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この謎が解けますか? Re...  作者: 『この謎が解けますか?』 企画室
永遠
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エネルギーの通貨(解決篇)

 御手洗と小山が東京から帰ってきてから三週間たったある日のことである。

 非番である小山巡査は家で一人手帳を眺めていた。そこには、毛利佐奈殺害事件の関係者のアリバイが記されていた。それは以下の通りである。

「青木良一、N大学体育学部に在学、宿泊客。午後二時五十分から四時の間(以後仮の死亡推定時刻とする)は休憩所でテレビを見ていたと証言、旅館の職人の何人かがその姿を見ているためアリバイとして成立。午後四時半から五時半の間(以後真の死亡推定時刻とする)は、自分の部屋でテレビを見ていたと証言、証明できる人間なし。

 杉本椿、旅館の女中。仮の死亡推定時刻には露天風呂の清掃をしていたと証言、証明できる人間なし、真の死亡推定時刻には佐奈の泊まる隣の部屋の清掃を担当。イヤホンで音楽を聴いていたため、争う音などは聞いていない。佐奈の部屋は角にあるから、椿が掃除する部屋の前を通らなければならないが、山本以外に部屋の前を通った人間はいないと証言。ただし、椿のアリバイを証明できる人間なし。

 湯川伸弥ゆかわしんや、T大学理学部物理学科に在学、宿泊客。仮の死亡推定時刻には件のコンビニで買い物をしていたことが店内の監視カメラによって証明、真の死亡推定時刻にはバスに乗って旅館に帰ってくる途中であったと運転手が証言している。

 江端健介えばたけんすけ、軍事評論家、宿泊客。仮の死亡推定時刻は部屋でうたたねしていたと証言、証明できる人間なし。真の死亡推定時刻には休憩所で新聞を見ていたところを、職員の何人かが証言している」

 小山はしばらく思案顔でこれを見ていたが、急に手帳を閉じたかと思うと、最近御手洗がもっと勉強しろと言って渡してくれた法医学の専門書を開き、いつものゆっくりとした調子で音読し始めた。

「死後硬直とは、死に伴って筋肉を収縮させるエネルギー源であるATPが枯渇することによっておこる筋肉の硬化のことである。硬直し始める時間には個人差があるし、その他多くの条件によって変化するが次に述べる予定が一般的には正しいといえる。

 硬直はまず顔と顎に死後三時間のうちに発生し、それから胸、腕、腹、そして最後に足へと発生する。死後硬直の程度を観察することは、死体の死亡推定時刻を見極めるのに有効な手段であるといえるだろう……。ただし、例えば周りの温度が高かったり、激しい運動をしてATPが少なくなっている場合などは硬直が早く始まるから注意が必要である」

 小山は何か考える素振りを見せた後、佐奈の司法解剖を行った医師に電話をかけた。運よくすぐに医師が出てくれて、応対してくれた。

「ああ、君か。御手洗警部に叩かれていた、名前は……」

「小山です」

「ああ、そうそう。それで、私に何か用ですか」

「先生は検視官の出した死亡推定時刻よりも、自分のモノのほうが正確である、とおっしゃいましたね。それについてもう少し詳しく教えてくださいませんか」

 電話の向こうで医師の苦笑した声が聞こえた。

「ああ、そういやあの時も気にしていましたね。なあに、簡単なことですよ。検視官は死亡推定時刻を死後硬直だけで出しました。しかし、解剖する場合は他にも直腸内温度や胃の内容物の消化具合など、複合的に判断します。これらが、すべて推定時刻が四時半から五時半であると示してくれました。逆に二時五十分から四時だと示したのは死後硬直だけだった。このことから次のことが分かります。死亡推定時刻は四時半から五時半で、死後硬直は何者かがずらした可能性が高い。もしクーラーがずっとついていたなら、ここまでずれるとは考えにくいですからね。」

「しかし、死後硬直をどうにかするなんて普通の人が気づきますかね」

「最近はこの手の話をミステリー小説などでも紹介していますからね、知っていたとしてもそうおかしくはないでしょう」

「そうなんですか……。やはり、この工作は犯人……、山本が行ったんでしょうか」

「それは私ではなく、刑事さんが考えることでしょう。まあ、常識的に考えてそれ以外ないと思いますがね」

「なるほど」 小山は小さく頷いた。例えば、殺人犯である山本を何者かが庇おうとして細工を行ったと考えるとしよう。しかし、それには山本がどの時刻にアリバイがあるのか、詳しく知っていなければならない。それに、そもそも犯行を庇うほどに山本と親しい人間はあの旅館にはいなかった。やはり、死亡推定時刻をずらそうとしたのは山本で間違いないのだろうか。

