第二八話 何も関係ないじゃん!
シューデンベル領。
ヴェルハルガルド屈指の透明度を誇るソルデ湖の畔、そこに美しい城がある。
背の高い塔が印象的で、湖畔にあるその姿はまるでお伽噺の中にでも登場しそうだ。
シューデンベル城、白鳥城という別名が付くほどこの城は美しい。
その庭に、一匹のワイバーンが降り立った。
「ひゃうっ!」
銀髪イケメン王子アルバートと、我らがモブ君子である。
「おかえりなさいませ、アルバート様」
「「「おかえりなさいませ」」」
初老のメイド長と十数名のメイドと執事達が、玄関の前で出迎える。
皆左右一列に別れ、背筋をしっかりと伸ばして美しいお辞儀をしていた。
(なっなにコレ、どこの石油王!)
王子だから当たり前なのだが、現実感のないその光景に、君子は驚いていた。
あまりの圧巻の光景に固まっていると――、アルバートが君子を落とす。
「うぎゃぼっ!」
受け身などとれる訳がなく、君子は思い切り尻もちをついた。
奇声を上げた彼女を、アルバートは冷たい視線で見下ろす。
「……あの馬鹿の匂いで鼻が可笑しくなる」
「ふっふへぇ?」
「今日から私の所有物だ、匂いを落としておけその後は任せる」
「かしこまりました」
理解できない君子など無視して、アルバートはメイド長にそう言いつけ、城へと入ってしまう。
「まっまって、あっアルバートさん」
まるで見えていないかの様に無視される、勝手に連れて来られて、怖くて仕方がないのに、何の説明もないなんて酷すぎる。
そんな君子を取り囲む、人間、魔人、半獣人など様々な種族のメイド達。
「ひっ」
「私、このシューデンベル城を総括しております、ファニアと申します」
初老のメイド長ファニアが、尻餅をついている君子に深々と頭を下げる。
戸惑いながらも小さくお辞儀をしてしまうのは、日本人の性だ。
「ではお前達、この方を浴場へ」
「「「かしこまりました」」」
「えっへっ?」
ファニアの号令の元、メイド達が君子を取り囲むと数人がかりで彼女を担ぎ上げる。
まるで胴上げか、神輿でも担ぐ様である。
「えっ、ちょっええええええっ!」
メイド達に連れて行かれるまま、スーパー銭湯もびっくりなくらい、広くて豪華な浴場へと連れて行かれた。
床も浴槽も全面大理石、しかも手すりや柱には金の装飾が施されている。
(ひっ……なっなにこれ、私の知ってるお風呂じゃない!)
一体この空間だけでどれくらいのお金がかかっているのだろうか、想像しただけでめまいがする。
君子が唖然としていると、メイドの一人がセーラー服のスカーフを解く。
何をしているのかと思ったら、そのまま上着を脱がせ様として来たので、君子は全力でそれから逃げる。
「ちょっへっ! なっ何をするんですかぁ!」
「ご入浴の為に、お洋服を脱ぐお手伝いをしているのですが、何か?」
何か問題でも、とメイド達は首を傾げている。
なぜ服を脱ぐために人の手を借りなければならないのだが、手足が不自由ならいざ知らず、君子は健常者この程度の事で手伝いなど要らない。
「いっ、いいです、ひっ一人で脱げますぅ!」
「いけません、貴方が下品な庶民だとしても、アルバート様の所有物になったのですから、王子に見合うだけの気品を身に着けて頂きます」
「きっ……気品?」
地味で凡人の君子の知る所ではないが、貴族の着替えの手伝いはメイドや執事がする、今までアンネが 何度も手伝おうとしたのだが、彼女は君子の意思を尊重して好きなようにさせてくれていたのだ、しかしこのシューデンベル城は違う。
「お前達、所有物様の服を脱がせなさい」
「「「かしこまりました」」」
ファニアの号令の元、メイド達は嫌がる君子を無理矢理取り押さえると、肩掛けバックを没収し、靴を取り靴下を脱がせ、スカートと制服を脱がせる。
「ひっやあっ、やめてくださあい!」
ブラジャーとパンツだけになった君子の必死の抵抗空しく、メイド達は追いはぎの様にそれらをはぎ取ってしまう。
服を脱がされるなんて経験、保育園のプール以来である。
「ひっ……ひくっ、うっ、うへぇっ」
