第三〇話 妻になれ
最近アルバートの様子が変わった気がする。
どう変わったと聞かれると困ってしまうのだが、雰囲気が柔らかくなった。
特に顕著なのが食事の位置――。
「……あれ、私の席は」
メイドに連れられて食堂に来ると、自分の席に食器が置かれていなかった。
代わりに上座のお誕生日席の隣、つまりアルバートの右隣の席に一人前の食器が用意されている。
「……どうした、早く席につけキーコ」
アルバートにうながされるまま、その席に座る。
先日まではアルバートと向かい合う様に、つまり下座のお誕生日席だったのに、なぜこんないい席に座らされたのだろう。
(遠すぎて、喋り難かったのかなぁ?)
君子がそんな事を考えていると、食事が運ばれて来た。
豪華さに驚きながらも口へと運ぶ、やっぱりどれもこれも美味しくてほっぺたがとろけそうだ、特にガーリックを使った肉料理、焼き加減が絶妙だ。
(あっ……そう言えば)
君子は隣で肉料理を食べるアルバートを見る、平然と食べていて変わった様子はない。
すると視線に気が付いた彼が、口を開く。
「……どうした、キーコ」
「へっあっ……いやそのぉ、アルバートさんニンニク食べられるんだなぁって思って」
「どういう意味だ?」
「あっ……私の世界だと、吸血鬼はニンニクが弱点で……アルバートさんはどうなんだろうって思って……」
ニンニクは吸血鬼の弱点と言われているが、ベルカリュースの吸血鬼はどうなのだろうそう思って尋ねたのだ。
「ふっ、こんな物で死ぬのか……お前の国の吸血鬼は随分と弱小だな」
そう言ってアルバートは丸焼きのニンニクを食べる。
「ニンニクじゃ死なないです、たっ多分弱るくらいで……あっ日光に当たったら死んじゃうのかな?」
「日に当たったくらいで、生き物が死ぬわけないだろう」
「まぁ、そうなんですけど……銀のナイフとか白木の杭で心臓を刺されたら死にます!」
「生き物が心臓を刺されたら死ぬに決まってるだろう……」
それはそうなのだが、あくまでも不老不死的な吸血鬼を倒す方法であって、こうやって生き物の標準にあてはめられると、何も言えなくなる。
「まぁ、私は死なないがな……」
「へっ?」
良く聞こえなかったが、今恐ろしい事を言わなかっただろうか――、何だか怖くて深く詮索するのをやめた。
************************************************************
スラりんの一件から、毎日アルバートは食事を一緒取ってくれる様になった。
彼にどんな心変りがあったのか分からないが、君子としては、食事は皆で食べた方が美味しいからいい。
しかしシューデンベル城に連れて来られて二週間、一四日も経ったのだ、経ってしまったのだ。
そろそろいい加減――。
「…………ギルが迎えに来てくれない」
そうギルベルトがいつまで経っても来ない。
マグニからこの城までワイバーンで数時間、来れない距離ではないし、そろそろ怪我も治ったのではないだろうか。
(……なっなんで迎えに来てくれないんだろう、もう二週間だよ、そろそろ迎えに来てくれてもいいんじゃないかなぁ……)
そろそろ本当不安になって来た、一体何をしているのだろう――。
(はっ! まさかギル私の事どうでもよくなっちゃったんじゃぁ!)
こんなに迎えが来ないなんて変だ、もしかしたら自分に飽きてしまったのかもしれない。
(『アルバートの物になったからいらねぇ』ってギルが言って、『かしこまりました、もっと巨乳の美人をご用意いたします』ってヴィルムさんが言うんだぁぁぁぁ!)
