第四七話 時は来た
ヴェルハルガルド、マグニ領との国境付近。
小高い丘の上に、ヴェルハルガルドの本陣があった。
前線を統括する為に、今回のシャヘラザーンとの戦争の全てを指揮する、魔王将と魔王が構えているのだ。
そこに一頭の赤い鱗のワイバーンが降り立つ。
乗っているのはロザベールの部下である、フォルドだった。
彼は、挨拶もそこそこに幕を潜り抜けると、魔王将シュカリバーンを探す。
しかし彼の椅子は空っぽで、テーブルには飲みかけのポンテ茶が置いてあった。
「……シュ、シュカリバーン様?」
彼の好物であるポンテ茶はまだちょっと温かい。
ついさっきまでここにいたのだろう、しかし――今は何処だ。
「フォルド、貴様何をしているんだ」
そう声をかけて来たのは、デュネアンだった。
ロザベールと共に妖獣兵を指揮していたはずの彼が、本陣にいる事に驚いたのだろう。
「デュネアン様、魔王将閣下はどちらに! 至急お伝えしたい事が御座います!」
妖獣兵を次々と倒した謎の勢力がある事を伝えなければならない。
この作戦のカギである妖獣兵が全滅するような事があっては、シャヘラザーン侵攻自体が失敗してしまう。
すぐさま対策を練るべきだ、そう進言するつもりだったのだが――。
「……あの方ならとっくに出て行かれた、前線を私に任せてな」
「えっそんな……妖獣兵が謎の集団に攻撃を受けているんです、このままでは作戦が失敗してしまいます、急いでこの事を魔王将閣下に!」
フォルドの言葉にデュネアンは、少し眉を顰める。
「……お前は、本当の作戦を知らされていなかったのだな」
「えっ……本当の、作戦?」
それは一体どういう事なのか、戸惑うフォルド。
そんな彼に、デュネアンはどこかイライラしながら言った。
「ふん……あいつ等は、初めから何も信用していないのだ」
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シャヘラザーン・荒野。
草木一本と生えない荒野には、巨大なクレーターが出来ていた。
まるで隕石でも落ちた様で、巨大な円がその衝撃の威力を物語っている。
そのクレーターから、少し離れた所にリリィはいた。
「……すごい」
フェニックスの時の爆発とは比べ物にならない、その威力に絶句した。
勇気は死ぬ事が無い、だから紛い物の不死であるフェニックスとは違い、全力の爆発を起こす事が出来たのだろう。
「リンシェンの街が吹き飛んでも可笑しくないぞ……コレは」
バルトロウーメスも、その威力に驚いていた。
「――っユーキ!」
リリィはバルトロウーメスの手から離れると、まだ痛みの残る羽根で空へと飛び立つ。
彼女が向かった先には、地面に横たわる勇気がいた。
「ユーキ、ユーキ!」
急いで近づくと、顔を揺らす。
自身を爆発させるのは不死の勇気でも耐えられなかったのか、意識を失っている。
しばらくリリィが揺らし続けて、勇気は眼を覚ました。
「ん……あぁ……」
「ユーキ、良かったぁ!」
リリィはまだ意識が完全でない勇気に抱き着いた。
幾ら死なないとはいえ、自分の体を爆発させるなど無茶苦茶だ。
蘇生すると分かっていても、不安で仕方が無かった。
「あ……リ、リィ」
「無理しないで、アンタとんでもない事したんだから」
これほどの威力の攻撃をしたのだから、身体を休めるべきだ。
リリィは改めてクレーターを見渡す。
アレだけいた妖獣兵は全て、勇気の一撃によって吹き飛び、巨大化したロザベールの姿形も無い。
勇気の逆転の一撃によって、ヴェルハルガルドはシャヘラザーン侵攻の要であった妖獣兵を失ったのだ。
勇気は、シャヘラザーンを救った英雄と言っても過言ではないだろう。
「……あっ、てっ俺また真っ裸じゃねぇか!」
服は爆発の衝撃で燃え尽きたので、勇気は再び全裸になってしまった。
彼の特殊技能は服が適応外なので再生しないのだ。
「これだけの事を成し遂げておきながら……、身なりの心配をするなど馬鹿な奴だ」
「誰が馬鹿って――おぶっ」
勇気が言い返そうとすると、バルトロウーメスが自分の上着を投げて来た。
驚いて彼の顔を見上げると、どこか穏やかな表情でこちらを見下ろしていた。
「だが……よくやってくれた、全てのシャヘラザーンの国民に代わって、礼を言う」
バルトロウーメスはそう言って、深々と頭を下げた。
仮にも騎士団長である彼が、ただの異邦人の少年に礼を言う。
初めて会った時からは信じられない事だ。
「……それよりもさぁ、この服汗臭い」
「きっ貴様!」
人が頭まで下げて礼を言っているのに、その態度は酷い。
勇気は文句を言うバルトロウーメスを無視して、貰った上着を着る。
丈が長く膝丈まであるので、どうにか隠すべき所は隠れた。
全裸の心配がなくなると、次は肝心な事を思い出した。
「あっ……ねっネネリは! ネネリは無事だよな!」
確かアーメルが治療をしてくれていたはずだ。
声を荒げた勇気を見て、リリィとバルトロウーメスはどこか言い辛そうに俯いた。
直ぐに返事が返ってこないのを見て、勇気の不安は大きくなる。
しばらくの沈黙後、リリィが口を開く。
「……ネネリは」
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少し離れた所に、アーメルとバルトロウーメスの部下がいた。
