第47話 焚き火の前で※
「…リナーリア!大丈夫か!」
肩を揺さぶられ、私は目を覚ました。
いつの間にか眠っていたらしい。起き上がって一つくしゃみをする。
「アーゲン様…すみません、寝てしまっていました」
「心配したよ…。枝を拾ってきたから、すぐに火を熾そう」
乾かした枝を組み、魔術で火を付ける。
ぱちぱちと火が爆ぜ、しっかりと燃え出したのを確認してからアーゲンが青い葉のついた枝を入れた。
すぐにもくもくと煙が上がり始める。
「これだけ煙が上がれば遠くからでもよく見えそうですね。早く助けが来るといいんですが…」
「そうだね」
アーゲンは煙の昇っていく空を見上げる。
「…しかし君、よく一人で僕を追って来たね。王子殿下やスピネル君は止めなかったのかい?」
「止められる前に崖から飛び降りましたので」
「無茶をするね…」
困ったような顔で言われた。
助けてもらった恩があるから言いにくいが、本当なら呆れたい所なんだろう。普通のご令嬢ならまずやらない行動だし。
「私なら貴方を助けられると思ったからやっただけです。…でも絶対に皆怒ってるはずなので、帰ったら貴方も一緒に謝ってくださいよ」
先生にも叱られるだろうが、特にスピネルは100%怒ってるし確実に説教コースだ。
殿下も多分怒ってるよな…。想像するだけで憂鬱だ。
ため息をつく私にアーゲンは神妙にうなずく。
「わかった…。僕の責任でもあるしね」
…責任か。こいつはこいつで、やっぱり責任感が強いんだよな。騎士だし。
私はアーゲンへと問いかける。
「川に落ちたのは、アラゴナ様を助けるためですか?」
「…まあね。代わりに自分が死にかけていては世話はないけど」
「そうですね」
アーゲンは傷付くかも知れないと思いつつ、私はあえて突き放すように言った。
志そのものはとても立派だ。仲間、それも女性を守りたいという心掛けは騎士の模範と言える。咄嗟にそれを実行できるのも凄い事だ。
…しかし、上に立つ者としてはどうかとも思ってしまうのだ。アーゲンは公爵家の嫡男だというのに。
「ストレングは、貴方を追おうとしていましたよ。殿下が止めていなければ川に飛び込んでいたでしょうね」
私にはストレングの気持ちがよく分かる。自分の命をなげうってでも主を助けたいという思いが。
私だって彼の立場なら同じことをしただろう。
アーゲンを助けたのはただ目の前の命を救いたかったからだが、ストレングに共感してしまったからというのも少しある。
…ストレングには、私のように主を失う絶望など味わって欲しくなかった。
だから、私は自らの身を危険に晒したアーゲンを褒めたりはしない。慰めるつもりもない。
「……。ストレングは忠義者だからね」
「はい」
彼は間違いなく忠臣だ。
だから私はストレングの事が嫌いではないのだ。向こうはあまり私の事を好きではなさそうだが。
アーゲンは少しばかり落ち込んだ様子だ。…ちょっと可哀想だったかな。
「まあ、結果としてアラゴナ様は助かりましたし、皆無事だったなら良いのではないですか?」
例えばアーゲンがアラゴナ様を見捨てて自らの身を守ったとして、それが良かったかと言うとそうではないだろう。
何が正しかったのかなど私には分からない。多分、誰にも分からない。
そして、生きてさえいればこれからいくらでも反省できるし取り返せる。アーゲンはまだ若いのだし。
「大事なのは結果ですよ」
そう肩をすくめる私に、アーゲンは自嘲気味に笑って「ありがとう」と言った。
「君は意外にドライだなあ」
「貴方を咎めるのも、褒めるのも、私の役目ではありませんので」
「…厳しいね」
アーゲンはそう言って、少しだけうつむいた。
しばらく黙って焚き火を眺めていると、アーゲンが「そうだ」と言って腰に手をやった。
「このダガーを返すよ。どうもありがとう」
「いいえ」
受け取ったダガーに傷や汚れがないか軽く確認し、ローブの下へとしまう。
「とても良いダガーだね。さすがブーランジェ公爵家の品だ」
「ええ…」
うなずきかけて、私はアーゲンを睨みつけた。
何故それを知っている。
さっきまで落ち込んでいたくせに、だからこいつは油断ならないのだ。
