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第68話 巨亀

 バキバキと激しい音と共に、地面がひび割れていく。


「皆様下がって下さい!湖の側に…!!」


 王宮魔術師のビリュイが王妃様を背後に庇いながら叫ぶ。

 スピネルが剣を抜き放ちながら私と殿下の前に出て、殿下もまた腰の剣を抜いた。


 ぶわっと辺りに瘴気が広がった。

 地面の中から、巨大な魔獣がのそりとその姿を現す。


 まず出てきたのは太くて短い脚。

 それから、巨大で分厚い甲羅。

 その巨体の半分ほどが地面から現れたところで、甲羅の隙間から首が伸びてくる。


「…三つ首…!?」



 私は愕然としながらその魔獣を見上げた。

 左に獅子の首。中央に亀の首。そして右に、鷲の首。

 ()()()()()()


 前世では亀と獅子の二つ首だった。

 多頭の魔獣は基本的に首の数が多ければ多いほど手強い。しかも、身体も前世より大きいような気がする。

 広がった瘴気の中から、赤黒い蜥蜴の魔獣が次々に現れる。巨亀の眷属だ。数が多い。


 …くそ、計算が狂った。

 タルノウィッツの事件でテノーレンが抜けてしまっているから、この場には王宮魔術師はビリュイ一人しかいない。

 その分は私と、前世ではいなかったスピネルの力でカバーできるかと思っていたのだが。


「ユークレース様、こちらへ!」

「あ、ああ」


 ユークレースは気圧された様子で大人しく私の傍に来てくれた。この調子ならちゃんと指示に従ってくれるか。

 厳しい表情でビリュイが叫ぶ。


「…我々では皆様を守りきれないかもしれません!できる限りご自分の身を守る心構えをお願いします。危ないと思ったら、一旦水中に飛び込んで退避して下さい!」


 その言葉に、公爵や王妃様がうなずいた。公爵夫人やヴァレリー様は息を呑んでいる。




 護衛の騎士たちが、地面から這い出しつつある巨亀や蜥蜴に対し先制攻撃を仕掛けた。


「…くそっ!硬い!!」


 やはり亀の魔獣だけあって、通常の魔獣よりも遥かに刃が通りにくいようだ。

 巨亀だけではなく眷属である蜥蜴もかなり硬いようで、大きさは小型魔獣程度なのに、手練の騎士でも一太刀では倒せていない。


「武器への魔力付与(エンチャント)の魔術ができる方はご協力を…!」


 再びビリュイが叫び、すぐにブロシャン公爵やフランクリンが動いた。


「殿下、スピネル!」

「ああ!」


 私の呼びかけに、二人がすぐ私の前に来る。

 魔術師が行う武器への魔力付与は、しばらくの間魔獣への攻撃力を高める魔術だ。

 騎士はこの術がかけられた武器にさらに自分の魔力を通す事で、通常よりも硬い魔獣にもダメージを与えることができる。


『清浄なる刃、魔を打ち払う力をここに』


 差し出された剣にそっと触れ、二重魔術で二人へ同時に魔力付与を行う。

 更に手を伸ばし、二人の肩に触れた。


『かの者に戦神の加護を与えよ』『戦乙女の盾よ、かの身に宿れ』


 同じく二重魔術で身体強化と防護魔術も付与する。


「…重ね掛けは危険ですので、自分で行う身体強化はできる限り使わないで下さい。盾の魔術は魔力を含んだ攻撃を一回だけ防ぎますが、あまりに威力が高いと防ぎきれません。決して過信しないで下さい。必要ならばもう一度かけられますので戻って下さい」

「ありがとう」

「分かった」


 殿下とスピネルが真剣な表情でうなずく。



「私にも魔力付与をちょうだい!」


 カーネリア様はユークレースに向かって抜身の剣を差し出していた。

 先程荷物の方に走っていたが、やはり剣を取りに行っていたようだ。念の為、祭礼にも剣を持っていった方がいいと事前に勧めておいたのは私である。

 彼女を危険に晒したくはないが、身を守る手段はあった方がいいと思ったのだ。


「し、しかし」

「早く!!できないの!?」

「できる!!」


 ユークレースは戸惑っていたが、カーネリア様に噛み付くように言われて急いで魔術をかけた。

 私と同じく、身体強化と盾の魔術も使ったようだ。


「ユークレース様はこのまま私の近くにいてください。二人で攻撃と防御を分担すれば、皆を守りつつ効率的に魔獣を倒せます。私の指示に従っていただけますか?」

「…分かった」


 ユークレースは素直にうなずいた。よし。これならば戦力と数えてもいいだろう。


「カーネリア、お前はこの二人を守れ。できるな?」

「分かったわ、お兄様!!」


 きっとスピネルは本当はカーネリア様を戦わせたくないのだろうが、そう言って聞くような人ではない。前に出るよりはマシだと判断したのだろう。

 兄からの指示に、カーネリア様が意気込んで答える。



 殿下とスピネルが近くまで来ていた蜥蜴魔獣に斬りかかっていく。

 付与魔術のおかげで攻撃力は十分のようで、次々と蜥蜴が断末魔の悲鳴を上げていく。


「まず眷属の蜥蜴を減らしましょう。防御は私に任せてください。ユークレース様は攻撃を」

「ああ」

「ただし、巨亀の動きには常に注意を。ブレスや魔術などの遠隔攻撃を仕掛けてくるかもしれません。特に獅子首は、あの形状からして咆哮を使ってくる可能性があります。…耐音結界は使えますか?」

「使える」


 咆哮のような音を使った攻撃に対抗する耐音結界は風魔術の系統だ。

 風魔術が得意なユークレースはやはり使えるらしい。


「では、いつでも使えるように常に準備していて下さい」

「分かった」


 ユークレースも、結界の準備をしながら三重魔術を使うような事はするまい。これでとりあえず安心だ。


「カーネリア様は、なるべく私たちから離れずに自由に動いて下さい」

「ええ!」



 大量の水球を浮かべ、周囲に大きく広げる。

 すぐ近くに湖があるおかげで空中から水分を集める必要がない。いつもより遥かに補充は容易だ。

 一つ深呼吸をし、集中力を研ぎ澄ます。


 殿下の左右から一体ずつ蜥蜴が近付いてきている。そのうち左側の一体に水球を放った。

 カーネリア様が斬り付けている蜥蜴にも水球をぶつける。

 少し離れた所で数体の蜥蜴に群がられそうになっている騎士がいる。水球を数個飛ばして蜥蜴を怯ませると、風の刃が飛んできて一体を切り裂いた。ユークレースが手伝ってくれたようだ。


 水球には魔獣を仕留めるほどの攻撃力はない。だが、怯ませたり注意を引く事はできる。

 ここにいるのは手練ばかりだ。こうしてほんの少し隙を作るだけで、十分に打ち倒せる。


 できる限り視野を広げる。冷静に戦場を見渡し、俯瞰し、状況を分析する。

 必要な場所に、的確に魔術を。支援魔術師の腕の見せ所だ。


 …大丈夫。殿下も、ユークレースも。スピネルやカーネリア様、王妃様、公爵…皆を絶対に守ってみせる。

 絶対に、誰も死なせはしない。

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