第四五話 そんなの、間違ってる!
魔王ロザベールは、上空からその邪魔者を見ていた。
ワイバーンの下には、二万の妖獣兵。
彼自身が造り上げた『炉』で生成した、最強の兵団。
この兵力の前にしても、たった二人で立ち向かってくる。
「……ロザベール様、あいつらは一体?」
ロザベールと共にやって来たフォルドは、妖獣兵を次々に倒すリリィと勇気を驚いた様子で見下ろす。
妖獣兵の強さはフォルドも恐怖する、味方で良かったと心から思った。
それに立ち向かっている者がいるなど、信じられない。
「…………やはり、邪魔が入るか」
ロザベールはそう呟いた、デスマスクのせいでどんな表情なのか分からない。
勇気に殴られへこんだ鎧を撫でる。
その手は怒りに震えている様に見えた。
「フォルド、お前はこの事をシュカリバーン様に報告しろ」
「それではロザベール様を一人で残す事になります!」
「妖獣兵は私が統括しなければならない、動けるのはお前だけだ」
「しかし……」
「シャヘラザーンを滅ぼす為には、作戦を成功させなければならない」
コレは失敗の許されない作戦なのだ。
正確な情報を伝える事こそ、一番大切な事。
「……行け、シュカリバーン様に伝えるのだ」
「ロザベール様……」
フォルドは、赤い鱗のワイバーンの手綱をしっかりと握ると、強く決意した様に言った。
「シュカリバーン魔王将様にお伝えいたします……そしてロザベール様の元へ戻り、このフォルド必ずや貴方様をお守りいたします!」
「ああ……頼むぞ」
「はっ!」
フォルドは手綱を引くと、旋回して本陣へと飛び去った。
後ろ姿を、ロザベールは黙って見送る。
そして眼下の妖獣兵達とそれに果敢にも挑む、勇気へと視線を移した。
二万の軍勢に比べれば、小さな存在だというのに、二人は止めない。
「……シュカリバーン様、もしかすると一番厄介なのは……前線の軍ではなく、奴らなのかもしれませぬ」
たった二人で二万の軍勢に挑む彼の方が、六万の敵兵よりもずっと厄介だ。
彼らの『勇気』の方が、ずっと危険。
だからこそ、作戦の障害にならない内に、排除しなければならなった。
「全ては、我らの復讐の為に……」
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「だあああああっ!」
勇気は、獅子頭の妖獣兵の頭部を殴り飛ばす。
頭蓋が割れ、脳漿を飛び散らせながら妖獣兵は崩れ落ちた。
血質継承によって強化された拳なら、巨大な妖獣の頭蓋を砕く事など容易。
妖獣兵は、フェニックスの心臓のエネルギーで動いているだけ。
元々は死骸、再生能力は無く致命傷を負えば機能停止になる。
勇気の拳で、十分倒せる。
「だっくそっ、数が多いなぁ!」
問題はその数の多さ、もう何匹倒したか覚えていない。
だが妖獣兵の数は全くと言っていいほど、減った感じがない。
倒しても倒しても、次から次へと湧き出て来る様だ。
『ギシャアア』
『グアアアアア』
『フシャアアアア』
雄たけびを上げながら、三体の妖獣兵に囲まれる。
爪や牙で、三体同時に勇気へと襲い掛かった。
「屈んで、ユーキ!」
リリィはそう叫ぶと、紫色の魔法陣を展開させる。
「紫魔法『雷槍』!」
魔法陣が一段と輝くと、雷が放たれる。
雷は槍となって、妖獣兵達を貫いた。
妖獣兵の体は、光の粒となって消えて行く。
「油断しない、生き返るとはいえ死んでる時間なんてないのよぉ!」
相手は二万の兵、一秒と死んでいる暇など無い。
「悪いリリィ……でも、お前の方はまだ大丈夫なのか……」
二人は背中合わせになり、それぞれ目の前の妖獣兵を睨む。
勇気と違って、リリィは限りある命。
