七人目の少年
Author――稲葉孝太郎
その奇妙な転校生がやって来たのは、こころもち蒸し暑い八月の夜だった。
人気のない校舎の廊下で出会ったのだ。
およそ転校生など想定していなかった僕には、幽霊のような現れ方だった。
真っ白な開襟シャツに、黒い長ズボンを履いていた。シンプルな服装だった。
カバンらしきものも持っていなかったし、靴は暗闇でよく分からなかった。
「ごめん、もういちど、名前を言ってくれないかな?」
「吉備津いづな」
その少年は――角度によっては少女のようにもみえた――名前をくりかえした。
僕は懐中電灯を持ったまま、漢字のならびをたずねた。
吉兆の吉に、備前の備に、津々浦々の津だと、彼は答えた。
「吉備津いづな……めずらしい名前だね、上も下も」
「あなたの名前は?」
「早田隼人。早いに田んぼの田だよ」
ありふれた名前ではないけれど、とりたててかっこいいわけでもない。
「早田くんは、なにをなさっているのですか?」
吉備津くんは丁寧な言葉遣いで、そうたずねた。
上級生の可能性をおそれたわけではなく、素の調子に思えた。
僕は違和感をおぼえつつ、階段のおどり場を照らした。
「七不思議をしらべてるんだよ」
「ほぉ……おもしろい御方ですね」
僕は苦笑してしまった。
高校生に「御方」なんて言われたのは、初めてだったからだ。
それに普通なら、七不思議のほうに食いついてくるだろう。
夜中に校舎をさまよっているのだから、不審者もいいところだ。
「して、どのような怪談で?」
吉備津くんは、うっすらとした緋色のくちびるを動かして、そうたずねた。
僕は雰囲気に呑まれてしまい、一瞬だけ反応がおくれた。
「えっと……そこのおどり場に、鏡が見えるだろう」
「はい……古いもののようですね」
「この校舎ができてから、一度だけ張り替えられたんだよ」
僕の説明に、吉備津くんはフッと笑みをもらした。
「なるほど、そういうことですか」
「あ、察しがついた?」
「学生が階段から転落……鏡にぶつかって息絶えた、といったところでしょう」
僕はパチリと指を鳴らした。
「よく分かったね。ちょうど二十年前のことだよ。卒業を間近にひかえた女子生徒が、階段から転落したんだ……吉備津くん、オカ研に入ってみない?」
「オカルト研究会ですか?」
「正式には『民間伝承研究会』だけどね。じゃないと、予算がおりないんだ」
ようするに、今度出す年報の取材というわけ。
一年間の活動成果を発表しないと、来年度は予算がもらえなくなってしまう。
じつにハイキン主義的動機。
と、僕は以上のように説明した。
「二十周年記念号だから、盛大にやるつもりさ。生徒会から予算はふんだくった」
「七不思議特集……今回が初めてですか?」
「痛いところを突いてくるね……もちろん、初めてじゃないよ。それどころか、創刊号が七不思議特集だったくらいさ。手垢まみれも、いいところなんだけど……」
僕は、廊下を懐中電灯で照らした。
「うちの学校には、それくらいしかネタがないんだよ。それに、オカ研の年報が創刊したのは、鏡の事故が起こったその年だからね。二十年前の事故をきっかけにして、二十周年を迎えた雑誌……不謹慎だと思うかい?」
「いえ……ほかの五つも教えていただけますか?」
敬語だけど、有無を言わさぬ調子だった。
同時に僕は、五という数にするどく反応してしまった。
「へぇ……どうして五つなのかな? まだひとつしか紹介してないけど?」
「七不思議の定番と言えば、『七つ目はだれも知らない』です」
僕は思わず笑ってしまった。懐中電灯の光が、壁と天井にとびかう。
「ハハハ、きみは、オカ研よりもミス研のほうが向いていそうだね」
「これは推理ではありません。民間伝承に関する単純な推計的考察です」
「いや、それこそ推理だよ。ミス研はむずかしいテストがあるけど、受けてみたら?」
「いいえ、推計はあくまでも推計です」
僕は、しんみりとした気持ちになった。
男ふたりだと言うのに、おかしな話だ。
