第二二話 違いすぎる時間の流れ
つきたての餅だろうが焼き餅だろうが、醤油つけて海苔巻くのが一番好き。
異邦人の情報を聞きつけて、マグニ領のメルヌ村へとやって来た君子達。
そこには齢一〇〇の超高齢日本人杉原大和がいて、彼は異世界に日本風の村を造り上げていた。
そして突然訪れた王子ギルベルト御一行のおもてなしの為に、大規模な宴が催されるのだった。
「ふぁ~~、凄いですね!」
突然の事だったのに、広場には村人が集まって来て、準備が始まった。
村は九割が人間で、残りの一割が魔人らしい。
コレはヴェルハルガルドの東の地方では当たり前で、特に珍しくはないそうだ。
よく見ると結構和服を着ている人もいる、特に女性が多い。
広場にござを敷き、更に畳を敷いて、簡素ながらも過ごしやすい会場が出来た。
「なんかわざわざすいません……」
「いえ、ちょうど近々村の収穫祭をする予定だったので、それに殿下にこの村の食べ物を食べて頂けるなど光栄の極みで御座います」
「おう、肉なら何でも食うぞ!」
「野菜も食べなよギル……」
本当に好き嫌いが激しいのだから、君子が呆れていると、村の男達が杵と臼を持って来た、もしかしてコレは――。
「餅をつきます」
「お餅ぃ!」
まさかこんな所でお餅を食べられるなんて夢にも思わなかった。
蒸したもち米を入れて、掛け声と共に餅をつき始めた。日本では当たり前の光景だが、異世界では珍しいのか、皆食い入るように見ている。
「アレはなにをしているんですか?」
「もち米をついてお餅をつくってるんです」
「モチ?」
「はい、私の国では一般的な食べ物で、神様に捧げるお供え物にもします」
神前やハレの日に昔から食べられて来た伝統の食べ物。
様々な種類があるが、最も一般的な物は、この杵と臼を使ってつくタイプの餅で、君子も見た事があるのだが――今目の前で行われているのは見慣れた物ではなく、超高速の餅つきだった。
「てっ早!」
「皆作業を楽しんで、今では遊び感覚で速さを競う様になってしまいました」
大和は笑って言っているが、こんな物テレビでしか見た事がない。
マグニ城の面々はこれが餅つきの姿と勝手に勘違いして、とても感激している。
「ユウもやる~」
「ランもやる~」
「止めなさい、あんなの修練した戦士にしか無理よ!」
ただの餅つきのはずなのにと君子が苦笑いをしていると、つきたてのお餅がやって来た。
熱々のお餅の隣には、きなこ、あんこ、そしてその隣には小皿に入った黒い液体。
「えっ……これってもしかして……」
「はい、我が村の醤油で御座います、大根おろしにかけてお召し上がり下さい」
「うおおおおっ、お醤油ぅぅぅ!」
なんて事だ、醤油が存在しているなんて、それも魚醤ではなくなじみ深い大豆を使った濃口醤油。
熱々のお餅など関係無い、君子はお箸でつまみあげると、おろし醤油に餅を良くからませてそのまま口へと放り込んだ。
「んん~~、うんみゃ~~い」
醤油の香りと大根おろしの辛みが、きめ細やかな餅の舌触りと良く合っていて、至極のハーモニーを生み出している。
美味しさに蕩けそうな君子を見て、ギルベルトも手掴みで餅をとり、いつもの大きな口で餅を食べようとしたのだが――。
「がっつくなぁぁ!」
君子がそれをチョップで止める、あの大きさの餅をがっついて食べたらどうなるか、結果は火を見るよりも明らかだ。
「お餅は噛み切りにくいから喉に詰まらせやすいんだよ! 私の故郷では毎年一〇〇人くらい死にかけてるんだからね! ギルはがっついて食べるんだから、気を付けて!」
「……ごっ……ごめんなさい」
君子の権幕に負けて、餅を恐る恐る小さく食む。
「なぜそんな危険食物の飲食を禁止しないんですか」
「なんでこんな美味しい物禁止するんですか、喉に詰まらせる人が悪いんですよぉ?」
「……貴方の故郷が、食い意地の張った国民性だと言う事が解りましたよ」
日本の国民性を完璧に理解したヴィルムだった。
「所で、コレは何ですか?」
「あっ、お箸です、こうやって二本セットで使うんですよ~」
「ハシ……、下品ですね片手で食べるなんて」
「失礼な! 左手はお椀を持つ為に開けておくんですぅ!」
