彼岸の質屋
Author――六車むつ
三途の川というのは、死人が彼の世にいく際に必ず通る場所だ。
現世での行いに応じてその渡り方は異なる。
善き行いをした者は橋で、普通の行いをした者は浅瀬を、悪い行いをした者は流れの早い深瀬を行かされる。この三つの方法が三途の川と呼ばれる所以である。
家によっては納棺の折に、船の渡し賃として六文を持たせ、極楽まで辿り着けるよう計らう遺族もいるそうだ。
しかし、そもそもこの三途には渡守という概念がないので、無用の長物という他ない。死は、富める者にも貧しい者にも平等だ。
さて、三途の川を渡った先には、川を渡ってきた死人の衣服を剥ぎ取る鬼がいる。
この鬼は剥いだ衣服を木の枝に引っかけ、枝の撓み具合で極楽行きか地獄行きかを振り分けるのだ。
橋を渡ってきた者の衣服は乾いていて軽いため、極楽へ。深瀬を進んできた者の衣服は水を含んで重いため、地獄へという実にシンプルな仕組みである。
今日も今日とて大勢の死人が川を渡る中、一際激しく水しぶきを上げる者がいた。
年の頃は十七、八といったところだろう。
少女はやっとの思いで岸に這い上がると、肩で息をしながらべたりと砂利に座り込んだ。
「もう……っ、なん、なのよ。なんなのよ! このまま生きていたら辛いことしかないと思ったから死んだのに。わたし、泳げないのにいきなり川に放り込まれて……ああ、もう散々だわ! 死んでからもこの有様なんてあんまりよ!」
「あれまあ、お嬢ちゃん。随分と派手に濡れたもんだねえ」
作務衣姿の若い男が一人、からからと笑いながら、泣きわめく少女に近づいてきた。
少女はぴたりと泣き止み、男を凝視する。警戒しているようだ。
「そのままじゃあ生き地獄どころか、本当に地獄行きだよ」
男は視線を気にするでもなく、今まさに地獄へと振り分けられる様と少女へ、二、三度指を往復させた。
少女の顔はみるみる青ざめる。
自殺は殺人に匹敵する行いとされるのが、三途の通例だった。
「あんたも可哀想な身の上だ。極楽にいく手だてがないわけじゃあねえさ」
男は乾いた衣服を差し出して言う。
「あんたが生きるはずだった寿命と交換だ」
「なによ、そんな安ものでいいの?」
それで極楽行きが決まるならくれてやるわとばかりに衣服を引ったくり、そそくさと少女は橋の陰へ引っ込んだ。
男は少女のいた場所に佇む淡く光るゴルフボール大の球体をつまみ上げると、懐へ仕舞った。
「輪廻ってのは酷だねえ」
苦笑していた男は何かを見つけると、下駄で橋の欄干をひょいひょいと伝って対岸に降り立った。
「どうした坊ちゃん。迷子かい?」
「おじちゃん、だれ?」
そこにいたのは齢五、六の少年だった。
川渡りを待つ列に並ぶでもなく、右往左往ふらふらしている。
およそサイズの合わない野球帽は少しくたびれていて、不審者に声をかけられたせいか大きな目からは戸惑いが見てとれた。
男は警戒を解こうとしてか、へらりと笑って答える。
「おれは誰でもねえよ。――坊っちゃんはまだ、川を渡るには早いなあ」
笑顔から一転、神妙に首を傾げる男を不安に思ったのか、少年は絞り出すように呟いた。
「母ちゃんと父ちゃんにあいたい……」
男は少年の言葉に暫し何かを思案して、やがて懐から先程の光る球体を取り出す。
これがあれば、両親の所に戻れる。
そういって球体を少年の目の前に掲げる。
言われればもう条件反射か、少年がそれを手に取ろうとした瞬間、男は光の球を掌へと隠してしまった。
「でも、タダでくれてやる訳にはいかねえ」
少年の顔に一気に無念が広がった。
服中のポケットに手を入れるまでもなく、お金なんて持ってないと項垂れる。
男はにやにやしながら手中の球を弄んで、それじゃあ、と口を開いた。
「代わりにこいつをもらっておくか」
少年のぶかぶかの野球帽をかっさらうと、満足げに口もとを歪めて自ら被る。
人さし指を唇に当て体を屈めると、少年の上着のポケットに球体を滑り込ませた。
「これを持って向こうに戻りな。誰にも見つかっちゃならねえよ」
少年は希望の差した顔を上げ、何度も頷き、男の指差す方向へと駆け出していった。
◇ ◇ ◇
ある初夏の昼下がり。
歓喜に満ちた女性の声が、白い部屋に響き渡った。
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