第二六話 銀髪ロン毛って、マジ萌える
久しぶりの君子さん。
君子が異世界に来て五ヶ月が過ぎた。
もう少しで半年、それぐらい経つと完璧に順応して、このマグニでの日常が当たり前になった。
季節は秋から冬へ変わろうとしていて、寒さが本格的な物に変わりつつある。
マグニ城も暖炉を使う様になり、薪の柔らかな温かさが部屋を優しく包む。
「……もうすっかり冬ですね」
「そうねぇ、そろそろ雪が降るかもしれないわね」
「こういう時は、暖かい部屋でのんびりするのが一番ですね」
君子は『複製』で作ったスケッチブックと鉛筆で、お絵描きをしていた。
冬はコタツにみかんを用意して、全く動かずに絵を描き続けるのが彼女の習慣だ。
とはいえどもここは異世界、みかんはないしコタツもない、しかもギルベルトの上に乗せられた状態では、描ける物も限られている。
だからポテチを食べるギルベルトを描く事にした。
(……流石はイケメン、何してても絵になるなぁ)
角のある魔人の彼は、ファンタジー作品に出て来るキャラクターの様だ。
しかし腹の上で何かしていたら気になる物で、ギルベルトはスケブを掴む。
「何やってんだキーコ」
「わひゃあああっ、駄目、駄目、見ちゃ駄目ぇ!」
勝手に人の絵を描いて置いてその言い分は無いのだが、恥ずかしい物は恥ずかしい。
しかも自分の様なモブが、ギルベルトの様なイケメンの絵を描いて良い訳がない、何とか死守し様とするが、力では全く勝てず奪い取られてしまった。
「あン……これはぁ」
(おっ怒られるぅ、勝手に描いたから肖像権の侵害とかで怒られるんだぁ!)
君子は怒鳴られる事を悟り、急いで防御態勢を取るのだが――。
「……すげぇ」
「へぇっ?」
「キーコ、おめぇ絵も描けるんだな!」
ギルベルトは怒っていない、むしろ絵を見てとても喜んでいる様に見える。
更にヴィルムもその絵を横から覗き込む。
「……これは、貴方は絵描きの才能もあるのですね」
「えっ……絵描きなんて、そんな大層な物じゃないです!」
「せっかくです、ギルベルト様の肖像を描いて下さい」
「むっ無理です! 肖像画なんて絶対に無理ですぅ!」
そんな物を描くなんて罰が当たる、君子があまりにも全力で否定するので、ヴィルムは仕方なく諦めた。
しかしスケッチブックの絵をまじまじと見つめる。
「ギルベルト様は絵師を呼んでもじっとしていられないので、肖像画が残せず困っているのです……貴方ならうってつけなのですがねぇ」
そんな事言われても、中学二年生をこじらせていた時、痛い設定のオリキャラの絵を描いて喜んでいたこの手で、肖像画などという物を描いて良い訳がない。
ここは何と言われても描きません。
「ギルベルト様、そろそろ……」
「……またお仕事に行くの?」
「ええ……まぁそんな所です」
君子はギルベルトの上から退くと、服の汚れを払って襟元を正してやる。
「よし、綺麗になった」
「二、三日で帰って来る」
「うん、行ってらっしゃい」
「おう」
「スラりんも、行ってらっしゃーいって言ってるよ」
「……おっおう」
スラりんがそう言っているかは分からないが、君子はアンネと共にギルベルトとヴィルムを見送る為にベランダへと出た。
既に二匹のワイバーンが待機して、二人はそれぞれ自分のワイバーンに跨る。
「アンネ、後の事は任せましたよ」
「はい、行ってらっしゃいませ」
「ギル~ヴィルムさ~ん、身体に気を付けて下さいね~」
飛び立ったワイバーンが見えなくなるまで、手を振って見送った。
一歩外に出ると、冬の冷たい風が襲い掛かって来る。
「うぅ寒い……」
「キーコ、部屋に戻りましょう」
「はい……でもギルも大変ですよねぇ、いくらお仕事でもこんな寒い中」
「えっ……ええ、そ~ねぇ」
