あやかりゴースト・後
3
秋森さんによると亡くなったのは柏木さんだけじゃないらしい。実はだいたい想像がついていたが、やっぱり円居さんも犠牲になったようである。
第一発見者は翁長さん。便所に向かう途中、半開きになった二○三号室のドアが気になり、部屋に行って見付けたらしい。
「腹上死というやつか?」
大広間に向かう途中で百合籠さんが言った。
「やめてくださいよ、こんなときに冗談言うの」
「いやいや、真面目に言ってるんだよ」
「あっはは」
渡邊さんがゲラゲラと下品に笑う。そんな僕たち三人を、秋森さんは死の際の大森さんみたいな目で見ていた。自重しよう。たしかに緊張感が足りなかったかもしれない。
二階にさしあたり、百合籠さんがいきなり立ち止まった。
「どうしました?」
「ちょっと! なにをしているんですか! 早く大広間に向かわないと!」
秋森さんが階段の途中で呼びかける。だけど、百合籠さんはちっとも意に介せず提案した。
「死体を見て行かないか?」
それは単なる興味本位なのか、それとも別の意図が含まれているのか。僕としては人の死体なんて見たくないし近づきたくない。だけど、百合籠さんが確認するぶんには問題ないし、そこに意味があるのならぜひともそうするべきだと思う。なんせ命がかかっているのだから。
「今は大広間に行くところでしょう! なにを言ってるんですか!」
秋森さんの反発は仕方のないことだろう。一度死体を見ているのなら二度と見たくないだろうし、切迫した状況で人を待たせているのだから、本来ならすぐにでも大広間に向かうべきだ。
「なら君たちだけで行ってくれ。僕もあとで向かうよ」
しかしあくまで百合籠さんはその意見を崩さない。まあ、自分を曲げてしまうような百合籠さんなんて百合籠さんじゃないしな。そんなのはもう薔薇籠さんだ。
「な……! ……そ、そんな勝手が通るか!」
「僕も行きますよ」
僕の言葉に、秋森さんが「はぁ⁉」と。ついでに百合籠さんまで怪訝な表情をしていた。秋森さんはともかく、百合籠さんはやめてくれよ。
「花上さんまでなにを言ってるんだ⁉」
「だって、百合籠さんを一人にするわけにはいかないでしょう? いま一人になるのは危険すぎる」
「そうじゃなくて! だったら、花上さんが百合籠さんを説得したらいいって話じゃないか!」
僕は場違いにも思わず噴き出してしまった。いや、言ってること自体はそんなに間違ってないんだけど。
それが秋森さんの気に障ってしまったようで、なにごとかを怒鳴りつけている。
でも、だって、仕方がないじゃないか。だってあの百合籠さんが、人の説得に耳を貸すなんて――しかも、よりにもよって僕の説得に耳を貸すなんてありえない。
「もういいじゃない、私たちだけで大広間に行っても。行きたい人はどこにでも行かせればいい。あくまで自己責任でね」
そこで渡邊さんが助け舟を出してくれた。ぱちくりとウインクする渡邊さんに、僕は謝意を込めて彼女だけにわかるように小さく頷いた。
さすがに三対一での言い争いは無謀だと思ったようで(というより怯んだ?)、秋森さんは「ああわかったよ! 好きにすればいいじゃないか!」と叫んでさっさと行ってしまった。そのあとに渡邊さんが「ああん、置いていかないでぇ~」と追いかけていったんだから茶番だ。ついつい苦笑いを浮かべてしまう。
さてと。
「君ごときに心配されるなんて、僕もおちぶれたな……」
百合籠さんの相変わらずの悪口。安心する…………わけがない、うん。僕はMじゃないので言い返す。
「誰が誰の心配をしたんですか? 百合籠さん」
ドアを開けて、まずその熱気と臭気に眩暈がした。頭がぼんやりふんわりとして、もともと眠たかったのもあり足元がおぼろげになる。
入口で足を竦ませている僕を押しのけて、百合籠さんが部屋に入る。
「役立たずはそこで突っ立ってろ。検死は僕がやる」
それは百合籠さんなりの気遣いか、それとも文字通りの意味か……。貴重なデレ成分だとしたらいいけど、それはそれで気持ち悪いから嫌だな。
役立たずはむきになって言った。
「いいえ、僕も見てます」
寝室のふすまは最初から開かれていて、なかに入ったのと同時に、柏木さんと円居さんの死体が露になる。
真っ先に目に入ったのは、顔。いや、正確には顔ではない。なぜなら二人の顔はとうになくなっていたからだ。むき出しになった肉の、艶を帯びた色が目に焼き付いた。
グロテスクな光景に、僕は目を逸らす。しかし百合籠さんは当然のように近づいて観察を始める。
「もうリタイアか。情けないな」
こんなのリタイアしても情けないの内に入らないだろ。
「ふん。そもそも君の体内にだって同じ血が流れているんだよ。それに、この肉も。それがちょっとばかしむき出しになったからといって、なにを怖がることがある? 君はあれか、食育の屠殺映像を観て『もうしばらくお肉食べられなーい』とか甘ったれたことを抜かす脳足りんのスカポンタンと同類なのか? ならばこれを機にベジタリアニズムに目覚めるといい。そして菜食主義者に転換するんだな」
「屠殺を見て肉が食べられなくなるのは別に脳足りんじゃないでしょう」
これは共感性の問題だ。
「さて、検死といくか」
百合籠さんは僕の反論に耳を傾けない。相変わらず言いたいことだけ言ってあとの言葉は聞き入れない百合籠さんのスタンスには腹が立つ。
「ふむ、死後一時間以上は経っていないだろう。死亡推定時刻は――十三時から十三時半といったところか。凶器はここの備品のハンマーのようだな。両人ともハンマーで顔の判別がつかなくなるほど殴られている。いや、潰されていると言った方がいいのかな?」
「そんな些細なニュアンスはどうでもいいですから」
「ハンマーは柏木と円居が握り締めている。まるで心中でもしたみたいだな。まあ、そんなことはありえないだろうが。……それと、死体は押入れからずり落ちたような形になっているな」
押入れからずり落ちた?
