第五二話 今日も楽しい一日
何気ない日常のお話。
君子が異世界にやって来て、一〇ヶ月が過ぎようとしている。
春も終わり、自然は夏の支度を始めていた。
「む……むむぅっ!」
君子は真剣な面持ちで、両手を合わせていた。
いつになく真面目な彼女は、深呼吸をすると手に全神経を集中させる。
すると淡く光る靄――魔力が放出されて、バチバチと電流を帯びた。
「むっうううううううっ!」
頭のイメージをより鮮明に、より強くする。
電流が一段と輝きを増し、魔力は新たな形へと成形された。
それは、一足のサンダルであった。
鳥の翼のマークがついた、ビーチサンダルの底の部分だけの物が一足。
一見不完全だが――。
「やっ……やったああ! でっ出来たぁ!」
君子はそれを見て一人大喜びした。
そう、ただのガラクタの様に見えるのだが、コレで完成形なのだ。
「うひぁ~~、試行錯誤を重ねてどうにか完成したよ、見て見てスラり~ん」
この喜びを誰かと分かち合いたいのだが、残念な事にスラりんはぷにぷにボディを震わせるだけで、返事をしてくれない。
君子が誰かにコレを見せようとしていると――、アンネがやって来た。
「キーコ、お茶の時間だけど……って何やってるの?」
「ふぁっ、ちょうどよかった! 見て下さいよアンネさん、やっと完成したんですよぉ!」
興奮冷めやらない君子は、出来上がったビーサンの底を見せるのだが、それはアンネにも良く分からない。
「えっと……コレなに、キーコが造ったの?」
「はいっ! 私の人生においての最高傑作のひとつですよぉ!」
満足気に満面の笑みを浮かべながらそう言うのだが、アンネにはコレが一体なんなのかも、何に使うのかも分からなかった。
「……それでキーコ、コレどうやって使うの?」
「えへへっ、実はですね――」
************************************************************
「空を飛べるサンダル?」
ギルベルトの部屋で食後のお茶をたしなみながら、君子は自身の最高傑作を見せる。
「はい、ペルセウスの空飛ぶサンダル、タラリアですよ!」
ペルセウス。
ギリシャ神話の最高神であるゼウスの子供で、半神半人の英雄。
怪物メデューサを退治し、最終的に一国の王となった男だ。
彼がメデューサを倒した時に使った、神の道具の一つが、このサンダルである。
ヘルメスから賜ったこのサンダルは、空を翔る事が出来、彼はコレを使い天空を自由自在に駆け抜けたという。
「サンダル……にしては随分使いにくいのですが?」
「サンダルだと使い勝手が悪いので、コレを踏むと靴にくっついてそのまま飛んで行けるように魔改造したんです」
いちいち靴からサンダルに履き替えるのが面倒だと思った君子は、靴を履いたまま使える様にタラリアを改造した。
これならば靴を履いたまま、空を飛ぶ事が出来る。
「……なら、初めから空を飛べる靴を作ればいいのでは?」
「うぎょっ! そっそれだとタラリアの良さが無くなっちゃうじゃないですかぁ~」
既にヘルメスのサンダルが、ビーサンの様な外見になっているだけで、良さもへったくれも無いのだが、コレが君子のこだわりである為仕方がない。
「でも、よく空飛ぶサンダルなんて作れたわね……魔力少ないのに」
「えへへっ、実は特殊技能が変わってから気が付いた事があるんです!」
この数ヶ月、特殊技能が進化してから研究して分かった事があった。
「私の特殊技能は、物に『設定』を加える事が出来るんですよ!」
「設定?」
「そうです、例えばこのタラリアは、元々神様の道具なんで、普通に造ると魔力量が足りなくて私は魔力切れを起こしてしまうんですけど、ここに『魔力を込めないと飛べない設定』を付属すると、少ない魔力でも作れるようになるんです!」
実際のタラリアは、履いただけで空を飛べる代物だが、それを作るには君子の魔力が足りなかった。
しかし、魔力を込めないと使えないという限定した機能にする事で、あえて道具のランクを下げ、君子の少ない魔力でも作れるようになったのだ。
「なるほど、使用者の負担を増やす代わりに、製作者の負担を減らす訳ですね」
「結果的に、そう言う感じになっちゃいました……」
魔力など使わせたくないが、君子の魔力は限られているので仕方がない。