アンネは視線をそらしながら、数週間前の事を思い出していた。
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「えっ……キーコが、もうすぐ死ぬ?」
アンネがその話を聞いたのは、ギルベルトが突然遠出をした数日後の事。
この頃ギルベルトの様子が可笑しいとは思っていたが、理由は全く分からなかった。
今この場で聞くまでは――。
「……異邦人の寿命は長くとも一〇〇歳、キーコは今一七歳、あとたったの八〇年ほどで死んでしまうんですよ」
「はっ……八〇年、うっ嘘、ですよね?」
ヴィルムは戸惑うアンネに、何も言わず首を横に振って答える。
それは彼女にとって、身を引き裂かれる以上に辛い物だった。
「……メルヌ村にいた異邦人の死を、キーコはあまり悲しんでいませんでした……それは異邦人にとって一〇〇年生きた事は評される事、我々の様に若すぎる死だと思っていないという事…………実際はキーコの寿命はもっと短いかもしれません」
ベルカリュースで一〇〇歳程度というのは、短すぎる一生だ。
人間でも二〇〇年は生きるのだから、あと数十年で死ぬというのは、あまりにも早い死。
「そこでギルベルト様は魔王帝様に懇願し、異邦人を不老不死にする方法を教えていただく事になりました」
「ふっ不老不死! そんな、そんな事出来るんですか!」
「……しかし条件は、ギルベルト様が魔王帝様に国を献上する事、つまり将として兵を率いて、一国を攻め落とさなければなりません」
「一国を……将として?」
このマグニの城に仕えて数十年、そんな事一度たりとも起こった事がない、だからただただ驚いていた。
「私とブルスは、ギルベルト様のお供として戦地へ行きます、冬は大蛇も冬眠してしまいますので、頼れるのはアンネ貴方だけです、我々が留守の間キーコを守って下さい」
ヴィルムとブルスがいなくなれば、この城は手薄になってしまう。
彼女はハルドラの魔法使いを倒すほどの力がある、一介のメイドには勿体無いほどの力、キーコを守れるのは彼女しかいなかった。
「はい……はい! もちろんです、私にできる事ならなんだってやります! それでキーコが死なないなら、私なんだってやります!」
カルミナのせいで君子が死にかけた時、アンネは本当に悔しくて悲しかった、もうあんな思いはしたくない。
「よろしく頼みましたよ……アンネ」
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(…………よろしく頼まれたけど、キーコに嘘をつくのは辛いわ)
君子はギルベルトが領主としての仕事をしているのだと思っている。
地方を視察して、メルヌ村の様に困っている人々の為に働いていると、本気でそう思っているのだ。
「ギルがいないとお城が静かでちょっと変な気分ですけど……、でもギルが領主としての責任をもってくれたんですから、私もスラりんもそれを応援しないとですよね!」
(……キーコごめんなさい、でも貴方の為なの)
ヴィルムから、君子を不老不死にする為にギルベルトが戦争をしているという事は、絶対に言ってはならないときつく言いつけられていた。
アンネは背徳感を感じながらも、この口にチャックをする。
「スラりんも寒いでしょう、バックの中にお入り~」
そう言うと肩掛けバックの中にスラりんを入れた。
これはお手製のスラりんバックで、スラりんを抱えたままだと両手が使えない為、君子が考案し縫製した。
完全防水で、冬でも温か裏起毛の優れものである。
「……そこまでしてスライムを持って歩かなくてもいいんじゃないの、キーコ」
「スラりんは私の大切なスラりんなんです! ずっと一緒、一心同体です!」
その肝心のスライムは、バックの中でおやつのクッキーを食べている。