本来こんな無茶な事、出来る訳がないのだ。
「まだまだウォーミングアップよ……むしろ久しぶりに本気を出せて、ちょっと気持ちいいくらい」
リリィの羽根は、七色に輝いていた。
羽根から大量の魔力が供給され、今リリィは数千年ぶりに本気で戦っているのだ。
「いいユーキ、幾らフェニックスの心臓を使って生命エネルギーを注入しても、普通はこんな風に兵隊としては使えないわ」
妖獣兵からは知性は感じられない、しかし正確にこちらを攻撃して来ている。
生命エネルギーを入れただけでは、ただ生きている事しか出来ないだろう。
「こいつらには、フェニックスの生命エネルギー以外にも何か秘密があるはずよ!」
現段階では何も分からないが、何かあるとリリィは踏んでいた。
死霊魔法の様に、死骸を使役する何らかの秘密。
「秘密ったって……なんも分かんねぇよっとぉ!」
勇気は向かって来た妖獣兵を殴り飛ばしながらそう言った。
「とにかく気を付けろって事よぉっ!」
リリィは、光魔法を放ちながら答える。
戦闘が始まって数十分、二人の周囲は妖獣兵の残骸だらけなった。
その数は、おそらく千を超えただろう、だがまだまだ敵はいる。
「ええいっ、これでも喰らいなさい!」
リリィは、右手を向けると薄紫色の魔法陣が展開される。
「雷霆は走り聖なる光は廻る、不浄な敵を討ち、浄化せん!」
電流を帯びた光の輝きが一層に増すと――、光は周囲へと拡散する。
「複合魔法『雷霆・聖光円環』!」
妖獣兵を消し飛ばし、雷が周囲を焼き焦がす。
周囲は焼け野原となり、一匹の妖獣兵は残骸さえも残っていなかった。
流石は複合魔法、一気に三百体は倒しただろう。
「ふん、どんなもんよ!」
リリィは空中で仁王立ちしながら、そう言った。
無双状態でほぼ敵なし、これなら本当に二人でこの軍勢を倒してしまいそうだ。
しかしその時――。
「緑魔法『風槍』」
緑の魔法陣から風の槍が、上空から放たれた。
リリィと勇気は急いで避けると、槍は地面に着弾する。
轟音と共に、大量の土が巻き上げられた。
「……コレは」
この声を聞いた事がある、この魔法を見た事がある。
勇気は振り返ると、その人物を睨みつけた。
「魔王……」
黒いワイバーンに跨った、隙間のないフルプレートの鎧に身を包んだ男。
シャハナ火山でフェニックスを殺し、心臓を抉り取ったあの魔王が、目の前にいる。
勇気は腹の奥底から沸き上がる怒りを、感じた。
「よくもフェニックスの心臓で、こんなもんを造りやがったな、ぜってぇ許さねぇからな!」
「…………だからなんだ」
「なにっ?」
ワイバーンから飛び降りると、ロザベールはまるで猫の様に身軽に着地して見せた。
数万の兵を率いるに相応しい覇気を感じる。
リリィと勇気はそれぞれ身構えた。
「お前に許しを請うつもりなど無い……許されようとも思っていない」
「なんだとぉ……てめぇ」
フェニックスを殺した事を、魔王はどうとも思っていない。
あんな風に、簡単に命を奪うなど、勇気は許せなかった。
「私はシャヘラザーンを滅ぼすだけだ、その為に必要な事ならばなんだってやる」
「相手にしちゃ駄目よユーキ、こんな神を侮辱した様なモノ造る奴よ、始めっから血も涙もないわ!」
相手にするだけ初めから無駄なのだ。
この魔王は、命を命と思っていない、
「我が名はロザベール・ヴォルフェ、ヴェルハルガルドの魔王が一人」
ヴェルハルガルド最強の一角、魔王ロザベール。
デスマスクをしていても隠しきれない、覇気と殺気を感じた。
「そして貴様を殺す、男である」
ロザベールはそう言って右手を出した。
瞬間、緑色の魔法陣が展開されて、強く輝く。
