第三二話 全然、嬉しくない!
新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い申し上げます。
年明け早々、ズキュウウウンです。
アルバートは、完璧な王子だ。
名門貴族の母は、ベルカリュースでも希少で最上位の存在である吸血鬼。
生まれながらに、最高の魔人と最上の吸血鬼の血を継ぐエリート。
いずれ魔王、いや魔王将として、上の地位に君臨する為幼い頃から教育を受けて来た。
剣術、魔法、軍略、政治、将の座に付く事に必要そうなものは、ありとあらゆる事を教えられ、それを身に着けて来た。
完璧な王子として、誰しもが彼を褒め称える。
ある者は褒め、ある者は金を積み、ある者は体で、皆自分の得の為に少しでもアルバートと関わりを持とうと必死だった。
別にそれをどうとも思った事は無い、こちらもそれを利用してやるだけの事。
全ては魔王の座に付く為、へつらう貴族も、関係を求めて来る女共もどうでもいい。
皆アルバートの外見、美麗な容姿と完璧な能力にだけ惹かれていて、誰も中身、彼の気持ちを見ようとはしなかった、いや、誰一人見抜けなかったのだ。
だがアルバートはそれでも良かった、誰も解らなくとも、誰も知らなくとも、魔王の座にさえ座れれば、それで良かったはずなのに――。
――ちゃんと見てれば解りますよ。
ほんの気まぐれのつもりだった。
自分より劣る弟が、軍を率いた事に対する嫌がらせが出来れば良い。
だから地位もなければ可愛くもない異邦人の小娘を、自分の所有物にしたのだ。
それなのに彼女は、初めてアルバートをちゃんと見てくれた。
今まで誰も気が付かなかったのに、彼女は理解してくれた。
その時初めて興味を持った、他のどんな女でも抱かなかった感情が芽生えたのだ。
だから自分の女にしたくて、初めてプロポーズをした。
自信はあった、今まで彼が甘い言葉を囁いて喜ばなかった女はいない。
ギルベルトと自分を比べれば、どちらが得か解らない者などいる訳が無い、自分には富も、王子としての確かな地位も、そして力もある。
人は損得で動く、それを一番よく知っているのはアルバートだ。
今までそうやって、人の欲を利用して生きて来たのだから。
しかし――彼女は違っていた。
「ギルっ、ギルっ、ギルぅ!」
プロポーズの言葉に即答しない所か、ギルベルトに見せ付ける為に連れて来たら彼の名を何度も呼ぶ。
(……なぜ、お前はそいつをそんな声で呼ぶ)
まるで待ちに待っていたかの様ではないか、まるでずっと恋しかった様ではないか。
「離して、ギルが、ギルがぁ!」
フェルクスの技を受けた、ギルベルトの元へ行こうと必死に暴れる。
(……なぜ、そいつの所へ行きたがる)
まるで身を案じている様ではないか。
「……うん、うんっ!」
ギルベルトがフェルクスに勝ち、言葉をかけると、力強く頷く。
(……なぜ、そんなに嬉しそうにしている)
まるで心から信頼している様ではないか。
(なぜ、あんな弱くて地位のない男を見る)
アルバートの方が、ギルベルトよりもずっと優れている。
それなのに君子はギルベルトの名を呼び、彼だけを見ている。
そんな事、許せない――。
(私を見ろ、キーコ!)