「それで……コレはどうやって使うのですか?」
「えっ……あっ、魔力を込めると飛べる様になってて、魔力の出力で速さを調節できるようにはした……つもりです」
「つもり? まだ試してないのですか?」
「何度も造っている内に魔力がすっからかんになっちゃって……」
試行錯誤の末どうにか一足完成したので、君子の魔力残量はわずかだ。
これ以上やると魔力切れを起こす自信があるので、回復するまで試せない。
「空飛べるのかぁ、キーコ?」
「えっ……うん、そうだよ」
意外にもギルベルトが興味を示して来た。
ヴィルムからタラリアを受け取ると、物は試しと踏んで靴にくっつける。
「ンじゃ、試してみっか」
「えっ……いっいいのギル!」
正直、魔力量がEの君子よりも、Bのギルベルトの方が試運転に向いていた。
しかもワイバーンを使わずに空を飛べるというのはかなり魅力的で、ギルベルトだけではなくヴィルムもアンネも興味津々だった。
四人はベランダへと出ると、試運転を開始する。
「タラリアに魔力を込めれば宙に浮くから……たぶん」
「お気を付けくださいギルベルト様」
「頑張ってください王子様!」
最高の出来とはいえ、まだ試作の段階。
不良があるかもしれないし、事故だって起こるかもしれない。
君子が不安そうに見つめていると――ギルベルトはタラリアに魔力を込める。
すると、まるでガラス細工の様に透明な羽根がタラリアから生えて、ゆっくりと上昇を始めた。
「……やったぁ、成功した!」
無事に浮遊した事を喜ぶ君子、しかし彼女以上に喜んでいたのはギルベルトの方だった。
「いやっほおおおおおっ!」
更に魔力を込めると、君子の言う通りタラリアはスピードが増しより高く舞い上がる。
空中でアクロバティックな動きをする彼を、三人は見上げていた。
「うっ……うわぁ、すごい使いこなしてる」
「……空中飛行の魔法は難しく、一部の魔法使いにしか使えませんから、ああやって魔力を込めるだけで空を飛べるというのは、確かに良いですね」
空中を飛ぶ魔法は存在するが、術式が複雑で習得するにはセンスと努力が必要になる。
それに比べてタラリアは、魔力を込めるという簡単な動作で扱う事が出来るので、格段にこちらの方がお手軽である。
「アレは、君子の世界の道具なのですか?」
「いっいや……私の世界の道具って訳じゃないんですけど……」
「他には何かないのですか?」
ヴィルムにしては珍しく、興味津々の様子だ。
といっても、コレは君子のごくわずかな魔力をどうにかやりくりして作り上げる一品、そう簡単に量産は出来ない。
「あっ……コレはどうですか?」
そう言って君子は自分がかけていた眼鏡を指さす。
「その眼鏡が……なにか?」
「ただの伊達メガネをかけているのもなんかなぁ~って思って、ちょっとした改造を……」
アルバートに視力を治して貰ったので、裸眼で生活できるが伊達メガネをしていた、しかしちょっともったいないので――。
「このつるの先っぽを触ると」
ヴィルム=ヘルマン・フレイ
特殊技能 『思案者』 ランク4
総合技量 A
「戦闘力……たったの5か、ゴミめ……!」
「……何を言っているんですか、貴方は?」
某国民的少年漫画の台詞は異世界では通じない様だ。
そんな冗談はさて置いておいて、君子はこの眼鏡の説明を始める。
「コレ、相手のステータスを見る事が出来るんです」
ラナイやヴィルムの様にステータスが見られる道具を開発しようと思い、折角なら伊達メガネを改造した方が良いと思い、スカウター眼鏡を開発したのだった。
「魔力を込めると、もうちょっと詳しく見れます」
そう言って眼鏡に魔力を込める。
ヴィルム=ヘルマン・フレイ
特殊技能 『思案者』 ランク4
職種 軍人
攻撃 A- 耐久 B 魔力 B+ 魔防 B- 敏捷 A- 幸運 B-
総合技量 A
「こんな感じです」
「…………なるほど」
ヴィルムは納得すると、右手を向ける。
「妨害魔法『阻害』」
すると煤色の魔法陣が展開されるのだが、特に何も起きずに消えて行った。
「……もう一度、私のステータスを見て貰っていいですか?」
「えっ……はい」
良く分からないが、君子は言われた通りにヴィルムのステータスを見る。
しかし――。
???