「緑魔法『風槍』」
風の魔法、この程度ならば血質継承で強化された勇気にとってはどうという事は無い。
右手に力を集めると、風の槍をぶん殴って無効化してやろうとするのだが――。
「えっ――」
風はリリィに向かって放たれる。
てっきり勇気を狙うと思っていたので、狙われたリリィは酷く驚いた。
「リリィ!」
「きゃあっ!」
ギリギリの所で避けると、突風がすぐ横を駆け抜けて行った。
もう少し遅かったら、吹き飛ばされていただろう。
「てめぇ、狙うなら俺にしろ!」
「貴様は殺した所で死なぬ、貴様にはその大切な妖精の死をもって、精神的な死を与えてやろう」
そう言ってロザベールは、再び魔法陣を展開させる。
狙いはリリィで勇気には眼もくれない。
「赤魔法『火炎弾』」
赤い魔法陣から炎弾が射出され、リリィへと迫った。
リリィは宙を飛んで回避するのだが、すぐさま次の魔法が放たれる。
「あっもう……!」
ロザベールは強力な魔法を警戒しているのか、リリィに魔法を放つ隙を与えない。
少しでも隙があれば、魔法を放つというのに――。
「妖獣兵の素材にも限りがある……、その力と特殊技能は脅威だ、今ここで死んで貰おう」
ロザベール更に魔法を放とうと、今度は緑の魔法陣を展開する。
妖精は羽根が生えているが、フェニックスほど速く飛べる訳ではない。
魔法を回避し続けるスタミナがある訳でもなく、リリィは完全に狙いを定められた。
「死ね――、緑魔法『風槍』」
風の槍が、リリィに向かって放たれた。
避けられない、リリィがそう思った時――。
「うりゃあっ!」
勇気が、風の槍を殴り飛ばした。
術式が無効化され、ただの空気へと戻って行く。
「ちっ――」
ロザベールは再び魔法を放とうと、魔力を右手に込める。
だがその時、勇気が声を張り上げた。
「俺ごとやれ!」
その言葉の意味を、ロザベールは分からなった。
しかしその時、勇気の背後で白い光が輝く。
眼をくらませる白い光の正体を、光が勇気の胸を突き破ってから知った。
光の槍が、ロザベールへと襲い掛かった。
リリィは勇気ごと、ロザベールに向かって魔法を放ったのだ。
不死でなければ出来るはずがない戦法。
予想もしなかった攻撃に、ロザベールは反応が遅れた。
「ぐうっ――」
ギリギリの所で避けたが、リリィの強力な光魔法は凄まじい衝撃を生む。
余波だけで、デスマスクが割れるほどだった。
「ごふぁ……」
胸を貫かれ、勇気は血を噴き出した。
だが特殊技能と血質継承によって、瞬く間に再生していく。
「惜しい、かすっただけ!」
「相変わらず容赦ねぇなぁ……まぁ俺が言ったんだけど」
リリィに殺されるのは、コレで何度目だろうか。
しかしとっさの判断だったにも関わらず、彼女は良く反応してくれた。
二人は既に、コンビとして十分な絆を持っている。
「……よくも、我が仮面をぉ」
ロザベールは、そう憎しみのこもった声で言った。
デスマスクは二つに割れて、地面に落ちている。
「……絶対に、許さん」
目鼻立ちの整った顔、青い眼に薄い金色の髪をしている。
歳は二〇代後半くらいなのだろうが、どこかやつれていてそれよりも上に見えた。
「…………いっ、イケメンじゃねーか」
てっきりブサメンかと思ったが、隠すほど酷い顔ではない。
しかし問題は顔の造りではなく、右頬から首にかけての鱗。
淡い光沢を帯びた、青い鱗がとても不気味だった。
「……鱗、蜥蜴人か?」
「違うわ……蜥蜴人なら、もっと鱗に覆われてるわよ」
ロザベールはあくまでも顔の一部分だけにしか鱗がない。
彼は明らかに蜥蜴人ではない、リリィも見た事ない種族だ。
