幕間 Happy Hallowe'en
読んで字のごとし、ハロウィンの話です。
今回は半魔人アンネが主人公のお話、本編とは関係ありません!と言いたけどもしかしたら関係しちゃうかも知れない番外編です!!
Trick or Treat!!
ねぇママなんで泣いてるの?
パパがいなくて悲しい?
わたしは大丈夫だよ、辛くなんてないよ。
だからねママ、……ないで。
懐かしい夢を見た。
質素なベッドで眼を覚ますと、ぽつりと一言呟く。
「……最悪」
上半身を起こして窓を見ると、もうとっくに朝になっていた。
いつもは夜明け前に起きるのに、きっとあの夢のせいだ。
乱れた髪を掻き上げると、額の違和感に気が付く。
「うわっ、また出てる!」
アンネの額から深紅の角が出ていた。
普段はしっかり隠しているのに、ハルドラの戦いの時ちょっと怪我をしたせいで、眠っている時や力んだ時に出てしまう様になった。
指で押し込め念じると、角はずぶずぶと額へと収納される。
元に戻った事を確認して、アンネはため息をついた。
「……仕事しないと」
アンネは、マグニ城のメイド長である。
メイド長など名前ばかりで、実際の所ただのメイドと何一つ変わらない。
この広いマグニの城は、常に人手不足、それを支えているのは彼女の迅速な働きによるものだ。
「ベアッグさん、すいません遅くなっちゃって!」
「おう、アンネが寝坊なんて珍しいな」
獣人コックのベアッグに小さく笑われた。
いつもなら誰よりも早く起きて井戸の水を汲んでおくのだが、肌寒くなったからだろうか、嫌な夢を見た。
「ほら朝飯だぞ、それ食べたら双子を起こしてくれ」
簡素なテーブルの上には、パンとスープがある。
手を洗うとアンネはそれを食べ始めた。
「……うん、ベアッグさんのご飯最高!」
「そりゃそうだ、おまんまが旨くねぇと人生最悪だもんな! だから俺は人生を最高にするメシしかつくらねぇんだ!」
笑うベアッグ、マグニに来たばかりの時は獣人に驚いたが、今はもう慣れた。
他にもドワーフなのに不器用な双子に振り回されるのも慣れた。
他の魔人の存在にも驚愕したが、それももう大した驚きでも無くなった。
メイドとして働き出してから、いろんな事を経験してそれに慣れて来たのだが――今になってもまだ慣れない物もある。
「あっアンネさん、お早う御座います」
「お早うキーコ……てっ、また先に着替えてる!」
そう、異邦人の君子である。
彼女はマグニ城の主であるギルベルトの恋人(?)であり、いずれ妻となる人なので、アンネにとって仕えるべき存在であるのだが――どういう訳か使用人の仕事をやりたがり、使用人がするべき仕事を勝手にやってしまうと言う、正にメイド殺しな少女だ。
「私が手伝うって何回言ったら分かるのよキーコは!」
「だって着替えくらい自分で出来ますし……」
故郷では庶民だったらしいが、ここでは主人の一人なのだから、それ相応の態度でいて貰わないと困る。
「またそのガッコーの制服って奴?」
「はい、学生の標準装備ですよ~」
君子の特殊技能は、想像した物を魔力で複製する『複製』というものだ。
だからアンネの知らない異世界の道具を出しては、皆を驚かせている。
(でも、やっぱり安い布なのよねぇ……キーコはもっと絹のドレスとかそういうのを着るべきなのに……)
何度勧めても高価な服を着ない、君子は自分を卑下し過ぎている、もっと自信を持つべきなのだ。
「スラりんも起きよ~」
そう言って専用の小さなベッドに眠る(?)スライムを抱き上げる。
これは君子が拾ってペットにしている妖獣。
凶暴な生物が多い妖獣の中では無害と言っても過言ではないほど脆弱なスライムだが、それを好んで飼うなど聞いた事など無い。
しかし、君子はあろう事か名前まで付けて愛でている。
(コレのどこが可愛いのかしら……)
本当に、君子のやる事は予想がつかなくて困る。
「ハロ……ウィン?」
「はい、私の世界の行事なんですよ」
朝食を食べ終え紅茶を飲みながら雑談をしていた。
ギルベルトに抱きしめられたまま、君子はヴィルムと話す。
「今日はお化けが家に来る日なので、こっちもお化けの仮装をして追い返す……みたいな感じのお祭りなんです」
「……仮装と言うのは?」
「吸血鬼とか狼男とか……後は魔女とかとにかく色々です」