僕は一瞬、榎さんの死体を思い出したが、あれはもともとテーブルにあったのを渡邊さんが押入れに押し込んだだけだ。それがふすまを開いた拍子に落っこちたわけであって。
だけど今回の場合は、最初から押入れからずり落ちた状態で死んでいるということになるのか。
なにか作為のようなものを感じなくもない。……そうだ。
「そのハンマー……」
僕は百合籠さんのいるあたりを指さしながら言った。とはいえ顔を向けているわけではないので、もしかしたら全然見当違いのところを指しているかもしれない。
「ああ、エントランスのものだ。あとでもう一度大森の死体も確認しておこう」
第一、第二の被害者との共通点……。しかも、この共通点にはある共通点がある。
「おや、このハンマー、よく見ると柄の方には血が一滴もついていないようだな。…………ふふん、わかってきたぞ……。はは、しかしこいつは墓穴を掘るのが好きなようだな。ならば穴の屍にしっかりと土を被せ、立派な墓標を立ててやるのが人間の優しさというやつじゃあないだろうか?」
すごく意地の悪い笑顔で、悪魔みたいな意地の悪いことを言う百合籠さんだった。
「さて、大広間に行こうか」
そんなに調べていないのに、もう満足なのだろうか?
言って、百合籠さんは立ち上がる。僕は最初から立った状態で待機していたので、百合籠さんに先駆けてドアの方へ向かった。
ちょうどそのときだ。
部屋がぐらりと揺れた。身じろぐ僕。
地震か? 最初はそう思った。だけど違った。部屋が揺れたというよりは、なんというか、床が沈んだような感覚――。
まさか……。
みしり、と、床が音を立てた。
――やばい!
「百合籠さん!」
「ああ! 走れ!」
百合籠さんは珍しく決死の表情で叫んだ。
僕はドアの方まで駆けた。後ろの方では床が大きな音を立てて端から崩れ落ちていく。冒険映画さながらの光景。僕はどうにか廊下に出られたが、振り返った瞬間に見えたのは、百合籠さんが下へ落ちていくところだった。
「――百合籠さん!」
……それから一瞬の間、記憶に空白ができた。
自分がその後どんな行動をとったのかはわからない。
百合籠さんはどうなったんだ? まさか落ちたのか? 生きてる? 死んでる? 僕はどうしてる?
そして。
いまとなってようやく、思考が無意識に追いつき、結果を認識することができた。
「ぐ、ぎぎ……」
僕は百合籠さんの手首を掴んでいた。ぶらりと浮く百合籠さんの身体――手を離せば彼女はその身を階下へ落とすことになる。この高さから落ちた場合、まあ良くて軽症で済みそうだが、あいにくと今日この場に限りその可能性はなさそうだ。
筋肉に嫌な感触が走り、手が震える。
百合籠さんは、普段なら冷ややかな視線を注いでくるだけのその瞳を、形の良いまんまるにして僕を見ていた。僕だって自分でも自分の行動に驚いているさ。
それから少しの間、僕は百合籠さんと見つめあう。
時間にして何秒、あるいは何分、あるいは何時間が経過したのだろうか。月並みなことを言えば、それは一瞬にも感じられたし、永遠にも感じられた。
そして、「は――」と百合籠さんの唇が動いた。凍結の魔法が解ける。
――「は」? 百合籠さんはいったいなにを言おうとしているのだろうか。聞き取れ。僕は集中して耳を傾ける。
「早く引き上げんかっ! この痴れ者!」
「第一声がそれかよ!」
手を離してやろうか⁉
僕だって一生懸命頑張ってんだよ! テントウムシだってなあ、頑張って生きてんだよ!
