第51話 昼食(前)
午前の授業が終わってすぐ、教室にアーゲンがやって来た。もちろんストレング付きだ。
「やあ、リナーリア」
「アーゲン様。あのような素晴らしい贈り物を、本当にありがとうございました」
「いいや。君がしてくれた事に報いるには、あんなものでは到底足りないよ」
真面目な顔で言われると逆に困ってしまう。
最近のアーゲンはいつもこんな感じなのでやりづらい。
実は2週間ほど前、私と次兄のティロライト、それから王都に来たばかりの父と母は、パイロープ公爵家の晩餐に招かれた。息子の命を救ってもらった礼がしたいとの理由だ。
殿下が中型魔獣討伐の手柄を上げた事もあり、この件は既に貴族中に広まってしまっているらしい。
断るのも失礼なので招待を受けることになったのだが、物凄い歓待ぶりだったので私たち一家は非常に驚いた。有り体に言えばびびった。
家紋入りの豪奢な馬車での送迎に始まり、屋敷に着いたら使用人や一族総出で出迎えられ、料理も酒も凄まじく豪勢だった。
前世で殿下と共に視察で領地に訪れた時くらい凄かった。
公爵家たるもの、相手が息子の命の恩人ともなれば饗応の手を抜くわけには行かなかったのだろうが、そんな扱いをされるのは初めてだった我が家は全員呆然としていた。
まともに応対できていたのは私とせいぜい母くらいだったと思う。
アーゲンの母であるパイロープ公爵夫人は家のプライドに関わるのかしきりに息子自慢をしていたのだが、うちの母は同席しているティロライトお兄様よりも何故か殿下の話をしていた。
侯爵家の次男にすぎないお兄様を公爵家の嫡男と並べて語るのは難しかったのかも知れないが、お兄様の立場がなくてちょっと可哀想だった。
お兄様自身はそれどころではなかったようでひたすら愛想笑いを浮かべていたが。
ただ、アーゲンもちょっと居心地悪そうにしていたのは少し面白かった。
アーゲンの弟妹も同席していたし、長男として努めて堂々としていたようだが、やはり母親から息子自慢をされるのは本人にとって恥ずかしいものらしい。
気持ちは分からんでもないが。
しかし公爵家からの感謝の気持ちというのは、到底その程度では収まらなかった。
つい昨日、パイロープ公爵家からの贈り物がジャローシス侯爵屋敷に届いたのだが、それを見て私たち一家は文字通り仰天した。
なんと、大変に立派な作りの馬車が贈られてきたのだ。もちろん、曳くための馬つきだ。
貴族用の馬車というのは物凄く高価だ。財力や家格がはっきり反映されるので、金に糸目をつけない貴族が結構いるからだ。
贈られた馬車は新参侯爵家である我が家の家格に気を遣ったらしく、外見こそ落ち着いたデザインだったが、作りは非常に丁寧で丈夫なものだったし内装は見事の一言だった。
防護魔術のかけられた上質な織りの布が張られていて、何より座席のふかふか具合が素晴らしい。
車体や車輪には耐久性の高い衝撃吸収の魔術がかけられていて、乗り心地も抜群である。殿下の乗ってたパレード用の馬車みたいだ。
馬車馬ももちろん、大人しくて若く健康そうな良い馬だった。
一体これを、どれだけ金をかけて用意したのか。もはや財力の暴力である。
あののんびりしたお父様すら困惑していた。
しっかり我が家の家紋も入れられていたし、まさか返す訳にもいかないので受け取ったが、ちょっとやりすぎだと思う。
「…どうかな、今日は僕と一緒にランチを」
そう言うアーゲンに、私は静かに頭を下げた。
「すみません。今日はすでにお約束があるんです」
「そうかい。君は人気者だし、夕食には出てこないしね…残念だけど仕方ないな」
そうは言うが、近頃アーゲンと昼食を取る機会は増えている気がする。何しろ誘いに来る回数が多い。
頻度で言えば殿下とカーネリア様が特に多いのだが、その次に多いのはアーゲンだ。
後はスフェン先輩やその他が少々。スフェン先輩以外のグループは二組以上一緒になる場合もある。
そこで「じゃあ明日は」と言いかけたアーゲンだが、急に口を噤んだ。
その視線を追いかけて振り向くと、後ろには予想通りスピネルがいた。
「リナーリア、そろそろ行くぞ」
「あ、はい」
これ多分私を迎えに来たんじゃなくて、アーゲンを牽制に来たんだろうな。
と言うのも、討伐訓練の一件以来どうもアーゲンはスピネルが苦手になってしまったらしい。顔には出さないがどことなく腰が引けている気がするのだ。
