第72話 祝祭パーティー(前)
夜、水霊祭を祝うパーティーがブロシャン公爵屋敷で行われた。
足首以外に怪我はないし、午後いっぱいゆっくり休んで多少疲れも取れたので、私も出席する事にした。
と言ってもあまり動き回れないので、ほとんど座っている事になるだろうが。
ブロシャン家の使用人に身支度を手伝ってもらい、持ってきておいたドレスを身に着けて庭に出る。もうだいぶ暖かい季節なので、夜だがガーデンパーティーなのだ。
ブロシャン公爵領はやや寒い土地だが、風避けさえしっかりしておけば問題はない。
隅に用意されていた椅子に座って辺りを見る。
ブロシャン家の親戚や縁者が集まっているので、そこそこの人数だ。また、今回巨亀との戦いに参加した騎士たちも招待されているらしい。
夕焼けで赤く染まり始めた空には、ぽわぽわと魔術の明かりが浮かんで美しい。
魔術師貴族らしい演出だ。
「まあ、素敵…!とっても綺麗ね!」
空に浮かんだ明かりを見回しながらこちらに近付いてきたのはカーネリア様だ。
今日は明るいオレンジに緑の葉の刺繍がアクセントになったドレスを着ている。胸元が開いていて少し大胆だ。
ちなみに私は、入学祝いパーティーの時も着た青いドレスにショールを合わせている。
私も空を眺めていると、屋敷の方からユークレースが歩いてきた。
「これはブロシャン公爵家自慢の明かりの魔術だ。周囲の暗さに反応して明るさを変える」
ユークレースはそう言って偉そうに胸を逸らしてから、カーネリア様と私の姿を上から下までじろじろと見る。
「ふん。なかなか美しいじゃないか。褒めてやる」
「まあ」
「全然褒め言葉になっていないわ。そんなのじゃ女性からもてないわよ」
「う、うるさい!」
「カーネリア様の言う通りですよ。そんな態度では王都の女性には通用しませんね」
「…僕はそんなの興味ない」
私が注意すると、ユークレースはぷいっと横を向く。
とりあえず命を救う事はできたものの、この態度は少々心配だ。
せっかく公爵家の息子という立場と魔術の才能を併せ持って生まれたのだから、できればそれを活かしていって欲しい。
彼自身のためにも、この国のためにもだ。
「まあ無理に女性と話せとは言いませんが、王都は悪いところではありませんよ。貴方の才があれば、早々に王宮魔術師団に弟子入りする事だってできるでしょうし」
「…本当か?」
やはり、国内最高峰の魔術師が集まる王宮魔術師団には興味があるらしい。
食いついたユークレースに、私は微笑む。
「もちろんです。…魔獣との戦い、本当にお見事でしたよ。特に風の刃の使い所は的確でしたし、素晴らしい威力でした。やはり貴方は風魔術を中心にした、攻撃寄りの魔術の組み立てが最も向いているかと思います」
「……」
ユークレースはちょっとだけ頬を上気させて目を逸らした。どうやら褒められて嬉しいらしい。
「そう言えばあの時、亀が最後に振るった前脚と、その後の闇の刃。よく避けられましたね」
あの戦いで前線にいた魔術師はビリュイと私とユークレースの3人。
ビリュイは残り少ない魔力で何とか防護魔術を使い、私はスピネルのおかげで助かったが、ユークレースはよく軽傷で済んだと思う。
「僕はお前ほどひ弱じゃない」
そう言って鼻を鳴らしたユークレースをカーネリア様が睨み付ける。
「それを言うなら『か弱い』よ!だいたい、前脚の攻撃は私が支えて跳んだから避けられたんじゃないの」
「お前の分まで闇の刃を防いだのは僕だろ!」
「それはお互い様って言うの!」
「ま、まあまあ、二人共…」
二人は何やら言い争いを始めてしまい、私は少し慌てる。戦いの時は良いコンビに思えたのだが…。
「お二人が協力し合ったから危機を切り抜けられたんですよ。ね、カーネリア様、ユークレース様」
「…そうね」
カーネリア様は渋々うなずき、ユークレースは不満げに唇を尖らせる。
「…ユークレース様ってなんだ」
「はい?」
「お前、あの時は僕を呼び捨てにしてただろ」
そう言えばそうだった。慌てていたので、つい呼び捨てにした気がする。
「すみません、失礼致しました。あの時は急いでいたので…」
「…そうじゃなくて!呼び捨てでいいって言ってるんだ!」
怒鳴るように言われ、私はぱちぱちと目を瞬かせた。
「ええと…ユークレース?」
「ユークでいい」
「では、ユーク」
「うん」
ユークレースは満足げだ。
…ええと、つまりこれは、懐かれたという事だろうか?
