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第39話 新年の祝い(後)

 案内された2階の部屋は大きな窓が大通りに面して作り付けられており、通り過ぎる馬車の様子がよく見えそうだった。まさに特等席と言っていいだろう。

 窓際の椅子に腰掛けて外を眺めていると、コベリン夫妻が温かいお茶を持ってきてくれた。


「すみません、お気遣いありがとうございます」

「いいえ、貴女様には本当にご贔屓にしていただいておりますから。この商売をやって20年以上経ちますが、その若さであれほど高度な魔術書を何度も求められる方は滅多におりませんよ」


 聞けば、コベリン氏も若い頃は王宮に勤める魔術師だったのだと言う。王宮魔術師団ではなく、一般の魔術兵だったそうだが。

 セナルモント先生のさらに師匠とも知り合いらしい。その繋がりを活かしての商売なのだろう。



 そうしているうちに、窓の外が騒がしくなってきた。


「馬車が近付いてきたようですな。窓を開けましょう」


 窓を大きく開け放つと、外から冬の空気が流れ込んできた。少々寒いが、空は青く晴れ渡っていて清々しい。

 大通りの奥を見ると、先頭を進む護衛の馬車が見えた。

 その後ろのひときわ大きくきらびやかな馬車に、国王陛下と王妃様が乗っている。後ろの座席には護衛として王宮魔術師筆頭のアメシスト様が座っているようだ。


 沿道の人々から歓声が上がり、造花や旗が掲げられる。ヘリオドール王国の象徴である黄色を使ったものだ。

 ゆっくりと近付いてくる馬車の中で、陛下と王妃様は民たちに手を振り返していた。

 大きな宝石がはめ込まれた王冠を被った陛下は、豪奢なマントをまとい、普段は宝物庫に収められている王家の秘宝の王錫と腕輪を身に着けている。

 その穏やかな微笑みは、ただ優しげなだけではなくこの国を統べる者にふさわしい威厳があった。

 王妃様も、金糸の刺繍がたっぷりと施されたドレス姿がお美しい。相変わらずお若いな。


 馬車へと手を振る私の隣で、コベリン氏もまた笑顔で手を振っていた。

 …あれ?今、陛下がこっちを見たような…。いや、コベリン氏を見たのかな?