そこに、ネネリが横たわっている。
アーメルが彼女の腹部を必死に抑えていた。
「ネネリ……」
特殊技能で治療しているアーメルの指の隙間から、血が漏れている。
彼女の特殊技能『治癒』は、治癒魔法などと比べてかなり治癒効果が薄い。
軽傷の怪我ならまだしも、これほどの怪我を治療する事はアーメルには不可能だった。
あまりにも激しい出血で体温が下がっている。
アーメルもバルトロウーメスも、そしてリリィもネネリの死を悟った。
「ネネリっ、ネネリっ!」
勇気は膝をつくと、彼女の手を握る。
その手は氷の様に冷たく、ネネリの呼吸は弱弱しい。
「ネネリ、なんで……」
「……ゆぅ、きぃ」
小さくて、今にもかすれて消えてしまいそうな声。
ネネリは勇気にもう片方の手を伸ばしてきた、苦しいのかと思いそちらの手も握ろうとすると、何かを勇気の手に乗せた。
それは、彼女にあげたトンボ玉のストラップ。
「……汚しちゃった、ごめんなさい」
ネネリの血で、紐が少し汚れている。
だがそんな事どうでもいい、こんなガラクタなんてどうだっていい。
彼女の命の方がずっと大事だ。
「コレを……」
アーメルはそう言って、部下にフェニックスの卵を持って来させた。
ネネリが大事に持っていて、アーメルに預けた物だ。
「君の為に、割らない様にしていた……」
「……ネネリ」
卵は温かくヒビ一つ無い、まだ生きている。
「……卵、無事だった……よ、私ユーキの役に立てた、かな?」
ちゃんと任された事をやり切った。
こんな蜥蜴人の自分でも、大切な勇気の役に立てただろうか、それだけが心配だった。
勇気は卵を膝の上に乗せると、両手でネネリの手を握りしめる。
「ネネリ……、俺はお前が死ぬのだって嫌だ、嫌に決まってるだろう!」
そんな事当たり前だ。
死んで欲しくない、だが勇気には彼女を救う手立てが何一つない。
「アーメルさん、ネネリを助けてくれよ!」
「…………ごめんなさい、私では出来ない」
特殊技能『治癒』は魔力を使わずに癒す事が出来る分、治癒能力が低い。
魔力を使わない分便利なのだが、今回はそのデメリットの方が強く出てしまった。
「リリィ、なんか方法はねぇのかよ!」
「…………ごめん、ユーキ」
勇気の言葉に、リリィは涙を流しながらそう答えた。
この場にいる誰にも、ネネリを助ける事が出来ない。
誰も、何も出来なかった。
「……ネネリと俺と三人でいろんな所に行こう、新しい服だって買ってやる、街に行ってパイを食べてさ……」
世界にはまだいろんな楽しい事がある。
絶景が在れば、美味しい食べ物だって在るのだ。
まだ、彼女はそれを知らない。
「だから……、死ぬなよぉネネリ」
勇気の眼からは涙が零れた。
失われようとしている命、それを前にして何も出来ない自分が悔しい。
ネネリは役立たずなどではない、勇気にとって大切な仲間だ。
死んで欲しく無い。
「くそう……なんでネネリが死ななくちゃなんねぇんだよ、なんでだよぉ!」
自分の『不死』を彼女に分け与えられたらどれほどいいか。
特殊技能のレベルが6だろうが何だろうか関係ない。
今、ここで死にかけている彼女を救えなかったら――なんの意味も無い。
「ネネリを助けてくれ!」
勇気は誰に言う訳でもなく叫んだ。
強いて言うならば、世界に、運命に、神に――叫ぶ。
「誰でもいいから、ネネリを助けてくれぇ!」
最早それは要求だ。
願いや祈りではない、彼女を死なせたくないという強い思いがそうさせた。
そんな叫びも空しく、誰も何も出来ない。
ただ命が潰えるのを見ている事しか出来ない。
しかし――――ここは異世界ベルカリュース。
人の強い思いが、奇跡を起こす。
ピキっ。
突然、何かが割れるような音がした。
あまりにも突然すぎて、それが一体何から発せられているのか理解するのに、時間が必要だった。
「……えっ」
勇気は自分の膝の上を見た、受け取ったフェニックスの卵がある。
その卵に、小さなヒビが入っていた。
さっきまではそんな物無かったのに――。
ピキっ、ピキピキっ。
勇気が見ている前で、ヒビはどんどん広がって行く。
それは外からの衝撃というよりは、中から割られている様な――そんな感じだった。
「あっ……」
そして、沢山の希望と共に――その命は産声を上げた。
フェニックスの卵が孵った。
太陽の様な優しい光を放ちながら、生まれた命。
フェニックスが待ちわびた光景、それに皆が視線を奪われた。
『ピィィ、ピィィ』
高い声で鳴くフェニックスの雛は、勇気の膝の上で彼を見つめている。
「……卵が、孵った」
フェニックスが幾ら温めても孵らなかった卵、それが今孵った。
そしてその雛の眼から、一粒の涙がネネリへと零れ落ちる。
「あっ――」
涙が零れた場所が、徐々に光り始めた。
その輝きはフェニックスと同じ、太陽の様に優しい光。
光はネネリを温かく、包み込む。
「……一体、何が起こってるんだ」
バルトロウーメスもアーメルも、皆その光景に眼を見開き、驚いている。
誰もその状況を理解できない、ただ一人リリィを除いては――。
「……癒しの涙よ」
フェニックスは、強い生命力エネルギーを有している。
