幕間 Valentine’s Day
今日は皆さん煮干しの日です、2(に)1(棒)4(し)です!
カルシウム食べましょう! そんなわけで今回はお魚を食べるお話です!
嘘ですスイマセン、もっと甘いお菓子のお話です!
勇気編の真っ最中ですが、久しぶりの君子さんです(皆覚えてますか?)
「おお……なんと!」
君子は手帳の日付を見て声を荒げた。
異世界に来てからずっと印をつけて早幾星霜、ハロウィンにクリスマスと、地味女子とは無縁の行事を過ごして来た君子だったが――とうとう一番無縁なあのイベントがやって来てしまった。
「ばっバレンタインデー……ですか」
そう彼氏いない歴=年齢で、男子様とろくにおしゃべりも出来なかった君子さん的には、このイベントは基本的にスルーと言うか、蚊帳の外と言うか、とにかく関係が無かった。
(ははっ……友チョコもした事ない私にとって、バレンタインデーなにそれ美味しいの? 二月一四日は煮干しの日でしょう? みたいな感じだったしな~)
カルシウムを摂る日ではなく、カカオポリフェノールを摂る日である。
ずっと喪女だったので、すっかり忘れていた。
「……キーコ、バレンタインデーって何?」
洗顔の為に桶とタオルを持って来てくれたアンネが、そう尋ねて来た。
やはり異世界には存在しないようだ、あまり気が進まないが説明を始める。
「はぁ……実は――」
「…………女性が男性にチョコレートを渡す日?」
ヴィルムにバレンタインについて話した。
元々は宗教の行事で、聖ヴァレンティヌスが殉教した日で、彼が国の政策によって結婚できない男女の式を密かに行っていた事が始まりで、以降この日は世界的に愛の告白の日、愛の日となったのである。
そんなロマンチックな逸話があるのだが、そんな物夢のない男ヴィルムからすれば――。
「それになんの意味があるんですか?」
この通り一刀両断である。
まぁこんなのは、予想の範囲内だ。
「なんと言うか、日ごろの感謝~とかそんな感じです、つまんないお祭りなんで気にしないで下さい」
もういっそ煮干しの日にしよう、カルシウムを摂ろう、君子はいつも通りスルーしようとしたのだが――。
「嘘、ホントの事言わなきゃダメでしょう、キーコ!」
アンネがそう釘を刺して来た。彼女は乗り気ではない君子の代わりに、話し始める。
「女性が、好意のある男性にチョコを渡す日なんですよぉ~、ロマンチックじゃないですか~」
「……はぁ」
「普段は言えない気持ちを、あま~いお菓子と一緒に伝えるなんて、最高のお祭りじゃないですか~~、きゃ~~」
乙女モード全開のアンネは、バレンタインの魅力にすっかり魅せられている。
「……チョコが嫌いで、別に気もない場合、男性にとっては最悪の日ですね」
「ちょっとぉヴィルムさん! なんて事言うんですかぁ!」
ヴィルムの言葉に乙女アンネは怒る。
これだから男は困る、ロマンもデリカシーもない。
「まぁ私の国でもハラスメントになる~って事で、やらない人達も増えてますから、ヴィルムさんの言う事も一理あります」
「えぇ~~こんな素敵なお祭りをやらないなんて勿体無いわ! 駄目よ止めちゃ!」
君子はあまり関係ないイベントだったので、そんな事言われても困る。
「アンネさん、好きな人でもいるんですか?」
「えっ……いっいないけど、キーコの故郷のお祭りってちょっと変わってて楽しいのよ」
「アンネさん……」
日本では当たり前のお祭りだが、異世界はベルカリュースでは物珍しく感じる様だ。
それにハロウィンも、クリスマスも皆楽しんでくれたし、君子自身も楽しかった。
恋人達のイベントと言う感じがするが、友チョコや強敵チョコがあるし、最近は自分の為に高級チョコレートを買う人がいるのだから、楽しむという目的の為だけに、バレンタインをやったっていいはずだ。
「なっなら……やってみますか? お菓子作り……」
何気なく、楽しんでもらえるならそれでいいやと思いそう言ったのだが、アンネはやる気満々で君子の手を掴む。
「ホント! ならすぐにベアッグさんに相談しましょう、ねっねっ!」
「えっえぇ?」
そして戸惑う君子の手を引っ張って、アンネは鼻息を荒くして、台所へと向かうのだった――。
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「へぇ~、今度はそんなお祭りなんだな」
