第一二話 私が守る
そんなわけでシリアスになってきました。
近々バトルの予定です!
マグ二の城は非常に張り詰めた空気が漂い、蔓延していた。
理由は城の主であるギルベルトが荒れていたからだ。
彼が荒れているのはほんの少し前まで当たり前だった、理由もなく暴れて気の済むまで破壊の限りをつくす。
何回城が壊れかけ、何人の使用人が辞めていったかわからない。
皆主の機嫌を損なわない様に、ビクビクしていたのだ。
でも、最近は比べ物にならないほど過ごしやすくなって、あの殺伐としたマグ二の城に笑い声まで溢れる様になった。
それなのに今は――。
「……なんでなの」
メイドのアンネは窓の外を見ながら、哀しそう呟いた。
三日前に消えてしまった少女の名を――。
「キーコ……どこ行ったのよ」
君子がいなくなって三日、マグ二の城は彼女が来る前に逆戻りした。
ギルベルトがまた暴れ始めたのだ。
一カ月暴れていなかったので、鬱積が溜まったのか、その凶暴さに拍車がかかっていて、地鳴りの様に聞こえる破壊音を、アンネは震えながら聞いていた。
「…………アンネ、気を落とすんじゃねぇよ」
「ベアッグさん……、でもあの時私がキーコの傍を離れなかったら、こんな、こんな事にはならなかったんですよ……」
三日前パーティがあったあの日、最後に君子と行動していたのはアンネだった。
なぜ彼女が失踪したのかはわからないが、あの日彼女から離れなければ、ギルベルトが暴れる事もなかったはずだ。
「どうして……どうしてキーコいなくなったの……なにも、なにも言わないで……」
「お前のせいじゃねぇよ……今ブルスがキーコ匂いを追ってるから、じきに見つかるさ」
ベアッグは肉球でアンネの頭を優しくなでてやるが、彼女のいつもの明るさは戻ってこなかった。
************************************************************
ギルベルトは荒れていた。
一向に収まらないイライラを、物に向けて発散するが、それでも気分は晴れない。
「…………」
いつもなら、部屋に来て二人でご飯を食べて、他愛ない話をしていると一日があっという間に終わってしまう。
でも今は時間がとても長くて、太陽が昇って沈むまでとても長く感じる。
その時間の長さにさえ、イライラする。
「また、壁を壊したのですか?」
破壊された壁には大きな穴が空いていて、隣の部屋がよく見える。
これで何ヶ所目か、ヴィルムは数える事さえ億劫になっていた。
「…………ギルベルト様、少し冷静になって下さい」
「…………」
ヴィルムの呼びかけにも返事をせず、そのまま部屋から出て行く。
「お待ち下さい、ギルベルト様」
今の彼を一人にするのはまずい、ヴィルムはその後を追う。
すると廊下を歩いていたカルミナに、ギルベルトがぶつかった。
「きゃあっ……あらギルベルト王子」
「カルミナ様……何故こちらに?」
よりによって、出会いたくない奴に出会った物だ。
「あら、婚約者である私が、ギルベルト王子の元に来ることはいけない事ですの?」
「…………まぁ、そうでしょうが」
君子がいなくなってから、カルミナの様子が変わった。明らかに強い態度を取っている。
「まだ見つからないですのね、あの異邦人の方」
「……ええ、目下捜索中です」
「一体、どうしてしまったんでしょうね」
「…………現在詳細を調査中ですので、カルミナ様がお気になされる事ではありません」
「あら、そうでしょうか?」
カルミナはギルベルトへと密着して、声を潜めて言う。
「ギルベルト王子、あの異邦人はあなた様を騙していて、本当の目的は王族の権力なのではないでしょうか?」
「…………」
押し黙るギルベルト、これはこれで怖い。