本当にコレのどこがいいのだろうか。
「アンネさん、今日もよろしくお願いしますね!」
「えっ……あぁ、本当にやるの?」
「もちろんです! 私、何が何でも習得したいんです」
君子はきらきらとした眼差しでアンネを見る。
その視線に押されてアンネは、しぶしぶと了承した。
「そこまで言うなら止めないけど、無理して倒れないでね」
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「『浮遊』」
アンネの前に灰色の魔法陣が展開されると、一五〇センチはありそうな石のオブジェが、浮かび上がった。
「うおおおおおっ、すごぉい!」
君子は全力の拍手をして、それを称えた。
アンネは石像を庭に戻すと、少し恥ずかしそうに答える。
「すごくないわよ……これくらい普通よ、普通」
「そんな事無いです! 物を浮かせるとか魔法に憧れる人なら皆一度はやってみたいと思う事ですよ!」
アンネが見せたのは、『浮遊』の魔法。
これはちょっと魔力がある人なら誰でも使えるくらい簡単なもので、こんな風に褒められるのは気恥ずかしい。
「これは一型の魔法で、初歩の初歩だから、魔力をちょっと扱える人なら出来るわ」
「よろしくお願いします、アンネ先生!」
「せっ先生って……」
君子は暇を見付けては、アンネに魔法を教わる様になったのだ。
と言っても、君子の魔力はE、これでは魔法使いには向かないのだが、アンネに頼み込んでどうにか一番簡単な『浮遊』の魔法を教わる事になった。
「術式はさっき言ったとおりにね、浮かせる物は……そうねこの小石でどうかしら」
「こっ小石、ですか」
直径三センチくらいの小さな石、正直手で持った方が早いくらいなのだが、あくまでも君子は初心者、これが相応と言う物だ。
深呼吸すると、右手を伸ばして技を叫ぶ。
「『浮遊』!」
しかし、何も起こらない。
浮く以前に、ピクリとも動かず、ただ君子の声が冬空に拡散するだけだった。
「うっうう……アンネさ~ん」
「がっ頑張ってキーコ、はじめから簡単に出来るものじゃないわ」
「はっはい……」
しかし何度やっても、浮かび上がるどころか魔法陣も出てこない。
本当に何も起きず、ただ無駄に『浮遊』とか叫んでいる、君子の声が響くだけだ。
「うっうえっ、せっかく異世界に来たのに、魔法の一つも使えないなんて悲しすぎます~」
オタク女子としてはこの位の魔法は習得して置きたい、しかし凡人には魔法という高等テクニックは難しすぎたのだろうか。
いや、この程度でくじける訳には行かない、スラりんもバックの中でパンを食べながら応援してくれているのだから。
「……ギルもお仕事頑張ってるんだもん、私も魔法を頑張るんだから!」
君子は奮起すると、再び魔法を試みるのだった。
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エルゴン パラン砦。
第一防衛線である、この砦は高い城壁と大砲によって攻めにくく、エルゴンの第一の守りにして鉄壁。
国境沿いの小さな砦とは比べ物にならないほどの規模を誇る――のだが、この日その誇りは微塵に砕かれた。
「……なぜ、だ」
将軍は眼前の光景を見て、ただ驚く事しか出来なかった。
砦の周りを埋め尽くすのはエルゴン兵の死体と、それを踏み潰すヴェルハルガルド兵。
自慢の城壁は崩れ落ち、大砲も全て破壊された今、この城は身ぐるみを全て剥がされたのと同じ状況だった。
「たった……たった三日だぞ、それでエルゴンの鉄壁の守りが打ち砕かれるなど……」
エルゴン一〇〇〇年の歴史において、こんな事初めての事だ。
「将軍、裏門に天馬を用意いたしました、お急ぎ下さい」
「くっ……この様な醜態を晒す事になろうとは……」