脳内再生余裕である。
このまま一生シューデンベル城で、メイドに服を脱がされ体を洗われ甘ロリの服を着せられる毎日を送らなければならないと思うと、絶望でしかない。
「そんなぁ~、見捨てないでよぉギルぅ」
暇つぶしにお絵かきをしていたのだが、マグニの事を考えていたせいか手が進まない。
皆一体どうしているのだろう、不安になる。
「何してるのアンタ」
「ひゃわああああああっ!」
考え込んでいたせいで、ルールアがやって来た事に気が付かなかった。
驚きのあまりスケッチブックを落としてしまう。
呆れた様子で見ていたルールアだが、スケッチブックの絵を見て表情が変わる。
「なっななっ! ヴィっヴィルムさん」
屈んで食い入るように絵を見るルールア、一体何をそんなに見ているのだろうかと思っていると、息を荒げた様子で言う。
「こっこれ、これっ! えっあっアンタが描いたのぉ!」
それは暇つぶしに描いたマグニの皆の絵、その中にヴィルムの絵もあった。
うろ覚えながらもなかなかの出来だと思っていた、とは言え自分の絵など見られて良い事など無い、直ぐにスケッチブックを拾い上げる。
「あっちょっと、いっ今の絵あんたが描いたの、描いたのね!」
「ひっ……そっそうですけど……ほっホント遊びのつもりで描いただけで……」
絵心の欠片もない、そう言おうとしたのだが、ルールアはスケッチブックのヴィルムを見て眼をキラキラとさせる。
「売って、このヴィルムさん売って頂戴!」
「えっえええっ、そっそんなうっ売れないですよぉ!」
「くっ……なっなら、金貨一枚……いっいいえ二枚出すわ!」
「えっええええっ、だっ駄目ですよ金貨なんて! 絶対売れません!」
こんな絵でお金を貰う訳にはいかない、全力で拒む。
だがルールアには、それがそんな値段では売れないという様に映ってしまう。
「ぐっなっなら金貨五枚……いっいや、言い値、言い値で買うわ!」
「ふぇっふえええっ、いっ言い値ってそんな!」
「お願いだから売って、売って頂戴いいいっ!」
ルールアは興奮のあまり足で君子の腕を握る、鋭い爪の圧力がとても強い。
痛がる君子の顔を見て、ルールアは慌てて離れた。
「あっごめんなさい、つい……」
「いっ……いや、だっ大丈夫です」
「うっごめんなさい……私手がないから……」
彼女の腕の代わりにあるのは翼だけで、これでは物を掴む事は出来ない。
しかし鋭い爪があっては、掴んだ物を傷つけてしまう事もある、特に人に接する時は気を付けていたのに、興奮して忘れていた。
「……ルっルールアさんは、なんて言う種族なんですか」
「えっ、わっ私はハーピーよ」
二次元の世界では腕のあるハーピーなども描かれているが、ベルカリュースのハーピーは腕は無く、翼である。
だから物を取ったり掴んだりする時は、鋭い爪のあるこの脚を使うのだが、繊細な物は持てず時には人を傷つけてしまう事があり、ハーピー族はそれが原因で社会から孤立しているのだった。
「ハーピーの手が足なら仕方ないですよ……別に怪我もしてないですから、本当に気にしないで下さい」
「…………アンタ、変わってるのね……でも本当にごめんなさいね、私不器用だから絵とか描けないから……ちょっと興奮しちゃって」
この脚では鉛筆を持つ事も難しい、それでは絵を描くなど難しいだろう。
君子は絵とルールアを交互に見つめると、スケッチブックからその絵を破り取る。
「こんな下手な絵で良ければ……」
「いっいいの! 本当にほんっとうにいいのぉ!」
破かない様に慎重に絵を受け取ると、まじまじと見つめて、ため息を付く。
そんな姿を見て、君子はある疑問をぶつける。
「…………ヴィルムさんの事、好きなんですか?」
「うっ……、なっなんで、わっ分かるのよぉ!」
むしろこれでばれていないと思っている方が不思議でならない。
ルールアは頬を染めながら恥ずかしそうに言う。
「……だっだってかっこいいじゃない……ちょっとミステリアスだし……」
