耐久 B+ 魔力 E- 魔防 B- 敏捷 B 幸運 C-
総合技量 B
ラナイ
特殊技能 『鑑定』 ランク3
職業 魔法使い
攻撃 E- 耐久 E- 魔力 A 魔防 B+ 敏捷 E 幸運 B+
総合技量 B
ロータス・ペル
特殊技能 『俊敏』 ランク2
職種 兵士
攻撃 D+ 耐久 D 魔力 B- 魔防 C+ 敏捷 A 幸運 C-
総合技量 C
それぞれ、一段階強くなった。
特に海人と凛華の成長には眼を見張るものがある。
たった一年で、BランクからAランクへとランクアップしたのだ。
ハルドラではBランクで将軍になれるというのに、それよりも強いAランク。
二人はハルドラで最も強いと言っても過言では無かった。
「……どうです、コレだけ強くなれば十分です!」
「お前はほとんど変わっていないだろう、ラナイ」
若者の方が素直で物覚えも良いせいか、年長二人に比べてもステータスの伸びが良い。
しかしシャーグとラナイは、他の三人とは違い豊かな経験がある。
そこがステータスの差をカバーしてくれているのだ。
「お願いですクロノさん、私達をヴェルハルガルドへ行かせて下さい!」
「……言ったはずだぞ、その程度の力量では何の足しにもならないと」
ヴェルハルガルドとハルドラでは、そもそも『強さ』の基準に圧倒的な格差がある。
あの国では、Aランクの技量が無ければ、強者とは呼ばれない。
五人は、ようやくそのスタートラインに立ったに過ぎない。
「でも……、このままじゃ君子ちゃんが」
一〇カ月前、ヴェルハルガルドへと攫われてしまったクラスメイト。
今は生死を知る術も無く、ただ無事である事を祈る事しか出来なかった。
「ヴェルハルガルドでどんな目にあってるか……、最後に会った時だってあんなにボロボロだったし……」
凛華の心は、悔しさと哀しさでいっぱいだった。
クロノはそんな彼女をしばらく見つめたが――。
「……駄目だ、ハルドラから出る事は許さん」
考えを変えなかった。
クロノの言っている事は分かる、十分な力がついていない内にヴェルハルガルドに行った所で、犬死は目に見えている。
それならばもっと強くなり、確実に君子を救出できるようになってからでないと、前回と何も変わらない。
分かってはいるのだが、今はそれが辛い。
早く強くなれない自分に、苛立ちと焦りばかりが募る。
自身の実力を痛感し俯く五人、そんな彼らを見てクロノは少しばかり間を開けてから、口を開いた。
「……そう言えばここから天馬でしばらく行くと盆地があった、そこにはヴェルハルガルドと戦っている軍の本陣があるなぁ」
「えっ……」
そう、ここから北西の方角にしばらく進むと、ヴェルハルガルドとの防衛戦のその司令部があるのだ。
「……もしも勇者が、前線の兵や将軍の元に来たとなれば、魔王と戦う者共にとってはこれ以上ない激励であろうなぁ」
いつもよりも言葉が多いクロノに、海人達は呆気にとられた。
そんな物言いでは、まるでその様にしろと言っている様な物では無いか。
「……クロノ先生、西に行っちゃいけないんじゃなかったでしたっけ?」
「無論だ……、だがワシはハルドラから出るなと言っているだけだぞ?」
どこか意地悪な笑みを浮かべてクロノはそう言った。
つまり意訳すると、一度前線の兵や敵国を見て、彼らの中の苛立ちと焦りとどう向き合うべきなのか、考えて来いという事なのだろう。
「なんだよ、相変わらずわかりにくいなぁクロノさんは!」
「……ただし、ワシの許可なくハルドラから出る事は許さんぞ」
「分かったよ……でも、将軍から助太刀を頼まれたら分かんねぇけどな!」
困っている人を助けるのは勇者の役目だ。
将軍直々の援軍要請ならば、無視は出来ないはずだ。
自信満々に言い放った海人は、怒るのかと思ったが、クロノは小さな声で呟いた。