女同士でも、貧乳の贅肉タルタルの肢体の見せるのは恥ずかしい、胸と恥部を手で覆い無意味な抵抗をする。
「では匂いが無くなる様、身体の隅から隅まで、しっかりと洗いなさい」
「「「かしこまりました」」」
なぜメイド達がかしこまっているのだろう。
君子が嫌な予感でドキドキしていると、笑みを浮かべるメイド達が――。
「では、ご入浴のお手伝いをさせて頂きます」
それはつまりこのメイドさん達が体を洗ってくれるという事、そんなサービスメイド喫茶でもしない、と言うかして欲しくない。
「いっ嫌ですぅ、かっ体くらい自分で洗えますからいいですぅ」
服を脱がせて貰うだけでも嫌なのに、身体を洗ってもらうなんて、嫌とかいう次元で済まされる問題でない。
だが、モブで脇役の君子さんの言う事を聞いてくれるほど、このお城のメイド達はお手柔らかではない。
「「「では、失礼いたします」」」
笑みを浮かべると、それぞれ石鹸とスポンジを持つ。
そしてそれらは嫌がるモブの脇役の地味女子の君子へと、容赦なく振るわれる。
避ける事も防ぐ事も出来ない君子は、人生最大の悲鳴を上げた。
「うぃぎょぼおおおおおおおおおおおおおおおおおお――――――っ!」
「うっ……うえっ、うぐっ、うえっ」
メイドに髪と体を拭かれながら、君子は泣いていた。
(あっあんな、あんな所を人様に洗われてしまうなんて……死んでしまいたい)
貴族とは無縁の君子、何から何までメイドがやるなんて受け入れられない。
もう何も残さず消えて無くなりたい。
絶望する君子、しかしメイド達は当たり前の様に絹のドレスを持って来て、それを着せ様とする。
「えっ……ちょっと、そんな高そうなドレス良いです、せっ制服は! 私の制服でいいですぅ!」
「いけません、貴方はアルバート様の所有物、王子の物として相応しい恰好をして頂かなければ、王子の気品にも差し障りがあります」
勝手に連れて来られて服を脱がされ体を洗われ、状況を理解できないまま、気品やらなんやら言われても、全く腑に落ちない。
しかしここのメイド達は強行で、嫌がる君子に無理矢理着せる。
「うごふっ……くっくるしぃ」
「はい、もっとお腹を引っ込めて下さい」
コルセットでタルタルのお腹周りを矯正される、その締め付けは容赦なく、ウエストを二リットルのペットボトルにするくらいの力加減だ。
服は茶色と言うかアースカラーと地味なのだが、その形がロリータファッションを想像させる感じで、似合わないにもほどがある。
(そっ粗大ごみの肉塊が、甘ロリというジャンルの服を着るなんて……死にたい)
こんなおしゃれアイテムを着ていい訳がない、あまりの衝撃に放心状態の君子。
「……まぁ少しはマシになったでしょう、眼鏡がなければもっとよろしいのですが、生活に支障があるのならば仕方がありません」
「ファニア様、こちらの袋はどうしましょう」
「汚らしい、捨ててしまいなさい」
それは肩掛けバックだった、君子は過去最高の機敏さを見せると、急いで奪取する。
「やっ止めて下さい、こっコレだけは! コレだけは!」
君子の必死の命乞いに、メイド長ファニアも流石に無理矢理捨てさせるような真似はしなかった
「構いませんが……、アルバート様の前で持ち歩かない様に、王子の品格を損ないます」
「はっはい……絶対に!」
しっかりとバッグを抱え込むと、深く深く頷いた。
そして気が付かれない様に、話しかける。
「(スラりん、我慢しててね……)」
バッグの中にはスラりんがいる、しかしこの状況で外に出してしまったら、何を言われるか分からない。
バッグは狭く苦しいだろうが、ここは我慢をしてもらうしかない。
君子はスラりんバッグをしっかりと抱きしめ、案内されるまま高そうな赤い絨毯が敷かれた廊下を進み、ある部屋へとやって来た。
「ひょぼっ!」
マグニの部屋よりも高価な家具に絨毯、ベッドは綿雲の様にふかふかで、到底君子の様なモブの脇役が使って良い代物ではない。
こういう部屋に存在していいのは、もっとヒロインしている美少女であるべきだ。
(なんですか、このモブの私には絶対に縁のない、エレガントなおしゃん空間は!)
