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耳に届く声に、ハッと我に返ったセイラスがその声の主へ目を向ける。すると、そこにはそれまで幾度も彼の振り下ろした短刀を防いだ愛銃を素早くホルスターに戻し、両手を空けた丸腰で立つセロがいた。
だが、その様子を目にしたセイラスは、「降ってわいた攻撃の#好機__チャンス__#」とは到底思えなかった。確かに状況的に見れば、この場にいるのはセロと三十を超える大人である。しかも、デラキオを除く大人たちは、皆が皆ナイフや剣、斧にメイスと武装している。
ハッキリ言って、この状況下で自らの武器を仕舞うのは最悪手と言えるだろう。
しかし、目の前の多数の敵を前にしたセロの表情に、怯えや恐怖の文字はない。
彼は後ろ腰に手を回すと、腰に取り付けたケースから一枚の#銀板__カード__#を引き抜く。セロが見せた一枚のカードに、「そんなもので何ができるのか」と大人たちはやや呆れ顔を見せ、中には軽く鼻で笑って嘲る者も垣間見られた。しかし、そんな彼らの反応を読んでいたかのように、セロはわずかに口角を持ち上げると、カードを持つ逆の手の親指を噛んでその血を銀板の表面に塗りつける。
「来い――ベリアル」
短く告げたセロの呼び声。その声に呼応し、彼の持つカードから轟音とともに深紅の焔が吹き上がる。カードから漏れた焔は、まるで生きている蛇のように、デラキオやセイラスたちを取り囲むように床に焔の境界線を引いた。
そして吹き上がる焔は次第に形を成し、やがては一人の男性へとその姿を変えた。
セロの持つ、「魂魄製錬」により魂を具現化させた銀のカード。そのカードに記された、15番目のアルカナ――#悪魔__The Devil__#の化身が、主たるセロの呼び声に応じ、今ここに顕現する。
「#焔公__えんこう__#ベリアル、只今、御身の前に――」
燃え盛る焔より現れた壮年の男は、セロの前で恭しく片膝を付いて傅く。
セロの目の前で傅く男。カードに刻まれたその者は、焔の大公との呼び声の高い「ベリアル」である。
「呼び出してすまない。早速だが――『仕事』だ。まずは、あの蝿とも薄汚いゴブリンとも似た輩を片付けろ。俺は俺の客をもてなすことにする」
有無を言わせない圧力を伴いながら紡がれた言葉に、ベリアルは顔を上げることすらせず、ただ呟く。
「ハッ! かしこまりました。では、すぐに#処理__・・__#を――」
傅きながらさらに頭を下げて言葉を発するベリアルに、セロはクスクスと小さな声を漏らして笑いながら声をかけた。
「いやいや、折角の機会だ。お前はお前で、俺の方が片付くまでのんびり#遊んで__・・・__#いてくれ。お前にとってはあんなゴブリンにも劣るような連中など、相手をしろと命ずるのは失礼かもしれないが……」
「あ゛ぁっ!? 何だとこのガキャァ!?」
「ふざけんな! とっとと#殺__や__#っちまえ!」
セロのあからさまな挑発の言葉に、それまで呆けていた若い衆たちの顔に朱が差し、怒号が飛ぶ。
だが――その者たちが行動するよりも早く、ベリアルはスッと立ち上がると、目にも留まらぬ速さで威勢よく叫んだ男に接近し、その顔面を覆うように手で掴む。
そして、次には――
「うぎゃああああああああああああっ! あっ、熱い! 熱い! やめっ、止めてくれっ!」
ベリアルの手から赤々と燃える焔が噴き出し、みるみるうちに掴んだ男の身体を包んだ。
「承知いたしました、#我が主__マイロード__#。本来であれば我が主に敵意を向ける者など、一瞬で片付けるべきかとは思うのですが……それが我が主の願いとならば、それを叶えるのが従者としての務めというものでしょう」
手にこびり付いた煤を胸元のポケットに挿していたハンカチで拭いながら呟くベリアルに、セロは笑いながら「大袈裟だなぁ」と返す。
赤々と燃える焔をただ眺めるベリアルは、次いで焔の中で暴れる相手に向けて問いかける。
「さて、我が主の命により、貴方たちは私がお相手しましょう。そう言えば、先ほどは何と仰っていましたっけねぇ。確か……止めてくれ、でしたか? はて……一体どこのどなたでしょう。我が主を前に『殺っちまえ』などと明確な敵対行動をとったのは」
「ガ、ガハッ……」
顎を撫でつつ眉を顰めて問いかけるベリアルだったが、焔に包まれた相手からの返事は無く、瞬く間にその身体が灰となってこの世から姿を消した。
――そう。文字通り、その骨すら残すことなく。
「う、うわああああああああああああああっ!」
見るも無残な死を遂げた仲間に恐れをなし、それまで威勢の良い言葉を放っていた者たちが、一斉に後ずさる。