既に敵は砦の中に侵入している、みすみす敵に砦を奪われるなど一群の将として耐え難い事。
しかし今は逃げねばならぬ、挽回のチャンスなどいくらでもある。将軍は三人の部下に言われるがまま、バルコニーを後にする。
「氷結斬」
しかしその瞬間、部下が二人斬られた。
淡い水色の髪の魔人が剣を振るっている、いつの間にかこの部屋にまで敵が攻め込んで来たのだ。
「なっ何奴!」
突然の襲撃、しかし傷も浅くまだ戦える。
将軍を守ろうと勇敢にも剣を構えたその時、傷口から凍り始めた。
「なっなんだぁ!」
「うわああああっ!」
驚き悲鳴を上げるが、氷結は止まらず彼らが理解する前に、全身を凍らせる。
凍死した部下二人を見て、これは魔法ではない事を悟った。
「亜人、氷人種か!」
「……その呼ばれ方は、ヴェルハルガルドでは既に死語です」
「なんだと、下等生物の分際でぇ!」
「…………ギルベルト様、そっちが将軍ですよ」
「――なに?」
一体どこに、誰にそう言ったのか、見当もつかない。
ただその次の瞬間、背後から赤い服を着た角のある魔人が、馬鹿でかい黒い刃の剣を突き立ててながら襲って来た。
「な――ッ」
将軍がそれに気が付いた時には既に避ける事も防ぐ事も出来ない、その凶刃に身を引き裂かれるしかなかった。
しかし――。
「将軍!」
隣にいた部下が固まって動けなくなっていた将軍を突き飛ばす。
無様にもゴロゴロと床を転がる将軍、突き飛ばした部下は、彼の代わりにその凶刃で刺し貫かれた。
「ぐばぁっ」
胸を刺され血を吐く彼を、紅の魔人は冷たく鋭い眼光で見る。
「しょ……グん、おニ、ゲ……さい」
「うっうわあああああっ」
何とか言葉を捻り出した彼の言葉を聞き、将軍は無様にも悲鳴を上げながら逃げ出した。
だがそんな姿を魔人は見逃さない、直ぐに剣を引き抜いて追撃を試み様とする。
「――っ、?」
しかし胸を刺し貫かれた兵士が、剣の柄をしっかりと掴んで離さない。
むしろ、残り僅かの力を使い自らへと深く剣を刺している。
「ごふぉっ……しょ、ぐんふぁ、ゴロざぜ……ない」
肺を突かれ、まともに言葉がしゃべれない中、兵士は仇敵へと言い放った。
今にも事切れそうだと言うのに、精神力でどうにか意識を保ち、あまつさえ将軍を逃がす為に自らの命を賭して剣を我が身で塞ぐなど、なんという鋼の様な意志なのだろうか。
敵味方関係なく称賛される、見事な働きである。
――しかしここは戦場、その程度では、この魔人を止める事など出来ない。
「おうりゃああああああああああああっ――――」
柄を掴む手に、全力をぶち込むと、兵士が突き刺さったままの剣で踏み込み、逃げる将軍を追う。
「ひっひっひぃぃぃぃっ!」
逃げる将軍が振り返った時、一四〇センチという大剣に兵を突き刺したまま跳躍し、振り被る。
「――あああああああああああっ!」
将軍は、真っ二つに斬り裂かれた。
右肩左脇腹にかけて、寸分の狂いもない見事な太刀筋。
しかし、剣に突き刺さっていた方の兵の心臓を思い切り突き破り、内臓を引きずり出す。
更に超至近距離、噴き出した血が大量にかかった。
「ぶへっ、ぺっ」
帰り血を浴び真っ赤になったギルベルトは、気持ち悪そうに血を吐き出し、剣を振って兵を剥がす。
「大丈夫ですか、直ぐに何か拭う物を……」
「良い、それよりこいつの首斬り落とせ、偽者じゃねぇか捕虜に見せろ」
「かしこまりました」
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ギルベルト率いる軍は、戦争が始まっておよそ一ヵ月で、五つの砦を落とした。
そしてこの日、エルゴンの第一の防衛線であったパラン砦が陥落し、その話はヴェルハルガルドとエルゴン両国だけではなく、他国にも広がって行った。