ここに存在していてはいけない、もうここで息を吸うのも駄目だ、一刻も早くどこかへ行かなければならない。
「こちらが貴方の部屋、お食事は後でお持ちいたします、では失礼いたします」
「えっ……ちょっ、ちょっと待って下さい!」
出て行こうとするファニアとメイド達を、必死に引き止める。
「まだ何か?」
「いっ……あっあの、あっアルバートさんは、どっどちらに?」
まだこの状況の説明を何一つ受けていない、なぜ刻印を書いたのかも、なぜ城に連れて来たのかも、なぜこんな格好にさせられてこんな部屋に通されたのか、全部、何もかも意味が分からない。
「アルバート様は自室にお戻りになられました」
「……えっ? じゃっじゃあお部屋を教えて下さい、私お話がしたいんです」
それを聞いてファニアもメイド達も渋い顔をする。
するとルールアがやって来た。
「どうしたのファニアさん」
「いえ、この方がアルバート様に会いたいという物でして」
「はあっ? アンタなに調子に乗ってるの?」
「へっ?」
君子はただ状況を説明して欲しいだけだ。
しかし戸惑う彼女にルールアは強い口調で言い放つ。
「アンタ、まさかアルバート様が本気で自分を気に入って召し抱えたと思ってる訳? ありえないでしょう、アンタみたいな貧乳のそばかすの不細工」
「ひょぶっ……」
貧乳もそばかすも不細工も否定しないが、調子に乗っている訳じゃない。
ただ訳を教えてほしいだけなのに、ルールアは更に続ける。
「アルバート様はね、あの馬鹿王子が調子こいてるから、それに嫌がらせをしたいだけよ! だからアンタを奪い取っただけ、気に入ったなんて適当な嘘に決まってるでしょう、それを本気にするなんて図々しいにもほどがあるわよ!」
つまり、アルバートはただギルベルトの妨害をする為だけに、君子に刻印を書いて、城へ連れて来たに過ぎない。
君子の事なんて、初めからどうとも思っていないのだ。
(えっ……つまり私は、アルバートさんとギルの兄弟ゲンカに巻き込まれたって事?)
小さい子供がおもちゃを取り合う様な、高校生が漫画を取り合う様な、そんな感覚で、君子はここに連れて来られたという事。
つまり君子は――。
(私、何も関係ないじゃん!)
今朝までギルベルトに兄がいる事も知らなかった。
ただちょっと見間違えて、それの謝罪をしに行ったら刻印を書かれて、この城に連れて来られてしまった君子。
アルバートとギルベルトの仲が悪い、そんな事知った事では無い。
ただ穏やかな脇役異世界生活を送っていただけなのに――それなのにこの仕打ち、あまりにも酷すぎる。
(酷いっ、たかが兄弟ゲンカのせいで私は体を丸洗いされて、今こんな服を着せられるという辱めを受けているの……)
あんまりな仕打ちだ、大体こんな事が嫌がらせになるのだろうか。
(ギルは私を玩具としか思ってないんだよぉ……、それなのに奪い取った所でなんとも……いや、ギルは怒るな……子供っぽいからワガママで独占欲強そうだし)
君子はピアスの意味など知らないので、まだヴィルムが言った玩具と言う言葉を信じている。
だからギルベルトが怒った理由も、遊び道具が取られたからと、間違った認識をするのだった。
「アルバート様と話がしたい? 調子に乗るのも体外にしなさいよ、アンタはただのアルバート様の所有物なんだから、物は物らしく、この部屋で大人しくしてなさい」
ルールアとファニア、そしてメイド達は、部屋から出て行ってしまう。
「ふぁっ……まっ待って!」
無情にもドアは閉められ、部屋に残ったのは君子ただ一人だった。
君子は崩れ落ちる様に、床に座った。
肌触りのいい絨毯のおかげで、床に座っているというのに足は全然辛くない。
そう、足だけは――。
「……そんな、私、これからどうしたらいいの……」
ギルベルトの元へ帰りたくとも、刻印が刻まれてしまった以上、アルバートが定めた範囲から出る事は出来ない。
そもそもマグニから、どれくらい遠い所に連れて来られたのかも分からないこの状況では、迂闊に動けないなかった。
なんのアイディアも浮かばないでいると、バックから出て来たスラりんが君子の手に触れる。
「スラりん……」
まるで『元気を出せよ、俺が付いているぜ』と、言っている様にも見えなくもない。
「…………」
君子はスラりんを抱きしめる。
しかし、ぷにぷにボディもこの胸の不安だけは消し去ってはくれないのだった――。
夕方、メイドが食事を持って来てくれた。
濃厚なソースがかかった牛ステーキに透き通ったコンソメスープ、新鮮な野菜のサラダにベリー系の果物を使ったシャーベット。
どれも美味しそうで、本当に豪華だ。
(なっなんというご馳走……、私みたいなモブが食べていいの、コレ!)