結局、百合籠さんを廊下まで引っ張り上げるのには三十秒ほどの時間を要した。
「肩が痛いな……。くそっ、君はあとで仕置きだからな」
「なんで⁉」
むしろ感謝されてしかるべきだよね⁉
「しかし、急に床が抜けるとは……。これも《十一月九日》の現象のひとつか。いやはや、一時も油断できんな」
すごく危なかった。最初から部屋をあとにしようと動いていなければ、僕も百合籠さんも奈落の底――一階分しか差はないけど――に落ちているところだっただろう。
そういえば、下はどうなっているんだろう。この位置だとおそらく便所と大広間にまたがっていると思うけど。
「さ、さっさと大広間へ行くぞ」
僕がそんなことを心配している間、百合籠さんはちっとも二○三号室のことを気にしていなかった。
百合籠さんはもう二○三号室に向いていない。自分が死にかけたことへの恐怖もなかった。
そんな百合籠さんを見ていると、僕も頭のなかにあったあれこれといった雑念がすっと消えていく。
僕と百合籠さんは、皆がいるであろう大広間へ向かった。
◇
大広間へ向かう途中に確認しておいたが、大森さんが固く握りしめていたハンマーはすでにエントランスにはなかった。また、大森さんの右手の指にさっきまではなかった骨折を確認することができた。
「やはりな……」
と百合籠さんは得心の表情。
それから廊下へ進もうとすると、
「あ~! ゆられちゃん!」
馴れ馴れしい声。下の名前で呼ばれた百合籠さんはむっとしたが、それが渡邊さんの発した言葉だと知ると、不快を飲み込んで表情を変えた。
見ると廊下に出ていたのは渡邊さんだけではなかった。おそらくこの建物にいるほぼすべての人物がここにいると見える。
これもおそらくだが、二○三号室の崩落に大広間も巻き込まれたのだろう。
「聞いてよゆられちゃん! いきなり天井が落っこちてきてね、もう大変だったんだから!」
やっぱり。
「はあ、そうですか」
興奮している渡邊さんを窘めていると、
「百合籠さん……」
秋森さんが僕たちに気付き近づいてきた。
「いまの崩落で泉井さんが亡くなりました……。ところで、なにか目ぼしい発見はありましたか?」
明らかに百合籠さんを責め立てる物言いだった。しかし百合籠さんは素知らぬ顔で「ええ」と言った。人の死に一切の動揺を見せない百合籠さんを、気味悪がるような顔で睨みつけて秋森さんはその場を離れた。その際、「ふん」と吐き捨てることも忘れない。
しかし……泉井さんが。たしか、あの無口な男の人だったよな? 印象が薄くて、亡くなったと言われてもあんまり実感がわかないな。
「みなさーん! ちょっとお話があります」
百合籠さんが声を張り上げた。普段なら絶対にこんな声聞けないので、ちょっと新鮮で面白かった。その場にいた全員が百合籠さんを見る。
ただ、ほとんどの人は百合籠さんに対して好意的ではないようだ。大体が睨みつけるような目付きで、とりわけ秋森さんと鴨田さんは反発を一切隠していなかった。
鈍感なのか胆力が備わっているのか、百合籠さんは気にせずに続けた。
「柏木さんと円居さんの死についてです。再びみなさんにお訊きしたいことがあります。――と、その前に……」
なぜか大事だと思われる話を中断して、謎の前置きをする。
なんだろう?
百合籠さんはなにかを思い出すようにして視線を右上に投げて、それからぱっと華やかな笑顔になった。
「私事で大変恐縮でありますが、これよりうちの和親の仕置きを始めたいと思います。どうかお付き合いください」
「は?」
僕? 仕置き?
なんだ、なにを言ってるんだ?
いまはそんな呑気にしている場合じゃないだろう。早く話を進めないと。というかそもそも、お仕置きって言ったっていったいなにをするんだよ。
僕が疑問に思っていると、百合籠さんがこれでもかというほど楽しそうになにかを諳んじ始めた。
「『私は、そのとき後頭部を強く殴られたような衝撃を受けた』」
な、なにを……。いきなり説明口調になったぞ。
いや、これは朗読か? でも、どこかで覚えのあるような……。
「『それほどまでに衝撃的な光景だったのだ』」
はっ。
……まさか、これは!
「いやぁああああああああ!」
「『それは妹の亡骸だった。それを認めた瞬間、目の前に真っ赤なオーバーレイレイヤーがかかったみたいになった。レイヤーの不透明度は少しずつ上がっていった』」
「ああああああああああああああああああぁぁああああああああ!」
それは……それは僕が二年前に書いた《イモウトロジック~最初で最後の妹~》の第一章じゃあないか! いままで書いたなかで、たぶん一番痛かったやつ!
あれはすでに焼却処分したはずだ! なのにどうして、どうして知り合う前に処分した原稿の中身を百合籠さんが知っているんだ⁉
「オーバーレイレイヤー? 不透明度? ……いったいどういう意味ですかね?」
はは、と微笑を湛えてその場にいた人々に問いかける。
視界が少しずつ赤く染まっていったってことをちょっと変わった表現で書きたかったんだよ! 悪いか⁉
「う、うう……もういやだ」
あれ……なんだこれ? 頬を伝うなにかを手の甲で拭う。うわ、ガチで涙が出てきた。
気付いたら、僕は蹲って嗚咽を漏らしていた。
僕の視界はまるで真っ赤なオーバーレイレイヤーをかけたみたいに赤く染まっていった。レイヤーの不透明度は少しずつ上がっていく。
「ううっ、ぐっ……ぅ」
「よしよーし。花上くん、大丈夫ー?」
渡邊さんが僕の背中をさすったそのとき。
「こ、こんなときになにをふざけているんだよ⁉」
