Module_044
イルネたち中小事業者を狙った騒動から数日後。騒がしかった店内も落ち着きを取り戻し、この日も無事に業務を終えたマレーン商会では、いつものようにユーリアやハンスが店じまいを行なっていた。
「くはぁ~。一時はどうなることかと思ったけど、無事に切り抜けられて良かったよなぁ」
「そうね。本当にあの子のおかげと言っても過言じゃないわ。一体どれだけの技量があるのかしら? 素材も手に入れるのが難しい状況にもかかわらず、伝声管で注文してすぐに手元に届くんだもの……。あの時は忙しくて何も言えなかったけど、普段なら卒倒してたわね。確実に」
店の前に「CLOSE」の札を下げたユーリアが、片付けを終えたハンスの言葉に答える。辺りは既に陽が落ち、夜の闇が街を包み込んでいる時間だ。夜の闇が濃くなるに従い、店の通りから離れた場所では渇いた喉を酒で潤そうとする冒険者たちの姿が見える。
「確かにそうだよなぁ……会頭もあの子のことをいたく気に入ってるみたいだし。何か同類として惹かれるもんでもーー」
戸締りを終えたユーリアに、ハンスが話しかける。若干呆れるような口ぶりで話すハンスが、チラリと窓から見える外の様子を捉えた瞬間ーー
「ーーっ! 危ねぇ!! 伏せろっ!」
轟音と共に商会の玄関が破壊された。
「オイ、大丈夫か!」
「えぇ。何とか首は繋がってるみたいね」
土埃と瓦礫の破片が舞い散る中、ハンスの言葉にユーリアの声が響く。
「しっかし、何なんだ一体……」
轟音で揺れる視界にふらつきながら呟くハンスに、突然ユーリアとは別の声が耳に届く。
「やあやあ、マレーン商会のみなさん。夜遅くに失礼しますよ。私の名はセイラス。以後お見知り置きを」
柔和な表情を見せ、スッと音もなくハンスの横に立った青年が彼の首元にナイフの刃を当てて自己紹介する。
「あ~……一応言っておきますが、無駄な抵抗は止めた方がいいですよ?」
「そいつはご丁寧にどうも。それで? あんたたちは俺たちをどうするつもりだ?」
両手を上げ、降伏の意志を示すハンスは、必死に気丈な振る舞いを見せつつ喉元に刃をあてがう青年に問いかける。
「ここではないどこかへ連れて行こうかと。大人しくしてもらえば、こちらとしても下手に傷つけるような真似はしません。少なくとも『今は』ね」
「そうかよ……」
呟きつつ、ハンスはギリッと奥歯を噛んだ。わざわざ強調してあからさまに脅すセイラスの態度に、ハンスは一瞬怒りが湧いたものの、商会の仲間に刃を向けられている状況ではどうすることも出来ず、結局は彼らの言う通りにするほか無かった。
「スミマセン、会頭。もっと早く気が付いていれば……」
別ルートで乗り込んだのか、裏口からセイラスの仲間に引きずられるように運ばれるイルネを見たハンスが、小さく頭を下げながら悔しげに呟く。
「気にするな。それよりも、全員無事だな?」
「えぇ……何とか」
軽く項垂れるハンスに、励ますようにイルネは声をかける。
「無事だと確認できただけでも救いだよ。ウチの商会は小規模だからな。誰かが欠けると、それだけで業務にししょうをきたすからな」
侵入者たちに拘束されつつも、イルネはその表情から恐怖を覗かせることはなかった。一歩間違えれば自らの命が消されるかもしれない状況に対し、むしろそれを楽しんですらいるかのようですら感じさせる。
「へぇ……流石は『女狐』。他人に生死を握られているというのに、そんなセリフを吐けるとは。その見た目からはおよそ想像できない胆力ですねぇ……」
ハンスにナイフを突きつけていたセイラスは、イルネの言葉に取ってつけたかのような感想を述べつつ、ゆっくりと手にしていたナイフを下げる。
そして仲間たちにハンス拘束させると、堂々と振る舞うイルネに近寄り、彼女の顎にそっと手を添える。
「ウチの当主から色々と聞いてますよ? 何でも、昔は貴方の色香に数多くの男が騙された……とか。まるで服を着替えるように取っ替え引っ替え男を誑かすその姿から、ついた渾名が『女狐』らしいですね?」
「へぇ……随分とまぁ懐かしいことを言ってくれるもんだねぇ。アンタの御当主は私のことを覚えてるようだけど、生憎とこっちはてんで見当付かないよ。何せ、騙くらかした男なんざ、100や200じゃ収まらないからねぇ」
セイラスの言葉に、イルネは冷たい笑みを浮かべながら切り返す。
「ハハッ……楽しみですよ。貴方の顔が恐怖で歪むその瞬間を見るのが」
「クッ……」
わずかに唇を噛んで悔し気な表情を見せるイルネに、セイラスはニヤリとどこか満足げな表情を浮かべ、仲間たちへ連行するように指示を出す。
「それでは私はこれで一旦失礼させていただきます。また後で会いましょう……」
思わせぶりなセリフを残し、セイラスは軽く頭を下げるとイルネたちの前から立ち去った。
(チッ、参ったね……あの男、かなり『殺し慣れてる』ようだ。ただ、こっちもやられっぱなしってワケにもいかないんでね……)
背筋に流れる冷たい汗を感じながら、イルネは心の内にそっと呟く。両手首を縄で締め上げられたイルネたちは、セイラスの引き連れた襲撃者たちに連行され、荒れ果てた商会をそのままに連れ出されていく。だが、縛られた手首の縄を引っ張られたため、イルネは床に倒れた椅子に躓き、なす術も無く転んでしまった。
「オイ、何やってる! さっさと立って歩け!」
「分かってるよ。だからそんなに強く引っ張らなくてもいいだろう? どうせこっちは何もできないんだからさ……」
両手首を縛られたまま、イルネは叫ぶ襲撃者の一人に対して返答しつつ立ち上がる。
「か、会頭……大丈夫ですか?」
「あぁ、問題ないよ」
ユーリアの気遣う言葉に答えたイルネは、襲撃者たちの誘導に従い、建物の裏手から隠れるように外に出た。
「……こっちだ。さぁ乗れ」
襲撃者の一人がクイッと顎で示した方を見やると、そこには乗合馬車よりもなお貧相な馬車が止まっていた。
「……これからどこへ行くんですかね?」
「さぁな。ただ、私たちにとってはあまり歓迎すべき場所ではないことは確かだろうがね」
荷台に押し込まれるように乗せられえたイルネたち。縁に背を預けたハンスがポロリと零した問いに、イルネが小さなため息を混ぜながら答える。
(やれるだけのことはやった。あとは――運を天に任せるしかない、か……)
胸中にそんな思いを抱きつつ、イルネはふと商会の建物を見やる。
――片方の耳に下がる、千切れたイヤリングの金具をそっと撫でながら。