血液や心臓は勿論、そのほか体の全てにそのエネルギーが溜められていた。
心臓ならば死体を動かし、血は浴びた者に桁外れの再生能力を与える事が出来る。
末端の部位である羽根や涙は、それほど強い生命エネルギーは無い。
しかし――涙にも怪我を癒す力くらいはある。
ネネリの傷は、光と共に消えて行った。
傷口が塞がると、ネネリの顔色も良くなって行った。
荒くなっていた呼吸も正常な物に戻り、冷たかった手に温度が戻る。
「ねっ……ネネリ?」
勇気が呼びかけると、ネネリは彼の手を握り返した。
それは先ほどまでの弱弱しい物ではなく、生命力のあるしっかりとした物だった。
「ゆー、き」
「ネネリ、ネネリっ!」
勇気はネネリを抱きしめる。
生きている、ネネリが生きている、それが嬉しくてたまらない。
眼からは自然と、熱い物が零れて来た。
勇気はそれを拭いながら、雛を見下ろす。
「……ありがとな、お前」
雛は首を傾げながら、高い声で鳴く。
フェニックスは、勇気に役目があるからこの世界に呼ばれたと言っていた。
この雛にも役目があるならば、今生まれた意味が分かった気がする。
「……ネネリを助けてくれて、生まれて来てくれてありがとう」
この雛は、希望を与える事が役目なのだろう。
『喜び』を与える為に、生まれて来てくれたのだ。
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「良かった、ネネリ」
リリィはその奇跡を目の当たりにして、涙を浮かべていた。
こんな素晴らしい奇跡があるなんて、今はただこの出来事を喜び、感動する事しか出来なかった。
「……んっ、何の音?」
後方、クレーターの方から何か物音が聞こえた。
あそこにはもう何もいないはずなのに――一体何の音だというのだろう。
その音はバルトロウーメスにも聞こえた様で、彼も気になっている。
「なんの、音だ?」
リリィとバルトロウーメスが音に警戒していると――勇気が突然大声を出した。
「あっいっけねぇ、忘れてたぁ!」
そして生まれたての雛を抱き上げると、クレーターへと走り出す。
訳が分からないリリィとバルトロウーメスも、仕方なくその後を追った。
クレーターは砂利のせいで歩きにくい。
しかし、しばらく行くと砂利の中に埋もれる何かが見えた。
「アレは……?」
かろうじて何かがあると分かるが、他は何も分からない。
しかし勇気は、そんな二人を放ってそれに駆け寄った。
「おい、大丈夫か?」
勇気はそれに心配そうに話しかける。
彼の後を追って来た二人にも、ようやくその正体が分かった――。
それは、ロザベールだった。
土で汚れて、酷い怪我を負っている。
妖獣の手足は消失して、辛うじて肘から上と太ももから上の胴体と、首が残っているだけだった。
「なっ……なんで」
あんな大爆発があったというのに、生きているなど普通の事ではない。
幾ら魔王といえども、耐えられる訳がない。
驚くリリィとバルトロウーメスを放って、勇気はロザベールへと話しかける。
「うわっ、思ったよりやり過ぎたかも……わりぃな」
「何を言っているんだ貴様は! なぜ魔王が生きているんだ!」
妖獣兵は全て消失したというのに、ロザベールだけ無事なのは可笑しい。
敵の生存を知り焦るバルトロウーメスに、勇気は平然とした様子で答える。
「そりゃ、俺が加減したからに決まってるだろう?」
「なっ――」
わざと加減した、敵に手心を加えたというのか。
バルトロウーメスには理解できない、なぜこの魔王を殺さなかったのかのが――。
「なぜだ、こいつはシャヘラザーンを滅ぼそうとした魔王だ、なぜ生かす必要がある!」
勇気だって、フェニックスを殺されネネリを傷つけられ、怒っていたはずだ。
それなのになぜ殺さないのだ、バルトロウーメスは声を荒げる。
しかし――。
「俺、別にロザベールを殺そうとしてねぇぞ?」
ごく平然と、当たり前の様子で答えた。
アレほど戦っていたというのに、殺そうとしていなかったというのだ。
「俺はこいつを一発殴りたかっただけだ、フェニックスにもリリィにもネネリにも、酷い事をしたからな! でも殺そうなんてしてねぇぞ、大体殺人はいけねぇんだぞ?」
ここまで来て、一体なんと言う当たり前の事を言っているのだ。
コレは命のやり取り、国家の存亡をかけた戦争なのだ。
殺人などという小さな括りの話ではない。
「俺はこいつを止めたかっただけだ、悪い事をしてるって注意しただけだ、別に命まで取ろうとなんてしてねぇよ……まぁちょっとやり過ぎたけど」
「なっ……」
バルトロウーメスは言葉を失った。
勇気は本当にロザベールの命を奪うつもりは無かったのだ。
「おいロザベール、しっかりしろよ!」
「…………うっ」
ロザベールは勇気を睨みつけるが、妖獣の手足が無ければ戦う事どころか、立ち上がる事も出来なかった。
勇気はロザベールに見える様にフェニックスの雛を向ける。
「フェニックス、こいつも治してくれ」
「なっ、何を言っているのだ貴様!」
アレだけ苦労して倒したというのに、それを治療するなど考えられない。
勇気のこの行動には、バルトロウーメスもリリィもついてけなかった。
「こいつは、魔王だぞ! 我らの敵だ、それを生かすつもりか!」
「そうだ、当たり前だろう?」
