Module_034
「うあぁ……ったく、昨日は酷い目にあった」
翌朝、この日もギルドにやって来たセロは、掲示板を眺めつつ張り出された依頼を確認していた。受付にいたファレナに買取り依頼の進捗状況を確認したが、まだ作業が終わっていないとの返答であったため、この日も掲示板の前に張り付いて依頼を吟味している。
張り出された依頼を目にしつつポロリと口から愚痴が漏れたものの、昨晩のうちに作業自体は終了したため、そこまでの肉体的疲労は感じられないのが幸いであった。
(自分のペースでやれるのはいいよなぁ……日本にいた時は考えられなかったリズムだけど)
ふとセロは社会人として生きていた前世のことを思い出しながら、そっと心の内に呟く。
セロの前世ーー本宮数馬として生きていた頃は、殺伐とした職場で修羅場に遭遇しつつ、会社に泊まりながら徹夜で作業するのが常態化していたのだ。その時の生活と比べれば、今は当時では考えられないほどの恵まれた環境にあることがよくよく実感できる。
(まぁ、こっちでは全てが自己責任だし、怪我や病気で仕事にありつけなきゃ終わりっていうシビアさがあるけど、裁量の範囲が広いからな。徹夜続きで身体と精神がボロボロになるよりはマシだよなぁ……)
ふと脳裏に不眠不休の徹夜続き真っ只中だった当時の苦い記憶が呼び起こされたセロは、「あぁ、そう言えば、デバック作業でモニター見過ぎて、仮眠中に目が痛過ぎて起きたこともあったっけ……うん。生きてるってスバラシイ」とわずかに目を潤ませたのはここだけの話である。
そんな思いを抱きながらセロが掲示板を眺めていた時、
「ーー失礼します。セロ、という冒険者は貴方で宜しいですか?」
横から男性のものと思われる声が聞こえてきた。
「……? はい。セロは俺ですけどーーどちら様ですか?」
声のした方へと顔を向けたセロは、目の前に立つ眼鏡姿の男性に訊ねる。
「申し遅れました。私の名は『コンラット』と申します。本日は我が主、デラキオ様の使いとしてやって来ました」
「デラキオ……って、あの商会の?」
「はい。左様です」
セロは軽く頭を下げつつ自己紹介を行なったコンラットを見つめる。真っ直ぐに立つその姿に、キラリと縁の輝く眼鏡。まるで上流階層に仕える執事を思わせる。
「それで? その有名な商会の会頭さんが何の用で?」
「我が主が貴方様とお会いしたいと申しております。お手数ですが、私と一緒に来ていただけないでしょうか。ギルドの前に馬車を用意しておりますので……」
セロは軽く眉根を寄せてしばし黙考した後、やがては「分かった」と了承の言葉を告げる。
(マレーン商会に続いて、今度はデラキオ商会か。また面倒なコトにならなきゃいいんだけどなぁ……)
カリカリと頭を掻いたセロは、ため息を呑み込み、コンラットの後に続く。
「本日はお時間をいただきありがとうございます。少々窮屈かとは思いますが、すぐに目的地に到着いたしますので……」
「あぁ、はい。分かりましたヨ……」
馬車の中に入った二人は、向かい合うようにして腰を下ろす。そして場を取り繕ったように話しかけるコンラットの言葉に、セロは歯切れの悪い返事をしつつ、スッとその目を外へと向けた。
◆◇◆
コンラットとセロを乗せた馬車は、ほどなくして大きな建物の前に停車した。
コンラットに続いて馬車を降りたセロの眼前には、ギルドの建物を凌ぐ、大きく立派な外観を擁する建物であった。
「……会頭のおります執務室までご案内いたします。さぁ、こちらへどうぞ」
コンラットの言葉に従い、建物の中へ入ったセロが見たのは、多くの顧客と幾つもの窓口、そしてカウンターの奥で忙しなく動く機巧師の姿だった。
(うはぁ……まるで役所みたいな作りだな。窓口なんて軽く10は超えてるだろ……)
「この商会はグリムの中で最大の規模を誇りますからね。当然ながら、商会にはさまざまな依頼が寄せられます。新たな精霊導具の製作、既存の導具の修理依頼、そして精霊武具の製作や販売、またはその修理などです。これほどの人員と専門の窓口を用意してもまだ忙しいんですよ」