「…………その仮装に一体何の意味が?」
「えっ……意味って言われても」
「仮装などしないで、やって来たお化けとやらは本物の吸血鬼や獣人で追い払えばいいだけの事ではありませんか」
「しっしまった本物がいるからピンと来ていない!」
分かって貰えずしょんぼりしている、アンネはお茶のお代わりを注ぎながら尋ねる。
「お化けを追い返すだけのお祭りなの?」
「いえ、カボチャをくり抜いて、ジャクオーランタンっていうランタンを造るんです、それに子供が家を回ってお菓子を貰うんです、お菓子をくれなきゃいたずらするぞって言って」
「子供に恐喝をさせるんですか、なんて非道な」
「いっいえ……あっあくまでもお祭りな訳でして……」
「でもカボチャのランタンって面白そうね、どんなのか見てみたいかも」
「うえ~~アンネさ~ん、私の味方は貴方様だけです~」
君子はしっかりと手を握って、潤んだ眼で見つめてくる。
ヴィルムは現実主義者なので、こういう遊び心ある催しには理解が薄いのだ。
なんとなく君子の気持ちも分かるのでフォローしたのだが、話を聞いているとなかなか面白そうで興味が湧いた。
「カボチャのランタンはどうするの、飾るの?」
「あっはい、玄関とか庭に飾って、お菓子とかカボチャ料理を食べてお祝いするんです」
「……お化けが来るのにお祝いするのですか?」
「えっ……えっとぉ~」
再びヴィルムの質問によって困ってしまった君子。
だがお菓子という言葉を大食漢ギルベルトは聞き逃したりはしなかった。
「菓子食うのか!」
「えっうっうん、クッキーとかプリンとか」
「いいな、クッキーもプリンも好きだぞ!」
今までさほど興味はなさそうだったのだが、食べ物となれば別の話。
そして主であるギルベルトが興味を持ったとなれば、後の事は早い。
「やろーぜ、菓子食おうぜキーコ!」
「えっ……カボチャでランタン造ったり仮装したりしていいの?」
「おう、あとクッキーな!」
目当ては食べ物なのだろうが、主がやると言った以上ヴィルムが反対する訳が無い。
こうしてマグニ城のハロウィンが始まったのである。
「へぇ~カボチャでランタンなんておもしろい事考えるよなキーコは」
「私じゃないんですけど……よし、これくらいあれば十分ですね」
城の備蓄のカボチャをテーブルに置く、ハロウィンを想定していなかったのだが流石は日持ちがする野菜、ハロウィンの飾りにするのに十分な量のカボチャがあった。
「なにするなにする!」
「かぼちゃなにする!」
「えへへっこのカボチャでね、ランタンを造るんだよ」
「カボチャで!」
「ランタンを!」
眼を輝かせるユウとラン。
君子は手始めに三・四〇センチのカボチャをひっくり返して、お尻にナイフを入れる。
「思ったより堅い~~」
「大丈夫キーコ、私が変わるわよ」
怪我でもすればギルベルトが何と言うか分からないので、アンネが交代する。
「じゃっじゃあ、私はくり抜く所に印を付けますね」
君子はそう言うと『複製』で黒くて細い棒を造る、見た事がない物だ。
「油性マジックですよ~、キャップを外してこうやって~」
すらすらとカボチャに線を書く、インクを付けずに線が書けるなど、驚きの極みだ。
しかし作業は止める訳にはいかない、ナイフで切りこみを入れると分厚い皮と身を取る。
そして指示されるままスプーンでカボチャをくり抜き、眼と鼻と口の皮を切り取って完成した。
「うわ~変なカボチャね」
「えへへっ、始めにくり抜いたおしりを台座にして、蝋燭を中に入れれば完成ですよ~」
ヴェルハルガルドではお眼に掛かれないランタンが完成した。
怖い様な、可愛い様な、何とも言えないデザインだ。
しかしまだまだカボチャは沢山ある、手を休める暇はないので、作業を続ける。
「種と綿はこっちに、身はこっちに分けて下さい」
「ユウもやる~」
「ランもやる~」
「もう不器用の癖にやりたがるんだから……、はいカボチャくりぬいて」
手分けして、ランタンづくりをしていると結構な量のカボチャが出てきてしまった。
ランタンを造るのはいいとしても、このまま処分するのはもったいない。
「コレどうする、スープにするの?」
「スープでも余るぞ、コレは」
「あっ、じゃあクッキーとプリンにしましょう、それにサラダにパイにグラタン!」
