第四二話 血質継承
月が地平線へと消えて、東の空から徐々に白んで来る。
フェニックスが眼を覚ましたのは、夜と朝の合間の時だった。
「…………」
何者かが縄張りへと侵入して来た気配を感じる。
まだ生まれる気配のない卵の為にも、危険は排除しなければならない。
フェニックスは名残惜しそうに卵から離れると、外へと向かって歩き出した。
勇気とリリィとネネリは、疲れているのか川の字になって眠っている。
「…………」
穏やかな表情でそれを見つめると、洞窟の外へと出て行った。
気配を感じるのは上、フェニックスは巨大な翼を広げると、大空へと舞い上がる。
雲よりも高く上昇すると、その気配の主も気が付いて逃げるが――ベルカリュースで二番目に速いフェニックスから逃げられる訳がない。
あっという間に追いつき、侵入者の姿を見た。
見えたのは、ワイバーンの中でも最上級の黒い鱗のワイバーン。
そしてそれに跨るのは、一切の隙間のないフルプレートの鎧を着た男。
しかしその男は、まるでデスマスクの様に表情のない仮面を付けて、顔を隠していた。
「……黒い鱗のワイバーン、ヴェルハルガルドの将」
ワイバーンは魔人が竜を家畜化した物、それに乗るという事は眼の前の男は、ヴェルハルガルドの魔人、それも将クラスの実力を持つ者。
「流石、と言うべきか、ワイバーン種の中でも最速の黒い鱗に追いつくなど……」
冷たい表情の読めない口調で静かに話す男を、フェニックス警戒していた。
「……フェニックス、お前に恨みは無いが、我らが為に死んで貰わねばならない」
最近、妖獣が西から逃げて来る様になった。
ヴェルハルガルドで何か動きがあるとは思ったが、まさか将自らやって来るとは――だがフェニックスとて、たやすくやられるつもりは無い。
「私も古の時代より生きる最初の世代、そう簡単にやられるつもりありません」
フェニックスには、スピードと超再生能力がある。
殺す為にはこの再生能力を上回る攻撃をするしかないのだが、そんな事が出来る者はそうそういるものではない。
フェニックスの光は徐々に強くなる。
ワイワームを消し飛ばした様に、男に爆発の特攻を喰らわせようとする。
「……ふっ最初の世代、か」
しかし男にはどこか余裕があり、『原始生命』を相手にしているとは思えないほど、冷静だった。
「本当の最初は、お前ではない」
「……なに?」
デスマスクが邪魔をして男の表情は読めない、一体意味だと言うのか――。
そして男はフェニックスに右手を向ける。
魔術を放つつもりなのだろうが、こちらも簡単にはやれるつもりは無い。
「己惚れるなフェニックス、新しき世代でも、お前より強い者はいる」
そう言って、黒い魔法陣を展開する。
そして――その一撃は放たれた。
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勇気は、地鳴りのような揺れで眼を覚ました。
(ん……地震?)