ちょっと嬉しいかも知れない。
何しろ私の周囲には年下がほとんどいないので、年上ぶれる機会が全然ないのだ。
私は前世でも今世でも末っ子だし、セナルモント先生は他に弟子を取らなかったので弟弟子はいなかった。せいぜい、上級生になった時に後輩の生徒会役員がいたくらいか。
ユークレースは年齢的にもちょうど弟と言った感じだし、同じ魔術師でもあるし。なかなか悪くない気がする。
思わずニコニコしていると、ユークレースが「そう言えば」と私を見た。
「お前、あの時三重…」
「わわわわっ」
私は慌てて両手を振る。
見る人が見ればあの時私が三重魔術を使ったのはバレバレなのだが、あまり表沙汰にしたくない。
今の私は前世での知識や技術があるから使えているが、本来ならユークレースのような一握りの天才を除いて、16歳で三重魔術をまともに使える者などほぼいないのだ。
いずれはきちんと実力を示して王宮魔術師団に入れてもらおうと思っているが、今はまだ目立たずにいたい。
「ゆ、ユーク!」
左足を痛めていてすぐに椅子から立ち上がれないので、急いでユークレースを手招きする。
不審な顔で近付いてきたユークレースの耳元に口を寄せると、小さく囁いた。
「魔術師は、奥の手を隠しておくものなんですよ」
ついでにウインクの一つくらいしてやりたかったのだが、上手くできる気がしなかったので代わりにちょんと唇に人差し指を当てておいた。
よし。上手く年上ぶりつつ誤魔化せたぞ。
…と思ったのだが、ユークレースはなぜか顔を真っ赤にした。あれっ?怒らせたかな?
「…何やってんだお前…」
呆れたような声が上から降ってきて、見上げるとスピネルがいた。
いつの間にか近くに来ていたらしい。殿下も一緒だ。
「こんばんは、殿下、スピネル。お二人共体調は良いんですか?」
「ああ」
「何ともない。めちゃくちゃ腹が減ってるくらいだな」
なるほど、それなら問題なさそうだ。食欲があるのは身体がちゃんと回復に向かっている証拠だからな。
「リナーリア、君は大丈夫か?足は痛まないか」
殿下が心配げに私の足元を見る。左足は包帯まみれなのだが、ドレスの裾で隠れていて良かった。
「大丈夫です、しっかり固定されていますのであまり痛くありません。自分で鎮痛の魔術を使えますし、念の為鎮痛薬も処方していただきました」
かなり動きにくいのが困りものだが、仕方ない。あと10日ほどの辛抱だ。
スピネルが背後をちらりと振り返る。
「あっちに沢山料理が用意されてるから、後で持ってきてやるよ。いっぱい食って治せ」
「そうですね。ありがとうございます」
「…お、おい」
話を聞いていたユークレースが、妙に焦った顔で私とスピネルを見る。
「こいつはお前の何なんだ。恋人なのか」
「全く違います」
「全く違う」
私とスピネルの声が見事に重なった。
カーネリア様が何だか残念そうな顔になる。どうも妙な期待をされている気がするな…。
実際、魔獣から救われたのがきっかけで騎士と恋に落ちるという話は昔からよくあるのだが、私たちに限ってそれはないので諦めて欲しい。
「ただの友人ですよ」
「そうなのか」
ユークレースは私の答えを聞き、スピネルの顔を見上げた。
それから物凄くバカにした表情で「ふん」と鼻で笑う。
「……」
スピネルの表情は殆ど変わらないが、一瞬で苛ついたのが分かった。
こいつはこいつで、結構大人げないのである。
どういうつもりか知らないが、スピネルに喧嘩を売るとはユークレースもなかなかに命知らずだ。迂闊にこいつを怒らせると説教地獄を食らうというのに…。
スピネルは口が上手いのもあって、一度説教に入ると全く勝てないのである。
だがこのまま放っておくのはちょっとまずい気がする。
どうしたら良いのかとカーネリア様の方を見ると、「うーん…」と言いながら顎に手を当てて悩んでいた。
「あの、カーネリア様…?」
「分かったわ。大丈夫よ、リナーリア様」
「はい?」
「ユーク、あっちに行きましょ。私、ブロシャン名物のじゃがいも料理が食べたいの。お兄様、殿下、失礼しますわ」
「は!?何で僕が!?」
ユークレースが抗議の声を上げるが、カーネリア様は問答無用でその手を引いて歩き出す。
「いいじゃないの、どれが美味しいかユークに教えてほしいわ」
「何でお前までユークって呼んでるんだ!」
「何よ、嫌なの?」
また言い争いをしているが、どうもユークレースよりカーネリア様の方が腕力が強いらしい。
呆気に取られながら、カーネリア様とずるずる引きずられていくユークレースを見送った。
「…おい。何なんだよあいつは」
「何なんでしょうね…?」
首を捻る私に、スピネルがジト目になる。私に訊かれても困るんだが。
「お前さっき、あいつに何か言ってたよな?」
「別に、年長者として少し注意をしただけです。でも、ユークはプライドが高いから怒ってしまったかも知れないですね」
「いや怒ったっつーか…」
そこに、ブロシャン公爵家の使用人が近付いてきた。
「王子殿下、ご準備をお願いします」
「…ああ、分かった」
そろそろパーティーが始まるらしい。
最初に公爵と殿下から挨拶があるはずなので、呼びに来たのだろう。
「…殿下、元気ありませんね」
前の方へ歩いていく殿下の後ろ姿を見ながら、ぽつりと呟く。
口数が少ないのはいつもの事だが、今夜はどこか沈んでいるように思える。
「かもな」
否定しないという事は、スピネルもそう思ってるんだろうな。
「気になるんなら、話を聞いてやればいい」
「……」
思わずスピネルの横顔を見上げる。
こちらを見ようとはしないが、これはつまり、私に任せると言いたいんだろう。
どうやら信頼してくれているらしいと分かり、少しだけ嬉しくなる。
「そうですね。そうします」
「おう」
…皆が無事で本当に良かった。
こうしてパーティーができるのも、誰も犠牲者が出なかったからだ。
満足感と少しの気がかりとを胸に、私はもう一度殿下の後ろ姿を見つめた。




