第四〇話 ふざっけんな!
勇気は、手枷をされたままただただ歩いていた。
流石は宮殿、牢から出ると信じられないくらい豪華な装飾がなされる。
あちこちに金やら銀の飾り、素人目でも高いと分かる彫刻や絵画が、これ見よがしに飾られている。
(ん~かれこれ一〇分くらい歩いてんだけど……どこに連れていかれるんだ?)
コレだけ歩いてるのに目的の場所に着かないなんて、勇気の家だったら軽く二百往復くらい出来る。
「(なぁリリィ、どこに連れて行かれると思う?)」
「(分からないわ……罪人は極刑っていうのが相場だけど)」
この国には罪人を裁判にかけるシステムは無い。
全てが皇帝の思うがまま、皇帝が命じればどんな事だってなされてしまう。
「(死なねぇけど処刑は困るな、再生の瞬間を見られたら隠してても意味ねぇもんな)」
ここは強行にでも逃亡を図るべきかと、勇気が悩んでいると――見張りと騎士が立ち止まった。
「……ここは」
ひと際大きくて豪華な装飾がされた扉。
勇気の身丈の三倍くらいの大きさがあり、明らかに今まで見て来た扉と様子が違う。
中年の見張りは来た道を戻って行き、代わりに騎士が勇気をその部屋の中へと連行した。
「早く入れ!」
「いてっ」
騎士に思い切り押されて、勇気は入室した。
真っ先に飛び込んで来たのは、真っ赤な絨毯だった。
見るからに高価な絨毯は、部屋の中央を横断する様に敷かれていて、その両脇には甲冑を着た騎士や豪華な服を来た貴族や大臣達がいる。
天井は吹き抜けになっていて、大型バスが三台くらい山積みに出来そうだった。
そして二・三段なった所に椅子が置いてある。
ただの椅子ではない、金の飾りがふんだんに使われている。
「ここは……」
見渡すと、騎士や貴族の中にあのバルトロウーメスもいる。
明らかに処刑をする場所ではない。
「図が高い、ひれ伏せよ!」
騎士は石突で勇気を殴ると、その椅子の前で無理矢理座らせる。
「皇帝陛下の御な~りぃ」
「(こっ皇帝!)」
という事は、ここは玉座の間。
まさか目的だった皇帝に、こんなにも簡単に会えるなどとは思わなかった。
これはもしかすると、千載一遇のチャンスなのかもしれない。
勇気は無理矢理平服させられ、誰かが玉座に座るのを音だけで感じた。
「……よい、面を上げよ」
どこか気怠そうな声が聞こえた。
騎士の手が退けられ、勇気はゆっくりと顔を上げる。
まず見えたのは、地面に着きそうなくらい長い金髪。
次に見えたのは、まるで玉の様に美しい蒼い眼。
金と銀の刺繍が施された、真っ白な法衣に身を包んでいるのだが、その丸みを帯びたボディラインが良く見えた。
それは、女性の皇帝だった。
歳は三〇であろうか、しかし肌にたるみなど無くシミも無い。
美しい大人の色香を感じさせる女性が、玉座に座っている。
「……あ、美人」
勇気は思わず、感じた事をそのまま口にした。
見た事は無いが、クレオパトラとか楊貴妃くらい美しいと言っても過言ではない。
「貴様、皇帝陛下に無礼であるぞ!」
「うべっ」
素直に感想を言っただけなのに勇気は石突で頭を殴られた、解せない。
「……その方が、我らが神の使徒と偽り、聖なる都へと向かおうとした異邦人か」
女帝は勇気の顔を見下ろすと、鼻で笑う。
「……小汚い顔よのぉ」
「ひっ、ひでぇ!」
そりゃあモデルやらアイドルの様にイケメンではないが、小汚いと言われるほど酷い物ではない。
「どれほどの者かと思えば……この程度か、異邦人と言うから見たのに大した事もない、もうよい下げよ」
まるで物の様な扱いだ、皇帝は羽根扇子で虫でも扱うかの様に勇気を払う。
命令された騎士は勇気の腕を掴み上げると、再び牢へと連れて行こうとする。
その時、暴れて抵抗する勇気の懐から、リリィが飛び出した。
