第42話 公爵からのお土産
「お嬢様、今日の分の夕食はこちらに置いておきますね」
その声に、私は読んでいた魔術書から視線を上げた。
コーネルがテーブルの上に置いたのはフードカバーのかかったお盆だ。中には食堂で用意してもらった夕食が入っている。
「ありがとうございます。コーネルは今日はもう…」
帰ってもいいですよ、と言おうとした時、コンコンとノックの音が聞こえた。
すぐにコーネルがドアへと向かう。誰だろ?スフェン先輩かな?
ドアの向こうに立っていたのは、何とスピネルだった。
「スピネル?どうしたんですか?」
「とりあえず入ってもいいか」
スピネルはちらちらと周囲を見ながらやや早口で言った。あ、そうか。あまり見られたくないんだな。
「どうぞ」と急いで室内に招き入れる。
「…食事?」
コーネルがテーブルから一旦下げたお盆を見て、スピネルが怪訝そうにする。
「ああ、あれは夕食の分です」
「夕食?食堂に食べに行かないのか?」
「えーと…」
あまり説明したくないので言葉を濁すと、お盆を机の上に置いたコーネルが言う。
「こうして予め用意しておかないと、お嬢様はすぐ本やお勉強に夢中になって夕食を取り忘れてしまうのです」
「お前って奴は…」
案の定呆れたように睨まれてしまった。コーネルの裏切り者…!
「さ、最近はちゃんと食べてますから!」
「最近は、か」
「そ、それよりかけて下さい。コーネル、お茶を」
「はい」
私は無理やり誤魔化して椅子に腰掛けた。スピネルもまた向かいへと腰掛ける。
新年休みから戻ってきたばかりなのだろう、コートの下は私服のようだ。
「思ったより早く戻ってきたんですね」
「実家にいたらいたで色々うるさくてな…」
スピネルはうんざり顔だ。ふーむ、ブーランジェ公爵は厳しい方だと聞くからそれでかな?
それとも近郊のご令嬢方から色々誘われるのが面倒なのかな。両方か。
「でも、どうしていきなり私の部屋に?女子寮に入るには受付を通らないといけませんよね」
受付で面会を頼んだなら、直接部屋に来るのではなくまず部屋の呼び鈴が鳴るはずなのだが。
「カーネリアに会うふりをして入った」
「貴方そういう悪知恵は働きますね…」
「悪知恵とはなんだ。噂をされたらお前だって困るだろうが」
「まあそれはそうですけど」
貴族同士の婚姻を進めるため男女交際はむしろ推奨されているし、堂々と会いに来ても先生や職員に咎められるようなことはないのだが、私とスピネルは交際などしていないからな。
何しろご令嬢方は噂話が大好きなのだ。相手がスピネルなら尚更すぐに広まってしまうだろう。
「でも、カーネリア様は怒りませんでしたか?それ」
カーネリア様は何だかんだ言ってスピネルに懐いている。
兄が自分に会いに来たと思ったらただの口実だったというのは、きっとがっかりしたと思うのだが。
「また剣の稽古に付き合う約束をさせられた」
「ああ、時々やっていますよね」
彼女は剣術にかなり熱心だ。将来は女騎士になりたいと常々言っている。
高位貴族のご令嬢としては珍しい。貴人の警護などで女騎士の需要は高いのだが、実際に女騎士の職に就くのはあまり裕福ではない下位貴族が中心だ。
スピネルがそれをどう思っているのかは分からないが、どうも歓迎してはいないように見える。やはり心配なのだろう。
そもそもスピネルってあまりカーネリア様の話をしたがらないんだよな。私とカーネリア様がいる場に同席するのも嫌がって、毎回避けようとする。
殿下曰く「妹に甘い所を君に見られるのが恥ずかしいんじゃないか」という話だ。つまり、殿下から見ると彼は妹に甘いのだろう。
うちの兄達などは人前でも堂々と私に甘く、むしろ私の方が恥ずかしいくらいなのだが、スピネルはそういうのは隠したがる性格なんだろうなあと思う。
そんな事を考えていると、コーネルがお茶を運んできた。
ティーカップに静かに注がれた紅茶に、スピネルが口を付ける。
「ありがとう。とても美味しいよ」
そう言ってコーネルに向けたのは、びっくりするほど爽やかな笑みだ。私に対しては何やら腹の立つ笑顔ばかり向けてくるのだが、他の女性にはだいたいこの調子である。
その度に頬を染めたり騒いだりするご令嬢も多いのだが、コーネルは全くの無表情で「ありがとうございます」と頭を下げただけだった。
「スピネルは紅茶に結構うるさいので、お世辞ではないと思いますよ」
「左様でございましたか。恐縮です」
コーネルはやはり、全く表情を動かさなかった。さすがである。
「…それで、一体何のご用ですか?」
するとスピネルは何故か不機嫌そうな顔で、椅子にかけたコートのポケットに手を伸ばした。
そこからはみ出していた謎の包みをテーブルに置く。
「お前に土産だ。親父…父上と母上からだ」
「えっ?」
スピネルの父母と言えばブーランジェ公爵とその夫人だ。どうして私にお土産を?