鴨田さんの怒鳴り声が聞こえてきた。背中をさする渡邊さんの手の感触で、渡邊さんの肩が震えたのがわかった。
僕は、俯けていた顔を上げて、鴨田さんを見た。鴨田さんは、主に百合籠さんに対して憤怒の表情を見せていた。
「そうですね、すいません。それじゃあ茶番はこれくらいにして、話を進めていきましょう」
あっさりすぎる百合籠さんに、鴨田さんは少々毒気が抜かれたようだが、しかし複雑な思いは変わらないようで、すぐに怒りの表情を思い出した。
そんな鴨田さんを、眞部さんは困った顔で見ている。愛則さんは困惑している。
いまにも身を乗り出そうとしている秋森さんを、翁長さんと川満さんが宥めている。
うん、百合籠さんが空気を読めないせいでこの場に不和状態が生じているな。
「場所、変えますか?」
と僕は提案した。
「いやいや、大広間以外で全員が肩を並べられる場所と言ったら、もうこのエントランスしかないでしょ? みんなもこっちへおいでよ」
渡邊さんが僕の言葉を否定して、廊下側にいる六人に手招きした。おいおい、ただでさえ興奮している人間をこっちに近づけても大丈夫なのかよ。それに、大森さんの死体もあるし。
六人はしぶしぶといった感じでエントランスにやってきた。しかし意外にも、誰も百合籠さんに襲い掛かったりしないし(当たり前か)、大森さんの死体を気にかける様子もない。僕の心配は杞憂に終わった。
「で、これからなにを話すの?」
川満さんがぶっきらぼうに言った。
「みなさんのアリバイについてです。ああ、僕と和親はずっと渡邊さんと一緒にいたので、その間のアリバイは保証されています」
渡邊さんがにこにこ~っと手を振る。
秋森さんが不快げに眉を寄せる。
「アリバイ? どうしてそんなことを訊かにゃならんのです? どうせまた呪いのせいなんでしょう」
「いいえ、これは殺人です」
百合籠さんはきっぱりと断言した。エントランスがざわつく。あの渡邊さんですら驚きの表情を浮かべている。
百合籠さんは波紋のように広がる動揺を楽しんでいるようだった。
「殺人なんて……どこにそんな証拠があるんですか?」
ざわめきが落ち着き、眞部さんが訊いた。
「えーっとですねぇ。これ――亡くなられたヒステリック大森氏の右手を見てください」
芸名みたいに言うな。
と、百合籠さんは大森さんの手首を握り、軽く持ち上げた。なんの抵抗もなく死体に触れ、あまつさえ死人のことを馬鹿にするような口ぶりの百合籠さんを、渡邊さん以外の全員が――もちろん僕含めて――気味悪がった。渡邊さんは面白がってた。
百合籠さんが大森さんの右手首を掴んでから、数秒が経った。
百合籠さんはなにも言わない。誰かの反応を待っているようだった。
全員がそれに気づき、違和感探しを始める。
「……あ、ハンマーがない」
「それに、なんだか指がバキバキに折れてるね」
翁長さんが言って、それから愛則さんがさらに続けた。百合籠さんは満足げに頷いて、
「そうなんです。そこなんです。この大森さんの右手、握っていたはずのハンマーが消え、指がジャキジャキに折れてしまっているのです」
「ジャキジャキ……?」眞部さんが復唱した。
渡邊さんがぷっと笑って、「ゆられちゃんはね、オノマトペのセンスが一世代先を行ってるのよ」と説明した。
その通りだと言わんばかりに頷く百合籠さん。時流はいまに乗っていることが大切なんだから、別に渡邊さんは褒めてるわけでもないのにね。
「それともう一つ。柏木さんと円居さんの死体を思い出してください。二人の死体はどこにありましたか?」
「それは――二○三号室じゃなかったっけ?」
ぱっちりしたその目を上目遣いにして、川満さんは言った。
しかし百合籠さんはその答えが気に入らなかったようで、
「いえ、二○三号室のどこで、どういう状態で亡くなられていましたか?」
と首を振った。
「そうだねぇ。二○三号室の寝室で……あ、押入れのすぐ下? にありました!」
「そうです、それを言ってほしかったのです」
眞部さんの答えに百合籠さんは満足したようだ。ただ、すげなく否定された川満さんはむっとした表情になった。
「押入れのすぐ下……なにか思い出しませんか?」
「あ、そういえば榎さんも……」
「正解です、愛則さん」
なんか、クイズ大会みたいになってるな……。
「気付きましたか? 柏木さんと円居さんの事件……第一・第二の犠牲者の死に方と共通している点があるんです」
百合籠さんは得意げに言っているが、周りは「だからなんだ?」という表情をしている。
百合籠さんはものわかりの悪い子供に教えるように説明を始めた。
「つまりですよ、第一・第二の犠牲者と共通点を作ることによって『これも呪いのせいなんですよ』と主張しているんです、この犯人は。第一第二からの第三の流れを作ろうとしたんですね」
「で、それがなんなの? 単純に全部呪いだから似たような死に方になっただけじゃないの?」
鴨田さんが反駁する。だが百合籠さんは即座に切り返した。
「いいえ。実はみなさんにお伝えしていなかったのですが、榎さんは押入れの下で死んだのではなく、もともとはテーブルの上で死んでいたんです。それを渡邊さんが発見し、気が動転したため押入れに押し込んだ――そしてそのことを知らない和親が無造作に押入れを開け、なかの死体が落っこちたのです。
すいませんね、説明不足でした。