火山だし地震があっても不思議ではないのだが、それにしては一瞬で終わった。
なぜだろう物凄く胸騒ぎがする。
「……ユーキ?」
気配に気が付いてリリィも目覚めたのだが、勇気は止まらずに、洞窟の外へと出た。
なぜか鼓動が速くなって落ち着かない、嫌な予感がする。
「…………なんだ」
空から何かが落っこちて来る、勇気は眼を細めてそれをよく見た。
それは――。
「フェニックス!」
翼をもがれ、ボロボロになったフェニックスが、落下してくる。
一体何が起こったのか分からない、勇気は頭で考える前に走り出した。
「なっ――」
外に出て来たリリィも、その光景を見て驚いていた。
ベルカリュースの中でも、類稀なる再生能力を持つフェニックスをあそこまで追い込むなんて、普通では考えられない。
ボロボロの翼では受け身を取る事も出来ず、フェニックスは火口に近いガレ場に落ちた。
「大丈夫か!」
足場の悪いガレ場を駆け下りると、フェニックスに近づいた。
幾ら再生能力を持っているとはいえ、アレだけ傷ついたら放って置けない、勇気はほとんど反射的に動いていた。
「来てはいけ――――」
フェニックスは、再生が間に合っていないボロボロの体を起こし、勇気へと叫んだ。
来てはいけない危険だ、そう言おうとしたのだが――言えなかった。
刹那、フェニックスの胸を杭が突き破った。
それは本当に一瞬の事。
勇気は返り血を浴びるくらい近くにいたのに、理解が出来なかった。
ただ目の前でフェニックスが崩れ落ちるのを、見ている。
「あっ――」
杭には鎖が付けられていて、それは上へと続いていた。
辿って行くと、そこには黒い鱗のワイバーンに跨った、デスマスクの男。
鎖は手甲に繋がっており、男が腕を振ると鎖は巻き取られフェニックスの体が男の元へと引っ張られる。
「あっ……アレは!」
リリィも男の存在に気が付いて、驚きの声を上げた。
黒い鱗のワイバーン、それに騎乗を許されているのはヴェルハルガルドの中でも、ほんのひと握りの者だけ。
それこそ、数万の兵を率いる事が出来る将だけ。
そんな物――数万の兵を抱えるヴェルハルガルドでも六人しかいない。
リリィは、その男の正体を口にした。
「――魔王」
魔王。
それは、他種族国家ヴェルハルガルドの将。
数万の兵を率いる将軍にのみ与えられる、最上の位。
いかなる軍人も憧れる、強者の中の強者。
「……なんで、こんな所に」
前線はここから一石碑分ほどの距離とは言え、これほど堂々と敵国の領地に、軍のトップがいるなんて考えられない事だ。
魔王は鎖を巻き取り、自らとどめを刺したフェニックスを回収する。
「…………」
魔王は杭を抜き取ると、傷口へと手を伸ばす。
そして――フェニックスの心臓を抉り取った。
「…………」
フェニックスの高い再生能力の源は、心臓である。
『不死鳥』と呼ばれるフェニックスの根源。
数千年も動き続けて来た心臓は、抉り出されても尚、脈打って生きていた。
「素晴らしい……」
魔王は用が無くなったフェニックスを、放り投げる。
まるで太陽の様に光っていたフェニックスの体は黒ずみ、力なく地面に落ちた。
「フェニックス……」
ワイワームを瞬殺したフェニックスが、いかなる怪我も瞬時に治るはずのフェニックスが、殺された。
リリィはただその光景を見ている事しか出来なかった。
何が起こっているのか、ちゃんと見ていたはずなのに理解出来ない。
だから、ワイバーンで飛び去ろうとする魔王を止められない。
「うああああああああああああああっ」
ただ一人、勇気を除いては――。
フェニックスの返り血を浴びて全身血塗れだが、今はそんな事を考える事など出来ない。
「……目障りな」
魔王は、怒号を聞いようやく勇気の存在に気が付く。
あの程度の存在捨ておいても良かったが、目撃者は排除する。
