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地味女子ですが、異世界来ちゃいました!  作者: フランスパン
異世界日常編
56/100

第五一話 私の居場所ですから




「だああああっ!」

 マグニの庭に、気合いの入った大きな声が響き渡った。

 響き渡る金属音――。

「はっ!」

 ヴィルムは、ジャマダハルで襲い掛かって来たアンネの一撃を、剣で防いだ。

 しかし、アンネはもう片方の腕に装備したジャマダハルを、ヴィルムへと突き立てる。

「やあああっ!」

 ヴィルムは体をひねって避ける。

 この程度の攻撃は、軍人であるヴィルムにとっては他愛もない物。

 防御したジャマダハルを振り払うと、その剣をアンネへ振り下ろす――のだが。

「はあっ!」

 アンネはジャマダハルの握りを、強く掴む。

 すると、刀身が二つに分かれ二又になった。

 振り下ろされるヴィルムの剣に向かって、ジャマダハルを打つ。



 次の瞬間、二又の刃が剣を挟み込んだ。



「よし――っ!」

 武器を封じられ、攻撃の手段を失ったヴィルム。

 アンネは、弾き飛ばされたジャマダハルを素早く構え直すと、ヴィルムに向かって決着の一撃を放つ。

「……甘い」

 ヴィルムは、二又に掴み取られた剣へと力を込める。

 Cランクのアンネではとても耐えられない強さで、なす術もなくそのまま地面に押し倒された。

「きゃあっ!」

 悲鳴を上げて倒れたアンネ。

 それを見て、ヴィルムは力を弱めて、剣を二又から抜いた。

「あいたたぁ~……あ~、やっぱりまだまだですね」

 メイド服に付いた土を叩いて落とすと、アンネは大きなため息を付く。

「いいえ、今のは非常に良い動きでした……、ここまで渡り合えるとは非常に優秀ですよ」

 王族の補佐官であるヴィルムは、軍人の中でもかなりの実力者の一人だ。

 模擬戦とはいえ、それとここまで戦えるというのは、筋が良いという事だった。

「いえ、キーコが造ってくれた武器が良いんですよ……」

 アンネはそう言ってジャマダハルを見る。



 


 君子と共同で制作を開始し、アンネに完璧に合う武器を作り上げたのだ。

 右と左で長さが違い、左には手を守るガードが付けられている。

 ピンクの柄に、薄いけれど頑丈さと攻撃力を兼ね備えた刀身。

 更にその双方には見事な花の彫刻が施されていて、どこか可憐な雰囲気のあるジャマダハルが完成した。

 しかし、その可憐さと裏腹に戦闘を有利に進める為の仕掛けがあって、かなりの威力を発揮する。

「確かに……正直キーコの造る武器は眼を見張るものがあります」

 ギルベルトのグラムだって、君子が造った物だ。

 普通、武器のオーダーメイドと言うのは非常にお金がかかって、簡単に出来る物では無いのだが、コレは君子の魔力によって造り上げられた物なのでプライスレス。

 こう考えると、造形の特殊技能(スキル)と言うのは馬鹿には出来ない。

特殊技能(スキル)設計師(デザイナー)』……アンネに素質があるにしても、一介のメイドがこれほど強くなれるというのは、正直驚きだ)

 普通は武器だけでは強くなれない。

 辛く厳しい鍛錬をしてこそ、強さは身に着く。

 しかし、君子が造ったジャマダハルは、様々な仕掛けによってアンネにある程度の力を与えている。

 素人のアンネが、これほど接近戦が出来る様になるほど。

(……もしも、強者がこの武器を使ったら、一体どうなるのだろうか)

