天からの裁き
Author――稲葉孝太郎
昼休みでがらんとしたオフィスに、黙々とキーボードを打ち続ける女がいた。金ボタンのついた黒い制服。その袖口から、褐色の肌がのぞいている。年は、人間ならば二十歳そこそこと言ったところか。淡い銀髪で、耳の先がとがっていた。
この世界ではありふれた、エルフ族の女である。
「セシャトさん」
銀髪のエルフは、ふいに名前を呼ばれた。
ふりかえらず、キーボードを打つ手を休めることもなかった。
「セシャトさん」
もういちど、弱々しく名前を呼ばれた。
セシャトはふたたび無視して、デスクのうえのコーヒーに手を伸ばした。
「書類なら、そこに置いといて」
「あの……質問がありましてですね……」
セシャトはタメ息をついて、くるりと椅子をまわした。
真っ白な肌を持つ金髪碧眼のエルフが、おどおどした態度で立っていた。
彼女もまた、金ボタン付きの黒い制服を着ていた。警察服のようであった。
「今は忙しいの。捜査手順なら、マニュアルに目を通してちょうだい」
「いえ、捜査の話ではなくてですね……」
金髪のエルフは、愛想笑いを浮かべて、一枚の紙切れをさし出した。
セシャトは睨むような眼差しで、それをのぞきこんだ。
あなたは、九十年代の二次元型RPGのなかにいる。その主人公である勇者が、城壁の中庭で殺害された。死因は槍による失血死。犯行時刻は、午後三時から四時にかけてと推定される。中庭は無人であった。城壁の門は閉ざされており、ひとが出入りした気配はない。空中を移動する物体、例えば飛行タイプのモンスターも、目撃されていない。どのようなトリックが考えられるか。(配点二〇)
セシャトは両手をあげ、肩をすくめてみせる。
「はいはい、宿題なら自分でやってちょうだいね」
「宿題じゃありませんよぉ。このまえの査定試験の問題ですぅ」
「……冗談よ」
セシャトのからかいに、金髪エルフは頬をふくらませた。
「もう、マジメに相談してるんですよ」
「分かってる、分かってる……で、なにが問題なの?」
ヒストリア――地上に存在するすべての物語をつかさどる国。その中枢部にあたる警史庁第九課のエリート、セシャト・ステュクスにとって、おちこぼれの同僚、トト・イブミナーブルの悩みは、分かりづらいのであった。
トトはパンと手を合わせて、
「答えを教えてください」
と頼んだ。セシャトは椅子にもたれかかり、説教をはじめた。
「そういうのが一番勉強にならないのよ」
「一時間以上考えたんですが、さっぱりなんです」
「ノーアイデアってことはないでしょ。考えた結論を言いなさい」
金髪エルフはピンと人差し指を立てて、自慢げに、
「『透明人間に殺された』です」
と答えた。
「ふぅん……悪くないんじゃない」
「あ、ほんとですか? じゃあ、二十点もらえますね」
「で、その続きは?」
セシャトの質問に、トトは笑顔のまま固まった。
「続き、というのは?」
「記述式の問題なんだから、答えだけ書いて終わりってわけじゃないでしょ」
そう言いつつも、続きがないことに、セシャトはすっかり気付いていた。
トトが返事をするまえに、説教を再開した。
「その回答だと、一点もあげられないわ」
「えぇ? 十文字も書いたんですよ?」
「九文字でしょ」
「丸も文字数に含めるんですよぉ。学校で習いましたよぉ」
「はいはい、十文字ってことにしてあげるわ。零点」
トトは納得がいかないのか、両手にこぶしをにぎって、それを上下に揺さぶった。
「ナイスアイデアだと思ったのにぃ」
「アイデア自体はいいわよ。中庭は無人であり、人が目撃された気配はない。透明人間なら、この条件を満たすかもしれないわね」
「だったら点数をください」
迫りくるトトを、セシャトは押しとどめた。
「ふたつ質問をするわよ」
「むずかしいのはやめてくださいね」
セシャトはトトの懇願を無視して、人差し指を立てた。
「ひとつ、透明人間はどこから出入りしたの?」
「もちろん入り口からです」
「『城壁の門は閉ざされて』いたんでしょ」
トトは、そのとき初めて気付いたかのように、ポンと手をたたいた。
