陛下の御威光が眩しいです
「さて。そうなるとこの格好は動きづらいわね」
麗珠の服は淡い色だったが、何だかんだあったせいでそこら中に汚れがあり、一部は破けていた。
まずは上衣を脱ぐと、その生地を細く引き裂く。
その紐を使って、袖と裳をまくった状態で固定する。
半袖に膝丈の裳で全体的に薄汚れているという酷い格好だが、ここから逃げ出して後宮に移動するのだから、動きやすさが第一。
上品な裳に足を取られて、転ぶわけにはいかないのだ。
足元を見れば沓が片方だけという微妙な状態だが、仕方がない。
布紐で沓の代わりを編むこともできるが、今は時間がないので諦める。
「あとは、護身用の武器になりそうなもの」
小屋の中にあるのは木と炭だが、さすがに手に抱えていくのはつらい。
衣を割いて簡易的な袋を作ると、腰にぶら下げる。
その中に小さめの炭を詰め込んでいると、男の声が近付いてきた。
麗珠は大きめの炭を手にすると、じっと扉が開くのを待つ。
そうして男が姿を現した瞬間、思い切り炭を投げつけた。
もう少し静かに脱走するつもりだったが、仕方がない。
扉から外に出ると、すぐに他の男達に見つかる。
五人ほどの男達は、こちらを見て顎が外れるのではないかというほど驚いた顔をしていた。
後宮から攫ってきた深窓の姫君と思っていた女が、半袖膝出しで小屋から出てきたのだから、それも仕方ないだろう。
ただ逃げたのではすぐに掴まるし、投擲の寵を活かせない。
まずはとにかく距離を取り、その後に山に逃げ込めば追って来られないはずだ。
先手必勝とばかりに袋から炭を取り出して男に投げつける。
額に命中したかと思うと、男はばったりと倒れた。
「――この女! ふざけるなよ!」
それはこちらの台詞だが、今は逃げるのが先決だ。
走り出した麗珠を、男達が追う。
時折振り返っては炭を投げるのだが、さすがに一瞬で集中するのは難しく、倒れさせるには至らない。
このままでは無駄に体力を使うと判断した麗珠が立ち止まると、観念したと思ったのか男達の動きがゆっくりになった。
「いいか、お姫さん。大人しくしていれば何もしない。だから――」
男の言葉を遮るように、風を切る音が響く。
鈍い衝突音と共に、男は白目をむいて倒れた。
「既に攫っておいて、何もしないとか。信じる馬鹿がどこにいるのよ」
吐き捨てるように言うと、残りの男達が眉間に皺を寄せ、腰の剣に手をかけた。
「その威力……寵か? 物騒なお姫様もいたもんだ。それなら、ちょっと手荒な真似をさせてもらうしかないな」
残る男は四人。
武器を手にされた以上、近付けば終了だ。
麗珠は袋に手を突っ込むと、小さな炭を持って構えた。
真正面から投げる形なので、武器で弾かれる可能性が高い。
確実に足を止めるためには、その範囲を外すのが無難だろう。
麗珠が投げた炭は一人の膝に命中し、男は剣を取り落として呻きながら転げまわっている。
あと、三人。
すかさず炭を投げると、更に一人が太腿を抱えて倒れ込んだ。
あと、二人。
だが、袋に手を入れてもそこにあるべき感触がない。
今はとにかく何かを投げなければ、すぐに掴まってしまう。
麗珠は懐から首飾りを取り出すと袋の中に突っ込んで引きちぎり、珊瑚の粒を持って構えた。
龍蛍から貰った首飾りは大切だ。
だが、それよりも龍蛍や姫達の身の方が大切。
すぐそばに迫る男にそれを投げつけようとした瞬間――何かが風を切る音が聞こえた。
男の腕に突き刺さっているのは、矢だ。
それを理解する間もなく、残りの一人の背にも矢が突き刺さる。
うめき声と共にその場にうずくまる男達に呆気に取られていると、背後から何かが走ってくる音が聞こえる。
あまりに早いそれの近付き方に人ではなく馬だと気付いて振り返るのと、大きな手に救い上げられて抱きしめられるのはほぼ同時だった。
「――麗珠!」
何も見えないのに、その声で誰だかわかる。
何故ここにいるのかわからないが、会えただけで嬉しい。
必要のない答え合わせのために顔を上げると、翡翠の瞳が正解だと教えてくれた。
夕暮れの薄闇の中でもまったく褪せることのない美貌の青年は、麗珠の視線を捕らえて離さない。
「麗珠、無事か⁉」
「う、うん」
予想外の事態に何を言ったらいいのかわからず、ぎこちなくうなずく。
「この野郎!」
すると腕に矢を受けた男が剣を振りかぶってきたが、龍蛍は麗珠から手を放すと素早く矢をつがえて放つ。
吸い込まれるように太腿に突き刺さった矢に、男は地面に転がった。
龍蛍が武術を習っているのは知っていたし、弓の練習をしているのも見たことがある。
だが、まさかここまでの腕だとは思わず、麗珠はぽかんと口を開けることしかできない。
「その格好、あいつらが?」
「え?」
龍蛍の険しい視線に自身を見下ろすと、薄汚れているし、ところどころ破れているし、腕どころか膝も丸出しで、片足は裸足。
どこからどう見ても酷いその姿に怒っているのだと気付いた麗珠は、慌てて首を振った。
「違うの。これは、私が」
麗珠の弁解を遮るように、男達の呻き声があたりに響く。
矢を受けた二人はもちろんとして、更に三人の男が地面に転がっているのを見て、龍蛍の眉間に皺が寄った。
「……これは?」
「いや。それも、私が」
「――龍蛍!」
龍蛍によく似た美しい声が聞こえ、同時に何人もの馬に乗った男性がこちらに近付いてくるのが見える。
浩俊の後ろに続いているのは、兵士だろうか。
腰に佩いた剣と馬に慣れた様子だけで、ゴロツキなど軽くあしらえるのだろうと容易に想像がついた。
「何なんだ、おまえ達は! その女は俺達のものだぞ!」
龍蛍のこめかみがぴくりと動いて矢に手をかけようとするのを、浩俊が手で制した。
「――控えろ。皇帝陛下の御前であるぞ!」
浩俊の声は美しく、言っていることは正しい。
だが炭小屋近くの路上で、ボロボロの麗珠を抱え上げて矢を連射する男が皇帝だと言われても、信じられないのは当然だ。
呻きながら地面に転がっていた男達は、皆一様に胡散臭いとしか言いようのない視線を向けてくる。
その瞬間、夕闇を切り裂くような眩い光があたりを覆いつくした。
何が起こったのか瞬時に理解して視線を上に向けると、龍蛍の顔が完全に引きつっている。
龍蛍のおしりが光ることは、重要機密だ。
幸いあまりにも光が強くておしりが光るというよりは後光が差しているような状態だが、異常な光景であることは間違いない。
とにかく、どうにか誤魔化さなければ。
「――へ、陛下の御威光が、眩しいです!」
必死に頭を回転させた麗珠の口から出たのは、結局よくわからない言葉だった。
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