誰かのと間違えたのではないかと思うほどの豪華さだが、このシューデンベル城では当たり前のメニュー、これが普通。
料理好きには、使われている食材がマグニの物より良い物だというのが分かる。
茫然とする君子、すると料理を運んで来たメイドが深々と頭を下げて、部屋から出て行く。
「えっ……行っちゃうんですか」
「お食事が終わった頃、下げに参ります」
「……そっ、そうなんですか」
マグニではアンネやヴィルムが傍にいてくれたし、何よりギルベルトと一緒だったので一人でご飯を食べた事は無かった。
だから、自分以外誰もいない部屋、テーブルに並べられた一人分の食事を見るのは本当に久しぶりだ。
「…………あっ、そうだ」
ベッドの下に手を伸ばすと、隠していたバッグを取る。
テーブルにつくと、中からスラりんを出して膝の上に置いた。
「ほらスラりん、美味しそうだよ」
ソースが服にかからない様に注意しながら、手始めに程よい大きさに切ったステーキを乗せてみると、いつもと違うその料理に気が付いたのか、直ぐにステーキを食べた。
「えへへっ」
君子も口に運ぶ、臭みのない肉本来の香りと、油の甘みが口いっぱいに広がる。
フィレ肉なのか、赤身の割に柔らかくて、今まで食べた肉の中で一番と言ってもいいくらい本当に美味しい。
「ん~~、美味しいね!」
美味しさが体中に駆け巡って行く様なのだが――、頷いてくれる人は誰もいない。
ただスラりんが与えたパンを丸のみにしているだけ。
「…………美味しいよね、スラりん」
こんな美味しいご飯を食べさせて貰えるだけ、あり難いと思わなければ。
きっと君子の様なモブの脇役の地味女子では、そう何度も食べられるものではないのだから。
「…………」
君子は一人、黙って食事を続けた。
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「アルバート様、お茶をお持ちいたしました」
ファニアは、執務室にお茶を持って来た。
アルバートは完璧に終わらせた書類に自身のサインを書くと、出されたコーヒーに砂糖もミルクも入れずに飲む。
「アルバート様……あっ、すいません休憩中でしたか」
「構わん、なんだルールア」
アルバートはコーヒーを置くと、ルールアを見る。
「シャベルドード伯から晩餐会の招待状が来ています」
「そうかそこに置いておけ……」
ルールアに代わって、メイドが手紙を机の上に置いて出て行った。
「それとアルバート様、伯爵のご息女様方が会いたいと……」
「……ふっ」
「いかが致しましょう?」
「……今夜会おう」
「かしこまりました」
一礼してルールアは執務室を後にする。
アルバートはそんな彼女を見送ると、ふと飲みかけのコーヒーを見つめる。
水鏡の様に映る彼の顔は、何を考えているのか分からない無表情だった。
朝、一番鳥が鳴いた頃アルバートは寝室にいた。
ベッドに腰かけ、乱れた銀髪を整え、ワイシャツを着る。
「アルバート様ぁ」
すると後ろから甘えた声を出しながら、女が抱き着いて来た。
横目で彼女を見ると、そのか細い手を握ってやる。
「起こしてしまいましたか」
「もう朝なの、ずっと一緒にいたいのに……」
「私も残念ですよ、シャベルドード嬢」
女は名残惜しそうに手を放すと、ボディラインが際立った下着同然のドレスの上に、とても高そうな毛皮のコートを羽織ると、ベッドから降りた。
「馬車までお送りいたしますよ」
「まぁ、嬉しいですわ」
アルバートは女を玄関までエスコートする。
既に迎えの馬車は止まっていて、御者がドアを開けて待っていた。
