第二一話 日本食は世界一ィィィ――――!
はたしておにぎりかおむすびか……。
君子がマグニ城にやって来て、実に二ヶ月がたった。
季節は夏から秋に代わり、所々色付いて来た頃。
カーティガンで騙し騙しやって来た夏服にも限界がやって来て、冬服に衣替えをした。
「……おぉ、今日で一七歳だ」
そう異世界に来て三ヶ月が経過して、とうとう誕生日を迎えたのだ。
『複製』で造った手帳で、毎日印を付けて来た甲斐もあると言う物。
(といっても、日本が同じ時間の流れとは限らないんだよなぁ……でも季節とかは日本にいた時と合致するし、そんなに違和感はないかも)
君子がこっちの世界に来たのは夏、そしてこっちの季節も夏。
一年が何ヶ月あるのか知らないが、今の所違和感もないしとりあえずこのまま日本標準の時間感覚で行こうと思っている。
「キーコなんだか嬉しそうね」
「えへへっ、実は今日誕生日なんです!」
「そうなのっ! なんでもっと早く言ってくれないのよぉ、プレゼント用意したのにぃ!」
「うえっ……だってそれ催促するみたいじゃないですか……」
「まあ良いわ、誕生日おめでとうキーコ」
とは言え、こうやって人に言って貰えるのは嬉しい。
「そう言えばキーコいくつになったの? 二九くらい?」
「ふえぇっ!」
まさかのアラサーに間違えられるなんて思いもしなかった。
制服を着ているし、学生として一〇代アピールはずっとして来たつもりだった、しかし少女としてのきゃぴきゃぴ感がなかったのかもしれない。
「…………ごっごめんな、さい、じゅ一七歳……です」
「えっ……えええええええええっ! じゅ一七、うっ嘘でしょう!」
やはり若々しさが足りなかったのだ、だから実年齢より一〇以上年上に見られてしまったのだ。
「だっだって……一七歳って言ったら、ユウとランより小さいじゃない!」
「えっ……ええええええええっ!」
「キーコが一七歳……驚きましたね」
ヴィルムは本当に驚いている様子だった。
聞いて驚いたのだが、この世界の住人の歳のとり方は元いた世界とは大分異なる様だ。
「ちなみにこの城で一番若いのは双子で、今年で確か五〇歳よ」
「ごっ五〇!」
「ちなみに私は九〇歳、ベアッグさんは二五七歳で、ブルスさんは三四二歳よ」
「きゅきゅうじゅっ……さっさんびゃっ」
「人間でも平均で二〇〇年、長ければ四〇〇年ほど生きます、獣人は様々ですが六〇〇~八〇〇、長ければ一〇〇〇を超えます……魔人も様々で平均して八〇〇~一〇〇〇、長ければ三〇〇〇年を超える事もざらです」
「さっさぜんねん……」
もう桁が違いすぎて実感がない。
どうやら寿命が長い分、成長と老化のスピードが遅い様だ。
(そう言えば、シャーグさんも歳の割に若い気がしたけどこういう事だったんだ……そっか、漫画や小説みたいに成人したら成長が止まるって言う訳じゃないんだ)
となると、この世界では自分はかなり歳下になってしまうのだろう。
思わぬ所でとんだ常識の違いを見せつけられた。
「アレ……じゃあギルはいくつなの?」
「あ? 一七〇だぞ」
自分の一〇倍も生きている、外見は青年といった感じで中身は子供っぽく、あまり歳など気にした事がなかった。
「ヴィルムはもっと生きてるぞ、なぁ?」
「今年で四九七になりました」
「よっよんひゃくぅぅぅ!」
ほぼ五〇〇、アラウンドファイブハンドレッド、こう考えると自分は物凄く年上の人達に囲まれていたのだ。
知らなかったとはいえ、今までとんだ非礼をしていた。
「うっうう……これからは歳下として態度を改めますぅ……」