「ふぅむ……形勢不利と見た途端、逃げの一手ですか。まぁその潔さは評価する点ではありますかねぇ? しかし――」
自分に向けられる恐怖の目に、「やれやれ……」とわずかにベリアルは肩を落とす。そして、ため息交じりに呟いた。
「この私が……主より賜った目の前の『獲物』を逃がすと思いますか?」
次いでベリアルが一度軽く指を弾くと、場を覆うような薄い炎の障壁が形成され、男たちの逃げ道を塞ぐ。
「あぁ、説明させてもらいますが、その障壁に触れない方が身のためですよ? 下手に触れると――先ほど亡くなった方のように、焔が全身を駆け巡るようになっていますから。ここから外に出たいのなら、己の力と技で私を倒すしかありませんよ? まぁ、私のこの言葉を聞いても信じられないのなら、話は別ですが」
人間を焼き殺したにも関わらず、まるでその事実を平然とした態度で受け止めつつ言葉を紡ぐベリアルに、対峙する男たちの表情が険しいものへと変化する。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」」」」」
各々が決死の覚悟を決めた表情で、相棒と呼ぶべき武具を手に、雄叫びを伴いベリアルに襲い掛かる。
「――ふむ。確かに我が主の仰られた通りですね」
だが、全方位から真っ直ぐに襲い来る攻撃に、ベリアルは顎を撫でながら若干興味を失ったような態度でため息交じりに呟く。
「……これは、ゴブリンよりも酷い」
ベリアルが呟くと同時、再び指を弾くと――彼の周囲に突如、幾筋もの焔の柱が噴き上がった。
「う、うわああああああああああああああっ!?」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「グギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
「あ、熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い痛い痛い! た、助け――」
吹き上がる焔の柱に呑み込まれる屈強な男たち。これまでにも何度となく荒事に直面したであろう彼らが死に際に残した言葉は、そのどれもが苦痛と悲鳴を訴える絶叫であった。
「ふぅむ……耳に届くのは、どれも聞くに堪えない声ばかりですねぇ……威勢よく向かってきた手前、もっと#捻りの効いた__・・・・・__#断末魔でも聞かせて欲しいものですが」
焔の中で灰となって消えゆく相手を、ベリアルは呆れを混ぜた調子で呟きながら軽く払うようにその右手を横に振る。すると、その吹き上げられた焔の柱がまるで意思を持つように、するすると縒り合う。細い糸同士を縒り合せるように、一筋の柱へと合わさったその焔は――
「さて、では……『食事』の時間としましょうか。折角我が主より賜った機会です。しっかり味わって喰らい尽くしない――#罪喰い蛇__クライム・イーター__#」
ベリアルの言葉によって「命」が吹き込まれる。
「ギピィヤアアアアアアアアアアアアアアアァァァッ!」
全長20メトルを優に超える焔の化け物。それは単に「蛇」という名前とはかけ離れた恐ろしさを持つ。ガパリと口を開けたの#焔蛇__えんじゃ__#は、鮫を思わせる無数の鋭い歯を有する一方、その顔には獲物を見定める「眼」が存在しない。
一見して「回避が容易い」と思い込みがちだが、それは大いなる間違いだ。この#罪喰い蛇__クライム・イーター__#はベリアルの忠実なる僕の一体で、視覚を除くあらゆる感覚が想像を超えるほどに鋭敏なことに特徴がある。
ーーそれは、身に纏う焔、その表面に触れるわずかな空気の違いや気流、気温差に対して。
ーーそれは、上顎の先端、目を凝らさなければ視認できないほどの小さな鼻腔を通して感じる標的や周囲の匂いに対して。
ーーそれは、焔に包まれた外殻の内側にある耳が捉える、地面の揺れや標的の声、息遣いに対して。
ーーそれは、閉じた口の隙間から伸びる焔の舌、それが捉える標的の匂いと相手の感情に対して。
焔の蛇が持つこれら四感によって捕らえられた標的は、その者がこれまで犯した罪を喰われ、代わりに絶望と苦痛の果てに安らかな死を与えられる。
なお、余談ではあるが、この焔蛇に捕らえられた者は、その者が犯した罪が重いほどに与えられる死までの時間が長くなる。焔による責め苦が長くなるなど、捕食された者からすれば「冗談だろ」と言わずにはいられないことかもしれない。
だが、これはベリアルによる一種の慈悲なのだ。
――生き物はその自らの「生が確定した瞬間」から「死を内包する」存在なのだ。
――ならば、死という生の終着点には、一切の罪も穢れも洗い落とした、真っ白な状態で還るのが望ましいのだろう、と。