確かにヴィルムはルックスも良いし、いつでも冷静で頼りになる、憧れるのも無理はない。
人の恋バナを聞くのは、なんだか楽しい。
「あっお金……いくら払えばいいの、一応軍人だからそこそこ給金良いわよ」
「いっいいですよ、そんな下手な絵でよろしければ……あっ、でもぉ」
首を傾げるルールアに、君子は少し言い辛そうに口を開く。
「はっ羽に触ってもいいですか?」
「私の羽? あんまり強く触らなければいいわよ、あと風切り羽根だけはやめて」
「もっもちろんです!」
恐る恐る翼に触れる、ふわふわの羽の触り心地は抜群で、堪らなく気持ちいい。
生き物係の時に鶏小屋の掃除の時に触った、鶏の羽根とは比べ物にならないくらい大きく、毛の一本一本がしっかりしている。
「……ふぁあ、あっありがとうございます」
「ハーピーの羽に触って、そんなに喜ぶのアンタだけよ……ほんっとうに変わってるわね」
ファンタジー大好きオタク女子としては、ハーピーの羽根に触れられるなんて嬉し過ぎる、そうそう体験できる事では無い。
ルールアはこんな事で喜ぶ君子を不思議そうに見ながら、ふと口を開く。
「でも、アンタも運が良いわよね、あんな馬鹿王子じゃなくてアルバート様の物になれたんだから」
「えっ……運が良いんですか?」
「あったり前でしょう、アルバート様は魔王確実! 魔王将だって夢じゃないって言われてる王族の超エリートなんだから、正直あの馬鹿王子と血が繋がってるとは思えないわ」
確かにアルバートとギルベルトは、血が繋がっているとは思えないほど似ていない。
片や将来を約束された超エリート王子、片や誰からも期待されていない暴力王子。
どちら側に付いた方が得かなど、考えるまでもない。
「あたしはアルバート様の補佐官になる為に頑張ったの……ヴィルムさんも絶対アルバート様の補佐官になると思ったのに……今からでも変わらないかなぁ」
「そう、なんですね……」
王族の事情と言うのは複雑の様だ。
しかし君子からすればどちらも王子、遠い存在であるから、どちらが得と言われてもいまいちぴんと来なかった。
そんな時――。
「ぎゃああああああぁぁぁっ」
男の悲鳴が聞こえた、声はどんどん大きくなって、どうやら近くになっている様だ。
二人は、一体どこから声がしているのかと、辺りを見渡す。
「うぎょぶっ!」
暖炉にフェルクスが落っこちて来て、灰をまき散らした。
あまりに予想しなかった登場だ。
「えっえっえええっ、だっ大丈夫ですかぁ!」
「何やってんのよフェルクス、もうっこれだから馬鹿は!」
「ぶへっぶへぇ~、るーるあぁごほっごほっ」
全身煤だらけのフェルクスが助けを求めて来るが、汚い事この上ない。
ルールアは触る事を躊躇する。
「もう、今度はどうしたのよアンタ」
「天気良かったら屋根に上がったんだぁ……そしたら鳥がフン落としてきやがって、ぶん殴ってやろうと思ったら、足の小指をつってスッ転んで、煙突に落ちたんだぁ……うう」
「なんで屋根に上るのよぉ、てっ鼻血出てる!」
「うえ~~、今のオレ様サイッテー……」
よくそんな不運が重なる物だと、逆に感心してしまう。
とは言え怪我人治療をしなければならないので、立ち上がらせる。
「いてぇ~~回復薬くれ~」
「鼻血くらいで回復薬なんて使える訳ないでしょう! ほら行くわよ」
歩き出した瞬間、フェルクスはスラりんに躓いて、盛大にスッ転び、椅子を倒して机の角に顎を打ち付けた。
「ぎゃぶっ!」
「ぎゃああああっすっスラりん!」
君子はフェルクスよりもスラりんの心配をした、駆け寄って怪我がないか確認する。
ぷにぷにボディは、どうやら衝撃を吸収したらしく怪我はない、本当に良かった。
「あ~あ~、アンタ今日は本当に駄目ね」
「ふぉれはま、しゃいっへぇ~」
もはや自力で歩く事もままならない、普通の人間だったら死んでも可笑しくないのだが、眼を回すだけで済んでいるのを見ると、よほど頑丈なのだろう。
(フェルクスさんって、ずいぶん頑丈だけどなんの種族なんだろう?)
