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彼は迷宮の案内人  作者: あすてか
第一章《乳白色の森》
16/43

《新たな依頼人》




 次の日。

 ユーリの姿は、あの酒場の裏口にあった。

 ポケットに片手をつっこみ、酒場の壁を背にしている。

 その隣には、ジグルドが立っていた。

 ジグルドが言った。


「悪かったな、急に呼び出して」

「いや、暇だったからちょうどいい」

「そうか。もうすぐ、依頼人が来るはずだ」


 しばらく経った。

 路地の向こうから、人の来る気配がした。


「ユーリ。あのときは本当にすまなかったな」

「ん? ああ、いや。気にしてないが」

「あんたのおかげで、まともな仕事が回ってきた。寝たきりだったお袋を医者に診せてやることができたんだ。礼を言うよ」


 ジグルドは深く頭を下げた。


「俺にできることがあったら、なんでも言ってくれ。あんたのためなら、いつでも駆けつける」


 そう言って、ジグルドは去っていった。

 こちらにやって来ようとする人影と、一言、二言くらい言葉を交わしてから、気配が遠ざかる。

 

「よかったわね。感謝されているみたいで」

「そんなつもりじゃなかったんだがな」


 ばつが悪いような、照れ臭いような感じがして、こめかみのあたりを指で掻く。

 そうしていると、二人組が、ゆっくりとした足取りで近付いてきた。


 黒いローブを身にまとった、人相すら定かではない大柄な男。

 尼僧服を着た隻眼の少女。

 じゃりじゃりと砂を踏む足音が、狭い路地裏に響きわたる。


 一見して、まともな人種ではない、と判断する。

 完璧に隠し通せるはずの足音を、わざと派手に鳴らすのは、特有の違和感を生じさせる。それを聞き逃すユーリではない。

 向こうからすれば、こちらを警戒させないために考慮した結果なのだろうが。

 かなりの実力者。しかもその鬼気を完全に押し隠すことに成功しているのは、並大抵の者が至れる境地ではない。


「きみが、案内人のユーリか」

 

 闇のとばりに覆われしフードの奥から、くぐもった声が聞こえた。

 軽くうなずく。


「あんたが依頼人か」

「ラスヴェートだ。こちらは妻のセラフィーナ」

「……確認しておくが、案内人を雇いたいなら、まずギルドの窓口を通すのが筋ってもんだぞ」


 案内人とは、リメイン冒険者ギルド公認の職業。

 彼らは、ギルドに所属し、斡旋を受けて依頼人を紹介してもらうことにより、はじめて迷宮で案内人という仕事をまっとうすることができる。

 冒険者ギルドとしては、案内人すべてを管理、仕事の内容を把握することにより、迷宮内での物資の流れ、新たな出来事の発見、地上に持ち帰られた資源、冒険者の生存率の調整、人口の増減などを掌握したいと考えている。

 そのため、ギルドに従う限り、案内人には、探索税の免除という巨大なメリットをはじめとして、迷宮内での生きた最新情報を最優先で提供される、居住地の優遇、エレベーターの優先的使用権など、さまざまな恩恵が用意されている。

 これらのおいしい餌があるのだから、案内人を称する者は、まず例外なく冒険者ギルドに所属していると考えていい。

 代償として、都市の利益に貢献することを第一として活動すること、有事の際には都市の戦力として戦うことなどが義務づけられるが、得るものに比べれば些細な問題だ。

 

 もしも、ギルドに所属せず、あるいは、ギルドの窓口を通さずに案内の仕事を続けていたら、これらのすばらしいメリットはなにひとつとして得られないばかりか、犯罪に荷担した場合、迷宮内の秩序を乱す不穏分子として、迷宮都市から命を狙われても文句は言えない。

 