これ以上の接触はまずいのでヴィルムは話を終わらせ様とする。
「お話はそれだけでしょうか、王子は忙しいのでこれで失礼します」
そして部屋へと誘導するのだが、カルミナが呟く。
「あんな小娘、忘れてしまえばよろしいのに」
いやみったらしく、実に不愉快な言い方だった。
普段から動じないヴィルムがそう思ったのだから、それが短気のギルベルトならばより不快に思ったはずだ。
振り返ると、カルミナに向かって拳を振り上げている。
「ギルベルト様――っ!」
ヴィルムはその拳をすれすれの所で受け止めた。
本当にギリギリ、ほんの一瞬気がつくのが遅れていたら、ギルベルトは本気の拳をカルミナに向かって振り降ろしていた事だろう。
「…………なっ」
カルミナは拳を受け止めて握り締めるヴィルムの後ろ姿を見て、ようやく自分がギルベルトに殴られそうになった事に気がついた。
「ギルベルト様……おやめ下さい」
「…………」
その眼は、静かだが燃え上がる炎の様な怒りに満ちている。
ギルベルトはカルミナを睨みつけると、そのまま背を向けて自室へと歩いて行った。
「……なっなぁ……」
恐怖から言葉がうまく出せないカルミナ。
ヴィルムは痛みが残る手をさすりながら、彼女へ言い放つ。
「ギルベルト様に対する、不用意な発言は慎んで頂きたいですね、カルミナ様」
「なっ……なんですって」
「……あの方の妻になるのは大変ですよ、見ての通り、気性の激しい方ですので」
驚き戸惑っているカルミナを放ってヴィルムは歩き出す。
そして三歩ほど進んだ所で、言葉を付けたした。
「私も、そう何度も止められる訳ではありませんので、ご容赦下さい」
頭を下げると、今度こそ立ち止まらずにその場を後にした。
ヴィルムはギルベルトの後を追いながら考えていた。
君子が居なくなって三日、状況は以前よりも悪い。
それほど、君子がギルベルトにとって重要な存在だったと言う事だ。
(なぜ、キーコはいなくなったのか……)
刻印が書いてある以上、ギルベルトの傍からは離れられないのだが、彼女は失踪した。
(刻印がある以上、ギルベルト様が指定した範囲からは、逃げる事も誰かが連れ去る事も出来ないはず)
そうなると、あながちカルミナの言葉を否定する事も出来なくなる。
君子は異邦人のフリをした、凄腕の魔法使いで刻印を打ち消すほどの実力と、自身を凡人の様に偽装する幻術魔法の使い手――。
(……いや、それは無いな)
ヴィルムはその考えを振り払った。
この一月ほど行動を共にして来たが、アレが全て演技であるとすればとんだ喰わせ者だ。
女優に向いて居るだろう。
(となると、自分から逃げ出したか、あるいは連れ去られたか……)
君子、あるいは第三者が刻印を消した事になる。
だが刻印はそうやすやすと消せはしない、そんな魔法や特殊技能は聞いた事も見た事も無い。
(情報が足りなすぎる、今の段階では判断のしようが無いな……)
捜索をしているブルスの帰りを待たなくては、判断は出来ない。
獣人である彼は鼻が良いので、雨で匂いが消えていても何らかの痕跡を掴めるだろう。
(本当に、一番重要な事を解っていませんよ……キーコは)
************************************************************
ハルドラ・ヴェルハルガルド国境付近。
西の果ての村チリシェン。
「ついに、最後の村か」
ハルドラ最後の村へとやって来たのは海人と凛華、そしてシャーグとラナイ。
ハルデを出て二カ月、ようやく魔王の国ヴェルハルガルドが目前となった。
「……この村を越えれば、以前にもまして危険な旅になるでしょう」
「これから気を引き締めなくちゃならない、しばらくこの村で休養をとって英気を養おう」
長い旅で疲れて居るであろう海人と凛華に気を使ったのだが、二人は真剣な表情で西の方角を見ていた。