もしもこの共通点が全部呪いの仕業だからだとしたら、柏木さんと円居さんはテーブルの上で死んでいるべきです。このことを知っているのは僕と渡邊さんと和親だけですから、それ以外の知らなかった人物が呪いに見立てるためにあえて押入れの下に死体を放置したと考えるのが自然でしょう。
また、二人を殺害するのに使われた凶器は大森さんの死体が握りしめていたハンマーです。大森さんの右手の指がシャキッと骨折しているのは、凶器として使用するハンマーを大森さんから無理やりに引き剥がしたためです。
随分と人間らしいことをしますねぇ」
これが小説だったら読み飛ばしたくなるような長台詞を捲し立てて、百合籠さんはこう締めくくった。
「――従って、犯人は人間ということになります」
百合籠さんの推理について、少なくとも僕の方からはなんの文句もなかった。他の全員も同様で、誰も口を挟むことをしなかった。
「納得していただけましたか? それでは、十三時から十三時半までの間、どこで、誰といたのか教えてください」
「ちょっと待ってください」眞部さんが手を挙げた。「どうして十三時から十三時半までの間に死んだってわかるの?」
「検死の結果です。とは言え僕も素人なので、これでもかなり大雑把な推測ですが……。ただ、どれだけ長く見積もっても十三時から十三時半までの三十分間が死亡推定時刻だと断言できます。心配ならまだ付け加えておきましょうか? 『これは死亡からそんなに時間が経過していないから可能なことです』」
「……わかりました」
眞部さんが大人しく引いて、
「私ならその時間、鴨田さんと川満さんの三人で大広間にいました」
鴨田さんと川満さんが目配せして、頷いた。
「川満さんはどうして?」
「なんつーか、その……柏木と円居さんが良い感じになってたから居心地悪くて」頭を掻きながら、実に言いにくそうに。
「ということは、秋森さんと翁長さんも?」
「ええ」
秋森さんは神妙に、翁長さんは無言で頷く。
「……俺なら、愛則さんと一緒にいました」
「ええ、二○一号室に」
それは意外な組み合わせだった。
「へえ、ちなみにどんな経緯?」
興味があったのか、渡邊さんが話に入ってきた。
「二○二号室は泉井さんで……ちょっと近寄りがたかったので、二○一号室に……」
「私も、一人は嫌でしたし」
なるほど、消去法か。鴨田さんと眞部さんと川満さんの三人は大広間にいたわけだしな。
「そうですか」
百合籠さんは言って、次に秋森さんに視線を向けた。
自然と秋森さんに視線が集中する。
「秋森さんは?」
百合籠さんが問いかけると、秋森さんは顔を青くして、肩を震わせた。
「お、俺は……」奥歯にものが挟まったような言い方だった。「泉井さんと……一緒に」
「泉井さんと、ですか」
泉井さんといえば、さっきの崩落で亡くなった……。
しかしここに来てただ一人、アリバイが不確かな人間が出てきたな。
物言わぬ故人と一緒にいた、だなんて証言はアリバイにはなり得ない。
これは、まさか――
「俺は! 殺してない! た、たしかに俺は、泉井さんと一緒にいた!」
秋森さんが取り乱して叫ぶ。
「秋森が言ってるのは本当のことだと思うぜ」
川満が横から助け舟を出した。
「俺、秋森が二○二号室に入ったの見たし」
「俺も……本当だと思う。二○三号室の死体を見つけたとき、愛則さんと駆けこんだ二○二号室で泉井さんと秋森がいたから」
「ほう」
にや、と笑って百合籠さんが翁長さんを見つめた。
「え……あの……」
「もしかして第一発見者だから疑ってるとか? 一応、それはないですよ。そもそも、私が一人でトイレに行けなくて、翁長さんに一緒に来てもらってそこで発見したんですから」
女性が男性を連れてトイレに行くなんて……抵抗はないのだろうか、と、思ったが、まあ非常事態なのだから当然の保険か。
「そうですか」
百合籠さんは翁長さんから視線を外す。翁長さんは明らかにほっとしたように胸を撫で下ろした。
「おかしいですねぇ全員にアリバイがあるみたいです」
「だから、呪いなんだよ。犯人なんていないってことだろ?」
「いいえ、鴨田さん。これは殺人です。絶対。もしも全員にアリバイがあるのなら、誰かが嘘を吐いているか意図的に情報を隠しているかです」
鴨田さんは納得していないようだったが、百合籠さんの剣幕に圧されて引き下がった。
「ふむ、では視点を変えてみましょうか。ホワイダニット的な考えで言えば、犯人は旧知の仲である秋森さん、川満さん、翁長さんの三人である可能性が非常に高い」
「な、違うって!」
川満さんが叫ぶ。が、百合籠さんは特技のスルーを決め込む。
「この三人のなかで、もっともアリバイが不確かなのは、秋森さん」
「お、俺のアリバイは川満と翁長が証明してくれただろ⁉ なにが不確かなんだよ!」
「彼らが秋森さんと泉井さんを見たのは秋森さんと別れてからすぐと死体が発見されたあとだけでしょう? その間に部屋から抜け出して殺人を行うことは可能です。部屋を抜け出していないことを証明できるただ一人の証言者はすでにこの世にいないのですから、秋森さんのアリバイはたしかとは言えませんね」
「そ、そんな……」
秋森さんが愕然とする。
「でも、秋森さんがアリバイを確保するために泉井さんといたんだとしたら、あまりにも杜撰な仕事だと思いませんか? 泉井さんが『秋森さんは途中で抜け出した』と言えばそれだけで崩れるアリバイなんですから。それを言える泉井さんが亡くなったのは偶然ですよ? もしも泉井さんが崩落に巻き込まれていなければ、秋森さんの犯行はすぐに暴かれていましたね」