平然とそう言い切った勇気を見て、バルトロウーメスは大剣を引き抜いた。
今ここでロザベールを殺さなければ、今度こそシャヘラザーンの民が危険だ。
とどめを刺そうと大剣を振りかぶるのだが、勇気がそれを止める。
「止めろよ、ロザベールを殺してもしょうがねぇだろう」
「お前は、シャヘラザーンの味方では無かったのか! こいつの味方をするのか!」
勇気はシャヘラザーンの味方だと思っていた、だから魔王であるロザベールを生かそうとする事に、バルトロウーメスは怒っているのだ。
「俺はどっちの味方でもねぇよ、言っただろう喧嘩は両成敗だって」
勇気は視線を、バルトロウーメスからロザベールへと移す。
その眼にはもう怒りは無く、どこか穏やかにも見えた。
「ロザベールお前、本当は怖かったんだろう?」
「…………なん、だと」
ロザベールは魔王、シャヘラザーンを滅ぼそうとした悪の存在。
恐れ怖がられるならばまだしも、怖がるなんてあり得ない。
しかし勇気は、まるで子供に言い聞かせる様な、優しい口調でつづける。
「酷い事とか、痛い事とかされるのが怖かったんだろう? 殺されるのが怖かったんだろう? お前は人を恨んでたんじゃない、憎んでたんじゃない、怖かったんだよ」
初めて見る人。
差別をする人間に――幼きロザベールは恐怖を抱いていた。
初めはただの怖いという感情だったはずだ。
それから逃げたかっただけなのに、誰かに助けて欲しかっただけなのに、いつしかそれは怒りと憎しみに変わってしまった。
「怒ったり憎んだりしても自分の状況が悪くなるだけだって、だからもう止めようぜ、そんな生き方息が詰まるだけだって」
勇気はそう言うと、笑みを浮かべて続ける――。
「とりあえず、俺と友達になる所からはじめねぇか?」
それはあまりにも可笑しな話だった。
さっきまで殺し合いをしていた者に、友達になろうなどと言うなんて――。
だが勇気の眼に偽りはない。
本当にロザベールと友達になれると思って言っているのだ。
「俺の婆ちゃんが言ってたぜ、悪い事しても謝って許して貰えばいいんだってさ、だからさお前もフェニックスとネネリとリリィに謝ってさ許して貰おうぜ、一人じゃ謝れないなら、俺も謝ってやるからさ!」
それは、子供の喧嘩の理論だ。
これは戦争で、もっとスケールが大きく、怨恨の根は深い。
だが勇気は本当にコレで良いと思っている。
単純なのか素直なのか、本当にそんな簡単な事で良いと思っているのだ。
だが勇気自身、アレほど激高していたのに、もうロザベールに対する怒りは全くない。
本当に一発殴っただけで、彼を許そうとしているのだ。
それは、どこまでも単純で――どこまでも真っ直ぐだ。
「…………」
他種族を差別せず、例え酷い仕打ちを受けてもやり返さずに、謝れば許す。
そんな事普通の人には出来ない。
ただの男子高校生のはずの勇気が、とても眩しく見えた。
その真っ直ぐな生き方が、その聖人の様な行いが全て眩しい。
だからこそ――辛い。
「ロザベール?」
なかなか返事を返さないので、勇気が声をかけた時だった。
ガリっ。
何かを噛み潰したような音が聞こえた。
一体なんの音か分からずにいると――ロザベールが血を吐いた。
「――なっ!」
勇気の一撃のせいではない。
慌てる彼の前で、ロザベールは更に真っ赤な血を吐き、顔色がみるみる悪くなっていく。
「こいつ、自決用の毒を仕込んでいたのか!」
「フェニックス涙を、ロザベールを治してくれ!」
「無理よ、癒しの涙でも……もう間に合わないわ」
自決用の毒は、絶対に死ねる様に毒性が強い。
フェニックスの涙による治癒能力でも、治せないほどに――。
「おい、しっかりしろよロザベール!」
「……うぬ、ぼれるな異邦人」
ロザベールは辛そうに言葉を発する。
全身を引き裂く様な痛みに襲われながらも、勇気へと口を開く。
「わた、しは……、人間に怒っている……人間が、憎い」
あの時思った感情は本物だ。
この胸にある、怒りも憎しみもロザベール本人の意思だ。
そうで無ければ――彼の全てが、無意味な物になってしまう。
「わ、たしは、間違ってなど……ぃない、私の……人生は、正しい」
人間に捕まり酷い仕打ちを受け手足を捥がれ、シュカリバーンに拾われヴェルハルガルドで魔王になり、シャヘラザーンを滅ぼそうと妖獣兵を造った。
勇気を受け入れるという事は、彼の人生の大半を否定する事になる。
それはつまり、ロザベール自身の否定を意味していた。
「わ、たしは……お前の、ようには、なれ、ない……」
「ロザベール!」
眼が徐々に虚ろになり生気が無くなる。
それは、命が今失われる事を意味していた。
ロザベールは空を見上げると、敬愛する者の姿を思い浮かべる。
「シュカリバーン……さ、ま」
ロザベールはその幻影を掴もうと、手のない腕を伸ばす。
「ど、ぅか……我らが悲願を……」
心残りはただ一つ。
これから成される、偉業をこの眼で見られなかった事――。
そして掴む為の手さえない腕は、力なく崩れ落ちた。
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勇気はそれを黙って見ている事しか出来なかった。
彼が死ぬのを、見ている事しか出来なかったのだ。
「ロザベール……」