 戦闘のプロが、君子が造った武器を持ったら、その強さは一体どれほどの物になるのか、最早計り知れない。

「ヴィルムさん、もう一度お願いします!」

「ええ……良いでしょう」

 二人は再び自分の得物を構え戦いを始めようとするが、城の門をくぐって来た影に気が付いた。

 見ると、それは問屋の男だった、荷車で大荷物を引いてやって来る。

「あっ、問屋のおじさん」

「よぉアンネちゃん、今日はまた物騒なもん持ってるんだなぁ」

 ジャマダハルを見てそう言うと、問屋の男はヴィルムの顔を見て何かを思い出した。

「あっ、そうそうアンタの手紙を預かってるよ」

「手紙……ですか?」

 軍や政府から送られて来る書類は、全て専門の兵が運んでくるので問屋が持って来る事は無い。

 しかし手紙と言われて思い当たるのは公的文書だけ、ヴィルムが首を傾げていると、男はそれを差し出した。

「ほい、間違えなく渡したぜ」

「……どうも」

 男は荷車を引くと、ベアッグが待つ台所へと向かう。

 確かに彼の言う通り、宛先はヴィルムだった。

「誰からの手紙ですか?」

 ヴィルムはアンネに問われて、差出人の名前を確認する。

「…………弟、です」





************************************************************





「えっ、ヴィルムさんに弟がいたんですか?」

 その話を聞いて驚いたのは君子だった。

 いつも通り朝食を済ませて、いつものソファに座っている。

 春になって睡魔に襲われているギルベルトは、お腹いっぱいポテチを食べると、君子の膝枕でうたた寝をしていた。

「意外です……、ヴィルムさんに兄弟がいるなんて」

「……ちなみに兄もいます」

「お兄さんまで!」

「しかも二人」

「二人もぉ!」

 ヴィルムが四人兄弟だった事に衝撃を受ける君子。

 彼に兄弟がいるとは思いもしなかったので、コレはかなり意外だった。

「へぇ~、男兄弟って賑やかそうでいいですね」

「……私が生まれた頃には一番上は既に独り立ちしましたし、物心つく前に二番目の兄も家を出ましたから、正直あまり一緒に過ごした思い出は無いんです」

「そうなんですか……、何だかちょっと寂しいですね」

「まぁ、うちは下が生まれるという事は、そういう事ですから……」

「ふぇっ?」

 まるで独り言の様なヴィルムの言葉に、君子は首を傾げる。

一体どういう事なのか気にはなったが、とても尋ねられる雰囲気ではなかった。

「それでヴィルムさん、弟さんは何の用事だったんですか?」

「……ああ、まだ読んでいませんでした」

 アンネにせかされるまま、ヴィルムはペーパーナイフで封を切ると、手紙を広げて見る。

「…………『僕も父も母も元気にしています、ヴィルム兄さんはお元気ですか? お体に気を付けて、ヴェルムより』」

「……えっ、それだけですか! 要件が何もないじゃないですか」

 年賀状並みのありきたりな文章に驚いた。

 わざわざ手紙にしたためるほどの内容ではない。

「不思議な手紙ですね……、わざわざ元気の確認なんて、ヴィルムさん前に実家に帰ったのいつなんですか?」

「……そうですね、たしかギルベルト様の補佐官になってから帰っていないので、ちょうど七〇年といった所でしょうか」

「なっ、ななじゅうねんんんん!」

 半世紀以上家に帰らないなんて、なんと言う親不孝か、そんなに帰っていないと親の顔も忘れてしまうだろう。

「そっそんなに帰ってないなんて、そりゃ弟さんもそんなお手紙出しますよ!」

「そうでしょうか……?」

「そうですよ! 早く帰って顔を見せてくれって言ってるようなものですよぉ!」

 この手紙は、『たまには顔を見せてね!』という事を文章にせずに現したものだろう。

 半世紀以上帰っていないヴィルムに、圧をかけているのだ。

「なんで今まで帰らなかったんですか?」

「……別に衣食住は全てマグニで事足りますし、それに何より私がマグニから離れるという事は、ギルベルト様の暴走を止める者がいなくなるという事ですから」

 君子がマグニに連れて来られてからはすっかり大人しいが、ギルベルトは今まで何かムカつく事があると、直ぐに人や物に八つ当たりしていたのだ。

 そんなギルベルトを抑えられるのはヴィルムただ一人、だから彼がマグニから離れるというのは、このマグニ城の滅亡を意味していた。

 だからギルベルトの補佐官になってから、一度も帰省出来なかったのである。

「でっでも、七〇年も年中無休なんてブラック企業もびっくりです!」

 ベルカリュースに労働基準法があるかはさて置いておいて、幾らなんでもヴィルムには休暇が必要である。

「ヴィルムさん、一回実家に帰って元気な顔を見せて上げるべきですよ、それが何よりの親孝行です!」

「……そうは言っても、私がいなくなるとギルベルト様のお世話はどうするのですか?」

「うっ……そっそれは、わっ私が何とかします!」

 マグニに来て一〇ヶ月、その間ギルベルトとずっと過ごして来たのだ、少しの間だけなら何とか出来るだろう。

 君子は膝の上で眠るギルベルトを起こす。

「ねぇギル、ヴィルムさんに少し休暇を上げても良いよね?」

「……ン~、ヴィルムにぃ~~」

 起こされてちょっと不機嫌そうなギルベルトを、君子は何とか説得する。

「いつもヴィルムさんにお世話になってるんだから、たまにはヴィルムさんを休ませてあげようよ……ね?」

 鶴の声ならぬ、君子の声によって――ギルベルトはあっさりと了承した。

「……まぁ、いいンじゃねぇの?」

 