「ヴェルハルガルドにいるのは魔人だけど、あんな魔人は見た事ないわ」
魔王ロザベールは、普通の魔人ではない。
彼には何か、秘密がある。
「イケメンが顔隠すって、嫌味だぞこんちくしょう!」
「…………黙れ」
ロザベールが右手を振るうと、妖獣兵達が二人を囲み始めた。
このまま完全に囲まれるのは分が悪い、リリィは詠唱を始める。
「っ……、雷霆は走り」
「赤魔法『火炎弾』」
複合魔法を放とうとするリリィに向かって、ロザベールは魔法を放つ。
リリィは詠唱を止めてそれを避けた。
「――くっ、面倒ね」
この二万の妖獣兵だけでも面倒だというのに、加えて魔王ロザベール。
妖獣兵の軍勢と魔王を、勇気とリリィだけで相手をするにはあまりにも分が悪い。
せめてどちらか片方ならば、まだやりようがあるのに――。
「この数と魔王である私を前にして、その妖精は一体何時までもつかな」
「リリィお前はあいつに近づくな! あいつの相手は俺がする!」
不死である勇気がロザベールが相手をして、妖獣の特攻特殊技能を持っているリリィが妖獣兵の相手をする様にするのだが――ロザベールは執拗にリリィを狙う。
「ぐっ……はっ!」
ロザベールの魔法を避けると、妖獣兵がリリィの目の前にいた。
避けるのに夢中で気が付かなかった。
妖獣兵は、リリィに向かってその巨大な手を振り下ろす。
「あっ――」
魔法が間に合ない、リリィは反射で頭を守るが、小枝の様な腕で防げる訳がなかった。
「リリィ!」
叫ぶ勇気の目の前で、その一撃は放たれる――。
「特殊技能『金剛』、発動」
声が聞こえた瞬間――、妖獣兵が真っ二つに斬れる。
その光景は、まるでリンシェンの路地裏で真っ二つにされた木材の様――。
「あ……なんで」
崩れ落ちる妖獣兵、その影から見えたのは馬鹿でかい大剣。
そんな物を、軽々と振るえる者はそうそういないだろう。
「バルメス!」
「バルトロウーメスだ」
彼の他にも部下が数名、それぞれ剣を構えて妖獣兵へと切り込む。
アレほど妖獣兵を怖がっていたというのに、一体なぜ。
「私はこの国の騎士だ、この国を守る事が私の使命だ! 異邦人と妖精が戦っているというのに、騎士である私が戦わぬなどそんな話があってたまるものか!」
この国と民を守る事が、騎士である彼の役目。
妖獣兵が怖いからという理由で、逃げる事など断じてあってはならない。
「自分の国ぐらい自分で守らずして、何とする!」
たった二人で、二万の軍勢へと立ち向かった二人を見て、戦う姿を見て、バルトロウーメスは決意したのだ。
彼の眼には熱い闘志が宿っている、彼だけではない、彼の部下達もまた覚悟を決めて来た様だった。
「……へへっ、じゃあよろしく頼むぜバルメスさんよぉ!」
「人の名前くらい、覚えらんか貴様は!」
バルトロウーメスは大剣を構えると、両腕に力を込める。
すると彼の周囲の光景が揺らぐ、まるで陽炎の様だ。
「我が武技を見よ!」
バルトロウーメスは、その揺らぎ込めた大剣を、振るった。
そして――轟音と共に、妖獣兵が切り裂かれた。
巨大な妖獣兵を一撃で葬るこの技こそ、彼の最強の技である。
闘気。
武術を極めた者のみが扱えるという、『気』。
魔力よりも曖昧で、本当に武を極めた者しか扱えないと言われている。
魔法の様に属性を持たせる事は出来ない。
ただの斬撃に闘気を乗せる事によって、威力を底上げしかつ斬撃を飛ばす事が出来る。
更に、彼の特殊技能は『剛力』の進化形である『金剛』。
魔力を使わずに肉体を強化できる。
魔力を全く使わない特殊技能と闘気の相性は抜群。
強化した肉体で放つ闘気の一撃は、妖獣兵を両断する必殺の技へと昇華した。