「その必要はありません、種族によって成長の仕方が異なるので貴方が一七歳で例えランやユウよりも歳下であっても、彼らよりも貴方の能力が勝っていれば貴方の方が上の地位、つまり大人、として扱われるのです」
同じ歳でも、人間は成人したての若者だが魔人ではしゃべる事もままならない子供という事だってザラにある、ゆえにベルカリュースでは、年齢というのは大して意味がない。
どちらかというと外見に頼っているのだ。
「はっじゃっじゃあまさかスラりんも私より年上なんじゃ……」
「スライムの年齢は分かりかねます」
「歳の話も大事ですけど、朝食にしましょう、ご飯が冷めちゃいます」
アンネがそう言って朝食を積んだカートを持って来た。
「あっ……朝ご飯か、ははっ」
テーブルに並べられたのは、生クリームをたっぷり使った葉野菜のポタージュ、濃厚なソースで柔らかく煮込んだ肉料理、そしてカスタードをふんだんに使ったデザートのミルフィーユ。
秋だからなのか食べ物が美味しくなって、食欲も旺盛になるのだが――。
「……ごちそうさまです」
「えっキーコもう食べないの!」
君子はフォークとナイフを置いた。
お皿にはポタージュにパンが半分も残っていて、メインの肉料理は一口食べて終わりで、デザートなど手も付けていない。
これでは殆ど食べていないのと同じである。
「ちょっと食欲がなくて……」
「大丈夫、具合が悪いの?」
「いえ、そう言う訳じゃないんですけど……ベアッグさんに私のご飯はもっと減らして下さいって言っておいて貰えますか」
そう言うと君子は立ち上がって、部屋から出て行こうとする。
「ちょっとキーコ、お茶は?」
「今日はいいです……ちょっと部屋に帰ります、直ぐに戻ってきますね」
そう言って自室へ戻ってしまった、こんな事は初めてだ。
「どうしたのでしょうね……この頃食事を残しているとは思っていましたが……」
「紅茶も飲まないなんて変ですよ」
「秋は普通、食の欲が旺盛になる時期なのですがね……」
そう言ってヴィルムはギルベルトへと視線を向ける。
相変わらず食事の作法がめちゃくちゃで王子として下品極まりない、更に君子が残した肉料理とデザートも平らげて、殆ど二人分食べてしまった。
「たんねぇよ……ポテチ山盛りで持ってこいよな!」
これほど食べてまだ食べるつもりなのだろうか、本当に旺盛すぎると言うのも困り物だ。
「ふぁ~あ」
君子はスラりんを枕元へ置くと、ベッドに飛び込む。
ふかふかのベッドで横になりながら、ふとため息をつく。
「また、残しちゃった……」
本当は出されたご飯を残したくなんてないのだが、どうしても食べられないのだ。
体の調子が悪い訳でも病気ではない、その理由は――。
「……洋食、飽きたぁ」
日本ではど庶民だった君子、フルコースなんて年に一回食べられれば良い方で、洋食というのは本来御馳走という認識だ。
しかしハルドラでの生活も含めて、この三ヶ月間洋食しか口にしていない。
「もう無理……ご飯食べたいよ~、納豆食べたいよ~、味噌汁飲みたいよぉ~~」
君子の中の日本人が和食を欲して警鐘を鳴らしている。
しかしここは異世界、それとなく尋ねたがこのヴェルハルガルドではお米を食べる文化が無く、食用には向かない原種の稲しか存在しないらしい。
つまりここでは、和食は食べられないのである。
「ううぅ、とは言え私はここで養われている身の上、ご飯に文句を付けるなんて出来ない」
ベアッグの料理がまずい訳ではない、ただ故郷の味が恋しくて仕方がないのだ。
食文化の違いという物がこんな所で弊害になるなど、思いもしなかった。