君子がそんな事を考えていると――。
「何の騒ぎだ」
かなり騒がしくしたせいか、アルバートがやって来た。
煤だらけのフェルグスを、表情の読めない顔で見つめる。
「あるばぁとさまぁ~」
「やめなさい、アルバート様が汚れるでしょう!」
煤汚れているというのにアルバートに近づこうとするフェルグスを、ルールアが抑える。
アルバートは、そんな彼から視線を背けるとある物に眼を止める。
「…………コレは」
それは君子のスケッチブック、しかもヴィルムのページを破ったのでギルベルトの絵のページが露わになっていた。
世間様にこんな絵を晒していい訳がない、急いで回収しようとするのだが、アルバートがスケッチブックを手に取る。
「……キーコが描いたのか」
「ひっ……そっそうですけど、ほっほんと遊びで描いた様なもので、絵心も何もなくて、アルバート様の眼を汚しちゃうのでそれ以上見ないでくださああああいっ!」
スケッチブックを取ろうとするのだが、アルバートは高く上げて返そうとしない。
それどころか穴が開くぐらい絵を見つめる、公開処刑並みの恥ずかしさだ。
「……絵は良いが、モデルが悪いな」
「ふぇっ?」
スケッチブックを返すと、アルバートはソファに座ると、呆然としている君子へ不敵な笑みと共に言い放つ。
「私を描け」
「いっいやっ、むっ無理です無理無理、わっ私なんかがアルバートさんを描くなんて!」
イケメンを汚してしまう、断固拒否するがアルバートは譲らない。
足を組み、ソファにどっしりと座って一ミリも動かず、小さく笑みを浮かべるだけ。
「えっ……ふえっ……」
君子は鉛筆を走らせる。
絵は暇つぶしで何度も描いた事があるが、こんなに緊張した事は無い。
(うっうう……、どっどうして私はイケメンを描いているのだろう……)
なぜ中二設定満載のオリキャラを描いて満足していた自分が、王子でエリートで、吸血鬼でイケメンのアルバートを描いているのだろう。
指に力が入らない、緊張で胃液が逆流しそうだ。
(…………うっうう、下手だったら怒られるよねぇ、助けてスラりん)
ここにいるのはモデルのアルバートと絵描きの君子、そしておやつのクッキーを食べているスラりんしかいない。
誰に助けを求めても、この状況から救ってくれる者などいない。
「…………」
(うっ……かっこいい)
足を組み、優雅にソファに座るアルバートは、もうそれだけで絵画の様で、わざわざ絵に描き止める必要がない。
「うっ……」
アルバートは君子を真っ直ぐ見つめる、灰色の眼は宝石の様に美しく吸い込まれてしまいそうだ。
そのあまりのカッコ良さに眼を背けてしまう。
「余所見をするな、私を見ろ」
「ひっ……そん、な事、いっ言われても……」
イケメンにじっと見つめられるなんて、心臓を握り潰されている様だ。
少しでも緊張をほぐそうと意味もなく髪を耳にかけると、右耳のピアスが揺れて光った。
アルバートはそれを見て眉を顰める。
「……キーコ、そのピアス気に入っているのか?」
「へっ……こっコレはギルにつけろって言われたから……」
突然つけろと言われ、ギルベルトにピアスホールを開けて貰った。
自分には似合わない純金のピアス。
「やっ、やっぱり似合ってないですよねぇ……こんなおしゃれアイテム」
「…………? お前は王族のピアスの意味を知っているのか?」
「ピアスの……意味? へっおしゃれじゃないんですか?」
君子は首を傾げた、それもそうだろう、彼女はこのピアスの意味を何一つ聞かされていないのだから。
それを聞いてアルバートは笑った。