「待ちなさい、シャヘラザーン皇帝!」
突然現れた妖精には女帝だけではなく、周囲にいた騎士や貴族、更にバルトロウーメスも驚いた。
「アタシは、万物の創造神より『空間』の統治を賜りし原始の存在が一人にして、妖精族の女王、『光の超越者』リリィ=ライトニング・ホワイトローズ! 皇帝アンタに話があって来たわ!」
勇気がイタイと思った肩書も人々には衝撃だった様で、騎士や貴族の群れの中から、驚きの声が上がる。
どうやら本当にリリィは、勇気が思っていた以上にすごい存在らしい。
女帝は突然現れた彼女を見ると、羽根扇子で口元を覆いながら小さく笑った。
「コレはコレは……妖精の女王、普段は森におられるそなたにかような所にわざわざお越しいただけるとは、一体わらわになんの御用かのぉ」
「妖精の森は不干渉の約定があったはずよ! それなのにアタシの仲間を騙して連れ去ったわね! 皆をどこにやったのよぉ!」
互いに民の上に立つ女性。
二人の間には、張り詰めた空気が流れているのを、勇気は肌で感じていた。
「はて……なんの事であったかのぉ?」
「しらばっくれるならこっちにも考えがあるわよ……この千年、アタシが妖精の森に入って来た礼儀知らず共をどうして来たか……説明しなくたって分かるわよね?」
リリィは仲間の妖精を守る為に、不干渉の約定を破った人間に制裁を加えて来た。
その話はシャヘラザーン中で有名な話で、言う事を聞かない子供に『妖精の森に連れて行く』と言って、躾をするくらいなのだ。
それが一国の王ならば、リリィの力量を知りえない訳がない。
女帝は少し眉を顰めると、口元を羽根扇子で隠しながら勇気を見る。
「かの原始の存在である妖精の女王のお供にしては……随分と小汚いおのこを選んだものよのぉ……」
「こいつはアタシの奴隷よ」
だから奴隷ではない、勇気はそう反論したかったが、ここはリリィが女帝にガツンと一発言っているのだ、余計な事を言ったりやったりして、彼女の邪魔をする訳には行かない。
ここはぐっとこらえ、言葉を飲み込む。
「アンタの所の趣味の悪い騎士やら貴族やらに比べれば、う~んとマシよ」
「…………」
女帝はリリィを睨みつける。
どうやら趣味の悪い、という部分が癇に障ったらしい。
「良かろう……、ならばそなたが探しているモノをここに連れてこようではないか」
女帝がそう言って目配せをすると、隣に立っていた男が一礼をして、玉座の後ろの幕をくり、どこかへと向かって言った。
(思った以上に素直ね……)
正直、こんなにも簡単に仲間に会わせるなど思ってもみなかった。
複合魔法を数発撃って、脅さなければならないとだろうと考えていたので、複雑な心境だった。
「……その羽根、美しいのぉ」
「……なっ、なによ」
リリィの羽根は、妖精の中でもひと際美しく、光を反射して七色に光っている。
彼女の羽根を見つめると、小さく笑った。
「美しい……妖精の命の根源、超高密度な魔力の結晶体……神が授けた最高の宝」
女帝は立ち上がると、長い髪と法衣を引きずりながら歩く。
宝石の様な青い眼は、リリィをじっと見つめていて、何を考えているのか分からない。
リリィはいつでも魔法を放てるように、身構える。
「本当に、他の妖精とは比べ物にならないのぉ……美しい」
「そんな話どうでもいいわ、アタシの仲間に会わせて!」
怒れるリリィに女帝は笑みを浮かべる。
「ほれ、連れて来たぞ」
「えっ……」
先ほど出て行った家来が、金の盆に載せられた何かを持って来た。
それはカッティングする前の宝石の様な、ごつごつとした結晶体の原石。
無数の光を取り込み反射して、七色に光っている。
「まさか――っ!」
その巨大な結晶体は、いくつもの見覚えのある物を繋ぎ合わせている。