「なるほど……鍵を持ってたんじゃないですか?」
「鍵を開けてなかに入ろうとしたら、とびらを開けないといけないわよね?」
「はい」
「とびらがひらくところは、透明になっていても見えると思わない?」
トトは目を閉じて腕組みをし、感心したようにうなずいた。
「さすがは、アカデミー首席だっただけのことはあります」
「こんなの平均点の学生でも気付くわよ……で、ふたつめの質問」
セシャトは中指を立てて、二という数字をつくった。
「凶器の槍の入手方法は?」
「最初から持ってたんだと思います」
「それはさっきと同じ理由でアウト。空中に槍が浮いてたらおかしいでしょ」
「あ……たしかに……じゃあ、槍も透明になっていた、というのはどうですか?」
セシャトは、相手が前進したことに安堵した。
「そう、その可能性を考えるわよね。犯人も槍も透明になっていた。槍は最初から持ち込んだのかもしれないし、城内で入手したのかもしれない。とにかく、槍も透明になっていた。どうやって?」
「もちろん、魔法ですッ! 九十年代RPGと言えば、剣と魔法の世界ですよ」
「そういうところは妙に詳しいわね……じゃあ、『槍に魔法をかけた』が答え?」
「はい」
「さて、槍に魔法をかけたと仮定します。勇者が気付かなかった理由は?」
「うにゅ? と、言いますと?」
「勇者が魔法の使用に気付かなかった理由をたずねてるのよ」
トトは、問題の意図を察しかねたのか、首を左右にひねった。
「すみません、もうちょっと丁寧に教えてください」
「いや、教えてるわけじゃないんだけど……記述式の問題に、絶対これだって言う正解はないのよ。ただ、勇者が魔力を察知できなかったのはナゼ、ってこと。この点を明確にできなきゃ、減点になるでしょうね」
「そういう魔法だったんじゃないですか?」
「そうねぇ……まちがいってわけじゃないけど……勇者に絶対に気付かれない透明化魔法があるなら、クリアのしようがないんじゃないの? 上級モンスターにそれをかけて襲わせたら、楽勝でしょうに」
「ラスボスは最後まで出て来ないって、相場が決まってるんですよ」
セシャトは、トトの返しをおもしろく感じた。
実際、RPGの世界に辻褄を合わせるなど、できない相談だからだ。
とはいえ、そこに辻褄を合わせるのが、彼ら検史官――物語の世界をつかさどるエルフたちは、そう呼ばれていた――の仕事でもある。
「ま、ここまで書けて十点ってとこかしらね」
「えぇ、これで半分なんですかぁ」
「甘く見積もって、の話よ。うちの主任なら五点かも」
トトは両ひじをかかえて、身震いした。
「うぅ……主任には採点して欲しくないです……」
「ああ見えて、温情のあるひとだけどね」
セシャトはコーヒーをぐいっと飲んだ。
仕事にもどろうとすると、肩を突つかれた。
「なに?」
「セシャトさんは、どう答えたんですか?」
セシャトはふたたび椅子をまわした。なるほど、彼女もまたあの場にいたのだ。アカデミーを首席で卒業するほどの秀才であったが、うぬぼれ屋ではなかった。子供のような目でうるうると答えを求められて、彼女は若干恥ずかしくなってしまった。
「そうね……あの問題、私はホームランを狙ってみたの」
「え? 野球でもしてたんですか?」
「高得点を取るために、リスクを冒したってこと」
「はぁ……大振りしたんですか。危ないですよ。ヒットをこつこつ打たないと」
「あんたに言われたくないわよ」
セシャトはトトのペースに巻き込まれないよう、会話を中断した。
それから、自分の答案を脳内で再構成した。
「……OK、最初のポイントは、殺害現場よ」
「お城のなかでしたね」
「もっと具体的に」
トトは、しばらく案じてから、中庭だと答えた。
「そう、中庭ね。ということは、天井がない」
「空飛ぶモンスターは目撃されてませんよ? ちゃんと書いてあります」
「そう、モンスターは、ね」
トトは、ポンと手をたたいた。
「あ、もしかして空飛ぶ靴ですか?」
「それは透明人間より点が低いと思うわよ。警備兵に見つかるじゃない」
「んー、じゃあ、答えはなんですか? やっぱり魔法ですか?」