「……頼まれれば、だがな」
「えっ?」
良く聞こえなかった海人が聞き返したのだが、クロノは五人に背を向け歩き出す。
そして思念体は徐々に薄くなり、光の粒子となって消えて行った。
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ハルドラの司令部は、現在南西にある。
現在、と言うのはヴェルハルガルド軍の動きに合わせて動くからだ。
数年前から始まったヴェルハルガルドとの戦争は、初めは敵軍に攻められて徐々に東に追い詰められていた。
しかし近年、ハルドラ軍は粘り強さを見せて、この一年、前線は動いていない。
南西の砦・ペルシュ。
ペルシュ盆地に造られたこの砦は、元は小さな城だった物を無理やり改築した物だ。
だからどこか継ぎ接ぎだらけの様に思える、武骨な砦である。
「ここが……ハルドラの最前線」
チリシェンからマグニへ入ろうとした時とは明らかに違う。
ここは何処か空気が張り詰めている様に感じた。
「見えるか……、あの山の向こうがヴェルハルガルドだ」
シャーグが指さした小高い山々のその先に、赤茶色の大地が見える。
どうやら向こうは荒野の様だ。
「アレが……ヴェルハルガルド」
一〇ヶ月ぶりに見る敵国の姿に、海人は拳を握る。
あの時の、悔しさと意識の底の方に沈めた怒りが、こみあげて来た。
「……あの向こうが、マグニなの?」
「いいや、あそこはベルダルと呼ばれる地だ」
ベルダルは、マグニと同じくハルドラに国境を接する領地だ。
地理的にはマグニより南にあり、ハルドラとドレファスに国境を接する。
「戦場はマグニじゃなかったんですか?」
「あの時は、マグニ経由でベルダルに行こうとしていたんだ」
一〇ヶ月前てっきり直接魔王の元へ行くのかと思っていたが、シャーグはあえてマグニを通る事によって、魔王軍との接触を少なくしようとしていたのだ。
戦場であるベルダルを突っ切って魔王を倒しに行くのはリスクが高い、安全を考えてマグニを経由して行こうとしていたのだ。
しかし結果として、魔王でもなんでもない魔人ギルベルトに、それは阻まれた。
「……意外と、普通なんですね」
ロータスは辺りを見渡しながら言った。
言われてみると、最前線と言う感じがしない。
もう目と鼻の先に敵軍が迫っているというのに、兵に覇気や危機感が無いのだ。
「なんか、もっと鬼気迫った感じなのかと思っていたんですけど……」
いつもハルドラ軍は劣勢だと聞かされていた分、こんなにのんびりしていると拍子抜けである。
「そう言えばそうだな……、シャーグさん、戦場って遠いのか?」
「いや……そこまで距離は無いはずなんだがなぁ」
詳しい事はシャーグもあまりよく知らない。
軍の全権は将軍にある、優秀な戦士とはいえシャーグには教えられない。
「おい、お前達何者だ!」
砦の前に来ると、見張りの兵士が強い口調で言う。
流石に見張りは覇気がある様で安心した。
「彼らは勇者だ、ハルドラの勇敢な兵達に激励の言葉を申したいとおっしゃられている、将軍にお目通り願いたい」
ハルドラでは、一〇〇〇年前の勇者の話は幼子の時から聞かされている。
しかも一年前に、異世界から勇者が二人も来たという話はハルドラ中の噂になっていて、見張りの兵は海人と凛華を見てとても驚いた様子だった。
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しばらくして、将軍の部屋へと通された。
流石は将軍、内装は武骨な外装とは違い豪華な物で、珍しい毛皮の絨毯や高価な机に椅子などが目立つ。
部屋で待っていたのは四〇代くらいの男だった。
「ようこそ若き勇者殿、私は将軍のシュルペ・ユーレンス」
「どうも、俺は海人です」
「私は凛華です」
手短で最小限の挨拶を交わす。