この少年の中性的雰囲気にやられたのだろうか。
「分かったよ。この話はよそう」
「して、のこりの五つは?」
僕はすこし口ごもった。
「そうだな……全部案内して欲しい?」
「はい」
僕はあごに手をあてて、じっくりと考え込む。
「……二番目と三番目はむずかしいな。ひとつは体育館で、もうひとつは学校の裏庭。この時間は守衛に見つかるかもしれない。残りのみっつを案内するよ」
僕はゆっくりと階段をあがった。さっきの鏡に自分の姿が映る――幽霊が怖いわけじゃない。むしろ、肩越しに浮かんだ吉備津くんの顔のほうが怖かった。色白で、眉毛はかたちよく細く、目付きは鋭く冷たく、そこかしこに浮世離れしたところがみえた。
「吉備津くん……きみ、まさか幽霊じゃないよね?」
「さわってみますか?」
吉備津くんそう言って、手をさしだした。蝋のように白かった。
「……いや、冗談だよ。それより、ほら、あそこ」
怪談をのぼりきった僕は、右手の廊下の奥を照らした。
「あのプレートが見えるかい?」
「『音楽室』……と書かれていますね。午前零時、だれもいない音楽室から、ピアノの音が聞こえる……というようなところですか?」
僕は固唾を呑んだ。どう反応したものか迷う。
「……よく分かったね。それが四番目」
「たまたまです」
「ありきたりな話だから、次へ行こうか」
二階の端から端へ移動する。懐中電灯の光が、ゆらゆらと揺れた。
「理科室を通り過ぎたようですが?」
「え……それが、どうかしたの?」
「七不思議と言えば、理科室もまた、おあつらえむきの場所です」
僕は一本取ったような顔で、
「それは先入観だよ」
と答えた。そして、ひとつ先にある無人の教室を照らした。
「じつはね、ここが五番目の七不思議なんだ……なんだか当ててごらん」
パタパタと、奇妙な音がした。
コウモリでも侵入したのかと思って、僕は音のほうへ光を向けた。
すると、緋色の牡丹の扇子が浮かび上がった。
「きみ……変わった小道具を持ってるんだね」
「夏休みに交通事故で亡くなった少女が、ふらりと放課後に現れる……というのは?」
僕はタメ息をついた。そして、薄暗い教室をじっと見つめた。
「ほんとに転校生?」
「はい」
「こう言っちゃ悪いけど、気味が悪いな……次へ行こう」
僕たちは、いよいよ三階へあがった。目にとまったのは、美術室だ。
「ここが最後の七不思議だよ」
「死んだOBの未完成作品が、日に日に完成している……ですか?」
僕は笑った。かわいた笑いだった。
窓辺によりかかり、懐中電灯を自分の顔に下から当てた。
「こいつはおどろいた。全問正解だよ」
「景品でもいただけるのですか?」
「きみが七不思議の七番目、ってことはないよね?」
「あなたこそ、深夜に七不思議を紹介する七番目の少年なのではありませんか?」
僕は肩をすくめてみせた。
「そう思うのなら、あしたオカ研に来なよ。歓迎する」
「そして、『早田隼人』なる人物はオカ研にいないわけですね」
「僕がいなかったら、それこそ七不思議だね」
パチリと、扇子の音が鳴った。
吉備津くんの氷のような形相に、僕は懐中電灯を落としかけた。
「これは推理です……明日、あなたはオカ研の部室にはいない」
「なにを言ってるの? そう思うなら、確認しに来たらいいじゃないか」
吉備津くんは扇子を引き、ふたたびひらいた。
口もとをおおい隠す。男とも女とも言えぬ、妖艶なまなざしがのぞいた。
「あなたのお好きな推計からまいりましょう。日本には、約三千五百の普通科高校があります。完全な七不思議を持つところが百校に一校と仮定して、七不思議の総数は?」
「……およそ二百四十五。ベイズ推計かな? ずいぶん低く見積もってきたね」
「左様です。校内で七不思議の候補になる場所が二十あると仮定するならば、一ヶ所あたりの平均的なバリエーションは十二通り。それを四回連続で当てる確率は?」
僕は息を吸い、吐いた――こういうとき、暗算が得意なのはイヤになる。
