Module_060
「ふぃ~、戻ったぞー」
レイナを置いて街へと戻ったセロは、そう呟きながら入り口に「ヴァルハラ」と名前の書かれた建物に入る。
「お帰りなさいませ、#ご主人様__マイロード__#」
中に入った彼を出迎えたのは、肩口で切り揃えられた漆黒の髪に切れ長の目、そしてそのふくよかな胸を強調するタイトなスーツ姿の女性であった。百人いれば、その全てが振り向かざるを得ないほどの艶やかさを持つこの女性は、セロの魂魄精錬により生み出された従者の一人ーー「刑死者」のアルカナの化身であった。
出迎えた彼女に続き、セロの声を耳にしたイルバーナが奥から顔を見せる。
「あら? マスターお一人ですか? 先ほど#あの子__レイナ__#と街の外へと向かったはずでは?」
部屋の中央に設置されたソファに座り、アラクネから受け取った紅茶を一息で飲み干したセロは、空になったカップを戻しつつ答える。
「あぁ、それなら森の中に置いて来た。狩った猪を持ってくるように告げてある」
「あらあら、あの子一人でですか?」
イルバーナはやや困惑した表情を見せたものの、その声の調子から、さほど心配はしていないようにも窺い知れた。
「仕方がないだろ? 折角の獲物を前に、叫びながら逃げたんだからな。訓練の一環として連れて行ったものの、戦うどころか逃げてちゃ話にならないだろう? せめて、狩った獲物の運搬くらいは任せないとな。それに、道中で危険なことに巻き込まれないよう、ベアルに監視しておくように頼んであるから」
セロはソファに身を預け、肩を揉みながら問いに答える。ちなみに、「ベアル」とは彼の持つ従者ーー「悪魔」のアルカナのカードに宿るベリアルを指している。
この名はセロ自身が与えたものだ。これまでは森の中で過ごしていただけのため、わざわざ名前をつける必要もないと考えていた。しかし、(イルネの策にハマったとは言え)グリムという街の中で生活する以上、従者たちに名前が無ければ要らぬ疑いをかけられる可能性があると考え直したのだ。
その結果、現状で彼が持つ従者の名は、次のようになっている。
――No.1_#魔術師__The Magician__#:ウィル・オー・ウィスプの「ウィル」
――No.7_#戦車__The Chariot__#:グリフォンの「スカイ」
――No.8_#力__Strength__#:バハムートの「ムゥ」
――カードNo.12_#刑死者__The Hanged Man__#:アラクネの「アレニエ」
――No.15_#悪魔__The Devil__#:ベリアルの「ベアル」
――No.18_#月__The Moon__#:サキュバスの「クロワ」
「それなら安心ですね。では、早速その猪を使ったものを夕飯に出しますか?」
「あぁ、夕飯までに間に合えばな。難しいようなら、解体して、一部はギルドに買取りしてもらう」
「承知しました。なら、解体の準備だけはしておきますね」
「よろしく頼む」
意外や意外、かつては冒険者として活躍していたイルバーナは、これまでの経験により魔物素材の解体が得意ということが判明した。しかも、その腕前はプロに勝るとも劣らないレベルであり、自前で素材を用意できることに、セロは思わず頬を緩ませた。
そんな彼女が、自分の娘が魔物が徘徊する森の中に取り残されたというのにもかかわらず、「安心」との言葉を零す。
その口ぶりからは、一切の不安は感じられない。
それもそのはずだ。何故ならーー彼女らはセロの「秘密」を共有する仲間だからだ。
あの日、雇われる形でセロの側に付くこととなった母娘は、彼の口から直接「魔法」のことを聞かされた。失われた技法たる「魔法」が使えるーーそんな話を聞かされた二人は、当然ながら最初は信じようとはしなかった。
だが、「魂魄精錬」により生み出された従者たちを目の当たりにし、ようやくセロの言葉が真実だと思い知る。
もちろん、両名には秘密を打ち明けるにあたってセロから直々に「眷属化」の魔法が施された。これは対象者が術者の課した制約を反故にした際、その代償として、最悪命までをも奪える魔法である。イルバーナとレイナの母娘は、この魔法により制約が課されているため、秘密が公になることはない。
以来、この建物内にはベリアルをはじめとした従者たちが、実体化したまま、彼女たちと生活を共にしている。
イルバーナとの会話が終わり、ソファに座りながら寛いでいた時、勢いよく扉が開く音がセロの耳に届く。
「ウギィッ! グルゥッ!」
開いた扉の向こうから、中型犬ほどの大きさのドラゴンがやや涙目になりながらセロに飛び込んみ、その腹を顔に貼り付かせた。
「うわっ!? 何だ……って、ムゥじゃないか。どうした?」
ガッチリと頭をホールドするヴリトラをやっとの思いで引き剥がして訊ねると、膝の上に下されたバハムートは「ギィギィ」と強く鳴いた。
切羽詰まった様子で鳴くリヴに、セロが「落ち着けよ」とクールダウンを呼びかけようとした矢先ーー
「あらっ? マスター……いつの間に帰ってらしたんですか?」
