第48話 帰還
ゆっくりと燃える焚き火からは時折木の爆ぜる音が聞こえてくる。
会話も途切れたのでさっきからずっと黙って炎を見つめているが、ほんのり暖かい事もあってだんだん眠くなってきた。
アーゲンもすっかりウトウトしているようだ。やはり疲れているのだろう。
眠るなら交替で眠るべきだ。まずはこのままアーゲンを寝かせてやるかと思った時、アーゲンがはっと顔を上げた。
「…人の声だ」
「えっ」
二人揃って立ち上がり、上流の方を見る。確かに、何かがこちらに近付いてくる音がする。
やがて、茂みをかき分けて数人の人間が現れた。
「アーゲン!リナーリア!」
担任のノルベルグ先生だ。魔術の先生と、訓練に帯同してきた護衛の兵士たちもいる。それに。
「リナーリア!無事か!!」
「殿下!スピネル!」
二人が私の側に駆け寄ってくる。
「何故お二人がここに?」
「どうしてもと言うから付いて来てもらった。救助の人員も足りなかったしな」
私の疑問に答えたのはノルベルグ先生だ。
アラゴナ様や怪我をした生徒たちを保護するのと、私達を救助に行くのとで人を分けなければならなかったのだろう。
「二人共、怪我はないか?どこか不調な所は」
「ありません。無事です」
私とアーゲンは揃って答える。
「…よし。少し連絡を取るから待っていろ。…先生、転移魔法陣の設置をお願いします」
ノルベルグ先生は遠話の魔導具を取り出しながら魔術の先生を振り返った。
先生たち二人が少し離れるのを見送ってから、スピネルが私の正面に立った。仁王立ちだ。
「…この、バカ!!無茶ばっかりしやがって!!」
…うわああ…やっぱり怒ってる。めちゃくちゃ怒ってる…。
「無事だったから良かったようなものの、下手したら死んでたぞ!!どれだけ心配したと思ってる!!」
「すみません…」
うなだれながら謝ると、そこにアーゲンが「待ってくれ」と少し慌てながら割って入った。
一緒に謝るという約束をちゃんと守ってくれるつもりらしい。
「本当にすまない。だが、彼女は僕を助けるために」
「てめえには聞いてねえ。…それとも何か?てめえは俺が見てない間に、謝らなきゃならないような事を何かやらかしたのか?」
マジギレだった。
「し、してない。誓って何もしていない」
アーゲンは一瞬で白旗を上げた。全く頼りにならなかった。気持ちは分かるが。
「リナーリア…本当に心配した」
殿下もまた、私を見ながらそう言った。その顔は悲しそうで、思わず焦ってしまう。
「す、すみません、殿下!でもですね、あの場合私が追いかけるしかないというか、急がなければというか…」
「分かっている。魔術師である君でなければ、すぐに追うことはできなかっただろう。…それでも、俺もスピネルも本当に心配したんだ。ニッケルやペタラ、皆もだ」
「…はい…。ごめんなさい…」
自分の取った行動が間違っていたとは思わないが、殿下にこんなにも心配をかけてしまったのが辛い。
悲しそうにされるのは、怒られるよりよっぽど堪える。
そこにノルベルグ先生が戻ってきた。
「入口で待機している者達と連絡がついた。お前達の班の生徒は全員無事に森を出たそうだ。討伐訓練は中止、他の生徒は既に学院に帰還を始めている。お前達も、すぐに学院に戻ってもらう」
「わかりました」
魔術の先生による魔法陣の設置ももうすぐ終わりそうだ。
「…後で俺と殿下でみっちり説教するからな」
「はい…」
スピネルには念を押された。これはもうしょうがない。甘んじて受けるしかないだろう。
「…ところで、リナーリア。その格好はなんだ」
殿下に指さされ、私は自分の格好を見下ろした。
「あっ」
しまった。アーゲンのぶかぶかの上着を着たままだった。
「…おい」
スピネルがぎろりとアーゲンを睨みつける。
「ち、違う。誤解だ」
猛烈な勢いで首を横に振るアーゲン。
…私が転んで鼻血を出した事は結局ばれてしまい、お説教のネタがもう一つ増えた。とても辛い。
それから寮に戻ってぐっすりと眠った私は、翌日学校へと呼び出された。