手甲に魔力を注ぐと、杭が勇気目掛けて放たれた。
「ユーキ!」
相手はヴェルハルガルドの魔王、それもフェニックスの再生能力を上回るほどの強い力を持っているのだ。
Dランクの勇気が敵う訳がない。
逃げろ、そう言おうとしたのだが――、その杭を勇気は掴み取った。
「なっ!」
杭はとてもDランクの勇気が掴み取れる様な速さではなかった、リリィも眼で追うのがやっとくらいだったのに――。
「うああああああ!」
勇気は――怒っている。
その怒りは、リンシェンの宮殿の時よりもずっと激しい。
そして、その怒りに呼応する様に、勇気の体に変化が起こった。
「アレは……」
フェニックスの血が、勇気の体へと染み込んでいく。
まるで枯れた大地に水が染み込むように、一滴も残らず勇気の体へと吸収された。
それは、長い時を生きて来たリリィも初めて見る光景だった。
「血質継承」
神によってつくられた、最初の世代の血には力がある。
例えば桁外れの魔力量、例えば山をも持ち上げるほどの筋力、例えば再生能力。
最初の世代の力は、全て『血』による産物なのだ。
そして、その血を『原始生命』以外の者が浴びると――その力を受け継ぐ事が出来る。
最初の世代の桁外れの力を求めて、その血を求める野心者がごまんと現れた。
しかし、血を浴びても必ず力が手に入るとは限らない。
数千分の一の確率で発現し、ただの血ではなく、血の主の『死』が絶対の条件。
この少ない確率に当たった者だけが――、『力』を手に入れられるのだ。
それが、血質継承。
「ああああああああっ!」
血の力を得た勇気の体は、光り始めた。
それはフェニックスの光と同じ、まるで太陽の様な眩い光だった。
「うらぁっ!」
勇気は掴んでいた杭を思い切り引っ張った。
その力はとてもDランクとは思えないほど強く、ワイバーンに乗っていた魔王を引きずり落とすほどだった。
「――くっ!」
鎧に結合されていた為すぐには外せない、引き寄せられてしまう。
魔王は、右手を向けると緑色の魔法陣を展開させる。
「緑魔法『風刃』!」
右手からまるで刃物の様に鋭利な風が放たれる。
風の刃は、勇気の額から胸にかけてを切り裂く。
傷口は脳や内臓にも達する深いもの、仕留めたと魔王は確信した。
しかし、その傷は瞬く間に再生する。
「――っ!」
今までも勇気の怪我は瞬時に再生している。
しかし頭つまり脳を損傷あるいは消失すると、気絶していた。
だがフェニックスの超再生能力を継承し、意識を失う事も無く瞬く間に復活する。
「うらああああああっ!」
勇気は拳を引くと、右手の光が一段と輝きを増す。
そして――その一撃を放つ。
勇気は、魔王をぶん殴った。
「ぐっ――」
魔王とて軍人、左腕でその一撃を防いだ。
だが、勇気の拳は魔王を吹っ飛ばした。
「――がっ」
鎧を着た男を殴り飛ばせるほどの力は、勇気にはなかった。
それが唐突にこんな力を手に入れたのは全て、血質継承によるもの。
フェニックスは、自身の体を燃焼させエネルギーへと変換して爆発を起こしていた。
勇気は今、自身の体をエネルギーとして、全てを肉体的な力へと変換していた。
今の勇気は不死鳥――フェニックスその物だ。
「……すごい」
Dランクだったはずの勇気の力は今、おそらくBランク、いやAランクくらいにはなっているだろう。
リリィは、その力を見ながらふと考える、もしこの力に名を付けるならば――。
「血質継承【形態・不死鳥】」
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「ぐううう」
吹き飛ばされた魔王は、どうにか受け身は取れた。
だが、右腕の鎧は凹み変形し、勇気に掴まれていた杭は鎖を引き千切られ、もう使い物にならない。
魔王は鎧を見て、眼つきを変える。
冷たい氷の様な眼が、激情の炎の様な眼になった。