特殊技能 ???
職業 ??
攻撃 ? 耐久 ? 魔力 ? 魔防 ? 敏捷 ? 幸運 ?
総合技量 ?
「あっアレ……、みっ見れない」
「妨害魔法で、私のステータスを見られなくしました……どうやらその眼鏡では妨害魔法で隠されたステータスは見られないようですね」
ステータスを隠すのは、素性を隠したい者やあえて敵を騙したりする為の事が多い。
見破る事が出来るのは、優秀な魔法使いだけである。
「コレを見破る事が出来ると、その眼鏡は伝説級のアイテムになるのですがね」
「……れっ伝説級?」
「武器や防具など、道具の希少性や利便性などに基づいて算出されたランクですよ」
ベルカリュースでは、武具やアイテムなどをランク付けしている。
下から、下級、上級、御伽話級、伝承級、伝説級、神話級、世界級。
上に行けば行くほど、稀少で強い武器と言う事になる。
「その眼鏡は、御伽話級と行った所でしょうか、アンネの武器は上級か御伽噺級でしょうか)」
「そうなんですか……、じゃあタラリアはどうなんですか?」
「伝承級でしょうね、アレで魔力を使わずに空を飛べるならば、神話級の域に達しますね」
「そっ……それは無理ですね、私の魔力じゃ足りないです」
魔力を使って飛べるタラリアが関の山である。
本来なら神話のアイテムだが、ここは伝承級で手を打つしかない。
そんな話をしていると、空中飛行を楽しんだギルベルトがベランダへと戻って来た。
「キーコぉ、これめっちゃくちゃおもしれーな!」
「えへへっ、ギルが楽しそうで良かったよ……」
「コレ、もっとつくれねーのか?」
「えっ……タラリアを?」
「おう、他にもなんかおもしれーもンとか、つくれねーのか?」
追加発注など、一体どれほど気に入ったのだろうか。
それを聞いていたヴィルムが、口を挟む。
「……、そのサンダルをいくつか造れますか?」
「えっ……まぁ時間を貰えれば出来ますけど」
「なら、その眼鏡と一緒にいくつか作って下さい、もちろんタダとは言いません」
別にお金は良いのだが、空飛ぶサンダルを一体何に使うのだろう。
(ヴィルムさんも飛んで遊びたいのかな?)
クールイケメンな彼が空を飛んではしゃいでいる所など想像出来ないが、頼まれ事をされるのは嬉しい。
元々こうやって何かを製作するのは好きな性質なので、すごく楽しかった。
「でもキーコは本当に色々造るわよね~、この間キーコが造ってくれた海綿なんて、今までどうやっても落ちなかった水垢があっという間に落ちたんですよ」
「ああ、スゴ落ち君ですね」
どうやらドイツ生まれのメラミンスポンジは、異世界でも大人気らしい。
他にも漂白剤とかカビを落とすスプレーとかは、アンネに大変喜ばれた。
「……異世界と言うのは、それなりに文明が進んでいるのですね、破廉恥ですけど」
「破廉恥じゃないですってばぁ!」
中世のヨーロッパ程度の技術しかないベルカリュースに比べれば、雲泥の差だろう。
「……あ、誰か来たみたいよ」
アンネが庭を見下ろすと、荷馬車がこちらに向かってやって来た。
そう言えば今日は――。
「あっ、今日はメヌレ村からエイリさんが来るんでした!」
月に一回メヌレ村から特産品が届く、今日はその日だ。
いつもは村人が来るのだが、今日は珍しく村長代理であるエイリだった。
「珍しいですね……」
「はいっ、今日はエイリさんにお料理を教えて貰う約束をしてたんです!」
タラリアを造ったというのに、今度は料理をするなんて、一体どれだけ製作を気が済むのだろうか。
「あっちょっとキーコ!」
いつになく素早い君子を、アンネが追いかける。
まるで嵐の様な騒がしさに、ヴィルムは呆気に取られていた。
************************************************************
台所には、メヌレ村の春の特産品が山の様に積まれていた。
タケノコ、さやえんどう、ソラマメ、ニンジン、シイタケなどなど、春の味覚が満載だ。
「それからこちらが調味料です、鶏はいつも通り外に置いてあります」