そう、それはまるでリリィの羽根でも繋ぎ合わせた様に――。
「コレが、そなたの仲間達ぞ」
それは幾つもの妖精の羽根を繋ぎ合わせて作られた、結晶体。
妖精の羽根を毟り取って、編まれた悪魔の芸術。
「羽根を……皆の羽根を……」
「そうだ綺麗であろう? 虫けらでも、羽根だけを集めて編み上げれば、かくも美しい至高の芸術が出来るのであるから……」
女帝は妖精の羽根で造られた結晶体を受け取ると、陽の光にかざす。
七色の光は、陽光によって輝いた。
「羽根は……羽根には、妖精の魔力が全部詰まってるのよ……、そっそれを取られたら」
妖精が神から与えられた超高密度な魔力の結晶体、生きて行く為に必要な物なのだ。
それを毟り取られたら――――妖精は死んでしまう。
「少し優しくされただけで信用するなど、虫けらは単純でよいのぉ」
人間が妖精の森にやって来たのは、初めから妖精達の羽根が狙いだったのだ。
あの甘いお菓子も珍しいおもちゃも、全て羽根を毟り取る為だった――。
「よっ……よくもおおおおおおおおおっ!」
変わり果てた同胞の姿を見せられて、リリィの怒りが爆発した。
女帝に右手を向けると、薄い紫色の魔法陣が展開される。
「雷霆は走り聖なる光は廻る、不浄な敵を討ち、浄化せん!」
森の中で放った、あの魔法。
死人を一瞬で引き飛ばし、木々をなぎ倒し焼け野原にしたあの一撃。
「りっリリィ!」
勇気もいるというのに、こんな場所で魔法であんな強力な一撃を放つという、分かっていても逃げる暇など無く、魔法陣は一段と輝いた。
「複合魔法『雷霆・聖光円環』!」
込められるだけの魔力をぶち込み、威力は最大。
高圧の電流を帯びた光は、周囲へと拡散する。
「うああああっ」
「ひぃぃぃぃっ!」
見た事も無い光と雷の複合魔法に、騎士や貴族は恐怖し逃げ惑う。
我先にと扉へと殺到して、その様はあまりにも無様。
そして光は、一番近くにいた女帝へと迫った。
「……ほほっ」
しかし、女帝は小さく微笑む。
破壊力抜群の複合魔法が迫っているというのに、羽根扇子で空を扇ぐと――。
その瞬間、複合魔法が掻き消えた。
「な――っ!」
リリィの渾身の一撃が、いともたやすく消された。
威力なら六型にも匹敵する魔法を、魔法陣も詠唱も無しで消失させるなどあり得ない。
一流の魔法使い、いや一〇〇年に一度の逸材と言われる秀才でも不可能だろう。
「いったい……なんで」
「おいリリィ、アレ!」
驚き戸惑っているリリィにそれを見せる為、勇気はそう叫んだ。
女帝が手に持っている羽根の結晶体が、七色に輝いている。
陽光を反射している訳ではない、結晶体自体が光を発しているのだ。
「ほほほっ素晴らしいのぉ、わらわの手にかかれば複合魔法も消す事が出来る、良い、実に良いではないか!」
「……一体何をしたのよ、アンタ!」
叫ぶリリィに、女帝は人を不快にする笑みを浮かべながら答える。
「超高密度の魔力の結晶である妖精の羽根、密度の高い魔力の結晶は、魔法の増幅器として使えるのだ」
通常魔法使いが魔法をしようする際は、全て己の中の魔力を使って行う。
しかし魔法を使う際、高密度な魔力結晶がある場合は、結晶が魔法の増幅器として作用して、一型を四型に、三型を七型へと威力の底上げするのだ。
つまり本来女帝が使った魔法は三型程度の物、威力を増幅させた事によってリリィの魔法を消し去ったのだ。
「わらわの特殊技能『大魔導士』は、四型以下の魔法陣破棄、三型以下ならば魔法陣と詠唱の双方を破棄する事が出来る、それにこの魔法増幅器があれば、この地上でわらわに勝る者などおらぬ」
魔法使いにとって一番の弱点と言うのは、魔法を使う度に魔力が無くなるという事だ。
少ない魔力で強力な魔法を放てる方が誰だって良いに決まっている。