眞部さんが秋森さんを擁護することを言う。言うことなすこと真っ先に否定される百合籠さん。どうやら本格的に反感を持たれているらしい。
「そもそも、この事件がここまで議論されるとは思ってもいなかったのでしょう。全部呪いのせいだということで、終わるはずだったんですから。そのための偽装工作ですしね。だから、アリバイは完璧じゃなくてよかった。ただあるだけで、満足だったんです。現行を押さえられない限りはね」
「そんなことが……」
「あるんですよ。そんな適当なことが。他の確固たるアリバイが崩せないのなら、残った不確かなアリバイが偽装されているに決まっているんです。そういう意味で、現時点ではもっとも犯人に近いのは秋森さんです」
いままで濁していたのをはっきりと言われ、秋森さんは面食らった。
「あ、そういえば『いわくつきの宿に片っ端から泊まる企画』を推し進めたのは秋森さんでしたよね」
僕からの思わぬ追撃に、秋森さんがぎょっとする。
「そうか、それならもうほとんど犯人は決まったようなものじゃないか。そういえばアリバイの話になってから、秋森さんは全然自主的に意見してないしな。うっかりボロを出すのが怖かったんだとしたら、やはり犯人は……」
百合籠さんのわざとらしい独り言に、少しずつ納得が広がっていった。
友人である川満さんと翁長さんはそれでも信じていないみたいだったが、不安げに秋森さんの顔を窺っている。
「そんなこと……ないよな?」
「秋森……?」
「あ……そ、そんなことないさ! だって、俺が殺したって直接的な証拠があるわけじゃないし! そうだよ! それに、それなら第一第二の事件はなんだったんだ⁉ 俺ならそのとき、たしかなアリバイがあった。第二の事件なんて、全員の目の前で起こったんだぞ」
はあ、とめんどくさそうに百合籠さんがため息をついた。
「いいですか、第一・第二の事件と第三の事件は切り離して考えてください。第一第二の事件は呪い、第三の事件はそれにあやかった殺人です――まあ、呪いなんて言っても、この世に霊なんていないんですけど」
ぽつり、とこぼした最後の一言に、全員が耳を疑った、
この世に霊はいない。
それは、これまでやりつくされた議論をすべて一蹴する言葉だった。
それなら、いままで呪い呪いと言っていた事件はなんだったんだ? ということになる。
ま、僕は百合籠さんのこの持論を知っていたからいまさら驚いたりしないけどね。「な、なにを言ってるんだ? わけがわからない」
「そ、そうよゆられちゃん。それならこれまで考えてきたことはいったいなんだったの?」
「言葉が足りませんでしたね。第一第二の事件は呪いです。ですが、呪いにも正体があるのです」
「正体?」
「ええ――いいですか。二十三年前、この民宿である死亡事故が起きました」
百合籠さんの語ったことは、翁長さんが持ってきた新聞紙に書かれていたことだ。
「それは純然たる事故です。呪いでも事件でもない。ただ、事故からちょうど二年後、ひとつの事件が起きた。事件を隠ぺいするための手段として、二年前に起こった事故にあやかり、女性の霊による呪いとして、事件を処理した。処理が上手くいったこと自体はただの偶然でしょう。しかし、事件は再び事故として処理されてしまった――」
そう、問題はそれだった。
「それから民宿は、呪いと見せかけた自殺、殺人を行うための犯罪者の巣窟となってしまった。ここでは、十一月九日なら人を殺しても下手をしない限り呪い扱いですからね。また、ひとりも死者が出ない年がないように、トラップも仕掛けられています。先の崩落のような――」
「え、なんで自殺志願者までやって来るんだよ?」百合籠さんの話を中断する川満さん。
そのぱっちりとした目の無邪気な見開き具合を見ると、どうやら、川満さんは本気でわかっていないようだった。
たぶん、一瞬だってそういうことを考えたことのない、あるいは想像しようとしたことのない幸せな人生を送ってきたんだと思う。
ある意味羨ましい。
「自殺者のなかには、自殺することを恥ずかしく思う人もいるんですよ。だから、自分は自殺したわけじゃないと主張したがる連中がいるんです――榎さんと大森さんみたいな」
「――は?」
誰かが、間の抜けた声を漏らす。
そしてエントランスがどよめきたった。どうして、ここで榎さんと大森さんが出てくるのかと。
まあ、榎さんはともかく大森さんはあんな死に方だったからな……。無理もない。というか当然だ。僕だって事情を知らなければ似たような反応をしていただろう。
「榎さんと大森さんが自殺⁉ なんの冗談だよ!」
鴨田さんが切れ気味に訊く。
「冗談ではありません。いいですか、榎さんは三○一号室のテーブルの上で、自分で自分の首を絞めて自殺したんです。そのあと、大森さんが凶器を回収する。そうすれば五分で犯行は可能でしょう。共犯が大森さんなら、部屋を出た時刻だって、でたらめ言っていいわけですし――ほら、ここらへんに」
百合籠さんは大森さんの衣服をあさり、ズボンのポケットから赤いリボンを取り出した。
「でも、そうだとしても大森さんは⁉ 目の前で引きずられて、あんな死に方したんですよ⁉」今度は眞部さん。
「引きずられる際、大森さんは足を漕いで抵抗しているように見えましたが、あれがもし、床を蹴っていたのだとしたら?」
「……え?」
「つまり、大森さんはひとりでに引きずられたのではなく、床を蹴って自分で後ろに移動したのです。その後、僕たちが見えない位置にいるのをいいことに、ハンマーを使ってあちこち殴りつけたり、体当たりしたり――。体中の痣やエントランスの荒れはそれが理由ですね。最後にハンマーで腹を殴りつけたら、どう考えても呪い殺されたようにしか思えない自殺の完遂です」