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「勝負だ、アルバート!」
ギルベルトはグラムを構えながら、アルバートへと叫ぶ。
君子はそんな彼の姿を見て、歓喜していた。
(……ギルやっぱり強いんだぁ、フェルクスさんは可哀そうだったけど、なんだか物語の主人公みたいだよぉ~)
やっぱりギルベルトは主人公キャラなのだ、と実感する君子。
このまま少年漫画の様な熱い展開を期待して、妄想モードへと移行を開始する。
凄い必殺技とかを出してしまうのかも知れない、いや、きっと出すに違いない、どんな技かを妄想していると――、アルバートが君子の頬に触れた。
「あっ……」
ギルベルトが呼んでいると言うのに、彼はまるで聞こえていない様に無視している。
こんな事している場合ではないのだが、アルバートは君子の顔を自分へと向けて、真っ直ぐ見詰めていた。
「あっ……アルバートさん?」
一体どうしたのだろうか、なぜこっちを見ているのか、君子には何一つ解らない。
アルバートの顔を見ても、何を考えているのか全く分からない。
だから、何も出来ずただ首を傾げる事しか出来なかった。
ただただ戸惑っているとアルバートは、君子の腰に回していた腕を引き、彼女を引き寄せる。
「ふぇっ――?」
アルバートの顔が物凄く近い、今までも近かった事があるが、それよりもずっと距離が近くぶつかってしまいそう。
ただそれは唐突で、全てを理解する前に行われる――。
アルバートは、君子の唇に唇を重ねた。
それはほんの一瞬、瞬きをすれば終わってしまうかも知れない、それくらい短い事だったのに、あまりにも予想しなかった事。
(――へぇ?)
君子は自分の唇に残った、この真新しい柔らかな感触に戸惑っている。
こんな事は初めてで、脳が、意識が、理解する事を拒み完全にフリーズした。
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「こっこのぉ……このクソヤロオオオオオオ! てめぇぇぇぇぇ俺のぉぉぉぉぉっ、俺の所有物にぃぃぃなっなにしやがンだアアアアアアアアアア!」
そしてこの場に音がようやく戻って来たのは、ギルベルトが口を開いてからだった。
フェルクスと闘っていた時の冷静さはどこかにぶっ飛び、今彼の中にあるのは湧き上がる怒りだけ。
それはさながら、憎悪と殺意がごちゃまぜになった溶岩を、噴火させる火山の様だ。
「今は私の所有物だ、自分の所有物に何をしようが、私の勝手だ」
フリーズして動けない君子を玉座に残して、アルバートは立ち上がる。
するとファニアが一振りの剣をアルバートへと差し出した、グラムほどではないが良い剣で、王子が持つにふさわしい。
「ぶっ殺す! 殺す、殺す殺す殺す殺す、コロスゥゥゥゥゥゥゥ!」
その顔は最早人の物ではない、化物にでも変じた様な、世にも恐ろしい相貌だ。
しかしアルバートは、そんな事どうでもいい様に、優雅にゆっくりと階段を下りてくる。
「ふっ、相変わらずうるさい男だな」
「ダマリヤガレェェェェェェェェェェェェェェェェェ――」
怒号を上げ柄を力いっぱい握ると、アルバート目掛けてグラムを振う。
怒りで我を忘れているとは言え、Aランカーであるギルベルトの斬撃は的確だ。
このままでは斬られると言うのに、アルバートは剣を抜こうとも、逃げ様ともしない。
ただ振われる凶刃を、見ているだけだった。
「ふっ――」
しかしアルバートは、小さく笑う。斬られそうだと言うのに、微笑を浮かべている。
ギルベルト渾身の一撃は炸裂する。
しかし――グラムは、アルバートをすり抜けた。
避けた訳ではない。
アルバートは一歩もそこから動いてなどいない、彼はただ、振り下ろされるグラムを見ていただけだ。
それにも関わらず、グラムは彼を傷つける事無く振われただけ。
「ルアアアアアアアっ!」
ギルベルトはもう一度、グラムを振るい度はアルバートの頭を狙う。
「ふっ」
しかしグラムの刀身は、まるで陽炎か蜃気楼の様に揺らぐアルバートを通過していく。
より正確に言うと、グラムが斬り裂く部分だけがまるで実体が無くなっている様だ。