スピネルもそれを分かっているらしく、私の所にアーゲンが来たのを見るとこうして横槍を入れに来る事が増えた。
案の定アーゲンはスピネルの顔を見た途端に「じゃあまた今度」とだけ言って去って行ったので、ちょっと助かった。
スピネルは私を助けたかったと言うより、単にアーゲンの反応を面白がっているだけのような気もするが。
今日は本当に用事があったので良いが、討伐訓練の件を気にしているのかアラゴナ様が牽制に来る事もなくなってしまったので、アーゲンの誘いを断りにくいんだよな。
ある程度仲良くはしておきたいが、かと言ってアーゲンの派閥に入ったとは思われたくないので難しい所だ。
何だか私とアーゲンの仲について変な憶測をしている者もいるらしいし…。全くもって面倒くさい。
それはそうと昼食だ。今日は話したい事があったので、朝から殿下やスピネルと約束をしていたのである。
「殿下は?」と尋ねると、スピネルは「今取り込み中だからちょっと待て」と顎で示した。
見ると、一人のご令嬢が殿下の隣に立って話しかけている。
あの褐色がかった赤毛はトリフェル様だ。殿下派の中でもひときわ積極的な方である。
ああ…なるほど。これは声をかけたくない…。
案の定トリフェル様は殿下を昼食に誘いに来ていたようで、しかし「先約がある」と断られてしまったようだ。
「そんなあ…。残念ですわ」
「すまない。…ああ、リナーリア」
私が見ている事に気付いた殿下が声を上げ、トリフェル様もこちらを振り返る。
彼女もそれで約束の相手が誰なのか分かったのだろう。うう、視線の圧がすごい…。
しかしたまたま誘いに来たタイミングが悪かっただけなのだ。あまり睨まないで欲しい。
彼女のすごい所は、絶対に殿下からは見えない角度でだけ私を睨むことだ。殿下が見ている時は必ずニコニコと笑っているので、むしろ感心してしまう。
どうも前世に比べると殿下へ近付くご令嬢の数は少ない気がする。私が見ているのは学院の中だけなので、単に知らないだけかもしれないが。
それでもトリフェル様だけは学院の中だろうが外だろうがあれこれと頑張っているようだが、今世になって一つだけ変わった部分がある。私を目の敵にしている事だ。
私は特に彼女の邪魔をする気はないので、敵視されても困るんだけどなあ。
殿下は相変わらず彼女が苦手のようなので、積極的に応援する気もないが。彼女は家柄も成績も容姿も申し分ないが、殿下の意思が一番大切だからな。
ちなみに彼女は入学パーティーでオットレをパートナーにしていたのだが、どうやらあっという間に喧嘩別れをしたらしい。
オットレが他の女子生徒に目移りばかりしていたのが直接の原因らしいが、お互いに性格が合わなかったのも大きいようだ。
まああんな男とは付き合わない方がいいと思うが、だからってまたすぐ殿下の方に戻ってくるのはどうなんだ…。二股ではないだけまだマシだが。
「リナーリア様、アーゲン様の方はよろしいの?先日も断られてとても落ち込んでいらしたわ」
いかにもアーゲンを心配しているかのような表情で言うトリフェル様に、私は眉を下げて微笑む。
「私も大変心苦しいのですが、先に殿下とお約束しておりましたので…」
何よりこうして私をアーゲンに押し付けようとするのが彼女の一番困る所だ。
私がアーゲンを助けた件に尾ひれをつけて噂を流しているのは彼女ではないのかとちょっと疑っている。
もしそうなら本当にやめて欲しい。それよりも殿下に気に入られる方法を考えた方が、よっぽど建設的だと思うのだが。
そこに助け舟を出してくれたのは、またもやスピネルだ。
「殿下、そろそろ行きましょう。食堂が混んでしまう」
「ああ、そうだな。すまないトリフェル。…リナーリア、行こう」
「はい」
殿下はいつもの無表情だが、ちょっとほっとしているのが私には分かる。
やっぱり今世でも彼女に脈はなさそうだ。
食堂では一番隅の静かな席に着いた。
他の生徒が遠慮して席を譲ってくれるので、殿下は自然とここが指定席のようになっている。
私の斜め前の席に座ったスピネルの皿にはローストビーフが大量だ。しかもソースを3種類くらい持ってきている。
「スピネル、それ好きですよね」
「本当はバッファローのやつが良いんだけどな」
バッファローと言えば、昔殿下の視察の時にサンドイッチで出したものだ。懐かしいな。
あれから工夫して王都にも出荷しているが、それほど量はないし輸送コストのせいで値段も高いので、さすがに学院の食堂で出すのは無理だ。