もともと休日なので他の生徒はほとんどおらず、がらんとしている。
同じ班のメンバーと、さらにアーゲンの班のメンバーも呼び出されていた。
蛇との戦闘、それからアーゲンの救助について報告するためだ。
校舎前で合流すると、ニッケルは少々はしゃぎながら、ペタラ様は涙混じりに、セムセイはのんびりと私の無事を喜んでくれた。
それから、もう一人私達を待っている人物がいた。ボサボサ頭でとぼけ顔の魔術師だ。
「やあ、リナーリア君!水流下りを使った生徒がいるって聞いて驚いたんだけど、やっぱり君だったんだねえ」
「セナルモント先生!」
聞けばセナルモント先生は、珍しい魔獣が現れたという報告を受けて調査に派遣されたのだそうだ。昨日も森まで行って他に特殊型がいないかどうか調べていたらしい。
先生は王宮魔術師らしく幅広く様々な魔術を操れるが、特に得意としているのは解析や探知の魔術なのである。
潜伏の力を持つ魔獣でも、セナルモント先生の魔術なら見つけ出せるだろう。
先生は戦闘が主になる任務には呼ばれにくいので、それを良い事に普段は王宮に籠もって古代神話王国の研究ばかりしているのだが、今回は丁度いいとばかりに呼ばれたようだ。
前世だと王子の従者である私への指導という仕事があったけど、今世はそれもないしな。正直暇そうに見える。いやまあ、そんな事はないのだろうが。
「いやあ、まさか翼蛇の魔獣が出るなんてねえ。リナーリア君も翼蛇と直接戦ったんだろう?」
「はい。私も戦闘に参加しました」
「探知と解析はしたかい?」
「しました。完璧とは行きませんが」
「やったあ、君のデータなら信用できるから助かるよ!戦闘についてはこれから話を聞くけど、後で魔獣についての詳細レポート、よろしく頼むよ」
「わかりました」
「いやあ、今ちょうど研究が良い所だったんだよね。早く調べて帰りたかったから良かったよ。あ、今度君にも研究成果を見せてあげるからね!」
「…はい」
仕事する前から帰りたいとか言うなよ。
でも、ちゃんとレポートを提出すればセナルモント先生の口利きで成績に多少の加点がもらえるだろう。
独断専行をしたマイナス点を補填できるかどうかは分からないが。
「相変わらずだな、この魔術師…」
セナルモント先生を見ながら、スピネルは苦い顔でぼそっと呟いた。他の皆はだいたいぽかんとしている。
「リナーリア様、王宮魔術師様とお知り合いだったのですね」
ペタラ様は驚いた様子だ。
「ええ、少々ご縁がありまして…変わった方ですが、これでも探知魔術のエキスパートなんです」
「これでもっすか…」
ニッケルが疑わしく思う気持ちは分かる。
でも魔術師ってこういう変わった人結構多いんだよな…。
小さめの会議室のような場所に私達は連れて行かれた。
セナルモント先生の他に、ノルベルグ先生や魔術の先生など数人の教員が同席している。
私達の話を聞いた後、聴取を担当していたノルベルグ先生はおもむろに口を開いた。
「…よく分かった。大変だったな。死人が出てもおかしくない状況だったが、皆よく頑張ってくれた。全員、私の自慢の生徒だ」
一旦言葉を切り、皆の顔を見回す。
「色々問題は起こったが、皆が無事に戻って来て本当に嬉しく思うよ。訓練は途中で中止になったが、お前たちの成績が減点される事はないから安心して欲しい」
「ありがとうございます」
良かった、ちゃんと点はもらえるらしい。ほっと胸をなでおろす。
「今日はこれで解散だ。皆戻ってゆっくり休むように。…リナーリアは少しここに残れ」
「…はい」
間違いなくお説教タイムだ…。
皆が出ていった後、ノルベルグ先生と二人きりになった。
先生は正面から向き合うと、私を見てこう言った。
「…勝手な行動をした事は褒められないが、今回最も頑張ったのはお前だ」
その言葉に少し驚き、先生の顔を見つめ返す。
「アーゲンを助けられる自信があったんだな?」
「はい」
迷いなくうなずく。危険は確かにあったが、私なら助けられると思ったのだ。