「この先に居るんだな、魔王も紅の魔人も……」
「ハルドラを滅ぼそうとしている魔王に、ゴンゾナの皆を殺した紅の魔人……どっちも許せないわ」
この世界に来たばかりの頃に妖獣に襲われて、基礎もろくに出来ていない剣術と魔法で闘っていた時とは違う。
二人ともゴンゾナの一件で雰囲気が変わった。
大人になったと言うかより真剣になった、それほど責任を背負って居るのだ。
「シャーグさん、俺達の事は気にしなくていいよ、それよりハルドラの人達の為にも、一刻も早く魔王を倒したいんだ」
「そうよ、全然疲れてなんかいないわ!」
すっかり頼もしくなって、嬉しい限りだ。
しかし、それでも休息は大切であるので、急かす二人をどうにか鎮める。
「無理をしてカイトとリンカが倒れる様な事があったら、それこそ一大事だ……二人はここまで本当に良く頑張ってくれている」
「そうですわ、休息を取る事も勇者にとって大事な仕事ですわ」
海人と凛華はチリシェン村へと入る。
その後姿をラナイとシャーグは見つめていた。
「このごろ二人は少々気負い過ぎていたので、少しほぐれるといいのですが」
「…………なあラナイ、あの事まだ二人に話していないんだろう?」
「……ええ」
「そろそろ話さないとまずいんじゃないのか?」
それは、一月前の事――。
「……あの凡人が、魔人に連れ去られた?」
それは水晶玉を使った通信魔法で、ゴンゾナ陥落を国王バルドーナスに報告した時に聞かされた事だ。
『ああ、先ほど魔法使いのクロノがじきじきに儂の元へやって来てな、ヴェルハルガルドへと連れ去られてしまったそうだ』
あの引きこもりで弟子以外には滅多に姿を見せないクロノが、君子の為に国王の元まで行くなど、正直弟子であるラナイにさえ想像つかない光景だ。
だが、問題はそこではなく――。
「あの凡人、何と言う事をしでかしてくれたのですか……大人しくして居ればいいものぉ」
『我々にはあの二人の勇者しか残っておらぬ……彼等は彼女の事をとても慕っている様子だった……もしこれを彼等に言えば、魔王を倒す事よりも救出を優先してしまうだろう』
心優しい二人なら、そうするに違いない。
だがそれではハルドラはどうなるのだろうか、魔王の軍勢は確実にこの国を攻めている、国境で耐えている前線もいつまで持つかは解らないのだ。
一人の命とハルドラの民の命、今それを天秤にかけなければならない。
『ラナイ、酷だがお前には勇者にそれを伝えるタイミングを量って欲しい』
「……かしこまりました国王様」
水晶玉に映る国王に向かって頭を下げるラナイ。
『すまん、頼んだぞラナイよ』
「……解っています、解ってはいますが……」
ヴェルハルガルドは広大で人口だって多い、その中からたった一人の異邦人の少女を探すなど、森の中から特定の一本の木を見つける様な物だ。
そんな事に裂ける時間も余裕もない、今ようやくスタート地点に着いたのだから。
ラナイは揺れ動いていた、国王にはああ言った物の、タイミングなど量れる物ではない。
「ラナイさ~ん、シャーグさ~ん」
凛華が手を振って二人を呼んでいた。
彼女達の所へ向かうと、三〇代くらいの男が隣に立っている。
男はラナイとシャーグに気がつくと、話しかけて来た。
「この辺りでは見かけぬ方々ですな……」
「我々は旅の者です、ハルデから来たのですが、しばらくこの村に滞在させていただきたいのです」
「…………どうやら人間の様だな」
男はあまり歓迎的ではなかった。
今までいくつかの街や村には立ち寄って来たが、これほど露骨に邪見にされたのは初めての事だ。
それは彼だけではなく、ちらほら居る村人達もどこか嫌そうな顔をしていて、なんだか村全体の雰囲気が張り詰めている様に感じる。