とは言え器用なヴィルムは、君子の指を見て使いこなす。
流石はクールイケメン何でも出来る、しかし彼の様に使える人は稀だ。
「う~~、コレどーなってんだよぉ!」
「あ~はいはい」
唸るギルベルト。君子は一旦小皿と箸を置くと、両手を合わせ魔力を放出する。
すると電流が走り、魔力は想像通りに形を変え、フォークが複製された。
「はいギル、これ使いな」
「ふぉ……珍しい事をなさるのですね、コレは魔法で?」
「いえ、特殊技能です、想像した物を魔力で造れる特殊技能なんです」
更に握り箸しか出来ず、困っているアンネと双子の分のフォークを造ると手渡した。
持っている身としてはあまり実感がない、しかしこの特殊技能はかなり珍しい物だ。
「儂もその特殊技能を持っていれば、この村の開発ももっと早く出来たんでしょうなぁ」
「大和さんは、どんな特殊技能を持ってるですか?」
「先生の特殊技能は『職人』です」
『職人』ランク2の特殊技能である。
魔力は必要とせず、特定の分野に関する技術向上と知性向上。
特定の分野と言うのは、特殊技能を持つ個人が興味を持つ対象の事を指す。
「私の場合は農業に関する事柄が対象の様で、コレには随分助けられましたよ」
「だから品種改良が出来たんですね」
「幾ら農業について学んでいたとしても、一人の知識でこれほどの事を成し遂げる事は不可能ですからね……この力は神様からの授かり物だと思っております」
確かにこんなに素晴らしい日本食文化を花開かせてしまうなんて、正に神様からの授かり物だ。
「……出来れば、あの焼け野原で使いたかった」
「えっ?」
独り言の様に呟いた大和の言葉を聞き返そうとしたら、更にお餅の追加が運ばれて来た。
恐る恐る食べていたマグニ城御一行も、餅の魅力が解り始めた様だ。
「のびるなっ、コレ!」
「ふむ……なかなか興味深い食感ですね」
「これ美味しい、アンコ……だったっけ、ほんのり甘くておいし~」
「おもちうま~い」
「きなこうま~い」
やはり食は交流の基本、未知の文化に五人とも興味津々だ。
すると今度は、大皿に盛られた焼き鳥が運ばれて来た。
ねぎま、つくね、かわ、手羽先、ささみ、せせり、更に砂肝にハツ、ぼんじりに軟骨まで、一般の焼鳥屋と比べても遜色ない品ぞろえだ。
「うわ~焼き鳥だ、しかもタレまで!」
「こちらは先生が品種改良なさった特別な鶏を使いました、臭みが全くなく、ジューシーで肉本来の美味しさを味わえます」
「鶏! 鶏って卵産む奴?」
アンネが驚いた様に言う、他の面々も鶏と聞いて戸惑っている。
そう言えばマグニ城のお肉は、ビーフorポーク、とり肉は食べた事がない。
「ヴェルハルガルドでは食べないんですか?」
「肉の臭みが酷いのですよ、鶏は主に卵と羽毛ですね」
異世界の鶏は臭いのか、と新たな雑学を得た。食べた事がないなら是非食べるべきだ。
「へぇ~勿体ないですね」
そう言って君子はねぎまを一本とると、食べて見せる。
甘辛のタレとジューシーな鶏肉がよく合っていて、日本にいた事に食べた物とは比べ物にならない、食べた事はないが比内地鶏とか言われても信じてしまいそうな美味しさだ。
「ん~~美味しい!」
「……うめぇのか?」
「うん、ギルも食べてごらん、特にタレがおすすめだよ!」
串で食べる文化が無いので少し戸惑いながらも、ねぎまを手に取る。
数回匂いを嗅いで、君子の微笑みを確認すると、戸惑いながらもそれを口へと運び、鶏肉に齧りついた。
すると――。
「――――っ、うんめぇぇぇぇぇ!」
今日一番の感想を言った。
その表情は喜ぶ子供の様に輝いていて、ギルベルトは続けてねぎまを頬張る。
「うめぇ、甘くてうめぇぞコレ!」
「タレって言うんだよ、美味しいでしょ」
ギルベルトはよっぽど気に入ったのか、両手に焼き鳥を持っていつもの調子でがつがつと食べている。
「あれ……ギル、ネギ食べられたの!」
「あン、ネギ? なんだかしんねぇけどこの茶色いソースがうめぇぞ!」
なんと野菜嫌いのギルベルトがネギを食べている、確かに焼き鳥のタレは甘辛くて味も濃いし、ご飯何杯でも食べられるくらい美味しいから、彼がネギを食べられても不思議ではない。
(前から思ってたけど……ギルって味覚が子供?)