「いつもありがとうございますエイリさん、こんなに沢山大変ですよね」
「いえ、私共の野菜を王子殿下に食べて頂けるのならば、この様な喜び他にありません」
マグニというど田舎の、メヌレ村という秘境に近い場所の特産など、本来ならば王族の口に入る訳がないのだ。
王族御用達は大変名誉な事、その為ならばこれくらいどうという事は無い。
「実は、一つご報告がありまして……」
「へぇっ、何ですか?」
「……この度、村の名前を変えようという話になったのです」
「メヌレ村じゃ無くなるって事ですか?」
日本ならば市町村の合併で、名前が変わる事などざらにある話だが、マグニでは珍しい。
「メヌレ村改め、ヤマト村と名乗る事にしました」
「えっ……それって」
「あの村はヤマトのおかげで飢えに苦しまなくなり、豊かにもなりました、彼が亡くなった今、少しでも後世に彼の事を伝える為にも、村の名前にしたらどうかと思いまして……」
ヤマトと言うのは、君子よりも八〇年も前に異世界にやって来た、異邦人の先輩である。
去年の秋に享年百歳で亡くなってしまったが、彼がメヌレ村にもたらした物は大きく、その中にはベルカリュースの農法をひっくり返すほど、画期的な物があるほどだ。
「良いですね……すっごくいいですよヤマト村!」
元々『大和』と言うのは地名である訳で、全く不自然な名前ではない。
それにとても日本的で、親しみも感じる。
「キーコ様がそうおっしゃって下さって良かった、異世界的に可笑しかったらどうしようかと思いました」
「可笑しいなんて、むしろ大賛成ですよ」
ヤマトの名が村に刻まれるのは喜ばしい。
君子が賛成してくれたので、エイリはとても嬉しそうに微笑んだ。
「そう言えば、例の物をお持ちしましたよ」
「やった、ありがとうございますエイリさん!」
エイリは木箱をテーブルの上に置くと、中から麻袋を取り出した。
それを興味深そうにベアッグが見つめている。
「それはなんだ?」
「小豆ですよ」
赤くて小さな豆はヴェルハルガルドでは珍しいのか、ベアッグやユウとラン、アンネも物珍しそうに見つめている。
「随分小さい豆なんだな……コレをどうするんだ?」
「甘く煮るんですよ」
「甘くぅ!」
以前村で食べたあんこがとても美味しかったので、是非自分でも作ってみたいと思いエイリに相談したのである。
「豆を甘くするのか……?」
「そうです、私の国だとポピュラー食べ物ですよ」
「そう言えば……前にオモチを食べた時、アンコっていうの食べたわね」
「オモチおいし~」
「アンコおいし~」
「ぐああああああっ、なんで俺だけ食べれてねぇんだああああ」
「べっベアッグさん……」
異世界の珍しい食材を使った日本料理は、ベアッグの料理人魂をくすぐるらしく、以前村に行けなかった事をとても後悔していた。
「まぁまぁ、一緒にあんこ作りましょう、ねっねっ?」
「うん……作る」
グリズリーの獣人であるベアッグをなだめるのは、さながら動物園の飼育員の様だ。
とりあえず、小豆の調理を始める。
「まず、小豆を水に浸します」
ボウルに小豆を移すと、多めの水に浸けて浮いて来たゴミを取り除く。
「一晩浸けるんですか?」
「いいえ、大体一五分くらいで大丈夫ですよ」
「そんなちょっとでいいんですかぁ!」
一口にアンコの作り方といっても、色々やり方がある。
その間にエイリは竈に火を入れて、鍋の準備を始めた。
「次は鍋で煮ます、小豆を戻した水は捨てて、鍋に小豆を移したら大体小豆が水を被るくらい入れて中火にかけます、水が減って来たら差し水をします」
「コレ、どれくらいまで煮るんだ?」
「小豆の皮のしわが、ピンと張るくらいです」
更にざるを用意すると、エイリは小豆を引き上げて、水洗いをする。
真っ白な湯気が、もくもくと天井まで立ち上った。
「ゆげゆげ~」
「もくもく~」
「熱いから触っちゃ駄目よ!」
高温の湯気を掴もうとする双子をアンネが抑える。
小豆の香りが台所へと充満した。
「更にもう一度茹でて、水洗いをします」