「うおっ良いな、料理は俺に任せておけ最高に旨い奴造ってやるからよ!」
「カボチャいっぱい」
「ごちそーごちそー」
「にしても、アンネさん細身なのに力があるんですね……」
「そりゃメイドは力がないとね」
「ぶへ~~、でも同じ人間の女の子なのに、なんだか自分が不甲斐ないです」
「……えっ」
ザクッと、手が滑ってナイフが線よりも大幅に外れた所を切ってしまった、折角のカボチャの顔が台無しだ。
「だっ大丈夫ですかアンネさん!」
「わっ私は大丈夫、あっ……ごめんなさいカボチャが」
「いいですよ、カボチャよりもアンネさんの方が大事です」
そう言うと、アンネの手を取って怪我がないか確認し始める。
手は切ってないので大丈夫なのだが、君子は本当に心配してくれていて、なんだか申し訳ない。
「本当に大丈夫、気にしないで」
「う~~、無理しないで下さいね」
手を離すと、君子は作業へと戻る。
アンネも続きを再開するのだが、その笑みには小さな歪みが出来ていた。
「完成しました!」
大小様々なランタンが並べられて、なんだかいつもとは違う光景になった。
「結構大変だったわね……次はどうするの?」
「蝋燭を入れるのはカボチャが乾燥してからなので、とりあえず一段落です」
「そう……じゃあ私洗濯するわね、何か手伝う事があったら呼んで」
「はい、私もお料理のお手伝いと仮装の準備をしますね」
「ユウもてつだう~」
「ランもてつだう~」
「えへへっ、じゃあいっしょにやろっか~」
「ユウにラン、キーコの邪魔だけはするんじゃないわよ」
「「は~~い」」
アンネは不器用な双子にしっかりと釘をさすと、厨房から洗い場へと向かった。
お祭りの準備も大事だが日々の仕事もしっかりこなさなければいけない、大きなタライに洗濯物を入れると、水を入れて石鹸で洗い始めた。
「やっぱりメイドは力仕事よねぇ、力があって当然なのよ!」
誰に言う訳でもない、自分に言い聞かせる為に口を動かす。
しかしこの気持ちは晴れない、この胸の痛みが無くなってくれない。
(――でも同じ人間の女の子なのに)
頭をぐるぐると廻っているのは、君子の言葉。
幾ら頭から消そうとしても、言葉はどんどん大きくなってアンネを押しつぶしていく。
ついには手を動かす事もままならない。
「…………同じ、なんかじゃない」
タライに映る自分の顔を、アンネは見下ろした。
半魔人の自分の顔を、恨めしそうに睨んだ。
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アンネはハルドラの外れの村、チリシェンで生まれた。
ヴェルハルガルドの魔人の父とハルドラの人間の母を持つ、半魔人である。
ヴェルハルガルドではあまり珍しくない存在だが、隣国ハルドラではあまりに珍しく、あまりにも異形な存在だった。
物心付いた時には、既に父はいなかった。
村人達に追われ、ヴェルハルガルドへ戻ったそうだ、母に迎えに来ると言い残して。
だから村で待とう、必ず魔人の父が迎えに来てくれるから、母は何度もそう言った。
『パパは、いつかママとアンネを迎えに来てくれるからね』
父の話をする母は楽しそうで、アンネもいつか父が迎えに来てくれると信じていた。
顔も知らない父が迎えに来てくれる、そうしたら三人で暮らせる。
そんな夢みたいな日の訪れを、ただただ心待ちにしていた。
だが、大きくなるにつれてアンネは不思議に思う。
なぜ自分は家の外に出てはいけないのだろう、なぜ太陽が昇っている間は大きな声を出してはいけないのだろう、なぜ自分達の家は他の村人の家からこんなに離れているのだろう。
この事を母に話してみたが、返って来たのはいつも同じ答え。
『アンネは気にしなくていいの、いいからママの言いつけをちゃんと守るのよ』
母の言う事はアンネにとって全て、母以外の大人なんて知らない。
だから言いつけを守るのが、母への愛情の返し方だった。
『さぁアンネ、今日は水の魔法のお勉強をしよっか!』
母はちょっとした魔法が使える魔法使いだった。
魔法は好きだ、上手く出来ると母が褒めてくれるから。
ずっとこれで良かったのだ、母と一緒に魔法の勉強をして、いつか迎えに来てくれる父を待つ。
これが幸せだった、これで幸福だった。
(――化物め!)
