表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
97/292

挿話・17 誘惑と誘拐(前)

 その日、スピネルは第一王子エスメラルドと共に城下町へやって来ていた。いわゆるお忍びというやつだ。

 目的は、民の暮らしを実際に目にする事での社会勉強。


 王子は軒先に大きな腿肉をいくつもぶら下げた肉屋と何か話をしている。話し好きの店主らしく、ハムにするならどこ産の豚肉が良いだの、何やらあれこれと喋っている。

 その近くにはちゃんと護衛の騎士と魔術師が控えているが、今日は特に頭が固く真面目な騎士が付いて来たので、スピネルは少々窮屈だった。


 せっかく城下町まで来ているのだからもっと自由に見て回りたいし、商人以外の平民たちと話もしたい。

 特に、同年代の女の子とだ。


 スピネルは今年14歳になった。王子は2つ年下の12歳。

 その王子はここ数年、かなり親しくしている少女がいる。性格は相当変わっているが見た目は可愛い。

 まだ恋愛関係には程遠そうだが、なかなかお似合いに見える二人だ。


 第一印象はあまり良くなさそうな出会いだったのだが、今思えば王子は最初から妙に彼女を気にしている様子だった。

 それが少し不思議だったのだが、要するに好みのタイプだったんだろうなという結論になった。

 スピネルには理解できない好みだ。彼女はまだ子供だというのもあるが、細すぎてあまりに頼りない。

 自分はもっと大人っぽくて色気がある女がいい。



 自分もそろそろ恋人が欲しい年頃である。

 女の子に興味もあるし、年下の王子に先を越されるのはちょっと面白くない。

 できれば先に恋人を作りたいが、次兄のレグランドからは女には十分に気を付けろとよくよく言われていた。

 スピネルは兄弟の中でもこの次兄と特に仲が良いのだが、次兄は実によく女からモテた。昔からいつも女の子に囲まれていたし、愛想が良いのでご婦人方からの受けも良かった。


 本人もそれが楽しいらしくあちこちのご令嬢と遊び回っていたが、ある時それで非常に痛い目に遭った。

 学院で兄に恋をしたとあるご令嬢といつものように付き合ったのだが、実はそのご令嬢には親が決めた婚約者が既にいたのである。

 兄はその事を知らなかったし、そのご令嬢は幾人もいる「親しい女性」の一人でしかなかったので、当然すぐに身を引こうとした。

 だが、激怒した婚約者の方が兄に決闘を申し込んだので話がややこしくなった。


 挑まれた決闘を避けるのは騎士の沽券に関わる。なので仕方なくそれを受けたが、うっかり相手を叩きのめしてしまった。

 少々やりすぎたと思った兄は、ご令嬢と婚約者の男に「これからは二人で仲良くしてほしい」と言ったらしいのだが、それで収まる訳もない。

 結果として、兄が己のために戦ってくれたのだと信じていたご令嬢、負けてしまった婚約者、その両方から恨みを買うことになった。

 この二人があれこれ言って回ったために、学院での兄の評判も著しく下がったらしい。


 兄はこの一件が原因で、決まりかけていた侯爵家への婿養子の話が立ち消えになった。

 父や母からは厳しく叱責を受け、罰として長期休みの間ずっと実家の騎士団の下働きをさせられたりしていた。

 まあ、転んでもただでは起きない兄はその後で近衛騎士団の試験を受けてあっさり合格し、「身を固めるよりこっちの方が気楽でいい」などと言っていたのだが。



 その次兄の影響を大いに受けて育ったスピネルもまた、昔から女の子が好きだった。

 実際結構モテているが、次兄の失敗を見て少々慎重になることにした。

 自分は第一王子の従者という立場もあるし、迂闊な事はできない。


 従者になって以来こちらに寄ってくる貴族のご令嬢はさらに増えたが、あまり積極的に来られるのは下心が透けて見える気がしてどうも好きではない。

 かと言ってこちらから寄って行くと、軽い気持ちでも変に勘違いされたりするので面倒だ。

 勘違いしているのが本人だけならまだ良いが、その親がしゃしゃり出て来る事がままあるので困る。もっと気楽に付き合えないものかと思う。


 従者の自分でこれなのだから王子はさぞや大変な事になるだろうと思っていたら、案外あっさりと良さそうな相手が見つかっているのだから不公平だ。

 彼女は本人も親も特にがっついたりしていないし、気の置けないほのぼのとした付き合いをしている。

 別に羨ましくなどないが、不公平だ。


 だから近頃は貴族以外の女性に目を向けていて、城にいる若いメイドなどと親しくしている。

 向こうもこちらが遊びだと分かっているから気が楽だ。

 特によく部屋の掃除にやって来るアンヌあたりとは良い感じの仲だ。まだ深い関係にはなっていないが興味はある。向こうも満更ではなさそうだし。



 そんな事を考えながら通りを眺めていると、少し離れた所で一人の少女がウロウロとしているのが見えた。

 栗色の巻毛は艶があり、肌は白いし身なりは整っている。どこかの豪商の娘か、あるいはお忍びの貴族と言った雰囲気だ。

 歳はスピネルよりも2つ3つ年上くらいだろうか。胸元も腰周りもむっちりとして、肉付きが良い。


 その少女は何か困ったようにおろおろとした様子で辺りを見回していた。助けを求めているように見える。

 スピネルはちらりと後ろを振り返る。

 王子は肉屋の隣のパン屋に移動する所のようだ。目が合ったので「俺はいい」という意味で首を振っておく。

 護衛も王子に付いて行ったのでちょうどいい。スピネルは少女の方へと近付いた。


「どうしたんだ、お嬢さん?」


 そう声をかけると、少女がスピネルの方を振り向いた。

 少し垂れた目元には泣きぼくろがあって色っぽい。好みのタイプだ。


「あの、連れに怪我人がいるんだけど、急に傷が痛み出したみたいで…一体どうしたら良いか…」

「怪我人?どうして?」

「王都に来る途中で魔獣に襲われて、馬車の御者が怪我をしたの。ええと、ここには私とお父さんとで商談に来たんだけど、その途中で…。手当てはしたし、大丈夫そうだったからお父さんは商談に行っちゃったんだけど、さっきから急に…」