魔法増幅器があれば、三型の魔力消費量で七型の魔法を放つ事が出来るのだ。
しかも強力な魔法になればなるほど術式は複雑で、魔法陣は巨大になり詠唱も長くなる。
その難点さえも、コレは克服してしまったのだ。
コレは魔法使いにとって、まるで夢の道具なのである。
「そんな……そんな道具を造る為だけに、アタシの仲間を殺したっていうの!」
「光栄に思え、コレはわらわがシャヘラザーンを守る為に使うのだ、国境に群れる魔人共を一掃し、ベルカリュースを人間が統治する為に使うのだからなぁ!」
陽の光を反射して七色に輝いている結晶体は、美しい芸術品の様であるはずなのに――なぜだかとても恐ろしい物に見えた。
「虫けらは所詮虫けら程度の知識しかないのぉ……王が民を見捨てるなど」
「あっアタシは、みっ見捨ててなんか……」
ただちょっと怒って、ふてくされて、皆の顔が見たくなくて、妖精の森を出て行った。
たったそれだけのはずだったのに――皆、死んでしまった。
「いや、そなたのせいだ、そなたは自分の身可愛さに逃げたのだ! 王の務めを放棄して」
「ちがう……違う!」
リリィは女帝の言葉を聞かない様にするが、まるで悪魔のささやきの様に、その声は耳に良く入る。
「そなたは、民を見捨てたのだ! そなたに妖精の女王を名乗る資格などない! そなたは民を見捨てた最低の王だ!」
「もうやめてぇ!」
女帝の言葉は、まるでナイフの様に突き刺さり、心を抉る。
リリィは皆を守らなければならなかったのに、その責任を果たさなかったせいで、一〇〇人の仲間が死んでしまった。
リリィが務めを果たさなかったから――。
「うっ……あぁ……」
リリィは宙に浮く事もままならず、ふらふらと赤い絨毯の床の上に落ちた。
彼女の表情には、最早いつもの威勢など無い。
後悔と悲しみと、虚無と絶望が入り乱れ、何も考えられない。
「リリィ、リリィ!」
心配して名前を呼ぶが、リリィはそれに反応する事も出来なかった。
「案ずるな妖精の王よ……そなたも仲間と一緒にしてやろう、その羽根を編み込めばより一層結晶の力は増幅し、シャヘラザーンはより強大になる」
妖精の羽根は枚数が多ければ多いほど、強い。
リリィは六枚の羽根を持ち、その美しさは他の妖精とは比べ物にならない。
彼女の羽根を編めば、増幅器の力は強まり最早それだけで兵器となる。
「人間の為に虫けらの力を使ってやるのだ、あり難いと思うが良い」
羽根を奪う為、槍や剣を持った騎士が二人へと迫った。
リリィは既に戦意喪失で、勇気には手枷が嵌められていて、どうする事も出来ない。
「なにやら、面白い事になっている様ですね」
その時、玉座の間に声が響く。
振り返ると、将軍ロレンドが部下を引き連れてやって来た。
「……ロレンド、どうしたのじゃ」
「これは皇帝陛下、実はバルトロウーメス騎士団長が逃がした、こいつらの仲間を捕まえたんで、連行して来ました」
ロレンドはそう言って、バルトロウーメスを横目で見る。
悔しそうな彼を顔を見て満足すると、部下に指を鳴らして命令する。
「――あうっ」
「ネネリ!」
まるで捨てる様に、玉座の前にネネリを投げた。
勇気は彼女を見て言葉を失った――、ボロ布を剥がされ勇気が買って上げたワンピースは引き千切られ、背中には鱗を毟り取った跡がある。
「ゆっ……ゆーき」
「ネネリ、なっなんで外に逃げなかったんだよ!」
「……ごめ……な、い」
喋る事もままならない、連行にしてはあまりにも酷すぎる。
「何かと思ったら蜥蜴人でしたよ、路地裏にいるなんて、トカゲだから頭悪いんだね~あははっ」
ロレンドはそう言って、ネネリの背中を踏みつけた。
まだ子供だというのに、思い切り力を入れて踏んでいる。