「――っ!」
思い出したくない言葉が頭の中に響き、悪寒が全身を震わせた。
そう、どんなに隠しても永遠に付きまとって来る業。
逃れる事の出来ない呪い。
「馬鹿ね、くだらない事考えてないで仕事をしなくちゃ」
頭よりも手を動かす、今は与えられた職務を全うするのみ。
仕事を再開させると、君子と双子がやって来た。
「アンネさ~ん、お洗濯ははかどっていますか~」
「はかどってる~」
「はかどっとる~」
「キーコ、それに双子まで……どうしたの、お手伝い?」
「いえ仮装をどうしようかと、せっかくなのでアンネさんの意見も聞きたいなって思って」
意見と言われても、ハロウィンというお祭りがどんなものなのか分からないので、皆目見当がつかない。
「仮装って言われても、私やった事無いし……」
「いや単にどんな仮装がしたいか教えて貰えればいいんですよ、仮装に必要な道具は私が特殊技能で造っちゃいますから」
「ほんと便利ね、その特殊技能」
ちょっと考えるが、この世界では獣人や吸血鬼は特段珍しくないし、魔法使いなんて掃いて捨てるほどいる訳で、コレと言ってやりたい恰好は無い。
「私は別にいいわよ仮装なんて……」
「え~なんでですか……アンネさんならきっと似合うのに」
「そっそんな事無いわよ……」
「そんな事ありますよ、メイド服の着こなしを見れば分かります、アンネさんにはコスプレの才能があります!」
「着こなしって、コレは私の仕事服な訳で……」
おしゃれとは無縁のただの仕事服なのだが、異邦人である君子はどういう訳かこのメイド服に羨望のまなざしを向けている。
「折角ですから、獣耳コス……じゃあなかった獣人コスとかどうですか、アンネさんなら絶対に似合いますよ猫耳メイド……じゃあない半獣人の仮装とか」
「はっ……半獣人」
君子は自分を人間と勘違いしているから、こうやって勧めてくるのだ。
半魔人の自分が半獣人の恰好なんてしたら笑い者になってしまう。
「いいってば……本当に、仮装なんて……」
「え~~、やりましょうよ絶対アンネさんなら似合いますよ~」
一体その自信はどこから来るのだろうか。
そもそも自分みたいな一介のメイドが、そんな遊びをしていい訳がない。
断りたいのだが、なぜか今日の君子は押しが強くて一歩も引いてくれなかった。
だからどうしても断りたくて、つい力んでしまった。
「いいって言ってるでしょう!」
ごうっと、空間全てを揺さぶる大声。
それは普段のアンネは絶対に出さない音量で、力んだから出てしまった。
そして声以外に、出てしまった物がもう一つ――。
「あっ……アンネ……さ、ん?」
君子はとても驚いた表情でアンネを見ている。
丸くなった視線は、アンネの顔ではなくてもっと上の方、額へと向けられていた。
「…………えっ?」
横の壁に取り付けられている鏡を見る。
視線を向けてはいけない、そう頭の中の冷静な自分が警鐘を鳴らしたが、あまりにも遅かった。
アンネの額から、深紅の角が生えていた。
見られた。
君子に見られた、角を、この角を、この半魔人の自分を――。
「あっ……ああ、ちっちがっ」
何か言い訳をしなくては、コレは違う、コレは間違いなんだと否定しなければ。
しかしアンネの頭は混乱していて何も考えられず、口も上手く動いてくれない、何か、何か言わなくてはいけないのに。
「あっ……アンネさん」
君子が手を伸ばして来た、戸惑い冷静さを失ったアンネを落ち着かせようとした物なのだが、それが昔自分を殴って来た大人達の手と重なった。
「――いやぁっ!」
ただ怖い物から逃げたい、その本能がそれを払いのけてしまった。
しかし払いのけた物は、怖い物などではなく、大切な少女の手――。