 小山はもう一度、医師に尋ねた。

「これは重要な話なんです。念のためもう一度確認しますが、死亡推定時刻がずれたのは何者かによって意図的(・・・)に行われたものと考えていいですね、偶然ずれてしまったということは考えられませんね」

「まず考えられないと思います」

 小山はこの答えに満足した。医師にお礼を言って電話を切る。

「不思議だ……」 小山がぽつりと呟いた。小山には佐奈を殺害した事件についてどこか違和感を覚えていた。

 例えば、山本はなぜ死亡推定時刻をずらそうとしたのか。おそらく彼は自分のアリバイがある時間が犯行時刻であるように見せたかったからだろう。事実午後三時には旅館を出て、帰ってきたのは四時五十分であるから、警察が死亡推定時刻を二時五十分から四時だと誤認すれば彼に殺害は難しいと見なされるだろう。

 しかし、である。あくまで犯行が難しいだけであって、確かなアリバイを作ったとは言い難い。なぜなら、山本が二時五十分に佐奈を殺害し、すぐに旅館を出たと考えるのは一応(・・)可能だからだ。ただし、この考えだと山本がなぜ四時五十分に再び旅館に戻ってきているのかは説明できない。人を殺害した人間が再び現場にのこのこと戻ってくるとは考えにくい。だから、アリバイ作りは曲がりなりにも一応成功しているということはできるだろう。しかし、自分が犯行を犯すのは絶対的に不可能である状況を作り出すことだってできたはずなのに、それをしなかったのは気になる。

 さらに奇妙なのは、なぜ山本は妻が眠っていると偽って五時十三分に旅館を出たのかということである。これのおかげで警察は山本に疑いを持ったのだ。わざわざ自分のアリバイ作りをしたのだから、普通に旅館にとどまればその身は安全なはずである。それなのに、その安全を捨て去って、その場から離れたのはどう考えても不自然だ。これでは、自分が事件に関わっていると高らかに宣言するようなものだ。せっかくのアリバイ作りも水の泡である。

 不自然なことはまだある。山本の自殺である。山本は佐奈殺害を悔いて自殺した、という見解が多いが、アリバイ工作までした冷静な人物が後から良心に苛まれて、おまけに警察への出頭ではなく自殺を選んだというのは、どうにもちぐはぐな気がしてならない。

 そして、一番気になるのはそもそも佐奈を殺害した動機は何か、ということである。

 旅館の者によれば、二人は見ているこちらが和むほど、仲睦まじい様子だったそうだ。それなのに、なぜ殺人など犯したのか。

 その場で喧嘩でもして、発作的に殺したのだろうか。いや、それだとちょっと妙だ。山本が旅館に帰ってきたのは四時五十分、出たのが五時十三分だから、わずか二十三分の間に殺害を行ったことになる。勿論、手で首を絞めるだけであるから、殺害自体はそう時間もかからない。しかし、殺害に至るような二人の争いなども勘定に入れれば、ちょっと時間が短すぎやしないか。

 御手洗警部補は、現場の状況から

「山本は佐奈殺害の犯人で間違いない」 と断言した。確かに捜査の段階で浮かび上がった事柄一つ一つを取れば、山本は最も怪しいと言えるだろう。しかし、じっくりとこれらすべてを考えると、説明しきれない事情がいくつも出てきてしまう。

 本当は、山本は犯人ではないんじゃないか。小山にはその考えが頭から離れなかった。しかし、仮にそうだとして、なぜ彼は旅館から逃げるとき、誰も部屋に入らせないようにしたのか。

 彼は死体が見つかるのを遅らせたかった。即ち、自分の逃走時間を確保したかった……。

「犯人でないのにそんなことをする理由なんて、あるはずが……」 と言いかけて、ある一つの考えが浮かんだ。

 山本は、最初の死体発見者だったのだ! 彼が旅館に帰ってきた四時五十分の段階で、佐奈は既に(・・)殺されていたのだ。

 彼は犯人ではないが、佐奈が殺されたことを旅館に知らせたくないわけがあったのだ。

「推理の材料はもうすでに揃ってたんだ」

 小山は急いで山本の遺書をもう一度読み直した。

 捜査関係者は山本が佐奈を殺害し、それを悔やんで自殺したと思い込んでいた。しかし、よく読むと一言も「佐奈を殺した」 ということは書かれていないのだ。勝手に捜査関係者が遺書から想像して、「殺人を悔いた自殺」 だと読み取ってしまった。しかし、それは捜査する方にとって都合の良い解釈なだけであり、事実とは異なっていた。