もう話さない、もう動かない。
勇気はロザベールを、どこか唖然とした表情で見下ろしていた。
男子高校生だった勇気には、毒を飲んで自ら死を選んだ彼の行動は理解出来ない。
「……どうしてだよ、死ぬ事なんてないだろう」
「ユーキ……、アンタのせいじゃないわ」
リリィは勇気へと近づくと、彼の頬を撫でた。
ロザベールには、勇気の生き方はあまりにも眩し過ぎたのだ。
全てを否定して、一からやり直す事ほど難しくて怖い事は無い。
「でも……俺はお前も助けたかったよ、ロザベール」
勇気は、悲しそうにそう言う。
ロザベールの死を悼むその姿を、バルトロウーメスは見下ろしていた。
だがコレで、シャヘラザーンの民達は守られる。
妖獣兵と魔王の危機は去ったのだから――。
「……なんか、妙にあっさりしてる気がしない?」
「何?」
「妖獣兵はシャヘラザーン侵攻の要だったのに……魔王一人で守るなんて変よ」
魔王が強いのは分かるが、それにしたって妖獣兵を護衛する兵がいたっていいはずだ。
ましてや相手は、ベルカリュースの中でも最大の国家であるシャヘラザーン、少々不用心すぎる、果たして魔王ともあろう者がそんなヘマをするだろうか。
「何を言っている……折角勝利したというのに、その様な事」
「だってそうでしょう……それに、あのエルフと竜はどこに行ったのよ」
シャハナ火山に現れて、魔法を放って去って行ったエルフ。
魔王将シュカリバーンの姿が見当たらない。
アレだけ巨大な竜に、絶滅したと思われていたエルフが乗っているのだ、戦場で目立たない訳がない。
「伝令は何も言っていなかった、ここにもいない……可笑しいでしょう」
リリィの言う通りだ。
彼女の言葉を聞いて、バルトロウーメスも何か嫌な予感を感じ取った。
第六感の様な曖昧な物で確証はないが、何かとんでもない事が起ろうとしている様な気がする。
晴れ渡った東の空はとても青いのだが――、なぜか今はその青さが恐ろしかった。
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シャヘラザーン 王都・ハルディアス。
ベルカリュースでも最大国家であるシャヘラザーンの王都は、その大きさも他国の比ではない。
人口一五万人が、高く頑丈な城壁の中で暮らしている。
この都は芸術面でも非常に優れていて、稀少な白輝鉱をふんだんに使って作られた、まさに住める芸術品というに相応しい。
中でも最も見る者を圧倒するのは、都の中心にそびえる城。
シャヘラザーンで最も高く、最も美しい城は、まさに世界の王が住むに相応しい。
その玉座の間で、女帝エリザベージュは苛立っていた。
「ロレンドは、まだあの虫けら共を捕まえて来ぬのか!」
それは自分に歯向かって来た勇気達の事だ。
特に殴られた訳でもないのに、異常なほど怒っていた。
機嫌の悪い彼女が何をするか分からないので、大臣や貴族達は歯向かわずに、ただ彼女の逆鱗に触れない様に小さく縮こまる。
「わらわに歯向かったのだ……、轢き回して極刑に処してやる……」
出来るだけ苦しむやり方で勇気達を殺す事を考えていると――突然大扉が開け放たれた。
「――皇帝陛下!」
息を荒げて入って来たのは、伝令の騎士だった。
とても急いでいるせいか作法など全て吹っ飛んでいて、その姿を見たエリザベージュは眉を顰める。
「皇帝陛下の御前であるぞ、この不敬者め!」
尽かさず大臣が叱咤するのだが、伝令の騎士はそんな事を無視して声を張り上げる。
「報告いたします! 現在ヴェルハルガルドの軍勢四万が、マグニ国境へと侵攻!」
四万と聞いて、正直驚いた者も多かった。
最近は小規模な戦闘ばかりで、時期にヴェルハルガルドは自滅すると言われていたのだから、それほどの兵が残っていた事が驚きだ。
「……たかが四万ではないか、国境には六万の兵がいるのだぞ、その程度では我がシャヘラザーンの守りは破られる訳ない」
数からしてもこちらの方が圧倒的に上、防衛の拠点であるリンシェンに辿り着く事も無く、ヴェルハルガルド軍は全滅するだろう。
「放って置け、どうせ魔人共は全滅だ」
「はっ、ではその様に」
伝令は大臣の言葉を受けて下がろうとしたのだが、それを引き止めたのは意外にもエリザベージュだった。
「待て」
皇帝であるエリザベージュが、たかが伝令を引き止めるなど珍しい。
これには伝令の騎士も驚いた様で、平服しながらも顔が引きつっている。
「随分上手く化けている様じゃが、わらわの眼は誤魔化せぬぞ」
「はっ……なんの事でしょうか?」
エリザベージュは伝令を鼻で笑うと、妖精の羽根を編み上げて造った増幅器を手に取る。
七色に輝く結晶が、怪しく光る。
「とぼけても無駄じゃ……正体を見せよ、ヴェルハルガルドの犬め!」
彼女の言葉に大臣や騎士達は戸惑った。
目の前にいるのは、間違えなく人間でシャヘラザーンの騎士だ、魔人ではない。
どよめく玉座の間、しかしそんな喧噪を遮ったのは――伝令の騎士の言葉だった。
「……ふん、どうやら優秀な魔法使いというのは、嘘では無かったようだな」
一国の王に対してあり得ない態度。
その表情は先ほどとは打って変わり、氷の様に冷たく、刃の様に鋭い。
伝令の突然の変わり様に皆驚愕していると、突然光り輝く。
