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第53話 姉と弟

 ヘルビンを呼び出したのは音楽室だ。

 ここは発表会などのイベントが近い時期以外はそれほど人が来ないし、防音がしっかりしているので密談には持ってこいの場所なのだ。長時間使用しなければ注意される事もない。


「最近はどのような曲を練習されているんですか?」

「アスパラゴスの夜想曲だな」

「あ、私それ結構好きです。いい曲ですよね」


 ニッケルが連れてくるはずのヘルビンを待ちながら、ピアノを見て殿下と雑談をする。

 スピネルはなぜか扉の近くにいるが、何であんな所に立っているんだろう。



「来たな」


 やがてそうスピネルが言って、私と殿下は扉の方を見た。


「なあ、待ってるって一体誰が…」


 背後にいるらしいニッケルに話しかけながら扉を開けて入ってきたヘルビンは、並んでいる私と殿下を見てぎしりと固まった。

 慌てて踵を返そうとする彼の襟首を、すかさずスピネルが掴む。


「うげっ!?」

「おい、人の顔を見て逃げ出すとはいい度胸だな」

「ええ!?」


 凄んで見せるスピネルに、ヘルビンはさらに悲鳴を上げた。

 あ、さてはヘルビンが逃げ出すのを予想してあそこに立っていたのか。なるほど。


「おいニッケル、どういう事だよ!?」

「ごめんヘルビン、お前を呼び出したの、そこのリナーリアさんなんだ…あと殿下とスピネルさん」

「は!?何で!?」

「ご足労いただいて申し訳ありません。お久しぶりです、リナーリア・ジャローシスです」


 私は一歩前に出て一礼した。彼と話をするのは入学祝いパーティーの挨拶の時以来だ。

 スピネルに抵抗していたヘルビンが動きを止める。


「実は貴方に尋ねたい事があるのです。スフェン先輩の事です」

「…な、なんだよ。誕生日だの好きな食べ物だの好きな芝居なら、どうせあんたも知ってるだろ」


 いやほとんど知らないが。せいぜいオレンジソースのポークソテーが好きそうな事くらいだ。

 さてはこいつ、私がスフェン先輩のファンだと思ってるな。


「先に言っておきますが私とスフェン先輩は友人です。先輩の好みが知りたければ直接本人に聞くので結構です。…私が知りたいのは唯一つ」


 私はヘルビンの目を真正面から見つめる。


「貴方がどうしてスフェン先輩を避けるのか、です」



「ご姉弟で在学中なのに、貴方と先輩はまるで話をしていないようですね?いくらでも機会はあるでしょうに。あえて避けているとも聞きます」


 この辺はスフェン先輩のファンでもあるリチア様からも聞いて裏を取った。

 本気の先輩ファンからは聞きにくかったので。


「スフェン先輩は貴方を気にかけていらっしゃるご様子です。先日貴方の事を尋ねた時も、『聞いていないから知らない』と残念そうに仰ってました。聞きたいが遠慮しているというように見えました」

「……」


 ヘルビンが目を逸らす。気まずそうな表情だ。


「あと貴方、殿下の事も避けてます?それも気になるんですが?殿下の何が嫌なんですか?どういう事か説明してくれませんか?」

「ちょっと待てよ知りたいのは一つじゃなかったのかよ!」

「そんな事言いましたっけ」

「言ったよ!ついさっき!!」

「忘れました」


 激しく突っ込まれたが私はすっとぼけた。しょうがないだろ気になるんだから。



 抵抗をやめてスピネルの手から解放されたヘルビンは、観念したのか喚くようにこう言った。


「…だから俺は!目立ちたくないんだよ!!」

「…はい?」

「姉上と話してたらすげー目立つんだよ!周り中から見られるし居辛いったらねーよ!しかも『何話してたの』って後からも女の子が寄ってくるし!待ち伏せとかされるし!そんな理由で近寄られても嬉しくねーし!そもそも俺は注目されたくないし、目立つの嫌いなんだよ!!!」