「おまつり、おまつり!」
「おまつり、おまつり!」
チョコを作る為に、台所にやって来た君子とアンネ。
とりあえず食べ物の事なら、ベアッグに相談しなければ始まらない。
「はい、だからチョコレートが要るんです」
「チョコか……チョコはなぁ……」
ベアッグは困った表情でそう言った、何か問題でもあるのだろうか。
「いや……あるにはあるんだがちょっと量が少ないんだ、チョコレートは高級品だからな、一週間くらい前に言ってもらえれば、何とかなったんだが……」
ここは異世界、日本の様に欲しい物が何でもすぐに手に入る訳ではないのである。
冷静に考えるとコーヒーでさえ手に入るのが難しいのだから、チョコレートなんてもっと手に入りにくいだろう。
「そんなぁ……何とかならないんですか、ベアッグさん」
「ん~~こればっかりはなぁ~~」
頭を抱えるベアッグ、今マグニにあるチョコレートでは、生チョコやケーキを作るには、あまりにも少なすぎる。
「あっ、ならクッキーにしちゃいましょうか?」
「えっ! チョコじゃなくてもいいの?」
「チョコを贈るって言うのは、私の国だけみたいですし、お菓子なら何でも大丈夫です」
バレンタインにチョコを贈るという風習は日本だけの物で、本場海外ではお菓子を贈ったり、お花を贈ったり、あるいはサプライズをしたりする。
だからチョコにこだわる事はない。
「その代わり、チョコレートにも負けない美味しいクッキーを造りましょう!」
こうして、バレンタインが始まったのだった。
「薄力粉に卵、バターにお砂糖……基本は全部ありますね」
「そうだな、この辺は料理にも使うからな!」
どれも結構な量があり、コレはかなりの枚数が焼けそうだ。
(クッキーをこんなに焼くなんて初めてだなぁ……)
元々料理は好きなので、何だか物凄く楽しくなって来た。
バレンタインとかそういう物以前に、皆で料理を作るのが楽しくて堪らないのだ。
「じゃあまず何からやるか?」
「ちょっと駄目です、今日は女の子が男性にお菓子をあげる日なんですからね! ベアッグさんは造っちゃダ~メ!」
「ええ~、手伝いも駄目なのか~」
料理を作る事が生き甲斐のベアッグにとって、料理を作れないのは拷問に近い。
とはいえすっかりアンネはやる気なので、ここはベアッグには悪いが作業を見守って貰う事にする。
「じゃあベアッグさんは見ていて下さい、オーブンを使う時だけ手伝って下さい」
「うう……見てるだけなんてなぁ」
マグニ城のオーブンは薪である為、君子には扱えない。
焼く工程だけはどうしても、ベアッグの手が必要なのである。
「ランも、ランもやる~」
「そうだね、ユウちゃんの為に一緒に造ろっか!」
という訳で、女子三人でクッキーを造る事になったのだ。
まずは計量から始める。
君子は麻袋からコップで小麦粉を取り出す、しかし量が量なので小麦粉の山が出来た。
よく考えると男性だけではなく、女性陣もクッキーは食べたいに決まっている、コレは思った以上に、量が多くなりそうだ。
「うおぉ……小麦粉の富士山」
「バターもすごい量、見てるだけで胃もたれしそうね」
大きなバターを積み上げる、まるでレンガで壁を造っている様だ。
「おさとーもいっぱい!」
砂糖も高尾山くらいの大きさの山になっている。
卵もかなりの数を使う、この量のクッキーを造るのは思った以上に重労働である。
「やっぱり、俺も手伝おうか?」
「駄目! ベアッグさんはそこでじっとしててください!」
アンネに叱られ、ベアッグはしょんぼりと項垂れる。
なんだか少し可愛らしい。
「じゃあ、アンネさんは小麦粉をふるいにかけて下さい」
「分かったわ」
「ランちゃんはボウルと麺棒を洗ってね」
「わかった~」
「私は卵黄を分けます! では皆さん時間が無いのできびきび行きましょう!」
計量が終わり、準備は整った。
まずはベースとなる生地を造る。
今回は一番作り慣れているサブレクッキーをベースに、更に色々なバリエーションを造る事にした。
「ではまず常温でちょっぴり戻したバターをボウルに入れます、そしてヘラでクリーム状になるくらい練り上げます!」
この時バターの欠片が残っていると食感に影響するので、よく練り上げて他の材料と混ざりやすくする。