大きなため息をつく君子、もう生クリームやこってりソースの匂いをかぐのも嫌だ。
すると手にスラりんがすり寄って来た(様に見える)。
「スラりん、励ましてくれるんだね……有難う」
丸いスライムを撫でながら、君子はふと思う。
「あぁ……おむすび、食べたいなぁ」
************************************************************
「キーコ、また残したのか……」
ベアッグは残念そうにうなだれながら言った。
今日のご飯は気合を入れたのだが、どうやらダメだった様だ。
「病気じゃないみたいなんですけど、食欲がないみたいで……」
「俺はメシを作る事しか能がねぇんだ、どうにかしてやりたいんだけどなぁ」
「……それとなく聞いても理由を話してくれないんですよ」
溜め息をつく二人、すると勝手場の木戸がノックされて、魔人の男が入って来た。
「毎度ど~もベアッグの旦那、ご注文の品をお届けにあがりやした」
「おう問屋の、いつもどうもな」
「随分辛気臭い話してるんすね、なんかあったんすか?」
「いや……実は俺が造ったメシを残されちまってな……」
「へぇ王子様相手も大変ですねぇ」
「違う、異邦人の女の子だ……食が細くなるばかりでなぁ、どうしたもんか……」
料理人として自信が無くなってしまう。
ため息をつくベアッグに問屋の男は、予想しなかった言葉を言った。
「そう言えば、俺もこの間異邦人見かけましたぜ! 意外とどこにでもいるんすね!」
************************************************************
「えええっ、私以外の異邦人がいるぅ!」
問屋の話を聞いてアンネは急いで君子の元へと向かった。
この世界に来て三ヵ月、別の異邦人の情報が手に入るなんて思いもしなかった。
「どっどんな人ですか! 何歳くらいですか! どこにいるんですか!」
「えっとぉ、マルヌスの森を抜けたメルヌ村って所で、歳は、青年って言ってたからキーコより上だと思う……あっそれに、キーコと同じ黒髪の黒眼らしいわよ!」
黒髪の黒眼、それはもしかすると――。
「日本人……」
断定するのは早いかもしれない、黒髪黒眼ならアジア全般に広く分布しているし、他の国にだっていない訳でもない、でもそれでも会ってみたい。
他の異邦人に会って話をしてみたかった。
「私……その人に会ってみたい、お話してみたい!」
「キーコ……」
そういつになく彼女の言葉には強さがあった。
普段は物を欲しがらず、わがままもあまり言わないのに――コレは本当に会いたい証だ。
「でも……王子が良いって言うかしら?」
「あ……そ~だった」
刻印があるのをすっかり忘れていた。
今の君子はギルベルトの了承がないと、どこにも行けないのだ。
「ギル、許してくれるかな……」
「……精いっぱい頼んでみましょう」
アンネにそう言われて、ため息をつく君子。
果たしてあの傍若無人のギルベルトが、首を縦に振ってくれるだろうか。
「てっ言う訳で……お願い、その異邦人に会ってみたいの!」
とりあえず頭を下げて頼んでみた、これで駄目なら土下座、それで駄目ならエクストリーム土下座をするしか方法がない。
「マルヌスの森ですか……ギリギリマグニ領ですね」
「遠いんですか……?」
「徒歩なら七日、馬車なら三日といった所です」
七日も掛かってしまうなんて、やっぱり許してくれないだろうか、君子は顔をあげてギルベルトを見ると――。