百合籠さんの推論は、たしかにむちゃくちゃではあるが、呪い以外の可能性で考えるならそれ以外あり得なさそうだった。というか、本来なら呪いの方が荒唐無稽な話なのだ。それが、あんな光景を見せられたために説得力ができてしまった……。
「これが、口八の呪いの正体です」
ふう、と百合籠さんが一息ついた。そしてまた続ける。
「まあ、そう考えれば第三の事件――殺人も呪いの範疇ではありますか」
秋森さんに対して、皮肉気に言う。
それまで沈黙していた秋森さんは、百合籠さんの言葉に我を取り戻したようで、途端に目を向いて叫んだ。
「そうだ! 第一・第二の事件が自殺だったとしても、結局俺が犯人だなんて証拠はどこにもない! ただ俺以外の人間に犯人じゃない証拠があるだけだ!」
それは十分証拠じゃないですかね、と思うが、たしかに裁判だとあまり通用しないだろうな。僕は裁判を知っているわけじゃないけれど、聞いた話では裁判所は状況証拠より物的証拠を重視するはずだ。しかし、いまのところ秋森さんが犯人だという物的証拠があるわけではない。
「ハンマー……」
百合籠さんが、唐突にぽつりと溢した。
「あ?」
「凶器に使われたハンマー……。きちんと検査すれば、おそらく秋森さんの指紋がついてるはずです」
「そんなわけねえだろ! ちゃんと拭いたんだか――――あ」
失言だった。いや、百合籠さんは失言を狙ってわざと唐突にハンマーのこと言い出したのだろう。
そう、百合籠さんと二○三号室を調べているとき、僕たちはハンマーの柄になぜか血が全然ついていなかったことを確認した。それは犯人が柏木さんと円居さんの殺害後に布巾かなにかでハンマーの柄を拭いたからである。
もう言い逃れは無理だと悟ったのだろう、秋森さんが膝から崩れ落ちた。
魂が抜けきったような絶望の表情で、なにかを訥々と語り出す。
「全部、全部あいつが悪いんだ……。柏木のやつ、俺の――」
「あ、そういうのいいんで」
きっと秋森さんにとっては大事な作業だったのだろう、動機語りを百合籠さんに素っ気なく一蹴され、彼は最初、泣きそうな顔をしたが、すぐに憤怒の炎に全身を震わせた。
「俺を……俺をこけにしやがって!」
獣のような雄たけびを上げて、百合籠さんの方へ駆ける。そして拳を振りかぶり、勢いに任せて――
「ぐっ⁉」
僕は百合籠さんを巻き込んで吹き飛ばされた。
遅れて、甲高い悲鳴が聞こえてくる。
「お、重い……」
これは、僕の下敷きになった百合籠さんの声だ。僕はじんじんと痛む左頬を撫でながら、急いで立ち上がった。
くそっ、鼻血が出てやがる。口のなかも切ったようで、鈍い鉄の味が広がっていた。
秋森さんはさっきまで百合籠さんが推理を披露していた場所に立っている。
そんな秋森さんを見て、なにか気付くところがあったのだろう。百合籠さんが言った。
「おい、周りが見えてないようだから教えてやるが、上には気を付けた方がいいぞ」
「上⁉ また俺をこけにするのか⁉ そんなのに引っかかるわけ……」
ゆらり、と、部屋が揺れた。
エントランスにいる全員が、突然の揺れに身じろぐ。
今度は地震だなんて思わなかった。
「まったく、解決編だからといって油断しているんじゃないか?」
「な⁉」
大きな揺れを体感し、秋森さんはようやく危機感を持ったようで、百合籠さんの忠告に従い上を向いた。しかし、時すでに遅し。
上を向いた秋森さんに迫っていたのは、大きなシーリングファンライトだった。
「――今日はまだ十一月九日だというのに……」
4
十一月十日。
車は百合籠さんのマンションへと向かっていた。隣に座っている百合籠さんは、相変わらず僕と距離を置いている。
あれから、一日が経った。秋森さんはシーリングファンに押し潰され死に、さらにそのあと、眞部さんも変死体で発見されることとなった。あの民宿では、たった一日で七人も死んだことになる。
通報によりやってきた警察は、口八の噂を事前に知っていたようで、妙に手慣れた様子だった。話が早くてこっちがびっくりしたくらいだ。
ただ、今年の死亡人数は例年よりもかなり多いとのことで、その件も含め、取り調べは長く続きそうだと覚悟していたのだが……。
「なにかあればいつでも呼んでください」
と、百合籠さんが堂々たるたたずまいで名刺を渡した途端、こちらが驚くくらいすんなりと帰してもらえた。
「んっふふー。ありがとねー、ゆられちゃん」
渡邊さんはさっさと口八から離れたかったようで、百合籠さんに懇願して車の助手席に乗せてもらっている。ただ、百合籠さんはどんなに懇願されても決して慈悲を見せるような性格ではないので、おそらく彼女なりに渡邊さんのことを相当気に入ってるのだろう。
渡邊さん……一筋縄ではいかなさそうだ。
それで、ようやく僕にも日常が帰ってきた。いつ死んでもおかしくないような緊張のなか、僕はかなりのストレスにさらされていた。だから井出さんが待つ車に乗り込んだときなんか、本当に心底ほっとして、つい妹の名前を呟いたくらいだ。
そういえば、口八では全然眠れてなかったな……。そのことを思い出すと、急激な眠気に襲われる。
そうだ、寝てしまおう。いまならそれを咎める人間なんていない――
そんな僕に冷や水を浴びせるみたいな声がした。
「そういえばさ――」渡邊さんがこちらに振り返った。「なんで嘘吐いたの?」