「もう一回やるんですか!」
「そうすると、あっさりとした美味しいあんこになるんです」
美味しい物は手間がかかるんだなぁと思っていると、二度目の茹でこぼしが終わった。
「ここから更に、水を加えて弱火で煮ながら、アクを取ります」
「はぁ~、こりゃあ手間がかかるなぁ!」
「ええ、煮汁が少なくなったら途中で水を足して、豆が柔らかくなるまで煮ます」
エイリは、お玉で丁寧にアクを取って行く。
しばらく経った後、豆を一つ指で潰して固さを確認すると、君子達に一つずつ豆を渡す。
「大体これくらいでしょうか」
「へぇ、随分柔らかくなったなぁ……」
「ぜーんぜんあまくな~い」
「ぜんぜーんあまくな~い」
「ホント……、コレ本当にアンコになるの?」
「小豆自体は甘くはありません、これから砂糖を入れて甘くするんですよ」
「わざわざ甘くない豆を甘く味付けするんだなぁ……、しかもこんなに手間をかけて」
ヴェルハルガルドでは豆をデザートに使う習慣は無いので、わざわざ甘くない小豆を甘く煮付ける事がとても新鮮なのだろう。
「結構、柔らかく煮るんですね」
「ええ、お砂糖を入れると柔らかくならなくなるので、これくらい煮た方が良いんです」
「そうなんですね! 勉強になるなぁ……」
君子もメモを取って、必死に造り方を学んでいた。
エイリはザルとさらしを用意すると、小豆を漉す。
「絞って水気を切ります……、更に木べらで押し当てて絞ります」
「結構絞るんですね」
「ええ、水気を絞らないと、べちゃべちゃなアンコになってしまうので」
そして鍋に戻すと、砂糖を加えてまんべんなく練り混ぜる。
水気が飛び、ほんのり水気が緩くなったら、火からおろす。
「はい、コレで出来上がりです」
エイリはスプーンでアンコを掬うと、皆に味見をさせる。
優しい甘さが全くくどくなく、幾らでも食べられる美味しいアンコだった。
「ん~~、やっぱりエイリさんのアンコは美味しいですねぇ~」
「小豆が良いからですよ、村でこだわって栽培した物ですから」
「コレ売れますよ、すっごく美味しいですもん!」
「でも、コレは日持ちしないんです、氷室に入れて四・五日持つかどうかで」
村からどこかへ売りに行こうとしても、その前に腐ってしまうので売れない。
マグニという片田舎であるから仕方がないのだが、それでもどこか勿体無いと思う。
「んっ、甘くて美味しいわね!」
「アンコ、あま~い」
「うま~い、アンコ」
以前お餅を食べた三人は、相変わらず美味しいアンコの味に舌鼓を打つ。
だが、それ以上に衝撃を受けていたのは――。
「なっ……なんだコレはああああああああっ!」
料理人ベアッグである。
眼を見開き驚いているのだが、その姿はさながら野生を取り戻した熊その物。
「砂糖で味を付けた豆をペーストにするのか! しかもあっさりしてて幾らでも食える!」
アンコに魅了されたベアッグは、味見する手が止まらない。
(……蜂蜜食べてる熊みたい)
君子はその愛らしい光景を、ほほえましい顔で見ていた。
「キーコ、コレはどうやって食べるんだ!」
「へっ……あっ、そうですねぇそのまま何かにトッピングしたり、何かに挟んだりします」
「後は、お湯で溶かしてお餅を入れたり、白玉を入れたりもしますね」
「うおおっ、料理人の創作意欲が掻き立てられる!」
新たな食材を得ると、それで何かを作って見たくなるのが、料理人の性。
ベアッグはアンコを使った料理の案を練る。
「そうそう、キーコ様がご所望だった物を持ってまいりましたよ」
「えっ、本当ですか、ありがとうございますエイリさん!」
エイリは一升瓶に入った謎の液体を手渡した。
「それは、何?」
「えへへっ、コレは『にがり』ですよ!」
にがりとは、海水から作られる塩化マグネシウムである。
海水から塩を造る際に出来る食品添加物の一種で、猛烈に苦い。
主に凝固剤として用いられる。
「コレで、豆乳から豆腐を作るんです!」
異世界に来てから、君子は豆腐が全く食べられなかった。