 ギルベルトの許可を得て、ヴィルムは計三日の休暇を満喫する事になった。

 ヴィルムの故郷へは、ワイバーンで数時間かかる。

 あまり長い休みとは言えないが、七〇年ぶりの休暇にしては上等だ。

「とりあえず、荷物はこんなものですか……」

 さほど大きくないトランクには、どうしてもやらなくてはならない仕事の書類が入っているだけだった。

「そんな、何か手土産でも持ってくべきですよ!」

「土産など、必要なんですか?」

「当たり前ですよぉ! 帰省にはお土産、コレ鉄則です!」

 君子はヴィルムを連れて台所ヘ行くと、何かお土産になるものを物色し始めた。

「あっこれ、ベアッグさんが焼いたクッキーとかどうですか!」

 沢山焼いたので箱に詰めて取って置いたのだ。

 それにポテチもまだあるので、これも箱に詰めて無理矢理持たせる。

「菓子ばかりですね……」

「たっ確かにそうですね……でも、お菓子は安定してますし」

 手土産にはお菓子と言うのは、鉄板である。

 だが菓子に興味が無いヴィルムの視線は、自然と別の物に向けられる。

「……できればソレの方が良いのですが」

 それは、メヌレ村の日本酒だった。

 君子は呑まないのだが、料理酒として使っているので一応取り寄せている。

「料理に使うなんてもったいない、コレは大した美酒ですよ」

 そう言ってヴィルムは、酒が入った陶器をしっかりと抱え込んで離さない。

 和食を作る時に使うだけなので、持っていかれても大して問題は無いだろう。

「ヴィルムさんが休暇ってのは、何だか不思議な感じだなぁ」

「きゅーか、なに!」

「なに、きゅーか?」

 帰省の準備をするヴィルムを、ベアッグと双子が物珍しそうに見ていた。

「ふん、いっそそのまま帰って来なくてもいいぞ、ヴィルム」

「三日で帰るのでご安心を」

 ブルスの嫌味にそう返すと、ヴィルムは見送りに出て来たギルベルトを見る。

「では、行ってまいります」

「おう、行って来い!」

 ヴィルムは、ワイバーンに跨ると手綱を引いて大空へと飛び立った。

「いってらっしゃ~いヴィルムさん、気を付けて下さ~い」

 その姿が見えなくなるまで、皆は見送り続けた。





************************************************************




 ヴェルハルガルド ジェルファール領。

 マグニよりも北、ヴェルハルガルド最高峰のジルレット山を有するこの領土は、非常に気温が低い。

 夏でも山には雪が降り積もり、冬ともなればマイナス四〇度になる、極寒の地である。

 故にここに住めるのは限られた種族だけであり、その人口は非常に少ない。

 それはまさに、氷の魔人の為の領地といっても過言でもない場所だ。





 ヴィルムの家は、ジェルファール湖の畔にある。

 ジルレット山の雪解け水が流れ込むジェルファール湖は、あまりにも水が透き通っている為、湖の深さが分からなくなるほどだ。

 湖面すれすれをワイバーンが飛行して、丁寧に切りそろえられた芝生の上に着地した。

「……久しぶりだ」

 赤い鱗のワイバーンから降りたヴィルムは、久しぶりの実家を見て呟く。

 青を基調とした建物は、マグニ城ほどとは言わないがかなりの大きさで豪邸である。

 ワイバーンの手綱を引くと、玄関を目指して歩き出す。




「兄さん!」




 すると、誰かがこちらに駆け寄って来る。

 振り返ると、まだ短い水色の髪を結い上げた少年。

 青い服を綺麗に着こなしているのだが、どこか幼さの残る顔立ちのせいでとても愛らしく見えた。

「ヴィルム兄さん、おかえりなさい!」

 少年は、ヴィルムに駆け寄ると思い切り抱き着いた。

 その表情はとても嬉しそうで、笑った顔などアイドルさながらの可愛らしさがある。

「……ヴェルム」

 ヴィルムは、弟ヴェルムが頬をすり寄せて来るのを見て、ちょっと呆れた様子だ。

 そんな彼の雰囲気を察したのか、ヴェルムは急いで離れる。

「あっ……ごめんなさい、ヴィルム兄さんに会うの久しぶりだったから……」

「いいえ……、久しぶりですねヴェルム」

 口元に小さく笑みを浮かべると、ヴィルムは弟の頭を撫でてやった。

 しばらく見ない内に大きくなった、伸びた背丈の分だけいかに自分が実家に帰っていなかったのか思い知らされた。

「……そう言えば、兄さんはどうして帰って来られたのですか? 補佐官のお仕事はどうなさったんですか?」

 七〇年も家に帰って来なかったヴィルムが、今日突然こうやって帰って来たので、ヴェルムはとても驚いていた。

「どうしてと言われても……貴方が手紙を送ったのでしょう?」

「えっ……、そっそれでわざわざ! えっええ、そっそんなぁ、あっアレはそんな深い意味の手紙では――」

 自分の手紙のせいで、多忙な兄が帰って来た事に戸惑うヴェルム。

 かえって仕事の邪魔をしたのではないかと慌てふためく。

「まぁ、ヴィルムさんじゃありませんか」

 すると、庭の方から一人の女性がやって来た。

 ウエーブのかかった長い水色の髪、どこかおっとりとした雰囲気の女性は、二人の元に来ると嬉しそうに微笑む。

「お久しぶりです、母上」




 彼女はロディア。

 ヴィルムの母であり、四人の息子を育て上げた母であるのだが――、実年齢よりかなり若く見えるせいか、たびたび姉と勘違いされる。

「久しぶりですねヴィルムさん、でも……どうしてうちにヴィルムさんがいるのかしら? 幻なの? それとも足があるけど幽霊?」

「……休暇を頂きましたので、急ではありましたが帰省いたしました……、申し訳ありませんが、しばらくこの家にいてもよろしいでしょうか?」

「もちろんヴィルムさんの家なんですから、好きなだけくつろいでいって頂戴」

 ロディアはそう言って笑うと、玄関を開けて久しぶりに帰省した息子を招き入れる。

「あらヴィルムさん、随分荷物が多いんですね」

「ええ……、コレは土産の菓子です」

「お菓子ですか!」

 ヴェルムは、嬉しそうに菓子が入った箱を受け取ると、先導して玄関を開ける。

 真っ先に見えるロビー、そしてそこに飾られた先代、先々代、そのまた先代の肖像画。

 それは全てヴィルムが家を出た時と何も変わらない、まるで時間が止まっているかのようだ。

(……懐かしい)