「んじゃワイバーンで行くか、直ぐだろう?」
「そうですね、一時間と少しくらいでしょう」
「えっ……いいのぉ!」
あっさりと決まってしまった。
ワイバーンがどれくらいの速度が出るのか分からないが、馬車で三日掛かる所を一時間と少しくらいで行けるなんて、流石は竜だ。
「ギルも行くんだね……」
「あン、あたりめぇだろう?」
許可を貰えれば後は歩いて行くつもりだったが、当たり前の様にギルベルトとヴィルム、そしてアンネが同行する事になった。
そこからはとんとん拍子で話が進み、アンネは三頭のワイバーンを竜舎から出す。
灰色の鱗と紅い鱗の中型ワイバーンが二頭。
そして緑色の鱗の小型ワイバーンが一頭の計三頭である。
「……このワイバーン、ギルのだよね?」
確かハルデの泉で、ギルベルトに連れ去られた時に乗せられたワイバーンだ。
あの時はパニックを起こしていて、よく見る事が出来なかったが、冷静に考えると眼の前に竜がいると言うのは凄い事だ。
「噛みつかない?」
「俺が命令しなけりゃな、でも喉は触んなよ、逆鱗あっから」
君子は恐る恐る額に手を伸ばす、鞍と手綱が付いているとはいえども竜、その威圧感はすさまじい。
ゆっくり額に手を当てると、石よりもずっと堅い手触りが伝わってくる。
ワイバーンは気持ちいいのか、眼を閉じて大人しくしていた。
「えへへっ……かわいい」
「そろそろ出かけますよ」
ヴィルムがそう言ってワイバーンに跨ろうとした時だ――。
「お出かけするの?」
「するのお出かけ?」
ユウとランがいつの間にかやって来て、ヴィルムのワイバーンにしがみついている。
一体いつやって来たのだろうか。
「こらっユウにラン、邪魔するなっての!」
「お出かけユウも行く」
「ランもお出かけ行く」
楽しそうな事を双子が見逃す訳がなかった。
ヴィルムは小さくため息をつくと、断固として付いて行くつもりの双子を見る。
「ではユウは私が、ランはアンネが、それぞれ乗せて行く事にしましょう」
「もう、騒がしくしたら置いてくからね!」
「ユウおとなしくするよ」
「ランおとなしくするよ」
双子はそれぞれワイバーンに乗ると、楽しそうにはしゃいでいる。
結局六人で向かう事になった、なかなか楽しい道中になりそうだ。
「んじゃ、行くぞキーコ」
「えっうっうん!」
先に乗ったギルベルトに手を差し出されて、ワイバーンへと跨る。
思えばハルデの時は怖くて空の旅を楽しむ余裕が無かったが、今は違う、竜に乗って空の旅が出来る喜びでいっぱいだ。
「行くぞっ!」
ギルベルトが手綱を引くと、ワイバーンは大きな翼を広げはたばきだした。
数回翼で空をかくと、ふわっと浮き始めて更に飛び上がった。
あっという間に高く飛び、マグニの城が豆粒ほどの大きさになる。
「ふぁ~~っ」
飛行機とは違って、肌で風を感じられるし、何より解放感が凄い。
まるで自分で空を飛んでいる様な、そんな錯覚が起こるほどだ。
「凄い……凄いね、ギル!」
「あ、そうか?」
「うん、だって空を飛んでるんだよ! 夢みたいだよ」
喜びはしゃぐ君子、そんな彼女を見ているとこっちまで嬉しくなって来て、だからもっとその顔を見たいと、そう強く思った。
「けけっ、じゃあもっとスピード出すか!」
「えっ、えっちょっとま――っ」
君子の意思など関係無く、ワイバーンはスピードを上げた。
************************************************************
「すご~~い」
「うわ~……あれ大丈夫でしょうか」