眼をくらませるほどの光を放ったかと思うと、次の瞬間には騎士は消えて無くなり、そこには全く別の者が立っていた――。
それは、魔王将シュカリバーンだった。
黒い鎧に身を包んだ子供の様に見えるが、外見に合わない大人びた表情と、真っ直ぐ伸びる長い耳が、エルフの証。
数千年前に滅んだはずのエルフ、それが目の前にいるなどあり得ない事だ。
「……初めまして、ワタシはヴェルハルガルド魔王将、シュカリバーン」
ヴェルハルガルドの魔王将、と聞いてざわついた。
シャヘラザーンでも、ヴェルハルガルドは魔王が治めているのではないのではないかという話は前々からあった。
魔王は複数いて、更にそれを束ねる存在がいる事と推測していたのだが、実際にその姿を見た者はおらず、あくまでも推測に過ぎなかった。
しかし今それが目の前にいて、しかも絶滅したはずのエルフだったなど――最早何を驚けばいいのか分からない。
伝説の存在を前にして、大臣や貴族、更には騎士達もどこか恐怖している様子だったが、エリザベージュは違う。
「その程度の幻術で、わらわを騙せると思うたか……老害め」
本来ならば、神の寵愛を最も受けた種族であるエルフは、崇められるべき存在。
しかしエリザベージュはそんな気はない。
なぜならその種族を滅ぼした者こそ――人間なのだから。
「敵陣にわざわざ乗り込むとは……エルフというのは長く生き過ぎて、良し悪しも分からなくなったのかのぉ?」
シュカリバーンを見下し、強い態度をとるエリザベージュ。
エルフは神に最も近いと言われる存在だが、彼女の手には魔法を増幅させ威力を上げる結晶がある。
エリザベージュは無敵、一体何を恐がるというのだろうか――。
「……ワタシにも多少の慈悲という物はある、踏み潰されるだけの草にも、多少の心配りをしてやろうと思っただけだ」
ベルカリュース最大の国家であるシャヘラザーン、それを草と言った。
例えエルフであろうとも、そんな侮辱は許されない。
「よほど死にたいようじゃのぉ……」
結晶を握るエリザベージュの手に力がこもる。
怒りのこもったその表情を、シュカリバーンはどこか余裕そうに見つめる、その顔が余計に彼女の感に触った。
「たった一人で敵討ちとはいい、度胸だのぉ……仲間のエルフを呼んでも良いのだぞ?」
「……ふっ、くだらんな」
エリザベージュの挑発を鼻で笑うと、シュカリバーンはどこか本心の読めない表情でこちらを見る。
「……最早仇討ちに対して何の感情も抱かない、長すぎる年月はワタシからそんな感情まで奪って行った」
人間に殺されたエルフ達の敵、それが目の前にいるというのに、何も思わない。
『神の裁き』から永遠に近い時を生きて来たシュカリバーンは、感情さえもどこかへ失くしてしまった。
「……エルフを殺されヴェルハルガルドの将となり二千年、そしてようやくこの時を迎えられる」
シュカリバーンはそう言うと、右手をエリザベージュへと向けた。
魔法を放つつもりなのだろうが、エリザベージュには結晶がある、いかななる魔法でも消し去る自信があった。
それが例え、小神族と例えられる存在であっても――。
「無駄な事だ、今のわらわにはいかなる魔法も効きはしない、全て消し去ってくれる」
ベルカリュースの魔法は全部で十段階に分けられている。
数字が大きくなればなるほど、その魔法は強大な物になるのだが、魔法陣が大きくなり詠唱に時間がかかるというデメリットがある。
しかしエリザベージュは『大魔導士』の特殊技能と増幅器である結晶の力で、三型を七型へと威力の底上げが出来る。
この世界で、七型の魔法が使えるのは本当に限られた存在で、それを消し去る事が出来るというのは、無敵であるという事だ。
いかにエルフが強くとも、エリザベージュには関係ない。
「我が七型の魔法の前に、失せよ老害め!」
エリザベージュは魔法を放とうと意識を集中させる。
しかし、それを遮ったのは騒がしい大臣や貴族達だった。
「こっ、皇帝陛下アレを!」
「邪魔をするでない……貴様、ら?」
エリザベージュは振り返ると、大臣の一人が窓の外を指さしていた。
今日は快晴で晴れ渡った青い空が見えるだけなのだが――、遥か遠い城壁の上に、黒い何かが見える。
眼を凝らして見ると――、それはシュカリバーンだった。
「なっ……なんじゃとぉ」
違うエルフかと思ったが、そんな事は無い。
城壁の上に、立っているのは眼の前にいるシュカリバーンと髪の毛一本の違いも無い、間違えなく彼本人。
「あっアレを!」
更に別の者が、外を指さす。
反対側の城壁の上にも、シュカリバーンが立っていた。
同じ者が三人も現れるなどあり得ない。
幻術にしては独特の違和感がない、そうなるとコレは――。
「思念体……か」
魔力により自身の分身を作り出す魔法。
とても高度な技で、並みの魔術師ならば一体の思念体を作るのが精いっぱいと言う所を同時に二体も操作している。
「思念体で何をすると言うのだ……」
しかもあんなにも離れた距離で、一体何が出来るというのだろうか。
エリザベージュは思念体など気にせず、眼前にいるシュカリバーンを睨む。
しかし――。
「北側と南側にも、エルフを発見!」
「……なに?」
コレで東西南北、全ての城壁の上にシュカリバーンの思念体がいる事になる。