野菜が嫌いなのも、もしかしたら苦みや辛味など感じるからで、こういう甘いタレに漬ければ大体食べられるのかも知れない。
「コレは……全く臭みがありませんね」
「このつくね? ふわふわで美味しい!」
「ヤキうま~い」
「トリうま~い」
皆焼き鳥を食べる手が止まらない、特にギルベルトはタレの味に感激してほとんど一人で食べて、お代わりを要求している。
「皆様はいける口でいらっしゃいますかな?」
大和がそう言って瓶子とお猪口を差し出す。
「まさか、日本酒ですか?」
「えぇ、我が村の米で造った酒で御座います」
「そうなんですね、せっかくなんですけど私は未成年なんで――」
「是非頂きましょう」
君子が断る中、喰いついたのは意外にもヴィルムだった。
お猪口に注がれた透明な液体を興味深そうに見つめ、口にする。
「…………コレは、ほのかな甘みに、鼻孔を抜ける時の香りが果実を思わせるのが心地よいですね、更にこのあっさりとした後味、くどく無く水の様に呑めます」
「……いっいつになく饒舌ですね」
ヴィルムの手は止まらず、次から次へと言葉通り水の様にぐいぐい呑んでいる。
そう言う時は素直に美味しいと言った方がいいと思う。
「こんなに美味しい物が沢山あるのに、なんで世に出回ってないんですか?」
見た所この国の人達の味覚にも合っている様で、もっと世に広がっていても良いはず、なぜこの村に留めているのだろうか――。
「我々も是非この特産を世に広めたいと思っているのですが、この村から商人のいる街に行くまでに大きな河があるのです、迂回すると費用がかさむので、商人に売るほど定期的に運ぶ事は難しいのです」
「ワイバーンで空輸は出来ないんですか?」
「それは無理です、ワイバーンは値が高く貴族や役人の乗り物です、それに荷台を引くほどの大型種は我々の収入ではとてもとても……」
だからワイバーンに乗っていたギルベルトを役人と勘違いしたのか、実際はそれより上の王子だった訳だが。
「じゃあ他に方法は無いんですか?」
「……大河に橋が掛かれば、流通も不可能ではないのですが、やはり費用もかさみますし、そもそも領主様の許可が必要なのです」
「そうなんですか……その領主様はどこにいるんですか、この近くですか?」
力になれるならなってあげたい、この村は故郷日本にそっくりだし同じ日本人の誼、助けられる事は助けてあげたい。
するとヴィルムが、お猪口に酒を注ぎながら言った。
「領主なら貴方の隣にいるではありませんか」
「へっ……隣?」
君子は言われた通り隣を見た。
「ヤキトリおかわりな!」
そこには再度焼き鳥のお代わりを注文するギルベルトがいる、というか彼しかいない。
という事はまさか――。
「ギルううう、ギルって領主様だったのぉ!」
「そーだぞ……、そんな事よりヤキトリ」
「ヤキトリ食べてる場合じゃ無いじゃん! いつもポテチ食べて寝っ転がってるだけじゃん、仕事は! 仕事はどうしたの!」
ずっと一緒にいたが、ギルベルトが領主らしい仕事をしている所を見た事が無い。
「ギルベルト様に領主らしい仕事が出来ると思いますか? 日頃は私が代行しております」
「たっ確かに……」
出来ない、出来る訳が無い。君子は深く、深く納得した。
「ねぇギル、この村の人橋が無くて困ってるんだって、造ってあげなよ」
「あ~橋?」
ギルはとりかわを食べながら、しばらく考える。
周囲に焼き鳥を咀嚼する音だけが響いた後――。
「いいんじゃねぇの?」
あまりにも軽く答える物だから、それを聞いていた君子も、村の人々もとても驚いた様子だった。
「ぎっギル、本当に良いの?」
「あぁいいぞ」
せせりを手に取りながら、ギルベルトはそう答えた。
簡単に答える物だから、聞いた君子本人も驚いている。
「ヴィルム、出来んだろう」
「可能です、本来はその為の資金をギルベルト様が壊した城の修繕に当てておりましたが、現在はギルベルト様が破壊活動を御控えになっておりますので、今年の予算で造れます」
「けけっ、俺のお陰だな!」
そもそもギルベルトが不必要にマグニ城の壁やらなんやらを壊さなければ、このマグニ領だってもっと整備されているはずなのだ。