アンネは、アクロバット飛行をするワイバーンを見ながら言った。
「まぁ……ギルベルト様は大丈夫でしょう」
彼を一人で先行させるのはまずい、何か騒動を起こす前に止めなければならない。
と言った物の灰色の鱗のワイバーンは、ヴィルムとアンネが乗っている物より足が速い。
「アンネ、我々もスピードを上げます、ギルベルト様一人ではなにをするか分からない」
「はっはい」
おそらく追いつく事は出来ないだろうが、二人もその後を追うのだった。
************************************************************
「けけっ、楽しいなぁ!」
「ふぁっ……ふぁ~、しっ死ぬかと思った」
まさかインサイドループからのアウトサイドループをするなんて夢にも思わなかった、軽く寿命が縮む所だった。
抱きしめていたスラりんも危うく落ちる所だったし、とんでもない眼にあった物だ。
「……あれ、畑?」
森を抜けると、平地一面に畑の様な物が広がっているのが見える。
小さすぎてあまりよく見えないが、今は何もつくっていないのか作物はない様だ。
(こっちの畑の基本は分かんないけど……なんかハルデにいた時に見た畑はもっと形が適当で、あんなに綺麗な四角じゃなかった気がするんだけどな……)
こっちの基本は分からないが、上から見たかんじだと道に沿って、綺麗に整地されている様に見えた。
「あっ……アレ!」
言われた通り森が見えて来た、人工の物と思われる木製の櫓あった。
どうやらあそこが目的地、異邦人がいる村らしい。
「降りるぞ!」
「どっどこに――ってわぁ!」
ワイバーンは突然降下を始めて、目的の村へと向かう。
驚きはその速度、殆ど墜落と変わらない。
そしてそのまま木製の柵の内側、村の入り口の広場へと降りて行く。
「ひゃあああっ!」
ドシンと、凄い音と衝撃を立てて、ワイバーンは着陸した。
酷い着陸だ、きっと飛行機のパイロットの試験だったら落ちているはずだ。
「うう……、あ、れ?」
君子は眼前に広がる光景に眼を奪われた。
そこには木製の平屋がいくつもあるのだが問題はその構造、ハルデやマグニ城の様な西洋風の造りとは違い、どことなく懐かしさが漂う、和風の家々。
漆喰や瓦、それに引き戸、まるで田舎の古民家の様な家々が立ち並んでいる。
「こっこれって……日本?」
まるで江戸時代にでもタイムスリップしたかと錯覚させる様な装い、暮らした事など無いのに、その光景はどことなく懐かしさを誘う。
「だっ……誰だ、あんた達」
そう声をかけて来たのは、青髪青眼の三〇代くらいの人間の男性で、他にも男女数名がいて、明らかにこちらを警戒していた。
突然ワイバーンが空から降りてきたら誰だって驚くだろう、何とかこの警戒を解きたいのだが、何と言ったものだろうか。
「えっ、え~と私達は……」
「ぜっ、税金ならちゃんと納めたぞ……これ以上とられたら俺達やっていけねぇ」
「おっお役人様、後生ですからこれ以上の取り立てはおやめ下さい」
なぜか思いっきり勘違いされている、この見るからにわんぱく坊主と凡人という風貌の、ギルベルトと君子を見て、役人と勘違いするなんて吃驚だ。
君子が返答で悩んでいると、ヴィルムとアンネが追いついた。
「突然の訪問申し訳ない、この村の代表の者はいますか?」
尽かさずヴィルムがフォローに入る、すると村人達はザワザワとし始め、人間の女性がやって来た。
歳は三〇代後半か四〇代半ばくらい、白髪に赤色の眼をしている、しかし何よりも君子が驚いたのはその服だ。
(きっ着物だ!)