「とりあえず開けてみろ」
「あ、はい」
中から出てきたのは、ひと目で上等なものだと分かる小ぶりなダガーだった。
しっかりした作りの割に軽く、持ち歩きやすそうだ。恐らく女性の護身用にと作られたものだろう。
赤く染めた革で作られた鞘には、不思議な紋様が細かく彫り込まれている。
…確か前世の視察の時、これと似た雰囲気の革細工をブーランジェ領で見た記憶がある。
上質な馬革に独特の紋様を彫り込み、ベルトやポーチなど様々なものを作る革細工は、あの周辺の地域に古くから伝わる伝統工芸だったはずだ。
「カーネリアが父上と母上にお前の話をしたらしくてな、それで土産に持っていけって渡されたんだよ。…その鞘、父上が細工したやつだ」
「えっ!?閣下がですか!?」
私は思わずまじまじと鞘を見つめる。とても見事な細工だ。
どこか炎を思わせるその紋様は、細かくて美しい。
「うちの家の伝統模様の一つで、守護を表してるらしい。特に何か効果がある訳じゃないが、ちょっとしたお守りみたいなもんだな」
「そ、そんな貴重なものを頂いていいんですか?」
「別に貴重でもねえよ。売りもんでもねえし」
「売ってないから貴重なんでしょう!しかも閣下が細工を…?えっ、本当に?いいんですか?」
意味もなくあたふたする私に、スピネルは呆れ顔だ。
「お前本当にうちの親父好きだな…」
「当たり前です!あれほど尊敬できる騎士はそういませんよ」
「ふーん。まあいいけどよ」
私はダガーをためつすがめつし、鞘から少し抜いてみた。
刃には質のいい鋼が使われているのが分かる。かなり切れ味が良さそうだ。
「物凄く嬉しいんですけど、こんな良い物をどうして…?」
恐らく私が公爵に憧れているという話をカーネリア様から聞いたのだと思うが、それだけでこんな物をぽんとくれたりはしないと思うのだが。
「まあお前とはそれなりに長い付き合いだしな。カーネリアも世話になってるし。深く考えずにもらっとけ」
なるほど、うちの息子や娘がいつもお世話になっております的なやつか。
公爵家からしたら大した贈り物でもないのかな…?
とても貴重な品なのは間違いないが、手作り品なので価値が分かりにくい。だからこれを選んだのだろうか。
「…本当にありがとうございます。すごく嬉しいです」
ついニマニマとしてしまう私に、スピネルは少し笑った。
「親…父上達にはお前がすごく喜んでたって言っとく。ああ、返礼とかは別にいらないからな」
「そうですね、私にはとてもお返しできるものがありませんし…。でも、お礼のお手紙は送らせていただきます」
それくらいは良いですよね?とスピネルを見ると、仕方ないというようにうなずいた。
「余計な事は書くなよ」
「お宅の息子さんは学院でご令嬢方に大変モテていらっしゃいますよ、とか?」
「やめろ。絶対やめろ」
あまりに嫌そうなので私は思わず噴き出してしまった。
「冗談ですよ。ちゃんと失礼のないお手紙を書きます」
「頼むからそうしてくれ。…じゃ、俺はもう行く」
「はい。本当にありがとうございました。また、学院で」
スピネルを見送った後、私はもう一度ダガーを手に取った。
剣の達人として有名なブーランジェ公爵が手ずから細工したダガー。かなりご利益がありそうだ。
早速お礼の手紙を書かなければと思いつつ、私はそれを大切にしまった。




