Module_046
右手を軽く上げ、イルゼヴィルは火を点けた煙草を噛みながら告げて戦場に向かう。コートをはためかせて進む彼女の背中を、配下であるグラースや幾人もの男女がそれぞれの精霊武具を手に続く。そんな彼らに混じって進むセロは、腰に取り付けたアイテムポーチから指抜きグローブと小さなケースを取り出す。
(辺りは暗いし、何が起こるか分からないからな。念のため、できる限りの装備はしておかないとな……)
そんな思いを心の中に呟きつつ、セロはケースを静かに開けた。長方形の手のひらサイズのケースの中には、小さな二対のコンタクトレンズが置かれていた。
そのレンズに手を伸ばしたセロは、慣れた手つきでその二つのレンズを両眼に装着する。
すると、まるで拡張現実のように視界の中心に「#認証__ Authentication__#……#完了__Complete__#」の文字が浮かび上がる。
(……よし、異常は無さそうだな。この街に来てから全く使う機会が無かったから少し心配したんだけど、杞憂に終わって良かった)
セロは軽く息を吐いて安堵しつつ、ケースをポーチの中に戻す。認証完了のメッセージが表示されると、続いて視界の左上に一本の細長い緑色のバーとその下に「Status:」という項目が現れる。
先ほどセロが両眼に装着した二つのレンズ。それは、スタイプスの森で生活する中、彼の手によって製作されたものだ。
その名も「#即時状況把握・管理機構__オート・メディケーション__#」という。この小さなレンズの表面に記された微細な精霊構文により、装着した対象者の状態を即座に、かつ分かりやすく表示することが可能となる。
視界の左上に表示されるバーは対象者の体力を示し、バーが半分を切ると黄色に、二割を下回ると赤色に切り替わる。また、「Status:」の横には毒や麻痺といった状態異常に陥った際にあらかじめ設定したアイコンが表示される。なお、基本的にこのレンズは自分の状態を把握することがメインの機能だが、他にも設定した「コマンド」によって強力なサポートアイテムになる。
オート・メディケーションがその別の力を発揮するのは、意外と早くやって来た。
「チィッ……予想以上に見張りが多いな」
離れた場所から対象の建物の様子を窺うイルゼヴィルは、スコープから目を離さずに舌打ちしつつ呟いた。
「どうしますか、大佐。夜陰に紛れて死角から襲うことも可能でしょう。ただし、発見される可能性は高くなりますが」
「うぅむ……」
双眼鏡越しに敵の様子を眺めつつ、イルゼヴィルはグラースの言葉に煮え切らない声を上げる。
ーーと、その時。
「あの建物の周囲にいる敵を減らせばいいのか?」
二人の会話にセロのどこか間延びした声が割って入る。
「あ、あぁ……何か手があるのか?」
不意にかけられた声に、イルゼヴィルは言葉を詰まらせつつも訊き返す。
「まぁ……な。ふむ。これくらいの距離ならーー」
セロは目視で対象までの距離を推し量ると、腰に取り付けたアイテムポーチに手を突っ込み、やがて引き抜くように目的のものを取り出した。
「な、なんだソレは……」
セロの取り出したものを見たイルゼヴィルは、わずかに表情を引きつらせながら訊ねる。
「コレか? コレは『バレット』っていう銃だ。これなら、この場所から狙い撃ちできる」
さも簡単だと言外に告げるセロに、イルゼヴィルは目を見開いてさらに訊ねた。
「それは本当なのか? こう言っては何だが……その言葉は素直に信じることが出来かねるぞ。ここから対象の距離までどのくらいかと思っているんだ? およそ3,000メトルは優に超えているんだぞ? ゴーグル越しでしか捉えられない相手を、どうやって仕留める? 確かにその大きな銃は、破壊力で言えばかなりのものになるだろう。しかし、ここで求められるのは威力よりも精確さだ。距離があるとは言え、轟音でブッ放して気づかれたら一気に作戦の成功が遠のくぞ?」
イルゼヴィルの指摘に、傍らに控えるグラースや彼女の仲間たちが揃って彼女の意見に賛同する。確かにイルゼヴィルの言う通り、セロが取り出した「バレット」と呼ぶ銃は、彼女も目にしたことのある銃よりもずっと大きい。それほどまでに大きな銃ならば、まともに食らえば人間など紙屑のように吹き飛ぶだろう。
だが、所詮そのような破壊力があっても、標的に当たらなければ意味がない。加えて既に陽が沈み、暗闇に覆われた状況下では、離れた場所にいる敵を仕留めるのは難度の高い行為と言わざるを得ない。情報の多くを視覚に頼る人間にとって、その最も重要な感覚が封じられた暗闇での狙撃は、想像以上の難しさを誇るのだ。