その事を思い出した時には、既に叩かれた後で手の甲は赤く腫れていた。
「あっ……ちっ、ちが……」
こんな事がしたかったんじゃない、君子を傷つけるつもりなんてなかった。
ただ怖くて、でも謝らなくちゃいけないのに、やっぱり怖くて言葉が出ない。
もう何が何だか分からなくなってしまったアンネは、ただここから逃げ出したくて、怖い事から遠ざかりたくて、走り出した。
「――――っ!」
君子も双子も彼女を呼んでいたが、アンネは止まらなかった。
その呼び声も怖くて、ただ全てから逃げ出したかったのだ――。
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チリシェンにいた時。
暮らしは不自由もあったが辛くはなかった。
母と一緒に父を待っているだけで幸福だった。
しかし、幸せは長くなんて続かない。
母が病に伏せてしまった、命にかかわる大病を前に子供のアンネはどうする事も出来ない。
日に日に弱っていく母を前にして、アンネは何も出来なかった。
今すぐ父が帰って来て母を助けてくれる、そんな夢みたいな事を願うだけ――。
『ねぇママなんで泣いてるの? パパがいなくて悲しい?』
『アン、ネ……』
弱弱しい手で、母はアンネの頭を撫でる。
いつもの母の手のはずなのに、そこにはあの温もりがない。
今にも消えてしまいそうな、弱い力。
『わたしは大丈夫だよ、辛くなんかないよ』
『……アンネ、貴方にママじゃない他の誰かが、いれば……良かったのに』
『ママがいればいい、ママがいればあとは誰もいらない……だから』
アンネは母のか細い手をしっかりと握る。
この手がこぼれ落ちない様にしっかりと握って、涙をこぼしながら言った。
『だからねママ、……死なないで』
幼い彼女が願ったのは、たったそれだけの事だった。
母とずっと一緒にいたい、この幸福が無くならないで欲しい。
誰でも願う当たり前の事だ、しかし小さなアンネに大きな世界は残酷で、その願いさえも押し潰してしまう。
母は静かに息を引き取った。
もう動かない母を前に、アンネはただ泣いた。
昼も夜も関係ない、声がかすれ涙が枯れても泣き続ける。
母がいないから言いつけを守れなかった、大切な約束だったのにそれを破った。
だから罰が当たったのだ。
(――半魔人だ!)
(――化物だ!)
(――殺せ!)
チリシェンの村人達に見つかった。
初めて見る母以外の人間は、母とは全く違う。
アンネを見つけると、大人達は彼女にあらん限りの罵声を浴びせ、子供だと言うのに本気で殴った。
ハルドラは人間至上主義。
人間以外の種族を忌み嫌い、不浄を嫌う。
だから半魔人などという混ざり物は、彼等が最も嫌う存在だったのだ。
暴力の限りを尽くされて、アンネは森へと捨てられた。
そこからの記憶は曖昧だ。
森の中を何日もさまよって、自分が生きているのか死んでいるのかも分からない中で、このマグニの城へとたどり着いた。
行くあてのない彼女は、メイドとして住み込みで働き始めた。
父の国、ヴェルハルガルドはハルドラとは全く違う。
半魔人など珍しく無く、普通に闊歩していて、聞いた話によると魔王の中にも半魔人がいるらしい。
この国で差別された事なんてない、ひどい仕打ちを受けた事もない。
それでもハルドラで受けたあの暴力は、幼心に恐怖を植え付けるのには十分すぎた。
角を隠し、なるべく人間として振舞った。
皆彼女が半魔人である事を知っているのに、それでも角は絶対に出さない。
どれだけ滑稽に見られても――。
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「うっ……ううっ」
アンネは、一人で泣いていた。