アルバートは不敵な笑みを浮かべると、左手を向ける。
「雷霆は走り、我が敵を討ち抜く」
紫色の魔法陣が展開されると、そこから淡く光る雷が出て来て、ギルベルトへと襲いかかる。
「紫魔法『雷霆撃破』」
「ぐあああっ!」
吹っ飛ばれたギルベルト、電流に打たれ全身に激痛が走る。
受け身を取る事もままならず、床に打ち付けられた。
「……ふっ、その剣が如何に凄かろうと関係ないな」
アルバートは髪を整えると、電流で所々火傷を負ったギルベルトを見下す。
「我が特殊技能の前では」
特殊技能『絶対回避』。
ランク4のこの特殊技能は、文字通りどんな攻撃も回避できると言う物。
それが斬撃だろうが魔法だろうが関係なく、その攻撃が見えていれば、自身の実体を無くし、回避する事が出来る。
実体を無くせる範囲に限定はあるものの、どんなに強い攻撃も見えてさえいれば避ける事が可能。
魔力を必要とせず絶対に回避できるこの特殊技能は、ベルカリュースの中でも破格の能力の一つだ。
「ギルベルト、お前程度の攻撃では私を殺す所か、一太刀も浴びせる事は出来ぬ」
アルバートにとっては、どんな攻撃も見えてさえいれば避ける事が出来る、ギルベルトの攻撃を避ける事など、彼にとっては容易い事だった。
「だまり、やがれぇ」
「ふっ、実力の差も解らぬか、なら兄として愚かな弟に手心の一つくらい加えてやる……、私に一つでも傷を負わせる事が出来れば、キーコを返してやろう」
アルバートはギルベルトを見下しながらそう言った。
彼にとってそんな事は、ハンデにさえなっていない、絶対に一太刀も浴びないと言う自信があるから――。
「うるせぇぇぇぇこのくそやろおおおおおおおおおおお!」
その余裕がムカつく、ギルベルトは痛む体をどうにか起こすとグラムを握り、アルバートへと斬りかかった。
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完全に頭に血が上ってしまったギルベルトを見て、ヴィルムは頭を抱えた。
対アルバート戦の準備として、わざわざ時間をかけていかなる事でも動じない冷静さを身に付けたはずだったのに――完全に激情している。
(アレでは、折角身に付けた物が台無しだ……、いつものギルベルト様、いやいつも以上に頭に血が上ってしまったギルベルト様だな、アレは)
キスを見てそれほど反応するとは、アンネなど顔を真っ赤にしている。
(……だが恐ろしいのはアルバート様の策略、ギルベルト様を動揺させ、アルバート様の弱点を突く為だけに特訓して来た物を何もかもひねり潰してしまった)
君子を想い、ピアスを付けさせているのだ、あんな事をされて冷静でいられる訳が無い。
(何とか、あの怒りを鎮めて下さればいいのだが……)
冷静さを取り戻すには、かなり時間がかかるだろう。
ヴィルムはアルバートへと右手を向けると、魔法を発動させ、彼のステータスを見る。
アルバート=ルシュファン・ヴェルハルガルド
特殊技能『絶対回避』 ランク4
職業 魔王子
攻撃 A- 耐久 A- 魔力 A 耐魔 A- 敏捷 A+ 幸運 A-
総合技量 A
(オールAランカー……特殊技能も特殊技能だが、ステータスもステータスだ、とりつくシマがまるでない)
オールAランカー、全てAランクの強者に対して使われる言葉。
Aランクの中でも最上の存在と言われており、ベルカリュース中にいる強者の中でもほんの一握りしかいない。
同じ総合技量Aでも、アルバートとギルベルトではステータスに差がある。
真っ向から向かい合って、勝てる相手ではない。
(それにしてもアルバート様がキーコにあんな事をするとは……、幾らギルベルト様の心を乱す為とは言え……よくまぁおやりになる物だ)
アルバートは魔王になる為なら何でもやり、有力貴族の令嬢とそう言う関係であると言うのは有名な話、おそらく君子にキスする事など、どうとも思っていないのだろう。
(まさか本当に気に入ったとかそういう事は…………無いな)
ヴィルムは馬鹿な事を考えてしまったと、後悔した。
考える事を止め、ギルベルトの勝利を祈る様な気持で見詰める。