「そして、砂糖と隠し味の塩を入れます、今度は手でぎゅっと握る様にして混ぜます」
「あははっ、バターが指の隙間から出て来て面白いわね!」
「う~、うまくできない~」
ランの手では小さくて、上手く出来ない様だ。
君子は自分の手を止めて彼女の所に行くと、優しく教える。
「そう言う時は、泡だて器を使うの、ボウルの底にこうやってすり込むようにして混ぜるといいんだよ!」
砂糖と塩がバターに良く混ざったら、今度は卵黄を入れる。
生地の水分が増して、べちゃべちゃとした感触に変わった。
「そこで今度は振るった薄力粉を入れます、薄力粉は一回で入れないで、二回から三回に分けて入れます」
よく混ぜる為に一度に入れず、小分けに入れる。
べちょべちょとした生地は薄力粉によって次第にまとまってゆく。
「この時のポイントは良く混ぜる事です、混ぜるのが不十分だと粉っぽくて美味しくないので、ここは親の仇だと思ってよ~く混ぜて下さい!」
目安としては、生地表面が綺麗になるくらいだ。
粉が残っていたり、ひび割れたりしていると、それは練りが甘い証なので、良く混ぜ合わせて粉っぽさを失くす。
「出来たわ、コレでどうかしら?」
「できたよ、キーコ」
「はいOKです、じゃあ生地を分けてチョコチップを入れましょう!」
「それにしても、あの生地の量だとやっぱりチョコが少ないなぁ」
「確かにそうですね……二種類作るにしても、対比がちょっと……」
目測で八対二くらいの割合で、ノーマルなクッキーが多くなりそうだ。
幾らクッキーとはいえ、ちょっと面白みがない。
「……どうせなら、他のクッキーも造りますか」
「他のって……例えば何?」
「そうですねぇ……」
とりあえず何かクッキーの材料になりそうな物を、皆で手分けして漁る。
「塩は駄目ね、胡椒も無し、唐辛子粉は……論外ね」
「ロシアンクッキーになりそうですね」
とんだ血のバレンタインになりそうだ。
アンネと君子、それにベアッグは更に捜索を続けると――。
「あっ、ゴマだぁ~」
君子が見つけたのは、メヌル村から頂いた黒ゴマだった。
普段は和食を造った時の色どりなどに使うのだが、コレは使える。
「ゴマでお菓子なんて造れるの?」
「はい、香ばしくて美味しいんですよ~」
ゴマは体にもいいし、これならお菓子を食べるという背徳感も薄れるに違いない。
「あっ、そう言えばココアもありましたよね、アレを入れましょう」
ヴェルハルガルドのココアは、砂糖が入っていないので、甘さを控えたビターなクッキーが出来るに違いない。
これなら甘いものが苦手な人でも、美味しく食べられるはずだ。
「では、アンネさんは黒ゴマ、ランちゃんはココア、私はチョコをやりますね」
ベースとなるサブレの生地に、それぞれ材料を混ぜて行く。
ダマにならない様にしっかりと混ぜると、直径四センチくらいの棒状に成型する。
「では生地を寝かせて、よく馴染ませましょう、本当は一日とか半日くらい寝かせると良いんですけど、三〇分から一時間ぐらい寝かせるだけでも十分美味しくなりますよ」
冷蔵庫で寝かせると良いのだが、ここは異世界、そんな文明の利器など存在しない。
常温では不十分かもしれないので、どこか涼しい所に置きたい。
「ああ、なら氷室でやると良いんじゃねぇか?」
「氷室?」
それは、氷や雪を保存する場所の事を指す。
主に氷に藁などの断熱材を被せた物を言うのだが、温度が常に一定に保たれる事から、冷蔵庫の様に生鮮食品を保管する事が出来るのだ。
マグニ城では、台所のすぐ隣の食糧庫に併設されていて、傷みやすい肉や野菜などがここに保管されていた。
「ふふぁ~寒いですね……」
「そりゃヴェルハルガルド一の氷と名高い、ジェルファール湖の氷だからな、冷たくて溶けにくい、最高の氷だぜ!」
奥の方に氷が置いてあって冷凍庫位冷たいが、入口の方は冷蔵庫位でクッキー生地を寝かせるにはもってこい場所だった。
君子は『設計者』で造ったラップで、棒状にした生地を包むと、比較的冷蔵庫の温度に近い入口側に置いて、生地を寝かせる事にした。
「では、しばし休憩しましょう」
一時間後。
「うん、いい感じに固まってますね」
棒状に成型したクッキー生地は、冷蔵庫で冷やされて固まっている。
「じゃあ、生地を伸ばして型で抜く?」