将軍はどこか鋭い視線で、突然やって来た勇者一行を見ている。
正直、歓迎されていない事を分かるくらいだ。
「それで、伝説の勇者の方々が、我が砦に一体どのような御用でありましょう?」
「俺達、ハルドラ軍を手伝いに来たんだ」
「私達、魔法使いのクロノさんの所で修業して、Aランクになったんです!」
「Aランク……」
ハルドラ最強と言っても過言ではない海人と凛華の実力に、将軍も驚いた様子だ。
これならいける、そう思った二人は必死に訴える。
「将軍の許可があれば、うちの堅物師匠だって納得するんだ」
「お願いします、私達を戦わせて下さい!」
固い決意に真っ直ぐな瞳、この熱意を全てぶつける。
しかし、将軍は首を横に振った。
「なっ……なんで!」
「どうして、理由を教えて下さい!」
納得できない二人は更に詰め寄る、しかし将軍は非常に冷たい態度で、どこか相手にしていない様に感じる。
「勇者とは言え子供に助けを乞うほど、ハルドラ軍は落ちぶれてなどおりませぬ故」
「でっ、でも俺達はAランクに――」
「ランクで図れるほど、戦争という物は甘い物では無い」
シュルペは、甘い子供の考えを吹き飛ばす様に声を張り上げた。
二人には十分な実力がある、それなのに人を見た目でしか判断しないなんて、クロノといい、誰も分かってくれない。
海人がこの苛立ちを将軍へ向けてしまわない様に、どうにか抑え付けていると――。
「うおわぁっ!」
情けない悲鳴が聞こえた。
振り返ると、青い髪を短く切りそろえた男が、将軍の部屋の前ですっ転んでいた。
到底一人では抱えきれないほどの書類を持っていて、どうやらソレのせいでバランスを崩して転倒した様だ。
「あっ……大丈夫ですか」
近くにいたロータスが、書類を拾うのを手伝う。
それを見ていた海人達も、散乱した書類を拾い上げた。
「ああどうもすいません、ありがとうございます」
男は二〇そこそこくらいなのだが、まるで少年の様なあどけない笑みを浮かべるので、それよりもずっと若く見える。
「シュルペ将軍、こちらお仕事ですよ、本日中に全てに眼を通して下さい」
「…………ああ、分かった」
男が書類を机に置くと、シュルペは椅子に腰かけて仕事を始めてしまった。
「ちょっと――」
まだ海人の話は終わっていない。
なんとしてでも、ヴェルハルガルドへ行かなくてはならないのだ。
しかし将軍は海人と話す気は無く、もう眼も合わせようとはしなかった。
「駄目だカイト、将軍は忙しいんだ……出直そう」
「…………くっ」
悔しそうに海人は部屋から出て行った。
挨拶も会釈もなく、将軍の部屋から出て行くなど無礼極まり無かったが、海人にはそんな事をする余裕など無い。
ただ、このイライラをどうにか飲み込む事で精いっぱいだった。
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「海人、ちょっと待ちなさいってば」
凛華は、急いで海人の後を追いかけた。
あんなに失礼な態度を取った事を注意してやろうと思ったのだが、砦の回廊まで来た所で急に立ち止まった。
「……海人」
「畜生……、俺は頑張って強くなったのに、なんでまだ何も出来てねぇんだよ!」
一年前ハルドラにやって来た時、海人は魔王を倒すと約束した。
必ずハルドラを平和にしてみせるとそう言ったのに、一年経った今、まだ何も成し遂げられていない。
「苦しんでる人達がいるのに、辛い目に合ってる人がいるのに、俺はそれを助けてやれてない!」
海人の怒りは、自身へと向けられていた。
何もやれていない自分に対して、海人は怒っているのだ。
その怒りが、彼を焦らせているのだろう。
「……こんなんじゃ、勇者なんて言えねぇよ」
「……海人」
凛華は海人の焦りが痛いほど分かる。