「よくも……我が鎧をぉ」
よほど大切な物だったのか、それともプライドを傷つけられたのか怒っている。
魔王はフェニックスから抉り取った心臓を掲げると、群青色の魔法陣が展開されて空間がねじ曲がり、心臓はそこに吸い込まれる様に消えて行く。
空間魔法を使い亜空間に心臓を移し、魔王は勇気の惨殺を始めようとすると――既に彼はこちらに向かって走り出していた。
「うるあああっ!」
「速――っ」
運動とはほとんど無縁だったはずなのに、今はオリンピック選手以上のスピードだ。
これもフェニックスの能力によるもの。
「――ぐっ」
魔王は、眼で追う事もやっとのその拳をどうにか避けた。
拳の風圧が、魔王の頬をかすめる。
「どっりゃあああ!」
勇気は、更に左手で拳を放つ。
魔王は素早く右手を向けると、緑色の魔法陣が展開される。
「緑魔法『疾風』」
魔法陣から強風が吹き、風は勇気を上空へと吹き飛ばした。
素人の勇気は受け身を取る事が出来ず、頭から地上へと落下する。
「……一体、何だ貴様は」
魔王は首の骨が折れても立ち上がる勇気へと、そう言った。
彼の正体が、魔王には全く分からない。
分かるのは人間だという事と、フェニックスの力を手に入れたという事と、今自分に明らかに敵意を持っているという事だけ――。
「な……んで」
折れた首が、不気味な音を立てながら再生する。
その姿には、鎧にデスマスクと言う異様な姿の魔王も、息をのむ。
「なんで……フェニックスを殺したんだ」
フェニックスを殺し、心臓を抉り取った魔王に対して怒っている。
体の光はより一層輝きを増す、まるで勇気の感情と連動する様に――。
「フェニックスは……卵が産まれるの待ってたんだぞぉ……、それなのに、それなのにぃ、なんで殺したんだぁぁぁ!」
訳が分からない。
人間が――フェニックスの死を怒っている。
そんな事、魔王には考えられない事だった。
血質継承で不死性を手に入れているのであれば、フェニックスと同じ心臓を抉れば死ぬ。
超再生能力とそれによって強化された筋力は、確かに厄介だが、戦い方は素人。
隙を突けば、やりようは幾らでもある。
「火炎は燃え上がり、我が敵を灰燼に帰す」
魔王は右手を勇気へと向けると、赤色の魔法陣を展開させる。
「赤魔法『火炎旋風』」
魔法陣が一段と輝いた瞬間、勇気の足元から炎が噴き出した。
炎はつむじ風の様に渦を巻き、超高温の炎が勇気を襲う。
火の鳥と呼ばれたフェニックスを、炎で焼く事はおそらく出来ない、同じ力をもつ勇気にも効かないだろう。
あくまでもコレは、勇気を閉じ込める為の物。
フェニックスの不死性は、あくまでも超再生能力によるもの。
それを上回る攻撃を加えれば、再生能力は衰えるし、心臓を抉れば死ぬ。
完全な『不死』などこの世に存在しない。
魔王は、火柱に捕まる勇気へと近づくと、左手を向ける。
「緑魔法『風槍』」
緑色の魔法が展開されると、風が逆巻き刃物の様に鋭い風が勇気に向かって放たれた。
風の槍は炎を突き破り、勇気の胸部を穿つ。
「がっ――」
当たったが傷は浅い、超再生能力で再生する前に――魔王は勇気の胸に向かって、右手を放つ。
勇気の心臓を魔王の手が貫いた。
心臓に穴を空け、指を絡める様にしっかりと掴むと――抉り取る。
命の根源、心臓を取られ勇気の体は光を失い、地面に倒れた。
魔王はまだ暖かさが残る心臓を握り潰すと、それを投げ捨てた。
「……この程度、我が敵ではない」
超再生能力程度では、魔王には勝てない。
右手にかかった返り血を、まるで水でも扱う様に、腕を振って払った。
目的の物は手に入れもうここに用はない、魔王はこの場を立ち去ろうとする。
しかし――。
「ごふぁっ」
心臓を抉り取られた勇気が――立ち上がった。
胸には大穴が開いている、間違えなく心臓は抉り取ったのに――勇気は生きている。