 逆に言えば、わざわざギルドに所属しない道を選ぶ者にも、それ相応のメリットがあるとも考えられるのだが。


「たいした事情がないなら、考え直したほうがいい。今からでも受付へ行くなら、俺も心おきなく仕事ができる」

「申し訳ないが、それは無理だ。ギルドを通さずに受けてもらう必要がある」


 ユーリはため息をついた。


「その手の仕事の経験がないわけじゃない。麻薬の密売か、人身売買か。人目にあつかない、おあつらえ向きの場所を探して、大迷宮を選ぶ奴はごまんといる」


 リメイン大迷宮が抱え込む、大いなる闇の一端だ。

 よその国から訪れた裏社会の人間が、違法な薬物や人間、表の市場ではとても出すことのできない商品を、迷宮のどこかで密かに取引する。

 完全な無法地帯と化している迷宮は、法の目を欺くにはうってつけの場所だ。

 この場合、問題となるのは地上で探索税を徴収するギルド職員だ。

 せっかくお宝を持ち帰ろうとしても、迷宮で得たものだと指摘されて七割も持っていかれては彼らの商売も成り立たない。

 で、あるので、ギルド職員を抱き込んでおく。しょせんは人間、金をつかませるか女を抱かせるかすれば懐柔はたやすい。

 もちろん、ことが露見すれば、死すら生ぬるい懲罰が待ち受けている。

「なんにしろ、後ろ暗いことが目的なら、俺を雇うのはあきらめてくれ。都市に狙われるリスクを犯してまで、金に執着するつもりはないんだ」


 きっぱりと言い切る、ユーリ。

 彼にしてみれば、困窮しているわけでもないのに犯罪の片棒をかつぎ、小金と引き替えに現在の生活を失うのは、あまりにも馬鹿げている。


 ラスヴェートは言った。


「私たちの目的は、聖域サンクチュアリだ」


 その言葉には聞き覚えがあった。

 第一階層のどこかに、都市から不穏分子として追われた者、よその国から追放されて流れ着いた者などが集まって、集落のようなものを結成しているらしい、と。

 ようするに表社会では生きられない犯罪者たちの吹き溜まりというわけだが、彼らは自分たちの村を指して、聖域サンクチュアリと称しているという。


「……なんのために?」

「私と妻は、この地上のいろいろな国を渡り歩いてきた。だが、ひとつのところにとどまるには私たちはあまりにも異端なのだ。いずれひどい迫害を受けることは目に見えている。私だけならばいいのだが、妻までも傷つくようなことがあってはならない」

「それで、爪弾きにされた奴らの村で暮らそうって考えたわけか」


 ラスヴェートはうなずいた。

 たしかに、同じ異端者同士ならば、地上のどこかの町で暮らすよりかはまだ安心できるかもしれない。

 ユーリは腕を組んで眉根を寄せ、思案する様子を見せた。


「計画は?」

「簡単だ。私たちを聖域サンクチュアリまで送り届けたら、きみは地上へ帰ればいい。私たちは迷宮内で死んだか行方不明になったことにすれば、なにも問題はない」

「いや、問題はある。依頼人を置いてけぼりにして逃げ帰ったとなったら信用に関わるからな」


 料金を支払う代わりに命を預ける案内人が、いざとなったら自分を見捨てて逃げるとなったら、だれも雇うはずがない。

 ギルドは、案内人の逃亡行為について厳しい罰則を規定している。

 しかも、そのような案内人は命を拾うことができても二度とまともな仕事はもらえず、同業者からは侮蔑と嘲笑を浴びせられ、冒険者からは相手にもされない。待っているのは孤独な死だ。