 七〇年前までは、この家にいる事が当たり前だったのに。

 ずっとマグニで過ごしていて、半ばあそこが家だったというのに、こうして実家に帰って来ると、どういう訳かこちらの方が家だと認識してしまう。

「ヴィルムか……」

 声がした方を見ると、ロビーの階段に一人の男性が立っていた。

 歳は五〇代後半といった所で、白髪混じりの水色の髪を結い上げ、黒檀(こくたん)の杖をついている。

 男性は、どこか氷の様に冷たい眼で、ヴィルムを見下ろす。

「……ただいま戻りました、父上」




 ヴルム=ホフマン・フレイ。

 まだ、氷の魔人が魔人に統合されていなかった頃、氷の魔人を束ねていた族長。

 その子孫であり、現在はジェルファールの領主と氷の魔人の代表双方を務めている。

 若い頃は軍人として活躍し、多くの戦いでその名を轟かせた猛将であった。

 



「父上、ヴィルム兄さんがお土産をくれたんですよ!」

 ヴィルムは、頭を下げて挨拶をする。

「……連絡もせずに帰って来て申し訳ありませんでした、ギルベルト様から休暇を頂いたので、三日ほどこちらで過ごさせて頂きます」

「…………ああ、構わん」

 ヴルムは、氷の様な冷たい視線を向けたままそう言う。

 息子が七〇年ぶりに帰って来たというのに、あまり嬉しそうには見えなかった。

「……ヴェルム、その様な事ではしゃぐなど、我がフレイ家の次期当主として恥ずかしいぞ」

「はっ……はい、もっ申し訳ありません父上……」

 ヴェルムは深々と頭を下げて、父親に謝罪する、

 その姿を見ても、ヴルムは眉一つ動かさずに、杖をついて自室へと戻って行った。

「…………うう、また怒られちゃった」

 怒られたヴェルムは、しょんぼりとしていた。

 ロディアは、そんな彼の肩に触れて慰める。

「後でお菓子は皆で食べましょうね、ヴェルムさん」

「……はい、母上」




************************************************************




「…………」

 ヴィルムは、七〇年ぶりに自分の部屋に戻って来た。

 元々整理整頓はしていたが、ロディアが掃除をしてくれていた様で、綺麗だった。

「…………まさか、またここに戻って来る日が来るなど」

 荷物をテーブルに置いて、窓から庭を見下ろす。

 庭の向こうに見える湖と山、この景色をもう一度見る事があるとは、思いもしなかった。

 改めて、自分が家に戻って来た事を自覚した。

「…………」

 ジルレット山の冷たい風が、氷の魔人であるヴィルムにとっては心地いい。

 この風の冷たさも、庭の花の香りも、湖の光景も、ヴィルムの中では当たり前だった。

(ほんの少しの時間だと思っていたのに……いざ帰って来ると、思うものがありますね)

 君子の言う通り、七〇年というのはとても長い時間だったというのを改めて思った。

「……入りますよ、ヴィルムさん」

 ロディアがお茶を持って入って来た。

 数人のメイドが働いているが、住み込みではなく週に何回かお手伝いに来てもらうだけなので、家の家事のほとんどを彼女一人で行っている。

「マグニからワイバーンで来るのは疲れたでしょう? お茶でも飲んでゆっくりして」

「ありがとうございます、母上」

 氷の魔人は温かい物が飲めないので、氷入りのポンテ茶を出してくれた。

 このあたりでは、ジェルファール湖の氷を資源として使う。

 冬になると、人が上に乗ってもびくともしないほど厚い氷を張る為、それを削り氷室で保存して、夏に少しずつ売るのだ。

 氷の魔人は、主にこれによって生計を立てている。

「お土産のお菓子、見た事ないしょっぱい物があったけど、アレはマグニのお菓子なの?」

「マグニの、と言うよりは城で食べられている物で、異世界の『ポテチ』というじゃが芋を使った食べ物です」

「まぁ異世界の食べ物なのね、しかもお芋でしょっぱいお菓子なんて面白い」

 ヴェルハルガルドでお菓子と言うと、チョコレートやクッキーなどの甘い物でしょっぱい物はあまりない。

 だからポテチと言うのは、物珍しい食べ物なのだ。

「でも異世界の食べ物なんて、どうやって知ったの?」

「城に異邦人がいるんですよ、変わった格好をしている少女です」

「まぁ女の子なのね! 通りでヴィルムさんが手土産を持って来ると思ったわ」

 嬉しそうに微笑むロディア、ヴィルムが不思議がっているとその続きを言う。

「それで、その女の子とはどういう関係なのぉ?」

「……ただの同居人ですが?」

「でもぉ、ヴィルムさんが自分からお土産を持って来るとは思いませんし、もしかしてお付き合いの報告も兼ねての――」

「いえ、彼女とはそう言う関係ではないので、その様な期待をされても困ります」

「あら~そうなのぉ……、でも本当は――」

「本当にありません、全くこれっぽっちも」

 即答したヴィルムは、丁寧に否定した。

 そもそも君子はギルベルトの所有物だ、彼女とそんな関係になるなど万が一、億が一でも考えられない。

「私もそろそろ娘が欲しいのですけど……、貴方のお兄さん達はお仕事ばっかりで良いお話が無いのよねぇ」

「私もそう言う話はありませんよ」

 氷の魔人でヴィルムの年齢だと、もうそろそろ結婚適齢期なのだが、今の所仕事を優先したいので、身を固めるつもりは無い。

「もう、一番結婚できそうなのは貴方なのに」

 七〇年ぶりに帰って来てこんな話を聞かされるなんて思いもしなかった。

 そもそも上の兄が結婚していないのに、弟の自分が結婚する訳にはいかない。

「私ではなく、最悪ヴェルムが結婚すればいいんですよ、彼は次期当主なのですから」

「……ヴィルムさん」

 冷えたポンテ茶をすするヴィルムに、ロディアはこれ以上何も言わなかった。

 