肝心の領主はその事をちっとも分かっていなかった。
「本当に、橋を造って頂けるのですか、殿下……」
「別にいーぞ……ただし俺の城にコレを持ってこい」
そう言って、食べ終わった焼き鳥の串で、ギルベルトは並べられた御馳走を指す。
「……この村の特産、と言う事ですか」
「おう俺のとこに持ってこい、コレが橋を造る条件だ」
「そうですね、コメやら肉やら『酒』をマグニの城に持ってくるなら、相応の値で買いましょう、その代わり人員はそちら持ちで」
ヴィルムが付け足す様に言った、一単語物凄く力を入れて言った言葉があったが、村人としては願ったり叶ったりだ。
「最高の品を殿下の元へお届けいたします」
そう大和とエイリが深々と頭を下げると、村人達も頭を下げた。
感謝の念を抱いてその様にしているのだが、ギルベルトとしては感謝と平伏よりも食事の方が大切だ。
「頭下げてねぇで、ヤキトリおかわり持ってこいよな!」
「ついでに酒も……」
「私はオモチをお願いします」
「ユウ、アンコ~」
「ラン、キナコ~」
すっかり日本食に夢中な五人を見て、君子はなんだか嬉しくなった。
故郷の味を認めて貰うのは、本当に嬉しい事だ。
「何笑ってんだ、キーコ?」
「……えへへっ、何でもないよ」
スラりんにお餅を与えると、自分も焼き鳥を食べ始めた。
不思議そうに首を傾げるギルベルトをよそに、君子は故郷の味を心行くまで堪能するのだった。
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「ぷは~~……たっ食べ過ぎた」
君子は畳に横になりながら膨らんだお腹をさする。
久しぶりの日本食は満腹中枢を麻痺させてしまったのか、限界を超えて食べてしまい歩く事もままならない。
「キーコ本当に食べたもんね、今日はもう帰れそうにないわね」
「ヤマト殿に頼んで、今日はこの家に宿泊させて貰える事になりました」
「おとまり?」
「とまるの!」
部屋をかけずり回って喜ぶ双子、まるで修学旅行にでも来た様な騒がしさだ。
ギルベルトもこの村の鶏を根絶やしにするのではないかというぐらい、焼き鳥を食べて満足した様だ。
「失礼いたします、こちら寝間着をお持ちいたしました」
「わ~、浴衣!」
エイリが秋らしい色合いの浴衣が六着持って来てくれた。
君子には懐かしくなじみある物だが、他の五人には物珍しく感じたのか興味深そうに見ている。
「当村には温泉が御座います、よろしければ是非ご堪能下さい」
「温泉!」
「屋外でございまして、この時間は星空が綺麗に見えます」
「露天!」
それは入るしかない。
異世界に来てから肩までお湯に浸かれていないので、温泉大好き日本人としては、肩までゆったりと浸かりたい。
「アンネさん一緒に入りましょう!」
「えぇっ駄目よ! キーコと一緒になんて入れないわ!」
「…………ごっ、ごめんなさい、私みたいな奴と一緒のお湯に浸かりたくなんてないですよね……、モブの癖に粋がってごめんなさい」
そんなつもりはなく、主人と使用人の関係からその様に答えたのだが、君子のモブ的価値観はそうは捉えない。
項垂れ今にも泣いてしまいそうな彼女を見て、アンネは降参する。
「分かったわ……一緒に入りましょう」
「ユウもはいる~」
「ランもはいる~」
「うん入ろうね!」
ユウは男の子なのだが、子供という事で免除された。
混浴は一体何歳まで大丈夫なのかは知らないが、君子もアンネも気にしないので四人で向かう。
「二人はどうします、やっぱり一番風呂の方が良いですか?」
「俺、風呂きれぇだ」
「私は氷の魔人なので……あまり熱いお湯は得意ではありませんから結構です」
「じゃあ、お先にお風呂頂きますね~」
遠慮なく露天風呂へと向かった四人、アンネも双子も温泉は初めての様で楽しそうに案内されるがまま向かった。
すると縁側で煙管を吸っている大和に出会った。
「大和さん、部屋を貸していただいて有難うございます」
「いえいえ、大して広くは御座いませんが、好きにお使い下さい」
「……こんな所で寒くないですか、今日は少し冷えますけど」
「そうですねぇ、でも今日は心地よくてどうしても寝付けないんですよ」