普段使っていない部屋の隅で、隠れる様に蹲る。
(見られた……キーコにだけは知られたく無かったのに……)
異邦人の君子は、故郷ハルドラにいたのだ。
ハルドラ人は半魔人を嫌う、君子も半魔人を嫌っているかもしれない。
(嫌だ……キーコに嫌われたくない……)
でも傷つけてしまった。
あんな事するつもりはなかった、赤く腫れていた、物凄く痛かっただろう。
君子の眼にはどう映ったのだろう、人間のふりをしていた凶暴な半魔人に見えたかもしれない。
(あやまらなきゃ…………でもっ、怖い)
ハルドラから逃げたあの日に浴びせられた罵声と、振われた暴力が蘇る。
手足が震えて、動けない。
ただ怖くて悲しくて涙が止まらない。
もう何をどうすればいいのか、何も分からない。
こんな魔人でも人間でもない中途半端な自分なんて、消えてなくなってしまえ。
そうすれば、誰にも迷惑なんてかけないのに――。
「…………アンネ」
ぺちんと小さな何かが頭に触れた。
吃驚して頭を上げると、目の前にユウが立っていた。
ランは一緒ではなく、一人だ。
「……ゆっ、ユウ、なんで」
「ないてるの?」
心配そうに顔を覗き込んでくる。
いつも他人の気持ちなんて考えないで、思い思いの行動を取っている双子が、こんな風に心配するなんて、考えられない。
「キーコしんぱいしてる、いこう」
「…………無理よ」
泣くアンネの頭に再び触れると、優しく撫で始めた。
ドワーフとは言え恰好が子供のユウに頭を撫でられるのは、なんだか変な感じだ。
「ユウ、ランがないてるときいつもこーする、ランも、ユウがないてるときこーする」
「ユウ……」
「アンネ、キーコのとこいこっ」
「……でも私キーコに酷い事、しちゃった」
「ユウもあやまったげる、いこっ」
ちがう、ユウは小さいから分からないのだ。
「……それだけじゃない、私は、はっ半魔人だから、キーコ、私の事気持ち悪いって思ってる」
半魔人は化物。
半魔人は存在自体が罪。
「キーコ……私の事、嫌いになったわ」
気持ちに余裕などない、もう前を向く気力もなくなった。
「そんな事無いですよ」
響いたのは、ユウの声ではない。
驚いて顔を上げると、部屋の入口に君子とランが立っていた。
「……キー、コ」
「手は痛くないですよ、そもそもアレじゃ怪我なんかにはいりませんよ」
そう言って腫れが引いた手を見せて来る。
一体いつからそこにいたのだろう。
「有難う二人とも、先に戻ってていいよ」
双子を帰らせると、君子はアンネの元へと近づく。
怒っているのだろうか、気持ち悪いと思っているのだろうか。
泣いているアンネの前まで来ると、君子は腰をおろして目線を一緒にする。
彼女の顔には軽蔑も怒りもない、あるのはいつもの君子の顔だけだ。
「キーコ……」
「アンネさん、ごめんなさい……私勝手にアンネさんが人間だって思いこんでて、それが当たり前なんだって思っちゃって……」
「ちっちがっ、私が言わなかったから……、きっキーコに嫌われるって思って……」
「酷い勘違いしてますよ、私がアンネさんの事嫌いになるなんて、お日様が西から登っても有り得ないですよ」
君子はそう言って微笑みを浮かべてくれる、半魔人で化物の自分に笑いかけてくれる。
「あっでも……アンネさんが私の事嫌いになっちゃうのは、有り得るかもしれません」
「――そっ、そんな事ない!」
大声で否定するアンネ。
ムキになってしまった、そんな事絶対に有り得る訳が無いのだから当然だ。
だって君子は、とっても大切な――。
「約束しますよ、私はアンネさんが半魔人だからって嫌いになったりしません」
君子はアンネへと手を伸ばす――その姿がチリシェンの村人達と重なる。
(――化物だ!)