セシャトは、したり顔になった。
「いいえ……物理よ」
「え? 物理ですか? 物理は苦手ですぅ」
「落下運動の方程式だけ分かってればOK」
トトは金髪の髪を撫でて、それから耳をかいた。
「えへへ……分かりません」
「つまり、凶器は天から降って来たの」
セシャトの言葉に、トトはきょとんとした。
「え? 空からですか? ……でも、空飛ぶモンスターじゃないんですよね?」
「もっと高いところから」
「天空の城ですか? それとも、神様ですか?」
「それは問題文のなかにヒントがないから、減点対象でしょうね」
「でも、ヒントは出尽くしてませんか? もう推理の材料がないです」
セシャトは、もういちど問題文を読み上げるように伝えた。
トトは、ゆっくりと、可愛らしい声でそれを読み上げた。
「あなたは、九十年代の二次元型RPGのなかにいる。その主人公である勇者が、城壁の中庭で殺害された。死因は槍による失血死。犯行時刻は、午後三時から四時にかけてと推定される。中庭は無人であった。城壁の門は閉ざされており、ひとが出入りした気配はない。空中を移動する物体、例えば飛行タイプのモンスターも、目撃されていない。どのようなトリックが考えられるか……配点二〇。はて? どこにヒントがあるんですかね?」
「最初のほうに、舞台設定が書いてあるでしょ」
「ええ、『九十年代の二次元型RPG』って書いてあります」
「その時代のRPGの特徴は?」
トトは、いろいろな要素をあげた。
「剣と魔法……隠しボスがいる……コマンド式……それから……」
「世界のかたちは?」
「え? 世界のかたちですか? のっぺりとした2Dです」
セシャトは、ブーッと大げさに声を出した。
「ハ・ズ・レ」
「でも、問題文に2Dって書いてありますよ?」
「キャラクターが北にどんどん向かったら、最後はどうなると思う?」
トトは、どっちが北か分からないと答えた。
「上よ、上」
「上にどんどん進んだら、下から出て来ます」
「でしょ。ってことは、世界はどんなかたちになってるの?」
「ボール型です」
ブーッと、セシャトはふたたび不正解を告げた。
「球形の惑星は、あんな地図にならないわよ。頭のなかで展開してみたら分かるわ」
「え? 違うんですか? てっきり地球と同じだと思ってました」
セシャトは呆れ返った。
「あなた、『ゲーム概論』をちゃんと受けてないでしょ?」
「んー、一年生のときの授業ですよね。単位は取った気がします」
「よくそれで卒業できたわね……いい、二次元型RPGの世界は……」
「トト、セシャト」
鋭い女の声が、ふたりの名前を呼んだ。
セシャトは椅子から立ち上がり、背筋を伸ばした。
「主任、なにか御用ですか?」
トトのとなりに、赤銅色の髪をなびかせたエルフが立っていた。
トトも気をつけした。
「そう堅くなるな。差し入れがあってな。みんなで食べようと思う」
主任はそう言って、白い紙の箱をみせた。甘い匂いがする。
「あ、ケーキですか?」
「ドーナッツだ」
「ドーナッツ、大好きですぅ」
トトは、ペンギンのようなかっこうで、ぴょんぴょん飛び跳ねた。
「よろしい。ではコーヒーを淹れる。トトくん、手伝い給え」
「はぁい」
主任はトトをつれて、その場を去った。
あとに残されたセシャトは、冷たくなったコーヒーを飲んだものか、温かい新品を待つほうがいいか、しばらく悩んだ。そして、さきほどの問題に思いを馳せた。
「九十年代は遠くになりにけり、か……とんだ懐古トリックよね」
『おちこぼれエルフは、名探偵をさがしてる〜人魚の都殺人事件』の冒頭に出てくる試験問題の解答編(?)です。普通ではちょっとありえない超常ミステリを扱ってみました。ヒントはすべて出ています。気になったかたは、考えてみてください。
『おちこぼれエルフは、名探偵をさがしてる〜人魚の都殺人事件』
http://book1.adouzi.eu.org/n0561bn/
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