震える手で煙管を吸う大和、一〇〇も生きていれば当然なのだが、君子は少し心配になり、『複製』で毛布を出すとそれをかけてあげた。
「コレは……どうも有難う」
「良いんですよ」
アンネと双子が少し玄関先で待っている、早く行かねばならないのだが、君子にはどうしても尋ねておきたい事があった。
「あの……大和さん」
「はい、何でしょう」
「…………やっぱり、その……こっちに来たの、後悔してますか?」
八〇年、ずっとここにいたのはどういう心境なのか君子には想像できない。
帰り方など分からない、それでも聞きたかった、同じ異邦人として――。
「…………君子さん、儂が若い頃の日本は、そりゃもう戦争だ戦争だって言って、闘ってばかりおりました、その中で儂がやっていた研究は要らん事だ、そんな事をしているなら戦地へ行けと家族にまで言われました」
あの戦争、七〇年以上後の現代日本に生きる君子にとっては、知識として知っているだけで、実感はない。
それでも凄惨な出来事だったと言う事は知っている。
その時代に生きた人の言葉は、今君子の胸に重く響く。
「儂は、傍でひもじいと苦しむ人達を見ておれんかった……その人達を腹いっぱいにさせてやりたい、その一心じゃった……でも、残ったのは何も無かった……儂が腹いっぱいにさせたかった家族も友達も、な~んも残らず焼け野原になった」
「……空襲」
大和は頷くと、どこか遠い所を見ながらその続きを口にする。
「それから日の進み方も分からんくなって……どれくらいか経った時、急に戦争は終わった、そう聞かされた…………でも儂の前にはなんもない焼け野原しか無くてなぁ、誰もいない、皆いなくなったこの国でどう生きて行けばいいんだと、なんもかんも嫌になって……気が付いたらこっちにおりました」
思った以上に暗い話になってしまった。
何となく気になったから尋ねる様な話では無かったと、今更後悔する。
「ごっごめんなさい、なんか辛い話にさせてしまって……」
「良いんですよ……こっちに来て儂はこの村の人達が故郷と同じ様に飢えに苦しんでいるのを知って、少しでも農業で力になれればと全力を尽くしてきました、新たな友も得てかけがえのない人も出来、こんな歳になるまで生きてきましたが…………後悔は有りません、むしろこれほどの村を造れた事は誇りです、この村は儂の生き甲斐でした」
大和はそう言って、村を見渡している。
八〇年、この村の為に出来る事はと思いやって来た、その集大成が今だ。
「それに儂は全く一人だった訳ではありません、同胞が二人おりましたし、この村の人々は歓迎してくれました……故郷が恋しくないと言えば嘘になります、あの焼け野原を復興させたかったのは本当の気持ちです、しかしこの村が全く嫌という訳ではない、むしろここは儂の第二の故郷と言えるんですよ」
大和はそう言って歳の分だけしわが刻まれた顔に頬笑みを浮かべる。
「君子さん、貴方がこの世界でどう生きるのかは分かりません、もしかしたら日本に帰れるかもしれませんし帰れないかもしれない……でも後悔をする様な生き方をしてはいけない、自分を欺いてはいけない、辛かったら辛いと言ってしまいなさい、それがどこの世を渡るのに必要な、一番大切な事ですよ」
「……はい、胸に刻んで置きます」
大切な先人の言葉、しっかりと覚えた。
「最後に会えたのが、貴方の様な日本人でよかった」
「なに言ってるんですか大和さん、まだまだお元気なんですから、そんな事言わないで下さい」
そう言って笑い合う。
そんな二人の姿を、宝石箱の様に美しい星空だけが見下ろしていた。
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「あ~~暇だなぁ、キーコおせぇんだよ」
「ギルベルト様、その様に寝っ転がるのははしたないのでおやめ下さい」
畳の部屋をゴロゴロと移動するギルベルトを注意しながらも、ヴィルムは改めてこの村について思う。
(……この村は田舎だが分野においては帝都にも負けないほどの技術を持っている、特に農法、アレがこの国全土に広がれば飢饉の心配はなくなるのではないだろうか?)