普通の者なら、その配置に意味を見出す事は出来ないだろうが、エリザベージュは魔法使いとして一流の腕を持っている。
その円を描く様な配置に、ピンと来た。
「多重詠唱か!」
それは、高度な魔法を行う時に用いられる技法。
莫大な魔力が必要になる魔法や、長文の詠唱を使いやすくする為の物だ。
しかしコレは、一流の魔法使いが複数で行う物であって、自身とその思念体によって行うのは容易な物ではない。
魔法の術式の構築と、思念体の維持を同時にやらなければならない為、術者には繊細なコントロールが求められる。
「貴様、何をするつもりじゃ!」
エリザベージュがそう怒鳴った時、突然空が暗くなった。
まだ日が暮れるには早すぎる、太陽は空高くにいるのだから――皆窓から空を見上げ、状況を確認した。
空には、巨大な黒い魔法陣が浮かんでいた。
大きさだけなら、一キロにも及ぶだろう。
それほど巨大な魔法陣など誰も見た事が無い、他に前例も無かった。
魔法陣は黒い光を放ち、それが陽光を遮っている。
その異質なものに、ハルディアスの一般市民達も驚き戸惑っていた。
「なんじゃ……アレは」
魔法の強さという物は、魔法陣の大きさと詠唱の長さに比例する。
結論を言うと――魔法陣が巨大になればなるほど、詠唱が長くなればなるほど、その魔法は強くなる。
目の前のシュカリバーンは、多重詠唱を使わなければならないほど長い詠唱で、誰も見た事が無いほど大きな魔法陣を展開している。
つまりそれは――――誰も見た事が無いほど、強い魔法という事。
「貴様――何をしようとしておるのじゃ!」
「時は来た、我が討つは終焉の一撃」
エリザベージュには分かった。
リリィの強力な複合魔法を消した彼女でも、この魔法は消せない。
規模がまるで違いすぎる。
「死ね、老害が!」
防ぐ方法はただ一つ、魔法の発動前にシュカリバーンを殺す。
魔法増幅器に魔力を込めると、魔法陣と詠唱を破棄して魔法を発動させる。
シュカリバーンの頭部が歪んだかと思うと、そのねじれに体が巻き込まれた。
次の瞬間、シュカリバーンの頭がねじ切れた。
脆く崩れ落ちるその姿を見て、エリザベージュは微笑む。
「ふっふふ、エルフなどおそるるに足りず……」
伝説の存在も所詮この程度なのだ、そう思ったのだが――空に現れた魔法陣が消えない。
本体であるシュカリバーンは死んだはずなのに、魔法陣は空にあり続けている。
「なっ!」
すると崩れ落ちたシュカリバーンの体が、光の粒子となって消えた。
死体が消えるなどあり得ない――つまりこれは思念体。
「どこじゃ……エルフは、あのエルフはどこにおる!」
本体を殺さなければ、あの巨大な魔法は発動してしまう。
エリザベージュはすぐさま、城壁の上にいたシュカリバーンも殺すが全て思念体。
「あっ……」
そして黒い魔法陣は、一段と強く輝く――。
王都ハルディアスの上空一五〇〇メートル。
そこに、黒い鱗の竜に跨ったシュカリバーンはいた。
遥か下界の人間の街を見下ろしながら、巨大な魔法陣の最後の詠唱をする。
「原初の理、逆行する時、封鎖する空間、万物は我が焔の前に壊滅する」
黒く輝く魔法陣は、さながら夜の闇の様に暗い。
それはまるで全てを呑み込む様に、鈍く光る。
シュカリバーンは、感情のない冷めた表情を浮かべ、口を開く。
「――今こそ、約束を果たそう」
そして、黒い魔法陣は漆黒の光を放ちながら発動する。
それこそ、誰も見た事が無い八型の魔法。
伝説の存在、小神族にのみ許された異次元の領域。
「複合魔法『地獄炎爆裂閃』」
その日、黒い太陽が昇ったと歴史書は語る。
ベルカリュース最大の国家であるシャヘラザーン、その王都ハルディアスの名はこの日を持って歴史から消滅する。
たった一人のエルフが放った一撃によって――、一五万人が住む都市が消失した。
その光景を見た者は後に語る。
黒き焔が、街を呑み込んだと――。
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「なんだ……アレは」
バルトロウーメスは、東の方角に見えた黒い輝きを見て唖然とした。
太陽は頭上にある、夕暮れにはあまりにも早い。
ならばあの禍々しい闇は、一体何なのだ――。
「うおっ!」「ひゃっ!」「うっ!」
突然、地面が揺れた。
ここベルカリュースでは、火山でも噴火しない限り地震は起らない。
震度にして3、あるいは4くらい、その程度の物でもシャヘラザーンに暮らすリリィやバルトロウーメス達は、感じた事の無い揺れだった。
「なに今の揺れ……、それにあの光……」
東の黒い輝きといい、この揺れといい、何かが起こっている。
しかもこの方向は――。
「……ハルディアスの方向だぞ」
王都で一体何があったというのだろうか、何も分からないバルトロウーメスもリリィも戸惑うばかり。
しかしその時――。
赤い鱗のワイバーンがこちらに向かって来た。
そして、繰っていたドワーフの青年フォルドが飛び降りる。
「ロザベール様ぁ!」
そして、敬愛する魔王の名を呼ぶが――既に遅い。
見るも無残な姿となり、息絶えたロザベールの姿が、彼の眼に飛び込んで来た。
「そんな……、ロザベール様」
アレほどいた妖獣兵はどこに行った、このクレーターはなんだ。