「父に例のご支援の件、よく言っておきますわ」
「ええ、伯爵によろしくお伝え下さい」
「そうでしたわ、こちら前にアルバート様がお好きなワインですわ」
「……私がこれを好きだと、良く分かりましたね」
「うふふっ、女の勘です」
「……それは恐ろしい」
「私アルバート様の事なら見れば何でも分かりますわ」
アルバートはワインを丁重に受け取る。
しかし女はワインを渡したというのに手を引かず、そのままにしていた。
少し間を空けて、アルバートはその手を取ると甲にキスする。
「うふっ……アルバート様っ」
女は嬉しそうに微笑むと、アルバートの耳元で囁く。
「今夜は楽しかったです……今度はそのピアスを頂ける日を楽しみにしておりますわ」
アルバートはそう言って笑う女に、小さな笑みで返した。
女は彼の笑みを見て安心すると馬車へと乗り込んだ。
帰る馬車を見送っていたアルバートは、完全にその姿が見えなくなった事を確認してから、顔に張り付けていた笑みを解き、何を考えているのか分からない無表情に戻す。
「ファニア……、こんな安物要らぬ処分しておけ」
「かしこまりました」
受け取ったワインを手渡すと、アルバートは自分の部屋へと戻る。
その彼の後をファニアは黙ってついて行く。
「これで何人目だ」
「五人目で御座います、政界と軍内部を合わせれば、アルバート様の味方をする貴族は二〇を超えるかと……」
「……少ないな、私が魔王になるには後一〇は後ろ盾が要る、他にも味方に付けられそうな者を調べて、リストにしろ」
「かしこまりました」
「……少し寝る、二時間経ったら起こせ」
「はい、おやすみなさいませアルバート様」
深々と頭を下げるファニアに見送られて、アルバートは寝室へと戻った。
「…………臭い」
さっきの女の香水の香りだ、甘ったるい花の香りが鼻孔にこべりつく様で鬱陶しい。
朝の陽光が部屋に差し込んで来て眩しい、アルバートは仕方なく起き上がると、分厚いカーテンを閉めて光を遮る。
上着を脱ぐと椅子に投げ捨て、そのままベッドへと寝転ぶ。
――私アルバート様の事なら何でも分かりますわよ。
もう興味も用もなくなった女の言葉が頭をよぎった。
「……ふっ、何でも分かるか」
アルバートは薄暗い部屋で、誰に言う訳でも呟いた。
誰にも聞こえる事の無いその言葉を――。
「そんな奴……いる訳がない」
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君子は窓から外を眺めていた。
一階だから逃げられるかとも思ったのだが、思ったより城壁が高そうだし、湖に隣接しているので、多分逃げ場はない。
だからマグニよりも広く、圧倒的に綺麗な庭をただ見ている。
(……ベッドはふかふかすぎて全然眠れないし、パジャマはネグリジェだし、セーラー服着ようと思ったらメイドさん達に無理やり甘ロリを着せられるし……はぁっ)
どう考えてもモブの脇役の地味女子の生活ではない。
この服もこの部屋も、皆君子には合わない物だ。
マグニならこの時間、アンネが起こしにやって来てちょっと雑談をしている頃だろう。
つい昨日まで当たり前だったのに、今ここにはその当たり前がない。
「失礼いたします、お食事をお持ちいたしました」
ノックをしてメイドが入って来た。
朝食(時間的にブランチ)を持って来てくれた、相変わらず豪華な品々をテーブルの上に載せていく。
温野菜のサラダ、魚のソテー、ポタージュスープ、そしてデザートのケーキ。
もはや朝食ではない、ただのフルコースだ。
マグニのご飯とは食材のレベルが違う、何だが食卓がきらきらと輝いている様に見える。