この村がこれほどの技術があるのだ、もしかすると君子や大和の故郷と言うのは物凄く発展している可能性がある。
(この村がマグニ領に有ったのは幸運だ、使い方によってはギルベルト様の今後の地位向上に役立つかもしれない……)
とりあえず今は交易を持っていて損はないだろう。
それにあの酒はなかなか良い。
「殿下、失礼いたします」
声がすると襖が開かれ、足を引きずりながら大和がやって来た。
「この様な狭い部屋しか用意できず申し訳御座いません」
「別に良いぞ、キーコとも同じ部屋だしな!」
実は襖を閉めれば二部屋になるのだが、ギルベルトはその事を知らない。
しかし文化は違くとも居心地は悪くない、今の所不満は無い。
「にしてもおめぇ随分年寄りだな、俺こんな爺初めて見たぜ!」
「ははっ……しかし殿下、儂は貴方よりもずっと歳下ですよ」
「えっ?」
「儂は一〇〇歳になりました、儂はこの村の半数よりも年下で、誰よりも老いている」
妙な胸騒ぎがした。
君子はあの外見で一七歳だと言った、ずっと歳下に見えるドワーフの双子は五〇で、半魔人のアンネは殆ど変わらないのに九〇だ。
種族によって成長の仕方が違う、そんな事当たり前の事。
驚愕する二人を前にして、真剣に冷静な口調で答えた。
「異邦人の寿命は、この世界の誰よりも短いんですよ」
成長の仕方が違うのは、種族によって寿命が違うから。
寿命が長い種ほど成長が遅いと言う事は――寿命が短い種ほど成長が速いのだ。
「……まさか、そんな」
考えた事もない、この世界で一番寿命が短いのは人間だ。
それでも平均して二〇〇年は生きる、二〇〇年だって魔人にはあっという間の時間だ。
そんな人間よりも、異邦人は短いと言うのか――。
「きっ、キーコは、キーコは違うよな?」
ギルベルトは戸惑いながらそう言った、半ば願う様に、こんな嫌な事を否定して欲しくてそう尋ねたのだが、大和は首を横に振る。
「後三年もすれば、君子さんは殿下に追いついて、五年もすれば貴方を追い越し、一〇年経てば話が合わなくなり、二〇年もすれば貴方の母親の様な歳になる……そして五〇年も経てば貴方の様な孫がいても可笑しくない歳になる」
今は君子が子供だからギルベルトと話が合うし、並んでいても不思議はない。
しかしそれは所詮一時の物、いずれギルベルトを追い越していき、大人になっていく。
そうなれば彼とは話が合わなくなり、歳を取って、いずれは親子と間違われる様になる。
寿命と成長の仕方が違うと言うのはそう言う事なのだ、隣にいるはずなのに、同じ時間を生きられない。
「そして貴方が瞬きする様な時間で、死んでいく――」
ギルベルトは大和の胸倉を掴んだ。
そのまま殴り飛ばしてしまいそうな勢いがあり、ヴィルムが急いで止めに入ろうとすると、ギルベルトはひねり出した様な小さな声を出す。
「……もうキーコに怪我なんかさせねぇ俺が絶対に守る……それならキーコ死なねぇよな? なぁ?」
怒っているのではない、怖がっているのだ。
君子が自分の歳を追い抜く事を、君子が圧倒的な短さで死んでしまう事を――。
しかし、彼の言葉を肯定する事は、誰にも出来ない。
その事実は誰にも変えられない。
「コレは変えられないですよ、どうやっても彼女は貴方よりも先に死ぬ」
つきつけられた否定の言葉、それはギルベルトの心に残酷な事実となって突きささる。
胸倉を掴む事もままならないくらい動揺していた。
「殿下……彼女を愛しているなら止めた方がいい、最後に傷つくのは貴方ですよ」
乱れた襟元を正しながら大和はそう言った。
ギルベルトよりも七〇も年下なのに、彼の表情は悟りを開いた聖人の様な顔をしている。
「我々と貴方方では、違いすぎる時間の流れがあるのです……」
「でもっ……俺はキーコが――」
「私がどうかしたの?」
声を遮ったのは、温泉から帰って来た君子達だった。