殿下の皿の方にもローストビーフが山盛りになっている。今日はチキンのソテーなどもあったけどこっちなのか。
私の視線を受けて、殿下が小さくうなずく。
「赤身肉は体作りにいいらしいんだ」
「あっ、そうなんですよ!筋肉を作るには赤身の肉が良いんだそうです。よくご存知ですね」
「お前はその知識を自分の体作りに活かす気はないのか。もっとたくさん肉食えよ」
「そ、そんなに食べられないんだからしょうがないじゃないですか…それにこれにも肉は入ってますし…」
私は今日、ひき肉と刻み野菜を包んだオムレツだ。
いいじゃないか卵は美味しい上に栄養豊富なんだから…。
オムレツを一口二口食べてから、ローストビーフを口に運んでいる殿下を見て話を始める。
「ところで、殿下。もうすぐ水霊祭の時期ですよね」
「ああ、そうだな」
水は生活の要であり、魔獣を退ける守護の象徴だ。
その水を司る水霊神に感謝を捧げるためのお祭りが水霊祭で、毎年4月下旬から5月頭頃に行われる事になっている。
一般的には祭壇に祈りを捧げたりお供え物をしたりするだけのささやかな祭なのだが、王家にとっては別だ。
王族自らが霊地を訪れ、祭礼を行う決まりになっている。
この国に5つある公爵家はみな、魔獣への守りとするために大きな湖や川がある場所に領地を構えているのだが、この湖や川こそが水霊神の霊地だ。
それぞれに小さな神殿が建ててあり、王族は毎年これのどこか1箇所を訪れ、祈りを捧げる儀式を執り行う。
行き先は持ち回り制だ。毎年違う霊地を訪れることになっている。
昔はそれなりに大々的にやっていたそうだが、春は何かと忙しい季節だ。なので各領に負担をかけないために、この祭礼の規模は年々小さくなっていったらしい。
今ではほぼ、王族の家族旅行のついでに祭礼もやるみたいな感じになっている。
「今年の行き先は確か、ブロシャン公爵領ですよね?」
「ああ。前に行ったのは5年前だが、とても風光明媚な場所だった。湖も美しかったな」
「良いですね…。ブロシャン領の美しさは私も聞いています。それに、あの領は魔術研究がとても発展しているんですよね」
前世では殿下と共に何度か訪れた場所だが、今世では当然一度も行っていない。うちの領からはとても遠いからだ。
「ぜひ一度訪れてみたい場所です」
心底羨ましそうに言うと、殿下は私を見てこう言った。
「なら、リナーリアも一緒に行くか?」
「えっ…。え?い、良いんですか?」
「ああ。親族や友人を連れて行くのは珍しい事ではないし、どうせ水霊祭の期間は学院も休みだしな。今回は父上が行かないから人数も少ないし大丈夫だ」
あまりにあっさり誘われたので、私は逆に戸惑ってしまった。
私はある目的のためにどうしてもこれに付いて行きたくて、そのために殿下に探りを入れたのだが、まさかこんな簡単に誘われてしまうとは。
いざという時はお父様達に頼み込んで旅行をするか、セナルモント先生にごねまくって随伴の王宮魔術師に見習い弟子として加えてもらうしか…と思っていたのに。
でも本当に付いて行ったらそれこそ王族に近いと見られる。また婚約者とか誤解をされてしまうのでは?殿下のご迷惑にならないだろうか?
嬉しさと困惑であたふたしだす私を見ていたスピネルが、小さくため息をつく。
「殿下、カーネリアも誘っていいか?あいつもそろそろ、他領の様子を見ておきたい歳だ」
「そうだな。カーネリアが一緒ならリナーリアも何かと安心だろう」
「本当ですか!?あ、ありがとうございます…ぜひ、ご一緒させていただきたいです…!」
確かにカーネリア様が一緒なら心強い。婚約者とかいう誤解もされなくて済みそうだ。
どう見てもカーネリア様の方が殿下とは家格的に釣り合ってるし…カーネリア様は全くそんな気なさそうだが。
カーネリア様が誤解を受けたら申し訳ないが、彼女なら引く手あまただし大丈夫だと思う。
「スピネル…」
感謝の気持ちを込めてスピネルの顔を見つめると、スピネルはぷいっと横を向いた。照れているらしい。
「…やっぱりカーネリア様に甘いんですね!」
「お前にまともな反応を期待した俺がバカだったよ!!!」
思いきり怒ったので、私は慌てて謝った。
スピネルが私のためにカーネリア様を誘うと言い出した事くらい分かっている。ただの冗談なのであまり怒らないで欲しい。
スピネルには私もいつも感謝しているのだ。なかなか素直に言う機会はないけれど。