だが、イルゼヴィルの言葉を受けたセロは、困惑する彼女に向けて微笑を浮かべながら返答する。
「3,000メトル……か。確かにそれぐらいの距離はあるみたいだな。確かに#まともな__・・・・__#武具じゃあこの距離での攻撃は難しいだろうさ……そう、『まともな』武具じゃあな」
そう言ってセロは取り出したバレットを台に固定し、自身は地面に這いつくばるようにして構える。
「それじゃあ……#狩る__・・__#としますか――」
口の端を大きく吊り上げ、ポツリとセロの口から言葉が漏れる。
そして、引き金に指をかけ、軽く息を吐いた瞬間ーー度重なる戦場を渡り歩いたイルゼヴィルでさえも総毛立つほどの寒気が背中を走った。
「――っ!?」
それまで視界に捉えられていたセロの纏う空気が、まるでスイッチが切り替わったかのように一変する。
(な、なんだこれは……)
イルゼヴィルたちの目には、まるで生まれ持った人間としての、あらゆる感情を削り落とした『殺戮機械』と化すセロの姿があった。
その瞳はただ標的を捉える機能だけを果たす「役割」だけをこなし、#引き金__トリガー__#にかけられた指は、彼の目が捉えた標的を沈めるためだけに引かれる。
遠く離れた標的へ銃口を向ける彼の姿からは、迸る激情も、命を奪うことに対する恐怖も、立ちはだかる敵への憎悪や殺意も何も無い。
ーーただ、淡々と。
ーーただ、黙々と。
スコープに刻まれた十字の中心に標的の頭が重なった瞬間を見逃さずに引き金を引く。
その銃口に#消音器__サイレンサー__#を取り付けた、セロの持つ狙撃銃「バレット」から放たれた銃弾が、3,000メトルという距離を一瞬で飛び越え、標的のこめかみに吸い込まれるように一直線に飛んでいく。
暗闇の向こう、視覚外から放たれた攻撃に、相手は成す術なく崩れるように倒れる。
倒れた相手は、その後二度と立ち上がることができずにその命を終える。
一人、また一人と減っていく敵の数であったが、当のイルゼヴィルは喜ぶどころかその額に薄っすらと冷たい汗を滲ませていた。
(この子は……本当に人間なのか?)
ふと心の内に湧いてくる疑問に同調するように、彼女の隣に立つグラースは、その表情を強張らせつつセロの一挙手一投足に注目している。
地べたに這い蹲るようにしてバレットを構えるセロは、そんな彼女たちの思惑など全く意に介することなく、静かにその引き金にかけた指を引く。
やがて引き金にかけた指を離し、ゆっくりと立ち上がったセロは、「だいたいこんなもんでいいか?」と間延びした声でイルゼヴィルに訊ねる。
「あ、あぁ……充分だ。それにしても驚いたな。わずかな時間であれだけ離れた標的を仕留めるとは」
ぎこちない笑みを浮かべつつ、イルゼヴィルはセロの肩に手を置いてねぎらった。
「そうか? これくらいの距離なら、#バレット__こいつ__#だけで十分対処できるからな。まぁ、もう少し距離があったらちょっと難しかっただろうケドな」
「ほほぅ……なるほど。それは少し興味深いな。ちなみに、最長でどのくらいの距離ならいけるんだ?」
暗闇の中、移動しつつ語りかけたイルゼヴィルに、セロは一瞬だけ眉根を寄せて考えた後、ポロリと呟く。
「ただ攻撃を当てるだけなら……天候にもよるが、7,000メトルは問題無いだろうな。今のように、#ヘッドショットで仕留める__ワン・ショット・キル__#なら、いいとこ5,000メトルくらいかと思うぞ……」
「ーーっ!? そ、そうか」
イルゼヴィルはピクリと一瞬だけ肩を震わせつつ、言葉を返した。
(5,000メトル離れた場所からの精密射撃だと!? そんなこと有り得な……いや、あのような姿で感情を殺して撃つのなら、有り得ないこともない、のか……)
「……どうかしたか?」
ふと自分の考えに潜り過ぎていたからか、不意にかけられたセロの言葉に、イルゼヴィルはハッと我に返る。
「いや、何でもない。それより……ここからが本番だ。準備はいいな?」
イルネたちが捕らえられたと目される建物のすぐ近くまで移動したセロたち。先頭のイルゼヴィルがセロへ振り返りつつ訊ねる。
「……問題無い。いつでもいける」
バレットをアイテムポーチに仕舞い込み、左右のホルスターからハンドガンを引き抜いたセロが頷きながら彼女の問いに答える。
「では諸君。威風堂々と逝こうじゃないか。靴を鳴らせ! 魂を震わせろ! これより我らは死地へと赴く! 進めええぇぇっ!」
「「「「うおおおおおおおおおっ!」」」」
イルゼヴィルの掛け声に合わせ、グラース率いる彼女の部下たちが雄叫びを上げながら敵陣へと突き進む。
――戦いの火蓋は切られ、ほどなくして怒号と断末魔に場は包まれる。