 陛下を見送っていると、すぐに殿下の乗った馬車がやって来た。

 殿下はいつもの真面目な顔だが、隣のスピネルがその分ニコニコと愛想を振り撒いている。

 スピネルのこういう所は素直に尊敬するしかない。私はとてもこんな自然な笑顔は浮かべられていなかったと思う。


 殿下は淡い色の金髪を後ろになでつけ、正装を身に着けていて、こうして離れて見ると本当に立派だった。その堂々とした様は、姿絵が庶民の間で人気になるのも納得だ。

 沿道からは、若い少女たちの歓声がひときわ大きく上がっている。



 私の声など、人々の歓声にかき消されてきっと聞こえないだろう。

 そう思いつつ、私は声を上げずにいられなかった。


「エスメラルド殿下!」


 …すると、ふいに殿下の翠の瞳が私を見た。

 ほんの一瞬目を丸くし、それから笑みを浮かべる。

 少し喜んでいるように見えるのは気のせいではないだろう。こちらへ手を上げる殿下に、私は嬉しくなってぶんぶんと手を振った。


 殿下が隣のスピネルに何かをささやく。

 それでスピネルも私に気が付いたようだ。一瞬だけ呆れた顔になってから、おかしそうに笑う。

 私は二人の馬車が遠ざかるまで手を振り続けた。




「陛下は、今年もお元気なようでしたな。良かった…」


 コベリン氏がしみじみと呟く。


「あの、先程国王陛下がコベリンさんを見ていたような気がしたのですが…?」

「ああ…、どうやら陛下は未だに儂を覚えて下さっているようです。実は、この店を始めるきっかけは陛下だったのですよ」

「えっ!?そうなんですか?」


 それから、コベリン氏は昔のことを語ってくれた。


 若かりし頃のコベリン氏は下位貴族の出身だったが、風魔術がとても得意だったのだという。

 これだけの魔術があれば王宮の魔術兵にもなれると思い、首尾よく採用されたはいいが、兵士の仕事は想像していた以上に辛かった。

 何より、同期で入った友人の騎士が魔獣退治の際、あっさりと牙で引き裂かれ死んでしまったのがコベリン氏に大きな衝撃を与えた。

 それ以来どうしても魔獣相手に腰が引けてしまい、上司や仲間にも白い目で見られるようになってきてしまった。


 仲間からはそれとなく転職を勧められた。しかし、それでは死んだ友に申し訳が立たない。

 城の裏庭で一人悩むコベリン氏に声をかけたのが、当時まだ少年…第二王子だった陛下だった。


 その時、コベリン氏は相手が王子だとは気付いていなかった。

「何を悩んでいるのか」と尋ねられたコベリン氏は半ば自棄で、自分がまともに兵士としての務めを果たせていない事を話した。「このままでは死んだ友に申し訳ない」と。

 すると陛下は「お前がそうして悩むことを友は望んでいるのか?」と言ったという。

「向いていない仕事をするより、もっと別のことで人の役に立つべきではないか」とも。


 それからすぐに陛下は立ち去ったが、目が覚めるような思いになったコベリン氏は、その日のうちに辞表を提出したのだそうだ。



「…儂は借金をして店を始めました。魔術師の役に立てるような、魔術書がたくさんある本屋をやる事にしたんです。始めは苦労しましたが、魔術兵時代の伝手でなんとか商売を軌道に乗せる事ができました。

 それで、しばらく経ってからですね。いつものように昔の同僚の魔術兵相手に商売をしていたら、陛下がお忍びでやって来て。

 あの時の少年だと分かったので、たくさんお礼を言って、それから本を一冊差し上げました。女性へのプレゼントを探しているとの事だったので、きれいな挿絵のついた旅行記を」


 コベリン氏は懐かしげに語る。


「帰った後、元同僚がやけに驚いているからどうしたのかと聞いたら、『今のは第二王子殿下だ』と言われて…。それでようやく、あの時の少年が陛下だったと知ったのですよ」


 苦笑するコベリン氏。

 いくら城勤めでも一介の兵士だと王子との接点はあまりないからなあ…。

 お身体の弱い陛下は昔は特に臥せりがちであまり外に出なかったと言うし、顔を知らなくても無理はない。


「翌年のパレードを見たら、本当に王子殿下だったので驚きましたよ。しかも、ちゃんと儂に手を振ってくれて。…それから毎年、こうして窓からパレードを見ているのです」

「素敵なお話ですね…」


 やはり陛下は素晴らしいお方だ。ほんの数度言葉を交わしただけのコベリン氏の事を、今でもこうして覚えている。

 思わず感動しながら、私は開かれたままの窓を見た。外からはまだ歓声が聞こえる。

 馬車はもう広場を回り、反対側の通りを進みながら城へと戻っている所だろう。


 同じく窓を見ていたコベリン氏が私に尋ねる。


「そう言う貴女様も、王子殿下から手を振られておりませんでしたか?」

「ええ、殿下とは学友で、親しくさせていただいているので…」


 でも、殿下は何で私に気が付いたんだろう。

 とても声が聞こえたとは思えないし、いつもと髪型も格好も違っていたのに。


「なるほど、それでパレードをご覧になりたかったのですな」

「はい…。本当にありがとうございました。こんな良い場所から見られて、素晴らしい思い出になりました」


 改めて頭を下げると、コベリン氏は「いえいえ」と恐縮したあと、微笑ましげに目を細めた。




 その後は広場の周辺でいくつかの出店を覗き、黄金リンゴのパンとブランデー入りの温かいスパイスティーを買った。

 私はあまりお酒に強くないがこの程度ならば大丈夫…と思ったが、そう言えば今世ではほとんどお酒は飲んでいない。どのくらいの量を飲めるかそのうち試した方がいいかな。

 ちなみにコーネルとヴォルツは軽く酒精を飛ばしたグリューワインを飲んでいた。


 ほかほかと温まったところで辻馬車を拾い、学院へと戻る。

 コーネルはジャローシス侯爵邸までだ。彼女は冬の間の屋敷の手入れも兼ねて、お兄様の使用人と共に侯爵邸の方に住んでいる。


「二人共、今日はありがとうございました。すごく楽しかったです」

「それはようございました。私も、新年のパレードは初めて見ましたが楽しかったです」

「私もです」


 コーネルは微笑みながら、ヴォルツはいつもの仏頂面で答える。

 新年早々私のわがままに付き合わせてしまったが、二人が少しでも楽しんでくれたなら私も嬉しい。

 コベリン氏は「またいつでもお越しください」と言ってくれたし、こういうお忍びもたまには良いかもしれないなと私は思った。

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