魔力を扱う事の出来ない者にとっては最強の技であり、なにより魔力と違い、使用者の闘志が無くならぬ限り、無限に使える。
シャヘラザーンに数いる猛者の中でも、バルトロウーメスにしか使えない最強の技。
「なによ……ちょっとやるじゃない」
複合魔法ほどではないけど、と小さな声で呟く。
するとバルトロウーメスと騎士達が、リリィを庇う様に円陣を組む。
「妖精の女王、こんな願いを貴方に頼むのは身勝手だという事は分かっている……だが、我々ではこの軍勢を倒せない!」
バルトロウーメスだって、倒せて数十体。
しかしリリィは違う。
この二万という軍勢に立ち向かう魔法と特殊技能を持っている。
「御身は我々が守る、どうかこの化物共を倒してくれ!」
異種族の手を借りてでも、この軍勢をここで倒したかった。
シャヘラザーンを守る為なら、何だってやる。
「……頼む、妖精の女王」
バルトロウーメスの眼からは強い意思を感じられた。
リリィはしばらく押し黙ると、頬を膨らませる。
「ふんっ……、アンタなんかに言われなくたって、アタシは始めっからこいつらを倒すつもりなのよぉ! アタシを守るですってぇ、そんな事頼んでなんかない!」
「しっ、しかし……」
やはり共闘は嫌なのだろう。
当然だ、人間は妖精達にした事を考えれば、彼女が嫌がるのは普通だ。
俯くバルトロウーメスに、リリィはぶっきらぼうに言い放つ。
「……でもまぁ、守りたければ勝手にすれば」
その言葉をバルトロウーメスが理解するのに、少し時間がかかった。
リリィは眼を逸らしながら、ちょっと恥ずかしそうだ。
「……妖精の女王、それはつまりどのような意味で?」
「なっ、もうっ分かんないわけ!」
相変わらず素直ではないリリィと、お堅い軍人であるバルトロウーメス。
面白いくらいかみ合っていない。
「言っとくけど、アタシの邪魔だけはするんじゃないわよぉ!」
リリィはそう言うと、薄紫色の魔法陣を展開する。
「くっ……緑まほ――」
「させるかぁ!」
ロザベールは、リリィの妨害をしようと魔法陣を展開するのだが、勇気が殴りかかる。
「ちっ!」
ロザベールは魔法を諦めて、回避する。
その隙に、リリィが魔法を放つ。
「複合魔法『雷霆・聖光円環』」
轟音と共に、光が妖獣兵をなぎ倒していく。
一気に百体以上の妖獣兵が消し飛ぶ。
だがリリィはそれで止まらない、更に魔法陣を展開する。
「複合魔法『白稲妻』」
空から白い稲妻が落ちて来て、妖獣兵を消した。
その辺の魔法使いならば、こんな強力な複合魔法を連続していれば魔力切れを起こして死ぬ。
だがリリィはその辺の魔法使いではない、光魔法に長けた『最初の世代』の一人。
殺そうと妖獣兵をけしかけても、バルトロウーメス達が連携して彼女を守り、その隙に妖獣兵は魔法で消し飛ばされていく。
ロザベール自身が手を下そうにも、リリィの心配が必要なくなった勇気が、ぴったりと張り付いて邪魔をする。
二万いた妖獣兵は、最早半分ほどになってしまった。
「…………」
ロザベールは、勇気へと魔法を放とうと右手を向ける。
しかし、突然その手を降ろしてしまった。
リリィが平然と妖獣兵を消し飛ばしていくのを、ただ黙って見ているだけ。
「……なっなんだ、降参か?」
勇気もこのロザベールの行動に驚いていた。
それはリリィも、バルトロウーメス達も同じだ。
皆が緊張の面持ちでロザベールを見つめていると――。
「……お許しください、シュカリバーン様」
突然誰かに許しを乞い始めた。
今更許されようなどと思ったのだろうか。
「戦力を半分も失うなど……魔王失格だ」
ロザベールは眼の前にいる勇気や、リリィ達を睨む。