「結果を見るに、その判断は正しかったと言わざるを得ない。お前が助けなければアーゲンは確実に死んでいただろう。…本当によくやった」
ノルベルグ先生の彫りの深いその顔は、厳しいが優しさに満ちている。
「…だが、決して自分の力を過信するな。本当にそれが正しいのかよく考え、慎重に行動しろ。取り返しのつかない事態になってからでは遅い。お前に何かあった時、悲しむ者がいる事はよく分かっただろう」
「…はい」
3年前の遺跡の件に続いて、また殿下のお心を痛めさせてしまった。
スピネルにも心配をかけてしまったし、反省するしかない。
「分かったなら良い。お前も帰って休むように」
…あれ?思ってたよりあっさりだな。
そう思って見上げると、ノルベルグ先生は少し苦笑した。
「お前への説教は他の者がやってくれるようだからな」
「はい…」
会議室を退出すると、アラゴナ様とストレングがいた。私を待っていたようだ。
「…リナーリア様、昨日はお助けいただきありがとうございました」
アラゴナ様に深々と頭を下げられ、私は首を振る。
「たまたま私達の班が近くにいただけです。どうかお気になさらず」
「…いいえ。少なくとも、アーゲン様が助かったのはリナーリア様のおかげです。…本当に、ありがとうございました…」
そう言って顔を上げた彼女の灰色の目には、うっすら涙が滲んでいるようだった。
…え、ど、どうすればいいんだこれ?
何と答えていいのか分からずおろおろする。
ストレングは黙って見ている。口を挟む気はないらしい。
彼女は無言で私にもう一度頭を下げると、そのまま走り去っていった。
ああああ…。きっと責任を感じてるんだろうなあ…。
こういう時気の利いた言葉をかけられない自分が辛い。泣いてる女性にどう対処したらいいのかなんて全くわからないのだ。
自分の朴念仁ぶりが恨めしくなる。
走り去るアラゴナ様を黙って見送ってから、続いてストレングが口を開いた。
私をちょっと睨んでいる。
「…アーゲン様に、俺に謝れと言ったそうですね」
「ええ、まあ」
「不要な気遣いです」
…だろうな。こいつはそう言うだろうと思っていた。
「私はただ思った事を言っただけです。貴方のためではありません」
ストレングに同情する気持ちがあったのも事実だが、余計なお世話だという事も分かっていた。
強いて言うなら、パイロープ公爵家のためだ。殿下の敵にならない限り、アーゲンには立派な公爵になって欲しいと思っている。
ストレングはしばし沈黙し、それから私の目を見て言った。
「アーゲン様のお命を救ってくださったこと、心より感謝しております。アーゲン様ともども、この恩義は決して忘れません。貴女様に何かありました時には、必ず力をお貸しすると約束します」
深々と一礼すると、彼もまた踵を返して去って行った。
…本当に忠臣だ。アーゲンは良い部下を持ったな。
とりあえずこれで用事は済んだし、今度こそ寮に戻ろうかと思った時、後ろから声をかけられた。
「リナーリア」
「今度は貴方ですか…」
スピネルだった。次々に人がやってくるな。
「迎えに来たんだよ。食堂で班の皆が待ってる。まあ、軽い打ち上げだな」
全員が無事に戻れた事を皆で祝うらしい。なるほど、それは悪くないな。
「話が終わるのを待ってて下さったんですね。すみません」
「別に。今来た所だ」
白々しいな。どうせ全部見ていたんだろうに。
スピネルなら泣いたアラゴナ様を優しく慰めたりできたんだろうか…とちらりと見上げると、「なんだよ?」と言われた。
「いえ、何でもないです」
まあ、それはアーゲンの役目だろう。
彼女を助けたのはアーゲンなのだし、責任を持ってきちんと慰めてやって欲しい。頼むから。
「言っとくが、打ち上げが終わったら説教だからな」
「うう…。分かってます…」
肩を落としながら、私は食堂へと歩き出す。
色々あったが、アーゲンとストレングに恩を売れたのは結果的に良かったかな。
きっと殿下を救うための一助になるはずだ。
そう信じながら、待っている皆の元へ向かった。