「流石はギルベルト様、敵将を自ら討つなど、このブルス感激いたしましたぞ!」
「感激するでない、殿下将が自ら動くべきでないと申し上げたはずですが」
ブルスとマリノフの言葉を無視して、ギルベルトは風呂上がりの髪をタオルで拭く。
「ギルベルト様、今からワイバーンを飛ばせば今日中に帰れます」
「……いや、いい」
「…………よろしいのですか?」
いつもどんなに遅くなっても、ワイバーンをすっ飛ばして帰るギルベルトが、まさか断るなど思わなかった。
「……こんな血の匂いまみれで帰ったら、キーコに嫌われる」
「ギルベルト様……」
いつも君子の傍にいたがる彼が、こうやって匂いを気にするなんて正直意外である。
「匂いが取れたら朝一番で帰る……、それまで寝る」
「かしこまりました、おやすみなさいませ」
ギルベルトはグラムを持つと、そのまま自分の天幕へと向かった。
「……人間のキーコには、アレぐらいの匂いは分からないと思うのですが」
ヴィルムも感じられないほどの匂いは、君子には分からないだろう。
鼻の利く魔人のギルベルトだから分かる事なのだが、そういう事を気にするほど、彼は君子の事を思っているのだろう。
「マリノフ様、ギルベルト様は将としていかがでしょうか?」
「殿下は先ほども言った通り、自ら動く悪い癖が御座いますがそれ以外は目を見張る物が御座います、特にあの勘……アレは生まれ持った才と言えるでしょう」
ギルベルトは、時折嫌な臭いや、臭いという表現で危険を察知する。
これは彼の生まれ持った才の一つで、幸運のステータスが高い者によくある能力だ。
Aランカーであるギルベルトは、攻撃力も耐久も十分備わっている、それに加えこの勘の良さ、かなりの実力だ。
マリノフは指摘しているが、ギルベルトが自ら進んで進撃する事によって、この軍の士気は高く、一癖も二癖もあるならず者共の集まりだが、兵士達はギルベルトに好印象を抱いている。
この軍は今、猛烈に波に乗っている状態なのだ。
「と言っても……たかが娘の為に一国を攻め落とすなど聞いた事もありません、あの無鉄砲さは殿下の良さでもありますが、同時に悪さでもあります」
「……ご指摘の通りです」
「激情の炎に身を委ねるのも良いですが、時には山の様に揺らがず心を静める事も大切ですぞ」
流石は数多の将を指導しただけあって、マリノフの指摘は的確であった。
「しかし、今回の砦攻めによって、殿下のお名前は方々に知れ渡る事でしょう……今まで見向きもされなかった王子が、急に軍を率いれば、誰しも疑いを持つ」
「……確かに、ヴェルハルガルドには、将の座を狙う者は掃いて捨てるほどおりますから」
マリノフはヴィルムの言葉に深く頷くと、その続きを言った。
「内部からの妨害が、なければよろしいのですがね……」
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ヴェルハルガルド国 シューデンベル領。
領内のとある城のとある一室。
「……ギルベルトが、エルゴンの砦を落とした?」
部屋を照らすのは淡いランプの明かりだけで薄暗い、しかしそこに一人の男がいた。
男は怪訝な表情をしながら、報告して来た初老のメイドにそう返す。
ただそれだけならば、普通の光景なのだが、問題はそこが寝室のベッドの上であり、彼が上半身裸で、隣には何も身に纏っていない美女が横になっている。
「はい、軍本部からの情報ですので、間違いないかと思われます」
こんな状況だというのに、メイドは眉一つ動かさずにそう言った。
普通だったら顔を背けたり部屋から出て行ったりする物だが、そんな事しないほどこの光景は当たり前の事であり、その程度で狼狽えないほど彼女はプロのメイドであった。
「…………そうか」