「やっやめろ、それ以上酷い事するなぁ!」
勇気の声を聞いて、ロレンドはちょっと驚いた様子だった。
そしてネネリと勇気を見比べて――。
「あぁ……コレ君の奴隷だったのかい?」
「はっ?」
ネネリが奴隷、何を言っているのか訳が分からない。
唖然とする勇気を見て、ロレンドは首を傾げる。
「でもこんなトカゲを奴隷にするなんて、君趣味悪いよ~しかも子供だし、こんなんじゃ全然楽しくないでしょ?」
「ネネリは奴隷じゃねぇ! トカゲトカゲって……ネネリは女の子なんだ、そんな風に言うんじゃねぇ!」
ちょっと人見知りだけど、ネネリは可愛らしい女の子だ。
綺麗な物を見て感動して、パイを食べて美味しいといい、ワンピースを着て嬉しそうに喜ぶ、ごくごく普通の女の子なのだ。
人間の女の子と何一つ変わらない、のだが――。
「……はぁ? 何言ってるんだい君?」
ロレンドは、眼を丸くして驚きながらそう言った。
彼だけではない、玉座の間にいる騎士や大臣達も、酷く驚いている。
まるで勇気が、間違った事を言っている様に――。
「女の子? えっこのトカゲが! こんな醜い化物の一体どこか女の子なんだい?」
「みっ……みにくい、ばけものぉ?」
「だって見て分かるだろう、鱗は光沢があって気持ち悪いし、しっぽだって生えてるじゃないか、僕達人間とぜんぜん見た目が違うだろう?」
蜥蜴人は亜人と呼ばれ、その外見から人間に忌み嫌われている。
全身が鱗に覆われているという、その外見はあまりにも人間と違い過ぎたのだ。
「僕ら人間こそ、神より選ばれし崇高な種族なんだ! 他の種族は人間が生まれるまでの失敗作に過ぎないんだ! あのエルフでさえも!」
「エルフ……が?」
神の寵愛を受けたというエルフが、失敗作だなんてあり得ない。
確かに『神の裁き』は受けたが、それでも失敗作では断じてないはずだ。
「逢った事ねぇけどエルフってすげぇんだろう! よく知らねぇけど命造るくらいすげぇ力があんだろう、それの何処が失敗作なんだよ!」
勇気の言葉に、ロレンドは必死に笑いを堪える。
「ぷっ、ぷふっエルフ、エルフなんてもうとっくにいないんだよ、馬鹿じゃないの君?」
エルフは神から無限の寿命を貰ったはずだ。
不老となり、ずっとそのままの姿で生きている、エルフから生まれたリリィがそう言ったのだ、間違えない。
そのエルフが――いない。
そしてロレンドは、何も知らない勇気へと告げる。
「エルフは、とっくの昔に人間が滅ぼしたんだよ」
「えっ――」
エルフを、人間が滅ぼした。
大いなる力を神より授けられた、最上の存在であるエルフが――。
「そんなの何千年も前の話だろう、エルフや妖精よりも、人間の方がずっと完成された存在なんだよ!」
ロレンドは声を戦意を失っているリリィを見下すと、笑う。
自分よりも遥か昔から生きているにもかかわらず、醜態を晒している彼女を見て優越感に慕っているのだ。
「人間は他種族よりもずっと優れているんだ、他種族なんて僕ら人間の奴隷に過ぎない!」
勇気は、この街に入ってからずっと疑問に思っていた事があった。
この街には人間しかいない、リリィやネネリの様な他種族が見当たらなかった。
この世界には、神が生み出した沢山の種族がいるはずだ。
リンシェン、いやシャヘラザーン帝国は――他種族を差別している。
「この帝国こそベルカリュースを治めるにふさわしい国家なんだよぉ、うひゃあ~~はっはっは~~」
ロレンドは大声で笑う。
それにつられて、騎士や大臣達も笑い出した。
皆、勇気の言葉を聞いて笑っているのである――。
「そんなに大声で笑うのはおやめなさい、ロレンド」
「あ~あははっ、ごめんごめん『母さん』」
ロレンドは、自分の母親――女帝に向かってそう言うと、笑いすぎてこぼれた涙を拭う。