 書類を片付けていると、夕食の時間になった。

 ヴィルムも久しぶりに、家族で食卓を囲む。

 氷の魔人の食卓は、決まって冷たい物が出る。

 サラダに冷製スープ、ステーキも冷やした物で、食卓の温度は常人にとってはかなり冷たいのだが、氷の魔人にとってはコレが普通。

「今日はヴィルムさんが帰って来たので、腕によりをかけましたよぉ」

「そんなに気張らなくていいんですよ母上」

 とは言ったものの、やはりお袋の味と言うのはいかなる高級な料理にも勝る物。

 食事をするヴィルムの手は止まらない。

「ヴィルム兄さんと食卓が囲めるなんて、夢みたいです」

「そうねぇ、ヴィルムさんが家にいた頃、ヴェルムさんは小さかったから記憶にないわね」

「はい、だからこうやって食事をとれるのが嬉しいんです」

 嬉しそうに微笑むヴェルム。

 その笑顔は、とても氷の魔人とは思えないほど感情があふれていて、太陽の様に明るい。

「ヴェルムさんは、ずっとヴィルムさんに憧れていたんですものねぇ」

「はい、ヴィルム兄さんは勉強も武術も完璧にこなしたと聞いて、僕も兄さんみたいな立派な男になりたいとずっと思っていたんです!」

 一緒の時間を長く過ごせなかったというのに、随分過大評価された物だ。

 ヴェルムはキラキラとした眼でこちらを見つめるのだが――、一人冷ややかな視線を送る者がいた。

「……完璧な男か、笑わせるでない」

 ヴルムはステーキを切り分けながらそう言った。

 その冷たい声に、ヴェルムは怯えている。

「ヴィルム、お前はフレイ家の面汚しだ……あのような王子の補佐官になるなど」

 それはヴィルムがギルベルトの補佐官になった事の話だ。

 なった当時もかなり反発されたが、こうして七〇年も経ったというのに言われるとは。

「なぜ、アルバート王子の補佐官にならなかった、あの方なら魔王になる事は眼に見えているだろう、私がお前に仕込んだ勉学も武術も、捨てる為の物ではない」

 確かにヴィルムは、父ヴルムから数々の技術を学んだ。

 彼の実力があれば、現魔王の補佐官にだって不可能な話ではない、それなのにギルベルトと言う、王族の鼻つまみ者の下に付くなど、常識的に考えてあり得ない。

 ヴルムは、ヴィルムがギルベルトを選んだ事で失望しているのだ。

「…………父上から学んだ物を捨てたつもりはありません」

 ヴィルムはそう言い返すと平然とスープを口にする。

 しかし、怒られた訳でもないヴェルムが、萎縮して震えている。

 ヴルムはそんな彼へと視線を向けた。

「ヴェルム、この程度の事で心を乱すなど、フレイ家の次期当主としての覚悟が足りぬぞ」

「はっ……はっはい、ちっ父上」

 しかし注意されたとはいえども、この震えを自分で止める事など出来ない。

 注意された事が余計にプレッシャーとなって、ヴェルムの震えは酷くなり、スプーンを落としてしまった。

「あっ……」

 ヴェルムは急いで拾うのだが、ヴルムは大きなため息を付く。

「……ヴェルム、お前は部屋に戻れ」

「あなた、何もそこまで……」

 まだ食事の途中だというのに、ヴルムはそう言った。

 確かに食器を落とすというのは少々問題だが、それでもまだ食べているというのに部屋に返すのは体罰の域だ。

 しかしヴェルムはスプーンをテーブルに置くと、椅子から立ち上がった。

「はい……、失礼します」

「ヴェルム……」

 ロディアが引き止めようとしたのだが、ヴェルムは自室へと戻って行った。

 ヴィルムはしばらく黙ってそれを見つめると、父に視線を移す。

「…………ヴェルムを、随分きつく育てているのですね」

「当たり前だ、アレはこれからのフレイ家と氷の魔人の一族を背負っていくのだ、強くあらねばなるまい」

 ヴルムは、ワインを口にして喉を潤すと、更に続けた。

「……今、氷の魔人の一族がどうなっているか、お前も知らぬ訳ではあるまい、状況はお前がこの家にいた頃よりもより悪くなっている」

「…………まぁ、そうですね」