「いや、そう睨まないでくれ。君に刃物をプレゼントしそうな人間なんて彼くらいしかいないだろう。それに、その鞘。ブーランジェ家では代々革細工を嗜んでいるって聞いた事があるんだよ。ほら、先々代のブーランジェ公爵夫人はうちの家の出だし」
「ああ…」
貴族同士はあっちこっちで婚姻してるから横の繋がりが多いんだよな。
うちは新参で大した家とは繋がりがないので忘れてた。
「そうです。こちらはブーランジェ公爵からいただいた品です。素晴らしいでしょう」
どうせバレているならと、開き直って思いきり自慢する事にする。
胸を張った私に、アーゲンは少し目を丸くした。
「え?それ、公爵が?」
「はい。鞘は公爵が自ら細工されたんだそうです。カーネリア様が私の事を公爵にお話しになったみたいで」
「…だけどそれ、表と裏で細工が少し違わないかな?」
「えっ?」
再びダガーを取り出し、裏と表を返しながらまじまじと鞘を見つめる。
アーゲンの言う通り2枚の革を張り合わせて作ってあるが、どちらも同じにしか見えない。…言われてみれば片側だけ細工が少し粗いか?
騎士のように武器にこだわったりはしないし、芸術には興味がないのでこの手の目利きはさっぱりなんだよな…。
首を捻る私に、アーゲンは少し考え込む素振りを見せる。
「…うーん、僕の気のせいだったかもしれないね」
何だそれは。一体どっちなんだ。
「あ、そうだ、このダガーのことは他の人には言わないでくださいね」
「そうだね。僕に見せたと知ったら彼は怒りそうだし」
そういう意味で言った訳ではないのだが。公爵から個人的に贈られた品があるなどと人に言いたくないだけだ。
でもまあスピネルが怒りそうなのも確かか。ただでさえ怒られそうな事ばかりなのに…と思った所で、私ははっと気が付いて立ち上がった。
急いでローブを脱ごうとする私に、アーゲンがぎょっとしたように声を上げる。
「リナーリア!?何をしているんだ!?」
「血です!早く洗わないと、鼻血を出した事がばれちゃうじゃないですか!」
せっかくアーゲンの救助に成功したのに、着地で失敗して顔面をぶつけ鼻血を出したなんてかっこ悪すぎる。
しかも多分怒られるし、怒られなかった場合は笑われる。どっちも最悪だ。殿下にも知られたくない。
急いで証拠を隠滅しなければ。
「待ってくれ、それじゃ僕の上着を貸すよ。ローブを洗っている間着ていてくれ」
アーゲンは慌てた手付きで自分の上着を脱ぐと私に押し付け、それから後ろを向いて座り直した。
…こいつもこういう所は紳士的なんだな。
ローブの下にも服は着ているし別に見られても問題ないのだが、寒いのは事実なのでありがたく借りておこう。
「ありがとうございます。では、洗ってきます」
魔術じゃさすがに血の汚れは落とせない。川の流れは速く水も濁っているが、染みを落とすくらいはできるだろう。
私にはサイズの大きすぎるアーゲンの上着の袖をまくりあげ、川岸のなるべく流れのゆるい場所にしゃがみこんでローブを洗う。
うーん、落ちにくいな…。乾かす前に洗えば良かった。失敗した。
それでもごしごしと擦り合わせているとだいぶ染みが薄れた。これならばれないかな。
軽く絞り、水気を飛ばしたローブを持って焚き火の側に戻る。
「血は落ちたかい?」
「ええ、なんとか。あ、上着お返しします」
「もう少し着ていていいよ。まだローブは湿っているだろう」
「…そうですね。では、お言葉に甘えさせていただきます」
焚き火の近く、煙が当たらなさそうな場所にローブを広げて上に重石を置く。ここなら多少は乾きが速くなるだろう。
「あの、鼻血を出した事も言わないでくださいね…」
「言わないよ。これ以上彼らに恨まれたくないし」
一応釘を刺すと、アーゲンは苦笑した。それから、一つ大きなため息をつく。
「…彼の気持ちが分からないと思っていたけど、やっと分かったよ。確かにこれでは過保護になるのもしょうがない」
「…スピネルのことですか?」
「ああ。でも結局、君は僕が思っていたのと全然違う人だった。それが答えだったね」
お前は私をどんな人間だと思っていたんだ。
思わず睨むと、アーゲンは肩をすくめる。
「君は謎の存在だったから仕方ないだろう。一度は君が国王陛下の隠し子じゃないかと疑ったりもしたくらいだ」
「はあ!?」
どこをどうやったらそんな発想が出てくるんだ?