 山本は一流の会社でそれなりの地位を築き上げてきた。もし彼が正直に遺体発見を知らせたとしても、警察の疑いは当然彼にかかる。そうすれば彼の名前は新聞に載るかもしれない。例え彼が犯人ではないと警察に示せたとしても、自分と佐奈の関係性は周りにバレてしまう。

 彼は会社での力を失うだろう。いや、それどころか会社にいられなくなるかもしれない。家庭は崩壊し、下手をしたら離婚ということになる。

 彼はそういったことを死体発見時に思ったのだろう。そして、彼の頭の中に悪魔の囁きがあったのではないか。

「このまま逃げてしまえば良いじゃないか」 と。宿帳に書かれた住所、名前は偽物だし、女の身元が分かりそうなもの、例えば免許証などは回収してしまえば良い。おまけに、旅館は辺鄙な田舎にある。自分の身分を知っている者など、誰もいやしない。

 だから、彼は旅館から逃げたのではないだろうか。だから、わざわざ嘘までついて逃走時間を伸ばしたのではないだろうか。

 しかし、彼は自宅まで辿り着いて気づいたに違いない。彼はコンビニエンスストアでクレジットカードで支払いを済ましていた。警察がその気になれば、自分の身元はすぐに知られてしまう。

 そうなればどうなる? 彼が今まで築いてきたものは、音を立てて崩れ去っていくだろう。そこから這い上がり、やり直せるのは若いうちだけだ。彼はあまりに歳を重ねてしまった。

 おまけに家庭での彼の居場所はなくなるだろう。妻の彼への愛情はなくなり、子供の尊敬の眼差しは、軽蔑のそれに変わるだろう。いや、それどころか離婚という形で家庭そのものが消えてなくなるかもしれない。

 そう考えたとき、彼はこれから生きていく意味を見出だせなくなってしまったのではないだろうか。遺書に書かれた内容は、そういうことだったのではないか。

 小山は直ぐに御手洗に連絡し、自分の考えを述べた。御手洗は小山の考えに賛同し、捜査をもう一度やり直すことに決めた。警察の再捜査が始まったのだ。

 問題となったのは、佐奈を殺害した真犯人は誰か、ということである。

 誰が犯人にしろ、隣の部屋で掃除をしていた椿に顔ぐらい見られていてもよさそうである。いくら音楽を聞いていて聴覚が当てにならなかったのだとしても、人が通れば気配でわかるはずだ。しかし、彼女は山本以外誰も部屋の前を通っていない証言している。

 直ぐに、彼女が真犯人で、掃除をしていたというのは嘘でないかという意見が出た。しかし、彼女が犯人だとすると、死亡推定時刻をずらす動機がないのである。椿には二時五十分から四時の間のアリバイがないから、死亡推定時刻をずらす意味がない。

 それでは、彼女が真犯人の共犯だとするのはどうだろうか。彼女は真犯人が隣の部屋で殺害しているのを知っていながら、知らないと嘘の証言をした……。

 しかし、やはりここでも死亡推定時刻の話が適用される。例え死亡推定時刻をずらしても、椿自身のアリバイを作ることができないのだ。そんな話に、彼女はわざわざ乗るだろうか。

 結局、仮説は椿が佐奈を殺害した人物を偶然見てしまい、その人物を庇っているというところに落ち着いた。

 では、椿が庇う真犯人とは誰か。犯人は死亡推定時刻を現場でずらそうとしていた。すなわち、そのずれた先の時刻にアリバイがあり、尚且つ実際の推定時刻時にはアリバイがない者が犯人である。

 物理学を学んでいる学生の湯川伸弥はどちらの時刻にもアリバイがあるから論外であるし、江端健介は真の死亡推定時刻にアリバイがあるから、除外される。

 残る青木良一が上記の条件に合致する。

 警察は青木と椿を重要参考人に指定し任意同行を求めた。

 青木は警察署ですぐに自供した。曰く、彼は山本がコンビニに買い物へ行っている間に、件の部屋に忍び混んだ。そこで、眠っていた毛利佐奈を襲ったが、目を覚まされ抵抗された。大声をあげて助けを呼ばれるとまずいと思い、首を絞めたと述べた。自分が疑われないようにしなければと、アリバイ作りのためにクーラーを入りタイマーに設定したらしい。犯行は午後四時半に行われた。

 椿は掃除をしているときに、青木が部屋の前を通りかかったことを知っていた。その時は仕事を優先したが、何か嫌な予感はしたという。毛利佐奈の死体を発見した瞬間に、青木が犯人だと分かったらしい。椿は恋人の彼を守るため、部屋の前は山本しか通っていないと嘘をついたのだ。

 事件は幕を閉じた。

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