「……氷の魔人は古くから、湖でとれる氷を売りそれを収入にしていた、時折お前や兄のように軍人として働ける強い者も生まれるが、そうで無い者の方が多い」

 氷の魔人は体温が低い為、熱に弱い。

 故に他の魔人達よりも就ける仕事が、どうしても限られてしまう。

 それに彼らの体から出る冷気もまた、他の種族と共に生きる事を阻む要因になっていた。

「だが、近年はそれもままならない……、徐々にだが氷も売れなくなりつつある」

 近年ジェルファール湖の氷は売れなくなって来た。

 品質は間違えないのだが、この頃は別の土地で造られた安価な氷が求められる様になって来たのだ。

「お前も知っているだろう、氷の魔人は人付き合いが得意ではない……、商いという分野は最も我々が苦手とする分野だ」

 感情を表に出さず、合理的に考える事を得意とする彼らは、他種族と付き合うのが苦手だ。

 安価な氷に負けない為の経営術という物を、氷の魔人達は持っていない。

「我々氷の魔人には雇用が少ない、一族に安定した暮らしをさせるには、もっと安定した雇用を生まねばならないのだ」

 緩やかに衰退して行く訳にはいかない。

 この先フレイ家の当主、つまり氷の魔人の上に立つ者は苦難の道を強いられる事になる。

「……今のままでは衰退が目に見えている、変わらなければならないのだ我々は」

 そう言うとヴルムはワインを口にする。

 ヴィルムはそんな彼を黙って見つめていた。





************************************************************




 ヴェルムは、自室のベランダで空を眺めていた。

 ここはジルレット山の麓、空気が綺麗で異世界の中でも抜群の星空を眺める事が出来る。

 だが、そんな美しい星空を見ているというのに、ため息ばかりつく。

「……はぁ」

「…………何を、ため息ばかりついているのですか」

 ヴェルムが振り返ると、ヴィルムが立っていた。

 驚く弟など無視して、彼もベランダへとやって来る。

「ヴィルム兄さん」

「……これでも食べておきなさい」

 そう言ってヴィルムは、お土産のポテチをてんこ盛りに乗せた皿を差し出す。

 見た事も無い菓子に戸惑いながらも、ヴェルムはそれを受け取った。

「恥ずかしいです、兄さんにふがいない所ばかり見せてしまって」

「……別に不甲斐ないとは思っていません、貴方も貴方なりに頑張っているのでしょう」

 ヴェルムが頑張っているのは、一目見ただけで分かった。

 彼はまだ幼いのだ、ヴィルムの四分の一も生きていない、そんな彼がいきなり全ての事を出来る様になる訳がない。

「…………そう言えば、貴方はどうして私に手紙を出したのですか?」

「それは……」

 ヴェルムはしばらく黙っていたが、言いにくそうに口を開いた。

「…………兄さんが、怒ってるんじゃないかと思ったんです」

「……怒る?」

 怒るなんて、ヴェルムに対してなぜ怒りを抱かなければならないのだろうか。

 ヴェルムは、涙を滲ませながら叫んだ。

「だって兄さんは、僕が生まれたからこの家にいられなくなったんでしょう!」




 氷の魔人は、末子相続(まっしそうぞく)をしている珍しい種族だ。

 特にフレイ家は厳格であり、現在でも家督を相続するのは末子、末の男子である。

「僕が生まれたから、ヴィルム兄さんは家督を相続できなくなったんでしょう、フレイ家の家督を相続するのは、末の男子だけだから……」

「……ヴェルム」

 確かにヴィルムは元々、フレイ家の当主として育てられた。

 上の兄も下の兄も、それぞれ当主としての技量も意思も無いと分かったヴルムが、一族全ての期待を乗せて育て上げたのが、ヴィルムだ。

 そしてその期待にヴィルムは応えた。

 彼はフレイ家を担うに相応しく、氷の魔人の上に立つのに、なに一つの問題も無い、最高の当主になれる素質を持っていたのだ。

「ヴィルム兄さんは、勉強も武術も出来て、人の上に立つ才能があるけど……僕は全然ダメなんです、勉強をいくらやっても覚えられないし、幾ら訓練しても強くなれないんです!」