「だって、そう考えれば辻褄が合うんだよ。君が王子殿下とあんなに親しいのに王子妃になりたそうな素振りがない事も、従者が君を守ろうとする事も、国王陛下から気にかけられている事も」
「…陛下が?私を?」
「パーティーの挨拶の時にお声をかけられていたじゃないか。まだ何の功績も上げていない子供に対して、普通そんな事はしないだろう」
「……」
言われてみればそうだった。
単純に期待されているのかと…だって陛下って意外と気さくな方だし…。
でも王子の従者として時々顔を合わせていた前世とは違い、今世では全く面識がないので、陛下が私に気さくにする理由などなかった。
勘違いしていた自分が恥ずかしい。
という事はもしかして、陛下のお声がけもブーランジェ公爵のお土産と一緒で、遠回しな「うちの息子がお世話になっております」だったのか?
前世ではどこに行っても王子の従者という立場で扱われたので、友人の父親とはどういう対応をしてくるものなのか私は全く知らない。
…友達がほとんどいなかったのもあるが…。
ちょっと衝撃を受けている私の顔色を窺いながら、アーゲンは言葉を続ける。
「でも、いくら調べても王家と君には何の接点もなかったよ」
「…当たり前です。私は正真正銘ジャローシス侯爵とその夫人の間に生まれた娘です」
「うん。だから君は相変わらず謎のままだ。今日、君のことをずいぶん理解できたと思うけれど、逆に謎が深まった部分もあるね」
アーゲンは何やら楽しそうだ。そうやって私に興味を持つのを本当にやめて欲しいのだが。
「そんなに嫌そうにされるとちょっと傷付くなあ…」
「そ、そんな事はありませんよ」
しまった、完全に顔に出ていたようだ。長話をしたせいで気を許しすぎたか。
取り繕ってにっこりと笑うと、アーゲンは少し困った表情になった。
「…ごめん、冗談だよ。今日、君が僕を助けてくれた事には本当に感謝している」
そう言って、私の顔を真っ直ぐに見つめる。
「君は僕の命の恩人だ。この恩は一生忘れないだろう」
最後はひどく真剣に言われ、私は思わず戸惑ってしまった。
「…恩なんて感じる必要ありません。私は同級生に死んで欲しくなかっただけです。あと、ストレングが可哀想だったので」
「…そこでまたストレングかい?もしかして君、本当に筋肉が好きなのか…?」
「違います!!その誤解やめて下さい!筋肉なら何でもいい訳じゃないですから!!」
確かにストレングは見事な筋肉を持っているが、そんな理由で彼に好意的な訳ではない。心外すぎる。
「いいから、帰ったらストレングに謝ってくださいね!!」
指を突きつけてそう言うと、アーゲンは気圧されたようにうなずいた。
それでいい。忠義の臣は大切にしろ。全く。