 という事は、やはり商人の娘か。

 毒を持つ魔獣にやられた傷は、その場では何ともなくても後になってから突然悪化する場合がある。


「力になれるかも知れない。怪我人を見せてくれ」


 騎士として簡単な救護術は知っているし、初級の治癒や毒消しの魔術も使える。

 手に負えそうになければ急いで医者を呼んでくればいい。

 そう申し出たスピネルに、少女の顔がぱっと明るくなった。


「あ、ありがとう…!こっちよ、付いて来て」


 少女の案内で横道へと入っていくと、少し進んだ先に馬車が停められているのが見えた。


「あそこよ。今はあの荷台の中で休んでいるの」

「分かった」


 荷台に近付き、幌を持ち上げて中を覗こうとする。

 その瞬間、ふらりと意識が揺れた。みるみる目の前が暗くなっていく。

 しまったと思うのと同時に、スピネルの身体は大きく前へと傾いた。




 気が付くと、揺れる馬車の中、冷たい板張りの荷台の上に寝転がされていた。

 窓はなく、外の様子は見えない。両手は後ろで縛られている。ロープだろうか、かなり堅い。

 ふらつく頭を抑えて身体を起こすと「大丈夫?」と遠慮がちに声をかけられた。

 心配げにこちらの顔を覗き込んでいるのは、先程の栗色の巻毛をした少女だ。


「ごめんなさい…私、脅されていたの。誰か貴族の子供を連れてこいって…」


 そう言って少女は俯いた。

 目元の泣きぼくろを涙が伝い、スカートの上に小さな染みを作る。


「ごめんなさい…ごめんなさい…」


 しくしくと泣く少女。

 馬車はただゴトゴトと揺れ、どこかへと進んでいるようだ。


 状況を全て理解し、スピネルは内心嘆息した。

 …かなりまずい事になってしまった。

 つまり自分は、誘拐されたのだ。



 とりあえず自分の身体の様子を確認するが、特に怪我はしていないし痛む場所もない。

 意識もはっきりとしているので、ごく短時間だけ眠らせる魔術をかけられたのだろう。恐らく、馬車の荷台かその足元に魔法陣が敷かれていたのだ。油断していた。

 腰の剣は取り上げられている。

 ロープで縛られているのは両手だけだし火魔術で燃やせないかと思ったが、どうもこの荷台には魔術封じの魔法陣が描かれているようだ。魔術が発動できない。


「これ、解けないか?」


 一応少女に尋ねてみる。少女はロープの結び目を押したり引いたりしていたが、やがて首を振った。


「無理…、びくともしない。ごめんなさい…」

「いや、いい。仕方ない」


 多分、簡単には解けないようになっているロープ型の魔導具だ。そこら中で売られている。

 後ろの幌に身体をぶつけてもみたが、魔術で閉じられているようで案の定弾かれてしまった。

 どうも初めから貴族狙いだったようだし、きちんと対策はしているという事か。



 少女の名前はクララというらしい。

 スピネルの隣に寄り添うように座り込むと、膝を抱えながらぽつぽつと自分の状況を話してくれた。


「私とお父さんは、貴族のお客さんのところに荷物を運んでる途中、変な男たちに突然襲われて…。貴族を引っ掛けるために、お前も手伝えって言われて。お父さんが人質になっているの…」


