番外編 浩俊は双子の兄夫婦が面白くて仕方ない
「何だか騒がしいですね」
浩俊は乞巧節で露台の階段が濡れていた件について龍蛍と話していたのだが、何やら外が賑やかだ。
桃宮は龍蛍の子供姿の都合で少ない女官しかいないし、騒ぎ立てるようなこともないはずなのだが。
「――陛下、どうかお目通りを! 麗珠様をお助けください!」
女性の必死な声が室内にも届き、龍蛍が跳ねるように椅子から立ち上がって扉を開ける。
剣を手にした分だけ遅れた浩俊の目に入ったのは、庭に立って荒い呼吸をしている青明鈴の姿だった。
「青家の姫様、まずは身なりを整えられてから」
「そんな暇はありません!」
困った様子の桃宮の女官達に首を振った明鈴は、龍蛍に気付くとその場に平伏した。
「陛下、突然の訪問をお許し下さい。一刻を争うのです。どうか、どうか麗珠様を」
声と手は震えているし、よく見れば服もあちこち汚れて葉っぱもついている。
恐らくは庭を突っ切ってきたのだろうが、淑やかな姫君が皇帝の許しもなく桃宮に来たことも、その方法もおかしい。
「顔を上げよ。麗珠がどうしたのだ」
明鈴は顔を上げると、縋るように龍蛍を見つめた。
「麗珠様は、攫われました」
「……何だと」
一瞬で龍蛍の気配が変化し、その言葉の持つ圧力に明鈴ばかりか浩俊まで身震いする。
「すべて我が青家が仕組んだこと。どんな罰でも受けますが、今は麗珠様の救出のためにどうかお力をお貸しください」
明鈴の頭は土にめり込みそうな程下げられ、栗色の髪が地面に広がった。
「簡潔に話せ」
――さもなくば、この場で処刑する。
声なき言葉に明鈴はうなずき、立ち上がると土埃を払うこともせずまっすぐに龍蛍を見つめた。
「青家当主は私を皇后にすべく、邪魔な麗珠様を排除しようとしています。四家の姫を殺せば、さすがに隠し通せないし朱家との争いになる。なので、攫った上で暫く監禁するつもりです。ほとぼりが冷めた頃に青家が救出したことにして恩を売り、同時に貞操を疑われる姫は妃に相応しくないと訴えるつもりです」
「朱宮に確認を」
浩俊の指示で数名の女官が動くが、恐らく明鈴の言っていることは本当だろう。
淑やかな姫君が沓も服も泥だらけにし、不敬を承知で桃宮に忍び込んでまで嘘をつく利点がない。
何より、明鈴の必死な表情がそれが真実であると物語っていた。
「後宮内に不審者が入ったという報告はないが」
「麗珠様を襲って攫ったのは、青宮の女官です。その後、荷に紛れさせて後宮から出しているはずです」
後宮に入る人間というのはかなり厳しく制限されているので、不審者が潜り込むのは難しい。
だが、もともと中にいる女官ならば確かに可能かもしれない。
「おまえの言ったことがすべて真実だとして。何故、私にそれを伝えに来た」
明鈴の様子から、龍蛍も嘘を言っていないというのは察しているだろう。
だが、そうすると何も言わなければ思惑通りに進んだ可能性が高いのに、何故訴えに来たのかがわからない。
「麗珠様には、恩があります。あの人を害する命令に、これ以上従いたくないのです」
「今更、か? それに麗珠が無事だとしても青家を処罰することに変わりはない。おまえ一人の命では到底贖えないぞ」
龍蛍の言葉は氷でできた針のように鋭く、冷え切っている。
その矛先を向けられたわけではない浩俊でさえ震える圧力に、明鈴は震えながらぐっと唇を噛んで耐えていた。
「今まで逆らえずにいたのは、私の弱さであり、罪です。陛下のお怒りはごもっともですし、弁解する気もございません。過ちを犯した青家も私も罰されて当然だと思っております。ただ、私一人では麗珠様を助け出せない。どうか、お力をお貸しください」
そう言うと、明鈴は懐から包みを取り出し、龍蛍に差し出す。
広げられた中には手紙と、翡翠の簪が入っている。
手紙には麗珠を攫うようにという青家当主の指示が書いてあり、目を通した龍蛍はそれを浩俊に渡した。
「青家当主を連れて来い。それから馬の用意と、兵を。この指示によれば後宮から運び出した者が麗珠を引き渡すというから、そこに向かう」