ベルカリュースでは人間でも平均して二〇〇年の寿命があり、場合によって五〇〇年生きる事もある。
更に女帝は、その類稀なる魔法の才によって自身の老化を遅らせているので、あの若さと美しさで、ロレンドの様な息子がいるのである。
「このトカゲ僕が貰ってもいい? 一枚ずつ鱗を剥いでから、少しずつ斬ってやるんだ」
「……自分の部屋だけにおし、わらわの部屋まで汚さないでおくれ」
まるで泥遊びでもする幼子に言う様に、軽かった。
「じゃあこいつら殺しちゃってよ、僕はコレで遊んでくるからさ」
そう勇気とリリィを囲んでいる部下達に命令する。
その表情は、これから人が死ぬ事に対してなんの疑問も抱いていない。
これからネネリを痛めつけるというのに――なんの疑問も抱いていない。
まるで玩具で遊ぶ様に、当たり前の事の様だ。
「うっうう、ゆ、きぃ……ゆうきぃ……」
「ほら、お前はこっちだぁ!」
ロレンドはネネリのしっぽを引っ張ると、彼女を引きずって自分の拷問部屋へと連れて行こうとする。
必死に抵抗する彼女の手を蹴り飛ばし、楽しそうに笑っている。
「うひゃあ~はっはっはっ」
顔に似合わない、人の神経を逆なでする声で高笑いするロレンド。
甲冑を着こんだ騎士達は、勇気とリリィを殺そうと近づいてくる。
リリィは戦意喪失、勇気は手枷を付けられていて、とても逃げる事が出来ない。
「ほほっ……」
女帝は微笑み、貴族や騎士も皆嘲笑う。
玉座の間の笑い声はピークへと達し、沢山の声が重なり一つ一つの大きな音になった。
笑いに夢中になって誰も気が付かなかった。
勇気が怒っている事に――。
「――――っ!」
勇気は、素早く立ち上がると、眼の前にいた騎士にタックルする。
一流の騎士も、油断していてその不意打ちには対応できなかった。
だから勇気が倒れた騎士を跨いで――ロレンドへと迫るのを、誰も止められなかった。
「はっ――?」
そして――。
ロレンドの顔面を手枷で思いっきりぶん殴った。
それは本当に一瞬の事だった。
誰もが考えもしなかった一撃だった。
壊れた手枷の破片が、殴られたロレンドと共に床に落ちる。
その光景を、ただ――見ている事しか出来なかった。
「ほぉっ、ほべぇ」
鼻が折れ歯が抜けち、無様に床に倒れたその姿は、王族としての気品も将軍としての威厳も無い。
ただの醜い男だった。
「なっ……」
「あっ……」
勇気のその一撃を、リリィもネネリもただ見ている事しか出来なかった。
そして誰もが唖然とする中、勇気はロレンドを睨みつける。
それは今までの彼の言動からは考えられないほどの、迫力があった。
「ふざっけんな!」
それは、ベルカリュースの中でも最高の国家である、シャヘラザーン帝国の王族に向けられた言葉。
そんな事許される訳がない。
しかし、勇気は止まらなかった、止める訳がなかった。
「リリィが虫けらだとぉ、ネネリが化物だとぉ……ふざけんじゃねぇ!」
勇気の左肩は、殴った衝撃で脱臼し右手首も折れていた。
しかしそれでも――。
「二人とも、そんなもんじゃねぇ! 虫けらも化物もてめぇらの方だこのクソ野郎共!」
激痛が彼を襲っているであろう、本来なら喋る事もままならないはずなのに、それでも勇気は怒鳴ったのだ。
「アンタ……」
「……ユー、キ」
リリィもネネリも、勇気が本気で怒るのを初めて見た。
勇気はいつだってやる気が無くて、自分が傷つけられても咎めないほど、いかなる事柄にも興味が無かった。
それなのに――今本気で怒っている。
自分の為ではない、リリィとネネリの為に――彼は怒っているのだ。
「大丈夫か……ネネリ」
勇気は再生した腕でネネリを起き上がらせた。