もみじがあしらわれた浴衣を着ていて、おさげは解かれてまだしっとりと濡れている。
「大和さん、温泉久しぶりで気持ち良かったです~」
肩まで浸かって大満足の君子が、その場の緊張感など知るはずがない。
ギルベルトは湯上りの彼女を抱きしめた。
「うえっ、なっどうしたのギル!」
突然の事で驚き戸惑うが、ギルベルトはその理由を話してはくれない。
むしろ湯上りで髪が濡れているのに、頬をすりよせて来た。
「ぎっギル~、どうしたの~~」
困惑する君子を見て、大和は口元に笑みを浮かべると、皆にお辞儀をして部屋を後にした。
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「先生」
「……ああエイリですか」
家の外に出るとエイリがいて、大和に肩を貸す。
「今日は貴方の家に泊めて下さい」
「はい、先生」
近所にあるエイリの家に向かう。
彼女が布団を敷いて、寒くない様に大和に毛布と掛け布団をかけてやる。
「先生、火鉢は要りますか?」
「大丈夫ですよ」
「そうですか、私は隣の部屋にいますから、何かあったら呼んで下さい」
丁寧にお辞儀をして部屋に部屋を出て行こうとしたエイリに、大和が言葉をかけた。
「エイリ」
「……はい、何でしょう」
「儂は、貴方と同じ時間に生きてはあげられなかったけれど……貴方の事を本当に愛していましたよ」
エイリはそれを聞いて驚いた様子だったが、直ぐに口元に笑みを浮かべる。
「私は今も貴方を愛しています……例え、貴方と同じ様に歳はとれなくとも、貴方だけを愛し続けています、ヤマト」
「……ありがとう、エイリ」
エイリは、自分を追い抜いて行ってしまった愛する人の頬に、そっと口づけをした。
かつて互いが互いを愛せる時代だった時の様に――。
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「ふぁ~……朝だ」
今日はやけに早く起きてしまった。
久しぶりの布団だったからゆっくり眠りたかったのだが、眼がぱっちりとさえている。
(温泉にゆっくり浸かったから寝付きが良かったのかな?)
昨夜はギルベルトが可笑しくて、なかなか離してくれず大変だった。
まだアンネも眠っている様だし、自分ももう一眠りしようと布団に潜った時だ。
外が何やら騒がしい、沢山の人が行きかう足音と何か話声が聞こえる。
「ん~~……なぁにぃ、こんな朝早く」
アンネは大欠伸をしながら起きて、隣で眠るランもまだうつらうつらだが起きた。
「何かあったみたいですね……ちょっと様子を見てきます」
布団から飛び出すと、君子は玄関で靴を履き一軒の家の前にいる群衆へと近づいた。
中の様子をうかがう者、茫然と立ち尽くす者、泣いている者様々で、一体何があったと言うのだろう。
君子は近くにいた人に尋ねた。
「あの……何かあったんですか?」
尋ねられた男性は、しばらく経ってから、涙を堪えながら答えてくれた。
「……村長さんが」
六畳ほどの部屋、そこの布団の上に大和が横たわっている。
そんな彼にしがみつきながら、エイリが泣いていた。
子供の様な大きな声で、悲しそうに泣いている。
「…………大和さん」
傍へと寄ると、今にも目覚めそうなくらい安らかな顔で、大和は眠っている。
もう目覚めない事は分かっているのに――。
「ヤマトぉ……ヤマトぉ」
泣いているのはエイリだけではない、部屋にいる村の人々も涙を流していて、なかには立っている事さえもままならない人もいた。
「…………昨日まで元気だったのに」
今思えば、彼はこの事を自分で悟っていたのかもしれない。
だから最後にあんな事を言っていたのだろう。
「…………あの、お願いがあるんです」
村人の一人が、目尻にたまった涙を拭いながら話しかけて来た。