驚く魔王の目の前で、勇気の心臓が瞬く間に再生し、脈打つ。
肋骨も肉も皮膚も再生されて、元通りに戻った。
「な……んだ――」
こんなものあり得ない。
『不死鳥』と呼ばれた、フェニックスも心臓を抉り取れば死ぬ。
心臓があるから体が再生する。
心臓は言わば再生の核であり、コレを失うと再生能力も失う。
だが目の前の勇気はその心臓が再生した、コレは血質継承のせいではない。
そうなると――特殊技能としか考えられない。
「索敵魔法『調査』」
サトウ ユウキ
特殊技能『光の使徒』 ランク3。
職種 なし
攻撃 D+ 耐久 C- 魔力 E- 耐魔 D 敏捷 D+ 幸運 D
総合技量 D
違う、こんなものでは、心臓は再生しない。
よく見ると、妨害魔法を掛けている痕跡がある。
魔王は出力を上げて、索敵魔法の効果を強めて、再びステータスを見た。
「……『不死』ランク6、だと」
ヴェルハルガルドの魔王も、ランク6という特殊技能を見るのは初めてだ。
しかも『不死』。
この名を見て魔王は全て理解した。
目の前にいるのは、フェニックスの様な超再生能力による『紛い物の不死』などではない、『完全な不死』である。
「……くっ」
つまり幾ら殺して死なない。
『不死鳥』でさえ心臓という弱点があったが、勇気にはそれが無いのだ。
相手にするにはあまりにも分が悪く、まともに相手をするべきではない。
「うおおおおおっ!」
しかし、勇気は逃げる暇など与えない。
再び太陽の様な光を纏うと、拳を握り魔王に向かって走る。
「緑魔法『風槍』」
緑色の魔法陣を展開させると、風の槍が放たれた。
真空の刃は拳に当たり、指を細切れにし骨を砕き、肘から上を穿つ。
だが骨はすぐさま再生し、それを肉と血管が包み、皮膚が覆う。
勇気が眼の前に迫った頃には、腕は完全に再生していた。
「くっ――」
『完全な不死』を前にして、なす術など無い。
両手を突き出すと、碧緑色の魔法陣を展開する。
「防御魔法『障壁』」
魔王の前に、魔力の防壁が出現した。
そして勇気は、拳を放つ。
「うるあっ!」
渾身の力を込めて放ったのだが、壁は破れなかった。
まるで分厚い鉄の壁の様に堅い防御魔法は、勇気の一撃ではびくともしない。
そう、一撃では――。
「だぁっ!」
勇気は更に左の拳を放ち、更に右の拳を放った。
何度も何度も、その堅い防壁を撃ち続ける。
渾身の一撃を放つ度に、肉は切れ骨は折れ激痛が走るのだが、勇気はそれでも止めない。
傷つくと再生し、再生した瞬間に拳を放ち、また傷つき再生する。
「うるああああああっ!」
最早彼は痛みさえも感じていない。
ただこの怒りに任せて、拳を振るうだけの機械になっている。
『不死』によって、この連打には終わりが存在しない。
例え一撃で防壁を貫通する事が出来なくとも、水滴が石を穿つように、何度も打ち続ければ徐々に防壁が脆くなる。
魔王の防壁は、徐々に軋み始めている。
「ぐっううう……」
魔王は、勇気に押されていた――。
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バルトロウーメスは、部下を引き連れシャハナ火山へとやって来ていた。
天馬に跨り、河口付近を目指して飛んでいた。
「どうだアーメル、反応はあるか?」
「はい、どうやら火口の付近にいるようです」
アーメルは浅葱色の魔法陣を展開させながら、左手に小さな石を持っている。
コレは魔力を持つ石で名をガミア石と言う、一つ一つ魔力の質が違うので、索敵魔法で石を特定する事が出来る。
実は勇気が牢で気絶している時に、この石の欠片をズボンのポケットに入れたのだ。
つまりこれは発信機、どこへ逃げようとも、どこまでも追いかけられる。
「夜が明ける前に、捕縛する」
陽が登って視界が良くなれば、強力な複合魔法を使うリリィの独壇場。