開けっ放しの部屋から顔を覗かせてセロを見た女性が、ファンシーな服を片手に訊ねてきた。
「帰って来たのはついさっきだけどさ。つーか、何してるんだよ、クロワ」
目に入った光景に、なんとなく事態を察したセロだったが、念のために従者の一人ーー「月」のアルカナの化身たるサキュバスであるクロワに訊ねる。
「えっ? いや、何ってムゥの新しい服をアレニエに作ってもらったので、試着させようとしたたんですよ」
クロワは手に持っていた服を眼前に広げて見せながらセロの問いに答える。一方、その言葉を耳にしたセロは、顔に手を当て、盛大なため息を吐きながら口を開く。
「いや、服って……その見るからに女の子っぽい仕立てのヤツか? ムゥはオスだぞ……」
セロの指摘に、被害者であるリヴは幾度も頷く。しかし、クロワは両者から若干冷めた目を向けられても、それに全く意を介さず、むしろクスクスと上品な笑みを浮かべながらさらに言葉を紡ぐ。
「あらっ? 別に問題は無いのでは? マスターの知識なあるではありませんか。ほら、何と言いましたっけ。確か……オトコのムスメと書いてーー」
「オイ、それまでにしとけ。つーか、どっからそんな情報持って来たんだよ」
セロは盛大に顔を引きつらせながらクロワに釘を刺す。
「いやぁ~、そこはホラ、マスターが寝ている合間にチョチョイっと……」
「……そうか。なら、これから当分の間は寝る前に必ず#思考読込__マインドリーディング__#されないよう、プロテクトの術式をかけてから寝るようにするわ」
「そんなっ! あんまりです! せめて外部記録して保存を! あの至宝とも呼べる……『びーえる』という物語りを! せめて! 一度、外部を保存をーー!」
わりとガチなお願いなのか、クロワは若干涙目になりながらセロに嘆願する。
しかしーー
「ーー却下。少なくとも二週間は読めないと思え」
「そ、そんな……」
クロワはガックリと肩を落としながら奥にある部屋へと向かう。
(つか、『びーえる』って、あのBLだろ……? マジで大丈夫なのか、#クロワ__あいつ__#。絶対「腐」のつくヤヴァイ方向に行ってるよなぁ……そのうち、脳内で変なカップリングしない
……よな?)
一瞬、ゾワッと身の毛がよだつ想像を必死で振り払ったセロは、いつの間にか膝の上に乗るリヴの頭を撫でながら心に平穏を取り戻そうと試みる。
(うん……そうだよな。まずはクロワが手を出せないほどの強力なプロテクト術式を構築するのが先だな)
自分でも驚くほどの固い決意を心の内に宿したセロは、それっきり一切の言葉を発することなく、術式の構築に没頭しはじめるのだった。
「つ、疲れたああぁぁぁぁ~」
森の中に置き去りにされたレイナが、ソファにダイブするように身を沈めたその横で、セロはイルバーナの手作りクッキーを頬張りながら紅茶を飲んでいた。
「お疲れ。これに懲りたら、もう敵前逃亡なんてすることもできないだろ」
ソファでぐったりするレイナに、セロはニヤニヤと笑いながら容赦のない言葉をかける。
「そーですね! ロープ片手に仕留めた獲物を引き摺りながら運ぶのはもうこりごりですよ。というか、私みたいな女の子に、こんな重労働を平気な顔で命令する師匠ってどーなんですか!?」
笑いながらかけられたセロの言葉に、レイナな半ば投げやりに問いただす。
「えっ? どーなの……って、そりゃ普通だろ? ここで働いてもらう以上、役立ってもらわなきゃこっちが困るしな。ある程度の力仕事はどこだって求められるぞ?」
「それは……そうですけど……でも、マスターは機巧師ですよね? 自作の精霊武具もありますから。なら、どうしてイルネさんのようにしっかりとした商会を作らないんですか?」
セロの指摘に、レイナはやや不満げな言葉を返しながら訊ねる。彼女の言葉に、一瞬控えていたベアルやクロワの周囲に剣呑な空気が漂ったものの、セロは目で彼らを制しながら答えた。
「いや、商会も何も、俺は『モグリ』の機巧師だぞ? ライセンスが無い以上、大っぴらに商売ができないからな。まぁイルゼヴィルはその辺りを知った上で依頼してくるけど」
セロは紅茶のお代わりをクロワに頼みつつ、レイナの問いに答える。
事実、セロはこの場所をイルネから引き継いでも特に商売を始める……ことはなく、登録した「冒険者」としてギルドからの依頼をこなす日々を送っていた。
「うぅ……何で……折角、あのイルゼヴィルさんやイルネさんが注目する人のそばに居られることになったのに、冒険者として手伝わされるコトになってるんですかぁ~。しかも、機巧師の方が知名度もステータスも上だと言うのに……」
盛大なため息を吐きながら「訳が分からない」とブツブツ呟くレイナを見つつ、セロは笑いながら紅茶を飲み下す。
(そんなにいいものかねぇ……有名になればなるほど、仕事に追われてキリ揉みするだけだってのに)
#技術屋__エンジニア__#として組織に属し、毎日迫る納期とクライアントからの無茶振りに翻弄されて来た経験から、「この世界ではマイペースで進もう」と固く誓ったセロにとって、レイナの言葉には苦笑するほかなかった。




