数と文字とわたし (666文字エッセイ)
子どもの頃からなんでか数にこだわっていた気がする。
国語はあまり勉強しなくちゃと、意気込んだことってないかなと。
逆に算数、数学は夢中になった。
公式っていう道標があって、正解は必ず一つっていうのが好きだった。
白黒はっきりするし、当たっていると達成感が見えたからなのだと思う。
徐々に複雑に絡み合っていくと、面倒くさくなったもんだった。
一つ二つ覚え落とすと、意味がわからなくなった。
それでも不思議なのは、加減乗除が出来れば、公式を知らなくても、答えが出ることだ。
問題を読み解いて、求められていることがわかれば、遠回りしても、正解が出ることだ。
そんなテストは答えが合っていても過程で減点されて。
だんだんつまらなくなった。
勉強について行けなくなると、遊びを見つけた。
パズルだ。
数字のゲーム、ルービックキューブ、トランプもそうだ。
トランプはカードを暗記すれば、先が読めるのだった。
ババ抜きは運と勘だけど、計算できるゲームもあった。
今になって文字を書くようになった。
表現とか言い回しとか、なんたらかんたら。
通じないってある意味面白い。
文字が読めるだけじゃ、本は読めないっていうのが面白い。
答えがいっぱいあって、どれも正解、不正解、曖昧模糊。
書いても読んでも、これが正解だよって断言できなくて。
そんなのに嵌り出したわたしは変わったんだろうか?
無意識にどこかで数を意識している。
リズム、語調、文字合わせ。
自分は不思議な生き物だなって思うこの頃だ。
ああ、そうだった。
今日、十月十二日は豆乳とパンの日だ。
月見草眺め戯れよう。
豆乳とパン友に。