半分くらい閉じかけていた目を開いて、渡邊さんを見る。
「嘘?」
百合籠さんが面白そうに言った。
「なんのことかな?」
「しらばっくれないでよ。ほら、第一第二の事件は自殺~ってやつよ。だってあの推理ったらすっごくめちゃくちゃなんだもん。他にもだいぶ嘘ついてるわよねー。で、結局のところ、本当はなんだったの?」
「呪いだよ、二十三年前の女性の霊の」
百合籠さんはエントランスできっぱりと否定したことを、実にあっさり言うのだった。そして僕は、百合籠さんがなんでもない人にそれを言ってしまうのを驚いた。
「ふうん? 霊はいないんじゃなかったっけ?」
「霊はいるさ。だが、知らぬが仏と言うだろう? そういうことだよ」
「そ」
そう、百合籠さんはエントランスでこそああ言ったものの、その実霊魂の存在を信じている――というか確信している人間だ。
百合籠さんによると、霊の存在を強く信じている人間は、霊障に遭いやすくなるらしい。だから、彼女は一般人に対し嘘を吐く。
彼女はゴーストバスターだが、依頼人には必ず「霊など存在しない」と言っている。怪奇現象には必ず科学的な原因があるというスタンスを見せながら、表の理由をでっちあげ裏で霊を退治する。そういうやり方なのだ。
まあ、今回は仕事じゃなくただの遊びであるから霊退治とかはなかったけれど、それでもいずれ依頼人としてやってくるかもしれない彼らに霊の存在を信じさせるわけにはいかなかった。
そういうわけで、今回僕と百合籠さんは仕事でもないのに大きく動いた。
大森さんが亡くなって、僕たち以外の人間が大広間から出られないのを良いことに、備品のハンマーでエントランスを荒らし、すでにできあがっていた大森さんのお腹の致命傷に、あとからハンマーを叩きつけた。深夜の大きな物音はこの音だった。
さすがに僕では死体に鞭打つようなことはできないので、そういうことに一切罪悪感を持たない百合籠さんが大森さんの腹にハンマーを叩きつけたのだけれど、あのときは本当に、百合籠さんにはぞっとさせられたし、その後もなにかとこの話題が出るたびに気持ち悪くなった。最後に、百合籠さんが赤いリボンで榎さんの首を絞め、大森さんのズボンのポケットに忍ばせる。
こうして、榎さんと大森さんの死を自殺に見せかけるための隠ぺい工作が行われた。
「で、なんでわかったんだ? 別に僕の推理がむちゃくちゃだからってそれだけが理由じゃないんだろう?」
「そうね。花上くんの時計よ」
「え?」突然名前が出てきてつい驚く。
僕の……時計?
僕は時計を持っていないので、これはスマートフォンのことだろう。
「彼、三○一号室にいたときこう訊いたでしょ? 《もう十一月九日なのか?》って。そんなことはありえないって顔で。
たぶん、あのとき花上くんはいちど時間を確認していて、その上で現在は十一月八日だと思い込んでたと思うのよ。で、アタシが十一月九日って答えたら、妙にすんなり納得したじゃない。たしか花上くんはスマートフォンで時間確認を行ってたでしょ? スマホの時計が狂うなんてあんまり考えられることではないわ。それなのにすんなりと納得したところを見ると、これが十一月九日の怪奇現象だと考えたからじゃないかしら。
なのに、そんな花上くんがエントランスでは百合籠さんと同じ『幽霊なんて存在しない』ってスタンス立っていたから、もしかしたら二人は霊は存在していると考えつつ、それを隠ぺいするために周りに嘘を吐いてるんじゃないかって思ったのよ。そしたら、自殺どうこうは嘘ってわかるし、同時に推理の杜撰さも見抜けるわ」
「へえ!」
あの百合籠さんが感嘆するほどの見事な推理だった。
というか……恐ろしい!
これほどの洞察力……おそらく百合籠さんと同等かそれ以上。たったあれだけのやりとりからここまで見抜けるか? 見抜けるわけがない!
こんなにも切れる頭脳があって、じゃああの民宿では進んで道化を選んでいたというのか?
妙な人――怪しい人だとは思ってたけど、本当に、この人はいったい何者なんだ?
「じゃあ、僕たちが隠ぺい工作を行っているときに、大広間が混乱して万が一にも誰も廊下に出られないよう扇動したのも君かい?」
な。
百合籠さんはしれっと言ったが、僕はその言葉に驚愕した。本当に怖くなった。
そんなことが、そんなことまで行われていたのか?
「さあね」
だけれど、渡邊さんははぐらかすように言って、得意のウインクをした。
……本当に、一筋縄ではいかない人だ。
まあ、いまはどうだっていいさ。
正直、早く寝たい。
さっさと日常の甘味を堪能し、平和からなる安眠を享受するとしよう。
さあ――
「……ってぇえ!」
突然の左頬からの鈍い痛みに、僕は叫んだ。
秋森さんに殴られてじんじんと痛む頬を、百合籠さんが無遠慮につついたためだ。
「なにするんですか⁉」
「そういえば君がエントランスでのしかかってきたのを思い出してね……」
「それは百合籠さんを庇うためでしょ⁉ むしろ感謝されるべきだと思うんですけど」
「いやいや、最後まで言っていないだろう。これこそが僕の感謝の形なんだよ」
「どんな感謝の形ですか⁉」
ああ、喉がひりひり焼けるように痛んできた。
やっぱり百合籠さんといると身体がいくつあっても足りないな……。
まあでも、たとえ冗談や貶める類の意味でも、百合籠さんが面と向かって謝意を伝えることはないので、いまはこれで満足してやろう。
僕は、大きくため息を吐く。
「はあ……。どういたしまして」
Next→→→『侵略者 第一部「ある少年の告白」』




