第6話 友情※
王城で会ってから2週間後。殿下が再びジャローシス侯爵邸を訪問した。
スピネルも含めて3人で庭を歩き、カエルや虫、周りの植物などを眺める。
「こちらはマツカサアヤメといいます。名前の通り、松笠みたいな形の花でしょう?冬には花を落としますが、領内だと特に暖かい場所に限って一年中咲く場合もあります」
「ほう」
「変わった形だが、一年中咲くというのはいいな。女性に喜ばれそうだ」
スピネルは相変わらず軽薄な感想だ。まだ12だろうにこいつ…。
「こっちはコガネランソウですね。切り傷や裂傷に効く薬草として騎士には重宝されています。私も修業の際にはお世話になりました」
「修業?剣の修業をしているのか?」
殿下がきょとんとしてこちらを見た。
…しまった!うっかり前世の話をしてしまった。
騎士の家系ならば剣術をやる貴族令嬢はたまにいるが、我が家ははっきりと魔術師系だ。
実際リナーリアは、兄たちに子供用のおもちゃみたいな剣で少々遊んでもらった程度しか剣を持ったことはない。
「いえその…遊びのようなものです」
笑って誤魔化す。お父様やお母様が聞いてなくて良かった。突っ込まれたら困る。
「魔術が苦手なのか?」
そうスピネルが尋ねてきたのは、魔術が苦手な場合は護身のために剣術を習わせることもあるからだろう。
だが私は「いいえ」と首を振る。
前世の私は魔術が得意だった。
殿下の護衛として一応剣術も覚えたが、こちらは良くてもせいぜい人並み程度の腕前。だが魔術は学院でも常にトップクラスの成績を修めていたし、それなりに自信だってあった。
…まあ、それでも殿下のことを守れなかったのだが…。
リナライトの知識と経験があるので、今の10歳の私でも既に一人前の魔術師として認められるくらいの魔術は使えると思う。いつ何があってもいいように、隠れてこっそり修練を積んでもいる。
年齢を考慮し、家庭教師による魔術の授業の際にはだいぶ手加減しているが、それでも先生からは急激な成長を驚かれてしまった。
「ジャローシス侯爵家は水の魔術が得意なんだったな」
「はい。幸い、私もその才能を受け継いだようです。父母譲りの高魔力もあります」
高魔力者同士なら高魔力の子供が生まれやすい。貴族が貴族同士でしか結婚したがらないのはこれが最も大きな理由だ。
魔獣の多いこの地では、魔力の有無は時に生死に直結する。
ついでに言えば、なるべく恋愛結婚が望ましいとされているのも同じ理由だ。精神的、肉体的に相性が良い…つまり惹かれ合う者同士の方が高魔力者が生まれやすいのである。
「兄二人も、優れた魔術の才能があると家庭教師から太鼓判をいただいています」
「なるほど。ならばジャローシス侯爵家は安泰だな」
その時、庭先にお母様の姿が見えた。きっとお茶に誘いに来たのだろう。
「お二人共、そろそろ休憩しませんか。お茶にいたしましょう」
思った通り、テラスにはお茶の用意がされていた。お茶うけは数種類のクッキーだ。
殿下の好物はドライフルーツの入ったケーキだが、それが知られているせいでどこに行ってもフルーツケーキを出されることが多い。
我が家も前回の訪問ではフルーツケーキを出したそうだが、「今回は違うお菓子の方が良い。バターたっぷりのクッキーとか」と私が言ったので、今日は料理人が朝から焼いて用意してくれた。
やはり殿下はバタークッキーをよく食べている。バターをふんだんに使ったシンプルなクッキーも、実は結構好きなのである。
ちなみにスピネルはそれほど甘いものが好きではないのか、甘さ控えめなチーズクッキーを少しだけつまんでいたが、まあどうでもいい。
お母様も交えて、お茶を飲みながら4人でしばし雑談をした。今回は私も、前よりだいぶスムーズに話に参加できた。
殿下はカエル以外の事に関しては言葉少なになりがちなので、どちらかと言うとスピネルやお母様の方と話す形になっていたが、それでもだいぶ打ち解けられたんじゃないかと思う。
「…殿下。もうそろそろ…」
「ああ、もうこんな時間か」
スピネルが時計の方を見て、殿下がティーカップを置く。
もう城に帰らなければ行けないのだ。もっと一緒にいたかったな…と寂しく思うが仕方ない。