「それは……ヴェルムがまだ小さいからで」

「違います、僕は出来が悪いんです! いつも叱られてばかりで……父上は、僕の事が嫌いなんです」

 弟ヴェルムは、ヴィルムほどの才能は持っていなかった。

 凡才、普通の氷の魔人である彼に、フレイ家と氷の魔人の一族の命運が重く押しかかる。

「僕が……僕が生まれなかったら、ヴィルム兄さんが家督を継いでいたんです、この家も氷の魔人の一族も安泰だったんです、それなのに……それなのに……僕がっ僕がぁっ」

 声を荒げるヴェルム、彼の眼からは涙が零れていた。

 ヴィルムが家を出た時、彼はまだ幼くて、なぜ兄が家を出たのかその理由を知らずにいた。

 だが成長し、自らで考える力を持った時、彼は知ってしまったのだ。

 自分が生まれた事で、一体どれほどの不都合が生まれてしまったのかを――。

「僕のせいで兄さんは、先のない王子の補佐官になってしまって、惨めな生活を強いられているなんて……、僕はどうやって兄さんに詫びればいいんですか……」

 フレイ家と氷の魔人の一族、そして兄の未来を、自分が駄目にしてしまった。

 自分さえ生まれて来なければ――全て上手くいくはずだったのに。

「こんな出来の悪い僕なんか……、生まれて来なければ良かったです」

 肩を震わせて泣くヴェルム。

 その肩は、名家と一族の命運を背負うにはあまりにも小さかった。

 しかし――、そんな小さな肩にヴィルムは触れる。





「……私は、弟が生まれた事に感謝してますよ」





「……え?」

 ヴェルムは、予想もしなかったその言葉に驚愕した。

 氷の魔人にとって、弟が出来るという事は家を相続できなくなるという事だ、それなのにそれに感謝してるなんて――。

「ヴェルム、私は確かにこの家を継ぐ為に育てられました、家と氷の魔人の一族を存続させる為に、私はずっと生きて来ました」

 生まれた時から、当主になる為に育てられたヴィルムにとって、その為の勉強というのは当然の事だった。

「でもヴェルムが生まれて、私は家を継がない事になりました……そして軍人になり、王族の補佐官になった」

「それの……どこに感謝するんですか、僕が兄さんの居場所を奪ったんですよ、そのせいで兄さんは弱い王子の補佐官になってしまったんでしょう!」

「ギルベルト様を選んだのは私です、私が自分で補佐官になったんです」

「えっ……」

 貴族や軍部からも、わがままで手の付けられない王子として蔑まれているギルベルトを、ヴィルムは自分で選んだという。

 彼ならば、エリート王子であるアルバートの補佐官にも、現職の魔王の補佐官にだってなれたかもしれないのに――。

「……ヴェルム、私は当主となるのは義務でそこになんの疑問も抱きませんでした、だから家を継がない事になった時、私は自分が何をすべきなのか分からなくなりました」

 当主という義務を失った時、ヴィルムは生きる目的を失った。

 何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか分からずにいた時――彼は出会ったのだ。

「その時ギルベルト様は突拍子もない事を言ったのです、私はその夢を叶える事を、ああたな目標にしました」

「……新たな、目標?」

 ヴィルムは力強く頷くと、穏やかながらも決意に満ちた表情を浮かべる。





「ギルベルト様を、魔王にする目標です」





 底辺の王子と罵られていたギルベルト。

 それを、軍人の鑑であり、強者の頂点に君臨する証である魔王の座に座らせる事が出来れば――、それはどんな事よりも名誉のある事だ。

「父上に与えられた義務でもなく、私自身が掲げた目標です」

 背負わされたモノではなく、自分で選んだ道。

 自分の生き方に疑問さえ抱かなかった彼にとって、それはどれほど大きな進歩だろうか――、それを選ぶ事が出来た事がどんなに嬉しかった事か。

「ヴェルム、貴方は私に居場所と新たな目標をくれた……、貴方が生まれて来なければ私はギルベルト様に会う事はありませんでしたから」

「でっ……でも、兄さんの方が僕なんかよりも、当主としての才能があるのに!」

「それは違いますよヴェルム……、貴方を当主にしたいと言ったのは、父上なんですよ」





「えっ……父上が?」

 それはヴェルムにとって、信じられない。

 ヴルムはてっきり自分を嫌っているとばかり思っていた。

 戸惑う彼に、ヴィルムは続ける。

「母上が貴方を妊娠した時、男の子だったら里子に出す事が決まっていました……、でも貴方が生まれて直ぐに、父上は貴方を当主にしたいと言って来たんです」

「……そんな、どうして……」

 ヴィルムの方が優れているのに、なぜヴェルムを里子にしなかったのだ。

「……貴方が、良く笑う赤ん坊だったからですよ」

 氷の魔人は、感情をあまり表に出さない。

 そのせいで冷酷でとっつきにくい印象を人に与え、他種族との間に溝を生んでいる。

 彼らの性格は生まれた時からで、赤子は人形と見紛うほどだ。

「……ヴェルム、今の氷の魔人の一族は大きな岐路に立たされています」

 雇用が減り、一族皆の生活が揺るがされている今、フレイ家は変化を迫られていた。

「私が当主となれば、今までと同じ様にフレイ家と一族を率いる事は出来ます……しかしそれでは駄目なのです、今求められているのは変革なんですよ」

 衰退が目に見えている今、存続ではなく変革が求められている。

 だからこそ、氷の魔人らしくないヴェルムが当主として選ばれたのだ。

「貴方は人懐っこさと明るさを持っています……、それこそ私にはない貴方の良さですよ」

「僕の……良さ?」

 ヴェルムは考えた事も無かった、自分に『良さ』があるなんて――。

「私の様になる必要はありません、貴方に望まれているのは貴方らしさですから」

「……ヴィルム兄さん」

 ヴェルムは涙を拭うと、彼の『良さ』である笑みを浮かべる。

 それを見てヴィルムは、彼にポテチを手渡す。

「ほら、食べなさい」

「はい……んっ、何ですかコレ!」

 初めて食べるポテチの味は、衝撃的だったようで眼を丸くして驚いていた。

 その中毒性にヴェルムはすっかり魅了されて、次から次へとポテチを口へと運んで行く。

 ヴェルムの笑顔は、氷の魔人の未来を照らして来る様な、明るくて優しい笑みだった。





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 二日後。