エイリに相談した所、大和が残してくれたレシピにそれらしきものがあり、彼が存命だった時に何度か造った事があったらしく、その時の記憶を掘り起こしてにがりを作ってくれたのだ。
「ヴェルハルガルドには海がありませんので、塩湖で生成しました……何分湖まで距離がありますので、時間がかかってしまって」
「いえいえ、むしろお手数かけて申し訳ありません」
「一応、ヤマトのメモを持ってきました」
和紙を束ねて造った帳簿をエイリは君子に手渡した。
コレは大和が、レシピや農業の方法などを書き溜めた物で、村人たちにとっては宝の地図と同じぐらい尊い物だ。
しかし――コレは全て日本語で書かれている為、誰も解読できずに困っていたのだ。
「じゃあ、私がコレを解読してエイリさん達に教えればいいんですね」
「そうしていただけるとありがたいです……、ヤマトは様々な事を教えてくれましたが、やはり全てを習った訳ではないので、このメモに少しでも役立つ事があればいいのですが」
「任せて下さい、いつもお世話になってるんですから、翻訳くらい簡単に――ぎょぼっ!」
帳簿を開いて、君子は驚愕した。
全て草書体で書かれていて、正直何が何だか全く意味が分からない。
「たっ……達筆すぎる」
「へぇ~コレがキーコの世界の文字なのね」
「ヘンなモジ~」
「モジがヘン~」
「いっいや……わっ私のいた時代の文字じゃないかなぁ、コレ」
こんな事なら国語の授業をしっかりと受けておくんだった。
よく考えると大和はとても頭のいい人だった、草書体の一つや二つ扱えるだろう、君子とは基礎の学力が違うのである。
「大丈夫ですか……キーコ様?」
「がっ頑張ります……、私だってお豆腐の為ならこれくらいぃ……」
このメモには、様々なレシピも乗っているのだ。
和食ライフの為だったら、草書体の解読くらいやって見せよう。
「待ってろよぉぉぉ、私の和食ライフぅぅぅ!」
「……キーコ、燃えてるわね」
「キーコ、もえてる」
「もえてる、キーコ」
食欲の亡者となった君子を、皆唖然として見つめていた。
************************************************************
ヴィルムは、ギルベルトの部屋で書類に眼を通していた。
彼は本来自分の部屋でこういった仕事をしたいのだが、ヴィルムが離れるとギルベルトが何をするか分からないので、こうやって主であるギルベルトの部屋で仕事をするしかないのである。
「……よし」
そろそろ来年の予算についての書類を出さなければならない時期だ。
ヴェルハルガルドでは、それぞれの領地の領主が、予算の内訳を書いた書類を提出して、管轄の機関がそれを吟味し許可を出し、予算がおりるという仕組みだ。
(去年までは、当たり前の様にギルベルト様が破壊活動をしていたので、予算が無駄にかかりましたが……来年は例年の半分以下で行けそうですね)
毎年修繕費のせいで莫大な予算を請求し、毎年その予算を超えて赤字になるというのを繰り返していた。
そのせいで、ギルベルトの兄であり役人のロベルトは毎年胃に穴を空けていたのだ。
(今年は、ロベルト様に胃薬を送らなくて良さそうだな)
毎年この時期に激ヤセする彼を見るのは忍びなかった。
ヴィルムが書類を片付けていると、ふとソファに立てかけてあったグラムが眼に入った。
思えば、コレも君子が造った物だ。
「…………」
ヴィルムはグラムを手に取ると、鞘から引き抜いて眺める。
銀の柄に漆黒の刃、更に異国の文字らしい赤い彫り物、その全てが見事で、剣ではなく芸術品を扱っている様な気分になる。
(……この剣で戦うのを何度も見た事があるが、折れる所か刃こぼれした所を見た事もないな)
今までギルベルトの馬鹿力に耐えられる剣は無く、何本も剣を破損して来た。
それなのにグラムは刃こぼれもせず、ギルベルトの愛刀であり続けている。
恐ろしく頑丈な剣なのだろうと思うのだが――同時にある疑問がわく。
(……この見事な剣を、果たしてあの魔力量で造れるものなのだろうか?)