「ふっ……ふふ、ふふふっ」
(うえっ……なっなぜ、わっ私変な事を言ったかなぁ……)
地味で貧乳の君子にはピアスはおしゃれというイメージしかない。
だから他に意味があると言われても、全く思いつかなかった。
「キーコ……お前はどういう人生を送りたいんだ」
「へっ? じっ人生、ですか?」
ピアスからどうしてそんな話になるのかと不思議に思いながらも、君子は人生という物を改めて考えてみた。
(う~~ん、冷静に考えると私は将来どうしたいとか考えた事無かったなぁ……)
高校を卒業後の進路さえ、二年生だからいいやと思って考えていなかった。
とりあえず、これからの人生を考えてみる。
「まず、進学はお金がないから無理だし、とりあえず就職をしたいです」
「……それで」
「老後の貯金をしながらお仕事頑張って……、あっけっ結婚とかしたい……かなぁ」
「……相手の男は、どういう奴が良いんだ、役人か? 商人か? 農民か?」
「役人は、私なんかには勿体無いです! 商人は頭良くなきゃダメそうです、農民は良いですねぇ、土いじるの好きですし、お野菜いっぱい食べられそうですし」
農家に嫁いで田舎暮らしも悪くない。
きっとトマトとか作って、のんびり陽気に暮らせるのだろう。
「あとは……子供は欲しいです、授かり物だから性別は分かんないですけど、男の子と女の子二人いたら楽しそうですねぇ……子供が生まれたら専業主婦になって……あっ、生活に困るならもちろん働きますよ! パートでも内職でもなんでもします!」
炊事も掃除だってちゃんとやるし、子育てだって手を抜かない、そんな母親になれたらいいと思う。
「それで子供が独り立ちして、孫が生まれて……旦那さんも定年退職して、二人で年金と貯金で、子供に迷惑をかけずに、大きな病気にもならないでぽっくり死ねたら……最高の人生です!」
なんて完璧な人生設計なのだろう、自分の人生で妄想するのも良い。
だんだん楽しくなって来て、妄想が膨らんでくる。
「あっ、出来れば旦那様とはお見合いじゃなくて、れっ恋愛結婚がいいかなぁ……」
「…………」
「息子には野球をやらせて、娘にはピアノを習わせたいですねぇ、あっもっもちろん本人の意思は尊重しますよ!」
なんてすばらしい人生なんだろう、妄想はどんどん進んでペットを飼うならスコティッシュホールドが良いとか、キッチンはダイニングキッチンが良いとか、娘の成人式の着物は赤が良いとか、色々考えてしまう。
妄想のスイッチがオンになって、周囲がまるで見えなくなった君子を現実に引き戻したのは――アルバートの一言だった。
「それの何が良い」
「えっ?」
可笑しいモブで脇役で地味女子の君子としては、自分に不相応の人生設計をしたつもりだったのだが、何がいけなかったのだろう。
もしかして子供を二人と言うのは贅沢だったのか。
「自分で仕事をして、平民と結婚して子の成長を見届けて死ぬ? そんな人生の何が良い」
「へっ……えっ……でっでもぉ、私それぐらいの人生は送りたくてぇ……」
これ以下は寂しい、子供は好きだから、せめて結婚して一人は子供が欲しい。
悲しい事に絵は描き終わってしまった、もうこれ以上描けないので、出来の悪いテストを提出する様に、アルバートへと差し出す。
「あっあの……いっ一応描けたんですけどぉ……」
人生の事も含めて、どんな酷評をされるのか君子は、死刑宣告を受ける犯罪者の様な顔で、罵声を浴びせられるのを待った。
「…………」
アルバートはスケッチブックを受け取ると思いきや、君子の腕を掴んで引き寄せた。