「いえ、コレはこのまま切るんですよ」
君子はそう言うと、包丁を持って来て五ミリくらいに輪切りして切る。
すると、切っただけで型を使わずに、丸いクッキーが出来上がった。
「へぇ、こんな作り方もあるのね!」
「はい、私のおばあちゃんの直伝ですよ」
これならば簡単に、それも大量に作る事が出来て、君子のオススメの作り方である。
黙々とクッキーを切って、ペーパーを敷いた天板の上に乗せる。
「ノーマルにチョコ、ゴマにココア、これなら結構飽きが来ないんじゃない?」
「ん~そうなんですけど……、なんかもう一ひねりあると、面白いんじゃないかな~って思うんです」
バレンタインに面白いも何もないのだが、よく考えてみるとハロウィンの時もクリスマスの時も、ベアッグが作った美味しいクッキーがあった。
またクッキーと言うのは、何だかマンネリな気がする。
(ギルだって……飽きちゃうよね……)
何かもっと、いつもとは違うクッキーにしないと駄目だと思う。
「ねぇねぇ、ユウおなかすいた」
「ランも、おなかぺこぺこだよ」
「もう夕方よ、もう少ししたら夕飯になるでしょう」
「いやだ~、ユウいまたべたい~」
「ランも~、ランいまたべたい~」
空腹の双子の騒音は、さながら怪獣の泣き声の様だ。
一度こうなると手が付けられない事を、アンネもベアッグも知っている。
「仕方ねぇなぁ、俺が何かおやつになりそうな物でも作ってやるから、それまでコレでも食ってな」
そう言って、ベアッグは飴がたくさん入った瓶を棚から取り出した。
色とりどりの飴は、まるで宝石の様に綺麗だ。
「ベアッグさん、キャンディー持ってたんですか……しかもこんなに沢山」
「いやぁ~、たまに無性に甘いもんが喰いたくなってな……時々舐めてるんだよ」
外見がグリズリーのベアッグは、どちらかと言うと蜂蜜を舐めている方が似合いそうだ。
くまのベーさんとか、そんな感じである。
「……飴、飴だぁ!」
「うっうおおおっ、どっどうしたキーコ!」
ベアッグから飴を奪い取ると、君子は瓶を掲げて食い入る様に見る。
突然の彼女の行動に、アンネもベアッグも、ユウもランもとても吃驚した。
「キーコ、アメなめるの?」
「アメなめるの、キーコ?」
「キーコ、そんなに飴舐めたかったの?」
「あっいっいやそうじゃなくて……、えへへっ、良い事思いついたんですよ」
飴を持って、楽しそうに君子は笑う。
何やら思いついた様なのだが――四人は、訳が分からず首を傾げる事しか出来なかった。
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「……ン、美味そうな匂いがする」
鼻がいいギルベルトは、自室にいても漂ってくる甘い匂いに気が付いた。
夕食かと思ったが、匂いからするとお菓子の様だ。
「そう言えば、キーコが何か作っている様ですよ」
「キーコが? なンでだ?」
「なんでも今日は、キーコの世界では女性が男性に菓子を渡す日だそうです」
「ホントか! それいいな、けけっ」
お菓子が大好きなギルベルトにとって、そんなに嬉しいイベントは無い。
ハロウィンやクリスマスも色々とお菓子を食べたが、まだそんなお祭りがあるなんて思いもしなかった。
異世界は、何て素晴らしい文化があるのだろう。
「ああそう言えば、好意のある異性に菓子を渡す日、だそうですよ」
「こっ……好意のある、異性?」
それはつまり――。
「おっ……俺に、お菓子作ってるのかぁ?」
いつだって君子はギルベルトの為に何か作ってはいるのだが、好意のある異性、と言うワードに彼はとても飛びついた。
だってそれは――つまり好きな男に、という事だ。
「まぁアレだけ張り切っていましたし(アンネが)、おそらくギルベルト様に差し上げるものかと……ギルベルト様?」
ギルベルトは急にそわそわし始めて、落ち着きがなくなった、
先ほどまではソファでゴロゴロしていたというのに――。
「……なっ、なぁ、喉かわかねぇ?」
「では、アンネにお茶でも持ってこさせましょう」
「ちっちが……」
「……なにか?」
喉が渇いたのなら、アンネにお茶を持ってこさせるのは当然の事なのだが、ギルベルトはどこか挙動不審で言う。
「みっ皆忙しいんだろう……だったら、おっ俺がとりに行ってもいいんだ、ぜ……」