「何かあったんですか?」
凛華が尋ねると、男はやはり嫌そうに答えた。
「ヴェルハルガルドから、流れが来たんだ」
「流れ……?」
「勝手に国境を越えて来た奴の事だ、田舎ではこう言ううんだ」
ベルカリュースでも国を行き来する時は、旅券が必要になる。
しかし現在この世界は戦争が続き、不安定になっているのであまり意味をなさなくなっている。
「じゃあ魔人が攻めて来たの!」
「さぁな、だが動かないし放っておけばその内死ぬだろ」
なんだかとにかく関わりたくないと言う空気をひしひしと感じる。
だが、もしも敵だったらどうするつもりなのだろうか。
「その流れの人はどこに居るんだ?」
「……西の街道にぶっ倒れてるよ」
それを聞くと、海人と凛華は男が指差した方向へと歩き始めた。
二人の後に続くシャーグとラナイ。
「おい、悪い事はいわねぇぞ、あの国の連中にかかわるんじゃない」
男の言葉を無視して、五人は言われた街道へと向かう。
そんなに豊かな村ではないのか、家も所々ひびが入ったり窓ガラスに紙が張ってあったりして生活の水準がうかがえる。
「アレ……」
街道は深くてくらい森の中へと、吸い込まれる様に続いていた。
その道を塞ぐ様に誰かうつ伏せで倒れている。背格好と服から察するにどうやら女性の様だが、遠くて良く解らない。
「…………魔人かな?」
「遠くて解らない、近づくなら慎重に行こう」
海人は剣を抜き、凛華もラナイも杖を構えた。
そしてシャーグが慎重に近づくと、倒れている女に声をかける。
「おいっ、しっかりしろ……おいっ」
反応はなく、生死も解らない。
とにかくうつ伏せでは人間なのか魔人なのかも判断できない、思い切ってその女を仰向けにする。
海人と凛華はそれぞれ武器を構えながら、緊張の面持ちでそれを見ていた。
だが、その表情は徐々に驚愕へと変わっていく。
それは、クラスメイトの山田君子だった。
それは此処に居るはずのない同級生。
ハルデで帰りを待っているはずの大切な友達が――なぜこんな所に居るのかは解らない。
ただそれが誰だか解った瞬間、凛華は君子へと駆け寄った。
「君子ちゃん、君子ちゃん!」
呼びかけても返事が無い、抱きかかえると、眼鏡が落ちる。
そんな簡単に眼鏡が落ちるのかと思って居ると、凛華は気が付いてしまった。
「……うそっ、耳が……君子ちゃんの耳が……」
あるべき物が無くなっている。
至る所に擦り傷や切り傷があって、着ている服もボロボロ。
ハルデで別れた後の時の面影は、もう無くなっていた。
「君子ちゃん……うっううう」
こんな状態の友を見せられて凛華は声を上げて泣き出してしまった。
「……そんな、どうやって逃げ出して来たの」
連れ去られた事を知っていたラナイがそう呟いたが、海人がそれを聞いていた。
「逃げ出したってどういう意味だよ、ラナイさん」
「あっ……いえ、これは」
何とかごまかそうとするが、こんな状況を見せられた彼を納得させられる言葉などない。
真剣な海人の眼にはどこか威圧感があって、それには長く生きるラナイも息を飲んだ。
「……話してくれ、全部包み隠さずに!」
村人から半ば強奪する形で一部屋借りた。
最悪な事に、この村には医者はおらず重症の君子を治療できるのは、応急処置程度の知識しか持ち合わせていないシャーグだけ。
持ち合わせの薬と包帯を巻いたこれは、治療というにはあまりにお粗末だ。
「君子ちゃん……」
心臓の鼓動が弱く、呼吸も浅い、何とか生きていると言う状況だ。
一向に目を覚まさない事が不安で、凛華は恐る恐る尋ねる。
「シャーグさん、君子ちゃん死んじゃったりしませんよね……」
「……酷く衰弱しているんだが、右耳は致命傷でもないし此処まで弱るのは、どうも肉体的な物が問題ではないだろう」
「じゃあ一体……」