彼らが偶然ここにいなければ、本来は二万の軍勢はシャヘラザーンの街を襲っていたのだ。
しかも、眼の前には死なない勇気に、強力な魔法を使うリリィ。
残りの一万の軍勢も、無事では済まないだろう。
「我々の復讐の為に、私は全てを投げ打ちましょう……」
「何を言っているのだ、貴様!」
ほとんど独り言だ、眼の前にいる敵の事など見ていない。
ただ彼は、敬愛する人物に向かっての謝罪の言葉を言っているだけ。
「貴方から賜りし鎧を脱ぐ事、どうかお許しください」
すると、ロザベールの鎧から何か音がし始めた。
どうやら彼の鎧は、内側から簡単な操作で脱げる様に仕掛けがしてあった様だ。
鎧にヒビが入り、崩れ落ちて行く。
「なっなんだ……」
まず見えたのは、右腕。
鱗に覆われているソレは人の物ではなく、蜥蜴の様な鋭い爪が生えている。
しかし左腕は、また違う。
薄茶色の針の様な剛毛が生えた獅子の物、まるで丸太の様に太い。
下半身も両脚も、まるで複数の生物の体を混ぜ合わせた様だった。
それはまるで妖獣兵と同じ――異形だった。
「何よ……アレ」
リリィもその姿に驚愕する事しか出来なかった。
長年生きる彼女も、ロザベールの様な種族は初めて見る。
いや、そんな種族が存在する訳がない。
「あんなの見た事ない……、アンタ一体何者なのよぉ!」
リリィは、そのあまりの異形の姿を前にして、半ば問いただす様に言った。
『最初の世代』である彼女さえ驚くほど、彼の姿は異質なのだ。
「……私は魔王、私はシャヘラザーンを滅ぼす者」
ロザベールは、足元に転がっていた妖獣兵の肉片を踏む。
するとその肉片がボコッと膨らんだかと思うと、一瞬でロザベールの脚へと取り込まれていく。
肉片の分だけ、ロザベールの体が大きくなる。
「流石は化物の国、外見も能力も異形という事か……」
バルトロウーメスは、ロザベールへと大剣を構える。
体中の闘気を集中させて、いつでも技を放てるようにした。
祖国を滅ぼそうとする魔王へと、怒りを向ける。
「ここは我々の国だ、私がいる限りこの国を! ヴェルハルガルドの侵略者などに滅ぼされるものか!」
祖国も民も、バルトロウーメスの大切な物だ。
それを、こんな異形の魔王に破壊させる訳には行かない。
「……ふっふふ、ヴェルハルガルドの侵略者か」
「何が可笑しい!」
笑う彼に、バルトロウーメスは怒る。
だが、ロザベールはリリィを見ると口を開く。
「妖精、私が何者かと聞いたな」
異形の外見を持つ、ヴェルハルガルドの魔王ロザベール。
彼は静かに言った、誰も予想しなかったその言葉を――言い放った。
「私は、シャヘラザーンで生まれた半魔人だ」
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ロザベールが生まれたのは、三〇〇年前のシャヘラザーンの森の奥。
人間の父と魔人の母の間に生まれた、半魔人。
彼にとって、人間の血と魔人の血、双方が流れているのは当然の事。
むしろ愛する父と母、双方の特徴を持っている事は彼にとって誇りだった。
しかし――その誇りは粉微塵に打ち砕かれる。
突然、騎士が父と母、そしてロザベールを捕らえたのだ。
彼にとって初めて見る他人は、自分に対して殺意を向ける恐怖の対象でしかなかった。
『不浄な存在だ』
『汚らわしい』
『化物』
『醜い』
ありとあらゆる罵詈雑言を受け、理不尽な暴力を振るわれた。
なぜ、こんな仕打ちを受けなければならないのか、子供の彼には分からなかった。
ただただ怖くて痛くて、泣き叫んだ。
父と母と引きはなされ、ロザベールは一人拷問にかけられた。
いや、拷問の方が優しいだろう。