「……いえ、ギルベルト様は王子で御座います、メイドがする様な事をさせる訳には参りません、私がご用意を――」
「だああっ、それじゃ見に行けねぇだろう!」
「…………見に行きたいのですか?」
つい口走ってしまったギルベルト。
君子がバレンタインのお菓子を作っていると聞いて、居ても立っても居られないのだ。
「……ギルベルト様、菓子をつくる時間くらい待てないようでは、ヴェルハルガルドの王族としての威厳が――」
「わ~あ~、もう聞き飽きた! 別にいいだろう、気になるんだからよぉ……」
気になる女の子から、バレンタインにお菓子を貰えるかどうかと言うのは、日本もベルカリュースも関係ないらしい。
しかし王子としては、もっと冷静であって貰いたいものだ。
ヴィルムはため息を付くと、少し呆れながら言った。
「……仕方がありませんね」
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「完成しました~~」
君子はオーブンから取り出した天板をテーブルの上に置いた。
天板には、様々なクッキーが並べられていて、どれもとても美味しそうだった。
「すごいわね、綺麗に焼けてる」
「クッキーおいしそう!」
「おいしそうクッキー!」
「本当によくできてるな、流石はキーコだ」
目測でおよそ二〇〇枚、本当に良く作った物だ。
苦労したが、こうやってテーブルに乗せてみるとなんだか、達成感が一味違う。
「あとは、どうすればいいの?」
「粗熱が取れたら、ラッピングをするんです、さっきあそこに用意をして……」
『設計者』で造ったラッピングの箱やリボンを持ってこようとしたら――。
こっそりとこちらを覗く、ギルベルトと眼が合った。
「――ギルっ! なんでここに」
「やっべ!」
急いで隠れるギルベルトだが、もう遅い。
君子は廊下に出て来てた、意外にもヴィルムもいた。
「ヴィルムさんまで……、一体どうしたんですか?」
「いえ、良い香りがしたので、ギルベルト様が……」
「ギルが?」
「うっ……」
ギルベルトは視線を逸らす、お菓子を作る時間も待てないなんて男として恥ずかしい。
「そっか、上手に焼けたんだよ、見てみて!」
笑うかと思ったが、君子はギルベルトを台所へと引き入れる。
定番のサブレにココア、バレンタインらしくチョコチップ入りに、珍しい黒ごまのクッキー。
たくさん並べられたクッキーを見て、ギルベルトのテンションも上がる。
「すげぇ、クッキーがいっぱいだな!」
「えへへっ皆で作ったんだよ」
ギルベルトは近くにあった、チョコチップのクッキーを食べてみる。
チョコレートの甘さを引き立たせる為に生地は甘さ控えめ、全くくどくなく幾らでも食べられそうだ。
「うめぇ、うめぇなコレ!」
「……えへへっ良かった」
美味しそうに、クッキーを食べるギルベルトを見たら、ちょっと恥ずかしくなって来た。
「ほう……、このモザイク柄も、作ったのですか?」
「はい、それは伸ばしたノーマル生地とココア生地を五ミリくらいの棒状に切って、交互に重ねて、輪切りにするとこうなるんですよ」
祖母直伝のレシピ、君子の家では市松と呼んでいた。
サブレとココアの二種類だけで、簡単に作れて、見栄えも良いのでオススメのレシピだ。
「そう言えば、今日はチョコレートを渡す日、では無かったのですか?」
「そうですよ、だからチョコチップを使ってますよ」
「コレで……チョコレート?」
コレをチョコと定義していいのだろうかと、お堅い軍人ヴィルムは首を傾げる。
「ヴィルムさんも、見てないで食べて下さいよ」
「…………はぁ」
アンネに言われて、ヴィルムは近くにあった黒ゴマを食べる。
ゴマの香ばしい香りが口に広がる、甘さもだいぶ抑えていて、子供のおやつと言う印象を覆すものだ。
「これは良いですね、甘いものが苦手な私でも食べられます」
「ふっふっふっ~、食べましたねぇヴィルムさん」
「はい?」
アンネは不敵な笑みを浮かべると、仁王立ちで言い放つ。
「バレンタインでお菓子を貰った男の人は、一カ月後のホワイトデーにお返しをしないといけないんですよ~」
「お返し?」
「そうです、基本的には三倍返しだそうですよ! ヴィルムさんもクッキーを食べたんですから、ちゃんとお返ししなくちゃ駄目ですよ」