「〇.〇〇〇〇四八……二万回やって一回当たるか当たらないか」
吉備津くんが続けようとするまえに、僕は口をはさんだ。
「つまり、きみは最初からこの学校の七不思議を知っていた、ってことだよ」
「そのように解釈することもできます……しかし、それは推理ではありません」
「じゃあ、その推理とやらを聞かせてもらおうか。僕が七番目の不思議だって証拠は?」
「あなたは一度、致命的な失言をしています」
僕は目を見張った。奥歯を噛みしめる。
「致命的な……失言……? なんだい、それ?」
「少女が鏡に飛び込んで死んだのは、何年前のことですか?」
「ちょうど二十年前だよ。もう忘れたの?」
「卒業を間近にひかえた月……三月ですね?」
「そう」
「その事件と同じ年に、『民間伝承研究会』の年報が作られ始めたのですか?」
「そう、だから今年で二十周年、二十号なのさ」
サッと扇子が舞った。
「また言い間違えましたね……今年度で二十号です。学校の年報なのですから。学校の行事は年度単位ですし、生徒会の予算も年度単位のはずです。当然、部の活動も」
「あのさ、それのなにが問題……ッ!」
懐中電灯が床に落ちた。
カラカラと回転したそれは、吉備津くんの靴先で止まった。
「しまった……イチ少ない……」
「左様です。二十年前の三月とは、一九九七年三月のこと。一方、今年度で二十号を迎える年報の創刊は、一九九八年になります。同じ年ではありません」
「ただの言い間違いだとは思わないの? さっきの推計とくらべて、根拠がないよ?」
吉備津くんは扇子をひろげ、口もとをおおった。
「それほどまでに推計にこだわられますか……では、私も数字の根拠を出しましょう。私が偶然、七不思議を四連続で当てる確率。これは、百分の一もありません。したがって、最初から知っていたのではないか……なるほど、それは五分五分と致しましょう」
「だろう? どう考えても、そのほうが尤もらしい」
「しかし、五分五分ではなく百パーセントに近い解釈があります」
「……なんだい、それは?」
「あなたが七不思議を捏造したという解釈です。私に七不思議を推測させ、『それが正解だ』と言い続ければ、不正解になりようがないのですよ」
沈黙――僕の高笑い。
「ハハハ……なるほどね。だったら、僕が七不思議を捏造した動機は?」
「それも既に明らかです」
「……言ってごらんよ」
「この学校のミス研では、入部時にテストがあるそうですね」
僕は懐中電灯をひろいあげ、ズボンで手をはらった。
そして、ゆっくりと握手を求めた。
「降参の意ですか? それとも、合格の意ですか?」
「どっちも……いや、どちらかと言えば前者かな。ほんとうは、明日までに気付いてミス研を訪問したら、きみの勝ち、オカ研を訪問したら、きみの負けだったんだ……この場で解決したのは、きみが初めてだよ。しかも、去年入部したふたりは、ベイズ推計を使って解決しただけ。雑誌の矛盾には気付かなかった……僕もうっかりしていた」
吉備津くんは、そっと微笑んだ。
貴人が笑うというのは、こういうことを言うのだろう。
「そうでしたか……では、仲直り致しましょう」
彼はそう言って、僕の手をにぎり返した。
目のまえの少年は、幽霊ではなかった。僕は安堵した――もし謎がのこっているとすれば、それは彼が七人目の部員だということ、それだけだ。
吉備津いづなくんは、拙作にしばしば登場する不思議な少年です。下記の作品に顔を出していますので、機会があればのぞいてやってください。
『離魂の術』
http://book1.adouzi.eu.org/n3655bp/
『うろな町の不思議な人々』
http://book1.adouzi.eu.org/n7507bq/
『七不思議を作った少女』
http://book1.adouzi.eu.org/n7955cu/
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