今日は大分殿下とお近付きになれた。殿下を救うための第一歩を確実に踏み出せたのだから、それで満足すべきだ。
そう思っていると、殿下がスピネルに向かって言った。
「少しだけ待ってくれないか。リナーリアと二人で話がしたい」
スピネルがちょっと目を丸くする。だが、すぐに小さく笑ってうなずいた。
「分かりました。その間に、俺は帰る準備をしてきます」
「うむ。…リナーリア、良いか」
「は、はい!」
殿下は私を連れて少し歩くと、草木の生い茂る池の前で立ち止まり、口を開いた。
「今日はありがとう。どうやら侯爵より君の方が生き物には詳しいようだな。とても楽しかった」
「それは良かったです。私も、とても楽しかったです」
そう笑うと、殿下はこちらを振り返った。
懐かしい翠の瞳が、傾きかけた太陽に照らされながらじっと私を見つめる。
「今日、君は僕とスピネル以外の前ではカエルの話をしなかったな」
「…はい。殿下は、ご趣味のことをあまり周囲に知られたくなさそうだったので」
殿下はごく小さく苦笑すると、ちらりと池の方を見る。
「あまり理解されないんだ。これは」
私は無言でうなずいた。
カエルに興味を持つ人というのは滅多にいない。女性など、気持ち悪がって近付かない人も多い。
前世でも私が出会った時にはすでに、殿下はこの趣味を隠そうとしていたように思う。
「…良かったら、これからも時々話し相手になってくれないか?」
…驚いた。
打ち解けられたとは感じていたが、これほど真っ直ぐに友誼を求められるとは思わなかった。
前世の記憶をひっくり返してみても、殿下が誰かにこのような申し出をしていた事などなかったように思う。
じわじわと、純粋な嬉しさが胸に広がる。
殿下は時が戻っても、私が女になっていても、こうして友人になって下さるのだ。
カエルという共通の話題を利用してのことではあるのだが、前世でも仲良くなったきっかけはカエルだった。
懐かしいその記憶を思い出し、たまらずにいっぱいの笑顔を浮かべる。
「…はい!喜んで…!」
私があまりに嬉しそうだからか、つられて殿下も笑顔になった。いつも無表情なお方なのでなかなかレアである。
「ありがとう、リナーリア。…だけど、僕は頻繁に城を出る訳には行かないんだ。すまないが、時々城に来てくれると嬉しい」
殿下は、基本ずっと城にいる。
実際には王都内に限りまあまあ外出もできるしするのだが、第一王子ともあろう者が一つの貴族の屋敷に通い続けるというのはまずい。
私は殿下を守るためできるだけ親しい友人になりたいだけなのだが、殿下の周囲はそうは見ないからだ。
ジャローシス侯爵は娘を使って上手く王子に取り入った…そう解釈する者がほとんどだろう。
もしそうなったら、お父様を排斥しようとする者、あるいは自分の派閥に取り入れようとする者などがどんどん出てくる事は想像に難くない。
お父様もお母様も、野心からは遠い方だ。家族に迷惑を掛ける訳にはいかない。
私がたびたび城に行くと言うのもそれはそれで人目につくだろうし、いずれは噂になるかもしれないが、お父様やお母様を連れずに行けばそれほど問題にならないだろう。
なんと言っても、私はまだ10歳の子供なのだ。
だから私は、「承知いたしました」と答えたのだが。
「あっ…でも私、来月末にはもう領に戻らなければならないのです」
「そうなのか?早いな」
「はい。今年はどうも魔獣被害が多いようなので、いつもより少し早めに帰る予定になっているんです」
「そうか…」
殿下は残念そうな表情になった。
領地に戻れば、次の春までは王都には来られない。
お父様は冠婚葬祭など何かの行事の折には稀に来ることもあるが、10歳の娘がそれについていくという事はあまりない。
「…大丈夫です!その前に何度かは訪問出来ると思います。それに、領に戻っても手紙を書きます!あちらで観察したカエルのことも、たくさん書きます」
「本当か」
殿下の顔が明るくなる。
「はい!約束です」
私は笑って、右手の小指を持ち上げる。
少しだけ照れくさそうな顔で、殿下はそこに自分の小指を絡めた。




