第55話 旅への出発
「…それではお父様、お母様、お兄様。行って参ります」
私は旅行用のワンピースと薄手の上着に身を包み、見送りの家族に頭を下げた。
「気を付けて行って来るんだよ」
「行ってらっしゃい。皆様に失礼のないようにね」
「魔獣には十分注意するんだよ」
「はい。お土産、楽しみにしていてくださいね」
春休みに入ってすぐ私はジャローシス侯爵屋敷に戻り、殿下の水霊祭の祭礼に同行する準備をした。
旅の間ほとんどの事は王家が用意した使用人や護衛がやってくれるとは言え、貴族令嬢の旅支度は結構手間がかかるのである。
主にドレスが嵩張りすぎるせいで荷物が多い。
大変申し訳無いが、持っていかないとそれもまた大変に失礼になってしまうのだ。公爵家の晩餐にドレス無しで出られるはずがない。
女性というのはこういう所が面倒臭すぎるよなとしみじみ思う。
荷造り自体はコーネルに任せておいたが、大きなトランクが3つもできてしまった。これでも相当減らしたらしい。
トランクを馬車に積み込んでもらい、一旦城へと向かう。
例のアーゲンの家からもらった馬車だが、全く揺れないので本当に乗り心地が良い。
城へ到着後は、まずは王妃様にご挨拶だ。
今回は体調を考え、国王陛下は同行しない。王族は王妃様と王子のエスメラルド殿下だけだ。
「王妃様、お久しぶりでございます。ご機嫌麗しゅう。今回は同行の許しをいただき、誠にありがとうございます」
「久しぶりですね、リナーリア。いつもエスメラルドと仲良くしてくれてありがとう。今回の旅でも、よろしくお願いします」
「勿体ないお言葉です。こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
並んでいる殿下とスピネル、カーネリア様にも頭を下げる。
「皆様、どうぞよろしくお願いします」
「ああ」
「おう」
「よろしくね!」
三者三様に笑顔で返事を返してくれるが、ほんの少し申し訳なくなる。
…私は多分、この旅で3人を危険に晒す事になる。
恐らく命の危険まではないはずだし、万一の時は私が命に換えても守るつもりだ。
その危険を冒しても、私には今回どうしても成し遂げたいことがあるのだ。
今回の旅は、日程短縮のために途中まで遠距離移動の転移魔法陣を使うことになっている。
転移先には先行した馬車が待っているので、そこから馬車に乗ってブロシャン公爵領まで行くのだ。
ブロシャン領は遠く、馬車旅ならどんなに急いでも片道6日はかかる。
転移魔法陣で飛べるのは馬車1~2日分の距離がせいぜいで、かと言って連続転移は身体に負担がかかる。それに旅の風情もない。
そんな訳で、魔術と馬車とを併用して片道3日の行程が組まれた。転移魔法陣は頑張って維持を続ければ最大2週間くらいもつので、帰りもこの魔法陣を使う予定だ。
転移魔法陣の魔導具は遠距離用になればなるほど高価な上に使い捨てなので、金を持った貴族だけが使える旅行方法である。
王宮魔術師が設置した転移魔法陣を使い転移すると、すでにすぐ近くまで馬車が来ていた。王家の馬車と言っても、長距離移動用なので華美さはあまりない。乗りやすさと丈夫さを重視したものだ。
差し出された殿下の手を取って中に乗り込む。カーネリア様はスピネルが手を取った。
王妃様は別の馬車らしい。気を遣ってこちらは子供だけにしてくれたようだ。
「今日はタルノウィッツ侯爵領まで行って一泊する予定だ。で、明日はガムマイト伯爵領まで行く。順調なら明後日の日暮れ前にはブロシャン公爵領に着くな」
スピネルが日程を教えてくれた。頭の中に地図を思い浮かべ、距離を計算してみる。
「明日の行程には少し余裕がありそうですね」
「ああ。天気も悪くないし、明日は朝のうち少しならタルノウィッツの町を見て回れるんじゃないか」
「まあ、それは楽しみだわ!タルノウィッツと言えば、勇猛な老騎士団の伝説で有名ですものね」
「そうですね」
嬉しげに声を上げるカーネリア様に、私も微笑む。
タルノウィッツ領には騎士の間では有名な伝説がある。
山に囲まれ平地の面積が狭いタルノウィッツ領はそれほど裕福ではなく、たくさんの騎士を抱えるような余裕はなかった。
しかしある時、山に大きな魔獣が棲み着いてしまったのだ。
その魔獣は強く凶悪であるだけでなく、たくさんの小さな魔獣を次々に生み増やしていた。
今まで少ない人数で必死に村や町を守り食い繋いでいたタルノウィッツ領は、たちまち窮地に陥った。
主力の騎士団は倒れ、残っているのは老兵や弱兵ばかり。
ついには魔獣の大群に町を囲まれ攻めかかられ、人々は死を覚悟した。
だが、老兵ばかりの最後の騎士団はそこで奮起した。
子や孫の住むこの町を、何としてでも守らねばならぬ。
彼らは傷付き血を流しながらも魔獣と三日三晩戦い続けた。
中には手足が千切れてもなお最後まで戦った者や、腸をこぼしながらも一晩以上戦い続けた者までいたという。
そうして、彼らは騎士団のほぼ全員が戦死するという多大な犠牲を払いつつ、なんとか魔獣の群れを殲滅し街を守ることに成功したのだ。
「勇猛っつうか、それもう死霊兵だろ。ホラーじゃねえか」
「お兄様ったら夢がないわね!」
カーネリア様は憤慨しているが、私としてはスピネルの意見に近い。手足が千切れたり腸がこぼれているのに長時間動ける人間などいる訳がない。
この伝説は人々の間では悲壮な英雄譚として語られているが、今では禁術となっている肉体に過剰な強化をかける魔術を刻み込んで戦ったのではないかという説が、我々魔術師内では有力だ。
一般的な魔術というのはだいたい魔力を通している間か、その後の僅かだけしか効果はない。
魔術の種類やかける対象にもよるが、人体に対する魔術の効果は長くてもせいぜい数時間程度だ。
それ以上の時間効果を発揮させるには魔法陣や魔導具を直接人体に埋め込む必要があるが、それは今の王国法ではに禁止されている。あまりに危険すぎるからだ。
この伝説の当時はまだ禁止されていなかったはずだし、今となっては確かめる方法もないのでわざわざ言う者はいないが。
「確かに彼らの勇気と奮戦ぶりは素晴らしいものだと思うが…それほどに傷ついてもなお戦い続けるというのは、空恐ろしくも感じるな」
殿下もこの伝説については、否定はしないまでも全面的に肯定はできないようだ。
カーネリア様が不満げに口を尖らせ、それから私の方を見る。
「リナーリア様はどう思うの?」
「私ですか?うーん…」
私は少し考える。
「私は三日三晩戦うのはまず無理ですし、やりませんね。なるべく相手の戦力を一箇所に集める方法を考え、そこで全力を出して一気に決着をつけるのが最も勝率が高いでしょう。そういう戦い方に持ち込めなかったらその時点で負けでしょうね」
「リナーリア様も別の意味で夢がないわ…!」
カーネリア様の叫びに、殿下とスピネルもちょっと呆れた顔で笑った。