「……クッキーを一枚食べただけなのですが」
「一枚でも食べた事には変わりありませんからね~、ちゃ~んとお返しを用意して下さいね!」
「……なるほどバレンタインデーと言うのは、女性が男性から搾取する為の祭りという事ですか、詐欺ですねコレは」
「あっあははっ……、三倍じゃなくていいんですからね」
とは言いつつも、ヴィルムはゴマのクッキーを気に入った様で、もう一枚口へと運んでいた。
喜んで貰えて良かった、君子が喜んでいると――。
「どうも~お邪魔しま~す」
「お邪魔しに来てやったぜぇ~」
お勝手からずかずかと上がり込んで来たのは、ルールアとフェルクスだった。
予期せぬ来訪者に、皆驚く。
「ルールアさん、フェルクスさん! 一体どうしたんですか」
「近くまで来たからよったのよ、こっちから気配がしたからお勝手場からあがらせて貰ったの」
「…………、あのクソ野郎はどーしたンだよ」
ギルベルトは辺りを見渡し匂いを嗅ぐのだが、『あのクソ野郎』事アルバートらしき影も匂いも無い。
「アルバート様は多忙だからいないわ、今日は私達だけ」
笑いながらそう言うルールア、しかし本当は――。
「(本当は、アルバート様にキーコの様子を見に行けって言われたのよね~)」
シューデンベル領とマグニ領は離れているので、気持ちまで離れてしまわないかどうか心配になって、様子を見に行く様に命じたのである。
「へへ~アルバート様は、おめぇーと違っていそがし~んだ!」
「あンだとこの馬鹿!」
「オレ様は馬鹿じゃねぇ! 馬鹿って言った方が馬鹿なんだぞ、馬鹿ぁ!」
「自分で馬鹿って言ってるじゃないのよ! ヴィルムさんすいません、騒がしくてもぉ~」
ヴィルムに見られない様に、ルールアはフェルクスに足蹴りを喰らわせる。
「あっそうだ……」
君子は適当な大きさの箱を持って来ると、紙を数枚敷いて中にクッキーを入れると、リボンでラッピングをして、ルールアとフェルクスへと差し出す。
「なにこれ?」
「あ、なんだよこれ?」
「バレンタインデーなんでクッキーを焼いたんです」
「ばっ……バレンタインデー? なに、ソレ?」
「あっ……えっと、私の故郷だと今日は女性が男性にチョコをあげる日なんです」
「なんでチョコをあげるの?」
ベルカリュースには存在しない風習なので、ルールアもフェルクスも不思議そうに首を傾げる。
そんな彼らにアンネが付け足す。
「女性が、好意のある男性にチョコを渡す日なんですよ!」
「……えっちょっちょっ、なにそのお祭りぃ! なっなんでもっと早く言ってくれなかったのよぉ~~」
ルールアは動揺し、君子へと詰め寄る。
それもそうだろう、こんなイベント恋する乙女であるルールアが反応しない訳がない。
「うっ、もっと早く言ってくれれば、ヴィルムさんに用意したのにぃ……しゅんっ」
「まっまあ……来年もありますし、コレは私の世界のお祭りですから」
うずくまって嘆く彼女を、君子とアンネが慰める。
そもそも今年は初めてのバレンタインな訳だし、来年ならばもう少し浸透してやりやすくなるはずだ。
「それで、コレをアルバートさんに――」
「ンなっ!」
ギルベルトは悲鳴に近い声をあげて驚いた。
だってバレンタインは、女性が好意のある男性にお菓子を渡す日なのだ。
君子がアルバートに渡したら、まるで彼の事が好きなようではないか――。
「ふっふざけんなぁ、あんなクソ野郎に渡すなぁ~」
ギルベルトはクッキーを奪い取ろうとするのだが――、フェルクスが箱を受け取って、ギルベルトのタックルを華麗に避ける。
「へへっ、今日のオレ様はサイッコーなんだぜ! 素早さもサイッコーだぜ!」
「ふっ、ふざってめぇかえせぇっ!」
「いや~だねぇ~、あばよぉ馬鹿ぁ~」
フェルクスは、まるで子供の様にあっかんべーをすると、庭にいる愛馬である赤い鱗のワイバーンの元へと走る。
「うっううぅ、来年こそはチョコ用意するんだからぁぁ」
ルールアは泣きながらその後を追う。
「一ヶ月後に三倍返しでお返しするんですよぉぉぉ!」
アンネは、ワイバーンに乗って空高く飛び上がった二人へと声を張り上げる。
聞こえたかどうか分からないが、ワイバーンは一度旋回すると、北に向かって飛び去って行った。
「あはは……なんか嵐みたいでしたね――」
「キーコぉぉぉ!」