買って上げたワンピースはボロボロで、身体も傷だけの彼女を優しく起こすと、勇気は自分の足元で白目を向いて気絶しているロレンドの高価なマントをはぎ取ってネネリへとかけてやる。
王族の高価なマントを、蜥蜴人にかけるなど考えられない。
そもそもそんな亜人の為に、王族を殴るなど考えられない事だった。
「なっ――」
『何をするのだ!』、女帝はそう叫ぼうとした。
実の息子を殴り飛ばされた、ふつふつと沸き上がったこの怒りに身を任せ、声を張り上げ――ようとしたのだが、勇気はその前に動く。
手枷の破片を、女帝の真横の壁に向かって投げつけたのだ。
一番頑丈な金属の部分だけが残っていたので、その威力は壁にめり込むほどだった。
「――ひっ」
女帝はそれを見てようやく理解した。
勇気は自分に危害を加えるつもりでそれを投げたという事を、自分が今殺されかけた事を――ようやく理解した。
「ひっひいいいいいいいいっ!」
恐ろしさを理解した女帝は、身をよじり金切り声で叫んだ。
「わっわらわに! わらわを殺すのかぁぁぁぁ、このっシャヘラザーン帝国第五代皇帝、エリザベージュ=マリジェンヌ・イバンナ・シャヘラザーンをぉぉぉ!」
女帝エリザベージュの声は、玉座の間だけではなく宮殿全体に響き渡っているかの様だ。
「殺せぇ! この者を殺せぇぇぇぇぇ!」
ただ茫然としていた騎士達が、エリザベージュの言葉によって意識を取り戻した。
それぞれ自らの武器を構え、大罪人勇気を殺そうと動き出す。
しかし――。
「ユーキ!」
それよりも先に、正気に戻ったリリィが動いた。
騎士の間を抜け、ネネリをしっかりと抱きしめる勇気へと右手を伸ばす。
彼の体に触れた瞬間――三人は光に包まれ、そして消えた。
その一瞬の出来事に、誰もが眼を疑った。
瞬きをする暇も無く、本当に一瞬で消えてしまったのだから――。
「いっ一体どこに……」
人間が一瞬で消えるなどあり得ない誰もが驚く中――バルトロウーメスは冷静だった。
「――そこだ!」
辺りを見渡すと五メートルほど離れた所に、ネネリを抱えた勇気と、宙に浮いているリリィがいるのを発見した。
「えっどえっ……うえぇ!」
勇気はいきなり景色が変わって驚いた、一体何が起こったのか彼自身も理解できなかったのだ。
しかし、理解する暇を与えられなかった。
大剣を構えながらバルトロウーメスが迫って来たのだ。
「早く、走って!」
リリィの喝で、勇気は鞭を撃たれた馬の様に走り出した。
玉座の間の扉を開け廊下へと走り抜けるのだが、バルトロウーメスは相変わらず足が速くあっという間に距離を縮める。
外に出る為には、階段を下るしかないというのに、階段からは騒ぎ聞きつけたアーメルが、部下を引き連れてやって来た。
「バルトロウーメス騎士団長!」
勇気を追いかける上司の姿を見て、アーメルは何が起こっているのか察した。
細身の剣を抜くと、向かってくる逃亡者へと切っ先を向ける。
「やっ、やべぇ!」
「こっちよ!」
リリィに言われて、横の道に入るのだが――――行き止まりだった。
大剣を振り上げてバルトロウーメスと、細身の剣を構えるアーメルが後方からは迫っているが、もう逃げ場がない。
「いいから、走って!」
「えっえぇ、でも行き止まり――」
「いいから突っ込むつもりで走ってぇ!」
リリィは勇気の肩に掴まると、そう指示した。
とはいえ眼の前は壁、石の壁をぶち破れるほどの力は勇気にはない。
しかしバルトロウーメスとアーメルはもうすぐそこまで迫っている、迷っている暇なんて無かった。
「ええ~い、南無三!」
意を決して走る勇気、だが壁は彼の行く手を遮っている。
そして壁がほんの数センチの距離になった時、三人は再び光に包まれて消えた。
「えっうぇっ?」
勇気が気が付くと、青い空とリンシェンの街並みが見えた。