男はしばし黙り、飲みかけのワイングラスを手に取ると、赤ワインを一気に飲み干した。
すると横にいた女が起き上がって、その豊満な胸部を男の背中へと押し付ける。
「……アルバート様ぁ、そんなつまらない話やめましょう」
甘えた声を出す女を男は口元だけで笑うと、控えているメイドへと命ずる。
「ワイバーンを用意しておけ、明日一番で出かける」
「かしこまりました」
メイドは深々と頭を下げると、部屋から出ていく。
男は隣にいる女の事など気にせず、独り言の様にぽつりと呟いた。
「たまには弟の顔でも見に行ってやるか」
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マグニ城。
君子は、城のロビーで小石を浮かせる練習をしていた。
寒くて手がかじかむのだが、ブランケットを羽織ってそこに座っていた。
「……キーコ駄目じゃない! あ~もう、こんなに体冷やしちゃって」
「アンネさん、おはようございます」
「おはようございますじゃないわよ、部屋に戻って、直ぐに暖炉に火を入れるわ」
もしも病気にでもなったら大変な事だ、アンネは君子を連れて行こうとするのだが、彼女は動こうとしない。
「大丈夫ですよアンネさん、それより見て下さいちょっとだけですけど魔法陣が出たんですよ!」
何もこんな事で、魔法の練習をしなくたっていい、もっと暖かい部屋でやればいいのだ。
「キーコ、いいから部屋に戻りましょう、ね?」
「…………でも、ギル昨日帰ってこなかったんです、二、三日で帰るって言ってたのに」
今までギルベルトが言った通りに帰って来なかった事などなかった。
君子は昨日夜遅くまで待っていて、今日も朝早く起きて帰りを待っている、それほど心配しているのだろう。
「きっとギルもお仕事頑張ってるんだもん、お出迎えしてお疲れ様って言ってあげたいんです」
「……キーコ」
「あっそれに、魔法を使える様になって、ギルをびっくりさせるんだよね、スラりん!」
バックの中でもぞもぞと動いているスラりんを撫でる。
アンネはその姿に呆れながらも、思いをしっかりと受け止めて、これ以上何も言わない事にする。
「じゃあ温かい飲み物でも持ってくるわ、リョク茶がいい?」
「ありがとうございます! スラりんも緑茶好きだよね~」
スライムが緑茶を飲むかは分からないが、アンネはお茶を淹れに向かった。
君子は再び目の前の小石と向かい合うと、魔法を使う。
「『浮遊』!」
灰色の魔法陣がうっすらと現れ、石もカタカタと動く様になった。
魔力切れを起こしてしまうかもしれないので、無理はいけないのだが、地道に練習した甲斐もあり、あともう少しで宙に浮きそうだ。
「ふあ……難しいねスラりん」
だが諦める訳には行かない、ギルベルトだって頑張っているのだから、君子も努力しなければならない。
諦めず、もう一度チャレンジする。
「よぉし……もう一回!」
気合いを入れて、両手を突き出すと小石は魔力を操作し魔法陣を展開する。
灰色の魔法陣が一段と輝いた時、カタカタと小刻みに震え出す。
すると、宙へと浮かび上がった。
たった一五センチくらい、手で持ち上げた方が早いくらいなのだが、それでも生まれて初めて使った魔法の感動は計り知れなかった。
「ふぁっふぁああああああっ、やっやったああああ」
大きな声で飛び上がって喜んでしまったせいで、魔法陣が消えてしまって、小石は床に落ちてしまう。
だが、君子は確かに見た、自分が魔法を使って小石を持ち上げたのを――――。
「スラりんやっやったよ! 私魔法が使えたんだよぉ!」
喜ぶ君子だが、スラりんはもぞもぞと動くだけで喋ってはくれない。
この喜びを誰かと分かち合いたいのだが、誰もいない。
アンネが戻ってくるまで我慢なんて出来ない、いっその事台所まで行ってこの成果を報告して来ようかと悩んでいると――。