闇に紛れて寝込みを襲わなければ、こちらが大損害を喰らうだろう。
バルトロウーメス率いる小隊は、なるべく上空を飛びながら火口へと近づいた。
「……っ?」
火口付近から光が見えた。
溶岩かと思ったが、光はまるで太陽の様に眩しい。
眼を凝らして光を見つめると――それは勇気だった。
「な、んだ、アレは」
防御魔法を展開させる鎧の男、そしてその防壁を貫こうとする勇気。
見ただけでは全く状況が理解できない。
「団長、アレを!」
天馬の頭上を、黒い鱗のワイバーンが飛んでいる。
黒い鱗のワイバーン、それに乗れるのはヴェルハルガルドの中でも魔王だけ――。
「まさか、アレが魔王」
ならば余計に訳が分からない、なぜ勇気が魔王と戦っているのだ。
この状況を理解できる者など、彼らの中には誰もいなかった。
「……、なんだ」
バルトロウーメスは、上空の雲に違和感を覚えた。
あと数分で日の出、まるで山の様に大きな雲には影が出来ている。
その影が――可笑しい。
言葉に出来ない違和感があった。
リンシェン 離宮・ロレンドの寝室。
「ロレンド様! ロレンド様ぁ!」
不必要に大きなベッドで眠っているロレンド。
睡眠を邪魔され、とても怒っている。
「なんだよぉ……、まだ朝じゃないかぁ」
「ロレンド様、どっドリタス領が、ドリタスの前線が陥落いたしました!」
ドリタス領と言うのは、マグニ領の隣。
同じくヴェルハルガルドと隣接していた領地であったが、あそこは高い山々が連ねており軍が侵攻しにくく、ヴェルハルガルド軍はマグニからの侵攻を試みていた。
しかし、突然そのドリタス領がヴェルハルガルドに落とされたのだ。
「なっ、なんでだよ! あそこは攻められないはずだろう!」
「生き残った者の話によると、敵は竜に乗っていたと……」
「ワイバーンだろぉ、そんなの珍しくない」
魔人の乗り物はワイバーン、それが攻めて来るのは特段不思議な事では無い。
「違います、違うのでございます……」
「なに言ってるんだよ、魔人の乗り物はワイバーンだろぉ」
こんな当たり前の事も分からないのかと、呆れるロレンド。
「魔人ではございません……」
「はぁ……じゃあ獣人か?」
「獣人でも御座いませぬ……、生きておったのです、生き残りがおったのです!」
何を言っているのか全く分からない。
大臣はどこか恐怖を抱きながら、その種族の名を告げる――。
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「だああああああっ!」
もう何発の拳を放ったのか、勇気にさえ分からなかった。
いや分かる必要など無い、ただ目の前の魔王を殴る。
勇気はもう、それしか考えていないのだ。
「ぐっ……ううう」
魔王の防壁は、勇気の殴打によって、ついにヒビが入った。
あと何発かで防壁は破られるだろう。
「ああああああああああ」
ヒビは徐々に大きくなり、防壁は破られかけていた。
『不死』の勇気を殺す事は、どうあっても不可能。
「ぐう……」
そして――ついに、防壁は破られた。
魔力の壁はまるでガラスの様に砕け散り、空気中へと溶けて消えて行く。
「どりゃあああああっ!」
光は輝きを増し、エネルギーは攻撃力へと変換される。
勇気は渾身の力を込め、魔王へと殴りかかった。
しかしその瞬間、勇気は雷に撃たれた。
「――がっ」
電流が脳が駆け巡り、皮膚を焼き、肉を焦がす。
突然の攻撃に、血質継承で強化されている勇気も地面に倒れた。
「ユーキ!」
リリィは突然の攻撃に驚いた。
雷魔法を使う彼女には分かる、今の一撃はおそらく五型の魔法。
四型を扱えれば、天才と言えるこのベルカリュースに置いて、五型を気が付かれずに放つなど、桁外れの実力だ。
「いっ一体……」
リリィは辺りを見渡し、魔法を放った物を探す。