藍で染められた着物、麻で織られたその服は間違えなく日本式の服。
異世界でこんな物を見れるなんて、思いもしなかった。
「わたしが、この村の代表補佐を務めているエイリと申します……失礼ですが貴方方は?」
「この方はヴェルハルガルド国王子、ギルベルト=ヴィンツェンツ様であらせられる」
ヴィルムがそう言うと、彼女の村人もとても驚いた様子だった。
こんな田舎に王族が来るなど考えられない、村人達はギルベルトの正体を知ると、その場に平伏す。
すっかり忘れていたが、こうやって平伏されると王子だと言う事を再認識させられる。
「王族とはつゆ知らず……どうか非礼をお許しください王子殿下」
「こちらも突然来たのです、気にする必要はありません」
「……してなぜ王子殿下が、この様な所へおみ足をお運びに?」
「こっこの村に、異邦人の男の人がいるって聞いたんです!」
君子が声を張り上げて、その問いに答えた。
エイリは君子の姿を見て、少し驚きながらも了承した。
「…………そう言う事でしたら、こちらへ」
「あっはい……」
訳も聞かずに案内してくれた。
ギルベルトとヴィルム、そしてアンネとユウとランと共に、エイリの後に続く。
「……珍しい形の木造建造物ばかりですね」
「全てマルヌスの森より伐った物で御座います、香りがよく堅牢で耐久性に優れたロンヌの木を使っております」
ヴェルハルガルドでは煉瓦や石材を使った家が一般的で、此処まで木造の家は珍しい、皆一様に興味津々だった。
「こちらでございます」
そう言ってエイリは周りの家よりも、二回りほど大きな屋敷へ案内する。
引き戸の向こうには土間があり、一段上がった所に囲炉裏と畳の純和風空間が広がっていた。
(たっ、畳!)
君子は礼儀など忘れて、畳に触れた。
手触りも匂いも、全て日本にいた時に感じた物と同じだ。
「先生起きておられますか、お客様です!」
エイリが声をかなり張り上げる、しばらくしてようやく木戸が開いて誰かがやって来た。
「…………なんだい、エイリ~」
やって来たのは白髪の老人。
麻の着物を着てその上に半纏を羽織っている、随分な歳なのか顔や手に沢山のしわがあり、杖をつき足を引きずっていた。
老人は、見おぼえの無い人々がいる事に驚いた様子だが、その中で君子に眼を止めた。
「ほぉ……驚いた、お譲さんはどこの学生さんかい?」
「……えっ」
学生、セーラー服を見て高校生と分かるのは、同郷の者だけだ。
つまりこの人は――。
「儂も、日本人じゃよ」
懐かしい響きだ、三ヵ月聞く事のなかった言葉。
君子は高揚していた、同じ日本人との邂逅もあるが、この空間がまるで里帰りした様な懐かしさがあるせいだろう。
「あっ……はっはじめまして、わっ私は山田君子、歳は一七歳、日本の東京から来た高校生です! とっ突然おじゃまして申し訳ありませんでした」
日本人特有のぺこぺこをして挨拶をする君子。
エイリは、老人に耳打ちをして状況を説明する。
「何と……王子殿下で御座いましたか、コレはコレはこの様なお見苦しい恰好で、なに故もう歳で御座いまして、足が言う事を聞かぬので御座います……非礼をお許しください」
老人は足を庇いながら平伏する、どうやらこの世界の事情を知っている人の様だ。
「殿下をこの様な所にいさせる訳には参りません、どうぞ客間へとおあがり下さい」
「おう、あんがとな!」
そう言ってギルベルトは居間へと足を伸ばす――ブーツを履いたその足で。
「――っちぇすとぉ!」
君子は急いでチョップを食らわせる、全然痛くないのだが驚いている彼に息を荒げながら説明する。
「土足で畳に上がるなぁ! 靴を脱げぇ靴をぉ!」
「うえぇ、靴脱ぐのか!」
「脱ぐに決まってるでしょう畳なんだから!」
日本では常識だが、当然ヴェルハルガルドでは靴を脱ぐ文化は無い。
マグニの城でもずっと靴を履いているので、この日本独自の文化には驚いた様子だ。
「タタミ? この草のタイル様な奴ですか?」