理解出来ないままソファに座らせられ――そのまま押し倒された。
「へっ?」
イケメンに、押し倒される。
そんな高等なイベント、君子の一キロバイトにも満たない容量に納まる訳がない。
「ひゃ……へっへっへべっ、へべべっ」
喋る事もままならずパニックを起こしている君子へと、囁く様にアルバートは口を開く。
「私は王子で魔王将になれる男だ……商人や農民、あの馬鹿より金も権力も、そして力も圧倒的に上だ」
「ふぁっ……ふぁあ……」
ルールアがそんな事を言っていた気がする。
魔王将がどれくらいすごいのか分からないが、魔王の上のくらいの人なのだから、きっとものすごいのだろう。
でも、それが一体何だというのだろう、そんな話よりも早く離れて欲しい、君子は恥ずかしくて眼を逸らす。
「眼を逸らすな、こっちを見ろ」
アルバートは君子の頭に触れると、顔を自分へと向けて視線を逸らせない様にする。
その顔は言葉に表せないくらいカッコいい、恥ずかしくて胸がどきどきして、今にも破裂してしまいそうだ。
(なっなんでぇ、わっ私こっこここんな事にぃぃぃってアルバートさんいい匂いいいいいじゃなくて、髪の毛サラサラぁぁぁぁぁ、じゃなくてぇぇぇ)
もう何を考えればいいのか分からない、思考能力がこの状況を考える事を拒否して、違う事を考えようとしている。
脈はどんどん速くなって、胸が苦しい、顔が近すぎて息が出来ない。
アルバートは今にも、昇天してしまいそうな君子を真っ直ぐ見つめながら言った。
そう言い放った。
「私の、妻になれ」
山田君子、モブ歴一七年の地味女子。
生まれてこの方男子としゃべる事なんて、数えられる程度しかない。
そんな自分が、ラブレターをもらう事なんてないし、ましてや告白なんてされる訳ない。
異性からアプローチなんてされた事ない、そう言う事を夢見て少女漫画を読み耽る、そんな毎日だったのに――。
(えっ……今、なんと?)
妻になれ、そう言った気がする。。
だって王子でイケメンで銀髪でロン毛で吸血鬼のアルバートが、モブで脇役でそばかすで貧乳で地味女子の君子に、そんな事を言う訳がない。
でも、確かに聞こえた気がする、となると――。
(はっ、もっもしかしてこれが世に聞く結婚詐欺! 知ってるよ特番とかでよく見たから、甘い言葉で誘って、大金をせしめて行方をくらませるって奴だよね!)
テレビを見てしっかりと勉強した甲斐がある、こんな事で騙される君子ではない。
しかし――アルバートは王子、果たして詐欺をする必要なんてあるのだろうか。
自分は今一文無しだし、貯金だって無いに等しい。
(私からお金取った所で意味なんかないし…………詐欺じゃないなぁ、となると――はっまさかアルバートさん、酔っぱらっておかしな事言ってるんじゃ!)
酔った勢いで、奇行をしてしまうというのはよく聞く。
アルバートもきっとアルコールが入って、自分が絶世の美女にでも見えてしまっているんだろう。
でも――アルバートは酒臭くない、むしろいい匂いがする。
(はっ! もしかして妻は妻でも側室って奴なんじゃ、いっいや待てよアルバートさんは王子、お嫁さんが何人もいるのかもしれない!)
大河ドラマで見た事がある、お殿様がハーレムでウハウハな奴。
アルバートは王子、お嫁さんが複数いても全く可笑しくはない。
(つまり私は数人目の……いや十数人目の、いっいやいやアルバートさんだったら一〇〇人くらいお嫁さんがいても不思議じゃない! つまり私は数百人目のお嫁さん、一番位が低くて、きっと下女みたいに扱われるんだぁ!)