初めて会った時から疑問に思っていた事だが、君子の魔力量でこれほど頑丈で強い剣を造れるとは到底思えない。
君子の言っていた、設定を付属したとしても、コレはあまりにも素晴らしい剣だ。
(……神話級に匹敵しても可笑しくない剣、しかもキーコはコレを『複製』の特殊技能の時に造っていた……、明らかに可笑しい)
元々『複製』は、稀少すぎてデータ無い為、ヴィルムも詳しく知らない。
まだ謎に包まれた部分がある事は重々承知だが、それにしたって可笑しかった。
(……だが、この剣だけではない、あの眼鏡もあのサンダルも、全て使える)
戦いの素人だったアンネが、兵士レベルで戦える様になったのは彼女が造ったジャマダハルによるものだ。
武器もアイテムも、全てベルカリュースには存在しない物。
この世界に存在せず、強い武器に、役に立つアイテム。
コレは全て――戦に使える。
(ギルベルト様のエルゴン侵攻に、キーコが造ったアイテムは全て役に立つ……)
初めはただの異邦人の娘かと思ったが、君子の特殊技能は使い方によって様々な国家が喉から手が出るほど欲しくなるものかもしれない。
この能力がもし、他の国の手に渡っていたらと考えると恐ろしい。
「ヴィルム、何やってンだおめぇ」
寝室で昼寝をしていたギルベルトが戻って来た。
ヴィルムはグラムを鞘へと戻すと、ギルベルトへと返す。
「申し訳ありません、あまりにも良い剣だったので……」
「あっ? あぁそっか」
ギルベルトは、指定席のソファに寝っ転がるとポテチを食べ始める。
「……ギルベルト様、キーコにアイテムを造る様に言ったのは良い策でした」
「あン? 何言ってンだヴィルム、策ってなンだ?」
「キーコが造る武器などを、戦に使う為……では無かったのですか?」
君子が造るアイテムの重要性を、ギルベルトはヴィルムよりも早く気が付いたのだろう。
だから昼間、さりげなく更なるアイテムを造る様に言ったのだ。
その思案には、ヴィルムも脱帽したのだが――。
「俺、ンな事考えてねーぞ」
「…………えっ」
「キーコが造るもンはおもしれーからな、色々遊びてーだろう!」
君子がベルカリュースの物を面白がるのと同じ様に、ギルベルトも異世界の物を面白いと思っているのだ。
戦の事など何も考えていない、自分が楽しみたいだけだった。
「…………」
ヴィルムはあまりの衝撃に言葉を失った。
エルゴンの戦争の為に、何か考えているのかと思ったのだが、どうやらヴィルムの勘違いだった様だ。
できれば勘違いであって欲しくなかった。
(……逆に言えば、策を講じていないにも関わらず、結果的にキーコにアイテムを造らせる様に出来た訳なのだから、コレはコレで、ギルベルト様の天性の才と言うか、運と言う物なのだろう……うん、そう思おう)
無理矢理でも、良い方に考えなければやっていけない。
ヴィルムは、無理矢理そう思う事にした。
************************************************************
夕飯を終えた君子は、ソファに座って食後のお茶を楽しんでいた。
話の内容は、自然とヤマト村の話になる。
「それで、ヤマト村にしたんだって」
「人名を村の名にするのは、珍しい事ではありませんしね」
ギルベルトとしては、村の名前にこだわりは無いので、特産さえ送って貰えればどうだっていい事だ。
「なぁ~トリが来たなら、アレやろうぜ、肉揚げた奴!」
「あぁ唐揚げの事?」
「おう、カラアゲ喰いてぇ!」
「うん分かった、じゃあ今度作るね!」
すっかり鶏肉好きになったギルベルトは、君子がそう約束すると嬉しそうに笑った。
「そう言えばヴィルムさん、タラリアさっきちょっと造りましたよ」
「……もう造ったんですか?」
「はい、なんか思ったより魔力が余ってて!」
「……キーコ、ちょっと失礼」
「へっ?」