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「どりゃああああああっ!」
ギルベルトは力いっぱいグラムを振った。
しかしアルバートの眼はその軌道をしっかりと捉えていて、グラムの刃は実体のない彼の体を通り抜けるだけ。
アルバートは微笑を浮かべると、蹴り飛ばした。
「うがっ」
吹っ飛ばされてもどうにか体勢を立て直し、再び攻撃しようとするのだが――。
「遅い」
アルバートは間合いを瞬時に詰めると、剣を引き抜きギルベルトへと突き立てる。
「ぐっ――」
なにもしなければ突き殺される、右手に力を込めるとグラムを突き立てる。
しかし、それはアルバートに見られていた、グラムは実体のない彼の頭をすり抜けた。
「無駄だ」
そして無防備になったギルベルトの左肩へと、剣を放つ。
「ぐあああっ!」
痛みが全身を走り抜ける、悲鳴を上げる彼をアルバートは微笑を浮かべながら見下ろす。
傷を負ったギルベルトとは違い、アルバートは呼吸も乱していない。
彼にとっては、それくらい他愛ない事なのだ。
「お前の特殊技能『覇者気質』は、相手が『畏れ』を抱かなければ威圧する事は出来ない、だが、私がお前に恐怖を感じる事など、この先一瞬たりとも有り得ぬ事だ」
ギルベルトの特殊技能は、相手が同等の場合『畏れ』を抱く事が発動条件である。
しかし彼はフェルクスほど単純ではない、『覇者気質』は使い物にならない。
「……ふっ、この程度の実力で軍を率いるなど、呆れて物が言えぬな」
「うっせぇっ……」
「こんな雑魚に軍を与えるなど……父上の遊びには困った物だ」
魔王ではないにしても、一軍を率いる者として力量不足。
弱いギルベルトが、軍を率いるなど本来なら有り得てはいけない事、もっと優れているアルバートこそ、将として相応しい。
「降参するなら、命だけは助けてやるぞ」
「うるせぇ……この、ク、ソ野郎」
「…………」
アルバートは眉をひそめると、剣を捻った。
抉られ肩の傷口が広がる、先ほど以上の激痛が襲う。
「がああああああっ――ぐっ!」
反撃するが、彼の攻撃は全てアルバートに見られている。
グラムは実体のない彼をすり抜けるだけで、傷一つ負わせる事が出来ない。
アルバートは剣を更に捻り、傷口を広げ、ギルベルトを痛めつけた。
肩とは言え、少しずれれば太い血管を切る可能性がある。
このままやられ続ける訳にはいかない、ギルベルトはアルバートの剣を掴んだ。
「――っ!」
特殊技能『絶対回避』は、剣には適応されていない。
手から血が出ようが関係無い、剣を掴み取ると後方へ飛んで距離を取った。
アルバートはそれを追わず、切っ先についた血を払いながら、言葉を続ける。
「お前は財も権力も、そして力も私の足元にも及ばぬ出来そこない」
「だまれ」
「マグニという辺境で、食い潰されるだけのお前が思い上がるな、お前は父上の遊びで一軍を率いているに過ぎぬ」
「だまれぇ」
ギルベルトが睨んでも、アルバートは言葉を止めたりなどしない。
彼は解っているのだ、ギルベルトが何と言われたくないかを――――。
「捨て子のお前に、将になる資格がある訳がない」
「だまりやがれぇぇぇ!」
ギルベルトは肩や手から血が出ていようが関係無い、グラムを振う。
しかしその太刀筋は全て見切られていて、アルバートをすり抜けるだけで一切ダメージになっていない。
「ふっ、馬鹿の一つ覚えだ」
ギルベルトはアルバートを傷つける事が出来ない。
現に今だって、怒りにまかせて剣を振うだけで、全て回避されている。
彼は見えさえすればどんな攻撃でも回避できるのだ、彼に傷を負わせるには、死角から攻撃しなければ 意味が無い、その死角を突く為に冷静さを身に付けたと言うのに、冷静さを失ったギルベルトはそれが解っていない。
「お前程度の男が、ヴェルハルガルドの王子である事の恥を知れ」
アルバートはギルベルトの攻撃を完全に見切り、グラムをすり抜ける。
「私の身に傷一つ付けられぬほど、お前は弱い」
「うるぅせぇ!」
斬りかかって来たギルベルトへとアルバートは微笑浮かべると、詠唱する。
「雷霆は走り、我が敵を討ち抜く」