「陛下⁉ 麗珠様救出は兵にお任せください。あなたは国を背負う立場です。妃一人のために危険を冒すわけにはいきません。これが麗珠様ではなくて陛下を狙ったものならば、思う壺ですよ!」
麗珠は心配だが、龍蛍の身はそれ以上に大切だ。
これで龍蛍が襲われでもしたら、それこそ一大事である。
「いいから、用意させろ。――二度は言わない」
鋭い眼光にごくりと唾を飲むと、浩俊は深いため息をついた。
「……陛下の、仰せの通りに」
これが麗珠誘拐でも、龍蛍を誘い出すものだとしても、行くという意思を曲げることはできないだろう。
それならば、影官として、弟として。
何があろうとも龍蛍の身を守るのが浩俊の役目なのだ。
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「麗珠は美しいよ。見てくれだけにこだわる空っぽの人間の何倍も綺麗で、魅力的だ」
麗珠の異母妹だという花琳に対して返答という名の惚気を存分に語った龍蛍は、笑みを浮かべる。
「おまえやその母親が麗珠に何をしていたのかは、追々明らかにするとして。祝いの場だ。今日は見逃そう。――麗珠、来い」
花琳は未だ理解しきれていない様子だが、これは無罪放免だと言っているわけではない。
龍蛍が麗珠を虐げていた義母達を許すわけもなく、それに気付かなかったというのならば朱家当主もまた同罪だ。
だが、確かに今日はそんなことを後回しにしてもいいだろう。
龍蛍に呼ばれた麗珠がその手を取ると、玉座が眩い光に包まれる。
皇帝の座る玉座が光を放つ様は実に神々しく、堂々とした龍蛍が一層凛々しく見える。
実はおしりの蒙古斑が光っており、それを乱反射させているのだと知っていても、美しい光景に違いはない。
美しくて眩しすぎて若干目が痛い上に、神聖な黄宮の謁見の間が見事に浮かれた桃色に染まっているが、龍蛍の可愛らしさの前では些末なことだ。
やがて辺りを照らす桃色の光が収まると、龍蛍は満足そうにうなずいた。
「見ての通りだ。朱麗珠は暁妃の役割を終え、桃妃となった」
その言葉に四家の姫と朱家当主が息をのむ。
暁妃と違って、桃妃はその名も意味も後宮で知らぬ者はいない。
桃妃とは、桃姓を持つ皇帝の妃であり、桃宮のもう一人の主――つまり、皇后の別名。
困惑した様子の麗珠を見る限りどうやらわかっていないようだが、今後はそのあたりの教育も必要だろう。
ついでに龍蛍の魅力もたっぷりと伝えなければいけない。
「ここで話すのもなんだし、移動するぞ。浩俊、後は頼む」
「かしこまりました。陛下、そして……桃妃様」
浩俊がゆっくり頭を下げると、同時に四家の姫と朱家当主がそれに倣う。
龍蛍の即位より十年。
可愛らしい子供姿から成長し、生涯を共にする伴侶を見つけた兄に、少しだけ寂しさを感じてしまう。
しみじみと小さな龍蛍の思い出を噛みしめていると、麗珠の汚い悲鳴があたりに響く。
玉座から立ち上がった龍蛍が麗珠を抱き上げたのだが、どう考えても色気の欠片もない声だ。
「おまえ、もう少し色っぽい声を出せないのか」
呆れる龍蛍の言葉に、同意しかない。
この調子で本当に大丈夫なのかと心配にもなるが、ここまできてあしらわれる龍蛍というのもそれはそれで面白い。
浩俊にとって龍蛍は敬愛すべき皇帝であり、大切な兄。
ずっとその身を守り支えてきたわけだが、今日からは守るべき対象が一人増える。
敬愛すべき皇后であり、大切な兄の妻。
石を投げて鳥を仕留める狩人志望の桃妃は、きっとこれからも龍蛍を翻弄し、浩俊を楽しませてくれるだろう。
「お二人の子供は、きっと龍蛍の小さい頃にそっくりでしょうね。今から楽しみです」
後日、この台詞を口にして真っ赤になる皇帝と皇后に味を占めた浩俊は、定期的にからかっては怒られるのを繰り返すのだった。
浩俊の番外編、これで完結です!
中華後宮風ラブコメ「蒙古斑ヒーロー」!
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