ヴィルムは、君子に右手を向けると浅葱色の魔法陣を展開した。
「索敵魔法『調査』」
キミコ ヤマダ
特殊技能 『設計者』 ランク2
職種 無し
攻撃 E- 耐久 E- 魔力 E+ 耐魔 E- 敏捷 E- 幸運 E
総合技量 E
「やはり……、魔力量が増えています」
「えっえっ、ええええっうっうそぉぉ!」
以前までは魔力量がEだったのだが、今は一段階上がってE+になっている。
知らない内に、君子は成長していたのだ。
「毎日、特殊技能を使って魔力を消費していたので、経験を積めたんでしょうね」
「はあ~、なんか筋肉みたいですねぇ」
筋肉痛によって筋肉の量が増えるのと同じ様に、魔力も使い続けている内に総量が増えるのだ。
「自分で自分のステータスを見る機会が無かったんで、分からなかったです」
「まぁ、総合技量は変わりませんが」
ヴィルムが現実を突きつけるのだが、君子はステータスの上昇が嬉しくて素直によろこんでいる。
(……アレ、私なんかステータスを上げなくちゃいけない理由があったんだけどなぁ)
何か、強くならなくてはいけない理由があった気がしたのだが――思い出せない。
「どうしたの、キーコ?」
「なんか私、強くならないといけない理由があった気がしたんですけど……」
「キーコは強くならなくていーンだ、俺の傍にいればいーンだ!」
ギルベルトは君子を抱きしめながらそう言った。
「まぁ……、忘れちゃうくらいだから、きっと大した事ないと思います」
最早、ヴェルハルガルドでの生活が長くなってしまって、君子の中ではギルベルトの事も、刻印の事も当たり前の事になってしまった。
だから刻印を消す為に強くならなければいけなかった事も、ハルドラに戻らなければならない事も、彼女の中では割合が小さくなっていたのだ。
「キーコ、そろそろ寝ないとお肌に悪いわよ」
「ひょぎょっ、こっコレ以上そばかすが酷くなるのは嫌です!」
時計を見ると、いつの間にか日付が変わろうとしていた。
今日はいつにもまして、話し込んでしまった。
そろそろ眠らないと、ただでさえ不細工なのに余計に醜女になってしまう。
「じゃあギル、私もう寝るね」
「……もう寝るのかぁ?」
ギルベルトは昼寝をしていたのであまり眠くないが、君子は朝からタラリアを造ったりアンコを造ったりとせわしなく動いていたので、少し疲れた。
「うん、お休みなさい」
「……おう、お休み」
君子は、ギルベルトに挨拶をすると、アンネと共に自室へと戻る。
君子は沐浴を済ませると、いつもの灰色の寝巻に着替えた。
「キーコ、ベッド整えておいたからね」
「いつもありがとうございますアンネさん」
君子はアンネにお礼を言うと、スラりんを木箱で造った専用のベッドに寝かせる。
「じゃあランプ消すわよ」
「はい、お休みなさいアンネさん」
「お休みなさい、キーコ」
アンネは君子がベッドに横になったのを確認すると、ランプの明かりを消して、部屋を後にした。
君子は真っ暗になった部屋の天井を見上げながら、ふと増えた魔力の事を考える。
(まぁ、魔力が増えて悪い気はしないなぁ……色々造れるし、そうだ今度雷切を造ってみようかなぁ~)
魔力量が増えたのだから、今まで頭の中で想像するだけで製作を断念していた物も造れる様になったという事だ。
伝説の武器やアイテムが造れるのは、楽しくて堪らない。
(なんか、すごく偶然で異世界に来ちゃったけど……楽しいなぁ)
特殊技能のおかげだが、異世界での生活はとても充実している。
こんなに楽しい日々は、元の世界にいた頃は考えられない事だ。
(えへへっ……、今日も楽しい一日だったなぁ)
君子は瞼を閉じると、明日の事を妄想する。
明日はどんな一日になるだろう、考えただけでワクワクする。
高揚感のせいかなかなか寝付けず、彼女が眠りについたのは、それからしばらく経ってからだ。
こうして、君子の日常は過ぎて行ったのだった。




