先輩と僕と見えない彼女【前編】
Author――六車むつ
「なぁなぁ、知ってる?」
例えば、七不思議や都市伝説。
「また出たんだよね」
そんな怪異を専門に、相談を引き受けている奇特な男がいる。
「知ってる。あの話でしょう」
その男は白髪で、ひょろりとした体躯。常に笑みを浮かべている少し軽薄そうな印象らしい。
「君たち本当に好きだね。そういう話」
男の名前は――
◇ ◇ ◇
僕の名前は花子。少し前まで、廃校のトイレに住み着く【おばけ】だった。
その廃校でそれなりにいろいろあって、今はそこから少し離れた雑居ビルの一室に間借りをしている。
始めこそ引っ越しはおろか、また実体を持つことになるなんて想像もつかなかった。けれど、新しい体は特に不具合なく動くし、居心地もいいので満足している。
何より、今は友達ができて毎日がちょっとだけ刺激的で、楽しい。
「はなちゃーん! 花ちゃん、いる?」
自室として使わせてもらっている部屋の扉が、けたたましく叩かれる。
先輩が趣味を高じて構えている事務所と繋がっているそこから、扉越しに声がかかる。
あの先輩の慌てた様子は、滅多にないお客さんが来るというお知らせであるので、僕にはお茶出しの任務が発生する。間借りの条件でもある仕事だ。先輩はそういうところに煩いひとではないけれど、やっぱり手抜かりは避けたい。
取り急ぎ返事をして、僕は事務所に向かった。
◆ ◇ ◆
事務所とはいっても、普段はもっぱら不思議を探し歩く先輩の基点のような部屋だ。基本的に人を招き入れるようにはできていない。
なんというか、締まりのない学生が集う雑然とした部室と同じ空気感、というのが適当だと思う。
先輩は最低限の動線を確保するために、散らばった本やよく分からない模型を退避させ始めた。
書類やら雑誌やらを押し退けて、どうにかソファとテーブルと椅子を応接仕様に整えたのは、先輩の相棒の黒髪さんだ。髪が黒いから黒髪さん。名前は知らない。――そういえば先輩の名前も知らないけれど、知らなくても不都合はないので特に気にしていない――二人とも線は決して太くないのに、結構な力持ちである。
火事場のなんとやらというやつかもしれない。
僕も雑巾やほうきを持ち出して、掃除を手伝う。散らかっているよりも、ある程度は整っていた方が、お客さんも気持ちがいいだろう。
お客さんとの約束は十五時。なんとか体裁を取り繕うのが間に合って、三人で顔を見合せてほっと息を吐いた。
「頼まれ事なんて、久しぶりだなあ」
お客さんというのも、大概は不思議に関する情報提供者を指すのだが、どうやら今回は更に珍しい部類らしい。
背筋を伸ばしながら、間延びした調子でいう先輩の言葉がそれを物語っていた。
◆ ◇ ◆
時間通りに入口の扉をノックしたのは、背の高い壮年の紳士だった。
パリッとした上等なスーツを纏っている彼からは、それなりに整えたとはいえ雑然とした室内には似合わない気品が溢れている。
その落差に、挨拶もお茶出しも忘れかけてつい見とれてしまった。
先輩には温かい麦茶を、黒髪さんにはハチミツ入りのホットミルクを、お客さんである紳士にはとりあえず先輩と同じものを出した。
僕は今、先輩の座るソファの後ろに控え、お盆を抱えて待機中だ。
ちょうどおやつの時間だし、お茶うけとかも出すべきなのかな、などとぼんやり考えていた時だった。
二十年前に失踪しまった女性を探してほしい。
先輩の元へやってきた紳士は、麦茶には手をつけず淀みなくそう宣った。
「ここ、なんでも屋、ちがう」
黒髪さんは不機嫌そうに眉根を寄せ腕を組み苦々しげに反論するが、紳士は気にも留めずにただ先輩を見据えていた。
「ただの人捜しなら、おじさんもこんな胡散臭いとこ来ないよね。普通」
先輩はにこにこを崩さずに、湯呑みを両手で包みながら言う。
再び会えるのならば何でもする所存なのだと、紳士は語った。勿論、警察には相談したし、探偵を雇って捜索してもいるが、結果は芳しくないそうだ。
「愛していました。でも、ある日突然私の前から消えてしまったのです」
紳士が懐から取り出してテーブルに置いた写真には栗色のロングヘアの女性がはにかむ姿が写っていた。なるほど、美人だ。
「ここ最近は面白い不思議もないし、退屈しのぎの延長でよかったら」
麦茶を一口すすって、穏やかな笑みを浮かべる先輩は、新しい興味の対象の出現を歓迎しているようだ。
「付き合いますよ。彼女さん捜し」
不思議な人捜しが始まったのは、ちょうど春の終わり頃だった。
◆ ◇ ◆
紳士が手をつけなかったためにすっかり冷めてしまった麦茶をすすりながら、先輩に問いかける。
「先輩、そんな探偵みたいなことができるんですか?」
「人捜しなんていうのは、本来なら警察や探偵の領分だけど」
あてにならない風の噂を辿ってくるくらいには切羽詰まってるんだろうね。
と、へらへらと笑いながらいう先輩の真意はよく分からない。
あの紳士がなぜここに人捜しを頼んだのかは分からない。けれどきっと、その過程に先輩達が必要なんだろうことは僕にも分かる。
「お前、メンドウ、すき。巻き込む、迷惑」
自身と僕を交互に指しながら憤慨している黒髪さんは、溜息を吐いてから、空になったマグカップや湯呑みを流しに運びに行った。
先輩は怒んないでよ、と片手をひらひら振った。
「ちょちょいっとお願いしますよー」
「断る。自力、やれ」
ばっさりと切り捨てられても、先輩の表情は崩れない。
「萬堂の甘なっとう奢るから」
「……」
黒髪さんの動きがぴしゃりと止まる。
「どら焼きもつけるよ」
先輩はそれを承知で畳み掛ける。
「…………甘味三昧セット」
黒髪さんが折れた。
僕は今まで、甘味を引き合いに出されて頷かなかった黒髪さんを見たことがないので、このやり取りには慣れっこである。
「うん、じゃあ交渉成立ね」
いつもと同じように決着すると、先輩は満足げに頷いてソファの背もたれに沈みこむ。
この時まだ、僕は何も気づいていなかった。
先輩たちが気づかせなかった、というのが適当なのかも、未だに分からない。
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