上空に天馬の群れがいた、リンシェンからの追手だろうか。
しかしその更に上の雲に、影が映っている。
「雲の中に……なにかいる?」
リリィが見上げる前で、その何かはゆっくりと降りて来た。
真っ先に見えたのは、黒い鱗。
光を反射して不気味に光り、見る者に恐怖を与える。
次に見えたのは、四本の脚と翼。
大木の様に太い脚と巨大な翼は、見る者を圧倒する。
そして最後に見えたのは、鈍い黄金色の眼。
その鋭い視線は、見ただけで人を殺すのに十分な凶器だ。
――存在の全てが、畏怖。
それは、竜だった。
二〇メートル、長い尻尾も合わせれば三〇メートルを超える。
家畜化されたワイバーンなどではない。
四つ足である事が、本物の竜である事の証だった。
「うそ……なんで竜が」
二五〇〇年も昔に、竜同士の闘いが起きた。
三〇晩にもわたる激戦の後、竜は絶えたはずだ。
「竜が、どうして……」
しかし竜は魔法を使わない、ならばあの魔法は一体誰が――。
リリィが眼を凝らすと、その巨大な竜の背に何かが乗っている。
誇り高く、獰猛で気性の荒い竜に、騎乗など出来る訳がない。
人間も、魔人も、どんな種族もそれに騎乗する事は叶わなかった。
「……アレは」
リリィの眼に映ったのは、人間でも魔人でも、獣人でも巨人でも妖精でもない。
誰よりも古き存在にして、誰よりも『寵愛』を受けた存在。
それは――。
「エルフ……」
神が一番最初に造った生物は、自らを模したエルフだった。
彼らは神に愛され、知恵も力も何もかもを与えられた。
エルフ語、エルフ文字、エルフ魔法。
何もかもエルフにしか使えない、特別な物。
神に愛されし種族を、小神族と呼び崇めた。
『小さな神』と、そう呼んだのである――。
黒い鱗の竜に跨ったエルフは、一〇かそこらの子供。
白髪の長い髪、真横に長い耳。
玉の様に美しい蒼い眼は何もかもを見通している様だ。
見た目に合わない、禍々しい漆黒の鎧を身に纏っていた。
「そんな……エルフは滅びたんじゃ」
大昔に、人間に滅ぼされたはずだ。
だが、あの尖った耳は間違えなく小神族である。
「……ロザベール、どうした」
エルフは外見に似合わない、どこか大人びた口調で魔王にそう言った。
外見など、彼らには関係ないのだ。
彼らは完全な不老、『神の裁き』を受けたその時から、一切歳をとらないのだ。
例え子供であっても、彼はこの世界の誰よりも長く生きている。
「もっ申し訳ございません」
魔王ロザベールはとても驚いた様子だった。
「魔王将、シュカリバーン様」
外見だけなら圧倒的にロザベールの方が上、しかしエルフのシュカリバーンの方が落ち着いた様子だ。
「……例の物は、手に入ったのか?」
「はっ抜かりなく」
「……そうか、なら帰るぞ」
シュカリバーンは軽くそう言う。
今しがた勇気を黒コゲにしたばかりだというのに、虫でも払ったかのようだ。
「いっいえ、この者『不死』なので御座います!」
どんなに攻撃をした所で意味が無い。
シュカリバーンが眉を顰めると、再生した勇気が立ち上がる。
「ぐっ……うあああ」
勇気は再び魔王ロザベールへと殴りかかろうとするのだ――。
シュカリバーンは紫色の魔法陣を展開させると、勇気へと雷を落とした。
「ぐあああああああっ!」
激痛に襲われ、再び地面へと倒れる。
シュカリバーンは倒れた勇気へ、更に雷を落とした。
しかし体は直ぐに再生を始める――のだが、シュカリバーンは更に魔法を放った。
再生する暇など与えず、何度も魔法を放った。
攻撃は再生を上回り、勇気の体は損傷していく。
普通だったら魔力切れを起こすはずなのに――シュカリバーンは何度でもそれを放つ。
「ロザベール、ワイバーンに乗れ」
そう言いながら、シュカリバーンは更に雷を放つ。
容赦も慈悲も無く、ただ平然と淡々と、勇気を殺し続ける。