「おそらくは、これのせいだと思う」
そう言ってシャーグは君子の服を引いて、左の鎖骨の肌をあらわにする。
そこには紫色の炎の様な物がゆらゆらと禍々しい光を放っていた。
「これは……」
「形状から察する呪い系の特殊技能でしょう」
「……一体どんな呪いなんですかラナイさん」
「おそらく『呪殺』の特殊技能、徐々に相手を弱らせていく『恐怖』の呪いかと思います、このままですと彼女は衰弱死するでしょう」
「そんな……ラナイさん、何とか出来ないんですか!」
「呪いの解除にはかなり高度な技術が必要になるのです、ワタクシにはとても……」
数ある魔法や特殊技能の中でも、呪いと言うのは実に厄介な物だった。
複雑な術式は、まるで堅く絡み合った結び目の様で解除には高度な魔法の知識と繊細な魔力コントロールが必要になる。
「じゃあ……どうしたら、どうしたら君子ちゃんを助けられるんですか!」
凛華の必死に訴えに、ラナイもシャーグもただ押し黙る事しかできなかった。
どうする事も出来ない、打つ手がない二人を見て凛華はまた泣き出してしまう。
凛華の肩に手をやると、今まで黙っていた海人が口を開く。
「……ラナイさん、シャーグさん、山田の事を話さなかったのが俺達の為だって言うのは解る、慣れない異世界に疲れてたし、ゴンゾナの事だってショックだったよ……」
旅は楽しい事ばかりではなく辛く悲しい事だってあった。
慣れない野宿や妖獣に襲われて、歩きづめの二カ月でようやく目指す魔王の国の入口でしかない。
不安がないと言えば嘘になる。
これ以上不安をあおらない為に、ラナイとシャーグが黙っていたのも理解できる。
しかし――納得は出来ない。
「でも話して欲しかった……俺達が山田をこんな事に巻き込んじまったんだ……」
あの日召喚に巻き込まれなければ、君子は普通に学生として学校に通って、日常を送っていたに違いない。
魔人に攫われて、呪いを受けて死にかけるなんて、そんな目にはあわなかったはずだ。
「これからは、例え俺達の為の嘘でも嘘をつかないでくれ……辛くてもちゃんと現実を受け止めるから」
「……カイト」
たった二ヶ月で、海人も凛華も外だけではなく、中身まで成長していた。
成長が早く感じられるのは、彼らが異邦人だからなのか、それとも勇者だからなのだろうか、今はただ頼もしく見える。
「……一応ハルデに治療系の魔法使いの派遣を要請してみよう」
「ええ解りましたわ…………あら?」
ラナイは君子の左胸、『恐怖』の呪いの下に赤黒い文字が書かれている事に気がついた。
「これは……刻印!」
「なんなんだ、それ?」
やけに焦った様子のラナイに、海人が尋ねる。
「この世界では名前と言うのはとても大きな意味を持ちます、刻印は自らの所有物と知らしめる物なのです」
武器や領土など、力ある者が自分の支配する物だと知らしめる為に書いていた物だ。
同時に造形の特殊技能や魔法で造った物を、この世に具現化する為にも用いる。
だがそれはあくまでも命がない物の話だ。
「命ある物がこれを書かれてしまうと、名前の主の所有物となり、傍から離れる事が出来なくなり、魂の間で縁が結ばれてしまうと聞き及んでいます」
「……コレがあるとどうなるんだ?」
「彼女が魔人から逃げられたのは、おそらくは偶然この刻印の上に『恐怖』の呪いをかけられ、効果が弱体化して居るからです、見ての通り名前を少し消しているでしょう……しかしこれは一時的な物、刻印の効果は未だ生きております」
特殊技能『呪殺』のランクは2。
刻印はそれ以上の執行力を持っていて、打ち消す事など不可能なのだ。
範囲に閉じ込める事は出来なくなっていても、魂の縁は今だ健在。
「逃げた彼女を追って、名前の主がやってくるかもしれません」
刻印の上にわざわざ呪いをかけるとは思えない。