「では、失礼いたします」
皿を並べ終えると、当たり前の様に部屋を後にしようとするメイド達に、君子は自信のない、弱弱しい声で話しかける。
「あっ……あの」
「なんでしょう、所有物様」
「やっ……やっぱり、行っちゃうんですか?」
「はい?」
メイド達は、不思議そうに首を傾げた。
食事は運んでテーブルの上に置く、仕事はこれで全て、やり残しなど無い。
「あっあの……その、もう少しここにいて貰っちゃダメ……ですか?」
あと一〇分、いや五分で良い。
それぐらいの時間で構わないから、もう少しだけ一緒にいて欲しい。
ほんの少しだけでいいのだが――。
「何か言いつけたい御用でもおありでしょうか?」
「いっいえ……用って、訳じゃないんですけど……」
「御用が無いのに、ご主人様の部屋にいる事は禁じられております」
「えっ……そうなんですか」
メイドはあくまでも主人の命令をきく使用人に過ぎない、馴れ馴れしく主人やお客様に接するなど言語道断だ。
「お食事が終わった頃に食器を下げに参りますので、何か用が御座いましたら、その時にお申し付け下さい」
「あっ……はい」
「では、失礼いたします」
メイド達は深々と頭を下げると、皆部屋から出て行ってしまった。
一人残された君子は、ベッドの下からバッグを取り出す。
「……スラりん、ご飯が来たよ」
バッグからスラりんを出してあげると、食卓に着いて膝の上に乗せてあげる。
「スラりん、今日も美味しそうだよ! ほらこの白身魚のソテーすごく美味しそうだよ」
バターの良い香りがする、ソテーを一口大に切ってやると、スラりんに食べさせる。
スラりんはすぐに呑み込んでしまう。
「えへへっ、美味しいスラりん?」
君子もソテーを食べる、バターの風味が口いっぱいに広がるのに、あっさりしていて全然くどくない。
「ん~~お魚美味しいね!」
そう言えばマグニではあまり魚を食べた事が無かった。
ここはマグニとは食文化が違うのだろうか。
「ねっ美味しいねスラりん」
この美味しさの喜びを分かち合いたい、君子は膝の上のスラりんにそう話しかけるのだが、膝の上で与えたパンを丸のみにしているだけで、何もしゃべってはくれない。
スライムがしゃべらない事くらい分かっている、それでも返事を求めてしまう。
「…………スラりん」
ぷにぷにボディは、ぷるるんっと揺れるだけ。
部屋に響くのは君子の声だけ、他に誰もいない、独りぼっちの食事。
――キーコ、うめぇなっ!
こんな時に思い出すのは、隣にあったはずの笑顔。
昨日まで当たり前だったのに、今はそれが無い。
「……」
美味しいご飯を食べた時、とても喜んでくれて、いつも騒がしいけど楽しい食卓だった。
独りぼっちの食事は、寂しくてたまらない。
「……美味しくないよぉ、一人じゃ……美味しくないよぉ」
どんなに高級な料理を出されても美味しさなんて感じない。
一人で食べるご飯なんか美味しくなんかない、一緒に食べる人がいるから美味しいのだ。
「うっ……うえっ」
涙が出て来た、頬を伝ってドレスを濡らす。
君子は寂しさを堪えきれず、声を上げて泣き始めた。
「ギルぅ……会いたいよぉ」
騒がしい事も嫌な事もあったけど、楽しい事もあった。
何より隣でいつも笑っていてくれた。
今はその笑顔がない、それが寂しくて、悲しい。
「うっうえっ……皆に会いたいよぉ、マグニに帰りたいよぉ」
幾ら泣いても、この部屋には彼女以外に誰もいない。
その悲痛な思いは誰にも届かないのだった。
「うっうえっ、うえ~~~ん」
こぼれる涙を拭ってくれる人は誰もいなかった。