「ユーキ!」
凄まじい轟音と光、その度に勇気は死に続けている。
常人なら一度で済まされる物を、何度も何度も受けていた。
「……ふん、少しギャラリーが多いな」
シュカリバーンは、辺りを見下ろす。
天馬で編隊を組んでいるバルトロウーメスに、地上にいるリリィ。
「……まだ開演には早い」
エルフ、シュカリバーンは真下へと手を伸ばすと、真っ赤な魔法陣が展開される。
それは普通の魔法陣よりも二回りは大きい。
魔法陣の大きさと言うのは、魔法の威力を示す。
目測だが、おそらく六型の威力に相当するだろう。
「……気の早い客には退場して貰おう」
魔法陣は一段と輝きを増すと、煌々と燃え上がる炎の球が出現する。
人の身丈よりもずっと大きなそれを――火口へと放った。
炎の球が溶岩の中に消えて行くと、熱湯の様にぐつぐつと煮え滾る。
「まずい! 総員退避」
バルトロウーメスは、これから起きる事を理解した。
そしてすぐさま退避命令を出す。
「……ふふっ」
魔王将シュカリバーンは、外見に似合わない大人びた笑みを浮かべていた。
そして――。
火山が噴火した。
凄まじい爆発が、煮え滾ったマグマと岩石を巻き上げる。
噴出物は、上空数十キロの高さまで巻き上げられた。
その中には、超高温のマグマと数メートルに及ぶ、巨大な岩。
それらが凶器となって、空を飛んでいたバルトロウーメス達へと襲い掛かる。
「うわああああああっ」
「ぎゃあああああっ」
「ああああああああっ」
逃げ遅れた者達は、次々にその餌食となる。
天馬ごと大岩によって吹き飛ばされた者。
高速で吹き飛んで来た礫によって、身体が消し飛ぶ者。
マグマが体にかかり、燃え上がる者。
「――――うっ」
バルトロウーメスとアーメルは、とにかく天馬を走らせた。
すぐ横を巨大な岩がかすめるが、それでも止まる事無く逃げる。
部下の悲鳴を聞きながら――とにかく逃げる事しか出来なかった。
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シュカリバーンは、噴火を雲よりも高い所で見下ろしていた。
湧き出るマグマと舞い上がる大岩を、ただ見下ろす。
「……シュカリバーン様」
ワイバーンに乗ったロザベールがやって来た。
アレほどの爆発だった、かすり傷もない、全くの無傷だ。
「……戻るぞ、ベネディクトがお前の報告を待っている」
「はっ……かしこまりました」
一匹の竜とワイバーンは、東から顔を出した朝日を背に――まだ夜の闇が残る、西の空へと消えて行った。
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「ユーキ、ユーキぃ!」
リリィは眼の前で火柱が上がる中、勇気の名を呼んだ。
フェニックスの超再生能力が追い付かないほどの重症なのか、勇気は動かない。
奇跡的に、まだガレ場は噴火に巻き込まれていない。
二回目の噴火が来る前に、勇気を助けなければ――。
「あっあつっ!」
触れていないというのに、溶岩の熱が身を焼く様だ。
こんな熱では、近づけない。
「あっ……」
溶岩はガレ場へと達し、もう動かないフェニックスを呑み込んだ。
燃えながら呑み込まれるその姿を見て、リリィは仲間達を思い出した。
同じ『原始生命』の死が、彼女に重く圧し掛かる。
ほんの一時、動けなくなったその瞬間――火山は二度目の爆発を起こした。
「あっ――」
一度目の爆発よりもずっと大きく、それはガレ場で倒れていた勇気を吹き飛ばした。
高く舞い上げられたその体には、太陽の様な光も力も無い。
リリィは手を伸ばした。
しかし天高く舞い上げられる彼に――届くはずはなかった。
「ユーキィィィィィィィィィ――――っ」
そしてリリィの声は、爆音によってかき消され、どこにも誰にも聞こえなかった。