となると、これは魔人にとって想定外のアクシデントだったはず。
君子はまだ、魔人の魔の手から逃れられた訳ではないのだ。
「じゃあ、山田を攫ってこんな事した魔人が、此処に来るって言うのかよ」
ハルドラの果ての田舎の村、国外に逃げた者を追いかける執着心の強い者はそうそういる物ではない。
しかし相手はハルデに居た君子を連れ去った、国家間の事などどうでもよいと思って居る魔人に違いない。
「じゃあ刻印を消せばいいだろうラナイ、これのせいで場所が解ってしまうんだ」
「そう簡単に言わないで下さい、刻印を消す方法は三つありますが一つは名前を書かれた者が名前の主より強くなる事……これは無理でしょう、二つ目は名前の主が自分から名を消す……これもまず不可能でしょう、そして最後は……名前の主、つまり魔人の死」
名前の主が死ねば、刻印の効果は失われる。
だが魔人の寿命は異世界の人間よりも長く、一〇〇〇年は軽く超え三〇〇〇年近く生きる種族もいるほどだ。
都合良く老衰なんて事はあり得ない。
つまり、君子を魔人の手から救う方法は、たった一つ。
「なら簡単だ、山田を連れ戻しに来た魔人を倒せばいいんだな」
まさかヴェルハルガルドにつく前に、魔人と闘う事になるとは思いもよらなかった。
だが海人も凛華も二カ月の修行によって、シャーグとラナイと肩を並べる実力になっている。
ゴンゾナと同じ思いをするのはもう絶対に嫌だ。
それは海人だけではなく、凛華も同じ気持ちだった。
涙を拭うと君子の手をしっかりと握りしめて、彼女に誓う様に凛華は言う。
「君子ちゃんは私が守る、絶対に死なせない!」
************************************************************
アンネはいつも通り洗濯物をしようと、洗い物をかき集めていたのだが、その表情はすぐれない。
いつもの明るさも元気もない、君子が居なくなった責任を感じているのだ。
本当はすぐにでも捜しに行きたいのだが、ヴィルムに止められてしまってそれも出来なくない。
今はメイドとしての仕事するしかないのだ。
洗い場につくと、ユウとランが珍しく大きなシーツを二人で洗濯板を使って洗っていた。
いつもなら命令しても仕事をやらないのに。
「ユウ、ラン、あんた達どうしたのよ!」
体が小さな二人にはシーツは大きすぎて、全身びしょびしょに濡れている。
それでも彼等は手を止めはしなかった。
「ユウ、ちゃんとおしごとするよ」
「ラン、たくさんおしごとするよ」
小さな手で一生懸命シーツを洗いながら、二人は答える。
「ちゃんとおしごとしたらキーコかえってくる」
「たくさんおしごとしたらキーコかえってくる」
「……あんた達」
「ユウとランがおしごとおしつけるから、キーコでてっちゃった……」
「ちゃんとおしごとしたら、キーコゆるしてくれる、かえってくるよ」
小さいながらも二人は考えたのだ。
どうして彼女が居なくなってしまったのか考えて、そしてこの結論に至った。
なんて無垢で無知で、なんて愛おしいのだろう。
「ユウ、ラン……キーコがそんな事で出ていく訳ないでしょう……」
アンネは水に濡れてすっかり冷え切った二人を抱きしめる。
自分から進んで使用人の仕事をしたがる彼女が、そんな事で出て行く訳がない。
この二人にこんな思いをさせてはいけない、立ち上がると双子にふかふかのタオルをかぶせる。
「ユウ、ラン洗濯はもういいから早く着替えなさい! 風邪でも引いたらそれこそキーコが怒るわよ」
アンネはそう言うと、四階へ向かって階段を駆け上がる。
こんな気持ちでずっと待っているなんてもう出来ない、ユウとランにアレ以上悲しい思いをさせてはいけない。
(私にも何か、出来る事があるはず!)