自分を殴る手がフラッシュバックする。
しかし――恐怖におびえるアンネへ向けられたのは、そんな物ではない。
君子は彼女をしっかりと抱きしめた。
優しく抱き寄せる彼女の体温が、伝わってくる。
人に抱きしめられるなんて、どれくらいぶりだろうか――。
あんなに止まらなかった震えが、止まった。
「アンネさんは気持ち悪くなんてないです、とっても可愛い半魔人の女の子です!」
「きっ……キーコぉ」
力強く抱きしめ返しながら泣くアンネ。
しかしこの涙は同じ涙でも、さっきまでの物とは全く違う。
コレは嬉しくてこぼれてくる涙なのだから――。
「……うっうう、ごめん、有難うキーコ」
「えへへっ、いいんですよ」
やっと落ち着いたアンネ。
目尻にたまった涙を拭うと、口元に笑みを浮かべる。
「そっ……そう言えば、仮装の話してたのよね……」
「いっいえ……半魔人なのに半獣人のコスプレは恥ずかしいですよねぇ、すいません」
「いっいや、それは私が自分の事ちゃんと話してなかったのが悪い訳で……」
でもどうして何時も控えめな君子の押しが、あんなに強かったのだろう。
「あ……あは、実は私の故郷だと……その友達同士でおそろいの仮装をするんです……だからその、アンネさんと一緒にやりたいなぁって思って……」
「とっ友達……」
「あっ! とっ友達、じゃないか……いえあのとっ友達と言うか、何と言いますか……あのその……あっアンネさんと、やれたら良いなって…………」
顔を真っ赤にして視線をそらしながら、本当に恥ずかしそうに言う。
友達とおそろいの仮装、君子は自分の事をそんな風に思っていてくれた。
「いっ嫌ですよねぇ……わっ私とおそろいなんて……」
「……そっそんな事ない、やる、やるわ!」
おそろいの仮装がしたかったからあんなに押しが強かったのだ。
そんな風に言われたらやらない訳にはいかない。
「半獣人でも吸血鬼でも何でもやるわ!」
「えへへっ、有難うございます……でもやるコスプレはもう決まってるんです」
君子はいつもよりちょっぴり意地悪な笑みを浮かべた。
アンネはそれの真意に気が付けず、ただ首を傾げるばかり。
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「これがカボチャランタンですか」
ヴィルムは、食堂に飾られたジャクオーランタンを見つめる。
こんな事に何の意味があるのかと思ったが、こうやって数十個造られると、なかなか雰囲気と言うものがでるものだ。
「はい、本当は玄関とかに飾ったりするんですけど、まぁ細かい所はすっ飛ばしましょう」
そう言って食堂に入って来た君子の額には、角が付いていた。
「……その角は?」
「えへへっ仮装ですよ~似合いますか?」
「……魔人の仮装にしたのですか、てっきり吸血鬼やら獣人にでもするのかと思いました」
「ちょっとヴィルムさん、ちゃんと見てください!」
「……?」
君子は頬を膨らませると、どこか偉そうに訂正する。
「半魔人コスです!」
「…………半魔人の仮装、ですか」
当たり前だが、異邦人の君子は牙もなく耳も尖っていない。
確かに半魔人と言われた方が、外見的にしっくり来る。
「そうです……てっ、アンネさんいつまでもそこに隠れていないで下さい」
ドアの向こうに隠れて出てこないアンネを君子が無理矢理引っ張ってくる。
彼女はいつも隠している紅い角を出している。
「えへへ~見てくださいおそろいですよ~~」
「ふわっ……」
君子に抱き付かれて恥ずかしがるアンネの顔はどこか嬉しそうで、何かを振り切った様な顔をしている。
「……そうですか」
「とっ言う訳で、ヴィルムさんの分のつけ角ですよ」
「……私もですか」
「もっちろんです、ハロウィンは仮装してなんぼですよ、見て下さい皆やってますよ」
料理を運んで来たベアッグも、それについて来たユウとランもつけ角を付けている。
獣人とドワーフが角というのもなんだか可笑しな話だ。
「いやぁ、そうそうある事でもねぇんでね、たまには良いじゃないですか」
「ユウははんまじーん」
「ランもはんまじーん」
「今日は皆半魔人ですよ!」