何もかも理解できないが――、ロザベールは眼の前にいる人間達に殺されたという事だけは分かった。
「よくも……、よくもロザベール様をおおおおお!」
激高するフォルドは、背負っていた身の丈に合っていない巨斧を掴み取る。
彼の細い腕には斧が大きすぎるのだが、フォルドはそれでも斧を構えた。
「ヴェルハルガルド兵か……」
バルトロウーメスは大剣を引き抜くと同時に理解した、フォルドは弱い。
武を極めると、見ただけで相手の力を量れる様になる。
彼はバルトロウーメスの足元にも及ばないだろう。
「ロザベール様を人間なんかに渡さない! その方はヴェルハルガルドの英雄なんだ!」
「敗者の死体は晒されるのが常識だ、この魔王の死体は轢き回して、群衆の眼にさらす!」
討たれた将の死体は、晒されるのが基本だ。
民や兵に見せる事によって士気が高まり、相手の戦意を削ぐ事にも繋がる。
だから例え死体であろうとも、ロザベールを渡す訳にはいかなかった。
「我が命を懸けても、ロザベール様を取り返す!」
敬愛する君主の名誉の為に、フォルドは死んでも死体を取り返すつもりだ。
そうしなければ、ロザベールが死んでも尚苦しめられる事を知っているから。
「ならば魔王共々晒されるが良い!」
バルトロウーメスはそう言うと、闘気を大剣に込める。
この一撃で、フォルドを殺すつもりだったのだが――それは勇気によって阻まれた。
「止めろよ、バルメス」
勇気は大剣を掴んで、彼にその一撃を震わせない。
フォルドは敵だ、なぜその邪魔をするのだ。
「……ロザベールを、連れて帰ってやってくれ」
「なっ――何を言う貴様!」
既に死んでいるというのに、なぜそこまでするというのだ。
治療しようとする事と良い、今度は死体も返還しようとするなど、最早ついていけない。
制止を無視してバルトロウーメスはフォルドを斬ろうとするのだが――、勇気は声を荒げた。
「いい加減にしろ、まだわからねぇのかバルメス!」
「私が何を解っていないというのだ、理解していないのは貴様の方だろう!」
敵と味方の区別も出来ない、底なしのお人好し。
子供の様な理論しか言えない勇気に、そんな風に怒られる言われは無い。
「いいや、分かってねぇのはアンタの方だ! ロザベールがこの国を滅ぼそうとしたのは、人間が差別したからだろう!」
長く続くシャヘラザーンの異種族差別。
生まれた事も、生きる事も否定されたロザベールは、間違えなくその被害者だ。
「ロザベールを魔王にしたのは、人間の方だろう!」
最初に差別をしたのは、シャヘラザーンだ。
結果的に武力を行使したロザベールや、ヴェルハルガルド側も悪いかもしれないが、それでもそのきっかけを作ったシャヘラザーンに全く非が無い訳ではない。
「人間が差別しなければ、ロザベールは人間を恨まなかった、魔王にはならなかった! そんな事も分かんねぇのか!」
シャヘラザーンは被害者でもあるが、加害者でもあるのだ。
それを理解し、今ここで差別を断たなければ、永遠にそれが続いていく事になる。
自らの行いを受け入れ、罪を清算しなければ、もう本当に変われなくなってしまう。
「うっ……」
勇気の言葉に、バルトロウーメスは言葉を失った。
それくらい、彼の言っている事は正しい事だったのだ。
「リリィ、頼む」
「……分かったわ」
リリィは頷くと、ロザベールの死体をフォルドの元へと転移させた。
「ロザベール様!」
フォルドは冷たくなった主の死体を抱き上げた。
その冷たさが――彼の怒りの炎を更に燃え上がらせる。
憎々しくバルトロウーメスを睨みつけると、絶望を告げる。
「あの黒き光は、我らが魔王将シュカリバーン様の御業! お前達人間の王都は、古の存在によって滅ぼされた!」
「な……んだと」
戦場でも見当たらなかったエルフ、魔王将シュカリバーン。
それが王都にいる――そんな馬鹿な事あり得る訳がない。
しかし、あの東の方角の禍々しい光といい地震といい、ありえない現象がフォルドの言葉に信憑性を与える。
「シャヘラザーンは、間もなく我らが将によって蹂躙される! 長きに渡る自らの愚行を、今悔やむが良い!」
フォルドはそう言い放つと、ワイバーンを呼び寄せてそれに跨った。
彼は最後に勇気を睨みつける。
「お前の顔は覚えたぞ人間、いつか必ず……ロザベール様の恨みを晴らす!」
そう言い残して、フォルドは空へと飛び去って行った。
「…………」
勇気はその姿を、ただ黙って見上げていた。
「ハルディアスが……滅ぶ訳がない、あそこには皇帝陛下もいらっしゃるのだぞ……例えエルフとはいえ、あの方に勝てる訳がない……」
エリザベージュの魔法の強さは折り紙付き、エルフにも引けを取らない。
王都は大丈夫だ、王都の民は大丈夫だと、バルトロウーメスは自身に言い聞かせていた。
恐怖と不安が押し寄せて、冷静さを失いつつある彼を無視して、勇気は歩き出す。
「……ユーキ、どこに行くの?」
「もう一人……殴らねぇといけねぇ奴がいる」
そう言って歩く彼は、あの禍々しい光の方向――つまりハルディアスの方へと向かっている。
そこにいるのは最古にして最強の存在。
「魔王将を、ぶん殴る!」
恐れを知らない『不死』の少年の――最後の闘いが幕を上げた。