「これから村長さんを送って上げたいんです、だから彼の故郷のやり方を教えて欲しい……出来るだけ故郷に似せてあげたいから」
故郷に送り届ける事なんて出来ない、この村で弔わなければならないのだ。
だから大和の故郷、日本に近いやり方で送って上げたいという、村人達のせめてもの気持ちだった。
君子は安らかな顔の大和を見つめると、ゆっくりと頷いた。
「私でよければ、なんでもお手伝いします」
ヴェルハルガルドでは、火葬ではなく土葬が一般的だ。
コレは宗教的な問題ではなく、日本の様に火葬出来る設備が無いので、昔の様に土葬するしかない。
更に、仏教の僧侶やキリスト教の神父や牧師に当たる存在はいないらしく、葬儀にその様な宗教は一切かかわらないらしい。
遺体を棺に納め、埋葬して終わると言う、どこかさびしい物だ。
だから、死に装束に近い真っ白な着物を用意して貰い、数珠や焼香は流石に用意出来なかったので、代わりに村人には白い菊を一輪ずつ納棺して貰う。
ギルベルトやヴィルム達も、突然の訃報に驚きを隠せない様子だ。
特にギルベルトは棺に納められた大和を、ただ茫然と見下ろしていた。
「……死んだ、のか? 昨日まで、普通に元気だったんだぞ」
戦地ならいざ知れず、長命な魔人にはこんなにも急すぎる死と言うのは考えられない。
だからギルベルトが葬儀に出るのはコレが初めての事で、こうやって故人を埋める事も、こんなにも簡単に人が死んでしまう事も、全く知らない事だった。
「ギルも大和さんにお花をあげて」
ギルベルトは、戸惑いながらも花を受け取ると、見よう見まねで棺へと入れた。
「……キーコ、それは?」
「六文銭です、私の国では死んだ人はこの世から三途の川という大河を渡って、あの世に行くんですけど、その河を渡る時にお金が無いと身ぐるみを剥がされるっていう伝承があるんです、だからこうやってお金を持たせてあげるんです」
『複製』で造った六文銭が、あの世でも使えるかどうかは分からない。
ヴィルムにアンネ、そして双子達も献花をする。
「……ヤマト」
エイリは献花が出来ない。
花を入れたら大和を埋めてしまう、頭では分かっていても心の整理がつかない。
「エイリさん、大和さんはこの村に来た事を後悔していないって言ってました、この村の為に自分がやって来た事を誇りに思ってるって、この村は第二の故郷だって……だから、皆で送ってあげましょう」
君子がそっとエイリにそっと寄り添うと、ゆっくりと心の整理をして花を収めた。
すると、また涙があふれて来て声をあげて泣いてしまう。
他の村人達も泣いていて、皆彼の死を惜しんでいた。
棺に蓋がされて、墓穴へと入れられ土が被せられていくと、皆手を合わせて黙とうを始めた。
「…………」
埋められていく棺をギルベルトは黙って見ていた。
ただ茫然と、それを眺める事しか出来なかった。
「なんか、色々すいませんご迷惑をかけてしまって」
「いや、村長も同郷の人に会えて嬉しかったと思う……葬儀の手伝いまでさせてしまって、本当になにからなにまで世話になって、何と礼をすればいいのか……」
村人達はそう言って深々と頭を下げてくれた、君子は後方を見つめる。
お礼として頂いた特産物の数々を、三頭のワイバーンに詰めるだけ積みこんだ。
「本当に、お礼はもう十分ですよ」
これ以上は受け取れない、君子は村人達に負けないくらい深々と頭を下げると、ワイバーンへと乗った。
「どうもありがとうございました!」
見送ってくれている村人達へ、出来るだけ大きく手を振った。
ギルベルトが手綱を引くと、ワイバーンは空へと舞い上がり、村はあっと言う間に小さくなって行く。
(後悔しない生き方、か……)
先人から貰った言葉を、君子は胸に深く刻み込んだ。
そして真赤な夕焼けを見ながら、心からの冥福を祈る。
ワイバーンは陽に染まった空の中へと、吸い込まれる様に消えて行くのだった。