そう言って『複製』で造ったコスプレ様のつけ角を差し出す君子。
ヴィルムはその角とちょっと恥ずかしそうなアンネを見比べると、それを受け取った。
「確かに、たまには良いかもしれませんね」
「そうですよね、半魔人の気持ちになりますよね!」
「……なるほど、ハロウィンと言うのは他種族の気持ちを考える人権の日だったのですね」
「えっ……いや、そう言うんじゃなくてですね……」
ただのお祭りなのだが、クールイケメンヴィルムはすっかり勘違いしている。
しかし君子には、彼の勘違いを訂正出来るだけの知識が無いのであった――。
「何の騒ぎだ……てっ、ぶははははっ、ヴィルム貴様何をしているんだ」
つけ角を付けた姿をブルスが笑う。
しかしそれに腹を立てたヴィルムが彼の背後に回ると、そのまま羽交い絞めにした。
「なっ何をするヴィルム」
「今日は仮装をするお祭りだそうで全員角を付けるそうです、キーコこの獣にも角を付けて得体のしれない生物にして下さい」
「ふざけるな仮装なんてしないぞ、俺は!」
「え~ブルスさんもしましょうよ、見てくださいスラりんにも三倍速で『坊やだからさ』とか言えそうな、赤い角を付けたんです!」
「意味が解らん! 角なんてどうでもいいだろ――」
「けけっ、うまそーな匂いだな」
匂いに誘われて、ギルベルトも四階から降りて来た。
ブルスの眼に映るのはギルベルトの角。
「(角がどうでもいい……それはつまり主たるギルベルト様の角もどうでもいいと?)」
「……うぐっ」
君主の事まで引き合いに出されては最早断り様がなかった。
諦めたブルスも角を付けさせられた。
「あン、なんで角付けてんだ?」
「えへへっ仮装だよ、今日は皆角を付けるんだ」
あくまでも食べ物が目当てで仮装には興味がないので、どうでもよさそうだ。
しかし君子はギルベルトの角を見ると――。
「おそろいだね」
と笑いながら言った。
嬉しそうにいう彼女の言葉にギルベルトは一瞬で頬を赤く染める。
「おっ……おそろい」
ギルベルトは人生で初めて、自分が角のある魔人に生まれて良かったと、心から思った。
しかし感動で震えている彼にはまるで気が付かず、君子はアンネの手を握る。
「皆おそろいですよ、アンネさん」
「…………うん」
はにかむアンネに微笑む君子。
するとテーブルの上には、クッキーにプリンにポテチ、サラダにグラタンにスープなどなど食べきれないほどの量の料理が並べられている。
「ハロウィンは大勢でご飯を食べるんですよ、だからみ~んなで食べましょう!」
「皆……てっまさか使用人も一緒にって事ぉ!」
主と使用人が一緒にご飯を食べるなど聞いた事がない。
そもそもそんな事していいはずがなかった。
戸惑う皆など無視して、君子はギルベルトに言う。
「ねっ良いよねギル」
「おう、いーぞ!」
「ほらほら王子命令ですよ! 全員席について下さい!」
皆は顔を見合わせるが、命令と言われてしまったらどうしようもない。
それに今日はハロウィン、今日くらい特別な事があったって良いはずだ。
諦めて席へと付くヴィルムにブルスにベアック、楽しそうに席に座るユウとラン。
「はい、アンネさんはここですよ」
そう言って君子が自分の隣の席を指す。
戸惑うアンネを無理矢理座らせると、君子は微笑む。
「えへへっ、じゃあいただきま~す!」
そして君子の号令の元、ハロウィンパーティが始まった。
ユウがプリンを食べて喜び、ランがクッキーを食べて喜ぶ。
ヴィルムとブルスがワインの飲み比べを始め、ベアッグがそれのレフリーをする。
ギルベルトは口いっぱいにグラタンを頬張り、旨いと大絶賛した。
君子は、カボチャを喜んで食べる姿を見て、嬉しそうに笑みを浮かべる。
スラりんは君子の膝の上でポテチを食す。
「…………」
アンネはその状況を見ていた。
いつもとはちょっと違うけれど、いつもの皆。
(……ママ、私とっても大切な人達が出来たよ)
家族じゃないけど、とっても大切な主と上司と同僚と――そして友達。
そしてアンネは大切な人達との、この時間を楽しんだ。
この夜、マグニの城から楽しそうな笑い声が、いつまでも響いたのでした。




