第67話 水霊祭
翌朝、殿下や私たちの一行は護衛を引き連れ水霊祭の祭礼へと出発した。体調に不安のある魔鎌公を除いたブロシャン公爵家の面々も一緒だ。
目的地は湖の畔にある水霊神の祠だ。公爵屋敷から馬車で1時間と少しの場所にある。
東側には森があるが、普段魔獣が出てくる事はほとんどない。
目の前には深く澄んだ青い湖。背後にそびえ立つ雪混じりの高い山々が湖面に映り込む、とても美しい場所だ。
向かうまでの馬車には、なぜか殿下及びユークレースと同乗する事になった。
物凄く気まずい組み合わせのような気がするのだが、ブロシャン家の人々はこれでいいのだろうか…。
馬車の振り分けはブロシャン家の手配で行われたが、まさか何も考えていない訳ではあるまい。ユークレースを甘やかしているというのは間違いで、実は結構厳しいのだろうか?
あと、ヴァレリー様と殿下を一緒にしなくていいのだろうか?さっぱり分からない。
そしてユークレースだ。
私は正直、彼は今日も部屋に籠もったままかも知れないと思っていた。
それならそれで安全だからいいか…と考えていたのだが、ムスっと口を曲げたままちゃんと付いて来ている。
魔鎌公あたりに怒られたのだろうか。
何とも声のかけようがないので素知らぬ顔で外の景色を眺めていると、ユークレースがぼそっと「…昨日の」と呟いた。
「はい?」
「昨日の三重魔術の阻害はどうやったんだ」
なるほど、解説をご所望らしい。
「見たままですよ。最初の鎌鼬の魔術は水球の魔術で抑えました。それから轟炎の魔術を書き換えて停止させた後、竜巻の魔術を書き換えて方向を変えました」
「おかしいだろ。なんで僕の鎌鼬を水球だけで抑えられるんだ。鎌鼬の方がずっと破壊力が高い。水球ごときが保つはずがない」
「破壊を上回る速度で水球を召喚すればいいだけです。壊された水球の水分が周囲に散っているので簡単です」
「か、簡単…?鎌鼬より速く水球を呼ぶのが…?」
ユークレースが驚愕の色を顔に浮かべる。
「じゃあ書き換えの魔術は?あんな速度で書き換えられるはずが」
「それまでにユークレース様の魔術構成はいくつも見せていただいておりましたので。少々癖が強いので読み取りやすかったです」
ユークレースの構成はかなり効率的なものだった。他者が4つの過程を経ているところを、3つの過程で構成しているような部分がある。
こういう事をすると術が不安定になりやすいので、魔術への高い理解とセンスがなければできないのだが、効率的であるだけに読み取りやすい。
こういう構成の魔術は時間をかけず瞬時に発動するべきなのだ。
私の言葉に、ユークレースはぽかんと口を開けた。
「…本当に、速度だけで僕を上回ったのか?」
「はい。言ったでしょう、貴方では私に先手を取れないと」
まあ、ユークレースの魔術は前世でも見たから予習できてはいたのだが。
書き換えたり水球を召喚する速度そのものは私の努力の成果だ。
「何故そんな速く出せる!」
「それはただの反復練習の賜物ですよ。私は速度と精度を上げる訓練を必ず毎日、2時間以上行っていますから」
「毎日!?そんな事ばかりしていてどうしてあんな上級魔術を覚えられるんだ!」
「上級魔術は大体、中級や初級魔術の応用ですよ。基本さえしっかり押さえておけば応用を覚えるのにそんなに時間はかかりません。逆に言えば、基本を押さえられていないのに覚えようとするから時間がかかり、練度も下がるのです」
痛い所を突かれたのか、ユークレースは黙り込んだ。
「…私はユークレース様ほどに才能がある訳ではありません。ひたすら努力するしか、己の魔術を向上させる方法はないのです。だから毎日こつこつと練習しています」
なぜか魔力量や火魔術への適性は知らない間に増大していたが、それは魔術師としての腕前に直接関与はしない。
大事なのは、魔術を扱う技術。その巧さなのだ。
私程度の才能で強くなりたいと思うなら、そこを努力するしかない。
無言でうつむくユークレースを見守っていると、殿下がじっとこちらを見ている事に気が付いた。
やけに真剣な目だったので戸惑いつつ首を傾げると、何でもないというように首を振った。…なんだろう?