左手を向けると紫色の魔法陣が展開されて、淡く輝く。
「紫魔法『雷霆撃破』」
雷がギルベルトを討ち貫く。
電流が体を焼きながら駆け廻り、内臓を引き千切る様な痛みを生む。
「がああああああああああっ!」
悲鳴を上げながら吹き飛ばされる。
斬撃に加え雷魔法、これ以上やれば、ギルベルトが死んでしまう。
傍観に徹していたヴィルムが、流石に止めに入った。
「アルバート様それ以上はおやめ下さい! ギルベルト様が死んでしまいます!」
「…………」
「これ以上ギルベルト様は戦えない……」
頭に血が上った状態で勝てるほど、アルバートは弱くはない。
傷を癒やし、また作戦を練り直してから再戦を申し込む他方法は残されてはいなかった。
「勝負はアルバート様のか――」
「まだ、終わってねぇ!」
ヴィルムの言葉を遮ったのは、ボロボロのギルベルトだった。
ふらふらの状態で立ち上がると、アルバートを睨みつける。
「キーコは、俺の所有物だ……てめぇ、なんかに、くれてやらねぇ……」
「……呆れた威勢だな、折角のヴィルムの助け船に乗らぬとは、愚かな」
「てめぇ、なんかに……まけねぇ」
「……お前が私に勝てる訳が無い、お前は私よりずっと弱い」
アルバートはボロボロになったギルベルトを見下し、微笑を浮かべる。
「弱いお前にキーコは相応しくない、キーコは私にこそ相応しい」
「だまれえええええええっ!」
ギルベルトはふらふらの体に力を込めると、アルバートに向かって走る。
馬鹿の一つ覚え、しかも体は限界の様で全くスピードが出ていない。
特殊技能を使って避ける必要もない、剣で防いで斬って終わり、アルバートはそう思い柄を持つ手に力を込めた。
「ふっ」
振り下ろされるであろうグラムを防ごうと、剣を振う――のだが。
「――――だぁっ!」
ギルベルトは止まった。
正確には右足で踏み込んで、アルバートへと突っ込むのではなく彼の横へと走り抜ける。
その方向転換の一瞬の間に、グラムを防ごうとして振った剣が、なにもない空を斬った。
この一瞬の間が、決定的な隙――――。
「――――っ!」
ギルベルトがアルバートの背後を取った。
後ろに眼は無い、眼が無ければ見えず、特殊技能『絶対回避』は使えない。
「やったっ!」
「ギルベルト様!」
頭に血が上って冷静さを失ったかと思ったが、まだ奇襲をかけると言う考えは残っていた様だ。
完全に後ろを取った、ギルベルトは全力でグラムを振り下ろす。
「だあああああああっ!」
黒い刃は、アルバートへと一撃を与える。
「――ふっ、無駄だ」
しかし、アルバートは刃が斬り裂く前に振り返り、その攻撃を見た。
グラムは実体のない彼の体をすり抜ける――。
「なっ――」
「肩と手、五体不満足でこの私のスピードを上回れると思ったのか?」
抉られた肩と剣を掴んだ手、そんな傷ついて放った一撃は、いつもほど速くなかった。
ましてやアルバートの敏捷はA+、ギルベルトよりも速い。
幾ら奇襲をかけようと、始めからスピードでは勝てなかったのだ。
アルバートは口元に笑みを浮かべると――、剣を突き立てる。
剣はギルベルトの腹部を貫いた。
一切の迷いなく振われた剣は、腹を貫通する。
肉を突き、内臓を裂くその一撃は、止めとして十分だった。
「がはっ――――」
血を吐き、立っている事さえままならないギルベルト、剣を抜かれると、力なく崩れ落ちる。
アルバートは足元で倒れているギルベルトと、彼の血だまりを黙って見下ろす。
そして、もう動かない彼に向かって言い放つ。
「キーコは、私の所有物だ」
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君子は、固まっていた。
眼の前の戦いも認知出来ないほど、彼女の意識は停止しているのだ。
少しずつ、意識は現実へと戻って来ようとしていて、同時に何が起こったのかを、少ない脳で分析する。
(えっ……ギルがフェルクスさんに勝って……それで?)
確かアルバートが頬に触れて、その後どうしたのだろう。
思い切り引っ張られて、アルバートの顔が近くなった所で、記憶がブラックアウトする。
(あっあの後、あっアレ、なっ何があったの?)