 そうなりたくなければ、死んでも依頼人の命と荷物を守り抜き、はぐれてしまったら命がけで見つけだして保護しなければならない。

 たった一度のミスが、人生をめちゃくちゃに崩壊させてしまうのだ。


「ならば、こうしよう。きみと私たち、それぞれ別々に迷宮へ潜り、そのあとで合流するのだ。赤の他人ということなら、きみの評判が落ちることもない」

「ん……まあ、な」

「約束する。きみに迷惑をかけるようなことには、けっしてならない」


 難色を示すユーリに対し、ラスヴェートはなおも食い下がる。

 ユーリはさらにしばらく考えてから、ついに折れた。


「報酬はどのくらい支払える?」


 ラスヴェートは、腰から下げていた剣を鞘ごと差し出した。

 そして、ユーリの目の前で抜いてみせる。


「これを、差し上げよう」


 それは、すばらしい黄金細工のサーベルであった。

 大粒の宝石をいくつもあしらった、芸術品のごとき逸品。

 路地裏の闇の中にあっても強い輝きを放つ黄金は、さながら見る者を深い欲望の渦へ引きずり込む魔力を放っているようでもあったが、ユーリの反応は、冷ややかだった。


「悪いが、そいつは受け取れない」

「なぜだね」

「どう見ても盗品だろ。どこぞの貴族か、王家の宝か、とにかくとんでもないお宝だ。そんなもの、換金しようとしても無理だし、裏ルートを使っても一発で俺が売ったとバレるに決まってる。それを知った元の持ち主たちはどうする? ヤバすぎる品物だ。手元に置いて鑑賞する趣味はないしな」


 ユーリの指摘した通り、そのサーベルは、かつてザラーム帝国の帝都が炎に包まれたとき、火事場泥棒として城に進入したラスヴェートがどさくさにまぎれて奪い取ってきた物だ。

 海を渡るための路銀が手に入ればいい、ぐらいに考えていたのだが、結果としてとてつもない宝物を入手することができてしまったのは、果たして運が良かったのか悪かったのか。

 この宝物については、とてもではないがまともな手段では扱いかねるため、代金として貰い受けることはできない。

 換金できない現物など、ガラクタと同じだ。


「支払いは金貨で頼む。最低でも三十枚ってところだな」


 タダ働きは絶対にやらないし、胡散臭い依頼を引き受けるならそれ相応の報酬を約束させる。

 このラインをゆずることはできない。

 今まで黙っていたセラフィーナが、無言だが、膨れっ面でユーリを睨むようにして、あからさまに不満げな表情を見せた。


「仕方がない」


 ラスヴェートが言った。

 そして、今までその素顔を闇で覆い隠していたフードを脱ぐ。

 さすがのユーリも驚きを隠せず、目を丸くして言葉を失った。

 

 静かなる男の頭部は、黒色の滑らかな体毛に覆われ、尖った三角形に近い耳が頭頂部の左右に生えており、鼻が大きく突き出た、狼のそれであった。

 右の眼は潰れており、左の眼だけが、爛々と赤く光っている。


人狼族ウェアウルフ


 畏怖さえ滲ませて、ユーリは言った。

 ラスヴェートは「その通り」と応えた。


「おとぎ話の中だけの存在と思っていたがな」

「無理もない。エルフやドワーフと同じく、我々も、地上ではすでに滅んだ種族だ」


 ラスヴェートはその大きな口元を歪めて、牙を剥いた。

 笑った、のだろうか。

 くぐもったような声の正体は、発声器官が人間のそれと異なっていたからなのだろう。


「本題に入ろう。報酬として、この残った左目をえぐり出し、きみに差し上げるというのはどうか」

「なんだって?」

「我々の仲間には、魔眼イビル・アイを持って生まれる者も珍しくはない。なかでも私は格別に強力な魔眼を授かった。死の魔眼という。視線に力を込めるだけで、相手の命を奪うことができるという能力だ」