何でもいいから何か君子を探す手伝いがしたかった、ヴィルムに頼み行く。
しかしその途中、窓の外にワイバーンに乗ったブルスがギルベルトの部屋の方に降りて行くのが見えた。
何か君子に関する情報を持って帰って来たに違いない。
アンネは更に急いで、ギルベルトの部屋へと向かう。
「……ギルベルト様、仮にもカルミナ様は貴族でございます、不用意に殺して糾弾されるのはこちらなのですよ」
一人ソファに座るギルベルトに、ヴィルムは苦言を呈す。
婚約破棄ならまだしも、殺したとなっては先方の怒りは計り知れない。
それでは王子であるギルベルトの立場にさえ影響が出てしまう、ただでさえ確執が出来そうなフォルガンデス家との間にこれ以上波風を立てるのは望ましい事ではなかった。
しかしギルベルトはヴィルムの言葉にも答え様としなかった。
「キーコが居なくなったのは、カルミナ様のせいではないでしょう」
ため息交じりに、半ばあきれながらそう言ったのだが、その言葉に今まで黙っていたギルベルトが初めて口を開いた。
「……あいつのせいだ」
「えっ……」
「あいつがキーコになんかしたんだ」
いつになく言いきるギルベルト、だがそんな証拠はどこにもない。
あの日いくら探しても何も出てこなかったのだから、これは妄言と言うものだ。
「それはギルベルト様の思い込みと言う物です」
「思い込みなんかじゃねぇ!」
ヴィルムの言葉に声を張り上げると、悔しそうな顔で続ける。
「あの日、あいつからキーコの匂いがした、あいつがキーコに何かしたんだ!」
キーコが居なくなったあの日、腕を組んで来たカルミナから、わずかに香って来た君子の匂い。
接触のなかったはずの彼女から、君子の匂いがするのは可笑しい。
ヴィルムにはきつい香水の香りしか解らなかったが、ギルベルトは獣人の次に鼻が利く、半獣人であるカルミナが消したつもりになっている匂いにも気が付けるだろう。
「確かに怪しいですが、それだけでは彼女がキーコに何かした証拠にはなりません」
「解ってんだ、くそっキーコが見つかればあいつをボコボコにしてやるのに!」
それだけ解っているのに、カルミナに三日間も手を上げなかったというのは奇跡だ。
カルミナを問い質す事よりも、君子の身を優先しているのだろう。
(……まさかあのギルベルト様が、此処までお考えとは……)
感情のままに動くだけだったギルベルトが変わって来た。
これも全て君子の為かと思うと、ただ驚くしかない。
「ギルベルト様、只今帰還いたしましたぞ」
部屋へと入って来たのは捜索に出ていたブルスだった。
挨拶もそこそこに集めて来た情報を報告する。
「門番である大蛇が東へ向かう足音を聞いたと言うので捜索を開始した所、国境付近でようやくこれを発見いたしました」
そう言って取りだしたのは泥まみれの靴、あの日君子が履いていた物で間違い無い。
「ここ数日の雨で、匂いはほとんどかき消されておりましたが、ほぼ間違えなくハルドラへと向かったと思われます」
「……キーコはハルデに居たと言って居ました、もしどこかへ逃げるとしたらハルドラへ行く可能性は十分あるでしょう」
ワイバーンを飛ばせば一時間で国境付近にはつくだろう。
ただハルドラとなると厄介だ。
「まずいですね、こちらはハルドラの地理を理解しておりませんし、かといって当てもなく探すには広すぎる……せめてもう少し範囲を絞れればよろしいのですが……」
どう戦略を立てるべきか、敵の国戦闘になる可能性は十分考えられる。
なるべくは穏便に君子だけを連れ帰ってしまいたいのだが――。
「私が案内をします!」
そう言って乱暴にドアを開けて入って来たのはアンネだった。
四階の立ち入りは禁止していたはずだ。
「アンネ、立ち聞きなどメイドのする事ではありませんよ」
「申し訳ありません、ヴィルムさん」
謝罪もそこそこに、ソファに座る主の前へ向かう。
機嫌の悪いギルベルトは眼だけではなく、纏っている空気も怖い。
だがアンネは恐怖を押し殺しながら、口を開く。
「私をどうか案内としてお使いください」
「……おめぇつかえんのか」
「私はハルドラの生まれ、王子が今から向かう場所は私にとって庭の様なもの、必ずや王子をキーコの元へと案内して見せます」
恐怖を押し殺しその眼を真っ直ぐ見つめ返すアンネを、ギルベルトはしばらく見つめると口を開いた。
「おめぇワイバーンに乗れるか?」
「はっはい、小型種でございましたら繰った事があります」
その返事を聞くと、ギルベルトは立ち上がる。
「ヴィルムこいつのワイバーンを用意しろ、案内に使う」
「はっかしこまりました」
ギルベルトはグラムを手に取ると、歩き出す。
その後姿はいつもの我がままなで暴力的な王子は違い、凛々しく風格のある一人の将の様だった。
「出陣だ!」