出来る事なら今すぐにでもヴェルハルガルドに乗り込んでいきたいのは、彼女だって同じ気持ちだ。
「あっよかった、追いついた」
間が抜けた声がしたかと思ったら、先ほどの書類を持って来た男がやって来た。
「将軍が酷い事言ったのかい? あの人頑固だからさ、ごめんよ」
「……貴方は?」
「あっごめんごめん、僕は将軍の側近でリュマ・ロッペ……まぁ体の良い雑用だよ」
「私は凛華、こっちは海人、一応勇者なんです」
「勇者……って、あの魔王を倒したっていう! うわーすごい僕、異邦人初めて見るんですよ~握手して下さい!」
とても将軍の側近とは思えないほどフランクで、何だか先ほどまでの怒りが薄れて来た。
このリュマと言う男が、どうしようもなく緊張感が無いからだろう。
「折角だからお話をさせて下さい、ポンテ茶でも入れますから!」
リュマはそう言って、半ば強引に二人をお茶に誘った。
それからなんとなく、リュマに問われるがまま異世界に来た経緯を話した。
友達が攫われた事や、魔人に敗北した事、この一年ずっと修行していた事など。
「勇者は大変なんですね……まだこんなに若いのに」
「大変じゃないって言えばウソになるけど……、でもどちらかって言うと悔しいんだ」
「悔しい?」
「ハルドラの為に、俺は何も出来てない……ゴンゾナの仇も友達の救出も、魔王を倒すのも何一つ出来てないんだ……、何も出来ない自分が、悔しい」
悔しさと怒りで震える海人の拳を、リュマはそっと握った。
「そんなに落ち込まないで下さい勇者様、その気持ちだけでハルドラの民は十分救われていますよ」
「リュマさん……」
「それに、仕事が全然出来ない僕に比べたら、勇者様は素晴らしい方々ですよ」
素直にそう言ってくれたリュマの言葉が、嬉しかった。
自分を責め過ぎていた海人にとって、その言葉は自分を許してくれた様に感じられる。
「そうだ、功績を将軍に示すのはどうでしょう?」
「功績?」
「将軍が勇者様を信用しないのは、皆さんに功績が無いからです」
野盗を倒すのは兵士ならば当然の事。
普通の兵士と同じ事をやっていては、将軍に認められる事は無いだろう。
ならば普通の兵士よりもすごい事をやり遂げ、功績を作らなければならないのだ。
「そっか……実力だけじゃ駄目なのね」
「あっでも、そう簡単に実力を示せる様な事ってないか……」
自分で言っておいて、その具体案を示せなかったので、申し訳なさそうな顔をするリュマ。
しかしそのおぼろげな言葉だけでも、海人には十分だった。
「有難うリュマさん、将軍をぎゃふんと言わせる様な功績を作って来るよ!」
「ぎゃふんって……何か案でもあるの?」
「ねぇけど、まぁ何とかなるだろう!」
海人の無計画さに凛華は呆れるが、良い方向を向いてくれてよかった。
焦りや怒りからはでは良い方向へ行けるはずがない、一旦冷静になって状況をひとつずつ片付けて行かねばならない。
「ここにいたのかカイトにリンカ、捜したぞ」
シャーグとラナイとロータスが合流した。
「勇者様のお仲間の皆さんですね! 初めまして僕リュマって言います」
リュマはそう挨拶をすると、持ち前のフレンドリーさで三人とも握手を交わした。
彼の底なしの明るさに、三人は唖然とする。
「紹介するよ、戦士のシャーグさんに魔法使いのラナイさん、そしてゴンゾナの生き残りのロータスだ!」
「……ゴンゾナの、生き残り」
ロータスの素性を聞いて、リュマはとても驚いた様子だった。
ゴンゾナの一件は、全滅と言う事で伝わっていたので、まさか生き残りがいるなど考えても見なかったのだろう。
「君は……、あのゴンゾナの生き残りなのかい?」
「はっはい……」
「それは、大変だったねぇぇ」
リュマはロータスを抱きしめると、まるで我が身に起きた事かの様に泣き始める。