 魔眼イビル・アイに関しては、ユーリにも多少の知識がある。

 ごくわずかな人間や、魔物などに、生まれつきそなわっている超能力。

 その能力は視界に映る物体や視界そのものを対象に発現する。

 多くは、ちょっとした予知や透視の能力であり、強力なものでは、対象を発火させるものすら存在するという。

 だがラスヴェートの言葉が真実なら、彼の魔眼と比べれば発火能力さえ児戯にすぎない。


 ラスヴェートは、自分の左目を指さした。


「どうだろうか。世にも珍しい人狼族の眼球、しかも強力な魔眼だ。その筋のコレクターか魔導の研究者に売り渡せば、金貨数百枚の値がつくことは間違いないだろう」


 やり方によっては、それ以上の価値がつくこともありうる。

 ユーリは言った。


「見たところ、あんたの眼は残りひとつしかないみたいだが、それでもいいのか」


 視力を失う覚悟はあるのか、という意味だ。

 ラスヴェートは、セラフィーナのほうを見下ろした。

 美しい少女は、夫のローブを掴んで離さない。


「妻の姿は脳裏に焼き付いている。充分だ。それに私にはきみたちよりも優れた耳と鼻があるのでね。生活には困らないよ」


 ユーリに、というよりセラフィーナを安心させるように言う、ラスヴェート。

 耳元まで裂けるような笑みを浮かべる姿はおそろしげだったが、邪悪さは感じられなかった。


「それなら、いい」


 ユーリは歩き出した。


「契約成立だ。すぐにでも出発したほうがいいだろう。俺は、先に行って待っている」


 その足は、地下大迷宮へと向かっていた。


 

 ◆



 逃げる者の背後には、追う者の姿がある。

 その日、百名ほどの団体が、リメインへ到着した。

 遠く海の彼方の大陸からやってきた、彼らの先頭には、頭にターバンを巻いた薄汚い風体の男。


「ラスヴェートが逃げ込んだのは、この都市だということだ」


 ザラーム帝国の皇子、バルナウルが、こわばった顔つきで言った。

 長旅の疲れが形となったかのように、砂埃が頭から全身にかけてこびりついている。

 が、本人はそんなことなど気にもとめていないというふうに、険しい目つきで、口元を引き結び、足早に大通りを進む。

 それは、周囲の屈強な男たちも同様だった。

 彼らは、崩壊させられたザラーム帝国に残ったわずかな兵から、さらに選りすぐってかき集めた、最強の精兵たち。

 帝国最後の、忠義の兵である。

 その心は、先代皇帝の崩御と共に実質的な帝国のトップとなったバルナウルと共にあるのだ。


「逃走する犯罪者がリメインを目指す理由はただひとつ。ほとぼりが冷めるまで迷宮内に隠れ住もうという算段だ」


 ぎり、と強い歯ぎしり。


「そうはさせるか。盗人め。絶対に逃がさん。なんとしても、宝刀を取り戻すのだ」


 そして、背後を振り返る。


 甲冑に身を包んだザラーム帝国兵たちの中心に、ただひとり、異様な風体の男が混ざっていた。

 

 身長二メートルの巨漢。

 大きく突き出た白い腹、こぶのような筋肉の盛り上がりを見せる逞しい両腕、真っ黒いズボンをはいた、やや短い脚。

 奇怪なのは、その頭部をすっぽり覆い隠すように、真っ黒な袋状のラバーマスクをかぶっていること。

 ふたつ空いた穴からのぞく双眸が、人外の真っ赤な輝きを帯びている。言葉など出さずとも、血に飢えていると知らしめるように。


「ツァール殿。そのためにあなたを雇ったのだ。よろしくたのむぞ」


 ツァール、と呼ばれた男は、くぐもったような声で「ぶひひっ」と笑った。


「任せておきなYO、皇子様。俺様に任せておけば安心安全心配ご無用! なんたって俺様ってば、ぶっ殺すことにかけてはプロだからさぁ」


 ラバーマスクから、あご下にかけて、血がだらだらと流れた。

 バルナウルたちが驚いていると、マスクの奥で口をもごもごと動かすような気配があり、次いで、ぽろっと小さな物がこぼれ落ちた。


 思わず、石畳の上を転がる物体の正体を見てしまったバルナウルの背筋に、戦慄が走る。


「そのラスヴェートって奴も、きっちりしっかり問題なく、グチャグチャのミンチにしてやるYO!」


 誰か、の。

 少なくともこの場にいる者以外の、誰かの眼球が、うらめしげにバルナウルを見つめ返していた。





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