 一気にまくし立てたヘルビンのその勢いに、殿下もスピネルも目を丸くする。


「…えっと…じゃあもしかして、殿下の事も?」

「目立つからに決まってるだろ!!関わりたくねえ!!」


 …そう言えば、前世の討伐訓練でも当初同じグループに決まった時は嫌そうにしていた気がする。

 前世は担任が違ったので班分けも方針が違って、教師側で大体決めていたのだ。

 他の生徒は皆殿下と一緒になって喜んでいたのにヘルビンだけは浮かない顔をしていて、それが私には不思議だった。

 結局訓練後は殿下と意気投合していたが、今思えば人前ではあまり話しかけて来なかったような気がするな…。


 前世からの疑問が氷解して私はようやく納得した。そういう事だったのか。


「なるほど…分かります。私もできるだけ目立ちたくないと常日頃から思っているので」

「え?嘘だろ?あんたが?」


 こいつ魔術ぶつけてもいいかな。

 私の殺気を感じ取ったのか、ヘルビンがわずかに怯む。

 スピネルは私の方を見ると鼻で笑った。


「いや、そう思うのもしょうがないと思うぞ。どう見ても目立ってるだろお前」

「あんたが言うなよ…」


 ヘルビンがぼそっと突っ込むが、「あ?」と睨み返されてさっと目を逸らした。

 そう言えばこいつもなかなか口の減らない奴だった。その歯に衣着せぬ性格が殿下に気に入られていたのだが。

 だがまあ、それはそうとして色々と言いたい。



「私だって本当に目立ちたくはないんです。好きな事をして、地味で穏やかな暮らしが送れたら良いと思います」


 そう、私だって少しくらい想像してみた事がある。

 殿下と親しくなる機会などなく、ただの貴族の一人として生きるリナライトやリナーリアの姿を。

 できれば魔術師になりたい。魔術研究に人生を捧げるのが最も理想的だ。

 研究室に籠もって、毎日ひたすら本や魔導具に囲まれ、魔術の深奥を目指し、それだけ考えて生活できたら。


「…でも、()()()()()()()()()()()()()()


 私はその道を決して選ばない。私には成し遂げたいこと、叶えたい望みがある。

 安楽で穏やかな人生などより、私はこの望みを叶える可能性のある道を選ぶ。

 何度生まれ変わろうともだ。


「貴方は何がしたいのですか?それは血を分けた姉を避け、目立たずに生きる事で得られるものなのですか?」

「……」



 ヘルビンは言葉を失って私を見返した。

 ニッケルが、殿下やスピネルが、彼を気遣わしげに見つめる。


「…俺だって分かってるよ。こんなの良くないって。…姉上は優しい人だ。俺が困ってるって分かってるから、普段話しかけてこない」


 ヘルビンはうつむいてポツリと言った。


「父上も兄上も、スフェン姉上の事を良く思ってない。家の恥だって言う。ゲータイト家から言われてるんだ。姉上を監視しろ、説得してまともにしろって。…でも俺は、そんな事したくない。だからずっと家には、『関わりたくないから知らない』って返事をしてる」

「…姉君のことが好きなのだな」


 殿下に言われ、ヘルビンは苦笑した。


「俺にとっては良い姉だったんですよ。一番歳が近かったのもあるけど、強くて優しくて、いっつも俺を守ってくれた。今はあんなんですけど、…でも、やっぱり大事な姉上だ…」



「…貴方があまり先輩に近付くと、ご実家がさらに強く干渉してくる可能性があるという事ですか?」

「ああ。父上は、姉上に首輪を付けたくて仕方ないんだ」


 なるほどな。目立ちたくないというのも本音なのだろうが、こちらが本当の理由なのだろう。


 親からの一方的な圧力は突っぱねられても、それが可愛がっていた弟の言葉なら。

 あるいは、「お前の行いのせいで弟が迷惑している」という脅しだったなら。

 スフェン先輩は人を思いやる心を持った優しい人だ。きっと苦しむ事になるだろう。


 ヘルビンとて親の言いなりになどなりたくないのだろうが、彼は一番末っ子のはずだ。親や兄からの圧力には逆らい難い。

 例え実家を出ようとしても、ゲータイト家から睨まれている人間などどこの家も迎え入れたがらない。あの家は塩の権益で、並の伯爵家とは比較にならない影響力を持っているからだ。