すると、ユークレースが再び呟く。
「…僕の方が才能があるなんて、そんなの嘘だ。お前の方がずっと強かったじゃないか…」
「ですからそれは、私が努力したからなんです!」
思わず憤慨しかけたが、すんでの所でそんな事が言いたいのではなかったと思い出した。
私はユークレースを論破したい訳ではなく、説得したいのだ。ごほんと一つ咳払いをする。
「ユークレース様の魔力量、魔術への理解と習得の早さ、勘の良さ…つまり魔術のセンス。それらは決して努力では得ることのできない天性の才能です。誇るべきものです。ですがそれだけでは魔術は扱えません」
それらは前世の私がずっと欲しがっていたものだ。
だけど、きっと私が目指すべきものはそれではないのだと思い、今世ではあえて追おうとはしなかった。
「たゆまぬ努力と修練によって得られる技術。それが貴方に備われば、私など足元にも及ばない大魔術師になれるでしょう。…きっと、貴方のお祖父様の魔鎌公を超えることだってできると、私は思います」
最後の言葉に、ユークレースは顔を上げた。
「…僕が、お祖父様を?」
「はい」
きっぱりと強くうなずく。
彼の周囲の者だって、きっとそう思っているはずだ。
道を違えず、きちんと努力を続ければ、彼は必ずそこへ辿り着けると。
だから皆が彼に期待しているのだ。
「……」
ユークレースは信じられないというようにぽかんと口を明け、何かを言おうとし、また口をつぐんだ。
私が本気で言っているのが分かったからだろう。
黙り込んだまままた下を向いたが、その顔はさっきまでのような暗いものではない。
ほんの少しだけ明るく、ちょっとだけ目が潤んでいるようにも見える。
私と殿下は顔を見合わせると、こっそりと笑い合った。
湖の祠へと到着すると、早速祭礼の準備が始められた。
殿下は上着を脱ぎ、金糸で刺繍の入った白いローブを羽織って黄金の額冠を身に着ける。いつもとは違う神秘的な雰囲気だ。
しかし裾も袖も大きく広がったローブは着慣れないのか、どことなく落ち着かない様子でいる。動きにくいのが気になるらしい。
なので「大丈夫です、よくお似合いですよ」と言うと、少し照れたような顔になった。
…何だかちょっと懐かしいな。
殿下は傍目から見るといつも堂々としているし度胸もあるけれど、人から注目される事を意識している時などは、さすがに緊張したりもする。
そういう時に励ますのはいつも、従者である私だった。
この手の行事では従者にも何らかの役目がある場合も多いので、逆に私が励まされる事も多かったんだが…。
そう言えばスピネルは?と振り返ると、マントを着けて儀礼用の剣を腰に差している所だった。
さすが様になっているが、私の時とは服装が違うな。騎士と魔術師の違いか。
祠に祀られた水霊神の像に向かい、殿下が長い祝詞を読み上げるのをじっと見守る。本来は国王陛下がやるものだが、今回は来ていないので殿下が代理なのだ。
祝詞が終わった所でスピネルが前に進み出て膝を折り、花や果物などの供物と金の杯が載った銀の盆を捧げ持つ。
ちなみに、従者の役割はここだけだ。
殿下が供物を神前に供え、杯に入った湖水を水霊神の像にかけて、膝をついて祈りを捧げる。
私たち参列者も同じく膝をついてしばらく祈り、それで祭礼は終了だ。簡単なものである。
「お疲れさまでした、殿下」
「とてもご立派でした!」
「ああ、ありがとう」
私とヴァレリー様とで戻ってきた殿下を迎える。
殿下は祭礼を無事に終えてほっとしたようだ。厚手のローブが暑いらしく、すぐに脱ごうとしている。
「お兄様も格好良かったわ!」
「別に何にもしてないけどな」
褒めるカーネリア様にスピネルは肩をすくめた。まあ、お盆持って行っただけだしな。
「でも本当に格好良いですよ。背が高いからマントが似合うんですね」
そう言うと、スピネルは格好つけてバサっ!とマントを翻した。
いかにも得意げなドヤ顔がなければ本当に格好良いんだけどな…。
しかしそれを見た殿下が「俺もマントが良かった」と真顔で言うので、皆で吹き出してしまった。
「分かりますよ殿下、マントって憧れますよね」
「あっ、リナーリア様もそう思う?私も一度着けてみたいの。女騎士の正装に合わせるやつ」
「ああ、あれも格好いいですよねえ」
女騎士のマントはもっと短いものだが、歩く時にひらりと翻るのはやはり格好いいと思う。
「カーネリア様は女騎士になりたいんですものね。絶対似合うと思います!」
「本当?ありがとう!」
ニコニコと言うヴァレリー様に、カーネリア様も嬉しそうだ。
ヴァレリー様コミュニケーション能力高いな…。正直羨ましい。
祭礼の後は湖を眺めながらしばしの休憩だ。
予定としては、1時間ほど後に公爵屋敷に戻り軽い昼食を取ることになっている。
「リナーリア。どうかしたのか?」
「え?」
急に殿下に尋ねられ、私は首を傾げた。
「先程から周りを気にしているように見える」
「ああ…いえ…」
言葉を濁すと、殿下はかすかに眉を寄せて周囲を見回した。
「実は俺もさっきから気になっている。上手く言えないが、何か妙な感じがする」
横で聞いていたスピネルが表情を引き締め、左右に視線を走らせた。
…殿下のこの勘の良さは何なのだろう。さすがと言う他ない。
記憶の通りなら、そろそろのはずだ。
その時、ごく僅かな揺れを身体に感じた。
同じものを感じたのだろう、周囲の幾人かがはっとした表情で振り向ききょろきょろと辺りを見る。
やがて地鳴りと共に、地面がはっきりと揺れ始めた。
…来た。
護衛騎士の誰かが叫ぶ。
「…魔獣だ…!!」