「そうです、私の故郷ではこの上に座ったり寝たりするんで、靴を脱ぐんです」
日本がなぜ土足厳禁の文化になったのかは諸説あるが、多くは住宅の造りによる物だ。
高床式という、地面より高い場所に生活空間がある造りの為、靴を脱ぐという文化が自然と画一していったのだろう。
「靴を脱ぐなんて、変な感じね」
戸惑いながらも皆靴を脱ぐ、とはいえども脱ぐ事を想定していない服を着ているせいか、ヴィルムとギルベルトはちょっと不格好だ。
「こちらへどうぞ」
そう言ってエイリが案内してくれた。
客間と言うだけあって広い、八畳以上有りそうな部屋に通された。
もちろん王子であるギルベルトが上座である。
皆椅子も机も無い空間に驚いていたが、座布団に座るのだと教えると、おっかなびっくりで座った。
「この村の代表の様な物をしている杉原大和と申します、生まれは静岡、東京で農業に関する勉強をしておりました」
「杉原さんは、いつこっちに来たんですか?」
「大和でかまいません、そうですなぁ、今から八〇年以上前になりますなぁ」
「はっはちじゅ! えっ、大和さんいくつなんですか……?」
「おはずかしながら、去年百寿を迎えました」
「ひゃっ百寿! ……それは、おっおめでとうございます」
つまり一〇〇歳と言う事になる、高齢だとは思ったが、まさかそんなに生きているなんて、凄すぎる。
「となると……太平洋戦争の前にこっちに来られたんですね」
「いえ、少し異なっておりまして、どうもあちらの時間とこちらの時間はずれている様なのです、儂がこっち来たのは一九四五年の八月ですよ」
八〇年以上前だと一九三六年で、太平洋戦争前のはずだ。一九四五年だとまだ七〇年程度しか経っていない。
「あちらからこちらに来るのは、必ずしも同じ時間の中とは限らないようですよ、ですから儂は江戸時代の方と一緒にいた事もあります」
このベルカリュースに元いた世界から転移する時、どうやら時間は固定されていないらしい。
君子が二〇一六年にここに来たとしても、他の人は江戸時代や或いはずっと未来の日本からここに来る事があるのだ。
とんでもない話を聞いた物だ、つまり一口に異邦人と言っても、国だけではなく時代も様々で、同じ国同じ時代から来る人など天文学的な数字になる。
「そうだったんですか……、知らなかった……」
七〇年以上前の人とは言え、同じ日本人に会えたのは嬉しい事だ。
「それにしても、よくこの村が解りましたねぇ」
「問屋の方が、此処にわたしと同じ黒髪黒眼の青年がいるって教えてくれたんです」
「あぁ、では驚かれたでしょう……その方は数一〇年も昔にこの村に来たんでしょう、こちらの人は長生きですからねぇ、時間の感覚が我々とは違うんですよ」
そう笑いながら大和は言った。
「この村には、大和さん以外に異邦人はいないんですか……?」
「あと二人おりましたが、もう随分昔に亡くなりました」
「あっ……すいません」
なんて失礼な事を聞いてしまったのだろう、何か別に話題をふらなくては、と思っていたらエイリがお茶を持って来てくれた、紅茶ではなく湯呑に緑色の液体が入っている。
「こっ、コレっ、まっまさっか……」
大和は頬笑みを浮かべている、それを見て君子は口を付けた。
あの独特の苦みに青い匂い、そしてその後にやってくるちょっぴりの甘み、間違えないコレは緑茶だ。
「は~~、美味しい」
なんて心安らぐ味なのだろう、久しぶりの緑茶の味に君子は感激していたのだが――。
「うげっ、にっげぇ!」
ギルベルト達は酷い顔をしている、マグニでは紅茶ばかり飲んでいたので、緑茶はさぞ刺激的だろう。
「コレは……気付け薬の様な味ですね」
「ポンテ茶よりも苦いお茶はじめて飲んだわ」
「にがい~」
「まずい~」
子供のユウとランだけではなく、ヴィルムまで眉間にしわを寄せている。
「これ、砂糖とミルクは?」
「緑茶はこのまま飲むんですよ、飲み慣れると甘く感じますよ」