さっきまで城の中だったのに――、今は城の前の広場にいる。
「えっ……ええ、いっ一体なにが!」
玉座の間にいた時と同じ、一瞬で全く別の場所に移動した。
勇気にはこんな能力は無い、コレはまさか――。
「りっリリィ、お前何をしたんだ!」
リリィが何かをしたとしか考えられない。
勇気は肩に乗っていた彼女を見ると――、荒い息で玉のような汗をかいて、尋常ではないほど疲労している様だった。
「はぁ……、アタシは万物の創造神から、くっ『空間』の支配を、仰せ使ってるのよぉ……、こうやって瞬間移動するくらい余裕よ」
全く余裕とは思えない、顔色も悪く倒れても可笑しくないほどだ。
「ちょっと……連続で使うのは堪える、だけよ……もう一回、次こそ街の外に……」
また瞬間移動をやろうとしている、城から広場に移動するのにこれほど辛そうなのだ、ここから街の外へ移動したら、リリィが本当に倒れてしまう。
「きゃあああああ、亜人よぉ!」
「蜥蜴人に妖精だぞぉぉ!」
「誰か、騎士を呼べぇ!」
広場には、沢山の街の人々がいた。
リリィとネネリに気が付いて、あっと言う間に騒ぎになってしまった。
広場で警戒していた騎士達が、三人を捉えようとこちらに向かってくる。
「くそっ、一難去ってまた一難かよ!」
流石に目立ち過ぎた、これでは街の外に逃げる前に騎士に見つかってしまう。
リリィに空間移動をこれ以上させる訳には行かない、何かいい手が無いかと考えるが、これっぽっちも思いつかなかった。
最早万事休すかと思った時――。
「ユーキ、あっ……ちに」
抱きしめられていたネネリが、精一杯腕を伸ばし指差す。
それは赤い鱗のワイバーンの死骸、昨日ロレンドが高らかに凱旋をした時に曳いていた物だ。
死骸に近づいた所で何が出来るというのだろうか、しかし騎士達が近づいて来てもう逃げ場がない。
勇気はワイバーンが載せられている台によじ登った。
「……うっ」
ネネリは痛む体を引きずりながら勇気の手から離れると、ワイバーンの死骸に触れる。
すると紫紺色の魔法陣が展開され、強く輝く。
そして――死んだはずのワイバーンが動き出した。
眼は光を取り戻し、頭を持ち上げると空へと咆哮を上げる。
『グオオオオオオオオオオオッ』
腹の底にずっしりと響くようなその声に、集まっていた街の人々も、武装した騎士でさえも圧倒された。
そうか、すっかり忘れていたがネネリは死霊術師だったのだ。
死体であれば、人間だろうがワイバーンだろうが関係なく使役する事が出来る。
「ユーキ、はやく」
ネネリに言われるがまま勇気が乗ると、ワイバーンは翼を広げ羽ばたいた。
大きな翼が空をかくと、まるでヘリコプターの様な風圧の風が吹く。
そして、その巨体が宙へと舞い上がった。
「うおっ!」
竜に乗って飛ぶなんてすごくファンタジーなのだが、そんな感動に浸る暇など無い。
飛行機の様に安定しておらず乗り心地は最悪、鞍が付いていないせいか乗り難く今にも落下してしまいそうだ。
必死に鱗にしがみ付いて、勇気は落ちまいと踏ん張った。
その時――宮殿のバルコニーからこちらを見つめるバルトロウーメスと眼が合った。
「あっ――」
その眼は、ワイバーンに乗って飛行している勇気をしっかりと捕らえている。
こちらを睨みつける彼の表情には、強い怒りを感じた。
ほんの一瞬の出来事だったはずなのに、それはとても長い事だった様に思えた。
ワイバーンはあっという間に宮殿よりも高く舞い上がり、巨大なリンシェンの街が小さくなっていく。
「…………」
勇気は、もう見えなくなったリンシェンの街を見下ろすのを止めて、前を向いた。
どこへ行くでもない、これからどうすればいいのか分からない。
三人は、西へと逃げ出したのだった。