この唇に残る、この感覚は何なんだろう。
柔らかくて、感じた事のない、この感覚は一体――。
(いっいや違うよぉ、そんな訳ないよぉ……、わっ私はモブで脇役の君子さんなんだよ、そばかすで貧乳の、地味で不細工な君子さんなんですよぉ……)
ずっとモブとして、慎ましく地味に生きて来たのだ。
『そんな事』絶対に有り得ない。
(そっそれが……あっあっアルバートさんという、半分吸血鬼で、銀髪で、イケメンで、王子様と……はっはい? あっ有り得る訳ないじゃん)
そうだコレは何かの間違い、きっと夢を見たんだそれも悪夢の類。
しかしそうは思わせないほど、唇の感覚は生々しくて、その感覚がブラックアウトしていたはずの君子の記憶を徐々に呼び起こす。
あってはならない『あんな事』を――。
(私、アルバートさんと、きっ、キスしちゃったの?)
モブで脇役の、そばかすで貧乳の君子さんには、絶対にあってはならない事。
イケメン様とキスをするなど――絶対にあってはいけないのだ。
(あっアルバートさんが、なっなんで、どうして、なんで――)
そう言えばギルベルトが滅茶苦茶怒っていた気がする。
今まで見た事無いくらい、怖い顔をしていた。
(はっ、めっ眼の前でキスされたら、誰だって不快だよね! しかもギルだったら怒りっぽいから、見せつけられたらすっごい嫌なはず!)
つまりアルバートは、ギルベルトを怒らせる為に君子にキスをしたのだ。
コレは全て、彼の作戦の内。
(じゃあ……、じゃあ私は、ギルに勝つ為の踏み台に使われたって事?)
ギルベルトに勝つ、その為だけに――自分にキスした。
その為だけに――――自分のファーストキスを奪ったと言うのか。
(はっはじめては……結婚式の誓いのキスって、きっ決めてたのに……、旦那様になる人にって、決めてたのにぃ!)
少女漫画を読んで、変な所で恋愛ピュアな君子は、純真乙女の様な事を夢見ていた。
(おっおねぇちゃん……私キスされちゃったよ、もっもう誰もお嫁に貰ってくれよ……)
自分の様な不細工は、操を立てなければ絶対にお嫁には貰って貰えないだろうと思い、相手がいる訳でもないのに、謎の誓いを立てていた。
アルバートにとってはただのキスだろうが、彼女にとっては初めてのキス。
かけがえなのない、一回しかないファーストキス。
(むっ無理矢理キス……漫画とかアニメでよくある……けど)
二次元の中の萌え展開の一つ、君子だってそれを見て、ずっと憧れ、萌えていた。
でも――コレは違う。
(全然、嬉しくない!)
優しさも、思いやりも何もない、ただ道具の様に使われたキス。
大切だったファーストキス、夢見ていた誓いのキス。
それを、あんな一瞬で奪われてしまった。
あんなの絶対に嫌だ、全部無かった事にしたい。
あんなファーストキス、全部無くなってしまえ。
君子は強く思い、そして懇願する。
そしてその思いは、天理を凌駕した――。
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「ギルベルト様!」
「王子様ぁ!」
アルバートの前に完全に敗北したギルベルトを見て、ヴィルムとアンネは悲鳴に近い声で呼んだ。
急いで手当てしなければ命にも関わる怪我である。
「くっ、アンネ急いでワイバーンを!」
角のある魔人は頑丈だ、ましてやギルベルトは魔王帝の子供、その辺の魔人よりもずっとタフで、直ぐに治療すれば絶対に助かるはずだ。
ヴィルムは倒れたギルベルトを運ぼうと、駆け出す。
「……だぁ」
しかし声がして振り返ると、アルバートにキスされ放心状態だった君子が、初めて口を開いた。
一体、どうしたと言うのだ――。
「いっ、嫌だああああああああああああああああ!」
いつになく大声を出した君子は眼から涙を零し、大声を上げながら泣き始めた。
「嫌ぁ! 嫌ぁ! ヤダヤダヤダヤダヤダヤダ、ヤダぁぁぁぁぁぁぁぁ」
それは強い拒絶、足をばたつかせて、まるで癇癪を起した子供の様に叫んでいる。