「……今初めてキーコに敗北感を抱きました」
緑茶を顔色変えずに飲む君子に、ヴィルムはそう言った。
「原料はなんですか、到底人が飲める物に思えないのですが」
「普段貴方方が飲んでいる紅茶と同じ物ですよ、コレは茶葉を発酵させずに高温で蒸して、殺菌した物ですよ」
「これ紅茶と同じなの……、うそぉ考えられない」
「……キーコの故郷は貧しいのですか、こんなまずい物を好んで飲むなんて……」
「文化の違いです、文化の違い!」
緑茶の美味しさが分からないなんて、なんて奴らだ、君子が憤慨していると、エイリが更に何かを持って来た。
「大した物ではありませんが、この村の特産で御座います、お召し上がり下さい」
そう差し出されたそれは――。
「おっ……おむすび!」
お米を握ったその料理は、日本人の国民食と言っても過言ではない。
ただ米を握って塩をまぶしただけの物なのだが、今の君子には御馳走に見える。
「なっなんで……ここにはお米は無いって聞いてたんですけど……」
「原種の稲を品種改良したのです、なかなか大変でしたが、どうにかなる物ですね」
「ひっ、品種改良!」
魔改造は日本のお家芸だ、しかし一個人でやるにはあまりにも大変だし、知識だって必要になる、君子にはとてもできない事だ。
しかもおむすび、君子の中の日本人は大暴走を始めて、もう誰にも止められない。
「いっ頂きます!」
素早くおむすびをとると、そのまま齧りつく。
口の中に広がるお米の香り、そして噛めば噛むほど広がる甘み。
この味、ずっと食べたくて食べたくて仕方がなかった、懐かしき故郷の味。
「ん~~~、美味しいっ!」
「茶うけよりも、こちらの方が体が欲していると思いましたが、やはりその様ですね」
どうやら和食を恋しく思っている事を察してくれた様だ、何と言う心遣いだ。
この所ろくに食事を食べていなかった彼女の食欲を止める事など、誰にも出来ない。
あっという間に一つ平らげると、二つ目を手にとる。
「キーコが……食べてる」
食事を残す事を心配していたアンネとヴィルムは、その姿を見て一安心した。
それにしても驚くのはその食欲である、幾らおむすびが少し小さめとは言え、君子は二つ目も速攻で食べ終わしてしまった。
「今年とれた米です、良い出来でしょう」
「しっ新米! これ新米なんですかぁ!」
「ええっ、ちなみに海苔とぬか漬けもありますよ」
「うんひゃあああ、日本食は世界一ィィィ――――っ!」
新米のおむすびに海苔を巻き、漬け物と共に頂く。
その顔は本当に幸せそうで、恍惚とした表情を浮かべて、美味しさのあまり悶えている。
「ん~~~」
美味しさが頂点まで至ってしまった君子は、自身で体を支える事も出来ずそのまま隣にいたギルベルトに寄りかかる。
「…………うめぇか?」
この頃よく食事を残していた君子が、本当に美味しそうにご飯を食べているので、そう尋ねたのだ。
「うんっ、おいひぃ!」
すると君子は満面の笑みを浮かべながら、頷く。
その顔は、今まで見た事ないくらい可愛くて、ギルベルトは頬を赤く染めた。
「…………」
君子の頭を撫でるその様子を見ると、大和は少し考えてから口を開いた。
「殿下、よろしければ些細ながらも歓迎の宴を催したいのですが」
「そっそんな突然来ちゃったのに……」
「いえいえ、この様な辺鄙な所までお越し下さったのに、何のもてなしもしないと言うのは末代までの恥、お口に合うか分かりませんが、お食事を用意させて下さい」
お食事という事は懐かしき和食が出るのかもしれない、お米があるのだきっと他にも懐かしき和の食材があるかもしれない。
遠慮深い日本人的な気遣いを、食欲の秋によって活性化された食の欲が凌駕してしまった、湧き出たよだれを飲みこみながら、上目遣いで無意識の甘えた声を出す。
「……ねぇ、ギルぅ」
そんな風に言われてギルベルトが断るはずがない。
こうして、大規模な宴が催される事になったのだった。