お人好しと言うか、感化されやすいというか、当人のロータスが若干引くくらい、リュマは泣いている。
「でも、なんでゴンゾナの生き残りの君が、勇者様と一緒にいるんだい?」
「それは……紅の魔人を倒す為、です」
「……紅の、魔人?」
ロータスの言葉に首を傾げるリュマ、補足する様に海人が口を開く。
「ゴンゾナを滅ぼした魔人だ……そして俺達の友達を攫った奴なんだ」
「そうなんですか……紅の魔人が……」
「ああ、紅の魔人は通称で、名前はギルベルト=ヴィンツェンツ」
海人はその名前を、ひと際憎々しく言った。
魔王と同じく、倒さなければならない魔人、絶対に倒すと誓った魔人。
今でもあの黒い双角を持った魔人の顔を、詳細に思い出せる。
「……あの捨て子が、どうしてゴンゾナを」
「それは分からない……でも、きっと大した事ない理由で皆を殺したんだ」
ゴンゾナの事を聞いてリュマはとても驚いた様子で、言葉も出ない。
「……リュマさん?」
「あっ……いえ、まさかゴンゾナがそうやって滅んでいたなんて……なるほど」
何か納得したようにつぶやくリュマ、ひとしきり考えると海人達へと向き直る。
「貴重な情報をありがとうございます、おかげで助かりました」
一体どんな役に立つのかは分からないが、リュマが助かったのなら良かった。
「いや、こっちこそ助かったよリュマさん、まずは功績を作る所からやってみるよ!」
「ええ、将軍がぐうの音も出せないほどの功績を作ったら、またお会いしましょう」
海人は、リュマと再会の約束の変わりに握手を交わす。
そして大きな決意を持って、ハルデへの帰路へ着いた。
ハルデ城内。
ハルドラの国王、バルドーナスはある物を見つめて唸っていた。
掌に納まるくらいの金の円盤に、十字架を模した彫刻が施され、誰が見ても美しいと言ってしまいそうな代物。
しかし、バルドーナスは非常に困った表情をしている。
「……参った、よりによってこんな時にコレが来るとは」
彼の警護をしている、隊長のマルドルと副官のピートは、なぜ彼がそんなに困っているのか理由が分からない。
「(隊長、アレなんなんですか?)」
「(分からない、だが陛下がアレほど悩むのだから、なにかとんでもない物ではないのか?)」
皆目見当もつかない二人。
しかしそんな彼らに、答えを教えたのは、かの賢人であった。
「聖都巡礼、たしか今年であったな」
いつの間にか、部屋にクロノがいた。
ドアは閉まったままで、一体どこから入って来たのか、ここまで来ると気味が悪い。
「魔法使いクロノ……さん、ここは王の執務室だ、勝手に入るな……入らないで下さい!」
子供の外見とはいえ、かなり強い魔法使いであるクロノに対して、ピートはどう接していいのか分からない様子だ。
ピートの言葉を無視して、クロノは杖をつきながらバルドーナスに近寄る。
「聖章、聖都から送られる巡礼者の証……、一〇年に一度の祭りの、始まりを意味しているなぁ、バルドーナス」
彼の態度は不敬であるが、それを容認するしかないほど優秀な魔法使いなのだ。
「しかも今年は一〇〇〇年に一度の『大礼聖祭』、ハルドラになって初めての祭の巡礼に行かぬというのは、色々とまずいのではないか?」
ベルカリュースの南には、聖地と呼ばれる場所がある。
コレは万物の創造神を祭る場所で、この世界で最も清浄なる場所。
この世に住まういかなる種族も、一度はそこへ行って神に祈りを捧げたいと思っている。
聖都は限られた者の出入りしか許されない場所、通常一般人は入れない。
しかし一〇年に一度の聖祭の一月の間は、特別に参拝が認められている。
その時にベルカリュースのありとあらゆる所から、沢山の人々が押し寄せるのだ。
彼らの事を『巡礼者』と呼び、広大なベルカリュースの大陸を横断する旅人であり、一種の尊敬の念を集めるのだ。