セロの驚いた顔を見たコンラットが、苦笑交じりに説明する。
「な、なるほど……」
カウンターの上で引き渡される精霊導具を興味深く見つめていたセロは、後ろ髪を引かれるような思いを抱きつつ階段を上る。
階段を上り終えたコンラットは、やがて一つの扉の前で立ち止まると、静かにノックをして部屋の中へセロを招き入れた。
会頭室、と扉の上にあるプレートに記載された部屋は広く、中央には低いテーブルと一組のソファ、奥には長い机と豪奢な椅子があった。
奥にある椅子には金髪オールバックのデラキオが腰を下ろしており、机の上に広げられた書類を前に決裁印を押している。
机の横には一抱えもある木箱が置かれ、中から剣の柄が顔をのぞかせていた。
「お前がセロという冒険者か?」
「あ、はぃ。そうですが?」
名前を呼ばれたセロは、木箱から目を移してデラキオの顔を見つめる。
「事前の報告には目を通したが、本当に子どもとはな。まぁいい……」
手元にあった最後の案件に決裁印を押したデラキオは、顔を上げてセロを見ると、書類の束を机の端に寄せ、ギジリと背もたれに身を預けて告げた。
「お前の持ってるアイテムポーチを私に寄越せ。あぁ、もちろん相応の対価は支払う。ただまぁ……子どもお前には分不相応な額だろうがな」
そのぞんざいな態度から放たれた言葉に、セロはピクリと眉を上げる。その反応を見たデラキオは、ニヤリと欲望に塗れた笑みを浮かべてさらに話を続けた。
「どうだ? お前にとっても悪くない話だろう? そうだな……500万リドルでどうだ?」
畳み掛けるようにデラキオはスッと開いた右手を掲げながら金額を提示する。
アイテム一つで500万リドル。それは冒険者から見れば、破格と言っていい値段だろう。500万などという大金は、巷の冒険者でさえお目にかかれない金額だ。ましてや子どもなら、なおさらだ。
(ほぅ……コイツ、金でアイテムポーチを釣り上げようって腹か……)
デラキオの言葉を受けたセロは、悩む素振りを見せながら苛立ちを混ぜた言葉を心の中に吐き出す。一方、デラキオはニタリと不気味な笑みを浮かべながら、「さぁ、どうだ?」と判断を迫る。デラキオからすれば、500万リドルなど、端金のレベルだという思いが透けて見えた。
これがデラキオの思う通り、単なる子どもならばその目の前に垂らされた金に飛びついたかも知れない。
だがーー
「ハッ、わざわざ出向いてみればそんなことか。答えはNOだクソボケ。全くもって話にならないな。用件はそれだけか?」
セロはデラキオの提案を鼻で笑って一蹴し、踵を返して部屋を後にしようと扉へ足を向けた。
「な、何だと!? オイ、ちょっと待て! 500万だぞ! たった一つのアイテムを引き渡すだけで大金が手に入るというのにだ。『話にならん』とはどういうことだ!」
立ち上がったデラキオは、怒りを滲ませた声を上げ、鋭い眼光で背を向けたセロを睨みつける。
「ハッ、この期に及んでまだ自分が優位とは、見上げた根性だな! どうもこうも言った通りだ。お前はコイツを手に入れて金持ちに売り付けようとするんだろうが、アンタんトコで売られるのはコイツの劣化コピーしか出来ないのが関の山だろうさ。現に机の横にあるアンタんトコの大事な商品……既存の精霊構文を切り貼りしてるだけだろ? 余計な記述が見受けられるぜ?」
「な、何っ!?」
驚くデラキオに対し、セロはさらに指摘する。
「見た感じ、どいつもこいつも刻まれた構文が似たり寄ったりだ。その商品の特性や持ち主のことなんてまるで考えていないのが丸分かりだ。精霊武具は冒険者の相棒って聞いたぞ? そんな命を預ける大事な相棒に、そんな雑なコードを刻まれたかねぇってこった」
そこまで告げたセロは、わずかにスッキリした表情で扉を開ける。
「オィ、子どもだからって舐めるな。このアイテムポーチを作ったのは俺だ。コイツを作った俺にもプライドってもんがある。この街の最大の商会? だからどうした。技術者を舐めるな」
吐き捨てるように言葉を発したセロは、デラキオの制止に耳を貸すこともなくそのまま建物を後にした。