人間は、拷問と称してロザベールの体を切り刻んだのだ。
喉が潰れるほど叫んでも、涙が枯れるほど泣いても、彼らは止めてはくれなかった。
笑いながらロザベールの四肢を切断し、内臓の一部もえぐり出した。
人間は、彼を人として認めていない、命ある生物だと認めていなかったのだ。
ただの玩具、あるいは壊してもいいモノとしか見ていない。
ボロボロになったロザベールは、捨てられた。
ゴミの様に軽く、何の情も無く、彼は捨てられたのだ。
しかし――彼は生きていた。
切り刻まれ、四肢を捥がれ、内臓を抉られても――彼は生きていた。
今にも消えてしまいそうな、弱弱しい蝋燭の火の様な命だが、生きていた。
しかし彼が捨てられたのは、妖獣の破棄場。
腐臭漂い、腐って行く死骸。
襲い掛かる死という恐怖に、押し潰されそうだった。
なぜこんな事になったのか、なぜこんな仕打ちを受けなければならないのか、ロザベールには分からない。
彼は強く願った。
『死にたくない』
生への渇望。
生き物が持つ、自然とした欲求だった。
しかしその当然の欲求も、無慈悲な世界に押し潰されて、消えて行く。
ただの一つの命がそこで潰える――はずだった。
死にたくない、というその強い思いは、天理を凌駕する。
神はその願いを聞き届けた。
ロザベールの特殊技能が変化したのだ。
神からの祝福によって、新たな特殊技能が産声を上げた。
特殊技能『吸収』。
ランク3のこの特殊技能は、ロザベールの『固有』。
その能力は、命ある物と無機物以外を取り込み肉体の一部に出来る。
瀕死だったロザベールは、この特殊技能によって足りないパーツを妖獣の死骸から吸収したのだ。
しかし――生への代償はあまりにも重い。
妖獣の死骸を取り込んだ事によって、ロザベールの容姿は醜く歪んだものになった。
半魔人でさえなくなって、本当に化物になってしまった。
この現実に、ロザベールは絶望する。
こんな化物になってしまった自分の人生を悲観し、嘆く。
神さえも自分を見捨てた。
こんな化物になる為に――自分は生まれて来たのではない。
『泣くでない、少年よ』
それは、とても美しい声だった。
顔を上げると、眼の前に少年が立っている。
自分よりも年下のその少年は、更に言葉をかけて来た。
『怖かっただろう、恐ろしかっただろう、痛かっただろう、苦しかっただろう』
少年はロザベールに近づくと、妖獣の体で異形の物となってしまったロザベールを抱きしめた。
耳元でするその澄んだ美しい声は、神聖さをも感じる。
『そして――憎いだろう?』
憎い。
自分を蔑む人間が憎い。
自分の手足を捥いだ人間が憎い。
自分がこんな姿になるきっかけを造った人間が憎い。
胸にあるこの感情は、怒りだったのだ。
この時初めて、ロザベールは人間に対しての怒りを抱いた。
『憎んで良いのだ、怒ってよいのだ、ワタシもお前と同じだ』
同じ、こんな神々しい少年が自分と同じ。
こんな醜くなった自分を抱きしめ、自分を理解してくれる、こんな美しい少年が、自分の様なモノに、そんな言葉をかけてくれる。
こんな自分を同じだと言ってくれる。
何もかもに絶望したロザベールにとっては、救いの言葉だ。
『ワタシと共に、お前にこんな仕打ちをした人間を、シャヘラザーンを滅ぼすのだ』
少年はそう言って立ち上がると、ロザベールへと手をさしのばす。
その姿を満月が照らした。
外見に合わない禍々しい黒い鎧に、真っ白な長い髪。
しかし、何よりも目立ったのは、真横に真っ直ぐ伸びた長い耳。
人間でも魔人でもない、初めて見る種族――だから、名を訪ねた。
『ワタシは魔王将シュカリバーン……お前と同じ、復讐者だ』
