挿話・16 期待の重み
水霊祭の翌日、エスメラルドは少々時間を持て余していた。
昨日大型魔獣と戦った疲れや傷を癒やしてほしいとの事で、他の者も今日はゆっくり過ごすつもりの者が大半のようだ。
リナーリアは共に戦った王宮魔術師と話がしたいらしく、そちらの元を訪ねていた。
カーネリアはヴァレリーと雑談に興じている。
母は公爵夫人とのんびりお茶を飲んでいて、ユークレースや公爵は姿が見えない。
フランクリンが「王子殿下はどうなさいますか?」と尋ねてきたが、エスメラルドも特に何かする気にはなれなかったので、とりあえず「一旦部屋に戻る」と答えた。
しかし、部屋にいても何かする事がある訳でもない。
鍛錬をしたり来客用に置かれている棚の本に手を伸ばしても良いが、朝食後早々に部屋に下がったスピネルの様子が気になり、彼の部屋を訪ねてみる事にした。
ドアをノックし、声をかける。
「スピネル。少しいいか」
「ああ。入ってくれ」
すぐに返事が返ってくる。
中に入ると、スピネルはベッドに腰掛けていた。横には本が置かれている。
自ら本を読むなんて珍しい。彼も時間を持て余しているようだ。
エスメラルドも、手近な椅子へと適当に腰掛けた。
「傷が痛むのか」
いつもならドアを開けて出迎えてくるのに、今日は座ったままだ。
立ち上がろうとしないのは動きたくないからだろうと思って尋ねると、スピネルは「いや別に」と答えた。
「だが、昨夜はずいぶん痩せ我慢をしてパーティーに出ていただろう」
じっと目を見ると、誤魔化しても無駄だと思ったのか少し不機嫌そうに白状する。
「…しょうがねえだろ。あいつらが心配するし。あと肉も食いたかったし」
「食べ切れていなかったじゃないか」
「あれはここの使用人が悪い。多すぎだろあんなの」
そのムスッとした顔に、つい吹き出してしまった。
「どうやら今日は本当に大丈夫のようだな。安心した」
「ああ。動くとたまに痛むけど大した事はない。言われた通り安静にしてるだけだ。…悪かったな、殿下にも心配かけた」
「いいや。お前はよくやってくれた。有難う」
改まってそう言うと、スピネルはわざとらしく肩をすくめる。
「いいんだよ。俺がリナーリアを助けたのは、半分はただの殿下の代わりだ」
「代わり?」
「そうだよ。殿下がやりたい事を代わりにやった。俺はそのためにいるんだからな」
「…なるほどな」
主の手足となって動くのも、従者の務めだというのだろう。
彼は本当によくやってくれている。何も言わなくても、こちらの意を汲んで動いてくれるのだから。
得難い臣だと改めて感じると共に、どんどん返すべきものが増えていくな、とエスメラルドは思う。
「だが、半分か」
「そりゃ、俺もあいつには借りがあったからな。…でもまあ、美味しいところを持っていったのは悪かったと思ってるよ」
「そうだな。膝枕は正直羨ましかった」
「…いや、悪かったって…」
スピネルは気まずそうに頬をかき、それからにやりと笑ってみせる。
「なんなら感想を聞かせてやろうか?」
「いらん」
思わず憮然としたエスメラルドに、スピネルは声を上げて笑った。
「別に膝枕くらい、殿下が頼めば今すぐでもやってくれるんじゃないか?」
「頼んでどうする。…それにもし頼んだら、『何故やってほしいんですか?』と真面目に訊いてきそうな気がする」
「それは…あいつなら言いそうだな…」
「そうだろう。…いつかはやってもらいたいが…」
頼んでやってもらうのは何か違う気がする。もっとこう、雰囲気的なものが欲しい。どういう雰囲気なら良いのかはあまり想像できないが。
「殿下ってそういうとこ割と夢見がちだよな」
「いいだろう別に!」
ついむきになってそう言うと、ますます笑われてしまった。
ようやく笑いを収めたスピネルが、温かい目でこちらを見る。
「俺も安心したよ。殿下も元気出たみたいだな」
どうやらこちらの様子も見透かされていたらしい。
「落ち込んでいる暇はないと分かったからな」
「ふうん?あいつに慰めてもらったんじゃないのか?」
「いいや。どちらかと言うと…」
なんと言えばいいのかと言葉を探す。
「さては尻を叩かれたか?」
「まあ、そんな所だな。…リナーリアは俺に甘いんじゃないかと思っていたが、全然違った。彼女の期待に応えるには、並大抵の努力ではとても届かない」
「なんだ、やっと分かったのか。あいつは面倒臭いんだよ」
面白がっている様子のスピネルを少しだけ睨む。
「よく言う…」
口に出しはしないが、彼もまたずいぶんと自分に期待をかけていると思う。
リナーリアと同じく、信じてくれているのだ。
その期待は重いが、同時に嬉しくもあった。
会話が途切れた所で、エスメラルドは椅子から立ち上がった。
あまり長居をするのも悪いし、元気そうな顔を見て安心したので退出する事にしよう。
「ゆっくり休んで、早く怪我を治せ。お前がいないと剣の相手がいなくてつまらない」
「分かってるよ。俺も、まだまだ修行が足りないって分かったしな」
今回の負傷は、彼にとっても不本意だったらしい。
本当なら彼女を助けた上でスピネル自身も無事でいたかったのだろう。名誉の負傷などとは思っていないようだ。
「王都に戻ったら忙しくなるぞ」
「マジか」
いかにも不満そうにしながら、スピネルはどこか嬉しそうだ。
これからますます手強くなりそうだと思いながらも、それが楽しみだった。