これくらいだったらヴィルムは冷静に、ギルベルトの元へと向かったのだが、問題は彼女の体が、発光していると言う事だ。
「きっキーコ!」
初めて見る現象に戸惑うアンネ、一体何が起こっていると言うのだろうか。
しかしヴィルムは、その光景を冷静に分析した。
「あの光は……」
右手を君子へと向けると、藍色の魔法陣を展開させる。
「索敵魔法『調査』」
「えっ……なんでキーコのステータスを……」
今さら彼女の事を見る必要など無いはずなのに――、ヴィルムは少し戸惑った口調で話し始める。
「特殊技能には、1から6までのランクがあると言う事は知っていますよね」
「えっはっはい」
「ベルカリュースの全ての生き物が持つこの能力は、所有者と共に進化するです」
この世界に生きる生物全てが持っている、特殊技能。
ある時に変化したり、進化したりする事がある。
「強い思い、強い願い、それが万物の創造神に聞き届けられた時、特殊技能は進化する」
君子の思いは天理を超え、神へと聞き届けられたのだ。
特殊技能『複製』 ランク1。
一段と輝いたその瞬間、索敵魔法で見ていた君子のステータスが変わっていく。
文字がねじ曲がり、新たな物へと書きかえられて行く。
これこそ神からの祝福――特殊技能の進化、新たな力は産声を上げて誕生する。
特殊技能『設計者』 ランク2。
「なっ――んだ、コレは」
ヴィルムは思わず声を上げて驚いた。
「どっどうしたんですか、キーコに一体何があったんですか!」
「どうしたもこうしたも……、こんな事、有り得る訳が無い!」
『複製』は、造形の特殊技能。
造形の特殊技能の中でも想像した物を、魔力で複製するこの特殊技能は、保有したとしても扱いが難しく、使い勝手が悪い。
保有している者も少なく、『複製』の特殊技能の進化系の存在を誰も知らなかったのだ。
だから君子の新たな特殊技能『設計者』は、博識のヴィルムも見た事が無い、前例のない、全く新しい特殊技能だった――。
「キーコの『固有』、前例のない『複製』の上位特殊技能です!」
光は、特殊技能が進化したと同時に小さくなり止んだ、
君子は自分に起こった変化を何一つ理解していないのか、まだ泣いている。
「やぁだっやっやぁ……、ぜんぶ、なしぃ」
大粒の涙は幾ら拭っても枯れない、それどころかどんどん溢れ出てくる。
悲しそうな声を放ってはおけず、ルールアとスラりんを持ったメイドが近づく。
「ちょっと……アンタ、大丈夫……」
なぜ泣くのか全く意味は解らないが、ルールアは足で君子の肩を掴んだ――。
しかしその時、黒い靄が出て来た。
黒魔法ではない、闇よりももっと深い色で、もっと得体のしれない物。
「おっ、ねぇちゃん……」
黒い靄は更に量を増して、君子の全身を覆い始める。
「んなっ」
「ひっ――」
得体のしれないその存在に、ルールアもメイドも恐怖を感じた。
怖さから後ずさりして、メイドはスラりんをバックごと落としてしまう。
だが君子はそんな事をまるで眼に入らない、悲しみを爆発させ、それと同じだけの黒い靄を排出する。
やがて大量に出て来た靄は、形状を変えていく。
手が生え、足が生え、そして頭が生えて、まるで小柄な人間の様な形になった。
それは――黒い靄の人形。
「アレは……」
死にかけの君子がケルベロスに襲われた時に出て来たあの人形が、再び目の前に現れた。
しかし、あの時よりもずっとはっきりと人の形をしていると言う事が解り、何よりも揺らぐ黒い靄の中に真っ赤に光る、二つの眼の様な物がある。
黒い靄の人形は、紅い眼で周囲を見下ろすと、周囲に響く様に叫ぶ。
『あああああああああああああああああああああああああああああああああ――――っ』
それは音などではない、しっかりと声として認識出来る。
それはまるで、今生まれたと世界に主張する様な、赤子の産声。
たった今、人形はこの世界に誕生したのだ。