ギルベルトは額に血管を浮かべて、物凄く怒っていた。
その迫力は恐ろしい物で、今までで一番怖い。
「なんであんな奴にクッキー渡すんだよぉ!」
「ひょひょぉぉっ……、だっだってぇ前にシューデンベルでお世話になったし、感謝の気持ちも込めて……」
本命、と言うより義理に近い物なのだが――ギルベルトにとってそんな事関係ない、君子のクッキーをアルバートに渡す事がムカつくのである。
そして、彼の怒りは爆発する。
「あんな奴に感謝するなぁぁぁぁぁ」
「ひょよよおおおおおおおっ! やぁ~抱きしめないでぇ~~~」
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一方その頃。
ワイバーンでシューデンベルに帰る途中の、ルールアとフェルクス。
「はぁ……もっと早く知ってれば、絶対にチョコを用意したのになぁ~」
ヴィルムにチョコをあげたかった、そしてあわよくば告白したかった。
重い溜め息を付くルールア、しかしそんな彼女の横でフェルクスは先ほどのクッキーの包みをじーっと見つめていた。
「なぁルールア、これアルバートに渡していいのかぁ?」
「渡していいって、渡さなきゃダメでしょう……キーコのクッキーなんだから」
何を当たり前の事を言っているだろうか、ルールアは今悲しくてしかたがないのだから、ちょっと放っておいて貰いたい。
「でもよぉ……毒とか入ってたらどーすんだよ」
「えっ……」
そうだ、すっかり忘れていたがギルベルトとアルバートは、物凄く仲が悪い。
それこそ殺し合いをするくらいだったのだ、君子が作ったクッキーに毒くらい仕込んでいても不思議ではない。
「たっ確かに……考えられない訳じゃないけど……」
「んじゃ毒味だな! ど~く~み~!」
フェルクスはせっかくのラッピングを剥がして、箱を開けるとクッキーを一枚口にする。
「あっ……ちょっと!」
「うん……大丈夫だな」
城に行けば浄化魔法で浄化できるのだから、わざわざ毒味をする必要など無い。
「じゃあ毒は無かったわね、はやく元通りにラッピングして」
「でもよぉ、このクッキーには毒が無くても、こっちにはあるかもしれねぇぞっ」
「ああっ、ちょっとぉ!」
フェルクスはそう言って、更にクッキーを食べる。
「ん~~、このクッキーには入ってねぇな、こっちかなぁ?」
そう言ってフェルクスは次から次へと食べてしまう。
このままではシューデンベルに着く前に、クッキーが無くなってしまう。
「ちょっとぉ、コレはアルバート様へのプレゼントなのよ! そんなに食べちゃ駄目!」
「でもこんなにあるんだぜ、ちょっとくらい食べてもアルバート様だってわかんねぇよ」
そう君子は皆で食べられる様に、数十枚分のクッキーを箱に詰めたので、到底アルバート一人では食べきれない量が、箱には入っている。
ちょっとくらい食べても、気が付かないくらい――。
「コレは毒味、アルバート様の為なんだ、へへっ!」
そう言ってフェルクスは、毒味を続けるのだった。
「……でっ、こうなったと」
そう言ったのは、執務室で仕事をしていたアルバート。
彼の手には、君子のクッキーの包みがあるのだが――その中身は、残り数枚しか残っていない。
数十枚は入りそうな大きな箱の中に、たった数枚しか入っていないなど明らかに不自然で、コレはどこをどうやっても誤魔化しがきかない。
「あっアルバート、しゅしゅいません……ふぇっフェルクスを止めようとはしたんですけど、私じゃ箱を持てないから……」
奪い取ろうにもハーピーのルールアでは、箱を持てなかったので、止めようにも止められなかったのである。
「…………いや、そもそもフェルクスとお前だけで行かせた私にも責がある、自分で行けば良かったのだ」
本当に好きならば、人など使わずに自分で足を運べば良かったのだ。
アルバートは机の上にクッキーを置くと、いつも通りの無表情でフェルクスを見る。
「……それでフェルクス、この君子が作ったクッキーの無残な様を見て、私に何かいう事があるのではないか?」
そうフェルクスが馬鹿だという事は分かっていた。
だから一回くらいの間違いや過ちで処罰するなど、エリート王子としての威厳にも関わる事だ。
ここは上に立つ者として、チャンスを与える事にする。
