急襲
「陛下は、麗珠様の訪問に御機嫌でしたね」
お土産のお菓子の包みを持った静芳の方こそ御機嫌だが、そんなにいいことがあったのだろうか。
麗珠としては珍しい美味しいお菓子を沢山食べて、すっかり満腹で満足である。
「あれ……そもそも、何をしに桃宮に行ったのかしら」
首を傾げた麗珠は、常にはない重みでそこに首飾りがあることを思い出した。
「そうよ、退出許可を貰うんだったわ!」
そのために訪問したのに、何故お菓子食べ放題お土産付きで満足しているのだろう。
自分の食欲の優先具合が情けない。
そうだ、落ち込んでいる場合でも、食べている場合でもないのだった。
暁妃がもうすぐ役目を終えることは間違いなく、麗珠は用済みになる。
龍蛍が大勢の女性を侍らせる中で生きていくのは無理なので、後宮を出たい。
花琳も来るのでちょうどいいが、曲がりなりにも妃の位を賜っているので退出許可がないと迷惑がかかる。
自分の中で結論が出たはずなのに、お菓子にすべてを持っていかれるとは。
美味しいお菓子、恐るべしである。
麗珠は首飾りを外すと、そのまま懐にしまう。
龍蛍を思い出すものは極力目に入らない方が、きっと話を進めやすい。
……本人を相手に話をするのだから、無駄なあがきのような気もするが。
「とりあえず、戻ってお願いしないと」
「まあ、おねだりですか? きっと陛下もお喜びになりますよ。できれば、お菓子以外にして差し上げてくださいね」
すると辺りを見回した静芳は首を傾げる。
「回廊に女官の姿がまったくないというのも珍しいですね。桃宮に再訪を伝えてもらおうと思ったのですが。せっかく麗珠様がその気なのですから、もったいない」
すると静芳の声に応えるかのように回廊の向こうから一人の女官がやってくる。
裳と袖の赤い色からして、朱宮の女官だろう。
息を切らせた女官から受け取った手紙の内容に、静芳の表情が一気に険しくなった。
「今日、花琳様が到着するから麗珠様の退出の準備をしろ!? 何をふざけたことを。大体、麗珠様は――」
「とりあえず、花琳が来るのは本当なんでしょう? 私は戻って龍蛍に話を聞いてくる。私宛の手紙じゃ詳しいことはわからないから、静芳は朱宮に戻って自分宛ての手紙を確認して」
父の手紙は簡潔で用件だけを伝えるものだ。
対して静芳宛てのものは、詳しい準備についても書いてあるだろうし、何なら義母や花琳からのものが入っている可能性もある。
状況を知るには、そちらの方が役に立つ。
「わ、わかりました。ですが、お一人ではいけません」
「沓を脱がない、池に近付かない、階段をのぼらない。これでいい?」
「鳥を落とさない、も追加してください。それから、この者をつけます。新人ですが、いないよりはましです」
静芳に背を押された女官は慌てた様子だが、すぐに背筋を正して麗珠に一礼した。
「まずは桃宮に戻ろう」
急いでいるので走りたいが、後宮仕えの女官の足は遅い。
結果、麗珠としては早足程度の速度ではあったが、とにかく急がなければ。
龍蛍が桃宮を出てしまえば捕まえられないし、退出許可がなければ面倒なことになりかねない。
「ああ、もう。さっきお菓子の誘惑に負けなければ、話ができたのに」
思わず愚痴がこぼれた瞬間、麗珠の耳に高い悲鳴が届いた。
辺りを見回せば、回廊の先で明鈴が黒い服の人影につかまっている。
急いで駆け寄ると、黒いのは服ではなくてその上にかぶっている布だとわかった。
ついでとばかりに頭にも黒い頭巾をかぶっているので、顔も見えない。
何にしても後宮内で顔を隠して四家の姫を捕まえるなど、普通のことではない。
最悪、どこかから侵入した賊かもしれないし、その場合には明鈴はもちろん、場合によっては龍蛍だって危険だ。
「――静芳、ごめん!」
麗珠は素早く沓を脱ぐと、明鈴を捕らえる人物の頭めがけて投げつける。
当然のように命中したそれによって人影は倒れ、明鈴が更なる悲鳴を上げた。
「明鈴、こっちに!」
「麗珠様!」
転びそうになりながら駆け寄ってくる明鈴の目には、涙が浮かんでいる。
美少女の涙は麗しいが、理由がまったくもってよろしくない。
明鈴を泣かせた人物に追撃の沓をお見舞いしてやりたいくらいだが、今は安全第一で逃げるのが先決だ。
だが手を引いて走ろうにも、明鈴の速度が遅すぎてさっぱり進まない。
女官でも足が遅いのだから、生粋の姫君が走れるわけもない。
当然のことに納得するが、今は困る。
「あなた、明鈴を連れてこの場から離れて。誰か助けを呼んできて」
「ですが」
女官は朱宮の人間なので、主である麗珠を置いていくわけにはいかないと考えているのだろう。
だが、今はそんなことにこだわっている場合ではない。
振り返ってみれば、倒れた人影の他に二人がこちらに向かってきている。
このままでは全員捕まってしまうし、それだけは避けなければ。
「私には寵があるから、時間を稼げる。全滅したくないなら、さっさと行きなさい! ――あ、沓は置いて行って」
何かを言いかけた女官は唇を噛みしめると沓を脱ぎ、明鈴の手を取って走り出す。
「麗珠様、ごめんなさい、ごめんなさい」
泣き続ける明鈴の声が遠のき、正面から人影が近付く。
足元の沓を拾うと、麗珠は深く息を吐いた。
目的は、時間稼ぎだ。
相手を倒すことよりも、距離を取って、かつ明鈴達を追わせないことが優先。
麗珠が本気で投げれば、致命傷を負わせることもできるかもしれない。
だが、それには相応の集中する時間が必要なので、大人数相手には不利だ。
危険と判断されて武力で制圧されるのも、逃げられるのも困る。
だから、意識を失わせるか、動けなくなる程度の威力。
かつてない集中の後に、麗珠は沓を投げつけた。
その勢いと風を切る音の鋭さに、身に纏っていた領巾がはらりと舞い落ちる。
二人が床に崩れ落ちるのを見て安堵の息を吐くと、遠くから悲鳴が聞こえた。
明鈴達の方にもいたのかと振り返ると、目の前に黒い人影が迫り、咄嗟にしゃがんで身をかわす。
何度も手が伸び、黒い布と白い袖が鼻をかすめ、その度にどうにかかわす。
優雅な衣装に足を取られて転ぶが、そのまま転がって逃げると、すぐに体を起こした。
速すぎて近すぎて、沓を脱ぐ暇も狙いを定める暇もない。
それでも何か武器になるものをと簪を引き抜いて構えた瞬間、背後から首筋に鈍い痛みが走る。
――一体、何人入り込んでいるのだ。
悪態をつきたいところだが、衝撃で体が崩れ落ちていく。
簪が石の床に転がる乾いた音を最後に、麗珠の意識は闇に飲まれた。
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