「……ん?」
足音がロビーに響いているのに気付く。
振り返ると大きな玄関の扉が開いている、魔法が使えた喜びで全く分からなかった。
君子が足音の主に気が付いたのは、その人物が間近にやって来てからだ。
「……ギル!」
久しぶりのギルベルトの顔に君子は喜んだ、しかも魔法が成功したこんな良いタイミングで帰って来るなんて、余計に嬉しくてたまらない。
君子は興奮覚めやらぬ状態で、出迎えの挨拶もそっちのけで、ギルベルトにこの喜びを報告する。
「ギル! 異邦人の私でも魔法が使えたんだよ」
「…………」
ギルベルトは言葉を返してくれない。
しかし興奮している君子はそんな事気にせずしゃべり続ける。
「『浮遊』の魔法でね、初めて物を浮かせられたんだよ!」
「…………」
「……ぎっギル?」
君子はようやくギルベルトの様子が可笑しい事に気が付いた。
よく考えたらいつもの彼だったら真っ先に名前を呼んで、頼んでもないのに抱きしめて、これまた頼んでもいないのに頬ずりをしてくるはずだ。
それなのに――今日は何も言ってくれない。
「…………」
いつもなら笑ってくれるのに、今日は何を考えているのかよく分からない無表情を浮かべて、君子を見下ろしている。
なにか怒らせるような事をしてしまったのだろうか、どうしてそんな顔をしているのか分からない。
だから急に不安になって来て、君子はギルベルトへと手を伸ばした。
「ぎっギル……どうしたの?」
君子が弱弱しくそう尋ねた。
「キーコぉ!」
するといつも通りのギルベルトの声が返って来た。
ただその返答は真横からやって来た物で、君子がその事に疑問を持つ前に、視界の端からもう一人のギルベルトが現れた。
「――へっ?」
突然現れたギルベルトは、君子を抱きしめる。
間違えない、この感覚これはいつものギルベルトの抱っこだ。
ならさっきまで話していたギルベルトは一体――、戸惑う君子を放って、抱きしめていた方のギルベルトは手を放すと、まるで庇う様に彼女の前に立った。
そして、目の前にいるもう一人のギルベルトを睨みつける。
(えっ……ぎっギルが二人? えっ何、どっドッペルゲンガー)
まさかお化けと驚き戸惑う君子だが、よく見るともう一人のギルベルトには角が無い。
それだけではなく、眼の色だって吸い込まれそなくらい綺麗な灰色で、服装も全く着崩しておらず、蒼を基調とした高級な服を上品に着こなしている。
そして何よりも目立っていたのは――腰まである長い銀髪。
それはギルベルトに瓜二つの、青年だった。
陽光を浴びて、まるで絹糸の様な銀色の髪がきらきらと輝いている。
この世の物とは思えないほどの完璧に整った容姿は、さながら芸術品の様だ。
しかし、ギルベルトは彼を恐ろしい形相で睨みつけ、憎しみが籠った声で言い放つ。
「何しに来やがった……アルバートぉ!」
燃える様なその言葉とは対照的に、冷静ながらも鋭い口調で言葉が返って来た。
「ふっ、兄が弟の顔を見に来て何が悪い? ギルベルト」
兄、弟。
目の前にいるこのアルバートという男性は、ギルベルトの兄で、二人は兄弟という事になる。
瓜二つの顔、それが兄弟と言われれば納得だ。
だが明らかにギルベルトは、兄であるアルバートを警戒していて、鋭い双眼で睨みつけ、今にも殺し合いでも始まりそうな剣幕だ。
しかし我らが君子さんは、そんな二人の事などまるで見ていない。
(…………ぎっ、銀髪って)
さっきは陽光で光っていて、銀だとは分からなかったが、目の前にいるのは銀髪。
そう漫画やらアニメやらで、絶対にカッコいい役で出て来る、あの銀髪である。
そんなカッコ良すぎるキャラクターを見たオタク女子は、ふと思う。
(銀髪ロン毛って、マジ萌える)