「(……ほっほら、アルバート様にちゃんとクッキーの事を言うの)」
懐が深いアルバートは、フェルクスが謝れば許してくれるつもりなのだ。
それを察したルールアが謝る様に促した。
「……クッキー? ああ、クッキー!」
ようやく自分が今何を求められているのか分かったフェルクスは――口を開く。
「めっちゃ美味かったぞ!」
どこをどうすれば、そんな言葉を言えるのだろうか。
ルールアは全身の血の気が引くのを感じ、ドアの近くで聞いていたファニアは呆れてため息を付いた。
好きな人からのクッキーを盗み食いされ、あろうことか満面の笑みでそんな事を言われたら――もうエリート王子の威厳など関係ない。
「このっ、大馬鹿者があぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ひぎゃあああああああああああっ!」
シューデンベル城に、サイッテーなフェルクスの悲鳴が響き渡ったのであった――。
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一方、マグニ城。
「ぶ~~……」
ギルベルトは未だにふてくされていた。
アルバートにクッキーを渡したのが、本当に悔しくてたまらないのである。
「ぎっギルぅ、そろそろ機嫌を直してよぉ」
「ふん……あのクソ野郎の方が良いんだろう、俺なんかより、ふんっ」
すっかりすねている。
いつものソファに座っているのだが、ちっとも君子と眼を合わせようともしない。
君子は溜め息を付くと、俯くギルベルトへと――一つの包みを差し出す。
「はいっギルのだよ」
「…………どーせ、残りのクッキーだろう、ふんっ」
そうは言いながらも、ギルベルトは可愛くラッピングされた包みを受け取る。
どうせアルバートに渡した分のあまり、ちょっと可愛くラッピングしたくらいでは、騙されない。
「あ……れ?」
しかし――中に入っていたのは、見た事の無いクッキーだった。
クッキー生地の真ん中がくりぬかれていて、赤や緑などの透き通ったガラスの様な物になっている。
「ステンドグラスクッキーだよ」
「ステンド……グラス?」
砕いた飴を、型抜きしたクッキーに敷き詰めて、オーブンで焼くとこの様にまるでステンドグラスの様に見た目にも綺麗なクッキーが出来るのである。
ベアッグから飴を分けて貰って作った、力作である。
「ギル、いつもベアッグさんの美味しいクッキーを食べてるから、飽きちゃってると思って……ちょっと変わった奴も作ってみたの」
「…………俺にだけ、か?」
「うん、ギルだけに……だよ」
アルバートの為に包んだ箱には、このクッキーは入っていなかった。
正真正銘、ギルベルトの為のクッキーだ。
「…………、キーコぉぉぉぉぉ!」
「うわっ」
ギルベルトは君子を抱きしめると、嬉しそうに頬ずりして来た。
喜んでいても、怒っていても、結局抱きしめるのである。
(……本当はルールアさん達が来た時、まだ焼いてなかっただけなんだけど……、まぁギルの機嫌が直ったからいっか)
オーブンに入らなかったので別で焼いた為、アルバートには渡せなかっただけなのだが――、機嫌が直ったので、何も言わない。
「……けけっ、うめぇなコレ!」
クッキーはサクサク、飴はぱりぱりとした食感で、見た目も綺麗で食べるのも楽しく、味も美味しい。
「……美味しい、ギル?」
「ああ、うんめぇぞ! あんがとなキーコ!」
「うっうん……」
ギルベルトがこんなに喜んで食べてくれると、何だか逆に恥ずかしくなって来た。
ちょっとだけ、胸がドキドキするのは――なぜだろう。
(……いっいや、コレは日頃の感謝の為に渡したクッキーで、本命じゃないんだから……そっ、本命じゃないの)
あくまでも恋愛感情のない義理。
本命じゃないのに――なぜかちょっとだけ、ドキドキした。
(……いつか、本命のチョコを誰かに渡せたらいいなぁ~)
今日は年に一度の甘い日。
お菓子に気持ちを込めて、『あの人』に渡す日。
どんな気持ちを込めるかは貴方次第――。
そんなわけで、バレンタインデーでした。
コーヒーがマグニでは手に入らないという設定にしていたので、チョコを作るのは不自然かと思い、クッキーにしました。
皆さんは、どんなお菓子を食べましたか? 作者は今年も煮干しを食べます。