「一〇年に一度の聖祭の際には、ベルカリュース中の民がやって来て、それはもう大規模な祭りとなる訳だが……今年はその一〇年に一度が一〇〇回目の節目の年、一〇〇〇年に一度の『超ド級』の大規模な祀りになる訳だ」
一〇〇〇年に一度のこの祭りは、『大礼聖祭』と呼ばれ、特別な儀式や祈祷なども行われて、賢人が『超ド級』などと言ってしまうくらいの人々がやって来る。
「神様に参拝する事に、一体どんな問題があるのですか? それくらいなら自分にもできます!」
ピートが自信満々にそう言ったのだが、クロノの視線は冷ややかだった。
「聖都の場所を知らぬのか? かの獣人国家ドレファスの更に南、一週間の航海の先にある島だぞ?」
「どっ……ドレファスの?」
「そうだ、しかも海には帆船を丸のみにするほどの海魔も出るという……、そんな危険な旅を『巡礼者』は越えなければならないのだ」
海魔とは海に出る妖獣の総称である。
内陸にあるハルドラではあまりなじみは無いが、沿岸部では恐れられている存在だ。
「そっ……そんな危険な場所に行くというのは、きっ危険ですよ、やっやめましょう」
声が震えるているピートに、クロノは更に追い討ちをかける。
「しかし、万物の創造神を祀る聖都の節目の祭り、一個人が行かないというのは些細な事だが、国家の代表が行かぬというのは、それはつまりこの世界の創造神への侮辱、不敬、反逆に値し、世界各国と『神』から見捨てられるかもしれぬな」
「そっそんなぁ!」
「それでピート、お前はそんな危険で重要な旅に行ってくれるのだなぁ?」
大口をたたいた事を後悔するピートを、クロノは面白そうに見つめる。
バルドーナスはため息を付く。
もし危険だからと言う理由で、『巡礼者』を向かわせないとなるとハルドラは非難される事になる。
非難されるのは嫌だが、危険な旅を乗り越えられる者はこのハルドラにはいない。
最良の選択が思いつかず、胃を締め付けられる様な思いだ。
「……魔法使いクロノ、貴方は先ほどからこの状況を楽しんでいる様に思えるが、何か妙案があってそう言う事を言っているのか?」
何か良い案があるならば、そう言う態度でも大目に見るが、何もないならばそのほか様々な不敬もセットにして、国王の権限でハルデからつまみ出すつもりだ。
しかし、賢人は人を小馬鹿にする様な笑みを浮かべる。
「なに、わざわざ敵国へ行って敵将を討ち取ると豪語する者共がいるではないか、そ奴らにやらせればいいだけの話」
ハルドラでそんな事を言える実力があるのは、たった二人しかいない。
「なっ……カイトもリンカにやれと言うのか、あの二人は魔王を倒す為の勇者なのだぞ」
「……ならその成就の為にも、二人に祈願してもらいに行けばよいではないか」
確かに彼らならあるいは可能かもしれない。
Aランクならば、ドレファスを超えて海魔の出る海を渡り、無事に戻って来る事が出来るかもしれない。
「……なら一応話してみよう、だが二人が了承した場合だけだぞ」
あくまでも自主性に任せる事にする。
バルドーナスは、海人達を呼び寄せる様に言うのだが、ちょうど彼らが帰って来た。
「話があるんだ国王様」
「突然すいません、でもどうしても話を聞いて下さい」
部屋に入って来るなり、真剣な表情でこちらを見つめる海人と凛華。
その眩い視線に押されながら、バルドーナスは要件を言う。
「いっいや、ちょうど私も話があったのだ……」
二人は自分達の話よりも、国王である彼の話を優先して話始めるのを待っている。
しかし本当にこんなお願いをしていいのか迷っているバルドーナスは、なかなか言い出す事が出来ない。
だから代わりに、意地悪な笑みを浮かべる賢人が口を開く。
もちろん、その話に二人が飛びついた事は、言うまでも無い事であった。
「海人に凛華、どうだ一つ『功績』を作る気はないか?」