そんなの全然嬉しくない、数百人目の王妃よりも、たった一人のお嫁さんが良いに決まっている。
「……キーコ、聞いているのか?」
放心状態の君子に声をかける。
首を傾げるアルバートもカッコいい。
「……わっ私は、何百番目の妻になるんで、しょうか?」
とりあえず番号だけ聞いておこう、そして断ろうそう思ったのだが――。
「……何を言っている、正妻に決まっているだろう」
「しぇっ、しぇいしゃい?」
精細、制裁、聖祭、正妻、正妻――。
正妻と言う事はそれは側室じゃなくて、一番の妻という訳で、下女とかじゃなくて、つまりこれは本当に――。
「ぷっ……プロ、ポーズ?」
なぜ、どうして、何故に。
自分の様なモブの脇役のそばかすの貧乳の贅肉タルタルの不細工な地味女子の自分に、プロポーズする意味が分からない。
「私の妻になればお前は働く事などない、服も宝石飽きるほど買っても余る、一生遊んで暮らせるだけの財と、魔王将の妻と言う権力をくれてやれる」
王族のあまりある財、そして魔王将の妻と言う権力、アルバートの妻になれば、それらが約束されたも同然。
貴族の令嬢達が、喉から手が出ても欲しがる物の全てが思いのまま。
「市井の男の妻よりも、あの馬鹿の妻よりも、私の妻になる方がずっと得だ」
その辺の農民よりも、同じ王子であるギルベルトよりも、アルバートの方がずっと得だ。
損なんて何一つない、何不自由のない生活が約束されている。
女なら誰もが即答するであろうその問いに君子は――。
(……えっ、えっいったたたたいっ、どういいいいうことぉぉぉ……あっアルバートさんが、へっ? なぜにドッキリっへっ?)
ただただ困惑していた。
恋愛経験ゼロの君子には、友達関係、恋人関係を飛び越えての唐突のプロポーズは、受け止めきれる容量を超えてしまったのだ。
「どうなんだ、キーコ」
「へっはっはわわっ」
アルバートはただでさえ距離が近いというのに、更に顔を近づけて来る。
整った顔立ちに銀色の髪、宝石の様に美しく吸い込まれそうな灰色の瞳。
どれもカッコ良すぎて、モブの脇役の君子はそれに見惚れる事しか出来ない。
何も考えられない、肯定も否定も出来ない。
ただ吐息がかかりそうなくらいの距離で、彼を見つめる事しか出来なかった。
そしてもう何もかも流れに身を任せてしまいそうになった時――。
「失礼いたします」
ノックをしてファニアが入って来る。
これによって君子は寸前で意識を取り戻した。
「……今取り込んでいる、後にしろ」
少し不機嫌そうにアルバートはそう言うのだが、ファニアは申し訳なさそうに頭を下げると、彼に耳打ちをする。
「………………そうか」
話を聞き終えると、アルバートは少し考えてからソファから立ち上がった。
そして押し倒していた君子の手を引くと、彼女を立たせる。
「行くぞ、キーコ」
「えっ?」
一体どこに行くというのだろう訳が分からないが、アルバートは手を離してくれるつもりは無い様で、着いて行くしか選択肢がない。
君子はもぞもぞと動いていたスラりんをバックに入れて、出かける準備をする。
「スラりん様をお持ちいたします、キーコ様」
「あっありがとうございます……」
準備が終わった君子の手を、アルバートが平然と握る。
それも普通の握手ではない、指と指を絡める恋人つなぎだ。
「ふぇっ、あっアルバートさん……」
「…………行くぞ、キーコ」
手を握ったまま、アルバートは歩き出した。
男の人の大きな手が、君子の手を包み込む様に握っている。
その感覚だけで、頬が熱くなって赤くなった。
(なっなんで私、ドキドキしてるの……)
きっとさっきのプロポーズのせいだ。
ちゃんと分かっている、アレはアルバートの冗談みたいな物で、きっと本当のプロポーズじゃない。
それなのに、あの時の言葉とアルバートの顔が、ずっと頭の中でリピートする。
(……心臓が、破裂しちゃいそう……)
このままショック死しても可笑しくない。
君子はこの胸の感情を必死に押さえつけながら歩く。
手を引かれるまま、ただただ歩く事しか出来なかった。