 商人の娘と名乗ったのは本当だったらしい。しかしいきなり襲われた上、誘拐の片棒を担がされているようだ。

 襲ったのは偶然か、狙ってのことか。

 とにかく、積荷を奪った上でこの少女を利用し、更に一儲けしようと企んだらしい。


 荷台の中は薄暗く、特に何もない。

 聞こえるのはただ道を走るゴトゴトという音だ。石畳ではなく土の道だというくらいしか分からない。

 時折男の話し声のようなものも聞こえるが、よく聞き取れない。


「犯人は何人いるんだ?」

「表の御者台には2人…。でも、私が捕まった時は3人いたと思う。これから仲間と合流するって言ってたわ」


 という事は、最低3人以上のグループか。

 そして、その中に魔術師が確実に1人はいる。


 男の自分を攫ったのだから、目的は身代金で間違いないだろう。

 貴族…それも騎士の家なら、息子が誘拐されたとしても醜聞を恐れて黙って身代金を払う可能性が高い。

 騎士としての面子があるからだ。


 その場合、子供の身柄がきちんと戻ってくれば衛兵に届ける事もしない。世間に恥を晒したくないという理由だ。

 そうして表沙汰にならないまま隠されてしまう誘拐事件が、王都ではしばしば起こっているという噂は聞いた事があったが…まさか自分の身に起こるとは。


 だが自分の場合表沙汰にせずに解決するのはまず無理だ。何しろ王子のお忍びに付いて来ている最中だったのだから。

 攫われてからそう時間は経っていないと思うが、今頃は王子も護衛も自分がいないことに気付いているはず。すぐに捜索が始められるだろう。

 居場所を見つけられ、犯人が捕まるのも時間の問題だ。


 よりによって王子の従者を攫ってしまうなど運のない誘拐犯だと思うが、自分にとってもこれは最低の状況だ。

 まず、王子や護衛に相当な迷惑をかけてしまう。せっかくのお忍びが台無しだし、護衛にとっては責任問題だ。

 それに後で教育係やら何やら周囲の者から死ぬほど叱られるだろう。実家の父も確実に激怒する。

 何より、物凄く格好悪い。


 王子の従者として、そこらの少年よりもずっと賢くしっかりしているつもりだった。

 剣や護身術にも自信があったし、世渡り上手な方だと自負してもいた。

 だが、実際にはこの通りだ。情けなさにため息しか出てこない。



 しかし落ち込むのは無事に帰ってからにすべきだろうと、スピネルは隣の少女を見て思った。

 自分一人なら隙を見て逃げ出せるかもしれないが、このクララという少女を見捨てる事はできないし、人質になっているという彼女の父親も気になる。

 誘拐犯の目的はあくまで金、貴族を敵に回したくはないだろうから命を奪われる事はないと思うが、相手は犯罪者なのだし何が起こるかは分からない。

 基本的に犯人たちの言うことを聞き、大人しく助けが来るのを待つべきだろう。

いいね・ブックマーク・感想ありがとうございます!

活動報告を更新しました。

おまけイラストも載せましたので、良かったら見てみてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