 と言うより、権力が大きくなりすぎるのを抑えるため、あえて伯爵以下を塩の産出地に配置したのだろう。爵位よりも実益を与えられた者の領なのだ。


 だからヘルビンの将来など、彼らの思うがままだ。ゲータイト家以上の後ろ盾でもいれば別だが、彼はまだ16歳の子供なのだしそんな後ろ盾などない。

 今は実家と姉どちらにも一定距離を置く事で誤魔化しているようだが、それがどこまで通用するか。

 前世で卒業後に近衛騎士になりたがっていたのも、殿下と仲良くなったせいもあるかも知れないが、王宮直属となる近衛騎士ならばゲータイト家の力が及びにくいと思ったからかも知れない。



「…なら、なるべく目立たず、家の目も届かない場所で会えば良いのではないか。それならヘルビンも良いだろう」


 そう言ったのは殿下だ。


「そうだな。ついでに、見つかったとしてもゲータイト家が文句言いにくい場所だと一番いい」


 スピネルもまたうなずく。


「でも、そんな場所どこにあるんですか?学院の中はすぐ人目につくんで無理ですよ」


 ヘルビンがそう反論するが、私はどこを指しているのかすぐに分かった。

 殿下とスピネルの気遣いに嬉しくなる。


「お願いできますか?」

「ああ」


 殿下がうなずき、スピネルも仕方ないなという風に笑った。


「ありがとうございます…!」





 それから10日ほど後。私は王宮の裏庭の薔薇園へと来ていた。

 本当はもっと早く来たかったのだが、スケジュール調整に少し手間取った。シリンダ様にも協力してもらってやっとまとまったのだ。

 春休みに入る前に来られただけまだマシだろう。


「この薔薇、去年よりも少し青みが強くなったんじゃないか?」


 殿下が大輪の薄青の薔薇を見下ろしながら言う。


「そうですね。まだまだ調整中のようですが」

「ああ、もしかして、それが魔術で遺伝子操作している薔薇かい」

「あっ、はい。そうです」


 セムセイに言われ、私は肯定した。そう言えば少し話したことがあったか。


「セムセイも知ってんのか」

「リナーリアさんにはうちの小麦にもちょっとアドバイスをもらったからね」

「リナーリア様は植物のことには造詣が深くていらっしゃいますものね」

「マジっすか。すげえ!」


 今日は殿下とスピネルの他、討伐訓練の時に同じグループだったセムセイ、ニッケル、ペタラ様がいる。さらにカーネリア様も一緒だ。

 それから、今はここにいないがもう二人。スフェン先輩とヘルビンの姉弟だ。


「ヘルビンとお姉さん、今頃仲良く話せてるっすかね」

「そうですね…」


 あの二人は今、城の中の一室にいる。

 部屋の中に入ってしまえば他の生徒や貴族の目はないから安心だ。

 きっと姉弟水入らずで話している頃だと思うが…どうかな。しばらく疎遠だったしな。


「殿下、本当にありがとうございました。スピネルも」

「いいや。こうして皆に休日に会えるのは楽しいしな」

「そうだな」


 今日は男子は殿下の個人的な昼食会、女子はスピネルが主催の薔薇の鑑賞会という形でひっそりと城に呼んでもらったのだ。

 スピネルは自分が女子ばかり呼ぶ役と決まってちょっと不満そうにしていたが、文句は言わなかった。良い奴だ。


 班の皆も呼んだのはカモフラージュのためだが、もちろん親睦を深めたいという意味もある。全員口が堅そうだしちょうど良かったのだ。

 ちなみにカーネリア様は話を聞いて「私もスフェン様に会いたいわ!」と言うので来てもらった。

 どうやら同じ騎士課程の女子として剣術の話がしたいらしい。後で全員で昼食を取る予定なので、そこで好きなだけ話してもらおうと思う。



「昼食までまだ少し時間がある。もうちょっと歩こう」

「はい」


 私は薄い青紫の薔薇に別れを告げて立ち上がり、周囲の皆を見回す。

 全部で6人。スフェン先輩とヘルビンも加えれば8人になる。

 こんな大人数で薔薇園を訪れるなど前世から合わせても初めてのことだ。

 目的の一つだった殿下とヘルビンの仲はあまり取り持てていない気がするが、しかしこれも案外悪くないな、と私は思った。

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