「もう帰ってしまうのですね、ヴィルムさん」

「兄さん……もっと、ゆっくりして行けばいいのに」

 ロディアとヴェルムが、見送りに来ていた。

 ワイバーンに荷物を積んで帰り支度をしていると、父ヴルムが杖をついてやって来た。

 相変わらずの仏頂面で、圧がある視線でヴィルムを見つめる。

「……行くのか」

「ええ、私はギルベルト様の補佐官ですから」

 なんと言われようと、ヴィルムの主はギルベルトである事に変わりはない。

 彼の隣こそ、ヴィルムの居場所なのだ。

「……私はまだ、お前があの王子の補佐官になった事を認めてはいないぞ」

 名家であるフレイ家の事を考えれば、ギルベルトという底辺の王子の補佐官になるというのは、汚名以外の何物でもない。

 当主であるヴルムが、そんな事を認める訳が無かった。

「……私は、ギルベルト様は必ず魔王になられると信じています」

 しかしヴィルムは、父親にそう強く言い放った。

 その眼に宿る強い意志を、父ヴルムは感じ取ってもうそれ以上追及はしなかった。

「……ならば、勝手にするが良い」

「ええ……そういたします」

 ヴィルムは頭を下げると、ワイバーンへ跨ろうとしたのだが――。

「……あの酒は、なかなかの美酒だった」

 酒、それはメヌレ村の日本酒の事だ。

 お土産として持って来たアレを、おそらくロディア辺りが呑ませたのだろう。

「ああいう酒があるという事は、片田舎だが捨てたものではないのだろうな……マグニも」

 こんな風に言うというからには、よほど日本酒が気に入ったのだろう。

 無理もない、アレは本当に美味しい酒だ。

「次は、あの倍は持って来い」

 どうやら一升では足りなかった様だ、しかし彼がこうやって催促するのは本当に珍しい事だ、しばらくは酒で、補佐官になった事に対するお小言は軽減するかもしれない。

「その時は是非、ポテチもお願いしますね!」

「そうね、次はお土産にお嫁さんを連れて来て頂戴」

「…………そのお土産は、承諾しかねます」

 母にそう返すと、今度こそワイバーンへと跨る。

「いつでも帰って来て下さい」

「……ええ」

「この家も、氷の魔人の一族も……この僕が守ってみせます、兄さん達が帰って来る場所を、僕が守っていますから!」

 あの弱弱しかったヴェルムが、どこか自信に満ちた表情で、力強く言った。

 ヴィルムもロディアも、そしてヴルムも、その頼もしい表情を見つめる。

「……よろしくお願いしますよ、ヴェルム」

 ヴィルムは口元に小さく微笑みを浮かべると、ワイバーンの手綱を引いて飛び立った。

「また帰って来て下さいね~、ヴィルムにいさ~ん!」

 ヴェルムは、兄のワイバーンが見えなくなるまで、ずっと手を振り続けていた。





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 マグニ城。

「ただいま戻りました」

「おっ……お帰りなさい……、ヴィっヴィルムさん」

 城に帰って来たヴィルムを出迎えたのは、なぜか酷くやつれた君子だった。

 眼の下には大きなクマが出来ていて、気のせいか頬もこけている。

「……どうしたのですか、キーコ」

「ヴィルムさんの代わりに、ギルの身の回りの事をしてたんですけど……、ギルったらなんか機嫌悪いし、お風呂は入らないし着替えないし、寝ないし起きないし! も~とにかく大変だったんです!」

 ヴィルムが不在だったこの三日間、ギルベルトの身の回りの事は君子がやっていたのだが、とにかくいう事を聞かなくて大変だったのである。

 朝起こすだけで大変だというのに、着替えをさせて食事を摂らせるのは一苦労。

 更に風呂に入れようとするならば、それこそ過労死してしまうレベルの重労働なのだ。

「ヴィルムさん、毎日よくギルのお世話できますね……」

「まぁ……慣れですかね」

 今更ながら、ヴィルムの存在のあり難さを実感した。

 もし彼がいなくなってしまったら、この城は間違いなく回らなくなってしまう。

「それでどうでした、久しぶりのご実家は?」

「……どう、と言うと?」

「だから、ゆっくり羽根を伸ばせましたか?」

 君子がこんなに大変な思いをして、ギルベルトの面倒を見たのだから、休暇を満喫してもらわなければ困るのだが――。

「……特に、いつもと変わりはありませんね」

「んなっ!」

 実家でも書類などを製作していたので、仕事をしていた事に変わりは無かった。

「も~~酷すぎですぅ、私があんなに大変だったのに~~、ヴィルムさんの馬鹿ぁ~」

 ぽかぽかとヴィルムの胸部を殴るのだが、モブで脇役のEランクの拳など、軍人である彼からすればくすぐったいだけである。

「……しかし、貴方の言う通り帰って良かったと、そう思いました」

「それならいいんですよ、私の頑張りも無駄じゃなかったって事ですから!」

 君子は笑みを浮かべると、どこか満足そう言う。

 そんな話をしていると、ギルベルトが部屋から出て来た。

「……ギルベルト様、ただいま戻りました」

「…………おせーンじゃねぇのか?」

 ギルベルトはどこかふてくされている様子だった。

「何言ってるのギル、ヴィルムさんはちゃんと約束通りに――」

「……申し訳ありませんギルベルト様」

 何の非も無いというのに、ヴィルムは頭を下げる。

 すると、ギルベルトはどこか不安げに尋ねた。

「もう、どこにもいかねぇンだよな?」

「……はい、ギルベルト様のお傍が、私の居場所ですから」

 それを聞いて、ギルベルトは嬉しそうに笑う。

 すると先ほどまでの不機嫌が嘘の様に、ご機嫌になる。

「けけっ、そっか!」

「……ギル?」

「飯にしようぜ、腹減ったぞ!」

 ギルベルトはそう言って、部屋に戻って行った。

 君子はしばらくの無言の後、ヴィルムを見て肩をすくめる。

「機嫌が悪いと思ったら……ヴィルムさんが帰って来るかどうか不安だったんですね」

 なんやかんやいって、ギルベルトとヴィルムは強い主従関係で結ばれている。

 本当によくできたコンビだ。

「じゃあ早く夕飯の準備をしましょっか、ギルがまた不機嫌になる前に」

「……ええ、そうしましょう」

 ヴィルムはそう言うと、夕飯の準備をする。

 いつも通り騒がしい食卓を見て、彼は自分の居場所を実感する。

 この、暖かな居場所を――。



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