そしてロザベールは、差し伸ばされた手を、握った。
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「魔王が……シャヘラザーンの半魔人だと」
バルトロウーメスは、酷く驚いた様子でそう言った。
当然だろう、ずっとヴェルハルガルドの魔人がシャヘラザーンを攻めていると思っていたのだ。
敵軍の頭である魔王が、シャヘラザーンの生まれなんて――あってはならない。
「でたらめを言うな……、半魔人などシャヘラザーンで生まれる訳がない!」
一体誰が魔人などを愛するというのだろうか、誰が子をなしたいというのだ。
バルトロウーメスは半ば拒絶する様に否定するが、ロザベールは静かな口調で言う。
「人間と魔人でも父と母の愛は本物だった……、感情に完全に抑える事など、誰にもできやしない」
シャヘラザーンは異種族を排斥し続けてきたが、リリィの様に強い力で縄張りを守ったり、ネネリの様に隠れ住んだりしている者達は少なからず存在する。
そう言う者達と人間の接触というのは、あり得なくもない話だった。
シャヘラザーンで半魔人が生まれる確率というのは、決して低い物ではない。
現に、バルトロウーメスも何度か半魔人を見た事がある。
しかし――問題は、それが敵国ヴェルハルガルドの魔王となっている事だ。
シャヘラザーンは、この国で生まれた者によって滅ぼされようとしている。
「……そんな、馬鹿な」
ずっとヴェルハルガルドの悪しき魔人が、この国を侵略しようとしている、だから守らなければいけない。
大切な祖国と民を守るとそう思っていたのに――――その侵略者こそ、他でもない彼が守ろうとしていた物だった。
「半魔人だという理由で捕らえられ、拷問を受け四肢を捥がれ、ゴミの様に捨てられた我が怒りをこの憎しみを! 私が受けた仕打ちを! 全てし返してやる!」
それは、復讐。
悪い魔人が攻めて来るなどという、典型的な物語などではなかったのだ。
彼はシャヘラザーンによって生み出された、復讐者。
ヴェルハルガルドの悪、などではない。
彼はシャヘラザーンの悪が生み出したモノ。
「貴様等人間が差別をするならば! 私も貴様等を蔑み、人間という種を滅ぼしてやる!」
ロザベールは、怒りに満ちている。
シャヘラザーンへ、人間へ対する怒りと憎悪。
バルトロウーメスが考えていた物と、根本があまりにも違っていた。
コレは因果応報、当然の報いだ。
長きに渡り行って来た異種族への排斥が、こんな結果を招くとは思っていなかった。
シャヘラザーンは、自分の首を自分で絞めていたのだ。
「なんて……事だ」
ロザベールの復讐を止める事など出来ない。
バルトロウーメスだって、同じ事をするだろう。
やられたらやり返す、それは生き物として普通の欲求だ。
何よりも彼は加害者である、何もいう言葉が無かった。
彼に何かを言える者など、この場に誰もいない。
シャヘラザーンの人間に、言い返す権利など無かった。
そうシャヘラザーンの人間は――。
「ふざっけんな!」
その力強い否定は、その静寂を打ち破った。
その言葉は、何よりも大きな声だった。
その少年は、誰よりも真っ直ぐな眼をしていた。
「……お前」
バルトロウーメスは、突然声を荒げた勇気を見て驚いた。
なぜ彼が声を張り上げるのだろう。
彼は、シャヘラザーンの人間ではない。
いや、異世界の高校生だからこそ――彼は声を上げる事が出来たのだ。
この場にいる誰よりも差別を嫌い、この場にいる誰よりも平等な彼は――――力強く、その言葉を言い放つ。
それは、何よりも誰よりも、良く響く声だった。
「そんなの、間違ってる!」




