玉英と後宮の書庫
「何だったのかしら」
雪蘭を見送った麗珠だが、誰もいなくなった以上、わざわざ庭を通る必要もないので回廊に戻る。
だが、行きと同じ道ではまたずぶ濡れの回廊に出てしまうので、迂回することにした。
するとまたもや正面から誰かがやってくる。
今度は一人だけだが、その女性の顔には見覚えがある。
確か、玄家の姫だったはずだ。
雪蘭と違って一人で歩いている上に、手に持っているのは本だろうか。
知的な雰囲気の美女と本は相性抜群で、魅力三割増しである。
「こんにちは」
「こんにちは」
挨拶をしたら、挨拶が返ってくる。
ごく当然のことだし、無視されるよりはいいのだが、無言で見つめ合うというのもどうなのだろう。
いや、美女は目の保養なので麗珠としては悪くないのだが。
「ええと。その本はあなたのものなの? それとも書庫があるとか?」
「知らないのですか? 後宮の書庫は歴代の皇帝が妃達のためにと贈ったもので、その蔵書は国内でも随一と言われるのですよ」
水を得た魚のようにいきいきと語る姿は美しく、思わず麗珠はうっとりと眺めてしまう。
それが気持ち悪かったのか、はっとした様子で何故か視線を逸らされた。
「すみません。本のことばかり」
「何で謝るの? それより、書庫ってどこにあるのかな。本を自由に読むのって、憧れだったんだよね」
朱家にももちろん色々な本があったが、使用人同然の暮らしをしていた麗珠には手にする機会も読む時間もほとんどなかったのだ。
「そう、なのですか?」
「うん。だって、いっぱい本を読んで勉強をしたら自立に近付くでしょう? ああ、男性に生まれたら役人とか目指せたのに。女性じゃ狭き門よね。……やっぱり、狩人か」
狩人という言葉に困惑の表情を見せた美女は、暫し何かを考えると、おずおずと口を開いた。
「あなた、役人になりたいのですか?」
「なりたいというか。何かを学んで、それが人の役に立って、生活も自立するなんて素敵よね」
もちろん、仮に男性に生まれたとしても簡単な道ではない。
それでも妾の娘として朱家に生まれた麗珠よりは、将来の可能性が広がるというものだ。
「ですが、私もあなたも後宮にいます。いくら学んだところで、役には立ちません」
吐き捨てるような言葉に、麗珠は首を傾げた。
「そうかな。学ぶことに無駄なんてないよ。新しい竹の見分け方を知れば、竹細工を作る時に用途に合わせて加工しやすい竹を選べるし」
「竹細工?」
不思議そうに問い返されたが、そういえば彼女も四家の深窓の姫君だ。
山で竹を切って竹細工を作った経験など、あるはずもなかった。
「ええと。何でも役に立つし、無駄ではないってことね。それに、学ぶこと自体が楽しいから、それだけでも十分よ」
たまに兄や父がくれた本を上手く隠し通せた時には、夢中になって読んだものだ。
自分の知らない世界のこと、知らない知識。
どれもわくわくするし、楽しい。
後宮に書庫があるのならば、今後はそこで読書するというのもいい。
「そうですね……そうかもしれません」
困ったような顔だった美女は暫く何かを考えこんでいたが、やがてほんの少し口元を綻ばせる。
「私のことは玉英とお呼びください。大抵書庫にいますので、ご案内しますよ」
「玉英。綺麗な名前ね。宝石みたい」
美女にはそれに見合った名前が付けられるのかと感心していると、玉英は優雅に礼をする。
「それでは失礼いたします、麗珠様」
手を振って玉英を見送った麗珠は、ゆっくりとため息をついた。
「……皆、何で私の名前を知っているの」
確かに互いに紹介されたが、一度浩俊が口にしたのを聞いただけではないか。
顔を覚えているだけ自分が偉いと思っていたが、それでは駄目だったのだろうか。
図らずも白家と玄家の姫の名前は知ることができたのでいいが、青家の姫と会うことがあったらどうしよう。
正面から名前を聞いたら失礼だろうか。
いや、でも今後も会うかもしれないのにずっと名前が謎というのも問題なのでは。
「そうだ。静芳に聞けばいいのよ」
長年後宮仕えをしている静芳ならば、当然他家の姫の情報も知っているはず。
これで青家の姫と出会うことがあっても、堂々と名前を呼べるではないか。
意気揚々と朱宮に向かって歩き出すと、正面から明らかに姫と思しき美少女と女官の一団がやってきた。
「違うのよ。まだ早い。静芳に聞いていないのに」
とはいえ、明らかに麗珠に気付いている様子なので、回れ右して避けるのも失礼だろう。
庭を見れば池があるし、まさかこの中を泳いで横断するわけにもいかない。
「青家……何だったかな」
確かリンリンしていた気がするけれど、まさか適当な名前で呼ぶわけにもいかない。
雪蘭の時のように、女官が主の名前を呼ぶかもしれないので、そこを逃さないようにしなければ。
気合いを入れている間に目の前に迫った一団の中心である美少女は、麗珠をじっと見つめるとにこりと微笑んだ。
「暁妃の朱麗珠様ですね。私は青明鈴。ご挨拶できて嬉しいです」
その微笑みは春の女神のごとく慈愛に満ちて、麗珠の心を温かく包み込む。
よく見ると黒髪というよりも栗色に近い髪だが、それもまた温かい雰囲気によく合っていた。
「そう、そうよね。名乗ればいいのよね。何という基本にして素晴らしい行動。ありがとう、あなたは私を救ってくれた恩人よ」
感動のあまり手を握って感謝を伝えると、女官達がざわめく。
ほぼ初対面の朱家の姫がちょっと涙ぐみながら握手してきたのだから、気持ちはわからないでもない。
「ええと、あの。先程白家の雪蘭様をお見かけしましたが、暁妃様はお会いに?」
「うん。さっき会ったばかりよ」
すると、明鈴は麗しい瞳を少し伏せた。
「その。雪蘭様には、少し気を付けた方がよろしいと思います。
「残念令嬢」
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中華後宮風ラブコメ「蒙古斑ヒーロー」!
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